2018年6月25日月曜日

久しぶりに風邪をひいて

本当に久しぶりに、ちゃんと風邪をひきました。数年ぶりにちゃんと熱も出て、体力のなくなった状態を体験することに。
変わらず来てくださった方々、会ってくださった方には、感謝を申し上げます。

今回は、何が辛かったかといえば、どんどんネガティブ思考になっていくことを止められなかったことでした。人がいてくれるときはまだ良かったのだけれど、一人の時間には、人生の意味まで考え始めてしまいました(笑)
心は弱いものです。

それでもそんなに辛さを感じなかった時期は、たまにしかない貴重な仕事の時間を過ごすことはできたし、生活としてはごく普通に過ごしていました。鼻声だったので、迷惑はかけたとは思いますが…。
心の問題だけですね。どうしようもなかったのは。
今はほとんど良くなり、咳が少し残っている程度です。

この間、個人セッションの時間もあり、ヒーリングもしていただいて、わかったことがありました。
今回の風邪の原因は、あくまで私の場合のことなのですが、私の心の底にあった、自分でも気がつかないほど無意識な、怒りだったということです。

気がつけなかったのは、少しずつ降り積もるように溜まっていった感情だったということかもしれません。いつも思っていたけれど、そしてそれはお相手の方に伝えてはいたけれど、伝わらないことだったということです。
整理できていたと思っていましたが、ヒーリング中に感じた自分の感情は、干からびたような黒い重たそうなものでした。

こんなものが、体にあって、体内にあるエネルギーを使い込んで、いい「気」を侵食していたということです。

ここは、自分から気がつくことができませんでした。

頭では整理できたいたのに、心ではまだ怒っていた、ということ。

これに気がつくには、日々の振り返りをきちんとできてないとできません。けれども、きちんとできているかなんて、自分の評価ではまだまだ測れません。

本当に難しい。

でも、だからこそ他者の目をお借りすることが必要なのかもしれません。

お相手の方との関係は、今生だけのものではありませんでした。
今回は対等な立場で、助け合う、協力し合うという学びの中にいました。

でも私は、肩書きや役割で人を判断するという悪い癖があって、お相手の心を理解しようとしていませんでした。
ここが今回の反省点です。

私は今回、悪い癖を矯正していくために生きているところもあります。
前回書いた、依存しない生き方を学ぶということもありますが。。。

ちなみに、もう一つの今回の生の目的は、愛するということを覚えるということです。
家族愛、彼氏への愛、隣人愛、友愛、それらを一つ一つ理解し、自分も人を愛するという体験を通して人を思うことを身につけること。

今回それが理解できたらいいなあと思いながら生活しています。


今回風邪をひいて学んだことは、
ネガティブな感情というものは本当に健康を害するのだという実感
怒りというものは本当に毒になるということ。
本当にネガティブな重たいものを抱えてしまうと、なかなか明るい方に向かえなくなるということ。
自分の中に原因があり、気づくことは至難だということ。

改善するには、自分の問題を解決すること、つまり相手のせいではないということを理解することなのだと思いました。

そして今回再認識した、私の課題というか、悪い癖は、正義感を振りかざして、人にものを言いたくなり、みとめてもらいたくなること、だとおもいます。

ものを言うときは、経験に基づいたものであること。自分もできないことを、お相手に求めてはいけないと言うこと。
そして、お相手を理解しようと思うことがまず大事だと言うことです。

今の環境は、本当に恵まれています。そして、こういった、自分と向き合う手法を知ったこと、支えてくれる方がいると言うことに、感謝しています。

来週は、予定通りボランティア活動できるといいなあ。ボランティア活動は、風邪をひくとできませんから。


2018年6月24日日曜日

自立について

今日、個人セッションの中で、前回書いた「月の恋人」というドラマについての感想を話していたのですが、そのときに気がついたことがありました。

「人は自立していないと、人に迷惑をかける存在としてしか生きられず、人を助けることはできない。愛されたいと思うばかりで、愛することをしないので、愛されたいという考えから離れることはできない」

