2014年12月31日水曜日

今年の個人的な出来事ベストスリー

ものすごく個人的な出来事べすと3 は

初めて小説を書いたこと
学位取得と認定心理士取得
産休で休んでいたHさんが介助に戻ってきて下さったこと

でした。

本当に個人的なことですみません


一期一会

2014年の終わりに、親と言い合いをして。
でも去年とちがっていたのは、わたしの心が晴れていたこと。
気になる人のことで言い合ったのだから、よかったと思う。

もっと若いときに、このような勇気があれば、お互いに話す機会があったのかも知れない。
私はたぶん、諦めていた。
子どもは、親とコミュニケーションをとることで、親からいろんなことを教わる。
親は、子どもと向きあうことで、自分を成長させていく。

私は、臆病だったから、その勇気がなかった。
流れるままに、受け身になっていた。
受け身でいると、役目を果たせない。生きることを果たせない。

思い切って家を出て、多くの人と出会い、ひとりで暮らすことで自分にひとり分の責任を持って生きられ、多くのことをひとさまに教えていただいたからこそ、今日が迎えられた。
本当によかったと思う。

今年は本当にいろんなことがわかった一年だった。
もう二度と、人をコントロールしようとしたり、上から目線でえらそうに見たりはしない。
そして、残っている人生の時間を有意義に、大切な人たちのことを考えながら生きてみようと思う。

大切なのは、人生を諦めないこと。
人の手にゆだねないこと。人の責任にしないこと。
そうだよ。がんばろ。

今年も両親におせちをいただき、お正月を迎えます。
妹からの暖かなベストで、今もぽかぽか。
ありがとうございました

2014年12月30日火曜日

始まりの年 今年一年の振り返り

今年は、私にとって大きな動きがあった年になった。
物理的と言うよりも、精神的に、意識的にといった感じだろうか。

昨年の今頃とくらべて、
動じなくなった自分、揺れなくなった自分。
まだ、今の生活に対しての申し訳ない気持ちは消えていないけれど、ただ自分としてなにも着せずに生きることの大切なこと、貴重なことを心から学んだように思う。

誰が苦手でも、誰が好きでも、大切なものを大切にして生きよう、そう思えた。
心は波立つけれど、今年知ったことを大事にして、一日一日を生きて行こうと思う。
今年は始まりの年。
あさってから始まる一年は、理解したことを少しずつ活かして行動する年。
目立たずともひとりの女性の人生を、かみしめて生きようと思っている。

2014年12月29日月曜日

大切な時間

大切なひととすごす時間は、本当に心が豊かになるものなのだな、とこの一ヶ月の経験で感じました。

友人や知人の話を聞くことがこんなに楽しいことだったなんて。

来年は好きな人たちとたくさんたくさん逢ってたくさんたくさん話を聞きたい。
そこに私の出来ることが眠っているかも知れないから。

大切に時間の流れを楽しみたい。
そこにもしかしたら私の役割があるのかも知れないから。

2014年12月25日木曜日

今夜のデザート フルーツゼリーれしぴ

昨日たらふく食べたのですが、今日もなんとなくうきうきしたいので仕込みました。

フルーツゼリー

☆材料
リンゴ
バナナ
みかん    …それぞれ適量

マンゴー缶
ミックスフルーツ缶

ポッカレモン 適量
野菜生活 ストロベリー&ラスベリー

いちご
ゼラチン

作り方
1 フルーツを一口大に切り、フルーツ缶とミックスする
2 リンゴは最後に切って、すぐに1と混ぜる。レモン汁を書けて混ぜておく。
3 野菜ジュースでゼラチンを溶かし、1と混ぜていちごを飾り、冷やす。

みかんは房ごとに堅い部分(上の真っ直ぐなほう)をはさみで切り取り、半分に切って入れてもらいました。白い筋はわざと取りませんでした。

ゼラチンは今回は板ゼラチンを少なめに使いました。できあがりが柔らかくなるといいなと思ったのでした。うまいぐあいにかたまるか。どうかなあ。

いちごはシロップに混ぜずに、容器に分けた際、半分に割って1個分ずつ入れてみました。

昨日の残りのかぼちゃパイと生クリームと一緒に、ワンプレートに飾っていただこうと思います。

自閉症の僕が跳びはねる理由

7年前に出版された本が、海外で話題になっているそうです。
NHKで放送されたものを先日あるところで観させていただき、購入しました。

番組で衝撃を受けたのは、この作家が率直にわかりやすく自分の障がいを語り、ひとつひとつの会話を自分のものとして見詰めている姿勢でした。

そしてもっと知りたくなりました。

「話せるということは、声が出せるということではありません。みんなは、そのことをちゃんと分かっていないように思います。
言葉を話せるようになりさえすれば、自分の気持ちを相手に伝えられると思い込んでいませんか? その思い込みのために、僕らはますます自分を閉じ込めてしまっているのです。         【東田直樹 自閉症の僕が跳びはねる理由 エスコアールから抜粋】

この一節は、話す基本について、私に大切なことを教えてくれています。
言葉をいくら知っていても、相手にきちんと物事を伝えるのはとても難しく、毎日の苦労が必要です。
障がいの有無に関わらず、ものごとは簡単なことではないんだよ、とさとされたような気持ちがしました。

私は、自分の中に、偏見がまだ大きくあったことに気がつきました。
私自身が障がい者で、しかも本を出版している身でありながら、本にレッテルを貼り、遠ざけようとしていたことです。

いい本はいい。変な本は変。
一冊一冊きちんと読み、自分の感性をみがこうと思いました。

そして、無限の可能性を示して下さったこの本を、大切にしたいと思います。


2014年12月23日火曜日

明日のレシピ かぼちゃパイと巻かないロールキャベツ

かぼちゃとサツマイモのパイ

☆材料
かぼちゃ      二分の一
サツマイモ     小さいの一個
紫芋        小さいの2個
パイ生地(冷凍)    大1枚 小1枚
卵           一個
牛乳          大さじ5杯程度
メイプルシロップ 適量

シナモン、ラムレーズン等 お好みで

☆作り方
1 かぼちゃと芋はふかして、適当につぶす
2 味を確かめて、メープルを適量入れ、卵、牛乳を入れて混ぜる
3 冷凍パイ生地を自然解凍して思う存分引き延ばし、お皿にはる。
4 2のあんを半分に分けて、お好みの味付けをする。
5 3に4を半分ずつ詰めて、オーブンで焼く。

オーブンは、その家庭の説明書に書いてある「パイ」の焼き時間を確かめて下さい。
うちのは、下段に皿をおいて余熱なし・200度・40分+5分
大きい皿と小さい皿の2個分出来ました。
今回はやらなかったけれど、卵黄を表面に塗るときれいに仕上がります。


巻かないロールキャベツ

☆材料
キャベツ6枚ぐらい
合い挽き    250グラムぐらい
人参      半分
タマネギ(小)   2個
パプリカ    1個
ピーマン    2個
エノキ     1袋
山芋      15センチぐらい
トマト     小1個
豚小間     気分で
コンソメ、塩、こしょう、にんにく、ショウガ  適量

☆作り方
1  合い挽きはキッチン用のポリ袋に入れて、塩とショウガ、にんにくでもみ、下味をつけておく
2  野菜はフードプロセッサーできざんでおく
3  1と2を合わせてよく混ぜ、オリーブオイルとこしょう、山芋のすり下ろしを加えてませる
4 鍋にキャベツと3を交互に重ね合わせ、最後に豚こまとトマトをおく。
5  水を250ccほど入れてコトコトと煮る。コンソメを加えてキャベツが軟らかくなるまで煮る

保温調理器があると便利です。
味はお好みで。トマトベースでも、野菜ジュースでも。
今回は冒険するのをやめました。

書いておけばいつかもう一度つくれるような気がしたので。いつも思いつきでアレンジしてしまうから。




2014年12月22日月曜日

人と会う3日間

週末は、友人と会い、仕事をし、出会いがあり、勉強し、忙しくも楽しい時間でした。

パエリアのやさしい作り方を伝授してもらったり、
新しい世界を教えてもらったり、

少しずつ関係性が深まっていくことを感じています。

板橋に越してきて本当によかった。心から思います。

毎日を思い切り生きようと思います。

いろんなことを知った今だからこそ。

2014年12月19日金曜日

冬の空

風はとても冷たい今日この頃。
晴れた日は空の色がとてもきれいです。

かなしいニュースが多い日々、それで自分の選びたいことは何?と、自問自答してしまいます。
私も多くをまちがい、それでも生きることを許されてきたように思うから。

何かを学ぶとき、本当にこころの奥でわかるまでにはとてもとても時間がかかり。それを助けてくれる人たちのもとでひとりの人の貴重な経験が成り立っている。

大げさに聞こえるかも知れませんが、これが私の今思っている学びについての見解です。

もちろん学校で学べることもあり、座学ですべてが理解できるのであれば、こんなにやさしいことはないけれど。

痛い思いをしないと、自分の心に響く経験をしないと、わからないこともある。

ひとつひとつの経験と、それに関わって役割を果たして下さった多くの方々に、心から感謝をしたいと思います。

そして、今世界中で起きていることが意味のないことにならないように、多くの方々の心の奥の経験になるように、そして次には少しでも多くの方々の幸せを導き出せるような出来事を私たちが行動して起こせるように、祈ります。

2014年12月16日火曜日

ナカイタカフェが

「板橋本」にも掲載されていたカレーとお酒のお店「ナカイタカフェ」が、
先日行ったらなかった!!!
飲み屋になっていました。

ちょーショックです。
あの焼きカレーがもう食べられないなんて。

2014年12月14日日曜日

フードプロセッサーでメレンゲ

今日は投票日だけれど、不在者投票を済ませてあるので、今日は雑用に没頭しようと思っています。

フードプロセッサーを新調しまして、昨日、さっそく実験してみました。
メレンゲが出来るかどうか。

道具はいろいろあっても使い勝手が悪いだけなので、ひとつの機械でいろいろ応用できたらこれに越したことはないと思っていました。

今度のフードプロセッサーはパンこね機能がついているので、パンこね用のパーツを使えば何とかなるのではないかと思ったのです。

いろいろネットで調べたのですが、本来フードプロセッサーのカッターは、食品をかき混ぜても泡が立たないように工夫が施されているようなのです。どおりでどこの説明書きをみても、メレンゲが出来ますとか、生クリームが泡立てられますとか書いてないはずです。

でもやってはいけないと言うこともかいていないので、やってみました。

生クリームの方が好きなのですが、単純に冷蔵庫に入っていなかったので、常備している卵で出来るものということで。

結果、少し時間がかかるけれど、出来ました!

きっと生クリームも出来るでしょう。

量として、卵2個分の卵白は必要みたいです。チョッパーの羽の位置が高いので。

よかった。より簡単にできる料理が考えられそうです。

ちなみに、出来たメレンゲはアップルパイづくりに使いました。

2014年12月12日金曜日

チョコ募金

JIM-NETのチョコ募金が今年も始まりました。
花の絵柄の可愛い缶にチョコが入っています。缶の絵はイラクのこどもたちが描いています。


チョコ基金は、
●イラクの小児癌医療基金
●シリア難民妊産婦支援
●シリア内戦に巻き込まれ傷ついた人たちの義肢の支援
●福島のこどもたちを放射能からまもる活動

に使われるそうです。

チョコは六花亭のチョコレートです。ハート型で、可愛いです。

戦争と平和

ロシアの貴族社会と、ナポレオンがいるフランスとの戦いを小説にしたもの。トルストイ作。
映画ではなくて小説を読みました。2ヶ月もかかってしまった(^^;)

ロシアの貴族社会の恋愛や日常生活や、軍隊の中のふつうの会話で大部分が進行していくようなイメージでした。
読み終わって、平和というものは心のありようで、そして自分で生きていこうとすることが大事なんだということはすごくわかりました。
歴史物の読み物にありがちないわゆる英雄はいないし(ナポレオンは出てくるけれどふつうの人だったし)貴族社会が多かったけれど、日常という感じでした。
よみものにもとめてしまうのは、やはりドラマなのかも知れないと、読みながらおもいました。

しかしなぜこんなにロシア文学って読みにくいんだろ。かたいというか、なんというか。

2014年12月10日水曜日

明け方の夢

久しぶりに鮮明な夢を見ました。

家族で生活している家に、ある日たくさんの人たちが越してきます。夢の中の私の家は大きな大きな一軒家で、部屋を幾つか貸すことになったのでした。
越してきた人たちはみんな私の知り合いで、いろんな悩みを持っていました。
ひとりの人が10人ぐらいの人たちをサポートしていました。
時折大勢の人たちが奥の部屋に集まって、どうしたら快適に暮らせるか知恵を出し合います。
大勢の人たちはいろんなところからやってくる人たちで、顔見知りも多くみられました。
私は住人の人たちと話すぐらいでしたが、いい時間を過ごしていました。

このような夢をなぜ今見たのか、自分でも不明です。

2日間ほど休みまして

今日からまた通常の生活に。

もともと自律神経が弱いみたいなのですが、最近は更年期ということもあり、一度不具合を起こすと2日間はバテていますね。

他にも原因あるかも。ちょっと考えないと。

いろいろ、小さなことにひっかかっていたりもしたのですが、
もう少し、自分のために投資をしようということをやっと少し思うことができました。

もう充分なものをいただいているし、とてとても恵まれた環境だし、関わって下さる方々にも恵まれているので、これでいいと思っていたのですが、

寒さ対策とか、
外に出ていくためのいふくとか、
自分を楽しませるものも、もう少しあってもいいかなと。

ないというわけではなくて、ちゃんと買っているのだけれど、どこかで遠慮というか、いいんだろうかという気持ちがあったように感じたので。

いただくものはひとつひとつ感謝をして、いただいて、生活をしていこうと。

自立生活って、制度を活用して生きるのもひとつの生き方、という位置づけがあったはずで、私はそれを実現する目的もあってひとりで暮らし始めたんだけれども、

長く働いていたら、仕事がある方があたりまえというか、人並みの生活のように捉えてしまった自分がいて。

仕事を辞めたら、再就職の口がないことぐらいわかっていたし、毎日働く力量も何もかも不足していると知っていたのだけれども。

なんかまだ、何かを求めていたみたいです。

心でわかることって、本当に難しい。
頭ではわかっていたことなのですが。

2014年12月6日土曜日

意識的に生きてみる

と言うことを心がけているのですが、慣れないせいかすぐに無意識に行動する私がいます。
口から言葉がこぼれ落ちてしまいます。

はっと気がつくと行動を覚えていない自分がいます。

夜になれば反省点がいっぱい。

そのうちうまくできるようになるのかしら。


プールのボランティアの方も、あるときおっしゃっていました。
「意識的に泳がないと、それはあぶない」

あぶない生き方は卒業しないとね。

2014年12月5日金曜日

赤ちゃんがいっぱい。

これから生まれる赤ちゃんも生まれて一年とか2年とかの子も。
私の周囲はそんな話でいっぱい。

今日も久方ぶりの電話の向こうで友人が

今月が臨月だそうで。


ワオ、ワオ、ワオ。

確か去年は一緒にクリスマスパーティーだったよね。

人生がどんどん変わっていく。


みんな、元気に生まれますように。

変な午後

ひとりの午後を有意義に過ごそうと朝から計画していたのに、

タブレットはおかしくなるわ、pcのネットはつながらなくなるわで、あっという間に時は過ぎていきました。

おかげさまで解決した今は、なにげなくネットが見られていることがどんなにありがたいことなのか、身に染みています。

日々は計画通りにいかないものです。

2014年12月3日水曜日

繊維筋痛症

今日のテレビ『ためしてガッテン』で、繊維筋痛症について特集していて。
痛みをはかる機械というものに興味を持ちました。

自分が感じている痛みと同じぐらいの痛みを感じる電流の強さで、その人の痛みを数値化する、と言う方法。

耳たぶを洗濯ばさみではさんだときの痛みを百幾つとすると、番組の取材を受けられた患者さんの五百幾つとか四百幾つとかいう痛みは尋常ではないと言うことがわかります。


人の痛みを理解するのは難しい。どんなに大変かを実感した番組でした。

2014年12月2日火曜日

平成のこめとぎ方法

テレビでやっていました。今は炊飯器も米も進化しているので、昭和のとぎ方ではおいしいごはんは食べられないんだそうです。

1 研がないで2回、水ですすぐ
2 水を入れずに20回かき混ぜる
  (指をカギにして混ぜる感じ。そのあと2回すすぐ)
3 水を入れずに10回かき混ぜる。2回すすいでできあがり。

水につけるのは2時間で充分、なのだそうです。

分解

フードプロセッサーが壊れました。
私が、岩塩を砕くというあほな使い方をしたのが原因なのですが。

モーターはまわっているので、どこかの歯車がはずれたのかと思い、中を見てみてみました。
案の定、小さなプラスティック製の歯車の歯が幾つもかけていました。
これは治りません。

中は思った以上に汚れていました。
食品が入らないように出来ていても、こんなに入り込むものなのだと実感。

でも、とても頑丈につくられていて、しろうとは分解できないようになっているのだと思いました。

でも、内部って本当に汚れるものなのですね。
掃除するにしてもネジとらないといけないし、思いもつかない……。
開けてみてよかったです。

あたらしいの買わないと。

2014年12月1日月曜日

やっと見つけました

ウェットティッシュの口につけるプラスティックのふたを見つけていたのですが、
池袋東武でようやく見つけました。

赤ちゃんのお尻ふきや携帯用のウェットティッシュに着けられる、粘着式のもので、何度も付け替えられるし、一度着けると片手で簡単にふたも開くので、私も使いやすいです。

赤ちゃんグッズは何かにつけて優れものがあるので、大好きです。

餃子の焼き方。

友人を誘ったら来てくれたので、餃子パーティーに。
餃子のおいしい焼き方をシェアしてもらいました。

と言っても私はうろ覚え。
遠くで観てたものだから。

どうやら次のことみたいです。

最初に餃子を焼き色がつくまでしっかり焼く。
鍋にお水を餃子の半分の高さまで入れて蒸し焼きにする。
水はしっかり飛ばして、鍋の表面で餃子が動くようだったらできあがり。

友人曰く、
皮の端をちょっと菜箸ではがす程度で餃子は鍋から簡単にはがれる。くっついてしまって何かで剥がさなくてはいけないようだとまだうまくできていない。
のだそうです。

餃子は焼くのではなく蒸す感じ、なんだそうです。
私もこんなふうにうまく誰かに伝えられるかしら。
ゆでちゃうかも。

2014年11月28日金曜日

昨日のごちそう

昨日は家飲み。しばらく会えなくなる人がたずねてきてくださったので、

つくね鍋とアップルパイを作りました。

好評でよかった。これからも連絡とれそうなのもとても嬉しかったです。

彼女からいただいた日本酒はとてもおいしかったですね。。

今までお世話になりました。そしてこれからもよろしくお願いします。


昨日の話とは関係ないことですが、最近よく思うのは、自分の心のありようについて。最近起きた小さくもわたしにとっておおきなできごとは、ものごとに対して謙虚さを持つことと、自分の感情に集中せずに相手の気持ちに焦点をあてることの大切さを教えてくれました。
周りの人たちはみな、私の鏡。私もその中にいるひとりであり、もしも気分を害するような経験をしたのであれば、私もそんな気分を誰かに与えていたのだと自覚しなくては。
そうすべてが自覚から。もう無意識的に生きてはいけない。そんな気がしています。

2014年11月25日火曜日

見守り案内

えきのホームで、こんな放送を聞いたことがあると思う。
「到着の○○、お客さまご案内」

「お客さまご案内」と言うのは、車いすユーザーもしくは視覚障害を持った方など、駅員さんの誘導によって乗車する方がいるときに使われる。車掌さんに伝えるためだ。

車いすで歩いている私が電車に乗るときは、必ず有人の改札を通ることになる。
電動車いすで電車の乗り降りをするには、たいていの場合段差解消のスロープが必要になるから。駅員さんがいないと私は未だひとりでは電車に乗れない。

もちろんひとりで乗り降りしている車いすユーザーもいる。手動の車いすを駆使する方はウイリーができる人も多いから、ひとりで前輪を持ち上げて電車とホームとの段差やすき間をひょいと乗り越えてしまったりする。手動の車いすは介助の方だけでも前輪をあげて乗車できたりする。大きい電動車いすは性能も馬力もあるので、電車ぐらいの多少の段差を乗り越えてしまうものもある。

私の乗っている電動車いすは、どのタイプでもない。介助の方では乗せられないので、駅員さん頼みになる。
駅員さんは、実際はかなり重いはずの持ち運びできる簡易スロープを、片手で軽そうに持ってくる。

