2014年3月7日金曜日

心をひろげて

最近、何冊か本を読み、映画や、テレビ番組を見て自分の中の認識を整理しています。

たとえば「差別」について。
最近読んだ本「それでも、私は憎まない」映画の「42」最近テレビでやった「朝日軍(カナダのアマチュア野球チーム。日本人のチーム)」、どれも差別を受ける立場に立った側が謙虚さを失わずに紳士的な態度をとって生きる姿が印象に残り心をうたれました。

差別を受けていると感じる側は、それについて忍耐を持って接し、かつ誇りと希望を失わないことが大切なのだなと再確認しています。
誰が差別をしても、まずは自分のことを自分から差別しないということ。最大限自分の人生の可能性を信じ、現実を踏まえながらも智恵とアイデアと思考力を持って突き進むこと。諦めないで生きていくこと。それが自分の人生に責任を持つことなんだな、と。

それには決して感情的にならず、物事を少し離れたところから見る力が必要で、その視点を養うには知識を得なくてはなりません。

今回、お風呂の湯船がなおらないことになったとブログに書いたところ、信頼している方が引っ越しという方法もあるとすすめて下さいました。
私が住みやすいと思われる物件もリンクされていました。
とてもとてもうれしく、積極的に生きる大切さを取り戻すことができました 。
私の状況を理解して下さった上での、あきらめない提案が、どこかで引っ越しを諦めていた自分を自覚させてくれたのでした。

差別のない関係性をつくろうとして下さる方と出会うたび、そしてその視点にふれるたび、差別心の強い自分を自覚します。
私が、環境に慣れてしまっているのです。
だから、差別をされない環境には、はっとします 。
自分も、人を愛する側だと、自覚しなくてはと教わるからです。

生活している中で「私は関係ない存在」という狭い中に入り込んでしまう、そんな時が多々あります。

ほんとうは社会で人がどう私をあつかうかは関係ないのです。私が人をどう見るか、私がどう人を理解し、どんなことがその人にできると思っているか、私が私の人生をどう見ているか、それが大事なことなのです。
が、視野が狭い私はどうしても自分の視野の範囲で世界を見てしまうのです。
だから怯えて、人のきもちがわからないときが多くなってしまうようです。

私は私に限界をつくらない。
昔々、ピアカウンセリングで教わったことですが、本当の意味で、もうそろそろできるようにならないと。

限界をつくらないということは、心を広げて、いろんな世界を感じること。愛する心を広げること。
そして、自分の可能性を広げていくこと。

それをいつの日も教えて下さる方々に、感謝しながら生きることを忘れないでいようと思います。。

好きな歌詞 ーートモエ学園ーー

福山さんの歌は、好きな歌もあるけれど、あまりハマらないのですが、この歌はとても好きです。 「窓際のトットちゃん」の本も好きだったけれど、トットちゃんの世界を別にしても、とても心にしみる詩です。 子供目線が少し入るから、優しくわかりやすい詩になっています。 いい先生や、友...