2018年12月31日月曜日

2018年振り返り

あと一時間で年明け。
今年もたくさんの方にお世話になりました。ありがとうございました。

今年の目標。今年の初めに、こんなことを書いていました。


欲望や自分の利益に焦点を当てないで、生きること。
自分については心の成長だけを望むということ。
そして毎日自分のできることを探し、ベストを尽くすこと。
これが、心が満たされる、生きるコツなのかも知れません。

いつもこんな気持ちだったらいいのだけれども。

とにかく、
今年は、人との関係を大切にする、これがわたしの目標というか、豊富です。

距離感も含めて。大切な人たちを、より大切にできるような一年にしたいと思います。

さて、どうだったのか。

人を大事にできたかどうかは、自分ではわかりません。
ただ、寄り添ってみよう、理解したい、という自分の気持ちを大事にできたようには思います。
なんだか悲しい時も多かったなーと思います。本当の気持ちを知るということは、悲しい時もあるし、寂しい時もあるんだと再認識。その方のことを思って行動したことでも、伝わらないことの方が多いものなんだと思いました。
それでも、少しでも理解が深まったように感じています。

イライラする時ももちろんあったけれど、何にイライラしているのか、考える時間は作れたように思います。
でも、自分の生活を脅かすような物事を見つけてしまうと、まだ少し怖さが蘇ってしまい、周りが見えなくなります。

その中で印象的な体験は、自分の中のネガティブなものとの付き合いかたを覚えたこと。
押さえ込もうとしたりなくそうとしても、それ自体がその感情と戦ってしまうことになるとわかったこと。
ネガチィブな感情とは戦わずに無視をするという意味がわかったように思います。

あと、生への過剰な執着を捨てられたこと。
他者の幸せと自分の幸せは、比較するものではないし、どちらかが優先されるものではないということを理解したこと。自分の幸せのために誰かの幸せを奪ってはいけないという、その意味が理解できたこと。
無意識に、私はそれをやってきたように感じているのです。
世界は生きているすべての生き物のためにある…キザだけれどそのことが理解できたような気がします。

心はなかなか育ってはくれないけれど、近道なんてないし、一歩一歩進んでいきたいと今は思っています。
そのために、という観点ならば、時間はこの一年、有効に使えた方ではないかと思います。

どんな環境でも、人は成長することができる。
このことも今年は実感しました。
私は私の置かれたこの環境を有意義に活用したいと今は思います。

このブログを読んでくださっているみなさまにとって、今年はどんな年だったでしょうか。いつも読んでくださって、ありがとうございました。

よいお年をお迎えください。

12月の振り返り

今月は、とてもふわふわしていて、無意識にいろんな日常のことをしてしまって、あとで思い出せないということが多かったです。
ちゃんと意識したいのに、意識して生きるって難しいなあと思いました。

やる気が出る部分と、出ない部分と、自分の中で何が違うのか、疑問に思ったりしました。好きだと思っていた調理に興味が持てなくなったり、その中で書きたかった文章は書き上げることができたり。自分の中でどのような基準で物事を捉えようとしているのか、何を優先してやりたいのか、いまひとつ掴めない一ヶ月でした。

体調を整えることも課題だと感じました。50代、眠るための試行がますます必要になっています。

その中で、心は少し深まったような気がしています。一年前の自分を思い起こすと、不安に思う視点が変わってきているように思います。人の行為に悲しみは感じても、憤りや苛立ちは減りました。自分の心との妥協点を見つけやすくなりました。

映画や動画から得られるものは大きく、書く時間をおろそかにしてしまうこともありました。
時間の使い方、優先順位のたてかたは、来年早々見直さなくてはなりません。

でも本当に、文章書き上げることができてよかった。少し自分のあり方が整理できました。いつかどこかに発表できるぐらい整えられたら素敵だなあと思います。

2018年12月29日土曜日

同じことが起きている

私はどうしても「障害者」という枠で物事をみてしまいます。
それが私の目線だから、仕方ないと思えばそうなのだけれども。

例えば、介助の方との普段からの人間関係についても、「介助の仕事をしている」という枠で相手の方を見ていることがほとんどです。

私は普段の生活全般が一人では物理的に叶わなくて、誰かの助けが必要な日常を送っています。一人でできないということは、助けてほしいことがたくさんあるということで、誰かが家に来てくださることで日常のことが成り立っているということになります。

少し前まで、このような生活を、「人として当たり前の生活をしている」と、社会に認識してほしいと思っていました。

でも、今考えると、障害のあるなしや環境の違いなどにかかわらず、人はみな一人一人日その人特有の「特別な生活」をしているともいえるし、環境や状況をすべて自分の思うようにはできないという意味で、「人として当たり前の生活」についての思いは、それぞれが持っているのではないのかな、というのが今の私の思いです。なのであえていうことでもなく、自分の置かれている状況を理解して自分自身と共存していくことが最優先なのかもしれないと感じています。

私が置かれている環境は「一人では何もできない」という状況を助けてくださる方が来てくれるという毎日です。その中で、ある時から、自分の中にあるいろんな枠を外してみようと思うようになりました。

もちろん介助できてくださる方には介助料が支払われ、私は支援を受ける立場であるので、役割は変わりません。
変えたのは私自身の気持ちの持ちようの方でしょうか。

相手の方の気持ちを察するということを心がけて見るようになったのです。と言っても大げさなことではなく、そもそも私は人の気持ちを察したり寄り添ったりできない人格の持ち主だったので、下手でもやってみようと思っただけなのですが。

察することができないということの方が問題だったと思います。ようやく普通の感覚になろうと努力を始めたという言い方の方があっているように思います。

自分の視点を変えてみると、来てくださる方も、日々体調が変わったり、心のあり方の変化で、仕事もその時によって辛そうだったりすることも、直接聞いたりしなくてもどうにか少しは感じられるようになりました。

それでも私は直接言葉で伺ってみないとわからないことが多く、今でも確かめようとしてしまいます。

そのような一年を過ごし、ある方との会話の中で気づいたことがありました。

私が日々お世話になる方々や、接してくださる方との関係性で感じること、悩むこと、いい方向に向けて考えようとすることは、ある方が悩む日々のこと、夫婦のあり方、親子のあり方、職場での人間関係のあり方について向き合おうとすることと、実は同じなんだということです。

シチュエーションが違うと、全然違うことのように思ってしまいがちだったのですが、思っても言わないことがいいことや、どうやって自分が伝えたいことを伝えるかということ、そういうことを感じて行動する体験をしているという事実は変わらないのだと思えたのです。

人は皆、違う世界を同じ空間に立ちながら生きているけれど、知らなくてはいけないこと、気がつかなくてはいけないことは共通しているのかもしれないと思いました。

なので今の私のいただいている環境は決して特殊なものではなく、私自身が必要な人間関係やその心を知り、行動していくのに最適な環境であるだけなんだということになります。

そのことをわかっていたその方は、私が私の環境の中で向き合おうとしていることに共感してくださっていたようでした。

私は今私自身が身につけなければいけない課題に、向き合える環境に生きているということです。

「人は皆ひとりひとりがこの世界に生きながら個人授業を受けている」

確かに、私には私にあった環境で、私が向き合える実力にあった課題をもらっている、そんな気がします。
そして、この一年向き合うことに意識を向けたことで、昨年の自分と違う自分がいることを自覚することができました。

人生はいろんなことが起きるけれど、向き合う課題はそれぞれ同じようなことなのかもしれません。特に人間関係、どう人を思い、愛情を伝えるかということは、違う位置に立ちながら、人はそれぞれ同じことを学んでいるのだと思います。

年末にここに気がつけたことが嬉しく思います。私の心も、遅い歩みですが少しずつ成長しているようです。





2018年12月25日火曜日

ボヘミアンラプソディ

クイーン、私はそんなに馴染みがありません。少しだけメロデイを知っている程度でした。
「ママーー」というフレーズの歌が「ボヘミアンラプソディ」だということも、実は実は身についていませんでした。

だから、今巷で大ヒットしているこの映画、あまり見る気もなかったんです。

観ようと思ったのは、クイーンのファンでもなんでもなかったのに時間つぶしで見ることになったというある方の感想。

「全然知らなかったし、フレディマーキュリーに興味なかったけれど、それでもすぐ区面白かった。オススメです」

という流れで、見に行きました。

ボヘミアンラブソディ


最初は、クイーンの歴史というか、おこりというか、ファンだったら欠かせない部分だと思うのですが、私にとっては、そうだっだんだー、という感じで流れていきました。フレディの背景も知らなかったから、史実を知った、という感じでした。

楽曲も、超有名な何曲かはさすがに少し知っていたけれど、知らない曲も多くて、少しだけ忍耐がいりました。

でも後半、なんだかわからないけれど泣けました。

家族って、夫婦とか、親子とか、そういう風に形を作るものばかりではなく、違う流れの中で認識しあうものもあるんだなあと、そこもとても良かったです。

なんだか泣けた。一体何が良かったのでしょう。ううっ、どう書いたらいいかわからない。
もう少し考えてみます。観に行って良かったなあ。

うっ、誤字いっぱいでした。直しましたけれど、はずかしー。

追記
やっぱり、私の感動ポイントは、家族という概念の捉え方への共感と、最後のライブシーンでフレディが感じていたであろう心に泣かずにおれなかったんだと思います。
やっぱり私は、転んでも起き上がる人の姿や、人を思いやる姿がなんとも心に響くらしいです。

※今回はイオンシネマ板橋。気軽に行けるので本当に毎回助かっています。

映画ざんまい

ここ一ヶ月で見た映画。少し書いてみようと思います。映画の解説はウィキ等で手抜きいたします。(いつものことですみません。各題名がその映画のリンク先になっています。)

「ジョニーは戦場に行った」 


この映画を見て、古い知人を思い出しました。見続けることはきつかったです。こうして心の声がいつも聞こえたならら、もっと人は人を大事にできるのだろうかと考えながらみました。。私はこんなふうに今の人生でも、心のどこかで、人を塊のように考えていた頃があったかもしれないとも思いました。。相手の優しさに甘えて、わかっているかのように、我が物顔のように。
意思疎通ができても、人を人として扱えないのは、人の弱さなのかも知れないとも感じ、その弱さに気づくことが大切なんだと思いました。

羅生門


三者三様で言うことが違って、それぞれが自分をいい人に見せたり、同情を誘ったりして、自分を守ると言うことを見せてくれる映画でした。死んだ人さえも自分中心の発言をするところは、本質を突いていると言うか、人間は死んでも人間でしかないと言うことを描いているように思いました。
最後、お坊さんが一瞬人を疑い、反省するところに人間味を感じました。三船敏郎が気持ち悪かったです。とても野生的で、本能的で、エネルギッシュでした。



