2014年12月31日水曜日

一期一会

2014年の終わりに、親と言い合いをして。
でも去年とちがっていたのは、わたしの心が晴れていたこと。
気になる人のことで言い合ったのだから、よかったと思う。

もっと若いときに、このような勇気があれば、お互いに話す機会があったのかも知れない。
私はたぶん、諦めていた。
子どもは、親とコミュニケーションをとることで、親からいろんなことを教わる。
親は、子どもと向きあうことで、自分を成長させていく。

私は、臆病だったから、その勇気がなかった。
流れるままに、受け身になっていた。
受け身でいると、役目を果たせない。生きることを果たせない。

思い切って家を出て、多くの人と出会い、ひとりで暮らすことで自分にひとり分の責任を持って生きられ、多くのことをひとさまに教えていただいたからこそ、今日が迎えられた。
本当によかったと思う。

今年は本当にいろんなことがわかった一年だった。
もう二度と、人をコントロールしようとしたり、上から目線でえらそうに見たりはしない。
そして、残っている人生の時間を有意義に、大切な人たちのことを考えながら生きてみようと思う。

大切なのは、人生を諦めないこと。
人の手にゆだねないこと。人の責任にしないこと。
そうだよ。がんばろ。

今年も両親におせちをいただき、お正月を迎えます。
妹からの暖かなベストで、今もぽかぽか。
ありがとうございました

2014年12月30日火曜日

始まりの年 今年一年の振り返り

今年は、私にとって大きな動きがあった年になった。
物理的と言うよりも、精神的に、意識的にといった感じだろうか。

昨年の今頃とくらべて、
動じなくなった自分、揺れなくなった自分。
まだ、今の生活に対しての申し訳ない気持ちは消えていないけれど、ただ自分としてなにも着せずに生きることの大切なこと、貴重なことを心から学んだように思う。

誰が苦手でも、誰が好きでも、大切なものを大切にして生きよう、そう思えた。
心は波立つけれど、今年知ったことを大事にして、一日一日を生きて行こうと思う。
今年は始まりの年。
あさってから始まる一年は、理解したことを少しずつ活かして行動する年。
目立たずともひとりの女性の人生を、かみしめて生きようと思っている。

2014年12月29日月曜日

大切な時間

大切なひととすごす時間は、本当に心が豊かになるものなのだな、とこの一ヶ月の経験で感じました。

友人や知人の話を聞くことがこんなに楽しいことだったなんて。

来年は好きな人たちとたくさんたくさん逢ってたくさんたくさん話を聞きたい。
そこに私の出来ることが眠っているかも知れないから。

大切に時間の流れを楽しみたい。
そこにもしかしたら私の役割があるのかも知れないから。

2014年12月25日木曜日

今夜のデザート フルーツゼリーれしぴ

昨日たらふく食べたのですが、今日もなんとなくうきうきしたいので仕込みました。

フルーツゼリー

☆材料
リンゴ
バナナ
みかん    …それぞれ適量

マンゴー缶
ミックスフルーツ缶

ポッカレモン 適量
野菜生活 ストロベリー&ラスベリー

いちご
ゼラチン

作り方
1 フルーツを一口大に切り、フルーツ缶とミックスする
2 リンゴは最後に切って、すぐに1と混ぜる。レモン汁を書けて混ぜておく。
3 野菜ジュースでゼラチンを溶かし、1と混ぜていちごを飾り、冷やす。

みかんは房ごとに堅い部分(上の真っ直ぐなほう)をはさみで切り取り、半分に切って入れてもらいました。白い筋はわざと取りませんでした。

ゼラチンは今回は板ゼラチンを少なめに使いました。できあがりが柔らかくなるといいなと思ったのでした。うまいぐあいにかたまるか。どうかなあ。

いちごはシロップに混ぜずに、容器に分けた際、半分に割って1個分ずつ入れてみました。

昨日の残りのかぼちゃパイと生クリームと一緒に、ワンプレートに飾っていただこうと思います。

自閉症の僕が跳びはねる理由

7年前に出版された本が、海外で話題になっているそうです。
NHKで放送されたものを先日あるところで観させていただき、購入しました。

番組で衝撃を受けたのは、この作家が率直にわかりやすく自分の障がいを語り、ひとつひとつの会話を自分のものとして見詰めている姿勢でした。

そしてもっと知りたくなりました。

「話せるということは、声が出せるということではありません。みんなは、そのことをちゃんと分かっていないように思います。
言葉を話せるようになりさえすれば、自分の気持ちを相手に伝えられると思い込んでいませんか? その思い込みのために、僕らはますます自分を閉じ込めてしまっているのです。         【東田直樹 自閉症の僕が跳びはねる理由 エスコアールから抜粋】

この一節は、話す基本について、私に大切なことを教えてくれています。
言葉をいくら知っていても、相手にきちんと物事を伝えるのはとても難しく、毎日の苦労が必要です。
障がいの有無に関わらず、ものごとは簡単なことではないんだよ、とさとされたような気持ちがしました。

私は、自分の中に、偏見がまだ大きくあったことに気がつきました。
私自身が障がい者で、しかも本を出版している身でありながら、本にレッテルを貼り、遠ざけようとしていたことです。

いい本はいい。変な本は変。
一冊一冊きちんと読み、自分の感性をみがこうと思いました。

そして、無限の可能性を示して下さったこの本を、大切にしたいと思います。


2014年12月23日火曜日

明日のレシピ かぼちゃパイと巻かないロールキャベツ

かぼちゃとサツマイモのパイ

☆材料
かぼちゃ      二分の一
サツマイモ     小さいの一個
紫芋        小さいの2個
パイ生地(冷凍)    大1枚 小1枚
卵           一個
牛乳          大さじ5杯程度
メイプルシロップ 適量

シナモン、ラムレーズン等 お好みで

☆作り方
1 かぼちゃと芋はふかして、適当につぶす
2 味を確かめて、メープルを適量入れ、卵、牛乳を入れて混ぜる
3 冷凍パイ生地を自然解凍して思う存分引き延ばし、お皿にはる。
4 2のあんを半分に分けて、お好みの味付けをする。
5 3に4を半分ずつ詰めて、オーブンで焼く。

オーブンは、その家庭の説明書に書いてある「パイ」の焼き時間を確かめて下さい。
うちのは、下段に皿をおいて余熱なし・200度・40分+5分
大きい皿と小さい皿の2個分出来ました。
今回はやらなかったけれど、卵黄を表面に塗るときれいに仕上がります。


巻かないロールキャベツ

☆材料
キャベツ6枚ぐらい
合い挽き    250グラムぐらい
人参      半分
タマネギ(小)   2個
パプリカ    1個
ピーマン    2個
エノキ     1袋
山芋      15センチぐらい
トマト     小1個
豚小間     気分で
コンソメ、塩、こしょう、にんにく、ショウガ  適量

☆作り方
1  合い挽きはキッチン用のポリ袋に入れて、塩とショウガ、にんにくでもみ、下味をつけておく
2  野菜はフードプロセッサーできざんでおく
3  1と2を合わせてよく混ぜ、オリーブオイルとこしょう、山芋のすり下ろしを加えてませる
4 鍋にキャベツと3を交互に重ね合わせ、最後に豚こまとトマトをおく。
5  水を250ccほど入れてコトコトと煮る。コンソメを加えてキャベツが軟らかくなるまで煮る

保温調理器があると便利です。
味はお好みで。トマトベースでも、野菜ジュースでも。
今回は冒険するのをやめました。

書いておけばいつかもう一度つくれるような気がしたので。いつも思いつきでアレンジしてしまうから。




2014年12月16日火曜日

ナカイタカフェが

「板橋本」にも掲載されていたカレーとお酒のお店「ナカイタカフェ」が、
先日行ったらなかった!!!
飲み屋になっていました。

ちょーショックです。
あの焼きカレーがもう食べられないなんて。

2014年12月14日日曜日

フードプロセッサーでメレンゲ

今日は投票日だけれど、不在者投票を済ませてあるので、今日は雑用に没頭しようと思っています。

フードプロセッサーを新調しまして、昨日、さっそく実験してみました。
メレンゲが出来るかどうか。

道具はいろいろあっても使い勝手が悪いだけなので、ひとつの機械でいろいろ応用できたらこれに越したことはないと思っていました。

今度のフードプロセッサーはパンこね機能がついているので、パンこね用のパーツを使えば何とかなるのではないかと思ったのです。

いろいろネットで調べたのですが、本来フードプロセッサーのカッターは、食品をかき混ぜても泡が立たないように工夫が施されているようなのです。どおりでどこの説明書きをみても、メレンゲが出来ますとか、生クリームが泡立てられますとか書いてないはずです。

でもやってはいけないと言うこともかいていないので、やってみました。

生クリームの方が好きなのですが、単純に冷蔵庫に入っていなかったので、常備している卵で出来るものということで。

結果、少し時間がかかるけれど、出来ました!

きっと生クリームも出来るでしょう。

量として、卵2個分の卵白は必要みたいです。チョッパーの羽の位置が高いので。

よかった。より簡単にできる料理が考えられそうです。

ちなみに、出来たメレンゲはアップルパイづくりに使いました。

2014年12月12日金曜日

チョコ募金

JIM-NETのチョコ募金が今年も始まりました。
花の絵柄の可愛い缶にチョコが入っています。缶の絵はイラクのこどもたちが描いています。


チョコ基金は、
●イラクの小児癌医療基金
●シリア難民妊産婦支援
●シリア内戦に巻き込まれ傷ついた人たちの義肢の支援
●福島のこどもたちを放射能からまもる活動

に使われるそうです。

チョコは六花亭のチョコレートです。ハート型で、可愛いです。

戦争と平和

ロシアの貴族社会と、ナポレオンがいるフランスとの戦いを小説にしたもの。トルストイ作。
映画ではなくて小説を読みました。2ヶ月もかかってしまった(^^;)

ロシアの貴族社会の恋愛や日常生活や、軍隊の中のふつうの会話で大部分が進行していくようなイメージでした。
読み終わって、平和というものは心のありようで、そして自分で生きていこうとすることが大事なんだということはすごくわかりました。
歴史物の読み物にありがちないわゆる英雄はいないし(ナポレオンは出てくるけれどふつうの人だったし)貴族社会が多かったけれど、日常という感じでした。
よみものにもとめてしまうのは、やはりドラマなのかも知れないと、読みながらおもいました。

しかしなぜこんなにロシア文学って読みにくいんだろ。かたいというか、なんというか。

2014年12月10日水曜日

明け方の夢

久しぶりに鮮明な夢を見ました。

家族で生活している家に、ある日たくさんの人たちが越してきます。夢の中の私の家は大きな大きな一軒家で、部屋を幾つか貸すことになったのでした。
越してきた人たちはみんな私の知り合いで、いろんな悩みを持っていました。
ひとりの人が10人ぐらいの人たちをサポートしていました。
時折大勢の人たちが奥の部屋に集まって、どうしたら快適に暮らせるか知恵を出し合います。
大勢の人たちはいろんなところからやってくる人たちで、顔見知りも多くみられました。
私は住人の人たちと話すぐらいでしたが、いい時間を過ごしていました。

このような夢をなぜ今見たのか、自分でも不明です。

2014年12月6日土曜日

意識的に生きてみる

と言うことを心がけているのですが、慣れないせいかすぐに無意識に行動する私がいます。
口から言葉がこぼれ落ちてしまいます。

はっと気がつくと行動を覚えていない自分がいます。

夜になれば反省点がいっぱい。

そのうちうまくできるようになるのかしら。


プールのボランティアの方も、あるときおっしゃっていました。
「意識的に泳がないと、それはあぶない」

あぶない生き方は卒業しないとね。

2014年12月3日水曜日

繊維筋痛症

今日のテレビ『ためしてガッテン』で、繊維筋痛症について特集していて。
痛みをはかる機械というものに興味を持ちました。

自分が感じている痛みと同じぐらいの痛みを感じる電流の強さで、その人の痛みを数値化する、と言う方法。

耳たぶを洗濯ばさみではさんだときの痛みを百幾つとすると、番組の取材を受けられた患者さんの五百幾つとか四百幾つとかいう痛みは尋常ではないと言うことがわかります。


人の痛みを理解するのは難しい。どんなに大変かを実感した番組でした。

2014年12月2日火曜日

平成のこめとぎ方法

テレビでやっていました。今は炊飯器も米も進化しているので、昭和のとぎ方ではおいしいごはんは食べられないんだそうです。

1 研がないで2回、水ですすぐ
2 水を入れずに20回かき混ぜる
  (指をカギにして混ぜる感じ。そのあと2回すすぐ)
3 水を入れずに10回かき混ぜる。2回すすいでできあがり。

水につけるのは2時間で充分、なのだそうです。

分解

フードプロセッサーが壊れました。
私が、岩塩を砕くというあほな使い方をしたのが原因なのですが。

モーターはまわっているので、どこかの歯車がはずれたのかと思い、中を見てみてみました。
案の定、小さなプラスティック製の歯車の歯が幾つもかけていました。
これは治りません。

中は思った以上に汚れていました。
食品が入らないように出来ていても、こんなに入り込むものなのだと実感。

でも、とても頑丈につくられていて、しろうとは分解できないようになっているのだと思いました。

でも、内部って本当に汚れるものなのですね。
掃除するにしてもネジとらないといけないし、思いもつかない……。
開けてみてよかったです。

あたらしいの買わないと。

2014年12月1日月曜日

餃子の焼き方。

友人を誘ったら来てくれたので、餃子パーティーに。
餃子のおいしい焼き方をシェアしてもらいました。

と言っても私はうろ覚え。
遠くで観てたものだから。

どうやら次のことみたいです。

最初に餃子を焼き色がつくまでしっかり焼く。
鍋にお水を餃子の半分の高さまで入れて蒸し焼きにする。
水はしっかり飛ばして、鍋の表面で餃子が動くようだったらできあがり。

友人曰く、
皮の端をちょっと菜箸ではがす程度で餃子は鍋から簡単にはがれる。くっついてしまって何かで剥がさなくてはいけないようだとまだうまくできていない。
のだそうです。

餃子は焼くのではなく蒸す感じ、なんだそうです。
私もこんなふうにうまく誰かに伝えられるかしら。
ゆでちゃうかも。

2014年11月25日火曜日

見守り案内

えきのホームで、こんな放送を聞いたことがあると思う。
「到着の○○、お客さまご案内」

「お客さまご案内」と言うのは、車いすユーザーもしくは視覚障害を持った方など、駅員さんの誘導によって乗車する方がいるときに使われる。車掌さんに伝えるためだ。

車いすで歩いている私が電車に乗るときは、必ず有人の改札を通ることになる。
電動車いすで電車の乗り降りをするには、たいていの場合段差解消のスロープが必要になるから。駅員さんがいないと私は未だひとりでは電車に乗れない。

もちろんひとりで乗り降りしている車いすユーザーもいる。手動の車いすを駆使する方はウイリーができる人も多いから、ひとりで前輪を持ち上げて電車とホームとの段差やすき間をひょいと乗り越えてしまったりする。手動の車いすは介助の方だけでも前輪をあげて乗車できたりする。大きい電動車いすは性能も馬力もあるので、電車ぐらいの多少の段差を乗り越えてしまうものもある。

私の乗っている電動車いすは、どのタイプでもない。介助の方では乗せられないので、駅員さん頼みになる。
駅員さんは、実際はかなり重いはずの持ち運びできる簡易スロープを、片手で軽そうに持ってくる。

そして乗車案内のアナウンスをする。

ただ、例外の駅もある。まだほんの一部だが、電車とホームの間の段差やすき間が解消されている駅が。

都内の都営地下鉄大江戸線がいい例だ。

この線に乗るときは私は緊張する。駅員さんに頼らなくても乗り降りが自由だから。
自由というのは責任が生じる。私は目的地でちゃんと自分で降りなければならない。
誰かが待っているわけではないから。
いかにいつも保護されているかを、こういう時に自覚する。

大江戸線以外にも、ひとりで乗り降りできる駅はある。
そういうときでも私は駅員さんに来ていただくけれど、このとき駅員さんは実際補助しなくても乗れるので、見守りのような存在になる。

その日も、私は改札で、下車する駅を告げた。
車いすでの乗車の場合は、必ず下車駅を申告することになっている。目的のえきのホームで駅員さんに待っていていただくために。
もちろんひとりで乗り降りできる人は言わなくていいのだけれども。

「○○まで行きます」と私。
「では、○両目のところからお願いします」と駅員さん。

電車の位置を指定されたので、ホームの指定の場所に行った。
そのホームは段差が解消されている。私はいつものように介助の方と話しながら、駅員さんを待った。

ホームに電車が入ってきた。
駅員さんは来ない。

この電車には乗れないのかな、と思っていたら、放送が入った。
「到着の○○、お客さまご案内」

えっ、駅員さん、どこで放送しているのかしら。

確かにひとりで乗れるので乗車すると、

「お客さま、乗車終了しました」

えーっ。

小さい出来事だけれど、駅員さんがそばにいない状態で乗車案内のアナウンスされたの、本当に初めてだった。

「見守り案内、だね」
「どこで見守っていたのだろうね」
介助の方と、またこんなことで話が盛り上がった。

本当に一部の人にしかわからない世界の、他愛ない、そしてめずらしい体験だった。

ささらさや

友人と昨日観てきました。

最初は、物足りないのかなあと思っていたのですが、ラストで大泣きしてしまいました。
この映画はとてもすてきな、見終わったあとに心に灯りがともる映画です。

いやあ、よくこんなに台詞を覚えたなあと、よく演じたなーと、そういうことで感動しちゃったシーンもありました。

やっぱり、そのときそのとき自分にとってベストな生き方をしたいなと思いました。

そして、視点を変えることの大切さも教えてくれた映画でした。


原作、ぜったい読みます。

2014年11月22日土曜日

最強の二人

とうとう観ましたー。
おもしろかったー。

気持ちのよい映画でした。実話に基づいた映画だけれども、女性版だったらどうなるだろうと考えずにはいられませんでした。
フィリップの忍耐強さには学ぶところがあったし、ドリスのセンスはすごく刺激的でした。

こんな関係性もおもしろい。ここまでぜいたくしなくても、今は制度があるのだし。気の合う人と密な生活もまたおつですね。

人生は一期一会。自分自身を出来るだけポジティブに保って、貴重な出会いを楽しみたいものです。

2014年11月21日金曜日

終結

ここ数年引きずっていた一つの思いが、今日解放されました。

私の中の執着や怒りがだいぶ整理されて、落ちついて物事を捉えられるようになったからです。

ずっと言わないままでいたことも言えたし。
友人がいてくれたおかげでもあるかな。
ありがたかったな。

意味不明な日記でした。

AIDで生まれるということ

最近読んだ新刊本です。

「精子提供で生まれた子どもたちの声」と言う副題がついています。

数十年前から行われてきた精子提供によって、多くの人が生まれていますが、大部分の人が自分が精子提供で生まれたと知らされずに生きているそうです。

知ってしまった人たちは、自分がこれまで積み重ねてきた親子の関係性の経験が根本からくずされることとなり、苦しんでいます。

血のつながった父親だと思っていた人は、自分とは赤の他人で、しかも父親が誰なのか誰もわからないという現実が、ある日突然自分にやってくるからです。

それもその事実は、家族が病気になる、亡くなるという自体になったときにわかることが多く、本人たちはいっぺんに多くの事実を体験しなければならない事態になります。

こどもが出来ないご夫婦にとっては、きっと希望の方法だったのでしょうが。
いつの日もそれぞれの気持ちをわかるということは本当に難しいことで、
何か自分の苦しみや悩みを解消するために方法を選んだときは、そこに巻き込まれる人たちがどんな思いをするのか、少しでもわかるよう努力をしなければいけないと考えました。


医学の専門家の気持ちはなかなかわかりませんが、一人の人間としてどこの視点に立つかが生きていく時に必要なことなのだろうと思います。

AIDで生まれるということ
非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ・長沖暁子編著
萬書房

2014年11月20日木曜日

愛するひと

この映画の印象は、ハッピーエンドでない、でも現実的に前を向いていくという感じ。
誰かが運良くてとか、ものすごく助けられて、とかそういうのではなく、何があってもいきていきなさい、なるようになるからベストを尽くしなさい、と言われているみたいだった。
どうしようもないことも、乗り越えて行かなくてはいけないよね。

今度は愛妻家

この映画は、何度でも観たくなるものでした。

夫婦の価値観の違いや、不器用な関係のようなもの、取り巻く人たちの人間くささのようなものがわかり、観てよかったなあと思いました。

心がおさなかったりすると、無遠慮になるもんだなということも。愛を受け取れないということは、甘えているということなんだなと。

またいつか、観てみようと思います。

バベル

すこし前の映画ですが、観ました。


言葉や心が通じないと、人と人はかなしいことになる。
傷つけあい、抑圧しあい、理解しようとしなくなる。
それぞれの不条理が映し出され、生きるということが孤独と結びつくもののように感じてしまう。


何も関係のない同士と思われたものがつながり、関係のない出来事などないといわれているような気もしました。
観てよかったなと思いました。
再度観るには、時間をおきたいとも思いました。

2014年11月19日水曜日

思いのこし

もうすぐ公開されるこの映画を、昨夜たまたま先行で観ました。

最初はどうなるかと思いましたが、暖まる映画でした。

ただ、広末さんが出ているせいか、「よみがえり」を連想してしまったのが惜しいところでした。

岡田将生さんがどーしよーもないやつに見えてくるから、映画っておもしろいですね。


そうだなあ、岡田さん(役名忘れました)の心の変化が、印象深かったかな。
あと、現代社会の一面を登場人物に映していたところも。
すべてをいわゆるハッピーでなく、現実を踏まえた結末にしていたところも。

2014年11月18日火曜日

ティム・バートンの世界

六本木の森美術館で来年1月初めまで開催されている、「ティム・バートンの世界」を観てきました。

チャーリーとチョコレート工場という言葉にひかれて。
この映画の原作がこどもの頃大好きでした。

最初から最後まで一貫した世界観でした。
この方には、人はこんなふうに見えているのかも知れないと、ひとつひとつを観ながら思いました。

爆発していたりかなしそうだったり、おどろおどろしかったり。
少しの間夢を見ていた気分になりました。

しかし、なぜナプキンに絵を描いて残したんだろう。
わざとなのか、書くものがなかったのか、意図的に選んだものなのか。

平日なのに、混んでました。土日はもっと混むのでしょうね。

2014年11月17日月曜日

赤カブのつけもの

八百屋さんでいい赤カブをかったので、
ピクルス風の漬け物にしてみました。

材料
 赤カブ   2個
 お酢    カップ1杯半
 砂糖    お好み
 赤しそジュースの残り  少量
 からしマスタード    大さじ2はい

赤カブは適当に切って塩で軽くもんでもらいます

お酢は沸騰させて砂糖を入れておきます

容器にカブを入れてお酢を注ぎます。

からしマスタードをいれて混ぜて1日おけばおいしく食べられます

時々カブの上下を入れ替えて、よく酢につかるようにします。今回は大きめに切ってもらったので多少食べにくいですが、いちだんとあかく染まったカブがとてもきれいです。ちなみに皮は、むいたあときざんで、同じ容器に入れてもらいました。