そして乗車案内のアナウンスをする。

ただ、例外の駅もある。まだほんの一部だが、電車とホームの間の段差やすき間が解消されている駅が。

都内の都営地下鉄大江戸線がいい例だ。

この線に乗るときは私は緊張する。駅員さんに頼らなくても乗り降りが自由だから。
自由というのは責任が生じる。私は目的地でちゃんと自分で降りなければならない。
誰かが待っているわけではないから。
いかにいつも保護されているかを、こういう時に自覚する。

大江戸線以外にも、ひとりで乗り降りできる駅はある。
そういうときでも私は駅員さんに来ていただくけれど、このとき駅員さんは実際補助しなくても乗れるので、見守りのような存在になる。

その日も、私は改札で、下車する駅を告げた。
車いすでの乗車の場合は、必ず下車駅を申告することになっている。目的のえきのホームで駅員さんに待っていていただくために。
もちろんひとりで乗り降りできる人は言わなくていいのだけれども。

「○○まで行きます」と私。
「では、○両目のところからお願いします」と駅員さん。

電車の位置を指定されたので、ホームの指定の場所に行った。
そのホームは段差が解消されている。私はいつものように介助の方と話しながら、駅員さんを待った。

ホームに電車が入ってきた。
駅員さんは来ない。

この電車には乗れないのかな、と思っていたら、放送が入った。
「到着の○○、お客さまご案内」

えっ、駅員さん、どこで放送しているのかしら。

確かにひとりで乗れるので乗車すると、

「お客さま、乗車終了しました」

えーっ。

小さい出来事だけれど、駅員さんがそばにいない状態で乗車案内のアナウンスされたの、本当に初めてだった。

「見守り案内、だね」
「どこで見守っていたのだろうね」
介助の方と、またこんなことで話が盛り上がった。

本当に一部の人にしかわからない世界の、他愛ない、そしてめずらしい体験だった。

ささらさや

友人と昨日観てきました。

最初は、物足りないのかなあと思っていたのですが、ラストで大泣きしてしまいました。
この映画はとてもすてきな、見終わったあとに心に灯りがともる映画です。

いやあ、よくこんなに台詞を覚えたなあと、よく演じたなーと、そういうことで感動しちゃったシーンもありました。

やっぱり、そのときそのとき自分にとってベストな生き方をしたいなと思いました。

そして、視点を変えることの大切さも教えてくれた映画でした。


原作、ぜったい読みます。

2014年11月22日土曜日

最強の二人

とうとう観ましたー。
おもしろかったー。

気持ちのよい映画でした。実話に基づいた映画だけれども、女性版だったらどうなるだろうと考えずにはいられませんでした。
フィリップの忍耐強さには学ぶところがあったし、ドリスのセンスはすごく刺激的でした。

こんな関係性もおもしろい。ここまでぜいたくしなくても、今は制度があるのだし。気の合う人と密な生活もまたおつですね。

人生は一期一会。自分自身を出来るだけポジティブに保って、貴重な出会いを楽しみたいものです。

2014年11月21日金曜日

終結

ここ数年引きずっていた一つの思いが、今日解放されました。

私の中の執着や怒りがだいぶ整理されて、落ちついて物事を捉えられるようになったからです。

ずっと言わないままでいたことも言えたし。
友人がいてくれたおかげでもあるかな。
ありがたかったな。

意味不明な日記でした。

AIDで生まれるということ

最近読んだ新刊本です。

「精子提供で生まれた子どもたちの声」と言う副題がついています。

数十年前から行われてきた精子提供によって、多くの人が生まれていますが、大部分の人が自分が精子提供で生まれたと知らされずに生きているそうです。

知ってしまった人たちは、自分がこれまで積み重ねてきた親子の関係性の経験が根本からくずされることとなり、苦しんでいます。

血のつながった父親だと思っていた人は、自分とは赤の他人で、しかも父親が誰なのか誰もわからないという現実が、ある日突然自分にやってくるからです。

それもその事実は、家族が病気になる、亡くなるという自体になったときにわかることが多く、本人たちはいっぺんに多くの事実を体験しなければならない事態になります。

こどもが出来ないご夫婦にとっては、きっと希望の方法だったのでしょうが。
いつの日もそれぞれの気持ちをわかるということは本当に難しいことで、
何か自分の苦しみや悩みを解消するために方法を選んだときは、そこに巻き込まれる人たちがどんな思いをするのか、少しでもわかるよう努力をしなければいけないと考えました。


医学の専門家の気持ちはなかなかわかりませんが、一人の人間としてどこの視点に立つかが生きていく時に必要なことなのだろうと思います。

AIDで生まれるということ
非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ・長沖暁子編著
萬書房

2014年11月20日木曜日

愛するひと

この映画の印象は、ハッピーエンドでない、でも現実的に前を向いていくという感じ。
誰かが運良くてとか、ものすごく助けられて、とかそういうのではなく、何があってもいきていきなさい、なるようになるからベストを尽くしなさい、と言われているみたいだった。
どうしようもないことも、乗り越えて行かなくてはいけないよね。

今度は愛妻家

この映画は、何度でも観たくなるものでした。

夫婦の価値観の違いや、不器用な関係のようなもの、取り巻く人たちの人間くささのようなものがわかり、観てよかったなあと思いました。

心がおさなかったりすると、無遠慮になるもんだなということも。愛を受け取れないということは、甘えているということなんだなと。

またいつか、観てみようと思います。

バベル

すこし前の映画ですが、観ました。


言葉や心が通じないと、人と人はかなしいことになる。
傷つけあい、抑圧しあい、理解しようとしなくなる。
それぞれの不条理が映し出され、生きるということが孤独と結びつくもののように感じてしまう。


何も関係のない同士と思われたものがつながり、関係のない出来事などないといわれているような気もしました。
観てよかったなと思いました。
再度観るには、時間をおきたいとも思いました。

2014年11月19日水曜日

思いのこし

もうすぐ公開されるこの映画を、昨夜たまたま先行で観ました。

最初はどうなるかと思いましたが、暖まる映画でした。

ただ、広末さんが出ているせいか、「よみがえり」を連想してしまったのが惜しいところでした。

岡田将生さんがどーしよーもないやつに見えてくるから、映画っておもしろいですね。


そうだなあ、岡田さん(役名忘れました)の心の変化が、印象深かったかな。
あと、現代社会の一面を登場人物に映していたところも。
すべてをいわゆるハッピーでなく、現実を踏まえた結末にしていたところも。

2014年11月18日火曜日

ティム・バートンの世界

六本木の森美術館で来年1月初めまで開催されている、「ティム・バートンの世界」を観てきました。

チャーリーとチョコレート工場という言葉にひかれて。
この映画の原作がこどもの頃大好きでした。

最初から最後まで一貫した世界観でした。
この方には、人はこんなふうに見えているのかも知れないと、ひとつひとつを観ながら思いました。

爆発していたりかなしそうだったり、おどろおどろしかったり。
少しの間夢を見ていた気分になりました。

しかし、なぜナプキンに絵を描いて残したんだろう。
わざとなのか、書くものがなかったのか、意図的に選んだものなのか。

平日なのに、混んでました。土日はもっと混むのでしょうね。

2014年11月17日月曜日

赤カブのつけもの

八百屋さんでいい赤カブをかったので、
ピクルス風の漬け物にしてみました。

材料
 赤カブ   2個
 お酢    カップ1杯半
 砂糖    お好み
 赤しそジュースの残り  少量
 からしマスタード    大さじ2はい

赤カブは適当に切って塩で軽くもんでもらいます

お酢は沸騰させて砂糖を入れておきます

容器にカブを入れてお酢を注ぎます。

からしマスタードをいれて混ぜて1日おけばおいしく食べられます

時々カブの上下を入れ替えて、よく酢につかるようにします。今回は大きめに切ってもらったので多少食べにくいですが、いちだんとあかく染まったカブがとてもきれいです。ちなみに皮は、むいたあときざんで、同じ容器に入れてもらいました。

2014年11月16日日曜日

海の思い出

障がい者ダイビングのインストラクターKさんは、ダイバーの経験者である、障がい当事者の先輩が紹介して下さった。
当時、あるところでオープンウォーターの講習を受けていたのだけれども、あまりにも海が怖くて、うまくいっていなかった。なので、経験豊富なその方に相談したのだった。

Kさんはとても気を長くして、私と付き合って下さった。
当時板橋の蓮根にダイバー用のプールがあり、一ヶ月に一度そこで私はトレーニングを受けた。
レギュレーターでの呼吸が、レッスンの大部分だった。

私は本当に水が苦手だった。
なので別の知人が同時期に水泳のスクールを教えて下さった。

私は月3回水泳で水慣れしながら、月1のダイビングレッスンを受けた。

それでも毎回毎回、インストラクターには迷惑をかけた。

彼は決して
「怖いのになぜやりたいのか」
と言う質問はしなかった。
「怖くても、どんな気持ちでも、やりたいなら付き合う」
と言って下さった。

レギュレーターでの呼吸が出来るようになり、マスクをはずして水の中で呼吸が出来るようになった時期に、蓮根のプールが閉鎖になり、私たちは伊豆でレッスンを続けることになった。

土肥でのレッスンは、プールもあったけれど、海の方が多かったように思う。
彼はいつもていねいに、私を海に入れて下さった。
決していきなり潜らせず、出来るようになってから、慎重に次の課題を提示して下さった。

土肥の海を、顔だけ水中に埋めて、ゆっくり観るのが私は大好きだった。
怒られてしまうと思うけれど、潜らなくても、本当はそれだけでよかった。

初めてちゃんと潜水できたのはセブ島の海。
15分間のひとときだった。
セブの海はとても穏やかで、マスクも揺れることはなかった。
顔中にかかる水圧がとても気持ちよかった。

一番長く潜ることが出来たのは、沖縄だったと思う。
30分。
インストラクターが沖縄に越したあと、なんどかお世話になったレッスンのなかで、一度だけものすごくうまくいったことがあったのだった。

潜れたという実感までは持てなかったけれど、水中での写真を観るたびに、潜れたんだなあと感じる。

残念ながらカードが取れるまで出来なかったけれど、
「やりたいなら付き合う」
と毎回のように伝えて下さって、少しでも出来たところを見つけてほめて下さったり、私がつまづいたところを理論的に考えて整理して下さったことを、私はとても感謝している。
Kさんと出会わなかったら、海はただ怖いだけの場所にしかならなかった。
少しでもスキルを高められたことを、忘れないでいようと思っている。

思い出がたくさん、たくさんある。
このすべてを下さったKさん、ありがとうございました。

2014年11月14日金曜日

海へ誘って下さった方。

私を海に誘(いざな)い、セブで一緒に潜って下さったインストラクターが、亡くなりました。

最後にお逢いしたのは2年前。その時私はいつものように海に潜る前に失敗したのだけれど。

今は、どう書いていいかわかりません。

本当に人の出会いは一期一会。私はその時出来ることをしたでしょうか。

彼のことを考えて、行動できていたのでしょうか。

海の思い出をたくさんたくさんありがとうございました。
印象深いものばかり、本当にありがとうございました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

2014年11月13日木曜日

話をきくということ

カウンセリングは、話の聞き方というものが必ずあって、否定批判はしてはいけないけれど介入はするとか、クライエント主体とか、そのことを意識してカウンセラーはその時間を過ごすのですが、
ヒーリングの勉強をしていくと、カウンセリングの技術だけでは心の癒やしに結びつかないのではないかと思うこともあります。

あくまで私の考えですが、一歩踏み込んだ世界のような。

最近の経験を踏まえると、一歩踏み込めるかどうかは、私自身の心のありようのように思います。

話を聞くにしても、カウンセラーとして話を聞くというよりも、その方に対する思いの部分でその話をきちんと聞き、受けとめて、そのうえで今の私に何が出来るのかを考える必要があるのだと思いました。
カウンセラーがそれをしていないという話ではなく、私にとっては、カウンセラーとしての経験や技術と、ヒーラーとしての勉強が必要だったのだということなのだと思います。

話を聞かせていただいたからと言って、何かが好転する保証はもちろん何もなく、そんなことは大変おこがましい話になってしまいますが。

ただ、職業としてではなく、あやふやな立場で話を聞かせていただく機会がいただけそうな予感がするので、少し整理をしてみました。

もちろん、ヒーリングのお仕事はご希望があればさせていただこうと思っております。

2014年11月12日水曜日

舞台の予定

ふたりの知人がそれぞれ、演出し、主演する舞台の予定が決まりました。

楽しみです。ポスターの写真も知人です

ホームページがないのが残念。

ダニーと紺碧の海
(原作:ジョン・パトリック・シャンリィ)
キッドアイラックアートホール(世田谷区 明大前駅)
翻訳・脚本・監督  平野綾子

1月31日、2月1日

2014年11月10日月曜日

築地本願寺ふたたび

あたたかな日だったので 築地本願寺で時間を過ごしてきました。

満充電、という感じです。

XJAPANのHideのコーナーがあることに気付きました。

2014年11月9日日曜日

池上さんの番組


今夜は池上彰さんの番組で日本製紙の話しを見ました。
3年前のことを思い起こして、もっと出来ることがあったかも知れないと、そんな気持ちにおそわれました。

リンクは時折テストしないと

ヒーリングサイトの申し込みメールページが表示されない状態になっていました。
申し訳ありませんでした。

リンクがうまくいっていなかったみたいです。

今まで気がつかなかったなんて、それにもびっくりです。
気をつけなくてはですね。


手紙の下書き

天気が今ひとつだったので、書きたかった手紙を書くことに。

最初に下書きをしてから、便せんやはがきに清書していただきました。

下書きって、言葉の整理にとても必要なんだなあと改めて思いました。

ふたりで、静かな部屋でもくもくと、書いていました。
いいひとときでした。

おかげさまで、気になっていたことがすべて終わってすっきりです。

手紙は訪問者である……って誰か作家の方がおっしゃっていたけれど、お礼の手紙やいろんな手紙が書けてよかった。
いい日曜日でした。

2014年11月7日金曜日

区切り。

秋に書き上げた小説を、読んで下さったみなさんの意見をもとに、修正してみました。
よろしかったら、読んでいただけるとうれしいです。
これで完成とさせていただこうと思います。

率直な、心のこもる意見をいただけたことで、気付かなかったことに気がつき、なおすことが出来ました。
ありがとうございました。
ワコのあるきかた

認定心理士のIDも届き、私は一区切りを打つことが出来ました。

資格などは好きではありませんでしたが、これもなにげなくすすめてくれた友人に感謝しています。
ひとりでいたら、思いもつきませんでした。

雑誌がいっぱい届きました。勉強しなくては(笑)

2014年11月5日水曜日

いろいろリニューアル

久しぶりに個人ホームページのデザインを変えてみました。
少し地味になりました。(^^)

ヒーリングサイトも少し手を加えようと考えております。
少しずつ直し始めました。

カレンダーに予定が入るようになり、そろそろ風向きが変わる予感。
なんて、また意味不明。

今日は体のメンテナンスの日で、友人が施術に来てくれました。
じっくり話しが出来て、これも楽しかったです。

2014年11月4日火曜日

巣鴨の写真館

今月新しくオープンした、写真館に行ってきました。

写真館は、写真集「百歳王」を出されている、小野庄一氏のものです。ギャラリーが併設されていて、写真を観たい方も気軽に入ることが出来ます。

写真を撮影する場合、高年齢の方の年齢割引があるようです。

自分の家族がこんなふうに幸せそうに写っていたら、年月がたってもその写真を観ると元気をもらえるだろうな、そんな気持ちをいだくような写真が飾られています。

今日まではオープン記念で、ご夫妻がいらっしゃいます。

私は久しぶりに友人に会うことが叶い、いいひとときを過ごしてきました。
行きは久しぶりにとげぬき商店街をあるき、帰りは西巣鴨までの初めての道を(一本道ですが)。
今日は巣鴨は4の日ですね…。

百歳王写真館&寿ギャラリー

2014年11月2日日曜日

整理しておきたいこと

一つの出来事によって、いろんな気づきがあったのですが、この大事なことを二度と忘れないために、ここに整理しておきたいと思います。

●人に何かを伝えるときは、無意識にならないようにする。
 無意識というのは、気を許し、自然に出る言葉。私は根がネガティブなので、つい要らぬ言葉が出てしまうということに気がついたのです。
その人に出会ったことへの感謝が足らなかったのです。
感謝が足らないと、つまり愛情が持てないと、無意識に発したり書く言葉はとても冷たいものになります。
相手の方が本当に親しい人、もしくは、私に対して理解を持ち、言い返して下さるかたならば、私のその時の気持ちを汲んで、そのことに対して進言してくれたり、見守ってくれたりするでしょう。
私はそこに甘んじていたのでした。
私が心から人を好きになって、初めてお会いする人であってもその出会いを大事に思えるようになったら、きっと自然な言葉もすべてに愛情を込められると思いますが、そしてその日が来て欲しいと思いますが、今はまだその段階ではなかったということに気がついたのでした。

このことについて、今までも自覚をうながすような出来事はたくさんあったと思いますが、私は、そのひとつひとつの出来事に無感覚でいたみたいで、ただ犯人捜しをするだけだったのだと思います。
私も、同じだったのに。冷たい心を持った同じ人間だったのに。
ここに気がつくことが出来て、本当によかったと思います。

私は、自分が差別的な心を持った人間だという自覚はあったけれど、それがどこから来るのか、なぜそうなのかわかりませんでした。
今まで障がい者運動や、人権運動をしてきて、そしてプライバシーを守ることについてとてもこだわってきたのですが、ルールのないところで、では私は他の人の尊厳を守れるのか、そこにひっかかりのようなものを感じていたのでした。
今回私の身に起きたことで、身をもって、私は人と出会うことそのものを大切にし、真摯にならないといけない、と心から思うことができました。
こだわりがひどかったのは、私が出来ていなかったから。
人の人権を守るということは、人を愛しているということなんだと思います。私の人権を守って欲しいと思い続けていたのは、私を愛して欲しいと思っていたからなのだと。
私には、人を愛していく(理解していく)力が足らなかったのです。大切なのは愛される事ではなく、愛すること。つまり理解されることではなく、理解していくこと。やっと自覚できたのでした。

そして、身から出たさびは、いい訳などせずに自分で拭き取ることが大切なことだということも学ぶことが出来ました。
だいぶ痛かったけれど、起きたことは取り戻すことは出来ないけれど、自分の行動が発端なので、基本を忘れないようにしたいなと思っています。

これからはたぶん、少し人との付き合い方が変わってくるように思います。
自分の心には自分が栄養をあげないと。いい友と話し、いい環境に出かけ、たくさんいい空気を取り入れたいと思います。

そして私の心ない言葉で、きっと深く傷ついてしまったたくさんの人たちに、報いていけるような心を育てていきたいと感じています。

2014年11月1日土曜日

貴重な機会

友人の力添えで、体験談、生い立ちを話させていただきました
ヘルパーさんのフォローアップ研修でした。

ここ何年かは、別の友人から毎年招かれる講演会で話すぐらいしかこの仕事はなかったのですが、久しぶりのお仕事にちょっと緊張。
でもみなさん喜んで下さって、ホッとしました。

久しぶりに「あんドーナツ」も買っていただきました。

帰りは、大山にあるケーキやさんをおしえてもらって、おいしいケーキをいただきました。

古い友人も顔を見に来てくれたし、温かい気持ちをいただいて、何日かぶりに心から笑いました。

友だちはすてき。ありがとう。本当に。

2014年10月31日金曜日

本。

読めるかなと思って今借りている本があるのですが。
ものすごくながくて、ややこしくて、すすまない(^_^;)
小説だからもう少し早く読めるかなとたかを括っていたのに。

名作だからしかたない。でもあと半月ではきっと全部読めません。

それなのに、一冊本を買ってしまいました。

やっぱり、私、計画性がありません。

読み終わったら、twitterの方にいつも感想を書いています。時々ここにも書きますが。
約四年で150冊。
本は読んでいるようで、あまり数読めないですね。

数年前、ある作家さんが、
作家を目指すならば、本を1000冊読むこと
とおっしゃっていましたが、

私は今生では、無理そうです。

原作を読んでいたので、内容は知っていました。

豊川悦司と江角マキコが熱演で、人のいとおしさというものが染みとおっていくような映画でした。
大切なものを映画に残したというような。


人を愛していくって、すてきなことだな。

さよなら渓谷

被害を受けるということは、苦しみをとてつもなく背負うことで、
人は、他人の傷に対しては、本当に無神経になれるのだと、その無神経さが今の私でもあるのかも知れないと思ったのでした。