ジェルソミーナの悲しみや、迷いが、心にしみました。相手を責めず、でも自分の心を感じ、最後は自分に相手の罪と自分の罪を引き受けたように思いました。。自分が正しいと思うことはとても危険で、そばにいる人を本当に傷つけるんだと感じました。


「アデルの恋の物語」 

愛と勘違いした思い込みは、 他人も人も傷つける。
相手が自分のことを好きだと、どこで思い込んでしまうのか。
人としての親切心、少しの思いやりを、自分への思いやりと勘違いしてしまうのはなぜか。
自分の考える癖から思い起こすと、
他者を見ることのできない人間は、自分の本当の姿も見えないままなのではないか。等身大の自分をあるがままに受け入れる心は、自然にみにつくものではなく、気づきによって磨かれる美徳なのかも知れない。
アデルはとても本能的で、相手の立場に最後までたてなくて、欲しい愛を得られずに身を崩していく。
たとえ苦しくても、相手の気持ちを想像する経験をしないと、人は永遠に救われないのかも知れない。アデルは最後までそのことに気がちくことはなかった。父のユーゴーは、もしかしたらもっと娘と向き合う時間があったのにやらなかったのではないかと思う。


「タクシードライバー」 


すごく 自分の正しさを誇張して、貫いていくような威圧されたような印象のある映画でした。
アメリカだから「正義を通した」という言葉で収まったように感じました。銃規制のある国ではそうはいかないだろうと思いました。私の今の感覚ではあり得ないのですが。。。
自己の正義が暴走することはこわく、善悪の価値観が人によってまちまちであることに危機感を感じました。



「コレクター」


共感することのできない心は、ひたすら自分は他人に完全に理解されることを望み、自分は相手との相違点ばかり見つけて違うと怒りだけを増幅させるものなのだと感じました。
決して自分から相手に合わせようとはせず、なので相手からも何も受け取れないので、関係性は作れないのだと。
人とひとは、お互いに、理解しようと思って初めて、関係ができていくのであって、一足飛びにもいかないし、一方通行でもできないのだと思いました。

主人公の気持ちは、相手の女性が亡くなっても、おもちゃをなくしたような悲しみしかなく、まるでものを取り替えるように他の女性を次のターゲットにしました。愛がわからない状態とは悪魔的で、そこを抜けるには、下手でも他者の気持ちを知ろうとし、等身大の自分を理解していくことだと感じました。

監禁された相手の女性の健気さが悲しかったです。


「十二人の怒れる男」 


最初11対1で有罪だったのに、最後は…。理論的に考えていくと物事の真実が見えてくるのだということと、人は先入観で物事の善悪を決めているということ、そして、思い込みはなかなか修正することが困難だけれど、真実には弱いということを見せてくれたように感じました。感情でものごとを判断してはいけないと思いました。取り返しのつかない判断をすることがあると思いました。


砂の器


加藤剛が出ている1974年制作のもの。
情緒が伝わって来て、差別に切り込み、親子の愛が痛いほどに伝わって来て、とても良かったです。多くを語りすぎず、悲しさの表現は泣きました。


縞模様のパジャマの少年


胸が痛みました。無知の罪と、無神経さは、自分にも多くある部分だと思いました。人から正しい知識を教えられないことは不幸であるとも思いました。
この映画は、立場の違いによる差別と本当は同年代の変わらない少年同士であるということを8歳の子どもを通して明確にし、人の間に差別を作ってはいけないことを伝えようとしたのではないかと感じています。


カティンの森


最初はとても静かに、話が進んだので、わかりにくかったです。人を簡単に殺してしまう心理は、誰にでも内在する悪の部分なんだと感じました。罪を押しつけることも巧妙で、その発想はなぜ起こるのか、不可解で悲しくなりました。


※今回書いたものはレンタルしたものです。上板橋のフタバ図書が主だったかな。




2018年11月30日金曜日

花田春兆ーーその人と企画展

花田春兆氏の企画展を教えてもらい、行ってきました。

花田春兆ーその人と企画展


場所は板橋の淑徳短期大学。今月17日から明日までの企画展です。

数作著書を読み、生前にはそのほかにも接点をいただいていた春兆先生。
今日は主催された方からお話を伺う時間をいただいて、知らなかったことをたくさん教えていただきました。

●春兆先生は、「障害者だからできる」ということにこだわった
終戦後、これから自分のできることをやろうと思った氏は、自分のできることを生かして、できないことを人にやってもらいながら、自分の世界を実現していきました。
障害者でもできる、ではなくて、障害者だからできる、ということにこだわったそうです。

●機関紙は3部作った
まだコピーもできない時代に、手作りの冊子は同じものを必ず3部作ったそうです。

●しののめは社会に投げかけるテーマを特集した
氏が主宰していた同人誌しののめは、毎回、障害のある生活に関係するテーマを持ち、身近なそのテーマについて会員からの投稿を募っていたそうです。中には自助具を実際に使って見た感想を特集するものもあり、すごく考え方に共感しました。

できることはなんでもやり、できないことは周りを巻き込み、いつも伝える相手は一般社会の人たちだったと知り、外へ視線が向いていた方だったんだと思いました。

私は「しののめ」については俳句の句誌だと思い込んでいました。俳句の書けない私は、難しそうだと思い込み、敬遠していました。

ホーキング博士と写っている写真も展示されていて、天才同士、巡り合っていたのだなあと思いました。

淑徳短大のロビーに展示された作品は、教室での展示と違い、通りかかった学生さんが立ち寄れる良さを持っているそうです。
主催された方は、「この、立ち寄れる空間がいいんだ」とおっしゃっていました。

12月の生き方

今年最後の月。明日からの月は、

書くことを継続して意識する。
内省をしっかりする。

そして、楽しみます。たくさんの人にお会いしそうな予感がしますから。

11月のまとめ。

書く、といったのに、本当に思うようにはいかない月でした。
体調も、更年期障害がイケイケ状態になり、50代の体は40代と違って融通というものが効かなくて、というかまだ変化に心が追いつかず、本当に本当に50代は未知の世界だと思いました。
何もやらなかったことへの言い訳のような書き方になってしまいました涙。

でもとにかく映画は見ました。古い映画をたくさん。
感想を書けたらいいなあと思います。スボラグセが治れば。

今月気がついたことは、

自分を愛するということは、きちんと自分の声を聞き理解することから始まるのではないかということ

今ある状況に学ぶことはたくさんあるということ。

内省の難しさ。

行動や思考を間違えると、必ず自分の中に証拠が残るということ。それに気がついても気づかなくても、必ずそこに証拠というか、記憶が残るということ。

正しいか間違えているか、それは自分の価値観を離れたところにあるのかもしれないこと。

本能的な生への執着を捨てると、人のことを考えることが少し楽にできるようになるということ。

私自身が意識的に生きるようになった時、私の魂は一つの目的を卒業し、本来の目的に進むようになるということ。

今の私の課題は、内省をしっかりやることと、他者のことを考える時間を意識的に増やして経験をすること、そして物理的には、書くということに継続して取り組むことです。

みなさまにはわかりにくい文章ですみません。私ごととしての覚書になってしまいました。

2018年11月17日土曜日

東城百合子先生講演会

30代前半の時、先輩のピアカウンセラーの方から、
「体のことをよく考えるようにね」と、自然療法の本を勧められました。

その時は購入しなかったのですが、その方のおうちに泊まらせていただくたびに、本を見せてもらって、見よう見まねで体のケアを考え始めました。

里芋バスターや、ビワの葉の効能、こんにゃく湿布はその頃に覚えて、先輩方から道具を教えてもらい、介助の方に温灸をしてもらいながら、ピアカウンセリング講座リーダーの仕事などを続けていました。

今回の東城百合子先生の講演会は、そんな20余年まえからご本を通して教えていただいていた著者とお会いする機会でしたから、紹介してくださった方には感謝しています。

東城先生は93歳になられたとのこと。とても力のある声が、印象的でした。

今回の講演会は、38年間催されている料理教室同窓会の方々が主催されているとのこと。飛び込みで伺いましたが、あたたかく迎えていただきました。

東城先生の言葉を少しだけ書き写します。あまりメモは取れなかったので、本当に少しですが。

●人のせいにはしないこと
●今日のことは今日しなさい
●生活をしっかりしていないと、人は、ものごとを人のせいにする。
●掃除、洗濯、料理をしっかりする。自分でしっかり判断して行動することを身につけること
●自然の見えない力に感謝して食べる。
●生きるとは行動して体験すること
●日本に生きていることに誇りを持つこと

どんなに自然療法を実践しても、命をいただくことに感謝して食べる姿勢が身に付かなければ健康にはなっていかない、と、繰り返し伝えられたように思いました。
また、病気が治って良かった、ということだけで終わるのではなく、何か人のために、世のために行おうとすること、知識を得るだけではなく、応用していくこと、自分に責任を取って生きていくこと、それが大切だということが強く伝わってきました。

どのみちも同じことが大切なことなんだと再認識した日でもありました。

お会いできて良かった。心から思います。

2018年10月31日水曜日

11月の生き方

11月はとにかく

書く、書く、書く、書く。

思考力を鍛えます。

ここにも書けるかしら。

できなかったら、その時はその時。

そして、自分を理解すること。
今更と思いながらも。

この二つに絞ってやってみようと思います。

10月のまとめ

思った通り、今月は刺激的な一ヶ月でした。

学んだことは、

エゴイズムと戦っては本当に勝てないんだということ。戦ったつもりではないけれど、抑え込むということは戦うということになるんだと学びました。

相手がかたくなだと、私も緊張して視野が狭くなるということ。そして不安を増やし、健康に害を与えるということ。これは経験を増やさないとなかなか克服できないと思いました。

口は災いの元。口から出ていく悪いものを自覚できたのも、今後の気持ちの持ちかたを考える材料になりました。

物事を大きくしないということ、自分の信じた生き方を大事にすること。大げさかもしれないけれど、このことを意識しながら物事に取り組みました。

そして忍耐。話したい、確認したいと思ってしまう今の私に必要なのは、どんな物事であっても忍耐を持ってゆっくりやることが大事。

小さな小さな自分の日常の中で、最後の1日までドキドキしながら過ごしました。

そして私の人生のテーマはいつも、

どんな環境のもとであっても、人は成長できる

というものだったと自覚しました。自分のことがいろいろわかった一ヶ月でもありました。

そして、今までこだわっていただろうことに反応せず、素直に、突然再会した恩人のひとりにお礼を伝えられたという、サプライズ付きの10月でした。

そして2度も飲み会をできたことも、こころから笑ったひと時でした。

今日は久しぶりに家でまったり。長年お付き合いをしてくださる方と静かに過ごしました。

課題は、自分との対話が足りない感じです。もっと考えを書かないと、思考を働かせるのがとても弱いです。思考が働かないと、いい考えにならないので、来月はそこに絞って頑張ってみようと、今思いました汗。