2014年11月16日日曜日

海の思い出

障がい者ダイビングのインストラクターKさんは、ダイバーの経験者である、障がい当事者の先輩が紹介して下さった。
当時、あるところでオープンウォーターの講習を受けていたのだけれども、あまりにも海が怖くて、うまくいっていなかった。なので、経験豊富なその方に相談したのだった。

Kさんはとても気を長くして、私と付き合って下さった。
当時板橋の蓮根にダイバー用のプールがあり、一ヶ月に一度そこで私はトレーニングを受けた。
レギュレーターでの呼吸が、レッスンの大部分だった。

私は本当に水が苦手だった。
なので別の知人が同時期に水泳のスクールを教えて下さった。

私は月3回水泳で水慣れしながら、月1のダイビングレッスンを受けた。

それでも毎回毎回、インストラクターには迷惑をかけた。

彼は決して
「怖いのになぜやりたいのか」
と言う質問はしなかった。
「怖くても、どんな気持ちでも、やりたいなら付き合う」
と言って下さった。

レギュレーターでの呼吸が出来るようになり、マスクをはずして水の中で呼吸が出来るようになった時期に、蓮根のプールが閉鎖になり、私たちは伊豆でレッスンを続けることになった。

土肥でのレッスンは、プールもあったけれど、海の方が多かったように思う。
彼はいつもていねいに、私を海に入れて下さった。
決していきなり潜らせず、出来るようになってから、慎重に次の課題を提示して下さった。

土肥の海を、顔だけ水中に埋めて、ゆっくり観るのが私は大好きだった。
怒られてしまうと思うけれど、潜らなくても、本当はそれだけでよかった。

初めてちゃんと潜水できたのはセブ島の海。
15分間のひとときだった。
セブの海はとても穏やかで、マスクも揺れることはなかった。
顔中にかかる水圧がとても気持ちよかった。

一番長く潜ることが出来たのは、沖縄だったと思う。
30分。
インストラクターが沖縄に越したあと、なんどかお世話になったレッスンのなかで、一度だけものすごくうまくいったことがあったのだった。

潜れたという実感までは持てなかったけれど、水中での写真を観るたびに、潜れたんだなあと感じる。

残念ながらカードが取れるまで出来なかったけれど、
「やりたいなら付き合う」
と毎回のように伝えて下さって、少しでも出来たところを見つけてほめて下さったり、私がつまづいたところを理論的に考えて整理して下さったことを、私はとても感謝している。
Kさんと出会わなかったら、海はただ怖いだけの場所にしかならなかった。
少しでもスキルを高められたことを、忘れないでいようと思っている。

思い出がたくさん、たくさんある。
このすべてを下さったKさん、ありがとうございました。

2014年11月12日水曜日

舞台の予定

ふたりの知人がそれぞれ、演出し、主演する舞台の予定が決まりました。

楽しみです。ポスターの写真も知人です

ホームページがないのが残念。

ダニーと紺碧の海
(原作:ジョン・パトリック・シャンリィ)
キッドアイラックアートホール(世田谷区 明大前駅)
翻訳・脚本・監督  平野綾子

1月31日、2月1日

2014年11月10日月曜日

築地本願寺ふたたび

あたたかな日だったので 築地本願寺で時間を過ごしてきました。

満充電、という感じです。

XJAPANのHideのコーナーがあることに気付きました。

2014年11月9日日曜日

リンクは時折テストしないと

ヒーリングサイトの申し込みメールページが表示されない状態になっていました。
申し訳ありませんでした。

リンクがうまくいっていなかったみたいです。

今まで気がつかなかったなんて、それにもびっくりです。
気をつけなくてはですね。


2014年11月4日火曜日

巣鴨の写真館

今月新しくオープンした、写真館に行ってきました。

写真館は、写真集「百歳王」を出されている、小野庄一氏のものです。ギャラリーが併設されていて、写真を観たい方も気軽に入ることが出来ます。

写真を撮影する場合、高年齢の方の年齢割引があるようです。

自分の家族がこんなふうに幸せそうに写っていたら、年月がたってもその写真を観ると元気をもらえるだろうな、そんな気持ちをいだくような写真が飾られています。

今日まではオープン記念で、ご夫妻がいらっしゃいます。

私は久しぶりに友人に会うことが叶い、いいひとときを過ごしてきました。
行きは久しぶりにとげぬき商店街をあるき、帰りは西巣鴨までの初めての道を(一本道ですが)。
今日は巣鴨は4の日ですね…。

百歳王写真館&寿ギャラリー

2014年11月2日日曜日

整理しておきたいこと

一つの出来事によって、いろんな気づきがあったのですが、この大事なことを二度と忘れないために、ここに整理しておきたいと思います。

●人に何かを伝えるときは、無意識にならないようにする。
 無意識というのは、気を許し、自然に出る言葉。私は根がネガティブなので、つい要らぬ言葉が出てしまうということに気がついたのです。
その人に出会ったことへの感謝が足らなかったのです。
感謝が足らないと、つまり愛情が持てないと、無意識に発したり書く言葉はとても冷たいものになります。
相手の方が本当に親しい人、もしくは、私に対して理解を持ち、言い返して下さるかたならば、私のその時の気持ちを汲んで、そのことに対して進言してくれたり、見守ってくれたりするでしょう。
私はそこに甘んじていたのでした。
私が心から人を好きになって、初めてお会いする人であってもその出会いを大事に思えるようになったら、きっと自然な言葉もすべてに愛情を込められると思いますが、そしてその日が来て欲しいと思いますが、今はまだその段階ではなかったということに気がついたのでした。

このことについて、今までも自覚をうながすような出来事はたくさんあったと思いますが、私は、そのひとつひとつの出来事に無感覚でいたみたいで、ただ犯人捜しをするだけだったのだと思います。
私も、同じだったのに。冷たい心を持った同じ人間だったのに。
ここに気がつくことが出来て、本当によかったと思います。

私は、自分が差別的な心を持った人間だという自覚はあったけれど、それがどこから来るのか、なぜそうなのかわかりませんでした。
今まで障がい者運動や、人権運動をしてきて、そしてプライバシーを守ることについてとてもこだわってきたのですが、ルールのないところで、では私は他の人の尊厳を守れるのか、そこにひっかかりのようなものを感じていたのでした。
今回私の身に起きたことで、身をもって、私は人と出会うことそのものを大切にし、真摯にならないといけない、と心から思うことができました。
こだわりがひどかったのは、私が出来ていなかったから。
人の人権を守るということは、人を愛しているということなんだと思います。私の人権を守って欲しいと思い続けていたのは、私を愛して欲しいと思っていたからなのだと。
私には、人を愛していく(理解していく)力が足らなかったのです。大切なのは愛される事ではなく、愛すること。つまり理解されることではなく、理解していくこと。やっと自覚できたのでした。

そして、身から出たさびは、いい訳などせずに自分で拭き取ることが大切なことだということも学ぶことが出来ました。
だいぶ痛かったけれど、起きたことは取り戻すことは出来ないけれど、自分の行動が発端なので、基本を忘れないようにしたいなと思っています。

これからはたぶん、少し人との付き合い方が変わってくるように思います。
自分の心には自分が栄養をあげないと。いい友と話し、いい環境に出かけ、たくさんいい空気を取り入れたいと思います。

そして私の心ない言葉で、きっと深く傷ついてしまったたくさんの人たちに、報いていけるような心を育てていきたいと感じています。

2014年10月31日金曜日

原作を読んでいたので、内容は知っていました。

豊川悦司と江角マキコが熱演で、人のいとおしさというものが染みとおっていくような映画でした。
大切なものを映画に残したというような。


人を愛していくって、すてきなことだな。

さよなら渓谷

被害を受けるということは、苦しみをとてつもなく背負うことで、
人は、他人の傷に対しては、本当に無神経になれるのだと、その無神経さが今の私でもあるのかも知れないと思ったのでした。

人生が狂っていく苦しさを全部背負わなければならないそのつらさというものが、理不尽なつらさというものが、伝わってくる映画でした。

ツレがうつになりまして。

こわれずにいたから価値がある。

骨董屋で見つけた小さなガラス瓶のことを、店主にそう表現されて、主人公が買う決心をするシーンがあります。

やさしく、心がつつまれるような映画でした。
こんなふうに、人と関係がつくれたら、人に接することが出来たら、
私はもっと幸せになるだろうな。

沈まぬ太陽

長い映画でした。今見終わりました。

人の誇りと、誠実さ、生き方を捨てないこととは、道の厳しいものなのだとあらためて。
その選択でその時々親しい人が傷つき、そこをどう受けとめてどう生きるかということを私に語りかけてくる映画でした。

私としての生き方を捨てないとはどういうことか。私に対して責任を持ち、私の選択から逃げず、そしてひとに対して誠実であること。
人にあらぬ怒りを向けないこと。

きっと今わからなくても、起きたことに対して誠実に嘘をつかず向きあっていけば、いつか答えがわかる瞬間があり、人生を受け入れられる。
それを伝えてくれた映画でした。

アントキノイノチ

さだまさしさんの原作ということで、この映画を観ました。

つらいけれどやさしい映画でした。

本当に、人は冷たくてやさしく、幼稚であかぬけていて、わかっていないところとものすごく理解しているところとあって不完全。
人のことを考えているようで全然考えていなくて、思いやっているつもりで自分の中に閉じこもっていて。

それでも好きだなって思える人が出来て、そばにいてみようと努力してみる。
人を助けたいと思ってみる。
でも自分がどういう人間かは見えない。

そういうことが、この映画を通して私に語りかけてきました。
もう一度観たいと思えたから、お気に入りです。

2014年10月30日木曜日

思い込む

自分の行動の浅はかな部分に気がついたとき、未熟な部分がうずきだします。

私は他人をどう思って生きてきたんだろう。そう思い返す機会を与えられたことに、今は感謝したいと思います。
そして、どうしたら今の心持ちに整理がつくのか、じっくり考えていきたいと思います。

本当に、こうして不自由なく生き続けられていることが、恵みなのに。

2014年10月29日水曜日

池袋から徒歩

池袋から徒歩で帰れるかどうか試してみました。
意外に近くてびっくり

でもこれで池袋飲みが身近なものになりました。

歩いて帰れるということは、いざという時安心です。

まるでひとり防災訓練だねといいながら、道を覚えました。(ひとりではないですが。)

池袋に行ってしまうと、
つい、ツタヤに行ってしまい、
また、5枚で1000円という甘い誘惑に勝てませんでした。

今回は

沈まぬ太陽
さよなら渓谷
連れが鬱になりまして
アントキノイノチ


を借りました。

今日一つ見ましたが、また別の機会に感想を書きます。

観たい映画はたくさんあるけれど、読みたい本もたくさんあって、書くこともあったりして、
時間をもてあそぶ暇がないことには感謝をしています。
あとは調整力。
沈まぬ太陽は3時間半もあるんだ、なんて、借りてきてから思う計画性の皆無な自分。

とにかく。
歩いてDVDを返しに行けるかも。その気なら。


2014年10月20日月曜日

秋は

柿とカリンとざくろとアケビと。
まちなかをかってに観賞しています。
キンモクセイも今年は少し長めに咲いているようです。

久しぶりにオーラの泉を検索してみてみました。
今だからこそ理解できることがあったりしました。

2014年10月9日木曜日

沈まぬ太陽

パソコンに向かう気が起こらず、本を読んでいます。

今読んでいるのは、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」。
小説という書き表し方の威力に、ただ尊敬するばかりです。

他面から1つの出来事を書いていくということは、登場人物の心のひだがわからないとかけないことで、読み進むと、主人公のいい知れない思いの他に、各人物の思考の底にある背景や心根が言葉になってやってきます。
今、本を読む時間のあることに、とても感謝しています。

もちろん、膨大な参考資料があるのでしょうが、
作家としての確信のような考え方を感じます。
作家はすごい。

今生は無理でも、こんなかたちで社会に多面的に切り込めるような文章を書く智恵を、培っていきたいと思いました。

残りあと一冊。今図書館に予約しました。

2014年10月8日水曜日

冬支度

上板橋の衣料品屋さんで、インナーを何点か買い求めた。
今年はもう下半身が冷えているから、早めの準備。安くて手頃な物があってよかった。
最近はまた上のあさい物がおおくて、おへそまでキッチリあがるズボンや下着が探しづらい。少し地味だけれど、インナーはここで買おうと思う。変にオシャレな物は、とてもはきにくいから。
その代わり色などはじっくり選んで気に入った物にしようと思う。

この駅近の和菓子屋初音家さんのどら焼きが、久しぶりに売り出されていた。
これからの季節は、このどら焼きを買いに来ようと思う。

2014年10月1日水曜日

パーフェクトセンス

五感を1つずつ失っていくという、この映画を観ました。

なんだか、人間が生きていくために大切なことはなんだろう、ということを語りかけてくる映画でした。
ひとつひとつの間隔と感情や欲との結びつきで、ストーリーが展開していくのですが、じっくり見るとその展開がおもしろく感じました。

2014年9月30日火曜日

ハリーさんの講演会 メモ

2年ぶりの来日です。

●知識は自分の物にしないと意味がない。多くの情報から選ぶ能力も生きる力。
●学びを続けるにはいい師を選ぶこと。一人で学ぶのもいいがいい師についてみんなで学ぶと学びが早い。
●頭がどんなによくても、賢くても、愛がないと意味がない。
●エゴイズムは100パーセントなくすこと。
●若い魂を育てること。若い魂は古い魂と一緒に過ごすと早く学ぶことが出来る。
●初めて生まれる魂にはギフトがある。次の生から課題が始まる。
●人生のプライオリティーをどこにするかを考えること。
●ぼくはその日1日を精いっぱい生きる。結果は考えない。結果は上からやってくる。
●アイデンティティをもつこと。アイデンティティを持てば気持ちが揺るがない。

2014年9月19日金曜日

トガニ

実際にあったことをもとにした映画。つらい映画でした。
弱虫なので、なかなか一気に観られなくてチャプターずつゆっくり観ました。

この映画が世に出たことで、韓国の法律が整備されたということ。
世に出るまでは、社会に埋もれていた事件のようです。

自分より立場が弱いとみると、人はなぜ人をおとしめるのか。
それが本能なのか。
こどもたちはどんなにか、どんなにか……。

自分はどのように生きているのか。向こう側になりはしないか。
人を苦しませる生き方をぜったいしていないと言えるのか。

そして、もし教師の立場だったら、どんなときも目の前のこどもたちの盾になれたのか。
今の自分は、そのような人間なのか。
どうなのだろう。

こどもたちの親だったら。
判事だったら
弁護士だったら。

どのような場合でも、誠実さを忘れないで生きるには、心に何を身につけたらいいのだろう。
知らなければいけない現実は、たくさんたくさんあるのに。

見終わったあとの何とも言えない居心地悪さのなかで、そのようなことを考えていました。



2014年9月18日木曜日

最近読んだ本

秋の空気が気持ちいいひととき。

早々とゆでてもらった栗の皮をむいてもらっています。
その時間を使って、最近読んだ本について。

「犯罪被害者の心の傷」
これは、カウンセリングの本だったのだけれども、実際の苦しみについて、ご本人の許可のもとに記されているものでした。その人の心の声を聞き取り、かたわらで共感していくことについて、大切なことを教えてくれたように思いました。

「愛と痛み」
辺見庸さんの本は初めてでした。死刑反対の立場から、死刑についてわかりやすい言葉で意見が書かれてありました。知り合いが刑を受けると考えると苦しいのに、他人だとなぜ容認してしまうのか、というような意味のくだりや、人ほど他のどうぶつにくらべて臭い生き物はなく、その生き物の、誰も愛されない人のためにつくすと言ったマザーテレサを尊敬する、といったくだりが印象的でした。

「歴史とは何か」
E.Hカーのものでなく、3人の鼎談集です。
暴力や、加害すること、被害に遭うこと、歴史とはなんなのかと言うことを、いろんな視点から語っています。語っていると言っても、難しくて、私は半分もわかりませんでした。障害を持つ人の介助の話しもふっと出てきて(経験されている方が著者のひとりにいらっしゃって)、その友人とのやりとりは印象的でした。
赦すことは祈ること。この言葉には、はっとしました。

「聞け てるくはのる よ」
小学生の息子さんを殺害されたご両親が書かれた手記です。
第三者にもわかりやすい語り口で、感情を抑えて書かれてありました。
他人をこうやって気遣いながら心情を書くには、本当に大変だったろうと、感じました。

自分の人生をまちがわないために、じぶんの手で人を悲しませないために、今日を意識的に生きなくては。
ものごとはいつも身近で起こり、私もその渦中にいると言うことを忘れないでいないと。

2014年9月16日火曜日

手放すこと、赦すこと

とっさの質問では、答えられなかったことが、あとあとわかることもある。
私の中の恐怖。だいぶ捨てることが出来たと思っていたけれど、1つどうしても捨てきれない物があることを、思い出した。

永遠。

自分のことをいろんな面で知っている今、死に対しては怖さはなくなった。
ひとはいつも成長をし続けるものだとわかったから。
永遠に。

その、永遠が、いつまでなのか。
永遠が、永遠という意味なので、私には理解できなかった。

永遠は本当に永遠なのか。
本当に終わらないのか。

私の頭のなかでは、終わりのないということが理解できない。
だからそれがときどき発作的にたまらなく怖くなる。

けさ、ある本を読んでいたら、こんな言葉に出会った。
「赦すと言うことは、祈ること。自分が許すことではない」

直接関係なさそうな言葉だったのだが。

ああ。赦すと言うことは、許すことではなく、その状況について祈ることなんだ。
自分がそれを許したり、相手が、誰かが許すという行為ではなくて、その状況を受け入れて、客観視して、祈ることなんだ。
このかなしい、切ない状況が二度と起きないように、自分自身が理解をして、祈ること。
それが手放すことであり、赦すこと。
そうなんだ、きっと。

私が今自分の人生でする必要があることは、ひとつひとつの経験を振り返ることで、それらの持つ意味を理解すること。
関わってくれた方々の思いを理解すること。
それが赦すことであり、祈ることなのかも知れない。

私の中の 永遠 のことだけれど、
わからないことは、手放すことにした。
明日のことは怖くない。それはたぶん、私というアイデンティティがあるから。
でも、よく考えたら、明日だって、何が起こるかわからない。
私というアイデンティティを失う何かがあるかも知れないし。
永遠、という遠い未来に対する怖さと、明日の未知さへのあやうさは、本当は同じなのではないだろうか。

わからないことは、いつかわかるようになったときに、考えることにした。
もっと他に考えることがあるのだし、不安ばかりを自分であおってもあまり意味がない。

私は無宗教だけれども、心の中の宇宙に、難問はゆだねることにした。
怖さを手放し、赦すことにしたんだ。

2014年9月15日月曜日

かぞくのくに

この映画は、切なかった。
春頃に、この映画のテーマになっている関係の本をよんでいたから、
よけいに心が痛かった。

自由にものごとが言えないということが、人の心をどんなに苦しめ、尊厳をなくしていくか。
住む場所を違えただけで家族さえ立ち入れないものを背負ってしまうなんて。

ものが言えて、個人として考えられることがこんなに幸せなことだなんて。


そして、経験しないとわからないであろう、息子の苦しみを、察しているつもりでわからない父親の言葉が、とても印象的だった。

家族を護る姿にやるせなく、どう考えていけばいいのか言葉が出なくなる映画だった。

命ある限り

インド映画のラブストーリー。
私はちょっと途中眠ってしまいました。

インド映画って、映画の途中で「引き続きお楽しみ下さい」などというテロップが入るのがおもしろい。
途中休憩があるのかしら。確かに長い映画が多いものね……。

2014年9月12日金曜日

昨日のアンビリーバボー

昨日の「感動のアンビリーバボー」は
6歳で病死した女の子が家族に残したたくさんの手紙
という話題。

大好きな家族に彼女は、
家のあちらこちらに手紙を隠して、旅だったのでした。

自分が逝かなくてはいけない時期には開けないような冬物の荷物の中に隠したりして。

病気のことを両親は女の子に言わないで、
残された時間を楽しく過ごせるように、やりたいことをたくさん叶えてあげたんだけれど、
彼女は自分の現実を知っていて、自分が好きだった家族が、自分がいなくなったあとも楽しい時間を過ごせるように考えたんだよね。

番組を観て、
愛っていろんなかたちで表現できるんだなって、教えてもらいました。
とても若い年齢でも、十分出来ることがあって、
彼女は思いきり、自分の愛する人たちに、自分の持っている愛を表現したんだなあって。
なんてステキなことなんだろう。そんなことを思いつくなんて。

人を愛していくって、本当にすてきで、大切なことなんだなあと思いました。

そうだよね、自分なりの表現の仕方でじゅうぶんなんだよね。

リンカーン

観たかった映画のひとつ、リンカーン。

自分の信念を人にどう伝え、理性的に通していくか。そのことを考えた映画でした。
人を納得させるには、一本筋の通った物が必要で、そのための覚悟を決めなくてはできないことなんだな、と。

一年間で10年歳をとったようですね

リンカーンがそういわれるラストに近いシーンで、ああそうだよな、それだけの体の力を使ってやらなかったら出来ない仕事だったんだよな、と思いました。

考えながら言葉を選んでいく、その姿勢は徹底していたなと思います。仕事でも、家族に対しても。
人はひとに対して、近しい人でもそうでない人でも、このぐらい聞き、このぐらい考えながらものを言った方がいいのだろうと思いました。


2014年9月11日木曜日

もうひとりの息子

イスラエルとパレスチナの、2組の家族の物語。

宗教とは、アイデンティティを失うこととは、家族とは
観ているときに、いろんなことが頭をよぎっていった。

事実を知るまでは敵対した2つの国のそれぞれの家族だったのに、ひとつの事実がお互いの現実を他人事ではなくさせていく。
身内になると言うことは、愛を分けると言うことを意味するのか。
身近になることで、身内となり、赤の他人でなく、気にとめる人間となる。
この家族にとってはひとつの事実がそうさせたけれど、人と人が近づき合うには、愛を分ける相手であると言うことを認識することが必要なのかも知れない。