人生が狂っていく苦しさを全部背負わなければならないそのつらさというものが、理不尽なつらさというものが、伝わってくる映画でした。

ツレがうつになりまして。

こわれずにいたから価値がある。

骨董屋で見つけた小さなガラス瓶のことを、店主にそう表現されて、主人公が買う決心をするシーンがあります。

やさしく、心がつつまれるような映画でした。
こんなふうに、人と関係がつくれたら、人に接することが出来たら、
私はもっと幸せになるだろうな。

沈まぬ太陽

長い映画でした。今見終わりました。

人の誇りと、誠実さ、生き方を捨てないこととは、道の厳しいものなのだとあらためて。
その選択でその時々親しい人が傷つき、そこをどう受けとめてどう生きるかということを私に語りかけてくる映画でした。

私としての生き方を捨てないとはどういうことか。私に対して責任を持ち、私の選択から逃げず、そしてひとに対して誠実であること。
人にあらぬ怒りを向けないこと。

きっと今わからなくても、起きたことに対して誠実に嘘をつかず向きあっていけば、いつか答えがわかる瞬間があり、人生を受け入れられる。
それを伝えてくれた映画でした。

アントキノイノチ

さだまさしさんの原作ということで、この映画を観ました。

つらいけれどやさしい映画でした。

本当に、人は冷たくてやさしく、幼稚であかぬけていて、わかっていないところとものすごく理解しているところとあって不完全。
人のことを考えているようで全然考えていなくて、思いやっているつもりで自分の中に閉じこもっていて。

それでも好きだなって思える人が出来て、そばにいてみようと努力してみる。
人を助けたいと思ってみる。
でも自分がどういう人間かは見えない。

そういうことが、この映画を通して私に語りかけてきました。
もう一度観たいと思えたから、お気に入りです。

2014年10月30日木曜日

思い込む

自分の行動の浅はかな部分に気がついたとき、未熟な部分がうずきだします。

私は他人をどう思って生きてきたんだろう。そう思い返す機会を与えられたことに、今は感謝したいと思います。
そして、どうしたら今の心持ちに整理がつくのか、じっくり考えていきたいと思います。

本当に、こうして不自由なく生き続けられていることが、恵みなのに。

2014年10月29日水曜日

池袋から徒歩

池袋から徒歩で帰れるかどうか試してみました。
意外に近くてびっくり

でもこれで池袋飲みが身近なものになりました。

歩いて帰れるということは、いざという時安心です。

まるでひとり防災訓練だねといいながら、道を覚えました。(ひとりではないですが。)

池袋に行ってしまうと、
つい、ツタヤに行ってしまい、
また、5枚で1000円という甘い誘惑に勝てませんでした。

今回は

沈まぬ太陽
さよなら渓谷
連れが鬱になりまして
アントキノイノチ


を借りました。

今日一つ見ましたが、また別の機会に感想を書きます。

観たい映画はたくさんあるけれど、読みたい本もたくさんあって、書くこともあったりして、
時間をもてあそぶ暇がないことには感謝をしています。
あとは調整力。
沈まぬ太陽は3時間半もあるんだ、なんて、借りてきてから思う計画性の皆無な自分。

とにかく。
歩いてDVDを返しに行けるかも。その気なら。


2014年10月27日月曜日

米袋の使い道

引っ越しして1年半。いい加減外の物置を整理しないといけないと思い、米袋を購入。
一枚10円で売っていた米屋さんがあったので。

この、売られていた米袋をみて、ピッと来たんです。

物置に眠っているのは、大量の「あんドーナツ」。
食べ物ではなくて、昔書いた愚書です。
段ボールもつぶれて、悲惨な状況に。

それで、今日、米袋に入れ替えていただきました。

よかったぁ。
買ったかいがありました。

米袋、じょうぶだー。

おかげさまで、おかげさまで、だめになったあんドーナツも処分が出来ました。


ひととき

たまにうち飲みをすると、楽しくて元気になります。
今回も、4人でいい時間を過ごせました。
おいしい物をたくさんいただいて、幸せでした。

紹介していただいた本が気になるので、読んでみようと思います

今回用意できたメニュー

豚バラ鍋
チリビーンズ
もつ煮
野菜スティック


2014年10月25日土曜日

おかげさまで

日本心理学会から、請求書(振り込み用紙)が届きました。
おかげさまで、IDが届けば認定心理士です。

アドバイスや励ましを下さった先輩方、どうもありがとうございました。
活用できるが未知数ですが、お金を払って手続きを済ませようと思います。

2014年10月23日木曜日

少しだけ不思議なこと その2

朝。
お風呂のバランス釜のまん中に
黒い小さなやらかいものが

えーっ もしかしてこれって
子ネコの●●ちーーー?

どこから入ってきたのかは察しがつきました。
昔の家だから、
バランス釜の下側の壁に大きな空気穴が開いているのです。
ネコならば通れるぐらいの。

量からいって大人のじゃない。

ねずみのぢゃないし、
明らかに猫。
いや、ハクビシンとか、それ系のイタチかも。

でも、子ネコが、高さ80cmぐらいのバランス釜の上で
●●ちだけして行くかしら。
やっぱりイタチかも。

そうぞうははてなく、
この家の不思議は続きます

2014年10月22日水曜日

キャッチ

昨日、知人とメールで会話した。

気がついたことが1つ。

もしかしたら、私だけが一方的に関係を続けたいのではないのかも知れないということ。

もしかしたら、もしかしたら。

私はやっと、知人の思いを少しずつ、キャッチできるようになったかも知れない。

2014年10月20日月曜日

秋は

柿とカリンとざくろとアケビと。
まちなかをかってに観賞しています。
キンモクセイも今年は少し長めに咲いているようです。

久しぶりにオーラの泉を検索してみてみました。
今だからこそ理解できることがあったりしました。

諦めも肝心

今までのことを振り返ると、やってみようと決めて9年目ぐらいに自分なりの結論が出ることが多い。
お仕事も、習い事も、趣味も、人間関係も。小さいことも、たいそうなことも。

ここ数日で思うのは、それが向上心でなく執着ならば、やり続けない方がいいかも知れないということ。
愛情からでなくエゴイズムだと気がついたら方向転換した方がいいということ。
惰性で続けているときがついたら、やめてみる勇気が必要だということ。

せっかくある根性も、頑固の原因にしてしまうから。
やっぱり毎日行動や思いを振り返ることは必要なんだなあ。
そうしないと(そうしていても)なかなかなかなか気がつかない。

2014年10月19日日曜日

駅で。

隣の家がなくなったので、今私の家は日当たりベスト。家にいながら猫になれます。

昨日、駅の改札に行ったら、怒っている男性が。
どうも、女性駅員さんの対応がお気に召さなかったようです。
無言になっている彼女の横で、男性駅員さんが懸命にフォローをしていました、
お客さんは、最後はどうにか機嫌を直して、雑踏の中に消えていきました。

なんだか昔の私を見ているような。
こんなふうにフォローされて、怒りをどうにか収めていた頃の私。
つい最近までの私。

無言の女性は、鋭い目をしていました。
何があったのかわからないけれど、なんだか私も、過去にこんな目を相手にさせてしまっていたように思ったのでした。

確かに。納得いかないことはたくさんあるし、あからさまな対応をされたこともあったけれど。
そんな不公平な世の中で、ユーモアと知恵を駆使して生きるって、チラッと互いが少し反省しながら過ごすって、どう心を整えれば出来るのだろうかと思いました。

2014年10月17日金曜日

少しだけ不思議なこと

その1
数日前、トイレでのこと。
用事が終わった後、便座を見たら、はってあったはずの便座カバーが片方なくなっていました。
座るまではあったのに。

はがれてズボンなどにつくことはよくあることなので、いろいろ点検したけれど、ど、どこにもない。。

まさか、流れた?
あんな長い大きなものが?

確かに、少し薄めのものは使っていたけれど、流れちゃう物なのか…。
でも、その後もトイレはなんにも異常なく、快調に流れております。
気のせいのはずは無し。未だに見つかっていないし。

その2 
「あずきのちから」というあたため商品。厚めの肌ざわりのいい生地で小豆をくるんであり、レンジでチンして肩などをたためる奴。
ソファのしたにしまっておいたのですが。
先日見たら、あずきがあちらこちらにこぼれてる!!
そして、人差し指が入るぐらいの大きな穴がふくろに開いている!!

食べたのは、誰だろう。

Gさん(布をこんなに食いちぎれるンか)? チューさん(ふんがないからちがうと思うけど)?
コオロギさん?蛾の幼虫さん?

私にはわからない…。

2014年10月15日水曜日

眠くて

よくねている私です。

今日は久しぶりに野菜を大量に仕入れてきました。
食料があると幸せになります。

なんか、昔のわたしの感覚が、あの、何も空気を読まずに生きていたえらそうな間隔がなんだか懐かしく思ったり、変な日でした。
まちで買い物をしていても、人との対話のなかで、昔の私が亡霊のように思い起こされるのです。
ああ、こういうシーンでいつも怒っていたなとか。
この気持ち悪さをがまんできなかったのだな、とか。

自分の感情に集中しないで、人の立場に立つって、ほんとに私には難しい。
でも仕事しているときは、そんなことさえ考えられなかったのかも知れません。

同じ轍は踏まぬよう、しっかりしないと。

2014年10月13日月曜日

今年も

二月に仕込んだ味噌を開けました。
明るい茶色の見栄えのいい(てまえみそ)味噌が出来ていました。

しばらく楽しめそうです。

今週も台風。
被害が出ませんように。

2014年10月12日日曜日

風景

出かけ先から帰ると、隣の家がすっかり解体されてなくなっていました。
窓から見える景色は夜の空。
明日の朝が楽しみ。どのぐらい日が当たるのかしら。
そしてどのぐらい丸見え感があるのかしら。

あ、もう今日でした。
お休みなさい。

2014年10月9日木曜日

沈まぬ太陽

パソコンに向かう気が起こらず、本を読んでいます。

今読んでいるのは、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」。
小説という書き表し方の威力に、ただ尊敬するばかりです。

他面から1つの出来事を書いていくということは、登場人物の心のひだがわからないとかけないことで、読み進むと、主人公のいい知れない思いの他に、各人物の思考の底にある背景や心根が言葉になってやってきます。
今、本を読む時間のあることに、とても感謝しています。

もちろん、膨大な参考資料があるのでしょうが、
作家としての確信のような考え方を感じます。
作家はすごい。

今生は無理でも、こんなかたちで社会に多面的に切り込めるような文章を書く智恵を、培っていきたいと思いました。

残りあと一冊。今図書館に予約しました。

2014年10月8日水曜日

冬支度

上板橋の衣料品屋さんで、インナーを何点か買い求めた。
今年はもう下半身が冷えているから、早めの準備。安くて手頃な物があってよかった。
最近はまた上のあさい物がおおくて、おへそまでキッチリあがるズボンや下着が探しづらい。少し地味だけれど、インナーはここで買おうと思う。変にオシャレな物は、とてもはきにくいから。
その代わり色などはじっくり選んで気に入った物にしようと思う。

この駅近の和菓子屋初音家さんのどら焼きが、久しぶりに売り出されていた。
これからの季節は、このどら焼きを買いに来ようと思う。

あかい月

夜、介助の方と月食をぼんやり観ていた。

私は取らなかったけれど、その方はなかなか写真が撮れないという。みると本当に、何度写してもふつうの満月に見えた。
肉眼とカメラを通しての見方は違うんだと実感した。

月にあやかって、宇宙の話しに花が咲いた。月蝕のしくみや、日食のこと、引力のこと、恒星のこと。
どこまでがあっていて、どこまでが間違いなのかわからないままに。

すべて地球の影に隠れたときは、光沢のない赤茶色のおできのようだった。
不可思議な物が空に浮かんでいるような変な感覚に囚われた。
なんとなく、気味が悪かった。

おせんべみたい、といわれて、なるほどそれも似ていると思った。

ガスの話し

夏に、ガスが漏れて応急処置をしていただいたガス管。大家さんの判断で、取り替えてもらうことになり。昨日、工事していただきました。
これでガス漏れの心配はなくなり、安心して暮らせることに。

今日確認してもらったら、ガスメーターも取り替えていただいたよう。
ありがたいことです。よかったです。本当に。

お別れと くぎりと

昨日の夜は、知人が日本を離れた日。
道が1つ開かれると、別れがやってきます。

私は、学生証の期限が先月で切れたので、切り刻んで捨ててもらいました。
もう学割は利きません(私は基本、障がい者割引ですので、学割を使うことは一度しかありませんでした)

お別れが1つ、区切りが1つ。
さわやかな風の季節に。

知人が、元気で目的を果たせますように。

私事ではないけれど、向かいの空き家は解体作業の真っ最中。
うちはしばらくの間、日当たりも見通しもかなりよくなるかも知れません。

2014年10月4日土曜日

経験をからだに覚えさせるということ

昨日は、知人のお別れ会を兼ねたうち飲み会でした。
嬉しいことに8人でつつがなく愉しく過ごすことができました。

海外に旅立つ前の忙しいときに、旅立つ知人とこのような時間を過ごせたこと、そして企画側にならせていただいたこと、とても嬉しく思いました。
日程の都合上、全員が来れたわけではなかったけれども、知人が会いたがっていた方々が、会いに来てくれて、双方楽しそうに過ごす様子を観ることが出来て、とてもとても幸せでした。
いい経験が出来ました。

1つの機会を大事に過ごすこと、流れの中に冷静に居続けることの大切さを学びました。
こうやって、経験は血肉になっていくのだな、と。

また、ひとつひとつのやりとりが、関係を深めていくのだということも実感しました。

知人が日本にいない2年間、私も日々を大切にしよう(*^_^*)

2014年10月1日水曜日

福祉機器展

ふくしききてんと書いて変換したら複式貴店と出て混乱しました(^_^;)

友人に誘われてビックサイトで行われている福祉機器展に久しぶりに行ってきました。
あまり行かないんです。毎年開かれるけれど、たぶん数年ぶりです。

りんかい線が埼京線に乗り入れているからめっちゃ近くて助かりました。

私の友人はそこで見つけたい物があったのだけれど、残念ながら難しかったですね
福祉機器展て、福祉機器の開発状況や企業のアピールの場という感じなのですが、

どうしても介護する側やサービスを提供する側の視点でしか、レイアウトされていないように思うのは、私だけかなあ。
どうしてもユーザー側の視点にはなかなか立っていないように感じてしまうのです。

友人の試したかった物も、普段はある会社であつかっているものだったけれども、その日は普段あつかっているものは持ってきてなくて、その情報の載っている印刷物もなかったりして。
その企業のメインにみせたい器具については情報が多いんだけれども、そこの場で障害を持っている人が何を試したいかという視点がないのでした。
今回も残念。

もちろん、福祉関係の機関を普段から駆使して下さいと言うことなのかも知れないし、そこに行けば福祉関係全般の情報がわかって、いろんな立場の人のニーズが満たされる…という世界は最初からないのかも知れませんが。

ネットの方が情報が得られる、と、久しぶりに行った私はやはり思ってしまったのでした。

ブースの面積の都合もあるとは思いますが、日常の生活スタイルのニーズに応えるコーナーがあると、きっと必要とされる人がいらっしゃるのではないかと思いました。

友人との時間はとても楽しかった。ちらちらとすれ違う数人の人と挨拶できたこともよかったです。

パーフェクトセンス

五感を1つずつ失っていくという、この映画を観ました。

なんだか、人間が生きていくために大切なことはなんだろう、ということを語りかけてくる映画でした。
ひとつひとつの間隔と感情や欲との結びつきで、ストーリーが展開していくのですが、じっくり見るとその展開がおもしろく感じました。

2014年9月30日火曜日

キンモクセイ

先週の土曜日頃から、香りを感じるようになりました。
秋です。
半月ぐらい、香りのいい日々が楽しめます。

板橋は食材が比較的安く、季節の物が手に入りやすいので楽しいです。
今日はサンマのお刺身が手に入りました。
「この時期しか食べられないからねえ」
さかなやさんがおっしゃっていました。

栗はネットで280円。もちろんもっと高いのもあるけれど。


今週は少し忙しく、明日は友人とデートです。
遅れないように行かなくては。ね。

ハリーさんの講演会 メモ

2年ぶりの来日です。

●知識は自分の物にしないと意味がない。多くの情報から選ぶ能力も生きる力。
●学びを続けるにはいい師を選ぶこと。一人で学ぶのもいいがいい師についてみんなで学ぶと学びが早い。
●頭がどんなによくても、賢くても、愛がないと意味がない。
●エゴイズムは100パーセントなくすこと。
●若い魂を育てること。若い魂は古い魂と一緒に過ごすと早く学ぶことが出来る。
●初めて生まれる魂にはギフトがある。次の生から課題が始まる。
●人生のプライオリティーをどこにするかを考えること。
●ぼくはその日1日を精いっぱい生きる。結果は考えない。結果は上からやってくる。
●アイデンティティをもつこと。アイデンティティを持てば気持ちが揺るがない。

2014年9月26日金曜日

お風呂問題

発泡スチロールのブロックで台の底上げをしたら、
解決です。
アイデアという物は、一晩眠ると来る物ですね。

それにしても今週は 話題が乏しい。
スランプですかね…。


2014年9月24日水曜日

読み返し

一度読み終わった本を読み返すことは苦手だったのですが、最近は一度だけでは覚えていられないこともあり(笑)、またわからないのにわかったように読んでいる場合もあるので(笑笑)、消化しにくい本を読み返すことにしました。

最近とある場所で話題に出た本の内容を、思い出せなかった自分も発見したので。

2回目に読み通してみると、一度読んだことがあるせいか、わかりやすいものなんだな、と改めて。
でも本当に内容を覚えていなかった(汗)

もしかしたら若いときも、読んだつもりでいたのかも知れないなんて、今として反省しているのでした。

2014年9月19日金曜日

お風呂の湯船を取ってもらいました。

壊れていたお風呂の湯船を取り外してもらいました。
湯船は当分設置しないので、
湯船のぶんだけ余裕が出来ました。
でも、段差が出来たので、どうやって埋めようか新たな課題です。

アイデアがわいてきますように。

駅前に植えてあるコブシの実が赤く熟して、ぽろぽろアスファルトに落ちています。
先日、1つ拾いました。

よく世間話をしてくれる花屋さんに、うかがってみました。

「これ、コブシの実ですよね」
「そうらしいね。あの辺(駅前)にたくさん毎年落ちてるよ。カラスが食べに来るよ」
「えっ、食べれるの?!」と私。
すかさず花屋さんは
「うん。カラスは食べるけれど、あなたは食べない方がいいよ」

さすが。わたしの心を見破りました。

拾った種は、口に入れずに、秘密の場所にまきました。

トガニ

実際にあったことをもとにした映画。つらい映画でした。
弱虫なので、なかなか一気に観られなくてチャプターずつゆっくり観ました。

この映画が世に出たことで、韓国の法律が整備されたということ。
世に出るまでは、社会に埋もれていた事件のようです。

自分より立場が弱いとみると、人はなぜ人をおとしめるのか。
それが本能なのか。
こどもたちはどんなにか、どんなにか……。

自分はどのように生きているのか。向こう側になりはしないか。
人を苦しませる生き方をぜったいしていないと言えるのか。

そして、もし教師の立場だったら、どんなときも目の前のこどもたちの盾になれたのか。
今の自分は、そのような人間なのか。
どうなのだろう。

こどもたちの親だったら。
判事だったら
弁護士だったら。

どのような場合でも、誠実さを忘れないで生きるには、心に何を身につけたらいいのだろう。
知らなければいけない現実は、たくさんたくさんあるのに。

見終わったあとの何とも言えない居心地悪さのなかで、そのようなことを考えていました。



2014年9月18日木曜日

最近読んだ本

秋の空気が気持ちいいひととき。

早々とゆでてもらった栗の皮をむいてもらっています。
その時間を使って、最近読んだ本について。

「犯罪被害者の心の傷」
これは、カウンセリングの本だったのだけれども、実際の苦しみについて、ご本人の許可のもとに記されているものでした。その人の心の声を聞き取り、かたわらで共感していくことについて、大切なことを教えてくれたように思いました。

「愛と痛み」
辺見庸さんの本は初めてでした。死刑反対の立場から、死刑についてわかりやすい言葉で意見が書かれてありました。知り合いが刑を受けると考えると苦しいのに、他人だとなぜ容認してしまうのか、というような意味のくだりや、人ほど他のどうぶつにくらべて臭い生き物はなく、その生き物の、誰も愛されない人のためにつくすと言ったマザーテレサを尊敬する、といったくだりが印象的でした。

「歴史とは何か」
E.Hカーのものでなく、3人の鼎談集です。
暴力や、加害すること、被害に遭うこと、歴史とはなんなのかと言うことを、いろんな視点から語っています。語っていると言っても、難しくて、私は半分もわかりませんでした。障害を持つ人の介助の話しもふっと出てきて(経験されている方が著者のひとりにいらっしゃって)、その友人とのやりとりは印象的でした。
赦すことは祈ること。この言葉には、はっとしました。