経済に心を入れて

トルコでのサウジ領事館の事件は、心が凍りました。
こんなことがなぜ起こってしまったのだろうと、今も思っています。

かなしいことがたくさん起きている世界の中で、私も自分の世界でのいちにちいちにちがあり、身近なことに囚われていると、世界が繋がっているなんて心のどこかで忘れています。

もし、今の経済の仕組みに、自己や自国の利益だけでなく、他者への心を入れることができたら、少しはいい方向に向かえるのかなあ、なんて、漠然と思いました。

誰か一定の人の利益を追求するために、誰かが犠牲になってしまうのでは、結果的に豊かにはならないのだろうと。

誰かの不利益や犠牲の上に成り立つ経済って、それでいい訳ないなあって。

ではどのように考えたらいいのだろう。

出来上がった経済の仕組みを壊すのは大変なこと。誰かの生活が壊れてしまうことに繋がるから。

組み立てる時に広い視点が必要なのかもしれません。その視点のとり方が難しいのかも。
修正が必要な時に、どのように変えていくか、とか。

日本国内のことにしても、エネルギーの問題とか、基地の問題とか、知らないふりができないことがたくさんあって、
でもそれらの問題を自分なりにどう解決したらベストなのか、考えついていきません。
物事を考えていくのって、難しい…。

本当に私は勉強不足。
経済のこと知らないと、ここに書くのも難しくて書けないです。
少し愚痴っぽくなりました。
とにかく、勉強しないと。

2018年10月18日木曜日

同化した自分

数年前まで、私はとても怒りっぽく、正義を振りかざして生きていました。
そうして生きていることさえ、気がつかないまま、自然に生きていました。

ヒーリングの勉強で教わる大切なことの一つに、自分のエゴイズムを知る、というものがります。
自分というものの裏側に、エゴイズムという影があり、自分のエゴイズムを知ることでその存在を自覚できるようになり、手放せるようになるといいます。
エゴイズムはネガティブなエレメンタル(想念)の塊で、エレメンタルというものは私たちが生きている間、瞬間瞬間でつくり続けるものです。ポジティブなものとネガティブなものがあります。
人は一生の間たくさんのエレメンタルをつくりながら生きます。一度作ったエレメンタルは永遠に死なず、記録のように宇宙にたまり続けます。そして作った人のその時の知性を持ちます。

エゴイズムとたたかってはいけない、という鉄則があります。
エゴイズムと真っ向から戦おうとすると、なぜか100%負けるというのです。
だから、どんなエゴイズムがあるかを自覚し、焦点を当てずに無視すること。違う視点から物事を見る癖をつけていくことが必要になります。

今回、そのことを深く実感し、反省した出来事がありました。

私には、過去性の中で作り上げてしまった、強烈なネガティブキャラクターがいます。
王様キャラです。
奴は、何度とない過去の人生の中で、たくさんの方々を傷つけ、反省もなく生きてしまっていました。
そのやりようは、ブログに書くのも憚れるほどのことです。
サロンのヒーリングスクールで、また個人セッションで、みつけては開放し、みつけては開放してきました。

私は、このまま自分と向き合っていれば、飲み込まれることはないと、心のどこかでタカをくくっていました。
それはとてもとても甘い考えだったのです。

ある出来事をきっかけに、奴が私の中でつぶやき始めたのです。
(怪しい表現ですみません。本当に怪しいので…)
最初は、しょうがないなあと思って無視をしていました。でもだんだん大きくなるのです。
どうにかなだめて小さくしようと抵抗しました。蓋をして、その声の主を隠そうとしました。
それが多分、いけなかったんですね。
エゴイズムと戦うことになってしまったんだと思います。
いつの間にか、気持ちの整理ができなくなって、怒りのきっかけになった方から連絡があった時、口から何かが出ていきました。
爆発したという感じ、気体がパンと飛び出たという感じです。

自分でも支離滅裂だということをその方にぶつけている自分がいました。
(知人だったのでそのあと謝ることができて良かったです。)

その後の高揚感といったら。心は、してやったぞ、という気持ちでした。自分は間違っていない、正しいことをやった、と、爽快な感じでした。
でも、翌日鏡を見たら、怒りの浮かんだ自分の顔がありました。

これがエゴイズムと同化する、ということなんだと思いました。反省も何も浮かんでこない、自分が正しかったというところに止まってしまうことも、同化の証拠なんだなあと思いました。

運良く個人セッションの日で、他者の目線がある中で、自分の中を点検する機会に恵まれました。案の定、王様キャラの奴が、お腹に怖い顔して居座っていました。

いくら捨てても繋がってしまう奴。私の中に怒りのタネが生まれると、そく繋がります。

今回は、自分が本当は誰であるかというところに立ち戻り、その情報を元にポジティブなキャラを作って、私の中にいてもらうことにしました。奴がつぶやき始めても何もしなくても、私は新しいキャラにエネルギーを注ぎ、生きようと思ったのです。

少しだけでも、自分に自覚があって本当に良かった。何も感じていなかったら、他者からの言葉も聞き取れなかったかもしれません。

エゴイズムは本当に怖いのです。でも自覚をしたら、あとは内省するしか手放す方法はないし、地道に逃げずに理解する努力をしようと、改めて思ったのでした。

サロンでは久しぶりに謙虚さの消えた私に見えたみたいです。
もう、ほんとうに難しいですね。自分を理解するのって。

2018年10月14日日曜日

矢印がどちらに向いているか

昨夜の会話から、考えたことを記しておこうと思います。

その前に、私はとても自己中な人間で、自分目線の視点しか持てていませんでした。今も改善されたとは言いがたく、慢性的な悩みの一つではあります。

ヒーリングを行う者は、他者目線を持てるようにならないといけないからです。
自己中を卒業する必要があるのです。

昨夜は、人のために行う仕事について話しました。

例えば、私は障害者支援を主軸に置く障害当事者団体で仕事をしていましたが、自分には他者を支援するまでの器がないことがわかり、退職しました。
その思いはやはり間違えてはいなかったと思う出来事が最近あり、自分の器の小ささを自覚しております。
感情的になる部分や、自分を正当化する癖、人に自分の考えを押し付けようとすることは、油断をするとすぐ出てくるのだと感じたのです。

誰かを支援するということは、他者目線が必要で、私のように自分だけしか見えていない人間には向いていないことなのだと、自分では思っているのです。
でも、そのような仕事につけたことで、自分への疑問や認識が高まり、少しでも成長しようと思えるようになったので、仕事につけたことがありがたく、大変だった中で一緒に働いてくださった方々に今の私は感謝しています。

人の目線になかなか立てない私が、人を支援する仕事についたことを考えながら、「他者のためにする仕事」について話していくと、こんな言葉をもらいました。

「仕事というのは全て人のためにするもので、それを自分がどのぐらい自覚できるかだと思うよ。どんな仕事であっても、人のためを思ってすることでそこに喜びがあるんだ。」
改めて言葉として聞くと、そうだな、と納得するものです。
「自分に矢印が向いていると、その喜びまで到達しない。考えているつもりでそうではないし、お金や生活のことが実はとても大事だったりする。ゆっくり一歩ずつ成長して、本当の喜びにたどり着くんだけれども」

そしてこの日の結論は、誰かを支援する仕事は、誰かのために何かをするという具体的な仕事でもあるから、本来の労働の目的が見えやすいということでした。
それでも、自分に矢印が向いていることが多いかも…。私はそうでした。いい人と見られたかった人間だから。

そういうことなんだ、と変に納得して眠りました。

2018年10月13日土曜日

 今朝の会話

今朝、ある方とこんな会話をしました。
築地が解体されることになりましたが、ネズミの問題が今大きくなっています。そのことについてニュースが流れた時のことです。
映像には、建物内部の隙間から覗くネズミの姿が映っていました。

「この子たちも大変だ…ねずみの気持ちになっちゃいます」と彼女。

「その気持ちもわかるけれど、うちも隣の家が解体された時、ネズミが来て大変だったんだよ」と私。

「そうなんですか!!」
「ゴキブリが来ることは想定内で、対策していたんだけれど、ネズミのことは考えていなかったから、時間がかかったよ。問題を解決するまで半年はかかったかな」
「そんなに」
「銀座にネズミが押し寄せるのではないかと心配が広がっているけれど、もし自分の家にネズミが出たら、やっぱり大変だと思うよ」
「そうか、人の立場に立つということは、そういうことなんですね」
「!!」
「遠くに住んでいると、ねずみはかわいい、なんて思ってしまうけれど、実際自分ちに出たら大変ですよね。人ごとではなくなる。それがわからないんですね」

そうか、これが、人の立場を思うということなんだなー。

「わからないということは、想像力の欠如ということなんでしょうね」と彼女。
「想像力の欠如と思うよりも、想像してみたら良いんじないかなあ」と私。
「一回想像すれば、一回ぶんの「想像した」という経験になっていくから、そうやって自分の『想像した』経験を積んでいくしかないよね」

ここまで話して、ハッとしました。
想像することが経験になるということは、こういうことなんだと。
物事をイメージすることはとても大事な経験になるんだと、自分で説明しておきながら、そのことを理解したのでした。

想像力の欠如を悲観することなく、まず人の立場を想像すること、イメージすることが、経験になると、今日初めて腑に落ちました。

会話は大事ですね。ひらめきをもらえます。彼女との出会いに感謝しています。

2018年10月4日木曜日

腎臓のさけび

定期的にお世話になっているヒーリングサロンMedicine wheel でのお話です。

つい最近、夏に受けていた健康診断の結果を聞きに行きました。
値はすべて正常値だったのですが、腎臓の値がギリギリだったということ。
「おしっこはちゃんと出てる?」などのツッコミをクリニックの先生からされたりしました。
ちなみに背骨も側わんしてきたとのこと。(国民健康保険での健康診断なので、側わんの検査はしないのですが、肺のレントゲンでわかったことです。背骨は写りますものね。)
確かに最近姿勢は悪かった、と反省しながら帰ってきたのでした。