ここまで話したときに、師から、

「だから、自立がテーマだつたんでしょう?この勉強を始める前から、一人で生きていこうとしていたんだよね」

この言葉をかけられたときに、ああ、私は自立、つまり、一人でも生きていける人間になりたかった、ということを思い出しました。

何よりも、誰かに依存しなくては生きられない生活はしたくなかった、誰かの心に依存して生きることしかできない状態から脱して、何があっても自分からそれを受け止める心を持ちたかったし、そうやって日々を過ごしたかったのです。

だから、実家を出たことは間違っていなかったし、多くの人と出会って、微かな歩みだったけれど、ここまで歩くことができたのでした。そして、大事な人は自分から手放してはいけないと思うようになり、ご縁を私なりに大事にできるようになりました。

障害を持って生きるということは、経済的に一人でやっていくという自立とは程遠くなりました。もしかしたらもっと死に物狂いに生きたらよかったのかもしれないけれども、私は今の生き方が精一杯でした。それでも、会うべき人には巡り会えたようだから、これでともかくよかったのかもしれません。

私にとって自立とは
計り知れない自分の心の有り様を知ること、つまり一番怖いのは自分の心てあり、向き合う必要があるのは自分であるということ。
人は一人では生きられず、だからこそ人を理解し協力して生きることなんだとわかること。
人は理解をしてもらう対象ではなく、理解していく対象なのだと知ること。
何かを求めるのではなく、与えようとる心を持つこと。
でしょうか。

誰かの評価を期待しているうちは、私はまだまだということにもなります。

そして、自立をして初めて、人を助けようとする心が育ち始めるということ。
これは同時進行だとは思いますが。

人の心を理解したいと思うようになったことは、私にとってようやく自立の一歩を踏み出せたということだったかもしれません。

私の自立感など、多分他者には理解できないことだと思います。
なぜなら世間的には、いわゆる自立の概念を逸しているように感じるから。
経済的にも、身辺的にも、制度や人の助けがないと生活はできはしないから。

これが自立です、と、声を大きくして、理解を求めていたのが、私の人生でした。

でも自立って、誰かに理解されなくても、認められなくても、自分らしく心に責任を取っていく姿勢があればいいのかもしれません。

例えば、約束を守るとか、人の気持ちを大事に考えるとか、そういう見えないところから大事にしていれば、それでよくて、
つまり自分の品位を育て、少しでもマシな人間になろうと見えない努力をできるならば、それでいいのだと今はおもいます。

体が自由に使える人生を生きられるなら、体を使ってその思いを表現すればいいけれど、今はそれができないという現実を生きているのだから、できないという前提の上で自分の心を育てていけばいい。それが自分の心に責任を持つことだと感じています。

月の恋人

韓国のドラマはあまり興味がなくて、縁を持つこともなかったのだけれど、個人セッションの課題になったことから、「月の恋人」(邦題:麗ーー8人の皇子たち)を見通してみました。

このドラマが大好きな、見知らぬ人のブログ、「おでかけ手帳」を参考に読みながら、どっぷりとつかってみました。

韓国の映画は、「親切なクムジャさん」、「トガニ」が印象に残っています。なぜなのかわからないけれど、邦画よりも深く心に切り込まれるような感じがあります。
なんとなく、そこが苦手といえば苦手でもあり、理解しやすいといえば理解しやすいというのが、正直なところです。
この二つの映画は、私に、みないでいようとしていた部分をわかりやすく見せてくれたように思います。辛かったけれど、観てよかったと思っています。
トガニは、この映画が韓国で公開されたあと、社会問題になって、問題解決につながったと聞いています。映画自体は救いのないものですが、その後の国の動きに力を与えたということで、忘れられないものになっています。
親切なクムジャさんは、人に忌み嫌われ人間の姿を見せてくれたような気がしています。
私は自分の前世を含めた人生と向き合う数年を過ごしていますが、過去生で何も問題ないと思って生きていた自分というものが、このような種のものだったのかも知れないと思いながら観ました。

いずれの映画ももう一度観るのは決心がいります。

本題の「月の恋人」、高麗時代の皇帝、光宗とその兄弟たちと、現代からタイムスリップしてしまった女性との物語です。
史実に基づきながらも、現代の感覚も取り入れた、とても構成の複雑なフィクションに仕上がっていました。