「聞け てるくはのる よ」
小学生の息子さんを殺害されたご両親が書かれた手記です。
第三者にもわかりやすい語り口で、感情を抑えて書かれてありました。
他人をこうやって気遣いながら心情を書くには、本当に大変だったろうと、感じました。

自分の人生をまちがわないために、じぶんの手で人を悲しませないために、今日を意識的に生きなくては。
ものごとはいつも身近で起こり、私もその渦中にいると言うことを忘れないでいないと。

2014年9月16日火曜日

手放すこと、赦すこと

とっさの質問では、答えられなかったことが、あとあとわかることもある。
私の中の恐怖。だいぶ捨てることが出来たと思っていたけれど、1つどうしても捨てきれない物があることを、思い出した。

永遠。

自分のことをいろんな面で知っている今、死に対しては怖さはなくなった。
ひとはいつも成長をし続けるものだとわかったから。
永遠に。

その、永遠が、いつまでなのか。
永遠が、永遠という意味なので、私には理解できなかった。

永遠は本当に永遠なのか。
本当に終わらないのか。

私の頭のなかでは、終わりのないということが理解できない。
だからそれがときどき発作的にたまらなく怖くなる。

けさ、ある本を読んでいたら、こんな言葉に出会った。
「赦すと言うことは、祈ること。自分が許すことではない」

直接関係なさそうな言葉だったのだが。

ああ。赦すと言うことは、許すことではなく、その状況について祈ることなんだ。
自分がそれを許したり、相手が、誰かが許すという行為ではなくて、その状況を受け入れて、客観視して、祈ることなんだ。
このかなしい、切ない状況が二度と起きないように、自分自身が理解をして、祈ること。
それが手放すことであり、赦すこと。
そうなんだ、きっと。

私が今自分の人生でする必要があることは、ひとつひとつの経験を振り返ることで、それらの持つ意味を理解すること。
関わってくれた方々の思いを理解すること。
それが赦すことであり、祈ることなのかも知れない。

私の中の 永遠 のことだけれど、
わからないことは、手放すことにした。
明日のことは怖くない。それはたぶん、私というアイデンティティがあるから。
でも、よく考えたら、明日だって、何が起こるかわからない。
私というアイデンティティを失う何かがあるかも知れないし。
永遠、という遠い未来に対する怖さと、明日の未知さへのあやうさは、本当は同じなのではないだろうか。

わからないことは、いつかわかるようになったときに、考えることにした。
もっと他に考えることがあるのだし、不安ばかりを自分であおってもあまり意味がない。

私は無宗教だけれども、心の中の宇宙に、難問はゆだねることにした。
怖さを手放し、赦すことにしたんだ。

2014年9月15日月曜日

かぞくのくに

この映画は、切なかった。
春頃に、この映画のテーマになっている関係の本をよんでいたから、
よけいに心が痛かった。

自由にものごとが言えないということが、人の心をどんなに苦しめ、尊厳をなくしていくか。
住む場所を違えただけで家族さえ立ち入れないものを背負ってしまうなんて。

ものが言えて、個人として考えられることがこんなに幸せなことだなんて。


そして、経験しないとわからないであろう、息子の苦しみを、察しているつもりでわからない父親の言葉が、とても印象的だった。

家族を護る姿にやるせなく、どう考えていけばいいのか言葉が出なくなる映画だった。

命ある限り

インド映画のラブストーリー。
私はちょっと途中眠ってしまいました。

インド映画って、映画の途中で「引き続きお楽しみ下さい」などというテロップが入るのがおもしろい。
途中休憩があるのかしら。確かに長い映画が多いものね……。

2014年9月13日土曜日

数日前の出来事

ホームにいた車いすの男性と、同じ車両に乗ることに。
パンがたくさん入ったビニール袋をその方は持っていました。

電車が動き出してしばらくすると、その男性はパンの入ったビニール袋を私の電動車いすの背中に引っかけようとしていました。
ちょっとびっくり。思わず、パンを全部私にくれるのかと本気で思ってしまいました(食いしん坊なので…)。
私の解釈は違っていたようで(そうだよね…)私と一緒にいた知人に何かを頼みたかったみたい。
「なんですか」
と聞くと、自分の背中を指さしました。
パンの袋を、自分の車いすの背中にかけてもらいたかったらしいのです。
つまり、どうやって袋をひっかけるかを実演してくれていたらしい。

私がそのいとを言葉にすると、とても嬉しそうな表情を見せて下さいました。

失語症かも知れなかった男性。大胆に感じるその表現は、ちょっと誤解されてしまうかもな、などと生意気にも思いました。
食いしん坊な私は、もしかしたら一歩まちがえば、
「くれるんですか!」
などと言うことになっていたかも知れません(それはないか。さすがにやはり遠慮するか)。

使えていた言葉がうまく出なくなると言うことは、意地が焼けることだろうな、つらいだろうな、と思いながら、何かわかってもらえるいい方法があるといいなとも思いました。

2014年9月12日金曜日

昨日のアンビリーバボー

昨日の「感動のアンビリーバボー」は
6歳で病死した女の子が家族に残したたくさんの手紙
という話題。

大好きな家族に彼女は、
家のあちらこちらに手紙を隠して、旅だったのでした。

自分が逝かなくてはいけない時期には開けないような冬物の荷物の中に隠したりして。

病気のことを両親は女の子に言わないで、
残された時間を楽しく過ごせるように、やりたいことをたくさん叶えてあげたんだけれど、
彼女は自分の現実を知っていて、自分が好きだった家族が、自分がいなくなったあとも楽しい時間を過ごせるように考えたんだよね。

番組を観て、
愛っていろんなかたちで表現できるんだなって、教えてもらいました。
とても若い年齢でも、十分出来ることがあって、
彼女は思いきり、自分の愛する人たちに、自分の持っている愛を表現したんだなあって。
なんてステキなことなんだろう。そんなことを思いつくなんて。

人を愛していくって、本当にすてきで、大切なことなんだなあと思いました。

そうだよね、自分なりの表現の仕方でじゅうぶんなんだよね。

リンカーン

観たかった映画のひとつ、リンカーン。

自分の信念を人にどう伝え、理性的に通していくか。そのことを考えた映画でした。
人を納得させるには、一本筋の通った物が必要で、そのための覚悟を決めなくてはできないことなんだな、と。

一年間で10年歳をとったようですね

リンカーンがそういわれるラストに近いシーンで、ああそうだよな、それだけの体の力を使ってやらなかったら出来ない仕事だったんだよな、と思いました。

考えながら言葉を選んでいく、その姿勢は徹底していたなと思います。仕事でも、家族に対しても。
人はひとに対して、近しい人でもそうでない人でも、このぐらい聞き、このぐらい考えながらものを言った方がいいのだろうと思いました。


2014年9月11日木曜日

もうひとりの息子

イスラエルとパレスチナの、2組の家族の物語。

宗教とは、アイデンティティを失うこととは、家族とは
観ているときに、いろんなことが頭をよぎっていった。

事実を知るまでは敵対した2つの国のそれぞれの家族だったのに、ひとつの事実がお互いの現実を他人事ではなくさせていく。
身内になると言うことは、愛を分けると言うことを意味するのか。
身近になることで、身内となり、赤の他人でなく、気にとめる人間となる。
この家族にとってはひとつの事実がそうさせたけれど、人と人が近づき合うには、愛を分ける相手であると言うことを認識することが必要なのかも知れない。

多くの国が戦争を続けている今。

この2つの国のことがとても気になっている。学んで知っていくことで私に行動できることは何だろう。

きっとうまくいく

池袋のツタヤに昨日初めて行き、観たかった映画があることにおどろき、下見のつもりがレンタルすることに。
どうしても観たかった映画2本だけにしようと思っていたけれど、値段が安くなることに負けてまとめ借りをしてしまいました。

一昨日は区内のツタヤで借りてきたばかりだったので、ツタヤのはしごというか、ふたまたというか。
借りた物のジャンルが似たようなので、ブログにはまとめ書きはしないでひとつひとつ感想を書いています。

インド映画の「きっとうまくいく」を観ました。

この映画は、よかったです。

諦めないで生きること、知恵を働かせること、自分の生きる目的をぶらせないこと、友だちを愛すること、すべてが入ったコメディでした。

ものごとが起きたときに、何が大事か考えて行動すると言うことは、なかなかうまくいかないけれど、
やはり、生きるということは、何が正義かとか、そういうことではなく、どれだけその状況に真剣になれるかなのだと言うことを教えてくれました。

2014年9月10日水曜日

ダンサーインザダーク

日常が、自分にとって不利な方に動くとき。
ある友人が自分を裏切り、ある友人は自分を疑い、自分を嫌っていこうとするとき
友人に、裏切られたと感じさせてしまったとき。
それでも、裏切った友人の秘密を守り、意志を通し抜くことができるか。

いしとはなんだろう。
私の意志とは。
いざその時、私は友人よりも自分のいのちを優先するかも知れない。
自分のいのちより大切なもの
それがなんであるかを知らないと。

そんなことを感じながら、ビヨークの歌と表情に魅了され、重たい気持ちに泣いてしまった。

真実の追究より、大切なものを選んだ生き方を教わった。

そして、かくれた悪意の存在も。

デッドマンウオーキング 

うまく感想を書けそうもないけれど、昨日感じたことが薄れてしまいそうだから…。

自分の罪を見つめていくこと、向きあっていくことは、とても難しい。でも向きあわないと、自分の生きてきた意味がわからなくなってしまう。

罪を犯したこと自体が、誰かのせいで済まそうとするのではなく、犯した自分自身のなかで消化させる。
法に触れることもふれないことも含めて、人は罪を犯す。人が人生を終えるまでに、その罪に向きあうことができていくならば、人生の悔いが少しだけ少なくてすむ。
自分もそこに向きあわなければいけないけれど、向きあえなくて苦しむ人に寄り添うことができたならば、その人は変わっていくのかも知れない。

被害を受けた側の気持ちは、どうしたら癒やされるのだろう。

やっぱり感想はまとまらない

2014年9月9日火曜日

車いすテニスも

全米オープンテニス
錦織さんもすごかったけれど、
車いすテニスも日本人が優勝したみたいですね。

国枝さん、上地さん、それぞれ男子の部・女子の部で優勝。
ダブルスでも優勝。

今の今まで、車いすテニスのすごさを知らなかった私。
パラリンピックで観たきりで…。

みたかったなあ。画像どこかにあるかなあ。

2014年9月6日土曜日

思ったこと

外出先で、合わないなあと感じてしまう方とお逢いすることがある。
どこでも、折り合いが合う方と合わない方はいるので、私自身の心の持ちようの話だ。

私は今まで、なぜ合わないのか、原因ばかりを探していた。

そして、相手にいきどおりを感じてしまったり、受け入れられなかったりして、それが悩むもとになっていた。

少し気持ちを変えて、自分からなんとはない話を振ってみた。
やはり苦手だな、と思ったんだけれども、この方のことを私は苦手なんだと自覚したら、それ以上悩まなかった。

そして、その人の反応と似たような雰囲気を、私も誰かに感じさせてしまっているかも知れないと思った。
私がその人に感じる言葉の違和感や、押しの強い感触は、私が誰かに感じさせている感情かも知れないと思った。
私も上から目線で物事を言いやすいし、自分が一番正しいと思ってしまったりするから。
そんな目線で言われてしまうと、すこし嫌な感じがするんだな、と考えている自分がいた。

唐突に話しかけられたときに、意にそぐわないと、むっとしてしまうことがある。
なぜ、今そこをつっこむ、と。
自分があまりその場の空気を読めないのを棚に上げて。

今日は、気がついた。
つっこんできたその方は、私に興味を持ってくれていて、
近づこうとしてくれていると言うこと。
その方のやり方なのだ。

わかると、受け流せることも、わかった。

そういうことだったんだ。。

出先からの帰り道、コンビニで手作りおにぎりを買った。
店頭に一個も並んでいなくて、
「ああ、残念」
と思わず言ったら、店員さんが聞き漏らさずに
「明太子と鮭とツナならすぐできますからどれにしますか」
といってくれた。
わたしは、
「めんたいこ」「めんたいこ」「めんたいこ」
と3回伝えたけれど、店員さんの説明は止まらず、3回目でようやく
「明太子ですね」
と聞き取っていただいた。

できたてのおにぎりをゲットして帰る道、
「やっぱりあわてて伝えないで、店員さんの説明が終わってから言えばよかったんだね」
などと話しながらかえってきた。

確かに、話しているときに人の話は聞けないもの。

焦って伝えなくても、日常はまわるのかも知れない。

2014年9月5日金曜日

今日の金スマ

ダンカンさんの奥様のお話でした。

その人のことを愛し抜くって、強い力だなって、
涙がボロボロ出てしまいました。

なくなられたあとに、愛したひとの心にともしびを残していけるって、ほんとにすてきな生き方だなあって。
こんな生き方を選ぶことのできる、人間になりたいと思いました。

人の気持ちを考えて生きるって、できているつもりでも実はうまくできてなくて、
ある日できていないじぶんにがーんと来るんですが、
きっとそれが自然にできるまで、試みていくことなのでしょう。

自然にできるようになるといいな

いやあ、泣いちゃったな…


ここ数日

ここ数日、パソコンには向かえなかったけれど、元職場の知人と再会できたり、突然なにかの歯車が回り出したような、そんな日々でした。
いつもこの時期には実家からおいしいブドウが送られてくるので、少しおすそ分けをします。
そのブドウがきっかけで、知人とのランチが叶い、年末にかけて少しお仕事をいただくことになりました。
昔知り合った方々と関係を続けていけると言うことは、とてもありがたいことだなと思いました。

私自身も、変にかたちに捕らわれず、少しだけできることをさせていただくと言うことを、すなおに喜んでいます。

いろんな思いを整理してきて、よかったなあと思った日でした。

2014年9月2日火曜日

上野

久方ぶりに雨があがったので、上野に。
東京都美術館で、メトロポリタン美術館のエジプト展がやっていたので、みてまいりました。

ゆっくりまわって、
でも印象に残ったのが スカラペだと言ったら、怒られちゃうかな。
私には美術鑑賞のセンスはないです。

呪術的な感触だったというのが、感想です。

大きな壁画みたいのがみたかったけれど。


東京都美術館、初めて行きました。広くていいところでした。

2014年9月1日月曜日

楽しいときは

あっというま。

まるで4時間が1分のよう。
そして一泊が5分のよう。

そんな方々に巡り会えていることは、恵まれたことだとおもいます。

2014年8月31日日曜日

涼しい日

こんなに過ごしやすい日が続くと、秋がもう来たかと勘違いしてしまいます。
夜も眠れるし、昼も眠れる。
暑い日も昼は眠いし、最近は少し私は眠り病。

考えたことは書いておかないと、忘れてしまうようです。
あとで思いだして書こうと思っていても、あとの祭り。
すこし気を抜いたら、時が流れてしまいました。
あっという間に月の終わり。

人に見返りを求めず、ただ感じたことを振り返りながら生きるということ。
戦略的に生きてきた私には、その生き方がうまくできていなかったようで。
いつも先回りして、周りの人の反応に期待しながら生きてきたみたい。
考え深い、いい人間に思われたくて。

そんな先回りはいらないし、もし考えが浅くてもそれが今の私なのだから、そこから始めるしかありません。
繕っても、実力がないのだから、ぼろが出るのです。
私は私のまま、日々感じたことを振り返って、高める努力をするしかない。
人が私を認めるか認めないかは、私の人生にとってまったく関係ないこと。

私はたぶん誰かに無条件に愛されたいと思いながら生きてきたのだと思います。
無条件に愛されるということがどういうことなのか、何も知らないままに求めてしまったのだと思います。
だからさまざまな人がいろんなかたちで愛してくれても、それがわからなくて受けとることもできなかった。
そして、自分が愛することを覚えなければいけないということさえも気付いていなかった。
私が、人を無条件に愛するという体験をしないと。

本能的に、感情のままに生きることって、とても怖いことでした。
結果的に何も気付くことができないから。

たぶん、私はそうやって、
自分に実力があると勘違いし、
自分が認めてもらえないのは社会のせいだと思い、
日々の体験を自分のものにすることなく、
愛されているという実感を求めて生きてきたのだと…。

人の心に寄り添うことなど、考えても見なかったのです。

だから、最近別サイトで書いた初めての小説は、小さい頃の私のふりかえりでした。
一年かけて推敲していこうと今は思っていますが、たぶんここから人生を修正しないと、私はまた何も考えずに生きていきそうで、書き表してみたのでした。

私は、人を理解できるようになるなるのだろうか。
なりたいと思って生きてきたはずだけれど、

できれば、今生で、達成したい。
今日は、誕生月の最終日。


2014年8月28日木曜日

かんれきくれない

銀座の松屋に、いってきました。
鶴太郎さんの企画展は、ものすごく混んでいました。

でも、やさしく、力のある独特の世界に、浸ってきました。

私は七福神がよかったな。

とても混んでいたので売店は素通り。

でも、本当にすごい人気です。

9月第1週まで開催みたいです。

2014年8月25日月曜日

いったん筆が止まると

ブログは、いったん書くのをやめてしまうと、すぐ日が過ぎてしまいます。


ただ、感じて、感じたことを考えて、毒にならない言葉を使って声にするって、どうやったらできるのだろうと思っていたら、数日過ぎてしまいました。

ただ感じて、考えて、行動する

なぜみんなうまくできるのだろう。


私は何を感じ、何を考えているんだろう
私の本当の 心はどこにあるのだろう。 

2014年8月22日金曜日

タイ式マッサージ

5年ぶりに再会した知人がタイ式マッサージのできる方になっていた。
今日、初めて受けてみた。

普段動かしていないところが刺激されて、筋肉が伸び、今すごく気持ちがいい。
すてきな時間だった。

出張していただけるとのこと。とてもありがたく、嬉しい。

たぶん真面目にリハビリ等、医療を積極的に受けていれば、私の筋肉はもしかしたら老化を抑えられるのかも知れない。
西洋医学から遠のいたのは、その時の人間関係のなかでの選択だけれども、後悔はしていない。
緊張緩和剤や痛み止め、精神安定剤を使わずにこの年齢まで生活することができたのは、友人たちや先輩のおかげだと思う。
私一人ではたぶんたどり着けなかった。

薬を使わないことでダイビングを経験できた。
体の痛みや緊張と向きあうことで、体のリズムを知ることができたし、調子をはかることができた。

薬は急にはやめられない
緊張緩和剤は、今の私の場合、弱い薬を2週間飲むと、その後一ヶ月半は緊張の強い日が続いてしまう。
あごの痛みを取るために一時的に服用したときに体験した。
口の緊張はそんなにとれなかったのに、服用をやめてからとても大変だった。
1つのことを決めるには、信念が必要なのかも(大げさ汗)

確かに医療とあまり関わらないことで、今の福祉制度上はとても不便だけれど、これでいいや。
恵まれていることに変わりはないもの。

脱線したけれど、知人が訪ねて下さることに、とても感謝している。

2014年8月21日木曜日

明け方の夢

奇妙な夢を見た。
フリーアナウンサーの羽鳥さんの息子として私が夢に出演していた。
「都市銀行は銀行印が必要で、10万単位でないと預けられない。せっかく銀行印を持ったのだからその単位でかたちにして預けておくといいよ」
父(羽鳥さん)にいわれてうなずいている私。でも心の中で
「あれ、そんな制度あったかな」
なんて思っている。
そんな会話のあと雅な会合に出て(なんだか忘れてしまったけれど)、仲良く談笑する親子だった。
長い時間の夢だった。
ヘンな夢。

モノクロームクライシス

本田信一郎さんの本を読んで

犯罪の被害に遭うということは、その後の苦しみをずっと担うということで、被害に遭われた方がどんな目にあったのか、最後はどんなに苦しんだのか、何も知らされない被害者側のいいようのない思いを、この本から感じました。
人が人を傷つけるということは、本人だけでなくその家族をどん底に落とし、多くの人の人生を変えてしまうこと。
今も苦しい思いをしながら生活している方々がいる。