サロンでそのことを話題にしたので、気になる体の箇所の声を聞いてみることに。
花粉症がひどくなる春に何度かトライしているので、自分の体が私に言いたいことは薄々わかってはいましたが。

下記の話は、誰かのアドバイスとかではなく、あくまでも私の心に浮かんだイメージのお話です。私は信用しているけれど、どう捉えるかは読んでくださる方にお任せいたしますね。

まずは一番気になる腎臓。
「水が足りない!!」
叫びのような声が(聞こえたんではなくて、頭の中のさけびです)。
私が飲まなくてはいけないお水の量は、いちにちにプラス1500cc。

…やっぱり。わかってはいたけれど…。

それから、お菓子は控えて。今の5分のいち

そんなに少ないんですかーー。しゅん。


次に背骨。
本読むときは姿勢を正しく。できればソファに腰掛けて。
…。
あと、時々うつ伏せになって。

はい。

最後に、一番痛みがある右手。
「あまり動きを抑えないで」
一番アテトーゼが激しい右手さん。左手で動きを抑え込むことが多くなりました。そこのところの苦情だとは思いますが…。

まず、腎臓の訴えは、今始まったことではないです。若いときから、私はあまり水を飲みません。お手洗いが近くなるからというのが最大の理由です。介助の方と暮らすようになっても、私のこの癖は治りませんでした。
特に外に行くときは、自然に控えてしまうようで、この癖が50歳を過ぎて体が変わってきたときに調整がうまくできなくなったようでした。
お菓子をなぜ食べてはいけないか、後から師に意見を伺うと、塩分や糖分のバランスなのではないかということです。基本的に水分が足らない中でお菓子などを食べてしまうと、濃度のバランスが悪くなってしまうようです。
更年期を過ぎた肉体は思った以上に水分が体から出てしまうようで、10年前の感覚でいたらいけないようなのです。
せめて家にいるときは水分を意識的にとろう、というのが今回の教訓です。
そしてお菓子は当分控える、ということ。これは痛いなあ。

背骨は油断すると、脳性麻痺のアテトーゼ(不随意運動)が激しいので、姿勢を保っておくことができずに、側わんが進みます。
今回は本当に油断しました。

右手については、ヒーリングのの後に師からもアドバイスをいただきました。

右手に、状況を話してあげたらどう?

そういえば、以前に古い友人からもそう言われました。私の右手は違う人格だと思った方がいい、というようなことを。

脳性麻痺と付き合うのは、本当に難しいです。50年この体で生かしてもらっていますが、なかなか以心伝心ということにはいかないようです。

でも、自分の体から訴えられてしまうと、他の誰から言われたことよりも説得力があり、どうにかしようと考えてしまいます。不思議なものです。
特別長く生きたいわけではないけれど、生きている間は少しでも過ごしやすい体でいたい、という気持ちがあります。一緒にいてくれる人と心地よく、過ごしたいと思うからです。

一年に一度ぐらいなら、お菓子を食べようかなあ。

2018年10月2日火曜日

10月の生き方

今月は刺激的になる予感が…。
あくまで個人の生活レベルのことですから、大したことはないと思います。

やりかけのことにめどを立てて、
少しずつ家の掃除を始めて、
読書の方に重心を持って行けたら嬉しいです。

あと健康管理を確実にしたいかな。

9月のまとめ

もう月が明けてしまいました。

9月はあっという間に過ぎて行きました。

自分のことよりも、身近な人のことを考える時間の方が多かったかもしれません。

でも突然細かいことを思い出したりして不安になることもありました。例えば健康診断の結果がまだ来なくてどうしようとか、そういう、個人ごとです。電話一本すればいいだけのレベルのことです。

あと、自分の心が本当は偽善ばかりだったらどうしよう、とか。
ただええかっこしいしたいだけではないかとか、そういう自分に対する疑いです。

日々、経験を積み重ねるしかないのですが。

深く心で考えるとは、なんとも難しいことです。

元の成長していない自分に戻ってしまったらどうしよう、そう、長年付き合ってくれている方に呟いたら、
「戻らない」
と一言で終わらせてくれました。
どうも、私が彼女に以前、話していたのだそうです。
「成長した部分は絶対なくならない。元には戻らないから大丈夫」

その言葉をそっくりあげるね、と言ってくれました。

そりゃ、彼女は戻らないけれど、自分はわからない、というのが今の私の気持ちです。

日々忘れてはいけないことは、自分は知らないことばかりだということ。
周りの環境や、出会う人に教えていただいているという、謙虚さなのかもな、と思います。

わかった、理解した、大丈夫、と思った瞬間から、成長が止まってしまうように感じ、そういう自分になるのが一番怖いと思います。

そうですね、怖いのは自分の心。いろんなこと不安や恐怖を抱き、無意識の中に飛び込んでしまう自分の心ですね。

9月は、友人に会いに行けたことも素敵なことでした。
他者の愛情というものが、とても細かなエネルギーなんだと実感できたことも発見でした。
感じられて、本当に良かったです。

2018年9月21日金曜日

明日

シアターKASSAI(池袋)で公演されている
「明日」という舞台を観てきました。

1945年8月8日の長崎の生活をえがいた、井上光晴氏原作の「明日」を舞台にしたものです。

すごく、よかった。渾身の演技を目の当たりに感じて帰ってきました。

物語は、テレビドラマなどで観たことがあり、初めてではなかったのですが、改めて小劇場で見ると、目の前でその時に戻って生活を見つめているようなそんな気分になりました。
その時代に言われていたであろう、現実的なニュースや人との関係性の難しさやそういうものが、ひたりひたりと匂い立つような作品でした。
その中で家族の想い合う姿、深い愛情が漂う家の様子が、身に迫ってくるのでした。

この舞台を9回やるなんて、役者さんはタフだなあとしみじみ。
いつもお世話になっている方も出演されていたのですが、別人に見えました。感動でした。

でも、あらわすって、そのぐらい燃えつくすものなのだとも思いました。

公演は24日の月曜日までです。

2018年9月20日木曜日

今回の個人セッションで学んだこと

私は時折ヒーリングサロンMedicine wheel で個人セッションをうけています。
ある日はヒーリングを受け、またはチャクラヒーリングの日もあり、対話で学ぶこともあります。

今までそれほどこのブログに書かずに来ましたが(書くときは突飛な書き方ばかりで読みづらいものでした汗)、できるだけ書ける範囲で書こうと思い、今回はそう決心してから2回目の書き込みです。
と言っても今回も、あまり具体的なことは控えます。なので非常にわかりにくい文章だと思います。申し訳ないです。

今回学んだことの一つは、
本当に思っていること、考えたことは、どんなに賢いふりをしても、理解しているふりをしても、いずれは繋がりのある(またはあった)人たちに本当のことが知れるのだと言うことでした。

つい最近まで私は、自分のことでせいいっぱいで、周りのことは見えていないことが多かったようです。
本当に残念だけれど、何もわかっていなかったと言うか、感じなかったんだなあと、それを考えるとひどく落ち込みます。
もう少し周りが見えていたら、その状況を知り得て、そのことで悩むことができたのに。

これは私ができなかったことです。

霊的真理を学ぶということは、深く知れば知るほど、人の思いに敏感になっていく一面があるのかも知れません。
もちろん人生経験のない身では、なかなか感受性も思うように育ちませんが(私のことです汗)

少し時がたって、過去のシーンや、その時学ぶ場の仲間だった方々の心を理解できていくと、気づかなかっただけに、衝撃だったり、かなしかったりします。
でも、それも私の学びなのかなあと思います。

見えない世界を学んでいくということは、自分の中の差別感があらわになったり、(科学や文学等、証明ができたり作品があったりして世に知られていることでもないせいか)特別なこととして捉えがちです。

特別なことと捉えてしまった段階で、心の成長は止まってしまうのだと感じています。

そして、ここからは推測ですが、心の成長が止まってしまった時、意識的に認識できることが少なくなり、無意識の部分が活性化してしまうのではないかと今は考えています。
つまりエゴイズムに取り込まれてしまう(同化してしまう)という状態です。

私も、自分のネガティブな部分(エゴイズムや過去の自分。私の過去生はえぐいです)と同化している時、自分では何も自覚なく、普通に日常を、いつものように悩みながら生活していました。

その頃はまだスクールが開催されていて、生徒全員の学びとして私のネガティブエレメンタルを壊すという時間をいただきました。
そこに参加する一人一人が伝えてくださったことは、メモに残し、今でも読み返すことがあります。

読み返しながら、進言してくれた人はその責任を負ってくれたのだと、自分が口にしてくれたことを実践していくということを決めたのだと、理解しています。

ありがたかったと今はしみじみ思います。

それほどに、自分の無意識な部分を意識することは難しく、一人でそれを実践するには、よほど謙虚に自分の心を見つめる作業をしないとできないように思います。
無意識な心は、学んで知識が多くなればなるほど、少しの油断で周りの方々に悪い影響を与えかねないからです。
思えば、あの頃、自分と向き合うことを途中でやめなかった理由として、一緒に学ぶ方々に、先生に対しても、私の無意識部分が暴走することが怖かったということがありました。
せめて、内省がある程度できて、周りに悪影響をもたらさないぐらいになるまではスクールをやめないと決めたのでした。

私は未だ一人では見落としが多く、サロンに行くたびに見直すのです。

これが自分の選んだ道なのだと、今は思っています。
そして日々わかって行く事実を、受け止めていける心を育てていきたいと思っています。

今朝の夢

久しぶりの夢日記です。

広い部屋三つぶんのところに私は住んでいる。障子を開けると外はコンクリ張りの港近く。露天がぽつぽつあり、顔なじみの人が何か食べている。空は広く、空気も良くて、知り合いもいて、「ここは良いなあ」としみじみ思う。
障子を開けている間は、人がへやにはいってくる。私は、部屋に来てくれる人の話を聞きながら、食べ物を口に入れてもらう。その日常がとても自然で、私は目の前の人のことだけ考えているし、目の前の人は私の好みのご飯を食べさせてくれる。部屋は暖かく、心地よく、この生活が大好きで、この場所が大好きだと私は思っている。