多くの国が戦争を続けている今。

この2つの国のことがとても気になっている。学んで知っていくことで私に行動できることは何だろう。

きっとうまくいく

池袋のツタヤに昨日初めて行き、観たかった映画があることにおどろき、下見のつもりがレンタルすることに。
どうしても観たかった映画2本だけにしようと思っていたけれど、値段が安くなることに負けてまとめ借りをしてしまいました。

一昨日は区内のツタヤで借りてきたばかりだったので、ツタヤのはしごというか、ふたまたというか。
借りた物のジャンルが似たようなので、ブログにはまとめ書きはしないでひとつひとつ感想を書いています。

インド映画の「きっとうまくいく」を観ました。

この映画は、よかったです。

諦めないで生きること、知恵を働かせること、自分の生きる目的をぶらせないこと、友だちを愛すること、すべてが入ったコメディでした。

ものごとが起きたときに、何が大事か考えて行動すると言うことは、なかなかうまくいかないけれど、
やはり、生きるということは、何が正義かとか、そういうことではなく、どれだけその状況に真剣になれるかなのだと言うことを教えてくれました。

2014年9月10日水曜日

ダンサーインザダーク

日常が、自分にとって不利な方に動くとき。
ある友人が自分を裏切り、ある友人は自分を疑い、自分を嫌っていこうとするとき
友人に、裏切られたと感じさせてしまったとき。
それでも、裏切った友人の秘密を守り、意志を通し抜くことができるか。

いしとはなんだろう。
私の意志とは。
いざその時、私は友人よりも自分のいのちを優先するかも知れない。
自分のいのちより大切なもの
それがなんであるかを知らないと。

そんなことを感じながら、ビヨークの歌と表情に魅了され、重たい気持ちに泣いてしまった。

真実の追究より、大切なものを選んだ生き方を教わった。

そして、かくれた悪意の存在も。

デッドマンウオーキング 

うまく感想を書けそうもないけれど、昨日感じたことが薄れてしまいそうだから…。

自分の罪を見つめていくこと、向きあっていくことは、とても難しい。でも向きあわないと、自分の生きてきた意味がわからなくなってしまう。

罪を犯したこと自体が、誰かのせいで済まそうとするのではなく、犯した自分自身のなかで消化させる。
法に触れることもふれないことも含めて、人は罪を犯す。人が人生を終えるまでに、その罪に向きあうことができていくならば、人生の悔いが少しだけ少なくてすむ。
自分もそこに向きあわなければいけないけれど、向きあえなくて苦しむ人に寄り添うことができたならば、その人は変わっていくのかも知れない。

被害を受けた側の気持ちは、どうしたら癒やされるのだろう。

やっぱり感想はまとまらない

2014年9月6日土曜日

思ったこと

外出先で、合わないなあと感じてしまう方とお逢いすることがある。
どこでも、折り合いが合う方と合わない方はいるので、私自身の心の持ちようの話だ。

私は今まで、なぜ合わないのか、原因ばかりを探していた。

そして、相手にいきどおりを感じてしまったり、受け入れられなかったりして、それが悩むもとになっていた。

少し気持ちを変えて、自分からなんとはない話を振ってみた。
やはり苦手だな、と思ったんだけれども、この方のことを私は苦手なんだと自覚したら、それ以上悩まなかった。

そして、その人の反応と似たような雰囲気を、私も誰かに感じさせてしまっているかも知れないと思った。
私がその人に感じる言葉の違和感や、押しの強い感触は、私が誰かに感じさせている感情かも知れないと思った。
私も上から目線で物事を言いやすいし、自分が一番正しいと思ってしまったりするから。
そんな目線で言われてしまうと、すこし嫌な感じがするんだな、と考えている自分がいた。

唐突に話しかけられたときに、意にそぐわないと、むっとしてしまうことがある。
なぜ、今そこをつっこむ、と。
自分があまりその場の空気を読めないのを棚に上げて。

今日は、気がついた。
つっこんできたその方は、私に興味を持ってくれていて、
近づこうとしてくれていると言うこと。
その方のやり方なのだ。

わかると、受け流せることも、わかった。

そういうことだったんだ。。

出先からの帰り道、コンビニで手作りおにぎりを買った。
店頭に一個も並んでいなくて、
「ああ、残念」
と思わず言ったら、店員さんが聞き漏らさずに
「明太子と鮭とツナならすぐできますからどれにしますか」
といってくれた。
わたしは、
「めんたいこ」「めんたいこ」「めんたいこ」
と3回伝えたけれど、店員さんの説明は止まらず、3回目でようやく
「明太子ですね」
と聞き取っていただいた。

できたてのおにぎりをゲットして帰る道、
「やっぱりあわてて伝えないで、店員さんの説明が終わってから言えばよかったんだね」
などと話しながらかえってきた。

確かに、話しているときに人の話は聞けないもの。

焦って伝えなくても、日常はまわるのかも知れない。

2014年9月5日金曜日

今日の金スマ

ダンカンさんの奥様のお話でした。

その人のことを愛し抜くって、強い力だなって、
涙がボロボロ出てしまいました。

なくなられたあとに、愛したひとの心にともしびを残していけるって、ほんとにすてきな生き方だなあって。
こんな生き方を選ぶことのできる、人間になりたいと思いました。

人の気持ちを考えて生きるって、できているつもりでも実はうまくできてなくて、
ある日できていないじぶんにがーんと来るんですが、
きっとそれが自然にできるまで、試みていくことなのでしょう。

自然にできるようになるといいな

いやあ、泣いちゃったな…


ここ数日

ここ数日、パソコンには向かえなかったけれど、元職場の知人と再会できたり、突然なにかの歯車が回り出したような、そんな日々でした。
いつもこの時期には実家からおいしいブドウが送られてくるので、少しおすそ分けをします。
そのブドウがきっかけで、知人とのランチが叶い、年末にかけて少しお仕事をいただくことになりました。
昔知り合った方々と関係を続けていけると言うことは、とてもありがたいことだなと思いました。

私自身も、変にかたちに捕らわれず、少しだけできることをさせていただくと言うことを、すなおに喜んでいます。

いろんな思いを整理してきて、よかったなあと思った日でした。

2014年9月2日火曜日

上野

久方ぶりに雨があがったので、上野に。
東京都美術館で、メトロポリタン美術館のエジプト展がやっていたので、みてまいりました。

ゆっくりまわって、
でも印象に残ったのが スカラペだと言ったら、怒られちゃうかな。
私には美術鑑賞のセンスはないです。

呪術的な感触だったというのが、感想です。

大きな壁画みたいのがみたかったけれど。


東京都美術館、初めて行きました。広くていいところでした。

2014年9月1日月曜日

楽しいときは

あっというま。

まるで4時間が1分のよう。
そして一泊が5分のよう。

そんな方々に巡り会えていることは、恵まれたことだとおもいます。

2014年8月31日日曜日

涼しい日

こんなに過ごしやすい日が続くと、秋がもう来たかと勘違いしてしまいます。
夜も眠れるし、昼も眠れる。
暑い日も昼は眠いし、最近は少し私は眠り病。

考えたことは書いておかないと、忘れてしまうようです。
あとで思いだして書こうと思っていても、あとの祭り。
すこし気を抜いたら、時が流れてしまいました。
あっという間に月の終わり。

人に見返りを求めず、ただ感じたことを振り返りながら生きるということ。
戦略的に生きてきた私には、その生き方がうまくできていなかったようで。
いつも先回りして、周りの人の反応に期待しながら生きてきたみたい。
考え深い、いい人間に思われたくて。

そんな先回りはいらないし、もし考えが浅くてもそれが今の私なのだから、そこから始めるしかありません。
繕っても、実力がないのだから、ぼろが出るのです。
私は私のまま、日々感じたことを振り返って、高める努力をするしかない。
人が私を認めるか認めないかは、私の人生にとってまったく関係ないこと。

私はたぶん誰かに無条件に愛されたいと思いながら生きてきたのだと思います。
無条件に愛されるということがどういうことなのか、何も知らないままに求めてしまったのだと思います。
だからさまざまな人がいろんなかたちで愛してくれても、それがわからなくて受けとることもできなかった。
そして、自分が愛することを覚えなければいけないということさえも気付いていなかった。
私が、人を無条件に愛するという体験をしないと。

本能的に、感情のままに生きることって、とても怖いことでした。
結果的に何も気付くことができないから。

たぶん、私はそうやって、
自分に実力があると勘違いし、
自分が認めてもらえないのは社会のせいだと思い、
日々の体験を自分のものにすることなく、
愛されているという実感を求めて生きてきたのだと…。

人の心に寄り添うことなど、考えても見なかったのです。

だから、最近別サイトで書いた初めての小説は、小さい頃の私のふりかえりでした。
一年かけて推敲していこうと今は思っていますが、たぶんここから人生を修正しないと、私はまた何も考えずに生きていきそうで、書き表してみたのでした。

私は、人を理解できるようになるなるのだろうか。
なりたいと思って生きてきたはずだけれど、

できれば、今生で、達成したい。
今日は、誕生月の最終日。


2014年8月28日木曜日

かんれきくれない

銀座の松屋に、いってきました。
鶴太郎さんの企画展は、ものすごく混んでいました。

でも、やさしく、力のある独特の世界に、浸ってきました。

私は七福神がよかったな。

とても混んでいたので売店は素通り。

でも、本当にすごい人気です。

9月第1週まで開催みたいです。

2014年8月21日木曜日

明け方の夢

奇妙な夢を見た。
フリーアナウンサーの羽鳥さんの息子として私が夢に出演していた。
「都市銀行は銀行印が必要で、10万単位でないと預けられない。せっかく銀行印を持ったのだからその単位でかたちにして預けておくといいよ」
父(羽鳥さん)にいわれてうなずいている私。でも心の中で
「あれ、そんな制度あったかな」
なんて思っている。
そんな会話のあと雅な会合に出て(なんだか忘れてしまったけれど)、仲良く談笑する親子だった。
長い時間の夢だった。
ヘンな夢。

モノクロームクライシス

本田信一郎さんの本を読んで

犯罪の被害に遭うということは、その後の苦しみをずっと担うということで、被害に遭われた方がどんな目にあったのか、最後はどんなに苦しんだのか、何も知らされない被害者側のいいようのない思いを、この本から感じました。
人が人を傷つけるということは、本人だけでなくその家族をどん底に落とし、多くの人の人生を変えてしまうこと。
今も苦しい思いをしながら生活している方々がいる。

何を書いても、私の書くことは絵空事だ、うまく感想の書けない自分がいます。

2014年8月20日水曜日

野菜とネコとたてものと

久しぶりの文京区。
髪を思い切り短くしていただいたあと、大塚にあるクネーテンに。
このカフェで9月7日まで知人の絵が展示されています。

やさしい線の野菜や葉っぱ(?)に癒やされ、建物に魅了され、ネコに見つめられながら、おいしいランチを堪能してきました。

ランチは初めて。私はキッシュを。
ここの焼き菓子も好きだけれど、ランチは機会があればまた来たいところです。

知人は「けんちく新聞」というものを発行していて、今回はその展示もされています。
スケッチブックをのぞかせていただきました。

今日はとても暑かったけれど、リフレッシュできてとても元気になりました。

2014年8月16日土曜日

JICA

午後は市ヶ谷のJICAに行ってきました。
日本・イスラエル・パレスチナ学生会議主催のシンポジウムをききに行ったのでした。

お二人のシンポジストの方の基調講演に間に合わなくてとても残念でしたが、専門家が今の情勢をどうみているかがわかって、聞かせていただいてよかったなあと思いました。
なにかできるかわからないけれど、ニュースは欠かさず見るようにしようと思いました。

「たとえ嫌な相手であっても、平和に解決したいと思うならば対話をしなければならない。」
これは普段の日常に通じることだなあと思いました。

双方の学生との意見交換は印象的でした。

学生の交流会もあったのですが、シンポジウムだけ聞かせていただくだけにして、JICAのなかを見学してかえってきました。

防衛省のわきを初めて通り、有楽町線に乗りました。
ほとんどの地下鉄の駅にエレベーターが着いていることが、なんだか不思議でありがたく、シンポジウムで聞いた学生たちの
「世界で生きているふつうの人たちのような暮らしができることが平和」
「2つの国がいがみ合ったり殺し合わない日が来ることが平和」
という姿が映像に残りました。

JICAの展示物をみながら、今海外派遣のために研修を受けている知人のことを思い出しました。

最寄り駅で

杖を使った女性と、ホームで一緒になりました。
ひとつひとつ、まわりと何かしらやりとりをしながら、同じ電車に乗って乗換駅までいったのですが。

そのやりとりひとつひとつ、まわりが引いてしまうようなことなのです。
本人はそんなつもりはないのですが、嫌みにきこえてしまい、攻撃的に聞こえてしまい、ひねくれて聞こえてしまうのです。
結果的に譲っていただいた席を断り、結果的にまわりを憤慨させながら電車を降りていきました。

なんだか、以前の私を見たような気がしました。

「あんな風な断り方をしたら、勇気を出して譲ってくれた人の心を傷つけてしまう」
知人の言葉に、私も多くの人にそんな思いをさせてきたのかも知れないと感じたのです。

女性は、自分なりの自己主張で、周りの人とコミュニケーションをとりながら行動しているのでしょう。
体をコントロールしながら動くのに精いっぱいなのです。
そして、自分の辛さは他人にはわからないだろうと思っているのかも知れません。

車いすの私を見て、駅員さんにきちんと対応されていることも、不公平に感じたかも知れません。

「以前の私に似ているから、なぜあんな風になってしまうのかわかる気がする」
私の言葉に、知人は複雑な顔をしていました。

でも、きっと、私は怖い目をして、世の中を斜に見て渡っていたような気がするのです。
そして、自分ではまったく自覚なく、何かを吐きながら生きてきたように思うのです。

今は、どうなんだろう
でもまだ時折、自分の気持ちの動き方に違和感を感じることはあります……。

2014年8月15日金曜日

ツバメの話

ついこの間、雛が巣立って空になったはずのツバメの巣にまた雛がいる。3羽ほど。
親がエサを運んできている。

え、2回目? それとも別のカップル?

ツバメって、1シーズンに2回子育てするんでしたっけ?
もしそうなら、私は知りませんでした。

本とドラマとアニメと

「甘え」の構造という本を読み終わった。といっても論文なので、私には少しむずかしかった。
日本人は独特の「甘え」のかたちを持っているというお話。言葉の使い方や考え方にそれが出ているという。
続編の方も読んでみようと思う。

ドラマ「母。わが子へ。」を観た。伊沢満さんのドラマ。母の子を思う態度が、優しいタッチでつくられていて、幸せな気持ちになった。息子たちを最後まで思いながら行動する生き方を描いた作品だった。すこし前のものなんだと思う。

御伽草子というアニメにはまりつつある。東京の昔と今をつなげたような不思議なアニメ。

アニメといえば、今はやっている妖怪ウオッチも見てみた。現代のこどもたちだなあと思い、これは子供に受けるかもと感じた。2話ぐらい見たかなあ。

それにしても、ちまたで売っている妖怪ウオッチ、高くありません?

2014年8月12日火曜日

グッドウィルハンティング

ロビンウイリアムスが亡くなった。

俳優さんの名前をなかなか覚えられない私にとって、覚えている数少ない方のひとりだった。

久しぶりにグッドウィルハンティングを見た。
吹き替え版だったのでちょっと残念だったが、以前見たときよりも理解できたような気がした。
自分の人生にきちんと向きあい、人と怖がらずに関係を作り、自分の人生を堪能すること。
この一作だけでも、生きる希望を感じることができる。

ロビンウイリアムスの映画は、心に残るものが多く、私はたくさんのものをいただいたように感じている。

これだけのものを演じ、映像に残し、人生を謳歌することを伝えて下さったのに。
どんなに苦しい日々だったのだろう。
心からご冥福をお祈りいたします。

2014年8月11日月曜日

十二国記

最近、小野不由美さんの「魔性の子」を読んだ。
その一冊だけ単独で読むと現代ホラーファンタジーのような世界で、もちろんこれだけでも楽しめるかも知れない。
十二国記のシリーズに入ることを最近知った私は、ファンとして少し恥ずかしかった。
そして、読み終わってホッとした。
気になっていたことが解決したから。
これは、シリーズが好きな人ならわかるかも知れない。というか、今初めて「魔性の子」を読むなんて、ひとつのことを納得しないまま過ごすなんて、といわれるかも知れない。

十二国記といえば、昨年刊行された「丕緒の鳥」という短編集を最近購入して読んだ。
読み終わって、
ファンタジーの世界で書き表せる、リアリティのある思想というか、考え方の書き表し方について学んだように思う。
ジャーナリストが書く世界情勢についての問題提起と、作家の書くひとつの考え方についての見解の書き方は、書き方がとても違うが、ファンタジーだからこそつっこんで書ける何かがあるのかも知れないとも感じた。
読む側がどうとるかは別問題になってしまうけれども。
虚構の世界として楽しむか、今の世界観と連動させるか。
小説はそこも読む側の自由だから。

十二国記は、私が自立生活センターの職をいただいたときに、力になってくれた本だ。
あの本に出会わなかったら、七年も局長はできそうもなかった。
私は臆病で小心者だから。

雑読していることが多いので、「好きな本」を聞かれても、それほど思い入れの深いものはないと思っていたけれど、十二国記は別格かも知れない。
でもシリーズはとても長く、全部読まないと良さは伝わらないかも、とも思っている。

2014年8月10日日曜日

トークトゥーハー

ブログを書きそびれてしまって、今頃になって先週見た映画の感想です。

この映画は、私にとってはうまく理解できなかったというか、不思議な部分のある映画でした。

映画の後半で純粋に人を想うことが理解されない切なさのような、善良といわれる周りの人たちの自然な志向の成り行きと、それを否定せず真実を胸にとどめて、行動を起こしてしまう人のはかなさみたいなものを感じました。
そこのところが、うまく理解できなかったというか、後味の残った映画でした。

まちうた

吉祥寺駅から徒歩で行けるコミュニティーセンターで、月一度開かれる「まちの歌を歌う会」。
ふたりの主宰者が、21年間、企画されています。

歌の好きなまちの人たちが、緩く集まって一人一人歌い、楽しい時間。
昨日久しぶりにいってきました。

友人の生演奏で、ひとり、前に出て歌うことは、快感です。
緊張しない雰囲気だからできるのですが。

思いきって行ってきて、よかった。
会いたい人に会いに行けることは、幸せなことですね。
おかげで今日は、こつこつと地道なことに打ち込めました。

2014年8月8日金曜日

想像力と感情と。

例えば、自分を何度もいのちの危険に追いやった人を、助けられるだろうか。
その記憶がもしも鮮明にあったとして。
大切なひとを奪い去った人間に、救いの手をさしのべられるだろうか。

このブログは、ヒーラーのお仕事をさせてもらうことになったときに、そのホームページ用としてつくったブログだった。
今はその意味を逸していて、(ほとんどその意味を成していないのですみません)。思いついたことから書くようにしてきた。
そうしないと何から書いていいかわからないし、かっこつけてもすぐに続かなくなってしまったから。
書きたいことを無理せず書くことにしたら、かなり自分本位なブログになってしまった。

このブログの本来の役割に戻せば、いきなり私が「自分の過去生」についてこの場で書き表してもいいのかも知れない。
けれど、やっぱりいきなりは書けない。
どのような書き方で書き進んでいったらいいか、今はまだわからないから。

ただ、たくさんの自分の過去生の断片を見てきて、同じような失敗ばかりしていることに、この数年戸惑い続けてきた。
どうしてなのか、考えてもわからなかった。

きのう、ひとつ気がついた。
人は、例え何度生まれ変わっても、自分が望んだ生き方でしか生きられないということ。

私が偏った生き方の記憶を重ね続けてきたと言うことは、もうひとつの生き方を選ばなかったと言うことだったんだ。

そこに、私の、人への興味の欠如という問題がある。

私は、常にいい人になりたいだけで、薄っぺらい正義感やルールのなかで妄想していた。
相手不在と言うことはそういうことだった。

自分が誰かの犠牲になろうなんてこれっぽっちも思わなかった。

ああ、ここだった。

愛している人がいるのならば、その人のためにどんな犠牲を払ってもいいと、思う瞬間を味わえるはずだ。

表面を見せるためでなく、内面で身近な人を愛していくこと。
これが私はできていなかった。

私の犠牲になっていく人たちに、ただ甘えていたんだ。
そして自分本位に、自分の感情だけに注目して生きてきてしまった。

愛は求めることではない。

人の気持ちにより添い、その感情に寄り添う。
それを私は心でわからないといけない。


人はある日気付くらしい。
その人の受けた痛みを知りたいと。
そして生き方を変えていく。

私はそれができていなかった。
こどもだった。


心で知っていくことを心がけなくてはいけない。
そして覚えなくては。
残念ながら肉体はもうこどもではない。
おいがはじまっている

この人生が終わるまでに身につけたい。
ここまで来るのにもすごく時間をかけてしまったけれども。

努力するしかない。

2014年8月2日土曜日

板橋花火大会toいおん

午前中、いつものようにプールに行った後、地元の方に誘われて、イオンの屋上で久しぶりの花火。
本当によく見えて、最初はさわいでいたものの、無言で見入ってしまいました。
穴場でした。

数年ぶりにアオザイを来て、めちゃ楽しかったです。

イオンの屋上に2500人! 車いす席はおもしろい場所にあり、ちょっと今時新鮮でした。
明日のために早めに帰らせていただいたので、帰りの電車も混むことなく快適に帰りました。なんてぜいたくなことでしょう。

明日は最後の科目試験。楽しんできます(なんて書いたら不謹慎)。

2014年7月31日木曜日

生まれたときから

今、とても長い文章を書き始めています。小説なのか童話なのかわからない、相変わらずのものです。
何人かの人に書きかけのものを読んでもらい、意見をもらったりしています。

「何歳頃に施設に入ったの?」

現段階の文章を読んでくれた友人からの質問でした。

学校にあがる前に、3歳から4歳、5歳から6歳と一年ずつ併せて2年間施設に入っていたことを告げると、納得したような感じでした。

「人の気持ちを考えるようにうながすことは、一歳から始まっているんだよね」
友人は、もうすぐ2歳になる娘さんのことを思い浮かべながら、話してくれました。
「だって、ありがとう、とか、ごめんなさい、ということばは、そのための言葉だから」
「そうか…」
「うん。こんなことしたら、相手はどう感じると思う? 、という働きかけは、一歳から始まるんだよ。」