何を書いても、私の書くことは絵空事だ、うまく感想の書けない自分がいます。

2014年8月20日水曜日

野菜とネコとたてものと

久しぶりの文京区。
髪を思い切り短くしていただいたあと、大塚にあるクネーテンに。
このカフェで9月7日まで知人の絵が展示されています。

やさしい線の野菜や葉っぱ(?)に癒やされ、建物に魅了され、ネコに見つめられながら、おいしいランチを堪能してきました。

ランチは初めて。私はキッシュを。
ここの焼き菓子も好きだけれど、ランチは機会があればまた来たいところです。

知人は「けんちく新聞」というものを発行していて、今回はその展示もされています。
スケッチブックをのぞかせていただきました。

今日はとても暑かったけれど、リフレッシュできてとても元気になりました。

2014年8月19日火曜日

あと一年

50歳まであと一年。
この一年で何をわかることができるか、
今日からまた出発です。

私はといえば、前日からいつもの体調不良がやってきて、ようやくパソコンに向かえるだけの体力が戻りました。
おいしいものは明日以降に。なに食べようかなあ。

知人や家族からのメールでホッと暖かい日になりました。
ありがとうございました。

炊飯器で炊くおかゆはなかなかばかにできないですね。
調子よくても癖になりそうです。

2014年8月16日土曜日

JICA

午後は市ヶ谷のJICAに行ってきました。
日本・イスラエル・パレスチナ学生会議主催のシンポジウムをききに行ったのでした。

お二人のシンポジストの方の基調講演に間に合わなくてとても残念でしたが、専門家が今の情勢をどうみているかがわかって、聞かせていただいてよかったなあと思いました。
なにかできるかわからないけれど、ニュースは欠かさず見るようにしようと思いました。

「たとえ嫌な相手であっても、平和に解決したいと思うならば対話をしなければならない。」
これは普段の日常に通じることだなあと思いました。

双方の学生との意見交換は印象的でした。

学生の交流会もあったのですが、シンポジウムだけ聞かせていただくだけにして、JICAのなかを見学してかえってきました。

防衛省のわきを初めて通り、有楽町線に乗りました。
ほとんどの地下鉄の駅にエレベーターが着いていることが、なんだか不思議でありがたく、シンポジウムで聞いた学生たちの
「世界で生きているふつうの人たちのような暮らしができることが平和」
「2つの国がいがみ合ったり殺し合わない日が来ることが平和」
という姿が映像に残りました。

JICAの展示物をみながら、今海外派遣のために研修を受けている知人のことを思い出しました。

最寄り駅で

杖を使った女性と、ホームで一緒になりました。
ひとつひとつ、まわりと何かしらやりとりをしながら、同じ電車に乗って乗換駅までいったのですが。

そのやりとりひとつひとつ、まわりが引いてしまうようなことなのです。
本人はそんなつもりはないのですが、嫌みにきこえてしまい、攻撃的に聞こえてしまい、ひねくれて聞こえてしまうのです。
結果的に譲っていただいた席を断り、結果的にまわりを憤慨させながら電車を降りていきました。

なんだか、以前の私を見たような気がしました。

「あんな風な断り方をしたら、勇気を出して譲ってくれた人の心を傷つけてしまう」
知人の言葉に、私も多くの人にそんな思いをさせてきたのかも知れないと感じたのです。

女性は、自分なりの自己主張で、周りの人とコミュニケーションをとりながら行動しているのでしょう。
体をコントロールしながら動くのに精いっぱいなのです。
そして、自分の辛さは他人にはわからないだろうと思っているのかも知れません。

車いすの私を見て、駅員さんにきちんと対応されていることも、不公平に感じたかも知れません。

「以前の私に似ているから、なぜあんな風になってしまうのかわかる気がする」
私の言葉に、知人は複雑な顔をしていました。

でも、きっと、私は怖い目をして、世の中を斜に見て渡っていたような気がするのです。
そして、自分ではまったく自覚なく、何かを吐きながら生きてきたように思うのです。

今は、どうなんだろう
でもまだ時折、自分の気持ちの動き方に違和感を感じることはあります……。

2014年8月15日金曜日

ツバメの話

ついこの間、雛が巣立って空になったはずのツバメの巣にまた雛がいる。3羽ほど。
親がエサを運んできている。

え、2回目? それとも別のカップル?

ツバメって、1シーズンに2回子育てするんでしたっけ?
もしそうなら、私は知りませんでした。

本とドラマとアニメと

「甘え」の構造という本を読み終わった。といっても論文なので、私には少しむずかしかった。
日本人は独特の「甘え」のかたちを持っているというお話。言葉の使い方や考え方にそれが出ているという。
続編の方も読んでみようと思う。

ドラマ「母。わが子へ。」を観た。伊沢満さんのドラマ。母の子を思う態度が、優しいタッチでつくられていて、幸せな気持ちになった。息子たちを最後まで思いながら行動する生き方を描いた作品だった。すこし前のものなんだと思う。

御伽草子というアニメにはまりつつある。東京の昔と今をつなげたような不思議なアニメ。

アニメといえば、今はやっている妖怪ウオッチも見てみた。現代のこどもたちだなあと思い、これは子供に受けるかもと感じた。2話ぐらい見たかなあ。

それにしても、ちまたで売っている妖怪ウオッチ、高くありません?

2014年8月14日木曜日

毎日の生活

毎日の生活はほとんどが何気ないことの繰り返しだから。
ものすごく変わったことなどそんなにはないものだから。

ある方が私に言ってくれた言葉です。
最近の私は、長い文章も書き終わり、学校関係も終わって、暑いし眠いし、少しだれています。

単調になりがちな日々がごく普通の日々ならば、今日やることはやっとかないと。
きっと今まで、私は、何かやっていますとアピールしないと、ちゃんと生きているって認めてもらえないような気がしていたのかも知れません。

認めてもらわなくても、怠けていると見られていても、自分のなかでちゃんと今日やるべきことができていたらそれでいいのでしょう。

認めてくれる何かを外に求めず、自身の中にしっかり持つこと。

今日はガス屋さんが来て、ガス管の調査をしていきました。
大家さんに、ガス管を取り替えた場合の見積もりを頼まれたとのこと。
数日前にガス屋さんから電話をいただいたときは「見積もりを確認して欲しい」とのことだったのでどういうこと?と思っていたのですが、実際には「見積もりをつくるための調査をしたいから家にいて欲しい」ということだったみたいです。
私が聞き間違えたのか、ガス屋さんの意図が違ったのか、もう今は定かではありません。
私もよく用件をはき違えるので、私の聞き間違いだったのかな、と今は思っています。
人とのコミュニケーションをきちんととるのは本当に難しいと、日々思います。

2014年8月12日火曜日

グッドウィルハンティング

ロビンウイリアムスが亡くなった。

俳優さんの名前をなかなか覚えられない私にとって、覚えている数少ない方のひとりだった。

久しぶりにグッドウィルハンティングを見た。
吹き替え版だったのでちょっと残念だったが、以前見たときよりも理解できたような気がした。
自分の人生にきちんと向きあい、人と怖がらずに関係を作り、自分の人生を堪能すること。
この一作だけでも、生きる希望を感じることができる。

ロビンウイリアムスの映画は、心に残るものが多く、私はたくさんのものをいただいたように感じている。

これだけのものを演じ、映像に残し、人生を謳歌することを伝えて下さったのに。
どんなに苦しい日々だったのだろう。
心からご冥福をお祈りいたします。

2014年8月11日月曜日

十二国記

最近、小野不由美さんの「魔性の子」を読んだ。
その一冊だけ単独で読むと現代ホラーファンタジーのような世界で、もちろんこれだけでも楽しめるかも知れない。
十二国記のシリーズに入ることを最近知った私は、ファンとして少し恥ずかしかった。
そして、読み終わってホッとした。
気になっていたことが解決したから。
これは、シリーズが好きな人ならわかるかも知れない。というか、今初めて「魔性の子」を読むなんて、ひとつのことを納得しないまま過ごすなんて、といわれるかも知れない。

十二国記といえば、昨年刊行された「丕緒の鳥」という短編集を最近購入して読んだ。
読み終わって、
ファンタジーの世界で書き表せる、リアリティのある思想というか、考え方の書き表し方について学んだように思う。
ジャーナリストが書く世界情勢についての問題提起と、作家の書くひとつの考え方についての見解の書き方は、書き方がとても違うが、ファンタジーだからこそつっこんで書ける何かがあるのかも知れないとも感じた。
読む側がどうとるかは別問題になってしまうけれども。
虚構の世界として楽しむか、今の世界観と連動させるか。
小説はそこも読む側の自由だから。

十二国記は、私が自立生活センターの職をいただいたときに、力になってくれた本だ。
あの本に出会わなかったら、七年も局長はできそうもなかった。
私は臆病で小心者だから。

雑読していることが多いので、「好きな本」を聞かれても、それほど思い入れの深いものはないと思っていたけれど、十二国記は別格かも知れない。
でもシリーズはとても長く、全部読まないと良さは伝わらないかも、とも思っている。

2014年8月10日日曜日

トークトゥーハー

ブログを書きそびれてしまって、今頃になって先週見た映画の感想です。

この映画は、私にとってはうまく理解できなかったというか、不思議な部分のある映画でした。

映画の後半で純粋に人を想うことが理解されない切なさのような、善良といわれる周りの人たちの自然な志向の成り行きと、それを否定せず真実を胸にとどめて、行動を起こしてしまう人のはかなさみたいなものを感じました。
そこのところが、うまく理解できなかったというか、後味の残った映画でした。

まちうた

吉祥寺駅から徒歩で行けるコミュニティーセンターで、月一度開かれる「まちの歌を歌う会」。
ふたりの主宰者が、21年間、企画されています。

歌の好きなまちの人たちが、緩く集まって一人一人歌い、楽しい時間。
昨日久しぶりにいってきました。

友人の生演奏で、ひとり、前に出て歌うことは、快感です。
緊張しない雰囲気だからできるのですが。

思いきって行ってきて、よかった。
会いたい人に会いに行けることは、幸せなことですね。
おかげで今日は、こつこつと地道なことに打ち込めました。

2014年8月8日金曜日

想像力と感情と。

例えば、自分を何度もいのちの危険に追いやった人を、助けられるだろうか。
その記憶がもしも鮮明にあったとして。
大切なひとを奪い去った人間に、救いの手をさしのべられるだろうか。

このブログは、ヒーラーのお仕事をさせてもらうことになったときに、そのホームページ用としてつくったブログだった。
今はその意味を逸していて、(ほとんどその意味を成していないのですみません)。思いついたことから書くようにしてきた。
そうしないと何から書いていいかわからないし、かっこつけてもすぐに続かなくなってしまったから。
書きたいことを無理せず書くことにしたら、かなり自分本位なブログになってしまった。

このブログの本来の役割に戻せば、いきなり私が「自分の過去生」についてこの場で書き表してもいいのかも知れない。
けれど、やっぱりいきなりは書けない。
どのような書き方で書き進んでいったらいいか、今はまだわからないから。

ただ、たくさんの自分の過去生の断片を見てきて、同じような失敗ばかりしていることに、この数年戸惑い続けてきた。
どうしてなのか、考えてもわからなかった。

きのう、ひとつ気がついた。
人は、例え何度生まれ変わっても、自分が望んだ生き方でしか生きられないということ。

私が偏った生き方の記憶を重ね続けてきたと言うことは、もうひとつの生き方を選ばなかったと言うことだったんだ。

そこに、私の、人への興味の欠如という問題がある。

私は、常にいい人になりたいだけで、薄っぺらい正義感やルールのなかで妄想していた。
相手不在と言うことはそういうことだった。

自分が誰かの犠牲になろうなんてこれっぽっちも思わなかった。

ああ、ここだった。

愛している人がいるのならば、その人のためにどんな犠牲を払ってもいいと、思う瞬間を味わえるはずだ。

表面を見せるためでなく、内面で身近な人を愛していくこと。
これが私はできていなかった。

私の犠牲になっていく人たちに、ただ甘えていたんだ。
そして自分本位に、自分の感情だけに注目して生きてきてしまった。

愛は求めることではない。

人の気持ちにより添い、その感情に寄り添う。
それを私は心でわからないといけない。


人はある日気付くらしい。
その人の受けた痛みを知りたいと。
そして生き方を変えていく。

私はそれができていなかった。
こどもだった。


心で知っていくことを心がけなくてはいけない。
そして覚えなくては。
残念ながら肉体はもうこどもではない。
おいがはじまっている

この人生が終わるまでに身につけたい。
ここまで来るのにもすごく時間をかけてしまったけれども。

努力するしかない。

2014年8月5日火曜日

書くということ

最近、キーボードを打つと、間違えることが多くなりました。
私はかなモードなのですが、どうみても打つ場所がまちがっているんです。
どうしたんでしょ。

それはさておき、先日少し書いたように、長い文章を書き進めています。
書いているうちに、変な感じを味わいました。

章にテーマを授けて書いているのですが、いざ書き進めていくと思っていた内容のものの変わっているのです。
ストーリーが一人歩きしていくというか、書き途中なのに不思議です。

こんなこともあるんですね。

書くことで何が癒えるいくのか、わたしの心だけでなく、まわりが癒えることがあれば幸せです。

2014年8月4日月曜日

道ばたで

いきなり道ばたではなしかけられることはおおいのですが、
毎日何をやっているのか、なにもしないでただときどき障害者施設に行っているのでしょうけれど、夜は一人なのかと、勢いよくいろんな質問をされました。
よくよく伺うと、ご親戚の方に障害を持たれた方がいらっしゃるとのこと。
その方は背中を痛めて、でも上半身は動くので、私の方が大変そうに見えていろいろ聞きたくなったそうです。

そうだな、なにもやっていないと言われたらその通りだし。
介助の方につぶやくと、

「学生だって言ってみたらどうですか。嘘じゃないんだし。」

確かに。でももう少しでそれも終わる予定だし。それに、そんな風にアピールしても。

それよりも、感情を出さずに、そんなふうにいろいろ聞いてくるその方の心情はどのようなものなのかな、と。
私はやはり、人の心が今ひとつわからない。
親せきの方へのどんな思いを抱えているんだろう。

私自身の問題と言えば、こんなことで心が揺らいでしまうこと。
なにもやっていない、ということに過剰に反応してしまう自分がいました。

若いときは、私にだってひとなみにできることがある。私だってひとなみに役割を持てる、なんておもっていましたが、
今この年になって、社会に何を尽くせてきたかと思うと、なにもできていないような気がしてしまう自分がいます。
もっと基本的なことをやらずに来たような。
私だからできる役割というものをみがき忘れてきたような。
きっと私に出来ることというのは、人並みとかそういう枠の中にはないもっと小さくて大事なこと。
きっとそれに気がついてくれた人たちが、今私の友だちとして残ってくれているような気がします。
自分に誇りを持って生きないとね。世間が認めないかたちであっても、私なりに生きてきた毎日というのは、現実として存在するのですから。
そして、こんなことで揺れないようにしないと。いい加減。

ちゃんとやりなさいと渇を入れられた気分です。
でも、またお逢いするだろうなあ。ちょっぴり、自分が何を感じるかが不安です。
小心者はほんとに困ります。

試験も終わり

昨日は最後の科目試験が終了し、会いたかった顔見知りの人たちにも会えて、暑かったけれどいいひとときでした。
目的が終わるのは少し寂しい。でもきちんと終わりにしようと思います。

少し夏バテ気味。すぐ体力が消耗します。年取ったな、なんて。

2014年8月2日土曜日

板橋花火大会toいおん

午前中、いつものようにプールに行った後、地元の方に誘われて、イオンの屋上で久しぶりの花火。
本当によく見えて、最初はさわいでいたものの、無言で見入ってしまいました。
穴場でした。

数年ぶりにアオザイを来て、めちゃ楽しかったです。

イオンの屋上に2500人! 車いす席はおもしろい場所にあり、ちょっと今時新鮮でした。
明日のために早めに帰らせていただいたので、帰りの電車も混むことなく快適に帰りました。なんてぜいたくなことでしょう。

明日は最後の科目試験。楽しんできます(なんて書いたら不謹慎)。

2014年8月1日金曜日

はちがつ

なんでもやってみる月になりそうです。
まとめの月と、始まりの月。

雨が降り始めて、涼しくなりました。

2014年7月31日木曜日

何かを気付くか気付かないか

すべてはその人の自由な意志なんだな。

気付きたいのに、気付けないでいるのは、無意識に気付くことを拒否しているのも知れない。
無意識の部分は、私もよくわからないけれど。

昔知った本で、「おとなのための残酷童話」を読破した。同じ人が書いた「老人のための残酷童話」も読んでみた。
印象に残ったのは、カフカの「変身」をもとに書かれた、虫になったサムザの話だった。

虫のくせに生意気なことを、とつい思ってしまう周囲の人たちの気持ちが書かれていて、この感じというものが何か言い得ているような気がしてしまったから。

無意識の部分に気付くために、私に足らないものはなんなのだろう。
わからないことを考えることは、難しい。
私は、わかろうとしていないのだろうか。

生まれたときから

今、とても長い文章を書き始めています。小説なのか童話なのかわからない、相変わらずのものです。
何人かの人に書きかけのものを読んでもらい、意見をもらったりしています。

「何歳頃に施設に入ったの?」

現段階の文章を読んでくれた友人からの質問でした。

学校にあがる前に、3歳から4歳、5歳から6歳と一年ずつ併せて2年間施設に入っていたことを告げると、納得したような感じでした。

「人の気持ちを考えるようにうながすことは、一歳から始まっているんだよね」
友人は、もうすぐ2歳になる娘さんのことを思い浮かべながら、話してくれました。
「だって、ありがとう、とか、ごめんなさい、ということばは、そのための言葉だから」
「そうか…」
「うん。こんなことしたら、相手はどう感じると思う? 、という働きかけは、一歳から始まるんだよ。」

そうか、そうなんだ…ってとってもはずかしいけれど、そんな自覚も持てていなかったことがわかりました。
ああ、そうなんだ。赤ちゃんの時から、人は人の気持ちを考えながら生きるようにとうながされて生きるんだなあ。
私が施設時代に気付かなければいけなかったことは、ここのところでした。
その後の人生でも、そこを最初に考えられなければいけなかったんですね。

充分気が付けるだけのチャンスがある時間だったはず。いろんなことがあったんだもの。
誰かのせいにする前に、受け身で生きる代わりに、私にはすることがあったのでした。

一歳から始まる、考えること。
他人の心を思いはかること。

私に足りないのはそこのところ。

ここの部分がわからないということは、人の心を思い測れないということなので、自分の役割も見えないということになるし、幸せの半分を体験できないということになりますでしょうか。

友人の言葉にはっとしました。
孤独というものは、ここから来ているような気がしたのでした。

2014年7月30日水曜日

赤ちゃんこんにちは

前回会ったときは生まれたてだった彼が、つかまり立ちをするようになっていました。
こどもは成長が早いですね。
ひとときはあっという間に過ぎました。

訪ねて下さる人がいるということは、嬉しいことです。

もちろん、友人にはたくさん話を聞いていただきました。

楽しい時間はなぜこんなに早いのでしょう。

2014年7月29日火曜日

明け方の夢

明け方、2つの夢を見た。

ひとつは友人の夢。
友人が彼女と一緒にいる。彼女は髪が長くて、金髪で、友人よりも若い人。可愛い笑顔だった。彼女は楽しそうだったけれど、どんよりとした天気のなか、橋のたもとで友人は憂鬱そうな顔をしていた。
ここに書くまで、彼女がそばにいて幸せならよかったなあ、と漠然と思っていたのだけれど、書いてみてすこし友人のことが気がかりになった。

もうひとつは自分の歯の夢。
マウスピースの内側で、歯が真っ黒な虫歯になっていた。やっちゃった、と思ったところで目が醒めた。

この前の虫の夢といい、ちゃんとケアしなさい、というようなことかな、と思う。
連日、夢を見るのもめずらしい。

昨日今日と暑さが和らいでいくぶん楽に過ごせる。明日も調子いいといいな。

2014年7月28日月曜日

この間の夢

うちの中に小さな小さなアリが出現した話を書きましたが、
数日前に、
小さなアリがけっこうたくさん床に出現している、という夢を見ました。
アリの他にもコメツキムシとかそういう黒い虫がたくさん。ゴキちゃんはいなかったけれども。
殺虫剤をまかないと、と思っていたら、朝の介助の人が来て、目が醒めました。

ちょっとよけいなものが心にあるのかな、捨てないとな、と思いました。

暑気払い

少人数で暑気払い。
情報交換をして勉強になったひとときでした。
私はおさんどんまでお任せの夜でした(ぜいたく〜)

暑さが続くと眠るのが難しけれど、よくしゃべったせいか、おかげさまで久しぶりに夜中も目が醒めませんでした。
たまによく眠れると、昼間も眠気醒めず。のんきな1日を送ってしまいました。