前日舞台を見たせいなのか、少し前に友人の家で暖かく過ごした残像なのか、幸せな夢でした。
でも、このような生活をしたいんだと心から感じました。

2018年9月15日土曜日

アメイジング・ジャーニー

友人が務める団体の映画鑑賞会に選ばれたというこの映画。
イベントには行けないことを伝えたら、映画だけでも観てみて、と勧めていただいたので、借りて来ました。

アメイジングジャーニー

久しぶりに、何回も何回も観てしまいました。
私にとって、これまで習って来たことをわかりやすく見せてくれたという感じの映画でした。
友人曰く
「映画『沈黙』の逆をいってる」
とのこと。確かに。沈黙は、信じるべき見えないものをどう信じるのかということがあったと思うけれども。
この映画は、私にとっては、本当にわかりやすく、宗教とは何か、愛とは何か、信じるとは何かを語ってくれます。

私にとってはストーリーを追うということよりも、表現の仕方に感動しました。
手元に置いておきたい作品でした。

宗教が嫌いな方には、どう映るんでしょう。
宗教というよりも、「生きるということ」という感じですが。
見えないもの、肉眼で認識できないもの、神様に対しての認識さえも、人それぞれ感じ方は違うだろうから。

すみれちゃん、綺麗でした。ハリウッドデビューおめでとうございます

2018年9月13日木曜日

旅の思い出

久方ぶりに、小旅行に行ってきました。
最近山梨に越した古い知人の家を訪ねる旅でした。

大きな一軒家を借りた知人は、私たちを笑顔で迎えてくれました。餃子をたくさん作ってくれて、美味しくいっぱいいただきました。

この家では、たまたま今の時期に一緒に暮らしている人たちがいて、小さな子達とコミュニケーションをとる機会に恵まれました。
介助で同伴してくれた友人はママなので、小さい子とすぐ仲良しになり、その様子をみさせてもらうのも、私にとってはいい刺激でした。
小さい子には、こちらからぐいぐいいってはいけないんだ、待つのも大事なんなあと、知りました。
翌日には私も少し子供たちと仲良くなれて、よかったなあ、と思いました。

思えば、小さい子の「なんで」、「どうして」にうまく対応できない頃の私は、子供達の問いかけに「理解してもらおうとして説明していた」のだと思います。

目の前の人の目線に立つということは、自分の感情や言いたいことから視点を外すことなのかもしれないと思いました。

妹たちが小さい時も、ここまで考えられる私だったらよかったなあ、と思いました。
できない、わからないということは、罪なものです。

翌朝は十数年振りぐらいに、一人で高尾駅周辺をぶらつきプチ旅行。
せっかく来たからどこか一箇所でも「行った!!」感を味わおうと思い、駅から徒歩で行ける霊堂に。
緑深く、静かなところでした(本当は駅の地図には「公園」とあったので行ってみたのですが。…霊堂だったので、写真は控えました。残念。)。

今時ICカードを持って行かずに(直帰するつもりでした !)、いちいちキッブを買うことになり変なところで苦労して、たくさん周りの方に助けてもらった1日でした。


2018年9月1日土曜日

9月の生き方

9月は、積極的に、自分から。
そして、ネガティブなくせに引き込まれないこと。

冷静に、不安を対処し、深呼吸を忘れないで、生きようと思います。

2018年8月31日金曜日

八月のまとめ

8月は誕生月だったので、日頃控えているお菓子など食べたいものを少し解禁して緩やかに生活してみようと思っていました。

確かにケーキなど、自分で買った分も含めて、よく食べました。
多くの方が、私の誕生日を覚えていてくださり、一緒にお祝いをしてくださりました。
ありがとうございました。

今月は一年のまとめとして、具体的な目標を書かずにいましたが、
まとめらしく、面白く忙しい、そして感じることが多かった月でした。

いつもはあまりない、ヒーリングのお仕事も数回いただきました。(新規でお試しの回をいただいた方も含めて。)
やはりヒーリングのお仕事は、私の場合はご縁のある方にさせていただくというコンセプトなので、日頃のおつきあいを通じて私の人となりを見ていただいた方がこのようなヒーリングをさせていただくというご縁になるのだと改めて思いました。そしてその体験は自分の体験に結びつくのだということを、改めて実感できました。依頼をしてくださった方には、経験の機会をいただいて、本当にありがとうございました。

学んだことを生かしきれない日常生活に少し落ち込みながらも、いろんな映像から考えを馳せることの多い月でした。わからなかったことを理解することで、なんと自分は鈍感だったんだろうと落ちて、体の調子を整えるのが難しい日もありました。

そういう意味では考える材料にたくさん巡り合った月でもありました。

自分の課題は、生活に密着した不安から日々どう離れ、他者の目線で世界を見られるようになるか、愛する人にどう心を表現するのか、でしょうか。

生活が壊れていくのではないかという不安は、日々の出来事の中にうまい具合に隠れていて、ふとした出来事が引き金で自分の心に沸き起こります。その時、周りに思いやりを持てない、本能にまみれた自分が目覚めてしまいます。

私は本当に経験が足りないようです。

ネガティブになりやすい思考回路も、改善したいですね。

でも今月は、お腹いっぱいです。ケーキもたくさん食べさせてもらったし、来月気を引き締めてまた頑張ります。

2018年8月30日木曜日

チャクラヒーリング 1回目 第一チャクラ

定期的にお世話になっている medicine wheel で、何度目かのチャクラヒーリングに取り組み始めました。

このサロンで開催していた霊的真理とスビリチュアルリズムのグループレッスンに、昨年まで通わせていただいたご縁で、今も定期的に勉強を続けさせていただいています。

このブログでも時たまそのことに触れてはいますが、とつぜん突拍子も無いことを書くので、わかりにくい説明だったかもしれません。

私は、このサロンでは、主に人間関係の見直しや、想いの整理、自分の性格の見直しを、自分の体を通して感じた情報を元に行わせていただいています。

今まで教えていただいた知識などは、スクールに所属していた時にいただいたテキストや、自分で見繕った本をもとに復習している場合が多く、質問があるときにこの時間に伺うようにしています。
(基本的なことを改めて伺うことが多く、師にはご迷惑をかけています汗)

今回のチャクラヒーリングはは第一チャクラでした。
トータルでチャクラヒーリングを受ける場合は、ほとんどの場合第一から始めます。

第一チャクラは、生殖器の位置にあり、イメージの色は赤、元素は土と言われます。

今回は家族のことについて改めて感じ、考える時間になりました。

多くを書くことは控えますが、感じたことは、家族一人一人の目線から昔を振り返ると、その時は気づかなかったことが見えてくること、時にそれは深い後悔として私の心に記憶されるということです。
私は実年齢よりもいつもあまりにも幼く、周りが理解できず、いつも自分の本能の中にいました。そのことでわからなかったことを50代になった今振り返る機会をもらって、一人一人が古い記憶のあの頃どんな思いを抱いて生きていたのかを感じています。

鈍感なことは罪だ、と誰かは言いましたが、本当にそうだと思います。

ただ言えることは、私は40代からヒーリングの手法を習ったことで、実際の関係性の中ではあまりできることが見つからなくても、手法を使ってさせてもらえることがまだ残っているということです。

私自身がその頃を振り返り、自分なりに正確に物事を見ようとすることで、できることは見つけられる、そんなふうに考えられるようになったひとときでした。

霊的真理の世界やスピリチュアルリズムの世界は、深く学ぼうとするとどうしても自分の嫌な部分、受け入れ難い部分と対話することになってしまうので、逃げたくなることも多々ありますが、このようなセッションの時間が得られるたびに、やはり続けていこうと思えるのです。

どんな世界でも、極めるためには地味で地道な毎日をひとつひとつこなしていくことが重要になります。誰もいきなりなんでもわかるようにはならないし、万能に悟れる魔法なんてありません。
そしてそれは、誰に認められようとかそういう浅はかさを捨てて、できないことを自覚し、先を行く師へ教えを請い、謙虚に自分と向かい合おうとする姿勢を忘れないように生きることから始まり、続けようとする意志から続けられることだと実感しています。

この時間をまたもてたことに、やはり感謝したいと思います。

家族の様々な想いにふれ、できる限りのことをした後、そこに残っていた私のネガティブな想いの残骸もすてました。それは枯れた樹木の根のようでした。
いろんなものを手放した後、大きく開いた穴には、愛のエネルギーと果実のなる木を植えました。
私の家族の心が空腹になった時、いつでも木の実が食べられるように願いながら。ちょうど時期的にとても美味しい、ネクタリンにしてみました。

家族だから、第一チャクラでつながっているから、できることがあるのよ。
師は静かに教えてくれました。

2018年8月28日火曜日

コスタリカの奇跡

昨日、近くの商店街を歩いていたら、市民団体主催の映画の上映会があることを知り、飛び込みで見させてもらいました。

コスタリカの奇跡

1948年に常備軍隊を持たないと決断したコスタリカが、どのようにその国を守ってきたか、その歩みのドキュメンタリーでした。

この映画から学んだことは、

平和を守るのは戦いだということ。戦うということは、武器の代わりに平和を選び、賢くなるという方法もあるということ。

そして平和を選ぶということは、覚悟と勇気と、現実を見極める力を養う必要があるということ。

市民が国際法を知り、自分の国がどの位置で生きようとしているかということをわかっているということが、とても大事なことなんだと実感しました。

そして誰も、自分の国の政治についた評論家でも傍観者でもなく、主体だと意識していること。この映画からそのことを感じました。

私はもっと知らなければ、と思いました。

2018年8月19日日曜日

不屈の男ーアンブロークン……アンジェリーナジョリーの思い

不屈の男 アンブロークン

という映画を、知人から進めてもらい、見ました。

この映画は、2014年にアメリカで公開、2016年に日本で公開された映画だそうです。アンジェリーナジョリーの初監督のもので、ルイス・ザンベリーニの伝記をもとに作られたものです。
日本では、当初の公開予定の規模よりも小さな規模で公開され、以降も賛美両論だったそうです。私は何も知りませんでした。そういえば数年前に、アンジェリーナジョリーが初監督をする、という話題を、芸能ニュースか何かで見たような気もしますが、定かではありません。

辛かったけれど、見てよかったというのが、今の感想です。
映画の後半は、日本で捕虜になった話なので、見ているのが辛く感じました。どの国に住んでいても、被害者であり、加害者であったということを、思い知るものでした。
国のために戦うのはどの国の人も同じで、敵を憎む気持ちも、許せない相手としてみるのも、立場を変えれば違わないことだったと、どの人にも大切な家族や友人がいて、属した国を守るために生きているのだと感じました。

アンジェリーナジョリーの目線は、的確に細かく、日本人を理解して見ているように思いました。原作の本を私はまだ読んだことがないのですが、映画を見る限りでは、収容所内での事実だけを表現しているように思ったのです。