光宗は、歴史上では血の君主とも呼ばれ、兄弟たちを粛清していったと言われています。
その人物とのラブストーリーです。

感想としては、辛かったというしかないのですが、何が辛かったのかを、書いてみようと思います。

ネタバレしてしまうかも知れません。これから観たい人は、観た後にこの後の文章を読まれた方がいいかも知れません。

人を想うことと、人を貶めることを同時にみることが、辛かったのかなあ。
人を愛する形もその人様々で。

次期皇帝となったワンムは、アトピーに苦しみながらその役目を果たそうとする兄弟を思う優しい人。
ワンヨは、母親に皇帝になるように期待されてそのように動く、冷たい目を持った人。ワンムと、ウンを、陥れてしまいます。

ウォンは、強い人につき、何を考えているのかわかりにくい、影の薄い感じの人で、いつもワンヨのそばにいます。ワンヨと共謀して、人を使っていろいろ悪さをし、協力者が処刑されてもあまり感じない心の人という印象です。

ウクは、頭が良くて、一見温和そう。途中から、企ての首謀者となったり、心が揺れ動きます。

ペガは、芸術肌の、心優しい人。人との距離感を大事にし、好きな人を守ろうとますが…

ウンは、おもちゃさんになりたい、少年のような人。望まない結婚をしますが、本当は愛情深い人です。

ジョンは、母親に溺愛された、無垢な少年。なかなか物事は見えませんが、最後は彼らしい愛を見せます。

そしてワンソは、次代皇帝光宗になる人。顔に傷があることで小さい頃から差別を受けて暮らします。激しい性格の持ち主です。誰にも愛されなかったという心の傷があります。

ヒロインのヘスは、化粧品会社勤務の現代から、1000年のタイムスリップをしてこの8人と面識を持つことに。

恋愛ストーリーと思いきや、回を追うことにディープになっていく内容。

やっぱり、兄弟同士が殺し合い、貶め合うのはきつかったですね。ヘスの感覚が現代だから、なおさら感覚の対比があからさまでした。

身分で差別されるのが当たり前の世界で、下の身分ならば命は軽んじられ、罪をなすりつけられるという仕組みも悲しかったし、身の置き所が難しかったです。

ここに出てくるヨンファというお姫様のやることがまたえげつなく、どうしてこうも人を貶める発想ばかりするのだろうと思っていましたが、先述したブログの作者がわかりやすく解説してくれていました。

人は自立していないと、自分の身ばかり守りながら生きるので、人の命よりも自分の命の方が優先となり、結果的に迷惑な人間となるようです。

現代から来たヘスは、自立しているので、どんなに自分の生きる場が変わっても、生きていけると想う、でも自立をしていないヨンファのような人は、立場や身分が危うくなると、生きられないとおもい、人を蹴落としてしまう。

この発想で展開していく様々な出来事は、怖かったですね。

皇帝になったワンソは、ヘスとの関係で兄弟を貶めることはなかったけれど、その時代の感覚は変わることはなかったし、史実を変えないというこのドラマは、人が人を思いながら自分の命をかけていくところや、変えられない現実が、感情の落とし所を混乱させる、そんなドラマでした。
高麗の時代は、とても身近になりました。

観て良かったけれど、人に勧められなかったら、途中でやめていたかも知れません。


そして、
私は今、自立をしているだろうかと思いましたね。

自立って、自分の怖さや能力のないところも含めて自分を知っていて、人の評価に左右されず、聞く耳を持って生きていくことなのかも知れません。
その時代時代の自立の仕方があり、その環境においての自立があるけれど、根は同じというか、自分に向き合っている姿勢が、人に迷惑をかけない(貶めない、命を脅かさない)ことなのではないかと思いました。

自立をしないと、人を助けることはできないんだと思いました。やっぱり、本当に、心の自立が大事なんですね、人として。




2018年6月2日土曜日

6月の生き方

今月は、
体験を大事にすること。

一つ一つの体験を通して、自分の苦手なこと、好きなことを理解し、その出来事に対し自分が何を表現したかったのかを、明らかにしていこうと思います。

自分の表現とは、自分がその場でできることを考え、行動に移すことです。

ハードル高い気もするけれど、頑張ります。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...