楽しいひとときは、あっという間。こども時代の夏の終わりのような気分になりました。

こんなふうに、親しい人との時間を大切にしたいですね。自分からも会いに行かないとね。

2014年7月26日土曜日

お祭り。

今日は中板橋周辺はお祭り日和。
大山で友人と遊んだあと、初めてへそまつりを間近で見ました。

中板は板橋のまん中だそうで、へそまつりは今年で19回目だそうです。
おへそを中心におなか全体に顔を描いて、ご当地の民謡に併せて踊る祭り。
大きな傘で頭を隠すので、踊りにくそうでした。

家の近くの小学校では盆踊り大会が。
久しぶりにオバキュー音頭を聞きました。

お祭りのはしご。今日はお遊びの日だったので、はしごでちょうどいい時間配分でした。

お祭りは、地域に知り合いができていた方が楽しいかも。来年はそれを目指そう、なんて思いました。

寝苦しい夜。保冷剤を布の袋にたくさん入れて、顔に当てて楽しんでいます。

2014年7月25日金曜日

ともだち

いつも月末は、友人とすごす時間に恵まれていて、とても嬉しいです。
今月は、前半から、自分から約策して時間を作ってもらうことも多い月でした。

友人を大事にできていたか、そんな気持ちが今めぐっています。
小さい頃から、仲のいい人を作れていたのか、おとなになってからはどうだったのか。

気が合うとか、そりが合うとか、そんなことを感じられるようになったのは、最近なのかも知れませんし、私はあまりいい人間ではなかったように思います。

いい人になりたかった、という欲望は、いろんなところで影響していたように思うのです。

いい人になるのではなく、心に気持ちいいことを積み重ねて、今でも友だちでいてくれる人たちとのいい時間をすごしたいな、と思っています。

2014年7月23日水曜日

立ち止まる

なんのために、生きてきたのか、と書くと大げさになってしまいますが、
50歳を目の前にして、なんだか、ここまで生きてきた意味がわからなくなって,立ち止まっています。

私の行動ひとつひとつが、あやうくなって、どう整理したらいいか。
今が踏ん張り時のような感じです。

何回か書いたようにも思うのですが、以前の私は
「障害を持っていてもあたりまえに暮らす」
ということを目的に生きてきました。
どういうことかというと、できる限りふつうに過ごすと言うことです。
生活について、ひとりで暮らし、仕事を持って、私なりの家族をつくり、家庭を大事にして、仕事を生き甲斐に生きること。
こどもは欲しいとは思いませんでしたが、いっしょに生活を分かち合える人には巡り会いたいと思っていました。

私には欠けていたものがありました。
なぜ仕事がしたいのか、
なぜ家族が欲しいのか、
ということへの理由です。

社会の役に立ちたい、という、仕事に対しての正当な理由の奥には、
「私もいい仕事ができるということを社会に認めさせたい」
という気持ちがあったようなのです。

家族を持ちたい、自分の家庭を大事にしたい、という思いのうらにも、同じように気持ちがあったように感じています。
誰を大切にしたいか、という中身がなかったのです。

ものごとは形式でなく、本質の中にしか大切なものはなく、私にはそれがわかりませんでした。

人は、私にとっていつも「不在」だったのかも知れません。

私は誰かのために働きたかったのではなかった。
これは自分の心の中のこととはいえ、衝撃的でした。

私が今まで感じていた生きる目的は、私の不満を満たすためのものだったのでした。

それが壊れてしまった今、自分が何をしたら満たされていくのか、手探り状態になりました。

愛されたいという、愛されていると実感したいという、内なるものの存在はわかります。
そのために、たぶん生きてきたのです。

そのために求め続けて、間違えて来たのです。

人から愛される事を求め続けると言うことは、受け身であると言うこと。つまりこどものままで、成長できていなかったと言うことです。

人を愛していけるのか、今私が毎日生活の中で起こしていることは、愛がこもっているのかどうなのか。
わからなくても、どうであっても、やってみるしか道はない。
間違えているとおもったらやり直すしかなく、どうしようがなくてもいただいたいのちをまっとうすることが、最低限私が果たすことのできる責任です。

戦争のないこんなに恵まれた環境の中で、何不自由なく自立生活を続けられ、考える時間が与えられています。
戸惑っていても、正しい判断ができていなくても、ひとつひとつ考えて、やってみるしか方法はなく、そのように今生きられることに、私はもっと感謝の気持ちを持つ必要があるのでしょう。

私にもっと必要なのは、人に対する『おそれ』であり、それが謙虚な気持ちを生むのだと思います。
おそれとは怖がるという意味ではなく、謙虚になるという意味合いです。
それは、普段御世話になっている方々が、それとなく態度で私にみせて下さっています。謙虚さのない態度がどんな印象を与えるかも、見せてくれる人がいます。
きっと私もさんざん、こんな思いを人にさせてきたのかも知れません。

感じない心を感じるように鍛えることも、感じすぎる心を感じすぎないように鍛えるのも、私には難しいことですが、

やらないと。もう半世紀生きてきたことになってしまうのだから。
やり残しがないように。
ああ、でもできるかな、ずっとできなかったことなのにな…。

経験したままでなく

経験したままにしないで、経験を積み重ねる。。

これが、今まで私ができていなかったことみたいなのです。

たくさんたくさん経験してきたのに、そのことについて考えていなかった、ということでしょうか。
考えると言うことは、どういうことなのでしょう。
経験を考えると言うこと。

客観的にその出来事を見て、それがなぜ起きたか、何をする必要があったのか、時あ゛んのとった行動はベストだったのか。
そのことを思うことなのでしょうか。

思考とは、思いを考えること……と書くけれど、

ひとつひとつ、経験を思い出したら、そのことについて考えてみようと思っています。
でもこのブログには書けないな…。難しくて。
自分さえわかっていないのに。

2014年7月21日月曜日

沐浴

赤ちゃんの沐浴用のビニールプールを、初めて使ってみました。
久しぶりに下半身浴をしたら、めちゃくちゃ暖まってびっくりしました。

湯船のありがたさを改めて認識。
癖になりそうです。

毎日お湯につかれるように、安全な方法を考えようと思います。
ちょっとすべりやすかったので。
お風呂全体が、少し狭い空間であることと、今まで入り口との段差を埋めていた台を取り外したら、意外とその段差が大きくて、上り下りがしんどかったのでした。

午後からは、以前住んでいた家のお風呂用の低い台を久しぶりに持ち出して、ちょっと段差を解消してみました。

もともとこの家の浴室スペースは私にとって狭くて、湯船が壊れていないときもときたま入るぐらいが関の山でした。お風呂にあがったり降りたりって、あまり場所が狭いとうまくいかないものなのです。

なので、お遊びのような方法ですが、この赤ちゃんプールはいいかも。ちょっとせまいのは気になるけれど。

ちなみに、半身浴が終わった後、プールに残っていたお湯は、水深推定5センチ程度ですって。
ま、赤ちゃんじゃないし、、ね。


2014年7月18日金曜日

発見

今更ですけれど、こんなに英語ができなかったんだな…と。

大学のホームページに、英語を初歩から学べるeラーニングのサイトがあり、らいげつに受ける最後の科目試験は英文法なので、せっかくだからきちんと勉強しようと思ったのですが。
初歩なのにけっこう間違えています。今更ですが自覚しました。

苦手なので根気も続かず。

でも、せっかくの試験時間なので、楽しんでこようと思っています。

英語堪能になるのは、夢で終わりそうです。

2014年7月16日水曜日

室内での生活

3ヶ月ほど、自宅での生活に簡易電動を使ってみました。
畳にカーペットを敷いて、テーブルで食事する生活です。

関係するのかしないのか、緊張の強い右の肩から下がひどく痛むようになりました。
体調も関係しますが、いくぶん緊張が強くなった気も。
ごはんも食べにくくなってきていました。

それで、昨日からちゃぶ台生活にしています。

トンボ座りをするといくぶん腕が安定するので、少し力が抜けています。
こんなことってあるんですね。
私はぜったい車いす生活の方が楽だと思ったのに。

脳性まひは不思議。
わからないことが多いです。

あり、ありあり

小さな小さなアリが家の中にバラパラといて、困るほどではないけれど、どうしようかなあと思っています。

行列にはなっておらず、目を凝らさないと気にならないくらい。
でもいるんですよね。

見つけたぶんは容赦なくいたしますが、アリの巣ころり系は使いたくなくて、ハッカ水と輪ゴムで対処を始めています。

それにしても本当に小さな小さなアリです。いままで見たことありませんでした。

てまえみそですが

放送大学のエッセイコンテストに応募したエッセイを、ラジオで読んでいただきました。
アナウンサーの方に読んでいただく機会など滅多にないものなので、いい経験をさせていただきました。

エッセイコンテスト 7/1〜放送分

2014年7月14日月曜日

イスラエルとパレスチナ

テレビを見るたびに、
どうしたらいいんだろうと 思います。

宗教上の問題は
そして育ててしまったおたがいの憎しみは、どうにもならないものなのでしょうか。

私も、人の心が読めなくてたくさん失敗するけれど、
人の立場で考えると言うことがなかなかできない人間だけれど、

やっぱり私の今できることは、自分の中の戦争をなくす努力をすることと、人の立場を分かろうとする努力なのかな。

悲しんでいてもなにもできないし。
今できることはそこなのかな。

ガスのにおい

窓を開けるとガスのにおいがしたので、心配になりみていただくことに。
思いのほか大ごとになっています。

ただいま家のまわりのガス管を点検中。
コンクリがどんどんこわされていっています。

こんなことになるなんて。

でもおかげさまで、大家さんのお宅に初めてお電話して、ご関係の方とお話しすることができました。

こういう機会がないと話せなかったと思いますので、よかったなあと。
私の言葉も通じて、よかったなあと。

不動産屋さんもわざわざ様子を見に来て下さいました。

点検が始まって1時間半。どこからガスは漏れているんでしょう。

気がついてよかったです。


結局、ガス管に穴が開いていたそうです。
おかげさまで、ガスは使えるようになりました。

2014年7月13日日曜日

こんな天気だと

旅に出たくなります。

昨日は紫蘇の葉ジュース第2弾をつくりました。
他につけられるものはないか、思案中です。

創作意欲もちょっと小休止の今日この頃。
今日は知人に逢いに行こうかと思いましたが、少し出かけただけでのんびり過ごしました。

明日はどんな日になるかしら。

昨日、夢を叶えた方から嬉しい報告メールをもらいました。
叶えるために頑張ってきたことを聞かせていただいていたので、感無量でした。

2014年7月10日木曜日

ごとくの奥に

ガス台の話です。

先日、片方のコンロの火がつかなくなりました。
一見、どこも悪そうに見えないのに、どうしてもつかない。
ガスのにおいがひどくなるだけ。

火付けのための乾電池を替えてみたけれど、やはりだめ。
結局、ガス屋さんに見ていただきました。

ガス屋さん、ごとくのまわりをていねいに見たあと、私たちを呼びました。

なんと、ごとくの奥の器具の向きが違っていて、点火の火花の位置を隠していただけでした。

なあんだ。

と言うか、少し若い頃は、私、自分で見ていたのに。このしくみ、知っていたはずなのに。
私、老化か。。
思いもつかなかったなんて。

ガス屋さんに慰められて、出張ついでにストーブを片付けてもらって、一件落着。
解決したし、まあいいか。

ディア ドクター

最近観た映画です。

あまり書くと、ストーリーになってしまいそう。人の心の弱さが冷たく感じる、そして鶴瓶さんがあったかく人間らしく感じる作品でした。

最近は邦画をつい見てしまいますね。どうしても邦画の方が好きです。

2014年7月8日火曜日

すいかともも

商店街には掘り出し物が多く、日々顔を出すといろいろいいものを見つけます。
今年は結局梅を3キロつけたのですが、だいたい一キロ150から300円で買っていました。
今日はさすがにもう梅はなく、今年はこれで終わりです。

その代わり今日は熟れた桃を3個200円でゲット。

スイカ好きの友人用に昨日買っておいた小玉スイカもお手頃価格で購入。

おかげさまでスイカも桃もうんまかった!
すいかは、喜ばれました。

安くておいしいものはありがたいです。

梅、もう少し欲張ってつけておけばよかったな。
次は何をつけましょう。ピクルスかな、簡単なのは。

2014年7月7日月曜日

事務作業

雨の日は事務をやるとはかどるので、細かな書類を点検しています。
春に購入したワークチェアの保証書が、こういう日に出てくるものなのですね。

このワークチェア、意外と早く壊れました。

家の中を簡易電動で生活できるように切り替えたこの春、介助の方用に購入したのですが、高さ調整が出来なくなってしまったのです。

書類を見つけた今日、試しに修理依頼をしてみたら、新品と取り替えてくれることになりました。

七夕様。今日はいい日です。雨だけれども。

2014年7月6日日曜日

クチナシの花

文京区にある放送大学の学習センターには、門を入るとクチナシとジンチョウゲが植えてあります。
どちらもいい香りで私は好きですが、今はクチナシが咲いて、風に乗っていい香りが楽しめます。
目的を達成し、もう来なくなると思うと、少し寂しい気もします。

先日、大学の前を歩いていたら、5年ぶりに知人と出会い、思わず手を取ってさわいでしまいました。
その方も学生さんで、マイペースで勉学を楽しんでいるようです。
もともとは介助というかたちで出会いましたが、いろんな経験をされている方で、同じ大学だと知ったときは「どこかで会えるかも」と少し期待をしていました。
今回、めぐり逢えて本当に嬉しいです。

大学という共通のことでの思い出といえば、職場で一緒に働いていた方が先輩だったとわかったときも嬉しかったです。
仕事を引き受けてくれていたときに、傍らで努力をされていたことをその時初めて知りました。

そしてその方のひとことで、私は認定心理士にトライしてみようと思えたのです。

それまで、資格など嫌いでしたし、認定心理士は苦手な統計学やいくつかの分野の単位を取らなくてはいけなかったので、私には向いていないと思っていたのでした。


統計学にとても不安だったときには、先に道を行った先輩がいてくれました。
その頃、認定心理士は卒業研究をやらなくてはいけないと私は思い込んでいました。
私の「卒業研究の申請落ちちゃったし」という言葉に反応してくれたその人は、ちゃんと事務局に確認して書類を見せてくれました。
そして、統計はどうにかなるわ、と言ってくれたのでした。

楽しかった勉学の日々でした。

もう認定書をもらったつもりの、花の香りに酔うような思い出づくりでした。


2014年7月5日土曜日

しそジュース

しそジュースを今年もつくりました。

材料

赤ジソ 一袋
てんさいオリゴ糖シロップ 200g
水 1,5リットル弱かなあ
穀物酢 カップ1
レモン水 50ccぐらい


つくりかた
赤ジソは洗って泥をとり、茎をとって葉だけにしておく
水を沸騰させて、赤ジソを5分ほど入れる
葉が緑になったら鍋から取り出し、葉は捨てる
煮汁に糖類を混ぜ、20分ほど煮詰め、灰汁を取っていく。
最後に酢とレモン汁を加えて、醒めたら容器に入れ、冷蔵庫で冷やす。

薄めのしそジュースなので、そのままでも飲めます。
砂糖はレシピでは500gと書いてありました。

水の量は適当でした。圧力鍋に半分の量でした。


梅のメープルシロップ漬けをつくってみました。

用意するもの

材料

35度以上の焼酎
梅一キロ
砂糖お好み(一般的に300から500グラムでしょうか)

道具

ようじ
炊飯器
梅を入れておく容器

梅は1つずつ焼酎で洗います
出来れば炊飯器のお釜や、ようじ、容器などは、焼酎でキッチンペーパーを使って拭いておきます。

ようじでへたをとります

炊飯器に梅を入れます
糖類をお好みで入れます。
そのまま炊飯器の「保温」機能を押し、5時間以上そのままにしておきます。

私は今回、メイプルシロップとてんさい糖を使いました。量はとても適当で、てんさい糖は調味料容器用スプーンに5,6杯、メイプルシロップは炊飯器のお釜に3まわりぐらい入れました。

三合炊き用で一キロの梅が入ります。氷砂糖を使う場合は、一度に氷砂糖は入れられないので、何時間かおきに、数回に分けて入れることになります。

今回は結局三回つくりました。
3回目は一晩保温したせいか、ぷりぷりっとおいしい梅が食べられています。

メープル入りの梅酢は、炭酸水で割るとおいしいジュースになります。絶品です。

2014年7月4日金曜日

なんどもなんども

過ぎていったことが思い起こされる最近。ひとつひとつの自分の行動が、目に浮かんでしまいます。
思えば人にたいして浅はかなことをしてばかり。本当はどういう行動が善かったのか、その時の心持ちから点検する今日この頃です。

こういう時間も、必要なのかも知れません。

2014年7月2日水曜日

気が急いて

まだリポートの結果も出ていないのに、認定心理士の申請書類を整え始めました。
だって、結果が出たらパッパッパって手続き済ませたいんだもの。
リポートが通ることを前提に、考えております。

今日は体のメンテナンスの日。
あっという間の一時間半でした。
いろんな話しも出来て、体の痛みも消えて、嬉しいです。

残るは、資格にも卒業の単位にも(卒業しちゃったし)なにも関係のない英文法の試験を受けるだけ。

でもほんとにやる気でないんです。こんなにやる気ないのなら、他の興味のある課目にすればよかったです。心理学系の。
どないしましょうね

2014年7月1日火曜日

7月

昨日行ってきた神社にまた行ってきました。
おとなも書ける七夕の短冊に、ほんとにこどもの時以来、書くことのなかった、願い事を書いてきました。

今日のもやもやが、少し楽になりました。

本当の意味で、世界の平和に貢献すると言うことは、どんなふうに行動すればいいんだろう。
今、そう思いながら書いています。

今夜の「ありえへん」もとてもよかったし。ガーナのたけべさんも、大戦中の海軍の救助活動も、オーストリアに渡った女性の話も。

私は日々やりたいことを表現できているか、めいいっぱい体験しているか、
出来ることをやっているか、やりたくないことをやってはいないか。

恥じることなく生きているか。


今月はどんな月になるかしら。
前向きに、生きましょ。

2014年6月30日月曜日

理解すると言うこと

てるてるあしたというドラマの中では、16歳の主人公てるちゃんが、
いつもめっちゃいらいらして、怒っていて、

そのなかで、
「おとななら、怒らないで対処するの」と言うような言葉で(正確ではないけれど)輝ちゃんが言われるシーンがありました。

ああ、私も同じと思って。

最近、あることを通して、
ああ、私がその人を理解していなかったんだ
と自覚できたことがありました。

確かに、介助のあり方から考えたら、「私の考えは介助の理に適っている」のかも知れないけれど、 その人の気持ちを返って傷つけてしまった気がしています。

人としての関係の作り方としては、やっぱり私が間違っていたように思います。
その人を理解していなかったのです。

もう少しその人の側に立てていたら、私は少しちがう行動をしていたと思う。そんな気がしました。

私は介助がスムーズに行けばと思って行動していたけれど、もう一度考えてみたら、自分本位でしかなかったんだな。
やはり日々の出来事はばかにできないね。ていねいに考えていきたいな。

茅の輪くぐり

近くの神社で、初めて茅の輪くぐりを括りました。
いつも、わきを通って「くぐったふり」をしていたのに。

茅の輪の両側にスロープが設置してあったのでした!!!