水木しげるさんの戦争についての漫画などを読むと、当時の軍隊の中の人間関係について、とてもシビアに伝わるものがあります。そのことを今回は思い出しなから見ていました。
見ていてつらかったのは、私が日本人だからなのかもしれません。
見たことで、こうして見るということも、加害したということを私なりに受け止めるということなのかも知れないと感じ、そして戦争においては、行なったどの国の人も被害を受け、加害をしているということを、強く感じました。
どのかなしみも比較などするものではなく、人がかかわってつくってしまったということで、私も蚊帳の外ではないということです。

ルイスさんは長野オリンピックの時に、聖火ランナーになった方でした。映画の中でも、戦争に行く前、1940年に開催される予定だった東京オリンピックに夢を馳せているシーンがありました。幻のオリンピックに思いを抱いていた人は、世界中にきっといたんだ、と思いました。

今は、レンタルでいろんな映画を借りられるので、たとえ公開が危ぶまれても、見ることができますね。つくった側への興行収入は少なくなるだろうけれど、そうやって、映画館であまりやらないものでも、いろんな映画が見られるのは幸せなことだと思いました。


2018年8月12日日曜日

繰り返し起こることについて

私は、自分の生活に直結していることに敏感です。
例えば福祉制度が変化すること。
福祉の科目も苦手です。私にとって福祉は学問で学ぶものではなくて、生活そのものだから。
福祉に対しては、私はその制度を受ける立場からしか物事を見られない気がしています。
客観的に見直すことができません。

苦手なものの中に、記録をつけるというものがあります。
介助の方が入った時に、どんなことをやったのかをつけるものです。

この記録のつけかたは、派遣事業所によって書式が異なります。

この記録が、私の最近までの超えられないことでした。

私の生活の内容を、他者が毎日つけること自体に、違和感のようなものを感じていたのです。
最近は一段と記録が厳しくなっていっているようで、それが悩みの種だったりしていました。

ここ数年、意見を言ってみたり、話し合いに行ってみたりしたこともありましたが、最近になって思い出したように、記録についての感情を思い出す出来事があり、考えてみました。
なぜ苦手なんだろう。
記録を他者に取られることで、こんなに気分を害してしまうのは、なぜなんだろう。
多分、介助の制度を活用している人がみんな、この記録のことについて受け入れているのに、なぜ私はいつまでも気持ちよく受け入れることができないのだろう、と、できる限り冷静に考えてみました。

今の段階だと、真面目に真面目に受け入れようと思っていたことが、方向性を間違えていたとわかりました。
物事はラフに考えた方がいい場合がある、ということてす。

受け入れたくないことは、無理して受け入れようと思わなくてもいいようです。
先方と価値観があまりにも違っていて、こちらが合わせなくてはいけない時、つまり話し合いが難しい時は、相手の価値観に乗ってしまうのも手なのかもしれないと思いました。

私自身が変わるわけではないし。
相手がたも、私の考えを知りたいわけではないでしょうし、

相手の価値観を知るということは、こうやって受け流すことも含むのかも知れません。今まで私は、相手の価値観を知りたいと言っておきながら、自分の価値観を押し付けたり、自分の正しさを主張するばかりだったのだと思います。

いい気持ちはしない、ということは伝えてみて、終わりにいたしました。
私も、相手がたも、意見はすれ違うだけだとわかったところもありました。

思えば同じような出来事が今回で3回目。繰り返し起こることは、何か私の中で落ち着く所を探さなければならなかったということです。少し視点を変えての着地でした。でも着地できてよかったと思いました。


2018年8月1日水曜日

8月

誕生月の8月はこの一年のまとめと、新しい一年への自分の気持ちを確認する月にしてみようと思います。

少し自分に、お菓子を食べることを許して過ごします。ふふ


7月のまとめ

暑かった7月。本当に過ごしにくかったですね。
40度近い気温のある毎日は、思った以上に体内から水分を奪うんだと思いました。

その中で、7月はいろんな場所に出かけて行けた日々だったと思います。
勉強会に誘われたり、自分で申し込んだり。

その中で、昔の感情と向かい合ったり、静かな日々の中で刺激のある一ヶ月でした。

世間の出来事に一憂し、できることについて思う日もありました。

7月に気がついたことは、自分のペースを忘れること、でしょうか。
人の気持ちを思うということは、自分のペースを忘れないと私にはとても難しくて、意識をしても言葉を選ぶことも難しいし、やはり口からすぐ言葉が出てしまうことが多いように思います。
人生のあり方について、人と比べては色々いらぬことを考えてしまうし、自分とはそういう、浅い意識の人間なのだと思いました。
その中で、話を聞くということに意識を持つことは、私にとって必要なことなんだと思います。日々のことに今の自分の課題があるということを再認識したように思います。

人と比べず、自分さえきちんと生きていればそれでいい。

私の中に隠れていた嫉妬心や怒りなど、まだ整理することは尽きないと思いました。
心はなかなか育たないけれど、自分の心だから、自分で鍛えるしか他に方法はないのだと思いました。

出会う人たちが、自分の人生に起きる厳しい出来事に立ち向かいながら、冷静にそれを受け止めて、私のところを訪ねてくださる日々は、考えさせられることがたくさんありました。
何があっても静かな心を保ち、できることをする、
その姿勢を、見せてもらったように思います。

2018年7月23日月曜日

居心地のいい場所

今日、ある人と話していて、ふと思いました。

私は、いこごちのいい場所を選んではいないか。

成長できる場を選びたいと思いながら、実は受け入れてくれる環境、甘えさせてくれる環境を選んではいないか、と。

私が実家を離れて、一人生活を始めた時、介助についての考え方を、英才教育のように、支援団体から教わりました。

行きたい時にトイレに行くためには、好きな時にご飯を食べるためには、したいことをしたい時にするためには、介助で入る人の労働環境を整えることが必要。

この考え方は、この支援団体に出会わなければ、知ることはできませんでした。

互いの立場を考えること。
私は障害があり、そしてそれは世間が「重い」と判断するぐらい、自分ではできないことがたくさんあります。
だから、自分のペースで生きて行くためには、基本的な生活そのものを整えて行くためには、協力してくれる方がいつも必要です。

東京に移り住む前の、埼玉で一人暮らしした6年間は、他者の立場から物事を見るということのいい経験でした。
もしかしたらこの後の東京での経験も、埼玉で障害のない人たちと議論しながら、時には凹みながら知り得たことがあったから、とびこめて行けたのかもしれません。
もう今はあの場所に戻ることはないし、再会を望んではいないけれど、あの経験はありがたかったなあと思い、感謝の気持ちがあります。。


自己主張と要求は違う、と、ある人は私に話してくれました。

自分の生活を考えて組み立てているか、他人任せにして、要求ばかりしていないか、とてもきになると。
私も、自立生活をするときは、まず自分の生活を整えることから始めました、無意識でしたが。最初から特別、やりたいこともなかったせいかもしれません。とにかく自分の意思で生活を作って生きたかったんです。

生活する中で、もちろん今もうまくできているとは決して言えませんが、頼み方を知り、それぞれの個性を知り、自分の頭の中の世界と、人のお願いした時の現実の違いを知っていったのです。
 無論、私はここまで理解できるまで、とてもとてもとても長い時間がかかってしまいました。多くの人とうまくいかず、多くの人を困らせ、時に傷つけてしまいながら生活を続けてきたのだと感じています。その中で、ずっと支えてくれた人たちがいたことを、忘れないで生きようと思っています。

居心地のいい場所がいけないというわけではないけれど、その居心地の良さを誰かに作ってもらっているばかりだとしたら、自分でも自分の心の置き場所を作ろうと前向きに考えていないとしたら、そしてそのことに周りは気づいているのに私自身が気づいていないとしたら、それは見直さなくてはいけないことかもしれないと今は思います。

どこであっても居心地よさは、最初からあるわけではないし、お互いに努力してお互いが一緒にいてもいいと思える場所を作って行くことだと思うから。



2018年7月9日月曜日

障害のある人生

今日、ある方と自立についてのお話になりました。
先日ここに書いた内容のことを話したんだけれど…

以前からお付き合いのある彼女は、本に残して欲しいと言います。

私も書けるものならかきたいけれど、

どうやって書いていいかわからないというか、イメージがわかないというか、

本当に書きたいことがないように思っているものだから、始末が悪いんです。

あれこれ考えていくうちに、怖さがあることを発見しました。

自立についての気持ちを書くことで、障害を持つ知人はどう思うのだろう。
介助に対する考えや、仕事について、考えを書くということは、もしかしたら、人の心を逆なですることなのかもしれない。
かつて私が何も知らないでいろいろ書いたことで気を悪くした人がいたかもしれない中、私は自分を表すことができるだろうか。

かつて書いた処女作「あんドーナツ」は、きっとあの内容は家族に知って欲しかったんだと思います。
伝えたかったことを読んでもらえたら、何かが変わるかもしれないと思ったんだと感じています。

期待はしても叶わないもの。その頃の私は、メチャクチャに理解してもらいたかったんだと思います。
理解は求めるものではなくて、こちら側がするものなのに。そこがわからなかつたのです。

障害があることで経験し得たこと。書いてみたい気もするけれど、私的なメモでもいいような気がするし、それでも書き始めることに意義があるということなのかしら。
もし生まれ変わって次の人生があるなら、その人が読めるように残すつもりで書いてみようかしら。

どうやって書こう…書きたいのかしら、どうなんだろう。


2018年7月1日日曜日

7月の生き方

7月は、
いつもの生活を大切に生きるということですね。

アメリカの心霊診断家エドカーケーシーの言葉に、

祝福の経路となることを求め、あなたが神に用いられることを願い求めるならば、他の人に役立つための機会が与えられる。

というものがあります。
エドガーケーシーの言葉のカードを持っていて、日々ランダムに引いて読んでいますが、その時その時、時期によって気になる言葉は変化します。

最近は上記の言葉がなんとなく心に残っています。


下手な思い込みや欲望にとらわれないで、日々を気を配りながら生きていれば、平凡な日々の中でも、どんな人であっても、つまり私のような人間であっても、何かしら役に立つ機会が与えられる、ということかなあと思っています。

attention with no tension.
(緊張しないで注意する)
この姿勢を忘れずに、大切に、大切に。

6月のまとめ

6月はやはり体験型でした。
大学でのお話のお仕事が3箇所。どれも友人、知人との繋がりでもらえたものでした。
元職場でのボランティア。ボランティアとして関わることを許されたことが、とても心を落ち着かせてくれました。
途中で大風邪をひき、その理由とも向き合うことになり、またスピリチュアル的にはそれ以外にも立ち止まらなくてはいけない出来事があり、自分の人生においては、自分が全ての原因であり、その視点、つまり人のせいにしないことがとても大事なことなんだと痛感しました。