そうか、そうなんだ…ってとってもはずかしいけれど、そんな自覚も持てていなかったことがわかりました。
ああ、そうなんだ。赤ちゃんの時から、人は人の気持ちを考えながら生きるようにとうながされて生きるんだなあ。
私が施設時代に気付かなければいけなかったことは、ここのところでした。
その後の人生でも、そこを最初に考えられなければいけなかったんですね。

充分気が付けるだけのチャンスがある時間だったはず。いろんなことがあったんだもの。
誰かのせいにする前に、受け身で生きる代わりに、私にはすることがあったのでした。

一歳から始まる、考えること。
他人の心を思いはかること。

私に足りないのはそこのところ。

ここの部分がわからないということは、人の心を思い測れないということなので、自分の役割も見えないということになるし、幸せの半分を体験できないということになりますでしょうか。

友人の言葉にはっとしました。
孤独というものは、ここから来ているような気がしたのでした。

2014年7月29日火曜日

明け方の夢

明け方、2つの夢を見た。

ひとつは友人の夢。
友人が彼女と一緒にいる。彼女は髪が長くて、金髪で、友人よりも若い人。可愛い笑顔だった。彼女は楽しそうだったけれど、どんよりとした天気のなか、橋のたもとで友人は憂鬱そうな顔をしていた。
ここに書くまで、彼女がそばにいて幸せならよかったなあ、と漠然と思っていたのだけれど、書いてみてすこし友人のことが気がかりになった。

もうひとつは自分の歯の夢。
マウスピースの内側で、歯が真っ黒な虫歯になっていた。やっちゃった、と思ったところで目が醒めた。

この前の虫の夢といい、ちゃんとケアしなさい、というようなことかな、と思う。
連日、夢を見るのもめずらしい。

昨日今日と暑さが和らいでいくぶん楽に過ごせる。明日も調子いいといいな。

2014年7月28日月曜日

この間の夢

うちの中に小さな小さなアリが出現した話を書きましたが、
数日前に、
小さなアリがけっこうたくさん床に出現している、という夢を見ました。
アリの他にもコメツキムシとかそういう黒い虫がたくさん。ゴキちゃんはいなかったけれども。
殺虫剤をまかないと、と思っていたら、朝の介助の人が来て、目が醒めました。

ちょっとよけいなものが心にあるのかな、捨てないとな、と思いました。

2014年7月26日土曜日

お祭り。

今日は中板橋周辺はお祭り日和。
大山で友人と遊んだあと、初めてへそまつりを間近で見ました。

中板は板橋のまん中だそうで、へそまつりは今年で19回目だそうです。
おへそを中心におなか全体に顔を描いて、ご当地の民謡に併せて踊る祭り。
大きな傘で頭を隠すので、踊りにくそうでした。

家の近くの小学校では盆踊り大会が。
久しぶりにオバキュー音頭を聞きました。

お祭りのはしご。今日はお遊びの日だったので、はしごでちょうどいい時間配分でした。

お祭りは、地域に知り合いができていた方が楽しいかも。来年はそれを目指そう、なんて思いました。

寝苦しい夜。保冷剤を布の袋にたくさん入れて、顔に当てて楽しんでいます。

2014年7月23日水曜日

立ち止まる

なんのために、生きてきたのか、と書くと大げさになってしまいますが、
50歳を目の前にして、なんだか、ここまで生きてきた意味がわからなくなって,立ち止まっています。

私の行動ひとつひとつが、あやうくなって、どう整理したらいいか。
今が踏ん張り時のような感じです。

何回か書いたようにも思うのですが、以前の私は
「障害を持っていてもあたりまえに暮らす」
ということを目的に生きてきました。
どういうことかというと、できる限りふつうに過ごすと言うことです。
生活について、ひとりで暮らし、仕事を持って、私なりの家族をつくり、家庭を大事にして、仕事を生き甲斐に生きること。
こどもは欲しいとは思いませんでしたが、いっしょに生活を分かち合える人には巡り会いたいと思っていました。

私には欠けていたものがありました。
なぜ仕事がしたいのか、
なぜ家族が欲しいのか、
ということへの理由です。

社会の役に立ちたい、という、仕事に対しての正当な理由の奥には、
「私もいい仕事ができるということを社会に認めさせたい」
という気持ちがあったようなのです。

家族を持ちたい、自分の家庭を大事にしたい、という思いのうらにも、同じように気持ちがあったように感じています。
誰を大切にしたいか、という中身がなかったのです。

ものごとは形式でなく、本質の中にしか大切なものはなく、私にはそれがわかりませんでした。

人は、私にとっていつも「不在」だったのかも知れません。

私は誰かのために働きたかったのではなかった。
これは自分の心の中のこととはいえ、衝撃的でした。

私が今まで感じていた生きる目的は、私の不満を満たすためのものだったのでした。

それが壊れてしまった今、自分が何をしたら満たされていくのか、手探り状態になりました。

愛されたいという、愛されていると実感したいという、内なるものの存在はわかります。
そのために、たぶん生きてきたのです。

そのために求め続けて、間違えて来たのです。

人から愛される事を求め続けると言うことは、受け身であると言うこと。つまりこどものままで、成長できていなかったと言うことです。

人を愛していけるのか、今私が毎日生活の中で起こしていることは、愛がこもっているのかどうなのか。
わからなくても、どうであっても、やってみるしか道はない。
間違えているとおもったらやり直すしかなく、どうしようがなくてもいただいたいのちをまっとうすることが、最低限私が果たすことのできる責任です。

戦争のないこんなに恵まれた環境の中で、何不自由なく自立生活を続けられ、考える時間が与えられています。
戸惑っていても、正しい判断ができていなくても、ひとつひとつ考えて、やってみるしか方法はなく、そのように今生きられることに、私はもっと感謝の気持ちを持つ必要があるのでしょう。

私にもっと必要なのは、人に対する『おそれ』であり、それが謙虚な気持ちを生むのだと思います。
おそれとは怖がるという意味ではなく、謙虚になるという意味合いです。
それは、普段御世話になっている方々が、それとなく態度で私にみせて下さっています。謙虚さのない態度がどんな印象を与えるかも、見せてくれる人がいます。
きっと私もさんざん、こんな思いを人にさせてきたのかも知れません。

感じない心を感じるように鍛えることも、感じすぎる心を感じすぎないように鍛えるのも、私には難しいことですが、

やらないと。もう半世紀生きてきたことになってしまうのだから。
やり残しがないように。
ああ、でもできるかな、ずっとできなかったことなのにな…。

経験したままでなく

経験したままにしないで、経験を積み重ねる。。

これが、今まで私ができていなかったことみたいなのです。

たくさんたくさん経験してきたのに、そのことについて考えていなかった、ということでしょうか。
考えると言うことは、どういうことなのでしょう。
経験を考えると言うこと。

客観的にその出来事を見て、それがなぜ起きたか、何をする必要があったのか、その時にとった行動はベストだったのか。
そのことを思うことなのでしょうか。

思考とは、思いを考えること……と書くけれど、

ひとつひとつ、経験を思い出したら、そのことについて考えてみようと思っています。
でもこのブログには書けないな…。難しくて。
自分さえわかっていないのに。

2014年7月16日水曜日

室内での生活

3ヶ月ほど、自宅での生活に簡易電動を使ってみました。
畳にカーペットを敷いて、テーブルで食事する生活です。

関係するのかしないのか、緊張の強い右の肩から下がひどく痛むようになりました。
体調も関係しますが、いくぶん緊張が強くなった気も。
ごはんも食べにくくなってきていました。

それで、昨日からちゃぶ台生活にしています。

トンボ座りをするといくぶん腕が安定するので、少し力が抜けています。
こんなことってあるんですね。
私はぜったい車いす生活の方が楽だと思ったのに。

脳性まひは不思議。
わからないことが多いです。

2014年7月10日木曜日

ディア ドクター

最近観た映画です。

あまり書くと、ストーリーになってしまいそう。人の心の弱さが冷たく感じる、そして鶴瓶さんがあったかく人間らしく感じる作品でした。

最近は邦画をつい見てしまいますね。どうしても邦画の方が好きです。

2014年7月8日火曜日

すいかともも

商店街には掘り出し物が多く、日々顔を出すといろいろいいものを見つけます。
今年は結局梅を3キロつけたのですが、だいたい一キロ150から300円で買っていました。
今日はさすがにもう梅はなく、今年はこれで終わりです。

その代わり今日は熟れた桃を3個200円でゲット。

スイカ好きの友人用に昨日買っておいた小玉スイカもお手頃価格で購入。

おかげさまでスイカも桃もうんまかった!
すいかは、喜ばれました。

安くておいしいものはありがたいです。

梅、もう少し欲張ってつけておけばよかったな。
次は何をつけましょう。ピクルスかな、簡単なのは。

2014年7月6日日曜日

クチナシの花

文京区にある放送大学の学習センターには、門を入るとクチナシとジンチョウゲが植えてあります。
どちらもいい香りで私は好きですが、今はクチナシが咲いて、風に乗っていい香りが楽しめます。
目的を達成し、もう来なくなると思うと、少し寂しい気もします。

先日、大学の前を歩いていたら、5年ぶりに知人と出会い、思わず手を取ってさわいでしまいました。
その方も学生さんで、マイペースで勉学を楽しんでいるようです。
もともとは介助というかたちで出会いましたが、いろんな経験をされている方で、同じ大学だと知ったときは「どこかで会えるかも」と少し期待をしていました。
今回、めぐり逢えて本当に嬉しいです。

大学という共通のことでの思い出といえば、職場で一緒に働いていた方が先輩だったとわかったときも嬉しかったです。
仕事を引き受けてくれていたときに、傍らで努力をされていたことをその時初めて知りました。

そしてその方のひとことで、私は認定心理士にトライしてみようと思えたのです。

それまで、資格など嫌いでしたし、認定心理士は苦手な統計学やいくつかの分野の単位を取らなくてはいけなかったので、私には向いていないと思っていたのでした。


統計学にとても不安だったときには、先に道を行った先輩がいてくれました。
その頃、認定心理士は卒業研究をやらなくてはいけないと私は思い込んでいました。
私の「卒業研究の申請落ちちゃったし」という言葉に反応してくれたその人は、ちゃんと事務局に確認して書類を見せてくれました。
そして、統計はどうにかなるわ、と言ってくれたのでした。

楽しかった勉学の日々でした。

もう認定書をもらったつもりの、花の香りに酔うような思い出づくりでした。


2014年7月5日土曜日

しそジュース

しそジュースを今年もつくりました。

材料

赤ジソ 一袋
てんさいオリゴ糖シロップ 200g
水 1,5リットル弱かなあ
穀物酢 カップ1
レモン水 50ccぐらい


つくりかた
赤ジソは洗って泥をとり、茎をとって葉だけにしておく
水を沸騰させて、赤ジソを5分ほど入れる
葉が緑になったら鍋から取り出し、葉は捨てる
煮汁に糖類を混ぜ、20分ほど煮詰め、灰汁を取っていく。
最後に酢とレモン汁を加えて、醒めたら容器に入れ、冷蔵庫で冷やす。

薄めのしそジュースなので、そのままでも飲めます。
砂糖はレシピでは500gと書いてありました。

水の量は適当でした。圧力鍋に半分の量でした。


梅のメープルシロップ漬けをつくってみました。

用意するもの

材料

35度以上の焼酎
梅一キロ
砂糖お好み(一般的に300から500グラムでしょうか)

道具

ようじ
炊飯器
梅を入れておく容器

梅は1つずつ焼酎で洗います
出来れば炊飯器のお釜や、ようじ、容器などは、焼酎でキッチンペーパーを使って拭いておきます。

ようじでへたをとります

炊飯器に梅を入れます
糖類をお好みで入れます。
そのまま炊飯器の「保温」機能を押し、5時間以上そのままにしておきます。

私は今回、メイプルシロップとてんさい糖を使いました。量はとても適当で、てんさい糖は調味料容器用スプーンに5,6杯、メイプルシロップは炊飯器のお釜に3まわりぐらい入れました。

三合炊き用で一キロの梅が入ります。氷砂糖を使う場合は、一度に氷砂糖は入れられないので、何時間かおきに、数回に分けて入れることになります。

今回は結局三回つくりました。
3回目は一晩保温したせいか、ぷりぷりっとおいしい梅が食べられています。

メープル入りの梅酢は、炭酸水で割るとおいしいジュースになります。絶品です。

2014年6月30日月曜日

理解すると言うこと

てるてるあしたというドラマの中では、16歳の主人公てるちゃんが、
いつもめっちゃいらいらして、怒っていて、

そのなかで、
「おとななら、怒らないで対処するの」と言うような言葉で(正確ではないけれど)てるちゃんが言われるシーンがありました。

ああ、私も同じと思って。

最近、あることを通して、
ああ、私がその人を理解していなかったんだ
と自覚できたことがありました。

確かに、介助のあり方から考えたら、「私の考えは介助の理に適っている」のかも知れないけれど、 その人の気持ちを返って傷つけてしまった気がしています。

人としての関係の作り方としては、やっぱり私が間違っていたように思います。
その人を理解していなかったのです。

もう少しその人の側に立てていたら、私は少しちがう行動をしていたと思う。そんな気がしました。

私は介助がスムーズに行けばと思って行動していたけれど、もう一度考えてみたら、自分本位でしかなかったんだな。
やはり日々の出来事はばかにできないね。ていねいに考えていきたいな。

茅の輪くぐり

近くの神社で、初めて茅の輪くぐりを括りました。
いつも、わきを通って「くぐったふり」をしていたのに。

茅の輪の両側にスロープが設置してあったのでした!!!

感激。

さすがに手順通りにはスペースの問題もあり、無理でしたが、いやあ、私としては、通れただけでうれしかったっす。

神事はいろんな決まり事がたぶんあるでしょうから、こういうことが出来るって、この神社はやるなって思いました。
…もしかして私が知らないだけで、他の神社もあるのかしら。

大切な人たち

昨日は久しぶりの人と再会。3人の女子会でした。

私はお二人とは面識があるのですが、実はお二人同士も一度会っていたらしく、それも私の介助の交代の時の一度だけだったのですが、なんだか昔から知っていたみたいに楽しい時間を過ごしたのでした。

お二人とも私が一番はげしかった頃に介助に入って下さった方々ですから、ダイビングのこともスキーのことも知っていて、私より私のことを知っているのでした。

水がちょう苦手な私がレギュレーターをつけたりいろいろするのを観てきたので、「今後何をやってもあれ以上はおどろかない」「もう年をとったからあんなに激しいことにはならないだろう」などと言って笑っていました。

なんだか広い世界を感じました。このような方々のサポートを受けながら、私の豊かな時間がつくられていったのだと思いました。

会わなかった間の人生の重みは、私に強い勇気をくれました。

女子会っていいな。本当に今月は恵まれていました。

2014年6月28日土曜日

ただ君を愛してる

宮崎あおい、玉木宏、黒木メイサが出演している、「ただ君を愛してる」を観ました。

そうだな、自分の気持ちを押しつけないって、こんな感じなのかな。
だからといって、伝えないわけではなくて。


相手のことを、第1に考える。
大切なひとだから、理解しようと努力する。

最後は切なくて、でも女同士の友情を感じました。

そして、恋愛対象になった異性は、友だちではなく、こいびとなんだなあって。
なんだか感想書くのってムズカシイ。

てるてるあした

しばらくパソコン休んでいました。
体のキンチョーがキンチョールだったのです。(ちょっとまだヘンかも。)
書きたいことはそのつどあったのだけれども、ほとんど忘れてしまいました。
やっぱりサボるとだめですね。

てるてるあしたという、すこし前のドラマをみました。

なんか、人のために何が出来るのかって、考えることが大事なんだなあって。
それを見せてくれたドラマでした。

人がその心を強くしたとき、自然にそれが出来るようになるようだけれども、
日々の心の持ち方が大事なんだなって。
ドラマなのでわかりやすくみることが出来ました。

それから、人を育てようと決心することも、そのことについて責任を担うことも、すごいことだなあって。

本気でその人のために動くことも、命をかけて守ることも。

そして、その人をそのまま愛することも。

人を想っていくことは、本当に大事なことなんだな。

2014年6月24日火曜日

解放

大学のリポートが提出でき、今日は心置きなく久方ぶりの知人とおしゃべり。
わざわざ訪ねてくれました。

数年前はもっと頻繁に会えていたのに、リラックスした話はできていなかったなあ、と実感。
私はやっぱり一人で出来る仕事が向いていたのかも。
それか、お客さまと1対1のお仕事か。

訪ねてくれたお二人は、よく笑ってくれました。
うれしかったな。

忙しかった今月。風邪もひいちゃってよけいな体力も使ってしまいましたが、おかげさまで予定していたイベントはすべて終わりました。

それにしても。本当に大学、終わっちゃうんだな(リポートが通ればですが)。
すごく楽しい4年間でした。遠回りはしましたが。(リポートが通れば…)
資格、役に立てればいいんですけれども。そこまではのぞめないですよね。

2014年6月22日日曜日

なぜなんだろう

乗り越えてきたはずの出来事が最近また身の回りに起こり、対応に戸惑っている自分がいます。
なぜ今、こんなに来るのか。
私が改めた方がいい考えはなんなのか。
なぜこんなにものごとにいちいち反応し、憤慨してしまうのか。

相手に悪気があるわけでもないので、いつもの私の悪い癖が出てしまっているのかも知れません。
なぜ今なんだろう。
もう少し考えてみます。

2014年6月20日金曜日

まだ気が抜けないけれど

二日間の面接授業が終わり、ホッとしています。
心理学実験のリポートはわんさか書かないといけないので、書き終わったあとの開放感を想像しながら、早いうちに成し遂げようと思います。
心理学のリポートの書き方は、私が普段書く好き放題の文とまったく違う書き方なので、不得意分野の文章を書くトレーニングにもなるのです。

今日感じたことは、実験の面接授業をもし入学した頃に選んでいたら、私は適応できなかったかも知れないと言うことでした。
今日の実験、2つのうちひとつは時間が追いつかずデータとして生きなかったし、もうひとつはみんなと同時進行に出来ませんでした。
たぶん入学したての頃にこういう場面にあったら、私はきっと憤慨するだけだったかも知れません。
差別意識の観点からしか物事をみられなかったかも知れません。

別に除外されているわけでもなく、そこにいて出来る限り参加しようとしたことに変わりなく、そして指導して下さった先生のお考えのように進行していったのですから、それを受けとめて、私は私でベストを尽くせばいいのかな、と思いながら参加していました。

人並みに出来なくても、それが私。出来ることをすればいいのです。

すべて授業が終わって、その場でリポートを提出していった人たちもいらっしゃって、人はさまざまだなと改めて思いました。
自分の身体的・感覚的能力が観られたのも、計3回受けたこの面接授業のおかげです。介助の方がサポートして下さればなんでも出来ると心のどこかで考えていた私は、見事にくずれました。

人のサポートがあって初めて出来ていく日常生活のさまざまなことは、サポートがなければ叶わないのだと言うことを、私はわからなければならなかったのでした。だからサポートして下さる人を集めなければならないと考えるのではなく、サポートを受けることが出来る今日をまず感謝すると言うことなのでした。
そこのところが、以前の私には足らなかったのだと思うのです。なのでその頃にこうした実験の授業を受けても、心を怒りに燃やすばかりで、学べなかったかも知れません。

物事の順序というものは、よくできているものです。

こんなにうまくできているのに、わたしの心はまだまだです。

こんなことを書いている間に、リポートに向きあわないと。それこそ今私の出来ることですね。

2014年6月18日水曜日

幻の光 ひとこと感想3

 祖母の失踪、夫の自死を静かに静かに癒やしていく。「なぜあの人は死んでしまったのだろう」この問いかけへの答え方に、心が落ちつきました。是枝監督だったんですね。見終わったあと気がつきました。

天国からのエール ひとこと感想2

他人だからこそ、何かをしてあげたいんだ、昔はそんなおとながたくさんいた…、
こう言いながら行動してしまう心は、すごいなと思った。

引き出しの中のラブレター ひとこと感想1

ホッと心が温かくなる映画でした。主人公に忠告する女友達のぞくっとするような一言がよかったなあ。

2014年6月17日火曜日

独りよがりをやめて

自分の予想と反したことが起こると、私は一瞬、気持ちがかたまってしまいます。
まるで、自分の中にシナリオがあり、一字一句合ってないと気が済まない人のよう。
アドリブがまるで効きません。

どのぐらい長い間、こうして無意識に自分のシナリオの中で生きてきたのか。

そこには私の世界しかなく、人の存在は幻想に似ていました。
理解していると思っていた、私の中の登場人物。

その人がその人のままであることは、その人らしいことなのに。
自分だけ、自分らしくあればいいと思っていたみたい、長い間。

無意識の世界はとても怖い。
自分で意識できない、無限の世界だから。

この、独りよがりな独自の生き方を見直したとき、少し世界が広がりそう。
さあ、変われるかな。

2014年6月15日日曜日

マンデラ 自由への長い道

イオンシネマでやっていたので先ほど見てきました。

すこし心の中にかたまりが出来てほどけない感じです。

あまりにもひどくてつらい思いをしたあと、人は本当に人を許せるのか、
心の激しさを忍耐強く昇華させるとはどういうことなのか。
身近にいる人への愛を忘れないとはどういうことか。

もう少し考えないとうまく感想が書けないのです。

なんか、人は完璧ではないというか、マンデラさんの人間くささがちゃんと描かれているように思いました。

奥さんの哀しみをおもんぱかれというほうが酷なのかも知れないし、

心が重くなりました。それもいい体験なのかも知れません。

この項、書き直すかも知れません。

差別を受ける側は謙虚で賢くないといけない。

映画「42」を観たときの、そんなことを思い出しました。

2014年6月14日土曜日

それでも人生にイエスという メモ

上記の本を読みました。
夜と霧 という本も読みたかったんですが、貸し出ししていないみたいで。あとでもう一度探してみようと思っています。


「人生は絶えず、意味を実現するなんらの可能性を提供しています。ですから、どんなときでも、生きる意味があるかどうかは、その人の自由選択にゆだねられています」

『生きるとは、とわれていること、答えること
ーー自分自身の人生に責任を持つことでである。」

『ですから、生は今や、与えられたものではなく、課せられたもののように思われます。生きることはいつも課せられた仕事なのです。このことだけからも、生きることは、困難になればなるほど、意味あるものになる可能性があることはあきらかです。」

「そもそも、愛は功績ではなく、恵みなのです。それで、愛を通っていくことによって、『恵みの道で』、他の場合には働いて得なければならないもの、活動によって手に入れなければならないものが与えられるのです。つまりそれぞれが唯一であり1回きりであると言うことが実現されるのです。」