感激。

さすがに手順通りにはスペースの問題もあり、無理でしたが、いやあ、私としては、通れただけでうれしかったっす。

神事はいろんな決まり事がたぶんあるでしょうから、こういうことが出来るって、この神社はやるなって思いました。
…もしかして私が知らないだけで、他の神社もあるのかしら。

大切な人たち

昨日は久しぶりの人と再会。3人の女子会でした。

私はお二人とは面識があるのですが、実はお二人同士も一度会っていたらしく、それも私の介助の交代の時の一度だけだったのですが、なんだか昔から知っていたみたいに楽しい時間を過ごしたのでした。

お二人とも私が一番はげしかった頃に介助に入って下さった方々ですから、ダイビングのこともスキーのことも知っていて、私より私のことを知っているのでした。

水がちょう苦手な私がレギュレーターをつけたりいろいろするのを観てきたので、「今後何をやってもあれ以上はおどろかない」「もう年をとったからあんなに激しいことにはならないだろう」などと言って笑っていました。

なんだか広い世界を感じました。このような方々のサポートを受けながら、私の豊かな時間がつくられていったのだと思いました。

会わなかった間の人生の重みは、私に強い勇気をくれました。

女子会っていいな。本当に今月は恵まれていました。

2014年6月28日土曜日

ただ君を愛してる

宮崎あおい、玉木宏、黒木メイサが出演している、「ただ君を愛してる」を観ました。

そうだな、自分の気持ちを押しつけないって、こんな感じなのかな。
だからといって、伝えないわけではなくて。


相手のことを、第1に考える。
大切なひとだから、理解しようと努力する。

最後は切なくて、でも女同士の友情を感じました。

そして、恋愛対象になった異性は、友だちではなく、こいびとなんだなあって。
なんだか感想書くのってムズカシイ。

てるてるあした

しばらくパソコン休んでいました。
体のキンチョーがキンチョールだったのです。(ちょっとまだヘンかも。)
書きたいことはそのつどあったのだけれども、ほとんど忘れてしまいました。
やっぱりサボるとだめですね。

てるてるあしたという、すこし前のドラマをみました。

なんか、人のために何が出来るのかって、考えることが大事なんだなあって。
それを見せてくれたドラマでした。

人がその心を強くしたとき、自然にそれが出来るようになるようだけれども、
日々の心の持ち方が大事なんだなって。
ドラマなのでわかりやすくみることが出来ました。

それから、人を育てようと決心することも、そのことについて責任を担うことも、すごいことだなあって。

本気でその人のために動くことも、命をかけて守ることも。

そして、その人をそのまま愛することも。

人を想っていくことは、本当に大事なことなんだな。

2014年6月24日火曜日

解放

大学のリポートが提出でき、今日は心置きなく久方ぶりの知人とおしゃべり。
わざわざ訪ねてくれました。

数年前はもっと頻繁に会えていたのに、リラックスした話はできていなかったなあ、と実感。
私はやっぱり一人で出来る仕事が向いていたのかも。
それか、お客さまと1対1のお仕事か。

訪ねてくれたお二人は、よく笑ってくれました。
うれしかったな。

忙しかった今月。風邪もひいちゃってよけいな体力も使ってしまいましたが、おかげさまで予定していたイベントはすべて終わりました。

それにしても。本当に大学、終わっちゃうんだな(リポートが通ればですが)。
すごく楽しい4年間でした。遠回りはしましたが。(リポートが通れば…)
資格、役に立てればいいんですけれども。そこまではのぞめないですよね。

2014年6月22日日曜日

なぜなんだろう

乗り越えてきたはずの出来事が最近また身の回りに起こり、対応に戸惑っている自分がいます。
なぜ今、こんなに来るのか。
私が改めた方がいい考えはなんなのか。
なぜこんなにものごとにいちいち反応し、憤慨してしまうのか。

相手に悪気があるわけでもないので、いつもの私の悪い癖が出てしまっているのかも知れません。
なぜ今なんだろう。
もう少し考えてみます。

2014年6月20日金曜日

まだ気が抜けないけれど

二日間の面接授業が終わり、ホッとしています。
心理学実験のリポートはわんさか書かないといけないので、書き終わったあとの開放感を想像しながら、早いうちに成し遂げようと思います。
心理学のリポートの書き方は、私が普段書く好き放題の文とまったく違う書き方なので、不得意分野の文章を書くトレーニングにもなるのです。

今日感じたことは、実験の面接授業をもし入学した頃に選んでいたら、私は適応できなかったかも知れないと言うことでした。
今日の実験、2つのうちひとつは時間が追いつかずデータとして生きなかったし、もうひとつはみんなと同時進行に出来ませんでした。
たぶん入学したての頃にこういう場面にあったら、私はきっと憤慨するだけだったかも知れません。
差別意識の観点からしか物事をみられなかったかも知れません。

別に除外されているわけでもなく、そこにいて出来る限り参加しようとしたことに変わりなく、そして指導して下さった先生のお考えのように進行していったのですから、それを受けとめて、私は私でベストを尽くせばいいのかな、と思いながら参加していました。

人並みに出来なくても、それが私。出来ることをすればいいのです。

すべて授業が終わって、その場でリポートを提出していった人たちもいらっしゃって、人はさまざまだなと改めて思いました。
自分の身体的・感覚的能力が観られたのも、計3回受けたこの面接授業のおかげです。介助の方がサポートして下さればなんでも出来ると心のどこかで考えていた私は、見事にくずれました。

人のサポートがあって初めて出来ていく日常生活のさまざまなことは、サポートがなければ叶わないのだと言うことを、私はわからなければならなかったのでした。だからサポートして下さる人を集めなければならないと考えるのではなく、サポートを受けることが出来る今日をまず感謝すると言うことなのでした。
そこのところが、以前の私には足らなかったのだと思うのです。なのでその頃にこうした実験の授業を受けても、心を怒りに燃やすばかりで、学べなかったかも知れません。

物事の順序というものは、よくできているものです。

こんなにうまくできているのに、わたしの心はまだまだです。

こんなことを書いている間に、リポートに向きあわないと。それこそ今私の出来ることですね。

2014年6月19日木曜日

今日明日と

最後(でありたい)心理学実験の面接授業です。

夜はさすがに疲れて甘いものを食べちゃいました。

明日は昼はカツ丼にしようかな。

やはりスタミナをつけないと頭がふらふらします。
1日の授業で音をあげるなんて、情けない私です。

つつがなくリポートが書けますように。

今日は着の身着のままで学校にいってしまったので、明日は少し格好も気をつけようと思います。

2014年6月18日水曜日

幻の光 ひとこと感想3

 祖母の失踪、夫の自死を静かに静かに癒やしていく。「なぜあの人は死んでしまったのだろう」この問いかけへの答え方に、心が落ちつきました。是枝監督だったんですね。見終わったあと気がつきました。

天国からのエール ひとこと感想2

他人だからこそ、何かをしてあげたいんだ、昔はそんなおとながたくさんいた…、
こう言いながら行動してしまう心は、すごいなと思った。

引き出しの中のラブレター ひとこと感想1

ホッと心が温かくなる映画でした。主人公に忠告する女友達のぞくっとするような一言がよかったなあ。

2014年6月17日火曜日

独りよがりをやめて

自分の予想と反したことが起こると、私は一瞬、気持ちがかたまってしまいます。
まるで、自分の中にシナリオがあり、一字一句合ってないと気が済まない人のよう。
アドリブがまるで効きません。

どのぐらい長い間、こうして無意識に自分のシナリオの中で生きてきたのか。

そこには私の世界しかなく、人の存在は幻想に似ていました。
理解していると思っていた、私の中の登場人物。

その人がその人のままであることは、その人らしいことなのに。
自分だけ、自分らしくあればいいと思っていたみたい、長い間。

無意識の世界はとても怖い。
自分で意識できない、無限の世界だから。

この、独りよがりな独自の生き方を見直したとき、少し世界が広がりそう。
さあ、変われるかな。

2014年6月15日日曜日

マンデラ 自由への長い道

イオンシネマでやっていたので先ほど見てきました。

すこし心の中にかたまりが出来てほどけない感じです。

あまりにもひどくてつらい思いをしたあと、人は本当に人を許せるのか、
心の激しさを忍耐強く昇華させるとはどういうことなのか。
身近にいる人への愛を忘れないとはどういうことか。

もう少し考えないとうまく感想が書けないのです。

なんか、人は完璧ではないというか、マンデラさんの人間くささがちゃんと描かれているように思いました。

奥さんの哀しみをおもんぱかれというほうが酷なのかも知れないし、

心が重くなりました。それもいい体験なのかも知れません。

この項、書き直すかも知れません。

差別を受ける側は謙虚で賢くないといけない。

映画「42」を観たときの、そんなことを思い出しました。

2014年6月14日土曜日

それでも人生にイエスという メモ

上記の本を読みました。
夜と霧 という本も読みたかったんですが、貸し出ししていないみたいで。あとでもう一度探してみようと思っています。


「人生は絶えず、意味を実現するなんらの可能性を提供しています。ですから、どんなときでも、生きる意味があるかどうかは、その人の自由選択にゆだねられています」

『生きるとは、とわれていること、答えること
ーー自分自身の人生に責任を持つことでである。」

『ですから、生は今や、与えられたものではなく、課せられたもののように思われます。生きることはいつも課せられた仕事なのです。このことだけからも、生きることは、困難になればなるほど、意味あるものになる可能性があることはあきらかです。」

「そもそも、愛は功績ではなく、恵みなのです。それで、愛を通っていくことによって、『恵みの道で』、他の場合には働いて得なければならないもの、活動によって手に入れなければならないものが与えられるのです。つまりそれぞれが唯一であり1回きりであると言うことが実現されるのです。」

「彼は、活動的でやりがいのある職業生活を送っている最中でした。多忙な広告デザイナーだったのです。ーー略ーー腫瘍のせいで、すぐに手足がマヒ状態になりました。そこで、彼はもう、それまで主として自分の人生を意味のあるものにしてきた活動的な生活という方向を維持することが出来なくなりました。ーー略ーー
 病院で横になっているとき、彼は猛烈に読書に取り組みました。ーー略ーー せっせと音楽を聴き、他の患者さんのひとりひとりと活発に会話を交わしました。ーー略ーー 
 ところが、それから病気が進行して、もう書物を手にすることも出来なくなるときが来ました。それほど筋力が衰えたのです。そのときには、もはやヘッドホーンの重みにも得られませんでした。ーー略ーー その患者さんは、自分の命がもう長くないことを、それどころかあと数時間しかないことをまったく正確に知っていました。ーー略ーー ベッドのそばを通りかかったとき、彼は合図して私を呼び寄せました。そして話すのに苦労しながらこう伝えました。午前の病院長の回診の時に聞いて知ったのだが、G教授が、死ぬ直前の苦痛を和らげるため、死ぬ数時間前に私にモルヒネを注射するように指示したんです。だから、今夜で私は『おしまい』だと思う、それで、いまのうちに、この回診の際に注射を済ましておいて下さい、そうすればあなたもしく直の看護婦に呼ばれてわざわざ私のために安眠を妨げられずにすむでしょうから、と。このようにして、この人は人生の最後の数時間でもまだ、周りの人を『妨げ』ずにいたわろうと気を配っていたのです。」
            (いずれも「それでも人生にイエスという 春秋社」から抜粋)
この本を読んでいると、瞬間瞬間、大切に生きたいという気持ちがわいてきます。好きな箇所をメモしました。
 さりげないけれども、人間らしい業績。できればそういうものを残して生きられる人間になってみたいです。

2014年6月12日木曜日

雨と夢のあとに

すこし前に放映されたドラマですが、今頃観ました。

人の思いって、自分が生きていても死んでいても変わらないんだなって。
性格も、思い込みも、視野も。

そして、人を大切に想い愛しているひとを心から愛していくことって、誇り高い行為なのだと、
このドラマを全部視て思いました。

フィクションだし、ホラーという分類らしいし、好みもあるとは思いますが、私にとっては、
ああ、こう思うとこういう行動になるんだ(この行動はこういう意識から始まっているんだ)

相手のことを考えていないと言うことは、こういう行動のことなんだ、と自分の今までの似たような行動とドラマの出来事を照らし合わせている感じです。

柳美里さんの原作とのこと。小説とドラマとは違うようですが、小説も読んでみようと思います。

2014年6月11日水曜日

昼飲み

懐かしい友人が家まで訪ねてくれたので、贅沢にも昼飲みを。
お互いに近況報告しあい、ゆっくり話せていい時間でした。

今月は本当に恵まれた月です。
風邪をひいてしまったことだけが想定外ですが。

そうですね。あとは、つい自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう癖を、どうにかしないと。
友人に、知人に恵まれていると言うことをいつも忘れないで感謝できる自分でいられますように。

自分の心に不安が舞い込むと、私は人の気持ちがまったくわからなくなります。
これも経験の中でひとつひとつ考えていくしかないのですけれども。

昼飲みで友人の話を聞きながら、ふとそんなことを思ったりしました。

年に一度

昨日は年に一度のお仕事の日でした。

とっても楽しい1日でもありました。
毎年毎年自分の生い立ちを話せる機会をいただくと言うことは、どんなに恵まれていることなのか、毎年話すたびにわかります。少しずつ、自分の考えが変化していくからです。

この機会をいただけたことに感謝です。

友人に会えることも、こんなに満たされることだったんですね。

西早稲田から早稲田に向かう道は、濃くなった緑がすがすがしく、気持ちがリフレッシュするようでした。
副都心線に乗ってしまえば自宅からはそんなに遠くなく、とてもスムーズな往復でした。

2014年6月8日日曜日

花菖蒲

浜離宮に初めて行ってきました。
雨もそんなに降らなくて、涼しく過ごしやすいひとときでした。

おしゃべりも楽しく、3人で花菖蒲と緑を満喫。

少し背高の白や薄紫の花は、やわらかでしとやかで、誇り高いような感じがしました。

こうしてひとつひとつ新しい時間を体験していくと、いつの間にか少しちがう自分にあえるのではないかとおもうような、そんなかけがえのないひとときでした。

そうですね。焦ることなく、心に遊びを持って、
ひとつひとつの体験を楽しめばそれでいい。
心から楽しめるならば、それでいい。

きっと、そんな大切な時間が増えていく、そんな予感がしました。

東上線と、有楽町線、大江戸線。
地下鉄、私鉄は本当に乗りやすい。
車いすに乗っていることを一瞬忘れます。

大江戸線の完全バリアフリーには、まだまだ不慣れな私ですが(*^_^*)
障がい者扱いに慣れすぎているものですから……。

2014年6月7日土曜日

我がふりなおせ

人の言い方が野暮なことはわかるのに、自分の言い方はきっとわかっていないのだろうな。

野暮な言い方というのは、イライラとするもの
まわりの方々にフォローしていただいて、なんか自分が情けなかったな。

野暮な言葉を粋に返せるようになりたいな。

そして私もいつか、野暮なことを言わないような装いを身に着けたいものです。
精進するしかないですね。

お世話になる立場なのに、わきまえてないのは私ですね。


話変わって、板橋の旧川越街道は、一歩通行のところがあります。
一方向からの車をみていればそんなに危険はないのだけれど、駐車する車が多いから、歩道を通れないことも多く。

止まっている車をよけて、走っている車を避けて、自転車に気をつけて通るのだけれど。

駐車禁止とかそういうルールは、あってもないもの。
ルールを守らないから、その人は悪人、というわけではありません。

そう言うことは日常茶飯事。そして事故に遭うほうが、ふちゅういだったということになるのでしょう。

人はいつも、自分よりの人生を生きていて、
私もその一人。
他人にどんな迷惑をかけているかは、実はわかっていないことが多く、
平和に過ぎた1日を、奇跡とも思わずに、あたりまえの1日だと思って生きているのかも知れません。

野暮な自分だけれど、粋にいきたい。
うまく行かないけれど、努力をしたいと思います。

2014年6月6日金曜日

本降り

私の住む家は、昔のテレビ番組で例えるなら『八時だよ全員集合』のコントに出てくる「ドリフの家」のよう。
まずまず、賑やかです。

映画を見にいこうと思いましたが、雨に負けて引きこもり。
来週からめずらしく少し忙しいので、風邪を治しきらないと。

数年前、童話を書き続けたいなあと思いづけているとき、あるアドバイスをいただきました。
「障がいを持った子どもにしかわからない、気持ちとか、焦点をあててみるといいかも。誰も書いていない分野だし…。」
そのとき、ああ、書きたいなと思ったのですが、私のなかでうまく理解が行かなかったのでした。

障害を持った子どもの気持ちって、その孤独感のような飢餓感のような気持ちって、どういうものなのか、
自分がまさにその子供だったのに、まるのまんまの体験をしたのに、今ひとつピントがずれていたようでした。

今回、わかりました。
ああ、これなんだ、と。

私は私のなかで子供をやめて、身近な大人がみる「障がいのあるこども」へのまなざしがやっと客観的に見えた気がしました。
すべての関係がそうではないと思うし、こどもの感覚と親の感覚は障害の有無に関わらずずれるから、これはわたしの感覚なのかも知れません。

今日は少し今後の作品への助走。
再来週のスクーリング「心理学実験」が終わるまではちょっとまともにかけそうもないので、イメージを忘れないためにも。この場を借りてなんだかわからない心境を書かせていただいて。

小説を書ける人って、人の感情のありかを客観的に見極められる人なのかも知れませんね。
私はあと何千回人生を経験しないと無理そうです。


2014年6月5日木曜日

伝えてみてわかったこと。

やってみなくてはわからないことは、やったほうがいいと思ってきたけれど、

やらなければわからないとしてもやらないほうがいいこともあるんだなあと、今実感しています。

相手の人が理解できそうもないことを、やったこともないことを、求めてはいけないというか、そこのところ、相手の人を理解していなかったなあ、私。という気持ちです。

役割とか理想に走っていたんだなあと。
その人自身を観てはいなかったんだなあと。

最近の出来事を観たときに、そう思いました。

何かリアクションしなくてはいけないのだけれど、
最初に行動したのは私なのだし。

もう少し考えて行動したい、今夜の気分です。
なぜなら、その方の傷口をこれ以上広げたくないし、
だからといっていい言葉は見つからず…。

考えられるかしら…。

支離滅裂で失礼しました。

2014年6月3日火曜日

こんなに早く

こんなに早く夏風邪を引くなんて、気が早い。

でもおかげさまで早い回復です。

そして健康診断でよさそうな医療機関も見つかりました。

さあ、もう風邪はひかないつもりです。そんな暇はないし。



2014年6月1日日曜日

6月

たぶん、始まりの月です。

遊びも、学びも、再会も目白押し。

しかし私は少し風邪気味。なんとなくいつもの咳が出始めました。


寝冷えかなあ。

こんな遅くに書いている場合ではないですね。

2014年5月30日金曜日

暑かったせいか

ボーッとしてしまいました。

少し昼寝してしまったし。

おかげで読んでしまいたかった本が読み切れませんでした。
残念。

今朝は女性の品格 を読み終わり、ティーンズ向けに書かれたもう一冊を読んでいます。

こうして確認すると、自分がいかに勘違いをしていたかわかります。

友だち関係も
生き方も



でもあたまでわかっても、なかなか切り変わらないのが悩みの種です。


しかしここまで書いてもらわないと、私もわからないんだなあ。なんだか、こんな年になっちゃって、何やってきたんだろう。
子供向けの本が、少し恥ずかしい今日でした。

2014年5月29日木曜日

日曜も月曜も火曜も

めずらしく約束や用事が続いて、引きこもらない日々でした。

大事な人との再会や、大騒ぎのゆかいな飲み会、所用。
思いがけない人とまちなかでお会いしてひさしぶりにメールをやりとりしたり。

そう、自分の出来ることって、自分が思っていることよりも実は違うことで、視点を変えないと出来ないことなのかも知れないなあって、ある人との対話から思いました。

友人や、知人が、私に求めることは、私がやりたいこととは違う。。
そして、ほんの少しだけど今でも私は何かを友人に差し出すことが出来ていて、私との中を続けてくれているみたい。

久しぶりに介助として入ってくれた友人の言葉を聞きながら、そんな気持ちになりました。

出来れば無意識ではなくて、意識的に行動していける時間を増やしたいけれど。
あまり先走ると、また変な風に歯車がまわってしまいそうで。

友人との、一ヶ月に一度の貴重な時間が、また始まりました。
介助を受ける生活って、本当に不思議。
お一人お一人との、いろんな関係性が、そこに生まれて、流れて、形づくられていきます。
消えていくことも、つむぎ続けていくことも。
家族のような存在になることも。

もちろん、介助ではなくても、いろいろなシチュエーションがあるのでしょうけれども。

関係性に感謝です。


2014年5月28日水曜日

チョコレートドーナツ(any day now)

さっき、観てきました。
やはり、いつも愛を持って行動できるように努力しないと。
私欲とか、利益とか、正義とか、建前とか、
かくれている偏見や先入観や差別に気がつかないまま、自分がいい判断をした気で行動していたら、誰かを傷つける結果を引き起こしてしまうかも知れない。
取り返しのつかないことに荷担してしまうかも知れない。

そんなことを教えてくれた映画でした。
生きる意味を伝えてくれる作品です。


今朝まで、この映画の存在も知らなかったのですが、おかげで気持ちがしゃんとしました。
やはり人は、人のために生きないと。
うまくできなくても、そういう気持ちで生きないと。
ほんとに、みることが出来て、よかったです。

2014年5月24日土曜日

個と共同性

「個と共同性(わたしとわたしたち)」という本を読みました。
新しい世界史のシリーズです。

中国とベトナムに焦点をあてて、社会主義の政策がどのようにつくられ、市民に浸透していったかが興味深く書かれてありました。

読み終わって感じたことは、個人の欲を社会として統制したり、コントロールしていくことは、無茶のような印象を受けたことでした。
個人の利益を追求していく資本主義社会に生きているから、違和感を感じたのか、わからないのですが。

豊かになっていけば感じてしまう独占欲や、比較することで起こるさまざまな感情的なことを、社会システムだけで完全に処理をするという考えは、無理があるように感じたのでした。