思わぬところで道に迷ったり(元々方向音痴なので、よくあるのですが、まさかここまで分からなくなるとは思わなかった出来事がありました泣)、最後まで気が抜けない一ヶ月でした。

気づいたことは、
スヒリチュアル的には、今まで私は体験しないであろうことを身をもって体験し、今のこの体は多くのことを体験するのには向いていない体なんだということ。

風邪を含めて体調を壊す原因は自分にあり、気がつく感覚を育てる必要があるということ。

人は自立をしなくては他者を助けられず、依存体質は人に迷惑をかけるばかりだということ。これは障害のあるなしは当然ですが関係ないということ。

私に必要なのは、
とにかく自分を育てようと意識を持つこと。できる限り努力をし、私欲に関しては整理をして理解すること。
人と会う機会には、介助の方と過ごす時間もふくめて、その方との時間を大事にし、理解をしようという意識を持ち続けること。

でしょうか。



2018年6月25日月曜日

久しぶりに風邪をひいて

本当に久しぶりに、ちゃんと風邪をひきました。数年ぶりにちゃんと熱も出て、体力のなくなった状態を体験することに。
変わらず来てくださった方々、会ってくださった方には、感謝を申し上げます。

今回は、何が辛かったかといえば、どんどんネガティブ思考になっていくことを止められなかったことでした。人がいてくれるときはまだ良かったのだけれど、一人の時間には、人生の意味まで考え始めてしまいました(笑)
心は弱いものです。

それでもそんなに辛さを感じなかった時期は、たまにしかない貴重な仕事の時間を過ごすことはできたし、生活としてはごく普通に過ごしていました。鼻声だったので、迷惑はかけたとは思いますが…。
心の問題だけですね。どうしようもなかったのは。
今はほとんど良くなり、咳が少し残っている程度です。

この間、個人セッションの時間もあり、ヒーリングもしていただいて、わかったことがありました。
今回の風邪の原因は、あくまで私の場合のことなのですが、私の心の底にあった、自分でも気がつかないほど無意識な、怒りだったということです。

気がつけなかったのは、少しずつ降り積もるように溜まっていった感情だったということかもしれません。いつも思っていたけれど、そしてそれはお相手の方に伝えてはいたけれど、伝わらないことだったということです。
整理できていたと思っていましたが、ヒーリング中に感じた自分の感情は、干からびたような黒い重たそうなものでした。

こんなものが、体にあって、体内にあるエネルギーを使い込んで、いい「気」を侵食していたということです。

ここは、自分から気がつくことができませんでした。

頭では整理できたいたのに、心ではまだ怒っていた、ということ。

これに気がつくには、日々の振り返りをきちんとできてないとできません。けれども、きちんとできているかなんて、自分の評価ではまだまだ測れません。

本当に難しい。

でも、だからこそ他者の目をお借りすることが必要なのかもしれません。

お相手の方との関係は、今生だけのものではありませんでした。
今回は対等な立場で、助け合う、協力し合うという学びの中にいました。

でも私は、肩書きや役割で人を判断するという悪い癖があって、お相手の心を理解しようとしていませんでした。
ここが今回の反省点です。

私は今回、悪い癖を矯正していくために生きているところもあります。
前回書いた、依存しない生き方を学ぶということもありますが。。。

ちなみに、もう一つの今回の生の目的は、愛するということを覚えるということです。
家族愛、彼氏への愛、隣人愛、友愛、それらを一つ一つ理解し、自分も人を愛するという体験を通して人を思うことを身につけること。

今回それが理解できたらいいなあと思いながら生活しています。


今回風邪をひいて学んだことは、
ネガティブな感情というものは本当に健康を害するのだという実感
怒りというものは本当に毒になるということ。
本当にネガティブな重たいものを抱えてしまうと、なかなか明るい方に向かえなくなるということ。
自分の中に原因があり、気づくことは至難だということ。

改善するには、自分の問題を解決すること、つまり相手のせいではないということを理解することなのだと思いました。

そして今回再認識した、私の課題というか、悪い癖は、正義感を振りかざして、人にものを言いたくなり、みとめてもらいたくなること、だとおもいます。

ものを言うときは、経験に基づいたものであること。自分もできないことを、お相手に求めてはいけないと言うこと。
そして、お相手を理解しようと思うことがまず大事だと言うことです。

今の環境は、本当に恵まれています。そして、こういった、自分と向き合う手法を知ったこと、支えてくれる方がいると言うことに、感謝しています。

来週は、予定通りボランティア活動できるといいなあ。ボランティア活動は、風邪をひくとできませんから。


2018年6月24日日曜日

自立について

今日、個人セッションの中で、前回書いた「月の恋人」というドラマについての感想を話していたのですが、そのときに気がついたことがありました。

「人は自立していないと、人に迷惑をかける存在としてしか生きられず、人を助けることはできない。愛されたいと思うばかりで、愛することをしないので、愛されたいという考えから離れることはできない」

ここまで話したときに、師から、

「だから、自立がテーマだつたんでしょう?この勉強を始める前から、一人で生きていこうとしていたんだよね」

この言葉をかけられたときに、ああ、私は自立、つまり、一人でも生きていける人間になりたかった、ということを思い出しました。

何よりも、誰かに依存しなくては生きられない生活はしたくなかった、誰かの心に依存して生きることしかできない状態から脱して、何があっても自分からそれを受け止める心を持ちたかったし、そうやって日々を過ごしたかったのです。

だから、実家を出たことは間違っていなかったし、多くの人と出会って、微かな歩みだったけれど、ここまで歩くことができたのでした。そして、大事な人は自分から手放してはいけないと思うようになり、ご縁を私なりに大事にできるようになりました。

障害を持って生きるということは、経済的に一人でやっていくという自立とは程遠くなりました。もしかしたらもっと死に物狂いに生きたらよかったのかもしれないけれども、私は今の生き方が精一杯でした。それでも、会うべき人には巡り会えたようだから、これでともかくよかったのかもしれません。

私にとって自立とは
計り知れない自分の心の有り様を知ること、つまり一番怖いのは自分の心てあり、向き合う必要があるのは自分であるということ。
人は一人では生きられず、だからこそ人を理解し協力して生きることなんだとわかること。
人は理解をしてもらう対象ではなく、理解していく対象なのだと知ること。
何かを求めるのではなく、与えようとる心を持つこと。
でしょうか。

誰かの評価を期待しているうちは、私はまだまだということにもなります。

そして、自立をして初めて、人を助けようとする心が育ち始めるということ。
これは同時進行だとは思いますが。

人の心を理解したいと思うようになったことは、私にとってようやく自立の一歩を踏み出せたということだったかもしれません。

私の自立感など、多分他者には理解できないことだと思います。
なぜなら世間的には、いわゆる自立の概念を逸しているように感じるから。
経済的にも、身辺的にも、制度や人の助けがないと生活はできはしないから。

これが自立です、と、声を大きくして、理解を求めていたのが、私の人生でした。

でも自立って、誰かに理解されなくても、認められなくても、自分らしく心に責任を取っていく姿勢があればいいのかもしれません。

例えば、約束を守るとか、人の気持ちを大事に考えるとか、そういう見えないところから大事にしていれば、それでよくて、
つまり自分の品位を育て、少しでもマシな人間になろうと見えない努力をできるならば、それでいいのだと今はおもいます。

体が自由に使える人生を生きられるなら、体を使ってその思いを表現すればいいけれど、今はそれができないという現実を生きているのだから、できないという前提の上で自分の心を育てていけばいい。それが自分の心に責任を持つことだと感じています。

月の恋人

韓国のドラマはあまり興味がなくて、縁を持つこともなかったのだけれど、個人セッションの課題になったことから、「月の恋人」(邦題:麗ーー8人の皇子たち)を見通してみました。

このドラマが大好きな、見知らぬ人のブログ、「おでかけ手帳」を参考に読みながら、どっぷりとつかってみました。

韓国の映画は、「親切なクムジャさん」、「トガニ」が印象に残っています。なぜなのかわからないけれど、邦画よりも深く心に切り込まれるような感じがあります。
なんとなく、そこが苦手といえば苦手でもあり、理解しやすいといえば理解しやすいというのが、正直なところです。
この二つの映画は、私に、みないでいようとしていた部分をわかりやすく見せてくれたように思います。辛かったけれど、観てよかったと思っています。
トガニは、この映画が韓国で公開されたあと、社会問題になって、問題解決につながったと聞いています。映画自体は救いのないものですが、その後の国の動きに力を与えたということで、忘れられないものになっています。
親切なクムジャさんは、人に忌み嫌われ人間の姿を見せてくれたような気がしています。
私は自分の前世を含めた人生と向き合う数年を過ごしていますが、過去生で何も問題ないと思って生きていた自分というものが、このような種のものだったのかも知れないと思いながら観ました。

いずれの映画ももう一度観るのは決心がいります。

本題の「月の恋人」、高麗時代の皇帝、光宗とその兄弟たちと、現代からタイムスリップしてしまった女性との物語です。
史実に基づきながらも、現代の感覚も取り入れた、とても構成の複雑なフィクションに仕上がっていました。

光宗は、歴史上では血の君主とも呼ばれ、兄弟たちを粛清していったと言われています。
その人物とのラブストーリーです。

感想としては、辛かったというしかないのですが、何が辛かったのかを、書いてみようと思います。

ネタバレしてしまうかも知れません。これから観たい人は、観た後にこの後の文章を読まれた方がいいかも知れません。

人を想うことと、人を貶めることを同時にみることが、辛かったのかなあ。
人を愛する形もその人様々で。

次期皇帝となったワンムは、アトピーに苦しみながらその役目を果たそうとする兄弟を思う優しい人。
ワンヨは、母親に皇帝になるように期待されてそのように動く、冷たい目を持った人。ワンムと、ウンを、陥れてしまいます。

ウォンは、強い人につき、何を考えているのかわかりにくい、影の薄い感じの人で、いつもワンヨのそばにいます。ワンヨと共謀して、人を使っていろいろ悪さをし、協力者が処刑されてもあまり感じない心の人という印象です。