「彼は、活動的でやりがいのある職業生活を送っている最中でした。多忙な広告デザイナーだったのです。ーー略ーー腫瘍のせいで、すぐに手足がマヒ状態になりました。そこで、彼はもう、それまで主として自分の人生を意味のあるものにしてきた活動的な生活という方向を維持することが出来なくなりました。ーー略ーー
 病院で横になっているとき、彼は猛烈に読書に取り組みました。ーー略ーー せっせと音楽を聴き、他の患者さんのひとりひとりと活発に会話を交わしました。ーー略ーー 
 ところが、それから病気が進行して、もう書物を手にすることも出来なくなるときが来ました。それほど筋力が衰えたのです。そのときには、もはやヘッドホーンの重みにも得られませんでした。ーー略ーー その患者さんは、自分の命がもう長くないことを、それどころかあと数時間しかないことをまったく正確に知っていました。ーー略ーー ベッドのそばを通りかかったとき、彼は合図して私を呼び寄せました。そして話すのに苦労しながらこう伝えました。午前の病院長の回診の時に聞いて知ったのだが、G教授が、死ぬ直前の苦痛を和らげるため、死ぬ数時間前に私にモルヒネを注射するように指示したんです。だから、今夜で私は『おしまい』だと思う、それで、いまのうちに、この回診の際に注射を済ましておいて下さい、そうすればあなたもしく直の看護婦に呼ばれてわざわざ私のために安眠を妨げられずにすむでしょうから、と。このようにして、この人は人生の最後の数時間でもまだ、周りの人を『妨げ』ずにいたわろうと気を配っていたのです。」
            (いずれも「それでも人生にイエスという 春秋社」から抜粋)
この本を読んでいると、瞬間瞬間、大切に生きたいという気持ちがわいてきます。好きな箇所をメモしました。
 さりげないけれども、人間らしい業績。できればそういうものを残して生きられる人間になってみたいです。

2014年6月12日木曜日

雨と夢のあとに

すこし前に放映されたドラマですが、今頃観ました。

人の思いって、自分が生きていても死んでいても変わらないんだなって。
性格も、思い込みも、視野も。

そして、人を大切に想い愛しているひとを心から愛していくことって、誇り高い行為なのだと、
このドラマを全部視て思いました。

フィクションだし、ホラーという分類らしいし、好みもあるとは思いますが、私にとっては、
ああ、こう思うとこういう行動になるんだ(この行動はこういう意識から始まっているんだ)

相手のことを考えていないと言うことは、こういう行動のことなんだ、と自分の今までの似たような行動とドラマの出来事を照らし合わせている感じです。

柳美里さんの原作とのこと。小説とドラマとは違うようですが、小説も読んでみようと思います。

2014年6月11日水曜日

昼飲み

懐かしい友人が家まで訪ねてくれたので、贅沢にも昼飲みを。
お互いに近況報告しあい、ゆっくり話せていい時間でした。

今月は本当に恵まれた月です。
風邪をひいてしまったことだけが想定外ですが。

そうですね。あとは、つい自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう癖を、どうにかしないと。
友人に、知人に恵まれていると言うことをいつも忘れないで感謝できる自分でいられますように。

自分の心に不安が舞い込むと、私は人の気持ちがまったくわからなくなります。
これも経験の中でひとつひとつ考えていくしかないのですけれども。

昼飲みで友人の話を聞きながら、ふとそんなことを思ったりしました。

2014年6月8日日曜日

花菖蒲

浜離宮に初めて行ってきました。
雨もそんなに降らなくて、涼しく過ごしやすいひとときでした。

おしゃべりも楽しく、3人で花菖蒲と緑を満喫。

少し背高の白や薄紫の花は、やわらかでしとやかで、誇り高いような感じがしました。

こうしてひとつひとつ新しい時間を体験していくと、いつの間にか少しちがう自分にあえるのではないかとおもうような、そんなかけがえのないひとときでした。

そうですね。焦ることなく、心に遊びを持って、
ひとつひとつの体験を楽しめばそれでいい。
心から楽しめるならば、それでいい。

きっと、そんな大切な時間が増えていく、そんな予感がしました。

東上線と、有楽町線、大江戸線。
地下鉄、私鉄は本当に乗りやすい。
車いすに乗っていることを一瞬忘れます。

大江戸線の完全バリアフリーには、まだまだ不慣れな私ですが(*^_^*)
障がい者扱いに慣れすぎているものですから……。

2014年5月28日水曜日

チョコレートドーナツ(any day now)

さっき、観てきました。
やはり、いつも愛を持って行動できるように努力しないと。
私欲とか、利益とか、正義とか、建前とか、
かくれている偏見や先入観や差別に気がつかないまま、自分がいい判断をした気で行動していたら、誰かを傷つける結果を引き起こしてしまうかも知れない。
取り返しのつかないことに荷担してしまうかも知れない。

そんなことを教えてくれた映画でした。
生きる意味を伝えてくれる作品です。


今朝まで、この映画の存在も知らなかったのですが、おかげで気持ちがしゃんとしました。
やはり人は、人のために生きないと。
うまくできなくても、そういう気持ちで生きないと。
ほんとに、みることが出来て、よかったです。

2014年5月24日土曜日

個と共同性

「個と共同性(わたしとわたしたち)」という本を読みました。
新しい世界史のシリーズです。

中国とベトナムに焦点をあてて、社会主義の政策がどのようにつくられ、市民に浸透していったかが興味深く書かれてありました。

読み終わって感じたことは、個人の欲を社会として統制したり、コントロールしていくことは、無茶のような印象を受けたことでした。
個人の利益を追求していく資本主義社会に生きているから、違和感を感じたのか、わからないのですが。

豊かになっていけば感じてしまう独占欲や、比較することで起こるさまざまな感情的なことを、社会システムだけで完全に処理をするという考えは、無理があるように感じたのでした。

だから多くの国が資本主義なのかなとも思いました。

二国間のからみはほとんど書かれてなく、あくまで社会システムの流れがどうできたかという本だったので、私には理解しにくかった社会主義のしくみがわかりよかったです。

とっつきにくそうで後回しになった本でしたが、一応完読して図書館に返せたので、少しホッとしました。

厚焼き玉子各種

都合で厚焼き玉子を数種集めてみました。
セブンの2種と、福からの厚焼き玉子の串揚げ。
玉子があまり好きでないので、こんなことをする機会はあまりありません。
この際だからいろんなコンビニで買ってみようと思ったのですが、そんなに量も食べられないだろうと言うことに気がついて、3種だけにしました。

セブンのは、パック入りとトレイ入りだと味も見た目も食感も違うので、同じ店のものなのにおもしろかったです。

福からの串揚げは、そんなに厚焼き玉子にそそられない人でも、楽しめるかも知れません。 
玉子好きの友人は楽しんでくれたようだし、よかったです。

行きつけになりつつあるお店を紹介できたのもよかったかな。
やはり、ふらふら出歩いていてよかったです。

でも、私の家のトイレは、やはり使いにくかったみたいです。不便をおかけしました。

次回はからおけに行こうと言うことに。
おいしいランチの店、探しておかないとね。

だから言ったでしょう

哲学の講義が終わりました。

今回は難しかったです。やはり哲学は、腰をすえてやらないと理解が出来ません。
私がわかるようになるまでには、まだまだものすごく時間がかかりそうです。

授業のあとにリアクションペーパーを書くのですが、
私は物理的な問題で、その場でうまくかけないので、あとから先生宛にメールしています。
この先生の講義は、毎回このリアクションペーパーをもとに授業が始まるので、そこが好きなのです。
質問に対する疑問や、先生の考え方をお聞きすることができますから。

もちろん、初めて哲学の授業を受けたときは刺激的でした。3回目なので、慣れました。

ちなみに、メールでリアクションペーパーを書くので、私はその場では紙をもらいません。
先生は、私の分は枚数からはずして学生に配ります。

今回私の席は一番後ろだったため、私は紙を回して下さる前列の学生さんに、私の分がないことを毎回説明する必要がありました。

このちょっとしたことが、うまく行きませんでした。

最終日。机に座れず最後列で椅子で授業を受けていた女性が、私が差し出したリアクションペーパーをうけとることを戸惑いました。
この紙が、私の分ではなく、彼女の分だと言うことが伝わらなかったのでした。

説明を何度もしたのですが、小さな声だったこともあり、うまく伝えることが出来なかったんだろうと思います。
私のまわりにいた数人の方々も、ことの次第は理解できませんでした。

私は、何度かトライしましたが、伝えることを諦めることにしました。気分は悪かったけれど、授業中です。

と先生が、
「村山さんの分は枚数から抜いてあるので、ちょうどなはずです」
それまでの態度が変わって、リアクションペーパーは無事にその方のもとに届きました。

ここで私が、にっこり笑ってお辞儀が出来るようになったら、大人なんだけれど。

口から出ちゃいました。
「だから言ったでしょう」

だめですね。
これを言うとますます怖がられちゃう。

大人になるのは、私にとっては至難でございます。


ところで、教室は三人掛けの机と椅子。三人掛けだとたいていまん中の席にはみなさん座りません。
両端から埋まっていきます。
そしてあとからいらした方の数人は、まん中の席に座ると言うことも出来ません。
空いている席の端の人に声をかけて座る方ももちろんいらっしゃいますが、数人は遠慮して机のない最後列で授業を受けていました。
そんな中での一コマでした。

私はどんな態度を取ればよかったのか。
やっぱりにっこり笑ってお辞儀かな。
それか、相手のほうをみない(場が悪いでしょうから)。でも無視するみたいで…。
どうしたらよかったんだろうな

まずは、口を慎みます。

2014年5月23日金曜日

いつか眠りにつく日まで

原題 Evening という映画を、みました。

初めておかした人生の過ち…主人公はその思い出に悩み、最期の時を過ごします。

そして最期にある結論に行き着くのです。

「あなたはたくさんのものを望んで叶えてきた」と昔の親友はいい、本人はそれを認めます。
あなたは幸せだった?
という問いかけに親友は、
やるべきことは果たしたわ

と答えます。

人生はいつも波立っているように見え、その時々は悩むけれど、最期の最期で納得できるような、自分に恥じない生き方をしたい、そんなことを思いました。

2014年5月20日火曜日

リアクション

今日、気付いたことがひとつ

なんやかんや人のことを妄想して、独りよがりの先回りをして、いろんなことを準備して関係する人間関係って、自己中心の関係づくりなんだなあって。

私は結局自分のことしか考えていなかったんだって、改めて。
少し前までの人間関係がほとんどそれでした。

相手のことを理解しようとして、相手のことを思いやってしていたことならよかったのですが、違ったみたいです。

怖さから抜けられなかっただけなんだなってわかりました。
怖いから自分の身を守りたかった。それだけだったんだったって。

人との関係を作るって、そういうことではなくて、相手の行動に対してリアクションを取っていけばいいんですね。
先回りせずに。
妄想せずに。

今日はそんなことを学んだ日でした。

そして、人を想う気持ちって、ステキだなーって、ひとの言葉を聴きながら感じたのでした。

2014年5月19日月曜日

私にとって介助って

介助の時間というのは、「生活に手助けが必要な時間」なのだけれども。

もし、私が自分本位に、「生活に手助けが必要な時間」だけを決めていたとしたら。
本当に「望む通りの時間配分で人に来て欲しい」ということになってしまいます。

たとえば、朝は今日はこの時間しかいらないとか、トイレの時は呼びますからその時に来て下さいとか。

「生活に手助けが必要な時間」というのは、「介助という仕事が成り立ち、介助の必要な人がその人個人の生活のどのサポートでも受けられるよう設定した時間」なのかも知れません。

埼玉で自立生活を始めた頃、教えたもらったことが、
「障がい者が自分の生活を自由していくために、介助者をどう雇っていくかを考える必要がある」ということでした。
行きたいときにトイレに行くということをどのように考えていくか。

介助の方の「待機」(今の言葉で「見まもり」)という発想を、私はこのときに教わったように思います。

一緒にいて下さる方のことを考えた、介助時間。

介助の方とともに生活する時間、という感覚。

最近、それを思い起こすような出来事があり、自分の介助時間の決め方について思い起こしました。

そこで働く誰かがいて、私の生活が出来ているということ。

私は、介助時間を自分で設定しています。
誰かから相談なく時間を変えられてしまうものではないと思っています。

でもたとえば、介助に入る予定の方がやむを得ないことで予定より短くなってしまう場合、または私の希望を少しずらすと介助可能ということがある場合、時間調整することがあります。

私の体の状態は、それが可能な状態なのかも知れません。
毎日、24時間誰かがいないと生活できない、と思うほど障がいではないと思うから。

私は私の体のままで、体験できることがあるのでしょう。

介助として関わる方と、私の生活をうまく互いにすりあわせて、この関係が続いていくのだと思います。

介助を受ける時間は私にとってとても大切な時間。
自分本位に設定した時間ではないから、サポートして下さる方と一緒につくる時間だから。
そして私の小さな日常の希望が叶う時間だから。

よく考えて設定し、入って下さる方といい時間を過ごしたいと思っています。

2014年5月18日日曜日

やるべきこと

人生でやるべきことって、自覚できないもんなんだなあと、今更ながら感じています。
わからないことが多すぎてはずかしいけれど、出来ることをやっていくしかない。
自分に渇を入れて、おやすみなさい。

2014年5月16日金曜日

ただ歩いていただけ

冬の間使った毛布を洗いにコインランドリーへ。
以前住んでいた家の近くには、大物洗い用の、利用料800円(洗剤付き)洗濯機が置いてあり、毛布2枚などお手の物だったのですが、今の地域ではそうもいかず。一枚ずつ分けて洗いました(それでも大物洗いより安かったけれど)。
と、洗濯に来た男性が、
「あ、洗剤忘れちゃった。少し分けてくれませんか」
私もランドリー用の小分けパックを2つしか持っていなかったのですが、合成洗剤だしひとパックの量も多いので、一つ差し上げることに。
「おかねはらいます」
などと言って下さいましたが、お金に換算できないからと断りました。

ランドリー代の小銭が足らないことがわかり、1機目の洗濯機のスイッチを入れたあと、お金をくずそうと近くの自販にいくと、ちょうど飲み物を買いに来た別の男性に話しかけられました。

「(介助の方を示唆して)娘さん?」
「いいえー、違います(ちなみに私と介助の方は同年代)」
「(私の足をみて)足が悪いんだ」
「足だけじゃないんですけど…」私が言うと、
「全身打撲?」
「ちょっと違うかなー」と私。
「打撲は痛いよねー」
うーん。

そんな会話をしたあとにもうひとつ洗濯機を回し、日常品を買ったりして時間をつぶしてランドリーに戻ると、洗剤をあげた男性もちょうど洗濯終了時間だったようです。
「さっきは迷惑かけてすみません」
「迷惑なんて思ってません……」
「女房に怒られちゃいましたよ。人に迷惑かけるんじゃないって」
「……。」
後から回したほうの洗濯機がもう少し時間がかかると言うことで、少し商店街を歩いてみました。

すると、お休みのお店に張り紙が。
「ケガのためしばらく休みます」
お気の毒に、と思いながら、
しばらく歩くと、別の店に張り紙が。
「打撲のため今日は1日休みます」

そうか…。

ただ洗濯に行っただけなのに、なんだか気分がかわりました。
ケガされている方々には、早くよくなられますように。

毛布はおかげさまで、2枚ともきれいになり、今外で風にふかれています。



2014年5月9日金曜日

マルブランシュ

おとといは歯医者さんで入れ歯の調整をしたあとに、哲学の第2回目の講義を聴きに。
今回は哲学の専門科目なので、とてもとても難しい。
連チャンで出かけているせいかひどく眠くなって困りました。

デカルトからマルブランシュへ。
西洋の「神」の考え方は、私には少し受けとめられないものがあるみたいです。

霊的真理と同じ言葉が出てきますが、それを哲学的にとらえて考えるところも難しく、でもなんとか感想メールを出し終わりました。

マルブランシュはデカルトの弟子ですが、デカルトより信仰のあつい方だったそうです。

この程度しか書けない私は情けなく…。

来週はスピノザ。そしてカント。ついて行けないかも。

でも、この先生の講義は好きなので、最後まで出たいと思っています。そして頭を整理するトレーニングに活用させていただきます。

2014年5月7日水曜日

いくべー

秩父の羊山公園、秩父神社、野坂寺に行ってきました。
秩父のほうは、現実的にあまりいったことはないのですが、子供の頃過ごした場所が寄居という埼玉県北部の町だったので、秩父というとよく話題になる場所でした。
なので懐かしさがあります。

武甲山を観たのも数えるぐらいなはずなのに、なぜかなつかしく。
あいにく曇り空で星は見ることができませんでしたが、おいしい空気を吸って新緑を楽しんできました。

羊山公園は、芝桜がまだ咲いていて、鮮やかでした。車いすで走ったのに、ハイキングしたという感じです。
帰り道、近道の下り坂を下りたら車いすが坂の傾斜にタイヤを取られてしまいました。通りかかった数人の方々に手伝っていただきました。
おかげさまで無事に平坦な道に降りることができました。
思わぬところで助けていただきながら、秩父市内を堪能し、とてもいい経験ができました。
小さな電動車いす(簡易電動)で動いたのですが、傾斜に対して限界があることを身をもって実感しました。こういうことがわかるのも、非日常の環境ならではです。

きりの花を初めてみました。いやもしかしたら初めてではないかも知れません。

初めてディサービスのおトイレを使わせていただきました。都心ではそうはいっても多目的トイレはあちこちにあるので、あまりディサービスの場所を使わせていただくことはありませんでした。

ゴールデンウイークにこんなふうに出かけるなんて、久しぶりでした。
一緒に出かけた友人とあーだこーだいいながら過ごせたことも、介助のかたちにこだわらなくなったからこそできた、楽しいひとときだったように思います。
駅員さんの対応とか、もちろんこだわることも必要なこともあるけれど、わかっていながら受け流して上手にお付き合いするのも手なんだなあと改めて。
こだわりって必要なときもあるけれど、邪魔なときもあるんだなあと。
私はこだわりが多すぎたようです。

この地方の言葉「いくべー(行こう)」という言葉がキャッチフレーズになっていて、なんともそれもなつかしかったです。

2014年5月4日日曜日

コンビニのカット野菜

昨日、ゴボウと鶏肉と油揚げの煮付けをつくっていただいたので、2回続けて炊き込みごはんをつくりました。
今晩はコンビニでダイコンのカット野菜を買って、残り物の唐揚げを刻んでマヨサラに。
たっぷり野菜を食べることができました。

コンビニのサラダは高いな、と思うことがあるけれど、カット野菜なら使えると思いました。

炊き込みごはんはとてもおいしい。幸せです。

2014年5月2日金曜日

手紙…映画を観たあとに ネタバレ

東野圭吾さんの小説「手紙」を今読み終わりました。
たぶん私には、映画だけよりも小説も読んだほうがわかりやすいのではないかと思ったのです。

差別を受ける側が、差別と向き合い、どう自分の人生をつかんでいくか。
差別のない場所なんてないこの場所で、自分の差別心とも向き合い、人に甘えずにどう生きていくか。
それを切々と私にといてくれたような気がしました。

どのようなかたちで人間の差別心が潜んでいるのか。それを見せてくれたような。

そして、犯罪加害者と被害者家族、加害者家族の心のずれというか、認識のずれのようなもの、加害者側のその脳天気なずれによって傷つく被害者の思いが書かれてありました。

犯罪者の兄を持つ主人公は、差別から逃げずに正々堂々と生きようとしても「まだ甘えている」と言われます。正々堂々と生きていこうとすることをまわりに理解してもらおうと思っている、つまりまわりを変えようと思っている、そのような意味です。
周囲に心の負担を感じさせない選択とはどういう生き方なのか、と。

甘えないで生きるとは、周囲の心の負担のことを考えながら生きることができるということ、つまりそれが人の身になって生きると言うことなのかも知れません。
正義を社会に問うような生き方ではなく、ただ自分の生き方を決めて責任を取る生き方です。

そして、犯罪者の兄は、いつしか知ることになります。自分が脳天気で何もわかっていなかったことを。罪は服役しても消えず、自分の住む世界は変わってしまったということを。

幾つもの毛色の違う思いが交差していて、今はうまく書けません。
障がいを持って生まれて生きるということや、人生の選択のこと、今までの生き方のこと。
もう少し考えて、書けるようなら書いてみます。

2014年5月1日木曜日

板橋区立植物園、

雨があがったので行ってみました。
無料で入れる居心地のいい場所でした。
でも残念ながら一番上の休憩場所には、階段のみのアプローチしかなくて行けなかった。
残念でした。

クレマチスの花が何種類も咲いていました。
あまり種類を知らなかったので、目の保養になりました。

車いすトイレが見つからなかったけれど、もしかしたら奥にあったかも知れないですね。

季節ごとに行くと楽しそうです。

周辺は、先日行った大仏様や、公園が幾つもあり、今は新緑がまぶしい限りです。
滝の上公園にも行ってみましたが、遠回りしても上からは階段でしか園内には入れず、残念。
階段下も憩いの場所ではあるので、おにぎりぐらいは食べられそうですが。

お昼はゆっくりくつろげる、美術館のある公園に。
梅林のなかに設置されている木のテーブルでごはんを食べていたら、人慣れしている鳩がテーブルの上まで乗ってきたのでした。
追い払っても諦めず。みると、両足を少しずつケガしてて。

私たちが食べている途中でエサをあげてしまうと、他の鳩もよってきてしまうのでえらいことになると思い、あとでこっそりあげようとはなしていたのですが、

鳩のほうが待ちきれなかったみたいです。いなくなっていました。

鳩に観られながらおにぎり食べて、後ろを振り向くとかもが歩いていたりして(公園内に池があるものだから)
写真撮ればよかったなあ、なんて今更ですが思いました。

これでだいたい、東上線沿線はよくわかったような、???
引っ越しして二年目が始まりました。
これからはもう少し交友関係を深められたらすてきだな、と考えています。

もっこうばらが、あちらこちらできれいなこの頃。
もちろんよそ様のものなので、写真は撮りません。はい。

2014年4月30日水曜日

相手の気持ち

今日は哲学の授業があり、久しぶりに文京区に。
ある方の言葉をきっかけに、仕事をしていた頃のことを思い出しました。

仕事を辞めようと決断してから、一年かけてやめる準備をさせていただいたこと。
やめてから一年間、なんだかんだ理由をつけて、元職場に行き続けたこと。

いろんな準備をしたつもりだったけれど、みんなみんな私目線でしかなかったかな、と思えたのです。
残って働くみんなのことは、考えていたつもりで考えていなかったのかもと、初めて実感したというか、反省したというか、向きあったのでした。