だから多くの国が資本主義なのかなとも思いました。

二国間のからみはほとんど書かれてなく、あくまで社会システムの流れがどうできたかという本だったので、私には理解しにくかった社会主義のしくみがわかりよかったです。

とっつきにくそうで後回しになった本でしたが、一応完読して図書館に返せたので、少しホッとしました。

厚焼き玉子各種

都合で厚焼き玉子を数種集めてみました。
セブンの2種と、福からの厚焼き玉子の串揚げ。
玉子があまり好きでないので、こんなことをする機会はあまりありません。
この際だからいろんなコンビニで買ってみようと思ったのですが、そんなに量も食べられないだろうと言うことに気がついて、3種だけにしました。

セブンのは、パック入りとトレイ入りだと味も見た目も食感も違うので、同じ店のものなのにおもしろかったです。

福からの串揚げは、そんなに厚焼き玉子にそそられない人でも、楽しめるかも知れません。 
玉子好きの友人は楽しんでくれたようだし、よかったです。

行きつけになりつつあるお店を紹介できたのもよかったかな。
やはり、ふらふら出歩いていてよかったです。

でも、私の家のトイレは、やはり使いにくかったみたいです。不便をおかけしました。

次回はからおけに行こうと言うことに。
おいしいランチの店、探しておかないとね。

だから言ったでしょう

哲学の講義が終わりました。

今回は難しかったです。やはり哲学は、腰をすえてやらないと理解が出来ません。
私がわかるようになるまでには、まだまだものすごく時間がかかりそうです。

授業のあとにリアクションペーパーを書くのですが、
私は物理的な問題で、その場でうまくかけないので、あとから先生宛にメールしています。
この先生の講義は、毎回このリアクションペーパーをもとに授業が始まるので、そこが好きなのです。
質問に対する疑問や、先生の考え方をお聞きすることができますから。

もちろん、初めて哲学の授業を受けたときは刺激的でした。3回目なので、慣れました。

ちなみに、メールでリアクションペーパーを書くので、私はその場では紙をもらいません。
先生は、私の分は枚数からはずして学生に配ります。

今回私の席は一番後ろだったため、私は紙を回して下さる前列の学生さんに、私の分がないことを毎回説明する必要がありました。

このちょっとしたことが、うまく行きませんでした。

最終日。机に座れず最後列で椅子で授業を受けていた女性が、私が差し出したリアクションペーパーをうけとることを戸惑いました。
この紙が、私の分ではなく、彼女の分だと言うことが伝わらなかったのでした。

説明を何度もしたのですが、小さな声だったこともあり、うまく伝えることが出来なかったんだろうと思います。
私のまわりにいた数人の方々も、ことの次第は理解できませんでした。

私は、何度かトライしましたが、伝えることを諦めることにしました。気分は悪かったけれど、授業中です。

と先生が、
「村山さんの分は枚数から抜いてあるので、ちょうどなはずです」
それまでの態度が変わって、リアクションペーパーは無事にその方のもとに届きました。

ここで私が、にっこり笑ってお辞儀が出来るようになったら、大人なんだけれど。

口から出ちゃいました。
「だから言ったでしょう」

だめですね。
これを言うとますます怖がられちゃう。

大人になるのは、私にとっては至難でございます。


ところで、教室は三人掛けの机と椅子。三人掛けだとたいていまん中の席にはみなさん座りません。
両端から埋まっていきます。
そしてあとからいらした方の数人は、まん中の席に座ると言うことも出来ません。
空いている席の端の人に声をかけて座る方ももちろんいらっしゃいますが、数人は遠慮して机のない最後列で授業を受けていました。
そんな中での一コマでした。

私はどんな態度を取ればよかったのか。
やっぱりにっこり笑ってお辞儀かな。
それか、相手のほうをみない(場が悪いでしょうから)。でも無視するみたいで…。
どうしたらよかったんだろうな

まずは、口を慎みます。

2014年5月23日金曜日

いつか眠りにつく日まで

原題 Evening という映画を、みました。

初めておかした人生の過ち…主人公はその思い出に悩み、最期の時を過ごします。

そして最期にある結論に行き着くのです。

「あなたはたくさんのものを望んで叶えてきた」と昔の親友はいい、本人はそれを認めます。
あなたは幸せだった?
という問いかけに親友は、
やるべきことは果たしたわ

と答えます。

人生はいつも波立っているように見え、その時々は悩むけれど、最期の最期で納得できるような、自分に恥じない生き方をしたい、そんなことを思いました。

2014年5月20日火曜日

リアクション

今日、気付いたことがひとつ

なんやかんや人のことを妄想して、独りよがりの先回りをして、いろんなことを準備して関係する人間関係って、自己中心の関係づくりなんだなあって。

私は結局自分のことしか考えていなかったんだって、改めて。
少し前までの人間関係がほとんどそれでした。

相手のことを理解しようとして、相手のことを思いやってしていたことならよかったのですが、違ったみたいです。

怖さから抜けられなかっただけなんだなってわかりました。
怖いから自分の身を守りたかった。それだけだったんだったって。

人との関係を作るって、そういうことではなくて、相手の行動に対してリアクションを取っていけばいいんですね。
先回りせずに。
妄想せずに。

今日はそんなことを学んだ日でした。

そして、人を想う気持ちって、ステキだなーって、ひとの言葉を聴きながら感じたのでした。

2014年5月19日月曜日

私にとって介助って

介助の時間というのは、「生活に手助けが必要な時間」なのだけれども。

もし、私が自分本位に、「生活に手助けが必要な時間」だけを決めていたとしたら。
本当に「望む通りの時間配分で人に来て欲しい」ということになってしまいます。

たとえば、朝は今日はこの時間しかいらないとか、トイレの時は呼びますからその時に来て下さいとか。

「生活に手助けが必要な時間」というのは、「介助という仕事が成り立ち、介助の必要な人がその人個人の生活のどのサポートでも受けられるよう設定した時間」なのかも知れません。

埼玉で自立生活を始めた頃、教えたもらったことが、
「障がい者が自分の生活を自由していくために、介助者をどう雇っていくかを考える必要がある」ということでした。
行きたいときにトイレに行くということをどのように考えていくか。

介助の方の「待機」(今の言葉で「見まもり」)という発想を、私はこのときに教わったように思います。

一緒にいて下さる方のことを考えた、介助時間。

介助の方とともに生活する時間、という感覚。

最近、それを思い起こすような出来事があり、自分の介助時間の決め方について思い起こしました。

そこで働く誰かがいて、私の生活が出来ているということ。

私は、介助時間を自分で設定しています。
誰かから相談なく時間を変えられてしまうものではないと思っています。

でもたとえば、介助に入る予定の方がやむを得ないことで予定より短くなってしまう場合、または私の希望を少しずらすと介助可能ということがある場合、時間調整することがあります。

私の体の状態は、それが可能な状態なのかも知れません。
毎日、24時間誰かがいないと生活できない、と思うほど障がいではないと思うから。

私は私の体のままで、体験できることがあるのでしょう。

介助として関わる方と、私の生活をうまく互いにすりあわせて、この関係が続いていくのだと思います。

介助を受ける時間は私にとってとても大切な時間。
自分本位に設定した時間ではないから、サポートして下さる方と一緒につくる時間だから。
そして私の小さな日常の希望が叶う時間だから。

よく考えて設定し、入って下さる方といい時間を過ごしたいと思っています。

2014年5月18日日曜日

やるべきこと

人生でやるべきことって、自覚できないもんなんだなあと、今更ながら感じています。
わからないことが多すぎてはずかしいけれど、出来ることをやっていくしかない。
自分に渇を入れて、おやすみなさい。

2014年5月16日金曜日

ただ歩いていただけ

冬の間使った毛布を洗いにコインランドリーへ。
以前住んでいた家の近くには、大物洗い用の、利用料800円(洗剤付き)洗濯機が置いてあり、毛布2枚などお手の物だったのですが、今の地域ではそうもいかず。一枚ずつ分けて洗いました(それでも大物洗いより安かったけれど)。
と、洗濯に来た男性が、
「あ、洗剤忘れちゃった。少し分けてくれませんか」
私もランドリー用の小分けパックを2つしか持っていなかったのですが、合成洗剤だしひとパックの量も多いので、一つ差し上げることに。
「おかねはらいます」
などと言って下さいましたが、お金に換算できないからと断りました。

ランドリー代の小銭が足らないことがわかり、1機目の洗濯機のスイッチを入れたあと、お金をくずそうと近くの自販にいくと、ちょうど飲み物を買いに来た別の男性に話しかけられました。

「(介助の方を示唆して)娘さん?」
「いいえー、違います(ちなみに私と介助の方は同年代)」
「(私の足をみて)足が悪いんだ」
「足だけじゃないんですけど…」私が言うと、
「全身打撲?」
「ちょっと違うかなー」と私。
「打撲は痛いよねー」
うーん。

そんな会話をしたあとにもうひとつ洗濯機を回し、日常品を買ったりして時間をつぶしてランドリーに戻ると、洗剤をあげた男性もちょうど洗濯終了時間だったようです。
「さっきは迷惑かけてすみません」
「迷惑なんて思ってません……」
「女房に怒られちゃいましたよ。人に迷惑かけるんじゃないって」
「……。」
後から回したほうの洗濯機がもう少し時間がかかると言うことで、少し商店街を歩いてみました。

すると、お休みのお店に張り紙が。
「ケガのためしばらく休みます」
お気の毒に、と思いながら、
しばらく歩くと、別の店に張り紙が。
「打撲のため今日は1日休みます」

そうか…。

ただ洗濯に行っただけなのに、なんだか気分がかわりました。
ケガされている方々には、早くよくなられますように。

毛布はおかげさまで、2枚ともきれいになり、今外で風にふかれています。



2014年5月15日木曜日

真夜中になってしまった

あっという間に時間は過ぎて、真夜中になってしまいました。
徹夜は出来ないのでもう寝ます。
1日はすぐ終わりますね。やばいなあ。

2014年5月13日火曜日

キムチチゲ

友だちが来てくれたので、キムチチゲを真剣につくりました。
でもだしは少し手を抜いて、昆布とコンソメ(鶏ガラスープのかわり)と液体白だし(鰹だしの代わり)を。
にんにくの代わりににんにく塩麹付けにした豚バラを使いました。

手を抜いた割にはおいしくできてよかったです。

いつも定期的に飲んでいた3人ですが、
この3人で飲む最後の晩餐。
少しキュンとなりました。

人とは必ず別れが来て、ともにすごした時間が終わります。
大切に、大切にしないと。
いつかまたであったときに、喜び合えるように。

2014年5月12日月曜日

今更ですが2

東野圭吾氏の小説にはまっている私は、ドラマも全部見たくなり、「新参者」を観始めました。
しばらくはまり続けるかも知れません。

時間はいくらあっても足りません。

2014年5月11日日曜日

今更ですが

ゲゲゲの女房を観始めてしまいました。
ドラマはほとんど敬遠してみないのですが、どうしたわけだか。
ちなみにリアルタイムでは一度もみませんでした。

日本の『家』の有り様や、家族の役割みたいなものがすごくわかり、自分の立場とは切り離して「そうなのか…」と思いながら観ています。

自分と絡めてしまうと複雑になってしまうけれど、客観的に見ると日本の家、家族、はこんなふうに営んでいるんだよなあ、って。

背か高いともらい手がないとか、早く嫁に行かないと幸せになれないとか、そうだな、ここで協調される幸せとは、自分の役割(役に立つこと)をはっきりさせることなのかも知れません。

こういう日本的なドラマを見るときは、やはり自分の感情、自分中心の見方はそこには混ぜないほうがいいのかも知れません。

2014年5月10日土曜日

ナイジェリア

大勢の女子生徒が連れ去られてから時間が経ってしまいました。

「欧米流の教育を受けさせたくない」これが大勢の子供たちへの暴力となってしまったことがとても悲しく、何と書いていいのか言葉を失います。

宗教は本来、人の心を豊かにするものであるはずなのに。

無事に戻られることを祈ります。

2014年5月9日金曜日

マルブランシュ

おとといは歯医者さんで入れ歯の調整をしたあとに、哲学の第2回目の講義を聴きに。
今回は哲学の専門科目なので、とてもとても難しい。
連チャンで出かけているせいかひどく眠くなって困りました。

デカルトからマルブランシュへ。
西洋の「神」の考え方は、私には少し受けとめられないものがあるみたいです。

霊的真理と同じ言葉が出てきますが、それを哲学的にとらえて考えるところも難しく、でもなんとか感想メールを出し終わりました。

マルブランシュはデカルトの弟子ですが、デカルトより信仰のあつい方だったそうです。

この程度しか書けない私は情けなく…。

来週はスピノザ。そしてカント。ついて行けないかも。

でも、この先生の講義は好きなので、最後まで出たいと思っています。そして頭を整理するトレーニングに活用させていただきます。

2014年5月7日水曜日

いくべー

秩父の羊山公園、秩父神社、野坂寺に行ってきました。
秩父のほうは、現実的にあまりいったことはないのですが、子供の頃過ごした場所が寄居という埼玉県北部の町だったので、秩父というとよく話題になる場所でした。
なので懐かしさがあります。

武甲山を観たのも数えるぐらいなはずなのに、なぜかなつかしく。
あいにく曇り空で星は見ることができませんでしたが、おいしい空気を吸って新緑を楽しんできました。

羊山公園は、芝桜がまだ咲いていて、鮮やかでした。車いすで走ったのに、ハイキングしたという感じです。
帰り道、近道の下り坂を下りたら車いすが坂の傾斜にタイヤを取られてしまいました。通りかかった数人の方々に手伝っていただきました。
おかげさまで無事に平坦な道に降りることができました。
思わぬところで助けていただきながら、秩父市内を堪能し、とてもいい経験ができました。
小さな電動車いす(簡易電動)で動いたのですが、傾斜に対して限界があることを身をもって実感しました。こういうことがわかるのも、非日常の環境ならではです。

きりの花を初めてみました。いやもしかしたら初めてではないかも知れません。

初めてディサービスのおトイレを使わせていただきました。都心ではそうはいっても多目的トイレはあちこちにあるので、あまりディサービスの場所を使わせていただくことはありませんでした。

ゴールデンウイークにこんなふうに出かけるなんて、久しぶりでした。
一緒に出かけた友人とあーだこーだいいながら過ごせたことも、介助のかたちにこだわらなくなったからこそできた、楽しいひとときだったように思います。
駅員さんの対応とか、もちろんこだわることも必要なこともあるけれど、わかっていながら受け流して上手にお付き合いするのも手なんだなあと改めて。
こだわりって必要なときもあるけれど、邪魔なときもあるんだなあと。
私はこだわりが多すぎたようです。

この地方の言葉「いくべー(行こう)」という言葉がキャッチフレーズになっていて、なんともそれもなつかしかったです。

2014年5月4日日曜日

コンビニのカット野菜

昨日、ゴボウと鶏肉と油揚げの煮付けをつくっていただいたので、2回続けて炊き込みごはんをつくりました。
今晩はコンビニでダイコンのカット野菜を買って、残り物の唐揚げを刻んでマヨサラに。
たっぷり野菜を食べることができました。

コンビニのサラダは高いな、と思うことがあるけれど、カット野菜なら使えると思いました。

炊き込みごはんはとてもおいしい。幸せです。

2014年5月2日金曜日

手紙…映画を観たあとに ネタバレ

東野圭吾さんの小説「手紙」を今読み終わりました。
たぶん私には、映画だけよりも小説も読んだほうがわかりやすいのではないかと思ったのです。

差別を受ける側が、差別と向き合い、どう自分の人生をつかんでいくか。
差別のない場所なんてないこの場所で、自分の差別心とも向き合い、人に甘えずにどう生きていくか。
それを切々と私にといてくれたような気がしました。

どのようなかたちで人間の差別心が潜んでいるのか。それを見せてくれたような。

そして、犯罪加害者と被害者家族、加害者家族の心のずれというか、認識のずれのようなもの、加害者側のその脳天気なずれによって傷つく被害者の思いが書かれてありました。

犯罪者の兄を持つ主人公は、差別から逃げずに正々堂々と生きようとしても「まだ甘えている」と言われます。正々堂々と生きていこうとすることをまわりに理解してもらおうと思っている、つまりまわりを変えようと思っている、そのような意味です。
周囲に心の負担を感じさせない選択とはどういう生き方なのか、と。

甘えないで生きるとは、周囲の心の負担のことを考えながら生きることができるということ、つまりそれが人の身になって生きると言うことなのかも知れません。
正義を社会に問うような生き方ではなく、ただ自分の生き方を決めて責任を取る生き方です。

そして、犯罪者の兄は、いつしか知ることになります。自分が脳天気で何もわかっていなかったことを。罪は服役しても消えず、自分の住む世界は変わってしまったということを。

幾つもの毛色の違う思いが交差していて、今はうまく書けません。
障がいを持って生まれて生きるということや、人生の選択のこと、今までの生き方のこと。
もう少し考えて、書けるようなら書いてみます。

2014年5月1日木曜日

板橋区立植物園、

雨があがったので行ってみました。
無料で入れる居心地のいい場所でした。
でも残念ながら一番上の休憩場所には、階段のみのアプローチしかなくて行けなかった。
残念でした。

クレマチスの花が何種類も咲いていました。
あまり種類を知らなかったので、目の保養になりました。

車いすトイレが見つからなかったけれど、もしかしたら奥にあったかも知れないですね。

季節ごとに行くと楽しそうです。

周辺は、先日行った大仏様や、公園が幾つもあり、今は新緑がまぶしい限りです。
滝の上公園にも行ってみましたが、遠回りしても上からは階段でしか園内には入れず、残念。
階段下も憩いの場所ではあるので、おにぎりぐらいは食べられそうですが。

お昼はゆっくりくつろげる、美術館のある公園に。
梅林のなかに設置されている木のテーブルでごはんを食べていたら、人慣れしている鳩がテーブルの上まで乗ってきたのでした。
追い払っても諦めず。みると、両足を少しずつケガしてて。

私たちが食べている途中でエサをあげてしまうと、他の鳩もよってきてしまうのでえらいことになると思い、あとでこっそりあげようとはなしていたのですが、

鳩のほうが待ちきれなかったみたいです。いなくなっていました。

鳩に観られながらおにぎり食べて、後ろを振り向くとかもが歩いていたりして(公園内に池があるものだから)
写真撮ればよかったなあ、なんて今更ですが思いました。

これでだいたい、東上線沿線はよくわかったような、???
引っ越しして二年目が始まりました。
これからはもう少し交友関係を深められたらすてきだな、と考えています。

もっこうばらが、あちらこちらできれいなこの頃。
もちろんよそ様のものなので、写真は撮りません。はい。

2014年4月30日水曜日

相手の気持ち

今日は哲学の授業があり、久しぶりに文京区に。
ある方の言葉をきっかけに、仕事をしていた頃のことを思い出しました。

仕事を辞めようと決断してから、一年かけてやめる準備をさせていただいたこと。
やめてから一年間、なんだかんだ理由をつけて、元職場に行き続けたこと。

いろんな準備をしたつもりだったけれど、みんなみんな私目線でしかなかったかな、と思えたのです。
残って働くみんなのことは、考えていたつもりで考えていなかったのかもと、初めて実感したというか、反省したというか、向きあったのでした。

職場の人が「今まで日々とどんな仕事をしていたのか書いていって」と言ってくれたから少し書いて残せたけれど、
心のどこかで「きっとわからないことは相談してくれる」「毎週なんらかのかたちで顔を見せれば言いやすいのではないか」などと思っていたのだと思います。
それこそおごりで、
実は誰も私には相談してはいけないと思っていたし、話すのも憚れていたのではないかと。
話せなかったのはそれまでの私の関係づくりに問題があったんだなと。
わたしが、みんなのことを理解していなかったんだなと、思ったのでした。
顔を出されることが、戸惑う原因だったのかも知れない。

残る方々に必要だったのは、
できる限り詳しく書いたマニュアルだったのかも知れない。
人間関係でなく、具体的な呈示だったのかも知れない。
はたまた、違うアプローチだったのかも知れない。

というか、もしかしたらこれが一線を引くと言うことかも知れない。
一線を引けなかったのは私のほうだったのかも知れない。

相手の身になると言うことは、こういう風に考えることなんだな、なんとなく実感できました。
私中心な考えを捨てていたら、もっと違うものを残せたかも知れません。

仕事から手を引いたことは何も後悔していません。
私には向いていなかった。それは永くやったことでたどり着いた結論でした。
そして、当時私の気持ちを受けとめて下さった方々には、感謝しております。

辞め方というのは、とても難しいのだと思いました。
関係というものは、相手を理解して初めて活きるものなのかも知れません。それが私にはできなかったんだなと。
そこのところの力量が全くなかったのだと感じました。

おごりはすべて捨てないと。
何も見えてこないもの。