職場の人が「今まで日々とどんな仕事をしていたのか書いていって」と言ってくれたから少し書いて残せたけれど、
心のどこかで「きっとわからないことは相談してくれる」「毎週なんらかのかたちで顔を見せれば言いやすいのではないか」などと思っていたのだと思います。
それこそおごりで、
実は誰も私には相談してはいけないと思っていたし、話すのも憚れていたのではないかと。
話せなかったのはそれまでの私の関係づくりに問題があったんだなと。
わたしが、みんなのことを理解していなかったんだなと、思ったのでした。
顔を出されることが、戸惑う原因だったのかも知れない。

残る方々に必要だったのは、
できる限り詳しく書いたマニュアルだったのかも知れない。
人間関係でなく、具体的な呈示だったのかも知れない。
はたまた、違うアプローチだったのかも知れない。

というか、もしかしたらこれが一線を引くと言うことかも知れない。
一線を引けなかったのは私のほうだったのかも知れない。

相手の身になると言うことは、こういう風に考えることなんだな、なんとなく実感できました。
私中心な考えを捨てていたら、もっと違うものを残せたかも知れません。

仕事から手を引いたことは何も後悔していません。
私には向いていなかった。それは永くやったことでたどり着いた結論でした。
そして、当時私の気持ちを受けとめて下さった方々には、感謝しております。

辞め方というのは、とても難しいのだと思いました。
関係というものは、相手を理解して初めて活きるものなのかも知れません。それが私にはできなかったんだなと。
そこのところの力量が全くなかったのだと感じました。

おごりはすべて捨てないと。
何も見えてこないもの。

しばらく

ネットから離れていました。

体調が快調でなかったのですが、自業自得と言うことで。

自律神経が弱いからとか、更年期だからとか、いろんな理由をつけてここ数年乗り切ってきましたが、実は違ったんだなと最近気がつきました。

自分のものが、戻ってきているだけなんだなと。(意味不明)
自分まいた種は自分で刈り取ると言うことです。

とにかく、ほんとうに気をつけないと。

いいものを遺せるように。精進しないと。

2014年4月27日日曜日

今日は東京大仏

下赤塚から歩いて20分ちょい、念願の東京大仏を観てきました。
昭和50年代に建てられたものだそうで、とてもきれいな大仏様でした。

おみくじは末吉

 夕立の雨は見る見るはれ行きてこずえ涼しくせみのなくなり

今度はこの近くにある植物園に行ってみようと思います。

小竹向原の近道

昨日はもう一度小竹向原の駅に。
でも家からだとやはり少し遠くて、実用的ではありません。
いざとなったら歩いて帰れるかな、という感じ。

でもようやく1軒、昔ながらの豆腐やさんを見つけました。
越して一年。永かった(大げさ。)

うち飲みの時とか、歩いて20 分ぐらいなので買いに来ようと思っています。

あと、かりんとうまんじゅうなどと言う和菓子を売っているお店も見つけました。
ほんとうはいちご大福がおいしいみたいなのですが。

なんか、初体験のおまんじゅうでした。
外側はカリカリで、あんこはそんなに甘くなく、という感じです。

2014年4月25日金曜日

中板橋は ネタバレ

個人商店が多いそうです。チェーン店が少ない。
DVDレンタルも、ツタヤなどは他の駅に行くことが必要で、2軒ほど探索してみましたが、2階&階段。
ネットだけではなかなかみたいものがみられず、試しに最寄り駅のレンタルショップに行ってみました。

そしたら、たまたまみようとしていたものがありました。
それも、とても手頃なレンタル料金と入会金。助かりました。

手紙、という映画を観ました。ネタバレです。

「差別はなくならない。犯罪を犯した者に近い人間を遠ざけるのは、当然の行動なんだ。自己防衛だね。」
「罪を犯した人間には、それだけの責任があるんだ」
「差別のないところを探すのではなく、ここで生きていくんだ」

加害者を家族に持った弟に会社の会長さんがはなす、このような言葉が印象的でした。

また、最後におにいさんのこのような言葉も。
『手紙を書くこと自体が、相手を苦しめることだった。それだけ大きな罪だったんだとわかりました』

やってしまったことは、やり直せない。
それだけの責任があると言うこと。

1週間借りたので、もう一度みようと思います。
やっぱり東野圭吾、読破しようかな。全作品。
薬丸岳のほうが好きなのですが。どちらも読みましょう。はい。

2014年4月23日水曜日

塩大福

大山の米粉パンのお店に入ってみました。

塩大福という名の米粉パン発見。
お店の方に、
「このパンは、お餅は入っていないんですか」
と二度ほど確認。
入っていないというので、食べてみました。

確かに食感は違うけれど、それなりにおいしかったです。
見た目は大福だし、米粉パンだから飲み込みも自然のままで大丈夫。安心して食べられるので、
大福食べたいという気分になったら、買っちゃいます!

2014年4月19日土曜日

自分で選ぶと言うこと

一つの小さな選択をめぐって、すこしウジウジしています。

行きたいのか、行きたくないのか。

行きたい、と選んだ場合、
その根拠は何なのか。

大勢の知人に会いたいのか、
自分も参加したいと言うことをアピールしたいだけなのか、
そのこと を大勢の人たちと純粋に分かち合いたいのか。

わたしの心は、実はもう決まっていて、

本当に
その選択で本当にいいのかどうか、
不安のようなのでした。

迷う理由はたぶん、
冷たい人と思われたくない、と言うこと。

では、たくさんの方々と、純粋に思いを馳せたいかというと、
一人静かにできれば充分と思っているのです。


答えは出ているのに、なかなか迷いがとれない。
これが依存心なのかも知れません。

誰かの意志に沿えば、選んだ気になれるというか、
正しい選択をできた気がして安心してしまうと言うか。

自分で、純粋に決めることって、本当にしろと黒がはっきりしていたらいいけれど、そうじゃないものって難しい。
この年まで生きてきたのに、全然慣れていないなと思います。

なにか、他の理由にすり替えて、今まで物事を決めてきたのかも知れません。
いいひとでありたかったし、できる人と思われたかったし、気を向けられたかったのでしょう。

こうして書いてみると、やはり私は一人静かにこのことについては思いたいみたい。

わけのわからないことを書いて、読みにくくてすみません。

ところで、
この間御苑でたまたま一人でボーッとしていたら、
「一人ですかーー。誰かと一緒ですかーー。」
と見知らぬ 女性から声をかけられました。

私はとっさになんて答えたらいいかわからなくて、
「一人じゃないでーす」
などと答えたのです。
女性は安心したように微笑んで去っていきました。

そのことを、たまたまその時間別行動していた知人に話したら

「(障がいを持つ人が一人でいられることなど)何も知らなかっただけで、その方はきっと優しいひとだったんだよ」
と答えてくれました。
「なぜってふつうならば声はかけないから。」
そうか、これが人の気持ちを感じると言うことなんだ、とこの時思いました。

私は今まで、こういうことがあると、自分の都合ばかりがふくらんで、憤っていました。
社会的な問題点ばかりが目の前にあらわれてしまい、その方がどんな心持ちでその行動らにでているのか思いを馳せることができていなかったのでした。

わからないと言うことに怒ることはない。
自分だってどれだけわからないまま生きてきたか知れないのに。

わからない私と付き合ってくれた人たちがどれだけいたか知れないのに。

「そうだよね……」私が答えると、
「イヤなのはわかるけれどね」と知人。

私は、とっさのことだったけれど、女性の気持ちを受け取れてよかったなあ、と思うのです。
この瞬間、数年前の自分がまた遠のいたように思いました。
社会の問題も大事だけど、その前に人の思いを感じられる心をいつか持ってみたい。
知人のように。

こういうことがひとつひとつ起きていく中で、今回行かない選択をする私は本当にそれでいいのか、なんてまた迷うのです。
自分本位にまたなっているのではないかと。
世界を狭めているかもと。

心を自分で見極めて、一人で決めて、行動するって、ステキだけれど
ほんとに私できていなかったみたいです。

視野を広げないと、本当に世間を狭めちゃうかも。

2014年4月16日水曜日

入れ歯の世界

小さな、一本だけの入れ歯をつくっていただきました。
まだ慣れなくて、左右の歯のバランスがとれません。とくに肉などは、うまくかみ切れなくて戸惑います。
でも、思ったほどぐらぐらしないし、それは助かっています。
着脱も楽だし、もともとマウスビースのために入れ歯洗浄剤も使っていたので、抵抗もありませんでした。

肉などが食べにくくなるのならば、栄養のあるおいしいもので代替しようと考えています。

やはり、今お世話になっている歯医者さんに通い続けることができてよかったな、と思っています。
歯については、友人の苦労もみてきたので、入れ歯に対しても抵抗感があったのです。

大事に要ればと付き合っていこうと思います。

2014年4月13日日曜日

カウントダウン

50歳まであと少し。

私は何をやりたいのだろう。

私がやりたいことって、おいしいものをつくったり、友人と話したり、大切な人たちとの関係を深めたり、今はそういうことだけで、
組織的な動きの中で動きたくはないし、自分の考えがはっきりしないままただ流れの中に身を置きたくはない。
それははっきりしている。

私にとっての今までの仕事は、誰かが用意してくれたものの中で成り立っていて、私の中に根深くある、「人並みに生きたい」(つまり人並みに仕事を得たい)という欲を満たすものでしかなかったのだと思う。
私がこの身で何かを提供できていたわけではなかったのだと思う。

もちろん、世の中助け合って生きているわけで、できないことをおぎないあって人と人は関係を深めていくわけだけれど、提供していくという視点が、今までの私は違っていたのではないかと感じている。
私が今まで求めていたことは、「私が何かを提供していけるために整えられた場所」でしかなく、何かをこちらから本当に提供しようとしていなかったのではないだろうか。
そこが間違いだったのだと思う。
何かを提供する力というのは、人並みに何かが出来るようになるということではなく、自分が持って生まれた ものの中でひとさまに差し出したいがあるかどうかということなのだろう。なにも思いうかばないのなら、思い浮かぶまで学んでいく必要がある。

このからだと心で、できることは何なのか。
自分の欲を満たすのでなく、ひとさまに差し出せるものはなんなのか。

障がいがあることをいい訳にしないで、私自身がこの人生の中でできること。
残して害にならず、糧となるようなもの。
できれば、その選択をできる自分になりたいと思う。

では、自分で選ぶ人生とはどういうものなのだろう。
日々起こるいろんなことについて自分で考え、結論を出していくということは。

自分の思い癖をいろいろ考えていくと、なんだか自分の出した結論がいつも間違っているような気がする。
相手のことを思いやって行動するということが、とても難しく感じてしまう、というか、やっていると思ってしまう。
できてなかったことを知るたびに、ではつぎにどう考えたらいいのか。戸惑ってしまう。

悩んだら、学ぶしかない。
やってみて失敗するしかない。
それが今の私。

知っている方に教えを請うしかない。
そして、自分がやりたい小さなことを日々行い、いわゆる「人並みにあつかわれない」ことを私自身の真実の姿なのだと認識していくしかない。

と言うことで、「みんなが行くから行かなくては」のような発想は、私の中からなくそうと思います。
こんなふうに今人生が選べる環境にあるのも、先人がマイノリティーの生活環境改善の運動をして下さったからだと思うのだけれども。
そこを忘れず、感謝をしつつ、
そのために仕事を辞めたのだし。

なんだかんだいいながら、好きなように生きてこられたのだから、これからも思うように生きていけたらいいなと思っています。
できれば害をまかないように、残せる愛情のはぐくみ方を覚えていきたいと考えています。

2014年4月6日日曜日

気づき

人生を生きていく中で、物事を受け入れて生きていかなくてはと思ってきましたが、
「受け入れる」ことと「受け身」なこととは違うのだと、最近気がついて、
その違いをかみしめています。

確かに、生きる中で、自分の持って生まれたことや変えられない関係性(家族構成など)があり、与えられた肉体の限界や環境の違いはありますが、

それらを活用して自分の色で毎日を表現していくのは自分しかいないと。

今まで、自分は「受け身」で生きてきたということが、初めて自覚できたのでした。

ものごとに決めごとを見いだし、それに従っていく。
誰かがルールを変えたことに対して、自分が対応する方法を考えることもせず、準じてしまう。
考えていないという事実にさえ気付かず、現実を受け入れていると思っていました。

私が生きてきた道は「現実を受け入れた」道ではなく、「受け身の道」だったのです。

私が過去に書いた「あんドーナツ」という愚書にも、自分では気がつかなかったけれどもそんな生き方をしていることが著してあります。

施設と家庭の環境の違いで戸惑ったというくだりです。

肢体不自由児施設から出て家庭に戻ったときに、環境の違いに対応できなかったのは施設の環境のせいという気持ちで私はあのとき書きました。
でも実は違っていて、対応できなかったのは私の思い癖のせいだったのだと気付いたのです。

環境は千差万別で、家に住めない人たちもいれば、戦争の起こる地域で生まれる子供たちもいる、
家庭内でひどい扱いをされているこどもも大勢この社会では生きています。
私の置かれた環境は、そんなに悪くはなかった。栄養のある食べ物は三度三度食べられたし、毎日ではないけれどお風呂にも入れた、学校にも行けたし、お医者さんにもみてもらえました。

積極的に生きられなかったのは私の性格。ただ受けとるだけで何も考えてこなかったのは私の責任を果たしてこなかったということ。

目立とうとするのではなく、そう言う意味でなく、可愛がってもらおうとかそんな意味でもなく、ただ私として生きる努力をすればそれでよかったのです。
サボらずに本を読み、知識を身につけ、友だちを思う。どんなに小さなこどもでも、それはできたこと。

それが、たった先月までわからなかった。48年かかってしまいました。
受け身でいたことによって、多くの人たちに迷惑をかけてしまいました。

気付かせていただいた一期一会に、こころから感謝しております。

2014年4月4日金曜日

昨日のアンビリーバボー

テレビ番組の内容の話しです。
とっても怖い話しでした。
初対面の人に殺されてしまう話しでした。

被害者、被害者と関わる人たち、4人の視点から同じ出来事を映し出し、最後に犯人がわかるのですが…。
被害に遭われた方もその身内の方もまったく疑いもしなかった人が首謀者でした。

人の素性を見抜くことは本当に難しいと思いました。

人が感情的に自分本位に行うことは本当に怖いことがある、と言うことを見せてくれた番組でした。
ネットでのやりとりの怖さも。

被害に遭われた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。

そして心ない大人にならぬよう、気をつけて生きなければ。

2014年4月2日水曜日

抜歯と御苑とメンテナンス

抜歯はすぐ終わって、永久歯と永久にさようなら。
先生と話し合った結果、入れ歯に本決まり。
新しい世界がすぐそこにです。

御苑はいつになく人の波。
切符を求める方々の隣を通り越すのはすこし悪い気がしました。
お昼は飲むヨーグルトの少しいいやつを初めて買ってみました。
抜歯のおかげで、少しだけ贅沢。
桜もよかったけれど、巨樹とゆりの木が力強くて見入ってしまいました。

夕方からは身体のメンテナンス。
明日は友人とデート。
春爛漫です。盛りだくさんで、おかゆ食べても腹いっぱいな気持ちです。

2014年3月26日水曜日

幕張

大学の用事で幕張に。
久しぶりの千葉でした。

幕張はお初。在学中に大学本部に行ってみたかったので、いい機会でした。

でも、いきなり多目的トイレで非常ボタンの紐を触り、作動させて(わざとではありません)、トイレについての意見を学校側に伝えることになったり、使いやすいトイレを探すことになったり。なんかいきなりそんなことで時間を費やすことになりました。

いちにちを通して感じたことは、頭の中の世界と体験していく世界は違うということです。
頭の中の世界を広げていくだけでは、現実の世界と開きができて、その世界で生きていける人もいますけれど、私は苦手な分野なのだと自覚しました。

私の体や環境の現実は、静観して毎日を過ごせるほど自分自身達観できていない。それがわかったのでした。
研究だけでは理解できない、というかきっと今の私には向いていないみたいです。
認定心理士をとったら、大学とはお別れです。それを決めることができてよかったです。

学内のエッセイコンテストに選んでいただきました。先生方がどんなお気持ちを持って戴いたのかお聞きすることができました。
まとまった本が購入できる額の図書カードをいただいて、若者の気分です。
ちょうど本をたくさん買いたい、なんて思ったばかりだったので、夢が叶いました。
幕張はすこし遠かったけれど、出かけてよかったです。

2014年3月23日日曜日

ジュンク堂お初

池袋はあまり知らないので、教えていただきながらジュンク堂に。
本屋さんに行って、本を次から次へと欲しくなったのは初めてかも知れません。
他の本屋さんと、どこが違ったのでしょう。

確かに、図書館みたいだなあ、と言う印象を受けましたが。
水があったのかしらん。

新宿よりも池袋が行きやすくなるときが来るなんて、何年か前は思いもしなかったです。
新宿、とても好きだったのに。
交通事情で感覚なんていくらでも変わりますね。

ジュンク堂、私には毒かも知れません(^_^;)
資金がそれだけあれば別ですが。

久しぶりにシャーロックホームズ

久しぶりにシャーロックホームズを読みました。
「緋色の研究」。ホームズとワトスンが出会うシーンのある本です。
コナンドイルの第1作目の作品です。

アフガニスタンのことを知りたいと思ってテレビを観ていたら、この本を話題にして話を進めていた番組があり、少し興味を持ったのです。

10代の時、コナンドイルはよく読みました。
でもこの第一作目は初めてでした。

ホームズがワトスンと初めてあったとき、アフガニスタン帰りのワトスンの事情をいきなりホームズが言い当てます。
さすがに歴史小説ではないので、最近読んでいたたぐいの内容とは少しはずれましたが、コナンドイルは好きなのでいいひとときでした。
物語の後半はモルモン教徒をモチーフにした、「一連の事件」の背景が語られます。創作とはいえ、そんなに嘘は書けないでしょう。
最近とくに「宗教の難しさ」について考える機会が多かったので、そういう意味でもよんでよかったです。

2014年3月21日金曜日

自分の世界を決めると

ブーミ・プトラ(大地の子)という本を読みました。
インドの近代史です。

カースト制とヒンズー教の生活環境の中にイギリスからのキリスト教が入ったとき、市民に何が起こり、何が難しかったかがとてもわかりやすく書いてありました。
読む前までは、イギリスはインドを経済的・文化的に支配し、自国の糧として利用したという大まかなイメージがありましたが、カースト制や宗教色が強い中で、インド自体が自分の首を絞めた部分もあったのかなと感じました。
一般的に、宗教の弱い部分は、その考えに基づいた行動だけが「正しい」と信じすぎてしまう傾向があること。
科学や他文化を「間違ったもの」として拒絶してしまうことなのかも知れません。
それは「神」を明文化したものとしての宿命かも知れません。
人は、イマジネーションが無現に広げられる脳を持っているから、自分たちの本来立ち入れない(理論的に考えが組み立てられない)世界まで想像力を働かすことができます。
それに、自分のよこしまな思い(エゴイズム)も整理できませんし。
その中で考える「神」の世界だから、いろんなひずみができ、そのひずみを他の宗教や文化の違う人たちに向けてしまうのでしょう。

間違いを認めていくことも、人間力(生きていく能力)を養う必要があることなのでしょう。

歴史的にいろんなつらい思いをしながら、人類が戦争をやめられないのは、世界観をとらえる心が未熟だからなのかも知れません。
自分の心をいかに育てていくか、一人一人が地道に人生と向きあうことが、実は全体の平和につながることなのかも知れません。

2014年3月20日木曜日

 上の奥歯

とうとう、抜歯することが決まりました。
右上の奥歯。
今かみ合わせが悪く、すこし浸みます。

2年前にひびが入り、ひどいことになりました。
体の緊張による、かみしめが原因です。

この数年前から、マウスピースのナイトガード(睡眠時専用のマウスピース)を使っていたのですが、どの歯ももう擦れて平たくなっていましたから、夜だけケアしても間に合わなかったのでしょう。

その時点で割れた歯は、温存して使い果たすことを選びました。
あれから2年。右の奥歯はもう限界のようです。

抜歯のあとは、入れ歯デビューかブリッジにするか、少し考え中です。
入れ歯は毎日の手入れと着脱の手間があります。やっぱりブリッジかなあ。

虫歯や歯槽膿漏でなくても歯をなくすことがあるなんて、何が起こるか本当にわからないものです。

小さい頃から、歯だけはよくみがけといわれてきました。
でも自分できちんとみがけるはずもなく、誰に頼むこともなかったので、けっこう虫歯になることは多かったように思います。

一人暮らし後、東京に越してから、友人の紹介で今の主治医の先生にお世話になっています。それでも、一度きれいにしていただいてから数年行かなかった時がありました。

どこに越しても、歯医者さんだけは変えません。なにしろ私は小心者なので。。
忍耐強く付き合っていただいています。ありがたいです。
誰かに「いい歯医者さん知ってる?」と聞かれると、ここしか紹介しません。


今は、介助の方に歯をみがいてもらっています。
定期的に歯医者さんで歯石も取っているし、いい環境で過ごしています。

ナイトカードは、一番厚くて堅いもので作ってもらいます。それでも6ヶ月で壊れます。
アテトーゼ恐るべし。自分で自分の力が調整できないって、すごいものです。

それでも、薬で緊張を緩和したりそういうことをしていないので、少し考えれば緊張の原因は少し察することができています。だから、歯は削れちゃっても、比較的毎日を楽に過ごしています。

筋緊張はなくすことはできないので、まあ、これが私なのだろうと、割り切ることにしています。

ブリッジor入れ歯。
私の悩みなど、こんなささいなものです。


2014年3月18日火曜日

ソチパラリン

少ししかみられなかったけれど、NHKの放送で観てましたー。
スカパーではLiveでやっていたみたいだけれど、有料だったので観られず。

出来島さん、ちょっとくやしかったなあ。
バイアスロンかな、1競技でコース誘導のミスがあり、間違えずに着実に進んだ彼女が最後、「公平さを期す」ためにコース変更されてかなり多くすべらされることになってしまった。
冷静にインタビューに答えていたところを観ながら、スポーツ精神を感じました。

チェアスキーの大回転は、見応えありました。
車いすホッケーも、怖いぐらいだったし。

解説の方にひとり私のツボにはまる方がいらっしゃいまして。
毎回一言、選手の普段の様子とか、個人的な人格を思い浮かべられるようなことを付け加えて話す方。
おかげさまで、選手を身近に感じることができましたよん。

放送時間、30分はやはりもの足らなかったです。

旧川越街道は

旧川越街道は、やはり途中で川越街道につながり、また別々になっていくんですね。
昨日発見しました。

土曜日に立ち寄ったおいしい和菓子屋さんは「だんごの初音家」と言うところで、また少し買っちゃいました。
道明寺を少し分けてもらったら、これがとってもおいしかった(*^_^*)
もう一軒の評判店は、石田屋 というところのようです。残念ながら見つけられませんでした。
食べログで写真を見たら、バターまんじゅうがおいしそうでした。

場所はほんとに駅近。ちょっと道を間違えただけ。
きっと、たどり着いたら確実にまた買ってしまうので、止めが入ったのかも(なんちゃって)

上板橋の南口は、安い八百屋さんやおいしそうな惣菜屋さんもあって、少し狭いけれど満たされた道でした。
車いすトイレもあったし。でも電動車いすはドアの幅が狭くて入らなかったのが残念でしたが。

2014年3月17日月曜日

土曜日は

友だちとデートでした。
お正月に事故を起こしたショッピングセンターで待ち合わせをして、たくさん話したあと、介助の方と3人でよく歩きました〜。
東武練馬から家まで。旧川越街道と川越街道をずっと。
途中、旧川越街道沿いで和菓子屋さん発見。どら焼きをおごってもらいました。
このどら焼きが、あんこがぱんぱんに入っていて、栗が3つ入っていて、ホントに食べがいあってうまかったです。
見つけたのはかみいた付近でしたが、この付近にはもう一件評判の和菓子屋さんがあるんですって。

和菓子は日持ちがしないから買い置きはできないけれど、いつか誰かに食べさせたいどら焼きでした。
食べログネタを見つけられて、ラッキーでした。

数人でまちあるきもなかなかいいですね。めっちゃ楽しかったです。

しかしホント、この一年間よく町を歩きました。一年間観光した気分です。

2014年3月14日金曜日

神保町のカレー

神保町のカレーをお初でトライしました。
いつも素通りして、時間との勝負で帰宅していたので、なかなかトライできなかったのです。
昨日は予定の時間より早めに出かけたので、小さな夢が叶いました。
お店には入らず、お弁当でしたが。

人と話すことって、本当に大事なことですね。
臆しちゃいけないんだなあ、と改めて感じました。
臆さないことと配慮しないことは違いますね。

そう、私には癖があって、「自分は配慮される方」とついそういう頭になります。
わたしも、配慮する側の仲間に入らないと、見えるものも見えませんね。
町を歩いていると、ぶしつけなことによく逢うし、日常生活でも、ああ、ああ、そうなふうに考えているのね……という感じで人の気持ちを受けとめてしまうことが多いけれど、

自分が、自分の置かれている人生に積極的になるということは、自分から、日々置かれてしまいがちな立場を抜けて、違う視点に立つことなのかも知れません。
ここにいるよ、と人にアピールするのではなく、あなたを大切に思っていますと態度で伝えていくこと。
違う視点から、人を大切に想うこと。
それが今の私にできることなのかも知れません。

そんなことを感じながら、ある方とのひとときを過ごしてきました。
お時間を頂けて、本当によかったです。

2014年3月12日水曜日

大山の

気になっていた沖縄そばのお店でランチを食べてきました。
今日は日差しも暖かで、風もなかったのでチャンスでした。

その店は店内が少し狭くて、車いすでは入れそうもないのです。
でも外には少しだけ椅子とテーブルが置いてあり、店に入らない人でも休憩所として自由に使っていいようになっています。
今日のように暖かければいけると思い、たべてきたのでした。

私は久米そば。おいしかった(^_^)v
沖縄そば、本当は焼きそばが好きなのですが、その店では残念ながらたべられないみたいです。
でも久米そばはもやしがしゃきしゃきで、うまかったなあ。

「休憩所」とテーブルが置いてあるのは道路端。お店は商店街に面していますが、いずれにしても大型の車も通ります。
車いすが少し道路に出ていたので、時々大型車が通ると思わずよけようとしてしまったのですが、どの運転手さんもとても運転がうまく、よけようとして電動の運転レバーに手をかける私を制止して、難なく車を走らせるのでした。

のんびりした午前中。おいしいひとときでした。

2014年3月11日火曜日

この日は

3年前のこの日は自宅にひとりでいました。
きき手の小指をケガしたばかりで、あまり動ける状態でなく、だから揺れがひどくなったときも、出入り口代わりの玄関の窓を開けたり閉めたりしていました。

テレビをつけるとひどい現実が映っていました。
ネット上で友人の状況を把握するのに集中していたら、電話が鳴りました。
私を心配した妹からでした。

実家に無事を知らせる連絡を取ったあと、ずっと介助派遣を依頼している自立生活センターと夕方からの介助のことでやりとりしていました。
この日、私は生活のケアを受けることができました。
携帯メールを時々手動で強制受信すると、ある車いすの友人から「家に帰れないかも知れないからもしもの時は泊めて欲しい」というメールが入っていました。
 家がバリアフルなこと、私がケガしていること、とても狭くて車いすで動けないことで、うんと言えない私がいました。いつか友人が泊められる家に越さなければと思いました。

つぎの日に来て下さった方は、普通に私のケアをして下さいましたが、実は帰宅難民になっていて、朝ご飯が食べられないまま来て下さったのでした。
 一緒に朝ご飯をたべながら、泣きました。

 私は、それでもやはり自分の中に無神経さがあったように思います。

 都心は、一人一人の心の中に小さなパニックが起きていたように思います。
もちろん、甚大な被害を受けられた方々を思えば、とても小さなことなのですが。
人の恐怖や不安にふれるたびに、誰かが来て下さることで成り立つ生活の現実を感じ、生きていく意味を考える時間になり、心が揺れ続けました。
ただ1日1日、生活できていることに感謝をしようと思ったのでした。

知人の、この日の体験談を聴きに行ったのは、ずっとずっと後。
その間、知人を通して、都心に避難してこられた友人には会いに行くことができたけれども。

お米が買えなかったり、トイレットペーパー探しにさまよったりしたけれど、知人たちの体験を思うと、ここに書くことではないのかも知れません。

原発やエネルギーの問題が、人を大切にする方向に向かいますように。
被害に遭われた方々の状況がよくなる道を、日本が進めますように。


2014年3月9日日曜日

きづいたこと

夕べ考えて、気付いたことが一つ。
私が介助の方に求めているのは、
「私の行動に対しての責任を私自身がとりたい」
ということにつきるのかも知れません。

確かに、「出来ないことを出来るように助けていただく」ために
制度を使って介助の方に来ていただいているのですが、

私がイライラしたりしてしまうのは、
「私が本来行動すべきことをしてもらってしまったとき」みたいなのです。

よく介助の研修では
「先回りしないで下さい」とか
「言われたことだけやって下さい」などと伝えますが。
たぶん
「私の判断する場は手伝って欲しくない」
ということなのかも知れないなあと、思ったのでした。
私の場合は「判断や物事の「一般的な対応」そのものには支援はいらないのでしょう。

そこのところがうまく伝わらなかったとき、または明らかにやってもらってしまったとき、
私はイライラしてしまうみたいです。

自分自身が生きていないような気がしてしまうようです。

介助は人間関係の一つ。自分の体で完結できないさまざまなことを、人の手を介して実現していくのが私の生活です。
変なところで心を乱さないように、ひとつひとつ自分なりの答えを出していきたい今日この頃です。

アリソン

少し前のアメリカドラマにはまっています。

霊的な夢を見ることのできる女性が犯罪捜査に協力するドラマ。
海外ドラマにどっぷり浸かるのは久しぶりです。

どこに惹かれているかといえば、
ごく普通の家族の日常だからかな。
三人の娘と、エンジニアのご主人がいる、たぶんアメリカの一般的な家庭。
夫婦はとてもよくコミュニケーションをとるし、家庭内でのいろんなことは日常的におきて、確かに主人公の夢や感性が話しの中心だけれども、私はたぶんそれ以外のことで楽しんでる気がするのです。
たとえば夢の解釈を間違えていたい目にあったり、家族が大変になっちゃったり、自分の夢の意味がわからなかったり。
夢のせいで職を失ったり。
どんな能力がギフトされていても、それを使いこなしていくのは本人で、広い視野と経験がないとうまく行かないんだなあと変に実感するのです。
実在する人物の物語なので、話しがオーバーでないところも気に入っています。

家族が、母子や夫婦がたくさんたくさん話し合っているシーンが多いので、私にはそういう面ではまる要素があるみたいです。
こんなに相手の話を聞く家庭もあるんだなあと。
まあ、ドラマだから、ということもあるでしょうけれど。
今日は一人の時間が長かったので、見てなかったところを一気に観てしまいました。

もう寝ないと。本は明日読むことにします。

2014年3月8日土曜日

桐ヶ丘特別支援学校と

日大板橋病院を抜けて、桐ヶ丘特別支援学校と東京都総合医療療育センター(整肢療護園)のわきを通り、有楽町線小竹向原駅に出てみました。
家からは45分から50分ぐらい。帰りは地元の方に近道を教えていただきました。
でも一度ではなかなか道はわかりません。
方向音痴の哀しいところです。

私は埼玉の北にある施設で小中学校を過ごしたのでまったく知らなかったのですが、大人になってから地域活動でいろんな方に伺うと、「桐ヶ丘出身なんだ」とか、「整肢療護園に母子入園していたの」などという声をよく聞きました。

今の家が比較的近い場所だとわかり、本当に興味本位でそばを通ってみたかったんです。〈ミーハー〉

2時間のまちあるき。道を覚えるのはこの次ということで、とても満足です。
探しものも、実はあったし。

2014年3月7日金曜日

心をひろげて

最近、何冊か本を読み、映画や、テレビ番組を見て自分の中の認識を整理しています。

たとえば「差別」について。
最近読んだ本「それでも、私は憎まない」映画の「42」最近テレビでやった「朝日軍(カナダのアマチュア野球チーム。日本人のチーム)」、どれも差別を受ける立場に立った側が謙虚さを失わずに紳士的な態度をとって生きる姿が印象に残り心をうたれました。

差別を受けていると感じる側は、それについて忍耐を持って接し、かつ誇りと希望を失わないことが大切なのだなと再確認しています。
誰が差別をしても、まずは自分のことを自分から差別しないということ。最大限自分の人生の可能性を信じ、現実を踏まえながらも智恵とアイデアと思考力を持って突き進むこと。諦めないで生きていくこと。それが自分の人生に責任を持つことなんだな、と。

それには決して感情的にならず、物事を少し離れたところから見る力が必要で、その視点を養うには知識を得なくてはなりません。

今回、お風呂の湯船がなおらないことになったとブログに書いたところ、信頼している方が引っ越しという方法もあるとすすめて下さいました。
私が住みやすいと思われる物件もリンクされていました。
とてもとてもうれしく、積極的に生きる大切さを取り戻すことができました 。
私の状況を理解して下さった上での、あきらめない提案が、どこかで引っ越しを諦めていた自分を自覚させてくれたのでした。

差別のない関係性をつくろうとして下さる方と出会うたび、そしてその視点にふれるたび、差別心の強い自分を自覚します。
私が、環境に慣れてしまっているのです。
だから、差別をされない環境には、はっとします 。
自分も、人を愛する側だと、自覚しなくてはと教わるからです。

生活している中で「私は関係ない存在」という狭い中に入り込んでしまう、そんな時が多々あります。

ほんとうは社会で人がどう私をあつかうかは関係ないのです。私が人をどう見るか、私がどう人を理解し、どんなことがその人にできると思っているか、私が私の人生をどう見ているか、それが大事なことなのです。
が、視野が狭い私はどうしても自分の視野の範囲で世界を見てしまうのです。
だから怯えて、人のきもちがわからないときが多くなってしまうようです。

私は私に限界をつくらない。
昔々、ピアカウンセリングで教わったことですが、本当の意味で、もうそろそろできるようにならないと。

限界をつくらないということは、心を広げて、いろんな世界を感じること。愛する心を広げること。
そして、自分の可能性を広げていくこと。

それをいつの日も教えて下さる方々に、感謝しながら生きることを忘れないでいようと思います。。

2014年3月6日木曜日

戦後の ーー世界史そのにーー

日本から北朝鮮への帰国事業について、物語形式で書かれた本を読みました。

実話を物語としてやさしい語り口でつづられた本でした。

でも、読み終わるのに時間がかかりました。

現実に行われていることを受けとめるのがとても難しかったのでした。

貧しさと、統制と、終わらない差別と。

今の私の環境を見直すと、言論の自由とはこんなに豊かなこと、人の尊厳が与えられているということはこんなに豊かなことと確認できます。
「人は、こんなこともできる」
人はどんな環境もつくることができてしまう。
他人に対して、非情にもなるし、情をいだくこともできる。

人を分けて阻害することもできれば、あたたかく自分のことのように理解しようとすることもできる。

とこに住んでも、どんな環境でも、差別や無知がない世界はないけれども。
いろんな世界を知るということは本当に大事なことだと思います。

歴史的に日本も背負っているものもあるし、他人事とは思えず、別の本を読み始める前の心のせいりをしています。

いつか、本当の平和のあり方に、私たち人類が気付きますように。
私が自分の心の狭さに気が付けたように、小さな小さな奇跡がたくさんたくさん起きますように。
そして、今も苦しんでいるたくさんの人たちに、理解の光が差しますように。

私も、明日は今日より、未知なことに気がつく自分でありたいです。
自分にできることが増えていく自分でありたいです。

2014年3月4日火曜日

池袋で

久しぶりに友人と飲み。
火鍋というものを初めて食べました。

鍋を半分に仕切って、片側に辛いつゆ、もう片側にマイルドなつゆを入れ、しゃぶしゃぶのように野菜やお肉を食べる鍋。
お店もいい感じでよかったです。

帰りは東上線が止まり、バスで帰ってきました。
混んでいるバスにすっと乗せてもらったのもすごかった。。

午後から店探ししたり、おもしろいいちにちでした。

火鍋はいいなあ。うちでもやってみたくなりました。

2014年3月1日土曜日

世界史 そのいち

少しずつ歴史の本を読んでいるのですが、苦手な分野はなかなか頭に入りません。

最近、イスラエルとパレスチナの問題をわかりやすく書いてある本を、中学生向けも含めて何冊か読みました。

アラブ諸国とパレスチナの違いとか、シオニストのこととか、何も知らなかったので、今の難しさが、宗教と、関わった各国の都合と、差別との入り交じった結果なのだということを、少しだけ知ることができました。

やはり怒りを憎しみにしないで生きるのはとても難しいこと。そして相手のことを愛情を持って考えて行動することは、自分の心がある程度豊かでないとうまくできないのかも知れません。
きっといつも人はいい人になりたいと思って生活しているし、相手のことを考えているつもりでいるように思うから。
私がそうであるように。

真にできているかどうかは別の話で。

本当は相手のことを考えているようで考えてなかった、自分のことばかり考えていた、と自覚したときから、ゆっくり自分の時間が流れ出すような気がします。

でももし目の前で、自爆テロが起こり、攻撃されて人が死に、あからさまに生存さえ危ぶまれる状態が続いたら、きっと私はすぐそばの人を恨むと思います。
私の精神はまだまだそのあたり。自覚だけではきっと駄目。自分の心を育てる責任は自分にあるのでしょう。
知る努力をするしかないよね、きっと今の私には。うん。

2014年2月26日水曜日

ラストサムライ

最近、はまっているテレビ番組がいくつかあって、火曜日の「ありえへん…」もその一つ。
昨夜は、「日本人が行かない国」ということで、タジギスタンで内戦終結に尽力された、秋野豊さんと、
パナマで蘭を守る活動をされた、三浦ふづきさんを知った。

本当に私は知らないことばかり。

覚悟を決めて人生を生きるとは、この人たちのことをいうのだと思った。
テレ東の番組を観る割合が、多くなるな。

2014年2月25日火曜日

地下鉄の駅は

町なかの道路際にそってあるのだと、今日まで思っていました。
小竹向原に行って、その思い込みが壊れました。
住宅や、学校のある遊歩道の外れにあるなんて。
駅のまわりはちょっとした公園のようでした。

家からは、ゆっくり歩いて1時間。
近道はまだまだ探せそうです。

これで歩道がもう少し整備されていたら、板橋の道はもっとすてきになるのですけれども…。

2014年2月24日月曜日

「それでも、私は憎まない」

読み終えて。

パレスチナ人としてガサ地区に生まれること、生きていくことがこんなにも虐げられ、絶望と隣り合わせなのだということを、ほとんど物事を知らない私にもわかるように語ってくれる本でした。

個人の体験として、率直に、でも憎しみを含まないで書いてあったからだと思います。

著者は自分の体験を、全体化してとらえないーー。あくまでも個人の体験として、その場その場で出来事を対処し、物事を引きずらない。たとえば一つの出来事でイスラエルの人に何かされたとしても、その一つの出来事でその国の人をひとくくりにして判断しない。そういういきかたをしている人なのだそうです。

だからといって人生を運命に任せてしまうのではなく、諦めないで忍耐強く立ち続け、歩き続けて、自分の生きたい方向性を見失わない。

自分の人生を信じて、周りを見る目を失わず、自分に対する生きる希望を作り出していく。

過酷な現実が次々に起こる中、そういう心を持ち続けて生きていくことは、本当に人生に対しての真剣なチャレンジだなあと思います。

積極的に生きるということは、どんなに絶望を感じさせようとする環境であっても、希望を作り出しながら生き、何かの時には思考を正しく働かせるということなのですね。

私の生きてく環境は、本当に至れり尽くせり。なのに私は今のレベルでも、自分の心を保てないことがあります。

人生の旅を積極的に歩こうと、そしてその時できることはやろうと思いました。

2014年2月23日日曜日

邪道なやり方

今年も味噌を仕込みました。

原材料は、今年は大豆800g みやここうじ800g 塩320g。
今年の道具は、35度の焼酎、味噌瓶、ゴミ袋2枚、使い捨てのポリ手袋,ラップ等。
作り方は…

1 前日夕方から、大豆をたっぷりの水につけておく(今回は熱湯にして、2回に分けて入れてみました)

2 朝から大豆を煮る。(大豆は耳たぶの硬さに。小指とおやゆびでつまんでつぶせるぐらいまで)

3 ゴミ袋2枚と、味噌瓶(プラスティックでもできます)、ポリ手袋を消毒しておく。(いつも35度の焼酎でやります。ゴミ袋は少し焼酎を入れたら空気を入れて口を閉め、振り回して。瓶の中は焼酎をついでキッチンペーパーで拭くなど、煮沸は大変なので工夫します)

4 みやここうじは崩してばらばらにし、塩と混ぜておく(ポリ手袋をすると、お互いに気を遣いません)。

5 消毒したゴミ袋は2重にしておく。

6 煮えた大豆を火から下ろし、お玉で煮汁をきりながら、内側のゴミ袋に全て入れる。

7 入れ終わったらゴミ袋の空気を抜いて、口の近くをしばってもらいます。
 (ふくろに余裕がないと大豆をつぶすときに袋が破けてしまいます。)

8 外側のゴミ袋はしばらないまま、袋の上から好きなように押して大豆をつぶします。

9 つぶし終わったら内側のゴミ袋を開けて、塩を混ぜた麹を入れて、よく混ぜます。袋に空気を入れて外側からグニャグニャ押すとよく混ざります。ポロポロするようなら、煮汁を混ぜて、おにぎりのようにまとまるぐらいの水分にしておきます。

10 ポリ手袋をはめて、つぶした大豆をおにぎりの固結びのようににぎります(味噌だま)。
 味噌だまを作り終わったら、瓶に一つずつ勢いよく投げ入れ、一つ入れるたびにつぶして平らにし、空気を抜きます。

11 味噌だまを全て入れたら、まわりの汚れた部分をきれいに拭いて、塩でふたをします。そのうえにラップ等でふたをし、なるべく空気に触れないようにします。保管は暗いところに。素人なので、10月まで触りません。


毎年いろんな人と一緒につくり、たのしい時間です。
残った煮汁は、スープのだし汁に使っています。おいしいです。

2014年2月22日土曜日

それでも私は憎まない

「それでも、私は、憎まない」
今読み途中の本が、いろんなことを教えてくれます。
今の生活が、どんなにか、どんなにか恵まれていること。

主張が通る幸せというか、私はある程度の選択肢を与えられている。ということ。

絶望の中に希望を見つけていくことの、難しく、とても大切なこと。

次から次へとおそってくる現実に勇気を持って生きていくことは、本当に人間力がいります。
本当の生きる力。

私の今の環境は、やっぱり守られている。
たぶん、今の私が生きていける環境は、ここから始まるのでしょう。

今の私が、何ができるか。
考えて行動しないと。


2014年2月21日金曜日

浅田真央さんの演技

さきほど、動画で浅田真央さんのフィギュア・フリーの演技を観ました。

何かを乗り越えたとき、その人の美しさが増すのだと、そんな姿を見せられた気がしました。

メダルとか、名誉とか、期待とか、そういういろんなものから脱却した、演技だったように感じました。

心の中でどんな思いがあったのか。そのことを思うと、きちんとけりをつけて臨んだ真央さんに感服。
ああ、しっかり生きよう、何があったとしても、と思えました。

2014年2月20日木曜日

読んだ本

図書館から借りてきた2冊の本。寒い日が続くので、ホットカーペットの恩恵を受けながら読み終わりました。

「もっと知ろう朝鮮」
歴史に疎い私は、伊万里焼や有田焼の起こりさえ知らなかったんだなあと。今ある「日本文化」は、本当は他国の方々によって生み出されたものなんですね。北と南に別れたときのことも、この本でようやくわかりました。事実は知らないといけないですね。

イスラームから見た世界史
イスラム社会というのは、民主主義でも社会主義でもないもうひとつの社会なのかなと感じました。いわゆる世界史で展開されるさまざまな出来事が、西洋から見た出来事であるということを自覚した一冊でした。最近の世界情勢を見るとどうしてもイスラムに対して一定の味方をしてしまいがちですが、本来は実践的な宗教だし、生き方の定義のようなものなのだと思いました。

歴史を知ると、そこには戦略と殺戮とだましあいとそういうもののオンパレードなので、人ってそれ以外はないのかも知れないなあなんて思ったりします。
その時代時代の主人公は、自分が正義だと思いながらことを起こすみたい。
過ぎたことだから、こうして冷静に読めるのかも知れませんが、殺し合うことで文明を進めてきたのですね。
日本は歴史から何を学ぶのか。今の日本のあり方を見ると、国際的に今日本が何を学んでいろんなことを決断しているのか、私には勉強不足でわかりません。

私はもう少しいろんな本を読まないと。


2014年2月19日水曜日

ISP

ISP(池袋ショッピングモール)が改装するようで、数件の閉店がアナウンスされていました。
私はまだモール自体を知ってから日が浅いので、しかも興味は食品関係と限定なせいか、好きなお店は続くようで安心しました。

今回けっこう閉店してしまうようで、入れ替わりの激しさを感じました。

2014年2月17日月曜日

家の中は

今とてもにんにく臭い部屋になっております。
にんにく麹の下準備中。
たくさんつくるので、皮をむくのがたいへんです。
ネットで調べて、楽な方法をみつけたので、それでやっていただいていますが、じぶんの手で確かめられない分、どんなにたいへんなのか、やっていただく方とのやりとりから想像する私です。

雪のあとで野菜が高くなり、商店街を渡り歩きました。
長ネギが雪の影響で駄目になっているようで。ちょっとびっくりする価格でした。
今は安いところを探せましたが、もしかしたらどこも同じ価格になるかも知れません。

思えば今月に入って、ふき味噌もウドの酢味噌もウドの皮のきんぴらも食べて、春をひとあし早く満喫してきました。
青いしい思いをしたあとで、この雪でした。

これ以上被害が出ないことを祈ります。今週はまん中あたりがまた怪しいみたいなので。

こぶしの木はもうつぼみがふくらんでいました。


2014年2月14日金曜日

ベルギーで、

ベルギーで、安楽死の年齢制限が撤廃されました。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140214/erp14021409430001-n1.htm

生きるということがどういうことなのか、ちゃんと考え方を持っていないと、間違えてしまうような気がします。

病気などでものすごくつらくて、ものすごくいたくて、苦しくて、…私にははかりしれない苦しみがそこにあって、そういう状態に私は何も言う権利はないけれども、

生きることを諦める時というのはどんなときなのだろうと思います。

生きる苦しみから解放されたいときとは。
それを、家族がいる中で自分で選ぶ状況というものは。

どうしても私は、自分の考えにはまっていきます。

意志の伝えられない子が「不幸」だと思われたら。
こどもの辛さに、耐えられないゆえの選択であったなら。

生きることとは、命をまっとうするという責任は、健康といわれる体を持つ人にしかないのだろうか。それは違うだろう。

では安楽死ができるゆえんはなんなのでしょう。

まだ複数ニュース記事を読んでいないけれど、私が私として、陥りやすい発想ではなく、ちゃんと読み、とらえられることがまず必要なんだと思います。

2014年2月13日木曜日

おしゃべりが効いたのか

顔見知りの方にたくさんあったことがよかったのか、

体の筋緊張が今日はゆるんできました。

駒込がよかったのか、
道路が広くてリラックスしたせいなのか、
同行訪問が昨日終わってほっとしたからか、
いろんな感情が整理されたせいなのか。
単にホルモンバランスの問題か。
低気圧と寒さのせいか。

自分でも理由は探せません。

私はアテトーゼ(不随意運動)型の脳性まひですが、緊張の強弱が何によって起こるのか、48年体験していてもわからないのです。

大まかにはわかります。
栄養不足
カロリー不足
睡眠不足
出るものが出ない
ストレス
そして、ホルモンバランス

ストレスにはもっぱら弱いようです。とくに怖れと怒り。そして不安。

どの配分でどうなるのか、もう少し客観的に観察できればいいのですが。
なかなかうまく行きません。

不随意運動のおもしろいところは、眠ってしまうと出ないところです。
脳からの信号は、睡眠の間は問題ないのでしょうか。

だから、眠れないと体はたいへんなことになりますが、寝てしまうと休まるようで、疲れは普通にとれていくようです。あくまでも私見ですが。

そして、何があってもでんと構えられる精神をいつか持ちたいものです。


肉体のコントロールは本当に難しいですね。

久しぶりに落ちついた夕飯。からだが動くって、なんてステキなことなんだろう。
動かないときと動くときと、両方体験できるなんて、なかなか手にはいらない体ですね。

動かないときでも、そばにいてくれる方の存在に感謝して。
今日は痛みの少ない体を楽しもうと思います。

ひさしぶりの駒込

里帰り気分で髪を切りに駒込へ。
寒かったけれど、明日は雪になるという触れ込みに負け、前髪の重たさに負けたのでした。
美容院にたどり着く前に、「あかとうがらし(無農薬のお店)」の方とばったり。
ああ、お店にも行きたいなとお練ったけれど、今日はご挨拶だけとなりました。
覚えていて下さって、うれしかったです。

カットが済んだあと、六義園に。
友人とわずかなあいだ、話してきました。
笑いました、楽しかったー。

あ、美容院でもおしゃべりが楽しかったです。髪も軽くなりました。(お世話になりました。白髪の知識も教えていただきました。)

引っ越す前にとても近かった「グリーンコート」2階のレストラン、初体験。
食券を買うのかと思ったら、カード式でした。
カードを買って、あとはセルフで配膳して、食後に精算。
食券式の社員食堂の、食券なくなったかんじ。

住んでいるときにたくさん行く機会はあったのに、もったいないことをしました。
でもまたぜったい行くと思います。ドアは自動ではないので、ちょっと外から入りづらいですけれど。値段も食堂らしい価格でしたし。

帰りはJRの警備員さんとも話が弾み、よくお話しを聞かせていただいた半日でした。

駒込の道路はとても歩きやすく、板橋の道になれてきた私にとっては、久しぶりにリラックスできた時間でもありました。
憶測ですが、

歩道が広いこと。
自転車が少ないか、歩道をよける人が多いこと。
人との距離感があること

などが、車いす走行が楽だった原因なのかなあと思いました。

まだ、寄りたいところはたくさんあるので、時々は行きたいですね、駒込。

2014年2月12日水曜日

ぷちぷちとりっぷ

今日は、半分仕事モードで、私鉄、バス、地下鉄に乗って旅してきました。

ついたちにお世話になったショッピングセンターへのお礼
板橋にあるYWCAの位置確認

仕事モードだったのは、同行訪問(新しい介助の方への研修)があったからです。

お世話になった方にはお会いできませんでしたが、3人で(介助の方、私、研修生)で伺えてよかったなあと。

バス停がわからなかったり、相変わらず道を間違えたりしましたが、いいひとときを過ごせました。
 YWCAはお茶の水でいつもお世話になっているので、なにかできることがあるのであればと思い、伺ったのでした。
残念ながら、今の私にできることはなさそうでした(^_^;)

2014年2月11日火曜日

最近はまっているテレビ番組

考えてみると何年も前からテレビ東京の番組を見ることが多く、

「ソロモン流」
「なんでも鑑定団」
なんて、だいぶ前から飽きずに見ていますが。

最近は、月曜日の
「なぜそこに日本人」が好きで、毎週見ています。
19時からやっている
「youはなぜニッポンへ」
も、笑えるので、けっこう見ています。

「なぜそこに…」は、あまり日本人が漢江でも行かない国でひとり活躍している日本人にスポットをあてて特集する番組なのですが、
本当にいろんな国でお仕事している方々がいらっしゃるなあと。

たとえぱニジェールでお医者さんをしている方は、自分で病院立てたのにそれを政府にとられてしまったり。
それでも寄付金でもう一度病院を建てて、いまも活動されています。
昨日も、カメルーンやザンビアでこつこつと活動を続ける方を紹介していました。

共通するのは、どの人にもたくさんの試練があり、その試練を克服して活動を続けていること。
自分の身に起こる不幸よりも、つくす相手のことをいつも考え、思っていること。

行動できるって、すごいことだなあと思いました。

貧しい国は本当にたくさん。。
一人の人間がこれだけのことをやっているのだなあと。
身が引き締まります。

自分の環境がとてもとても恵まれていることを
改めて自覚しています。

2014年2月10日月曜日

今年のバレンタインデーは

JIMーNETのチョコにしました。
友人が年末に持ってきてくれて、デザインが可愛くて気に入ったんです。
ネットで購入できるとのこと。見てみたら少し高めな印象でした。

主旨もあるし。妥当な価格かも知れません。

今年は年明け早々、お世話になった方もいるので、友チョコはこれに決定。
先週、郵便物が来て、わくわくしています。

チョコは六花亭のもの。おいしいんです。

あ、今日お金払いに行かないと。後払いなんです。今時めずらしく。

2014年2月9日日曜日

緊張も絶好調

低気圧のせいか、体の緊張も絶好調。ここ何日か、ごはんを食べる姿勢にさえ困りました〜。
私の調子の悪いときを見たことのない、介助の方もいらっしゃったので、説明に困りました。(言葉というか声もよくでないし。)
こういう時多くの脳性まひの方は緊張をゆるませるために緊張緩和剤を飲んだり痛みもひどいので痛み止めをのんだりという選択をする方がおおいようですが、
私は幸か不幸か20代の時に薬をやめてしまいました。
そのころピアカウンセリングと出会ったからです。

ピアカウンセリングは「障がいを持つ自分の体を大切にする」という視点があり、自分の体に取り入れるものについても考える時間がかなりありました。
とくに私が講座を受け始めた頃は、そこの部分を強く伝えていく時期だったので、その影響だったのかも知れません。

自分で選んだ気にはなっていますが。

そのおかげで、どんなにつらいときがあっても、いつかからだがゆるむと信じています。

薬は本当によく効くのですが、眠くなったり変な風に力が抜けたりして、あまり自分の体の感覚ではないことが起きます。

一度、歯のかみしめによる痛みを改善するために、とてもよわい緩和剤を1週間服用したことがあります。
緊張はゆるんだ感覚がなかったのに、飲みおえたあと2ヶ月近くリバウンドが。
つらかったですね。

そんなわけで、雪も降ったし家に引きこもっていましたが、今日は都知事選だったので
久しぶりに歩いてきました。
あちこちでみなさんが雪かきをされていて、ありがたかったです。

投票所の小学校は、いろんな行き方があり、バリアフリーの道を知らなかったので、選挙管理委員会の方々に案内していただきました。
雪の積もった中を思いのほか安全に動けて、うれしかったですね。

さあ、明日はすこし体も改善するといいな。
こういう時は早く寝て、セルフヒーリングしまくります(^_^;)

2014年2月5日水曜日

天国で休めばいい 杉原千畝氏

杉原千畝さんのドキュメンタリーをみて、

いざという時に、決断しなければ行けないときに、広い視野を持って判断できるか。

そういう人間にいつかなりたいけれど、どうしたらなれるのでしょう。

とにかく、本を読んで、人と話して、私に起こるいろんなことを余裕を持って解決していくしかない。

たとえば今日、ある人に意見したけれど、
私の言い方は妥当だっただろうか。
私の思い込みではなかっただろうか。

愛情を持って言ってみたことだけれど、
他の言い方があったかも知れない。

どうすれば、一番その人にとっていい言い方が出来たんだろう。

たとえば伝わらないとしても、それをよしとしていいんだろうか。

天国で休めばいい
杉浦さんは言った。

私の役割を、私はどうやったら自覚して行動できるんだろう。
意見した人にたいして
私は役割を果たしただろうか。

2014年2月3日月曜日

明日は立春

知人とお別れをしてきました。

花小金井の駅は、以前訪れたときの思い出を感じる駅でした。
野方までバスで出ると、私の家から1時間少しで行けるところです。
池袋回りだともう少しかかったかも知れないけれども。

故人とお別れをしたあと、ご遺族の方とお話しをさせていただきました。
自立生活センターの研修室は、とてもあたたかな会場になっていました。


わたしの心だけが不可解でした。
自分の感情がどこかに追いやられたような、
理解しがたい自分がそこにいました。

ビジネスライクに活動していた私は、活動をやめたことで多くの関係をなくしました。
もちろん、続いているものもあるけれども。
背伸びをしない、生き方は、まだなれていないのかも知れません。
多くの時間を、私は背伸びをして生きてきたから。
今の状況が、生き方の結果なのだし。

忘れ去られることを、よしと思えた自分にもびっくり。
そう、覚えていてくれる人は確実にいるし、その人たちのことを私は大切に思っています。

知らせてくれた友人と会う約束をし、無事顔もみることが出来て、思いがけない人とも話
せて、故人に貴重な時間をいただきました。

Kさん、ありがとうございましたm(_ _)m

明日は、告別式。寒くならないことを祈っています。

2014年2月2日日曜日

友人になりたかった人。

友人にはなれなかった、とてもすてきだった人。

明日、その方と最期のお別れをしてきます。

昔、仕事面で接点があり、会議の席で話し合ったりした方。
東京に越す前後には、仕事面でお世話になったこともありました。

私が障がい者関係の仕事を全て辞めたあと、一度だけ電話をいただいたことがありました。
「もう一度ピアカウンセリングをやって欲しい」

私ももう道を決めたあとだったので、お断りいたしましたが、どんな気持ちでかけて下さったのかなと思います。

障害を持つ人たちの自立支援の相談や研修等、身を削って活動されていました。

障がい者運動から手を引いた私は、接点がなくなってしまい、もともとプライベートで話す機会はなかったので、今回はとても残念な再会になります。

すてきだなあと思う人でも、友だちまでお付き合いがいかないこともある……私が障がい者団体の活動を続けていればなんらかのかたちで出来たのかも知れないですね。

個人として、私として生きることとはどういうことなのか、そして友だちと時間を共にすると言うことはどういうことなのか。
きちんと考えながら、生きなくてはですね。


2014年2月1日土曜日

巣鴨カラオケのあとで

先月、友人といつものサシで(お互い介助の方がサポートに入るので部屋には4人いますが)のカラオケに行きましたが。
その時にちょっと気になったことがありました。

巣鴨の駅ビルの多目的トイレ。
巣鴨駅周辺には、駅のトイレを除くと多目的トイレはこの駅ビルにしかないので、けっこう車いすユーザーの私には重要スポットです。
久しぶりに利用したら、手すりがはずれそうでした。

友人に聞いても、ぐらぐらしてて使いにくかったとのこと。

なので、メールで点検をお願いしておいたのです。

昨日、その駅ビルから返信が来ました。

直して下さったとのこと。
よかった。

素早い対応でうれしかったです。

昨年から、これで3カ所の多目的トイレを直してもらいました。
それぞれ別のところですが。

そういえばあの日はトイレも混んでいて、ひとつしかない トイレは数人並びました。
オムツを替える設備も、オストメイト用の機具もあるので、みんなが使う場所なんですね。

本当は一般のトイレにも広くつくってあるカ所や、多様な設備が分散して置いてあればもっと使いやすくなるのでしょうけれど、なかなか難しいみたいで、多くのところがまだ集中型みたいです。
多目的トイレは家族で使うこともあるので、日本では男女別につくらず別個というかたちから、なかなか進化しないのかも知れません。

とにかく、手すりがなおってよかったです。
お礼メール、しないとね。

2014年1月31日金曜日

冒険者たち

Les aventuriers

という映画を観て、
「え、そういう終わり方なのー」なんて思ったのでした。

どんなシーンであっても、ドンパチは苦手。

でも音楽は好きだったし、3人の関係性はすてきだったかな。

アランドロンに魅力を感じないなんて、私はどうかしているかも知れませんね。

2014年1月28日火曜日

sakura

中板橋の300円バー、行ってきました。
開店していたから店内に入ったのですが、しばらく待っても誰も来ず。
いったん外に出て、となりのカレー屋さんに聞いてみたら、同じ人が経営しているんですって。
誰もいないのにはびっくりしました。

久しぶりに飲みたい気分だったので、グラスビールとジントニックをいただきました。
アジアンテーストの居心地よいお店だったせいか、長居をしてしまいましたね。カレーを家で食べてから出かけたので、少しのつまみを頼んだだけだったし。

2月、中板橋は「かにまつり」をやるそうで、なんでも商店街は蟹関係のものを売り出すみたいです。
その店でもかに料理をメニューで出すみたい。

そういえば、中板橋がドラマのロケ地になったらしいです。


たまには外で飲むのもいいもんですね、いろんな情報が入ります。

2014年1月26日日曜日

風強く

昨日は暖かくなるんじゃなかったっけ。

今日は風強く。

名刺を作ろうと思って、大山の文具屋さんに。

ここが2階でなかったら、いちにち楽しめるのにな。
品揃えが抜群にいいんだもの。

さあ、何かが動き始めたみたい。
よくわからないけれど。

この家を生かせる一歩が、思わぬことから始まるようです。

2014年1月25日土曜日

グッドタイミング

巣鴨で友人とカラオケ。
二時間半、サシで歌ってきました。

今日に限って、エレベーターも乗り換えのJRもものすごくタイミングよく、行く予定だった場所は断られたものの、カラオケ感でとてもいい場所が使えて、本当にいい1日でした。

今日学んだことは、

正しさを主張することよりも、お相手が何を求めているかの方が大事なときもあるのだということ。

そして、
あさつきはネギであると言うこと(なんか、知っていたはずなのに何かが結びついていなかったみたい。)

2014年1月23日木曜日

TOBE

とべ、とも読めますね…。
せっかく東上線沿線に住んでいるので、池袋を覚えようと思いまして、駅から近い百貨店から。
今日は北海道フェアをやっていました。

メインはカードなど文具屋さんだったかな。
ユニクロはささっと通り過ぎて、アロマオイルを嗅ぎまくって帰ってきました。

もう少し歩かないと様子が覚えられません。

でも遊んだという感じで、とりあえず東上線からの近道は覚えました。

時々行かないとはやっているものさえ把握できずに過ぎてしまいますね。

いい時間でしたが、おにぎりを持っていったので、どこでたべようかとちょっと戸惑いましたーー。

2014年1月22日水曜日

地下鉄で

「すみません、すみません」
地下鉄に乗り込むと、入り口近くに坐っている方から話しかけられました。
たいていこういう時は、
「車いすを一人で運転しているんですか」とか、
「介護されている方はえらい」と言う話の展開になるので、
そんな会話を予想していたのですが、
「駅員さんはどうしたら来てもらえるんですか」
と言う質問でした。

カートをお持ちの高齢のご婦人でした。

「駅員さんに直接頼むんです」と、私。
「携帯で?」
「いえ、駅に行ったときに」

その方にとっては、駅員さんが乗車のお手伝いに出てきてくれること自体が「信じられない」ことのようでした。

その方は、私と同じ駅で降りる方だったようで、駅員さんが車いす降車のために用意して下さっていたスロープを使って地下鉄を降りられました。
そして、
「たすかったわ」
と笑顔を見せました。

 日本の電車はホームと車両の幅があるところの方が今も圧倒的に多いですね。
 人が安全に乗り降りできる設計とは残念ながら言えません。

昔から車いすで電車を活用してきた私は、エレベーターもエスカレーターもなく、ホームと車両の段差も大きかった頃の大変さを少しだけ知っています。
対応する方々も大変だったと思いますが、設備も何もないことを知っていて乗ろうとする方も、心を奮い立たせる覚悟がいりました。

「なぜ今のじかんに来るの」「なぜいつも一人で来るの」
いつの日も繰り返された質問やつぶやきに、胸が痛んだものでした。

今、エレベーターなどさまざまな設備がつくられて、ないところは「おくれている」と多くの人が認識する社会になりました。
 でも、そんななかで、助けを求められない方々が確実にいらっしゃるんですね。

私は、1回1回駅員さんにお世話にならなくては利用できない電車より、車いすですーっと乗り込める(今で言う大江戸線のような)システムを望みながら鉄道や地下鉄を利用してきたし、必ず駅員さんに行き先を確認されなくては移動できないことに不自由さを感じてきたけれども、

これからは段差解消のスロープも利用したい人が頼めるしくみが必要になるのかも知れません。

私が知っている車いすユーザーのアクセスの歴史は20年ぐらいですが、
その間でもいろんなやりとりがあり、たくさん言い合いをしてきました。

スロープユーザーが増えていったとき、各鉄道会社はどのようにお客さまに対応していくのでしょう。
そんなことを考えた、副都心線の一コマでした。

2014年1月17日金曜日

初顔合わせ

可愛い男の子をだっこしてきました。
赤ちゃんは可愛いね

時間なんてあっという間に流れます。

最近、ついたちに起こったハプニングのせいか、周りの人によりいっそう気を遣うようになりました。
自転車も、歩く人も、思い思い。
そういえば、こちらに越してから、杖をついた方や、片麻痺の方の歩く姿をよく見るようになりました。
踏切とかも、渡っていらっしゃるのをよく見かけます。

そうだよな、みなさん、思い思い。
私も、それなりに自由に歩こう。


2014年1月14日火曜日

BUNKAMURA

シャヴァンヌの絵画を観てきました。
ゆっくり観たので、とてもゆったりとした時間を過ごせました。

東京都に住んでもう10年以上になるけれど、渋谷はどうも行き慣れません。
文京区で、山手線の内側にいたけれど、渋谷はいつも素通りしてました。
ぶらつくなら上野、巣鴨、あと新宿。
原宿はおしごとで行くぐらい。
池袋も苦手でした。

住むところを変えて池袋が新宿よりも身近になり、副都心線を使えばどうにか渋谷で用を足せるようになりました。
でもやっぱり、よほどのことがないと行かないかな>渋谷

今回は癒やされました。
Bunkamuraはまた行こうと思っています。
少し、料金高めですが。

2014年1月12日日曜日

休日

典型的な日曜日を過ごした感覚です。たくさん話して、とても楽しかった。
ながく入って下さっている介助の方は、たとえたまにしか会わなくても、その時間はおたがいの近況などに花を咲かせながら、いい時間を過ごすことができます。

何をやっていても、どんなことをしていても、時々介助に来て下さるというこの関係性には、とても感謝をしています。
いろんな方がいろんなかたちで介助時間を作ってくれることで、私の生活が成り立っていきます。

改めて、感謝。

2014年1月3日金曜日

初春恒例

カラオケinたちかわ

私は少し遅れたので、3時間ぐらいかな。

今年できっと12年目。毎年4人でやりますが、今年は一人来られなくて3人でした。
久しぶりに大きな声で歌い、運動した気分です。
明日から生活も普通に戻るし、今日は早く寝ようかな。

しかし、気持ちよかった。

高円寺までバスで出ると、平日は立川に出るのがとても楽です。
でも今日はひどい火災があったから、JRはなんとなく落ち着かなかったです。

そうだ、立川で新春初詣列車・大和号 なるものをみました。
高崎まで行くとのこと。今調べてみたけれど、ネットで私は詳しい情報をつかむことができませんでした。

レトロな茶色い電車でした。

今日歌ったうたのひとつ
http://www.uta-net.com/movie/75055/

障害のある人生

今日、ある方と自立についてのお話になりました。 先日ここに書いた内容のことを話したんだけれど… 以前からお付き合いのある彼女は、本に残して欲しいと言います。 私も書けるものならかきたいけれど、 どうやって書いていいかわからないというか、イメージがわかないというか、 ...