ウクは、頭が良くて、一見温和そう。途中から、企ての首謀者となったり、心が揺れ動きます。

ペガは、芸術肌の、心優しい人。人との距離感を大事にし、好きな人を守ろうとますが…

ウンは、おもちゃさんになりたい、少年のような人。望まない結婚をしますが、本当は愛情深い人です。

ジョンは、母親に溺愛された、無垢な少年。なかなか物事は見えませんが、最後は彼らしい愛を見せます。

そしてワンソは、次代皇帝光宗になる人。顔に傷があることで小さい頃から差別を受けて暮らします。激しい性格の持ち主です。誰にも愛されなかったという心の傷があります。

ヒロインのヘスは、化粧品会社勤務の現代から、1000年のタイムスリップをしてこの8人と面識を持つことに。

恋愛ストーリーと思いきや、回を追うことにディープになっていく内容。

やっぱり、兄弟同士が殺し合い、貶め合うのはきつかったですね。ヘスの感覚が現代だから、なおさら感覚の対比があからさまでした。

身分で差別されるのが当たり前の世界で、下の身分ならば命は軽んじられ、罪をなすりつけられるという仕組みも悲しかったし、身の置き所が難しかったです。

ここに出てくるヨンファというお姫様のやることがまたえげつなく、どうしてこうも人を貶める発想ばかりするのだろうと思っていましたが、先述したブログの作者がわかりやすく解説してくれていました。

人は自立していないと、自分の身ばかり守りながら生きるので、人の命よりも自分の命の方が優先となり、結果的に迷惑な人間となるようです。

現代から来たヘスは、自立しているので、どんなに自分の生きる場が変わっても、生きていけると想う、でも自立をしていないヨンファのような人は、立場や身分が危うくなると、生きられないとおもい、人を蹴落としてしまう。

この発想で展開していく様々な出来事は、怖かったですね。

皇帝になったワンソは、ヘスとの関係で兄弟を貶めることはなかったけれど、その時代の感覚は変わることはなかったし、史実を変えないというこのドラマは、人が人を思いながら自分の命をかけていくところや、変えられない現実が、感情の落とし所を混乱させる、そんなドラマでした。
高麗の時代は、とても身近になりました。

観て良かったけれど、人に勧められなかったら、途中でやめていたかも知れません。


そして、
私は今、自立をしているだろうかと思いましたね。

自立って、自分の怖さや能力のないところも含めて自分を知っていて、人の評価に左右されず、聞く耳を持って生きていくことなのかも知れません。
その時代時代の自立の仕方があり、その環境においての自立があるけれど、根は同じというか、自分に向き合っている姿勢が、人に迷惑をかけない(貶めない、命を脅かさない)ことなのではないかと思いました。

自立をしないと、人を助けることはできないんだと思いました。やっぱり、本当に、心の自立が大事なんですね、人として。




2018年6月2日土曜日

6月の生き方

今月は、
体験を大事にすること。

一つ一つの体験を通して、自分の苦手なこと、好きなことを理解し、その出来事に対し自分が何を表現したかったのかを、明らかにしていこうと思います。

自分の表現とは、自分がその場でできることを考え、行動に移すことです。

ハードル高い気もするけれど、頑張ります。

2018年5月31日木曜日

5月のまとめ

今月はあまりこのブログも書けないまま、時を過ごしてしまいました。

今月は体験から学んだことが多く、身体を整えることも難しかった月でした。

でも振り返ってみると、どうやって過ごしていたんでしょう。

月の最後に感じていることは、背伸びをして良い人間になろうと思っても、偽善のままでいい方向にはいかないということ。

ひとつひとつ、これは本当にやりたいと思っていることなのか、自分の心と対話して、自分のペースで行動していくことが、近道なのだと感じました。

そして、自分の過去の行いで引き起こされたことは、頭の隅から決して消さないでおくこと。これは本当に大事なことだと感じました。

どんな些細なことでも、日々の出来事は生き方を見直したり考える機会をくれるもの。これも今回感じたことでした。

あっという間に過ぎた5月。でも思い起こすと、心に少し重石をくれた月でもあったように思います。

なんだかとても抽象的。頭が回っていなくて、わかりにくいまとめでした。

2018年5月13日日曜日

鬼太郎の世界

毎週日曜日はワンピースを見ながら新聞を流し読みするのが、習慣になっています。
新聞は3年間取っていましたが、読むのが追いつかなくてしばらく契約をお休みすることにしました。全部読めないし、読めないものをとるのもなんだかもったいない気持ちが強くなりました。あとしばらくの新聞のある暮らしです。
 改憲の話が出た時、平和主義の自分の心をいさめるために、つまりもう少し知識を得て、憲法をかえるという国の考えを知りたくて取り始めた新聞でした。最近は優生保護法について詳しかったので、たすかりました。

話が逸れましたが、ワンピースの前にドラゴンボールが放送されていた時間に、「ゲゲゲの鬼太郎」が新番組として始まりました。
水木さんが亡くなった後に、どんなアニメになるのかとても気になっていたので、ここ3回ぐらい見ています。

なかなか、いいと思うのは、いつも人間の子供との接点があることです。
妖怪の世界を別世界にするのでなく、鬼太郎と人間の子供の誰かが毎回関係を持つのです。その感じが、現実がいつもそこにあるというリアリティになっているような気がします。
今日の、大人の怪談の世界と、子供のネット世界でのいじめを繋げたのは見事でした。

鬼太郎だから言えることがあり、鬼太郎に言わせることがあるのだろうと思いました。
友人と見ていて、子供も大人も鬼太郎は観れるといいね、と話しました。

作者が関われないぶん、さまざまなことが起きても、ぶれずに作られることを祈っています。

もちろんワンピースもめちゃいいです。作者の世界観に圧倒されながら観ています。



2018年5月11日金曜日

気づいていくもの 剥がしていくもの

コールデンウィーク、特別な用事もお遊びの予定もなく、普通に過ごしました。
その中で、知人とやり取りをしながら、気づいたことがあります。

私が通っていたヒーリングスクールは、スピリチュアルリズムとグノーシス(霊的真理)の教えに基づいたものでした。
その中に、自分のエゴイズムに気づき、手放していくこと、と言うものがあります。

エゴイズムというのは、ネガティブな思いや考え方の塊といえばいいでしょうか。

エゴイズムに気づき、それが自分ではないと認識して自分の行動を変えていくことが、自分の成長に繋がると言われています。

私は、つい最近まで、このエゴイズムに自分が取り込まれないように気をつけないと、と思っていました。

エゴイズムというのは、自分の欲から生まれるものですから、それ自体には愛は含まれないように思います。なのでこのエゴイズムに基づいて行動してしまうと、とても自分本位で冷たい行動になってしまうのだと思います。

私は自分の過去生と向き合った時に、人の気持ちを考えないで生きて来た人生ばかりだったことを知ることになりました。もう二度と同じような人生を送りたくないと思いました。
なので今もこの勉強を続けています。

知人とのやりとりで、気をつけることではないということに気がつきました。
物事は気をつけるだけでは、というか、気をつけることではいけないんですね。

気づくことが大切なんですね。

気づくためには、観察が必要。
観察力は、興味から始まるように思います。

毎日毎日、何かに気がついて、自分の欲望の皮を剥いでいくことが大切なんです。
エゴイズムに、つまり自分の欲や自分本位の考えに取り込まれるのを予防するのではなく、常に新しい欲があることに気がついていけばいいということです。

そうして人生は進んでいくものかも知れないと、思ったのです。

2018年5月1日火曜日

5月の生き方

五月は、

怠けないこと
人との関係を楽しむこと
正しい自己愛を理解すること

でしょうか。

日々起きることに不動であること、
自分の感情に注目せず、他者の感情に注目すること。

これは本当に揺らいでしまいがちなので、意識しようと思います。

外に評価を求めてしまうくせは、なんとか直したいですね。

四月のまとめ

春が足早に花開いた今年の四月は、友人と会い、ちいさな挑戦をし、静かですが動きのある月でした。

感じたことを感じたこととして心に残し、考えるという流れを実感しました。
まだまだ自分の感情に流され、周りが見えなくなりがちですが、意識するのと全く意識しないのとは違うと思えました。

ヒノキの花粉症がひどくて、体調管理に手を焼きました。
毎週行っているプールのスクールが4月はまるまるお休みなので、そのぶん体調を整えるのは毎年難しい月です。
そのぶん友人に連絡を取り、時間をもらって一緒の時を過ごせました。

自分の心には未だ幼稚な部分が多く、思うように物事を動かしたくなってしまうようです。
日々の端々にそんな自分を発見しました。
また、他者の強さに圧倒されて、媚を売ろうとする癖も改めて発見しました。

一人一人に起きることはそれぞれであることから、本当に自分の人生は個人レッスンだということを実感しました。自分の人生から逃げないで生きようと思えました。

日々自分でやると決めたことは行なっていましたが、どうしても、働いていないイコール何もやっていないという自己評価になってしまいがちでした。
つまり、人の評価を求めていたんだと思います。もっとできることがあるのではないか、何もやっていないのではないかという思いは、何もしていないと周りに見られているのではないかという思いでした。

誰も見ていないようでも、認められていなくても、自分の人生でやろうと思ったことはきっちりやり、見返りを求めないということは、私自身にとって精神的な訓練になるんだなあとは思いました。でも、どうしてもどこかで誰かに褒められることを求めてしまっているようです。

このくせは、自分を特別に思いたい、できる人と思われたいという考えの名残なのかもしれません。

4月に受けたヒーリングの個人セッションで、教わったことがありました。
行動を制限されているということの意味です。

たくさんの過去生の中で、私は何も考えないまま行動に走り、たくさんの罪になりました。今回行動を制限されたのは、感じて考えることを優先させるという意味がありました。
最近、関連して気がついたことがあります。
たとえ、今の体でできることであっても、自分本位に動いてはいけない。
相手の立場を思い、今その人のことを思ってできることを考えて行う必要があるということです。
そういう目線は、自分を認めて欲しい、見て欲しいという自分中心の目線を止めることであり、自分の置かれている状況に対しての愛情表現をすることでもあります。
自分を忘れ、周りにできることをするということは、私自身のあり方を表現することでもあるのです。
それが私にできる生き方なのではないかと、思いつきました。

私が今できることを大事にして、自分が自分を認められるようになれればと思います。

今日読んだ本に、
自分を信じることと、自分を正しいと思うことは違う。自分を正しいと思ってしまうと、その正しさを人に押し付けてしまう。
という意味の言葉がありました。

私は自分が正しいと思って生きてきたところがあるので、人にその想いを伝え続けていた頃がありました。
私に今必要なのは、信じることなんだと思いました。人がどう評価するかではなく、自分を成長できる人間だということを信じて生きることが大切なんだと思いました。


2018年4月27日金曜日

旧優生保護法が残したもの

1996年に母体保護法に変わった旧優生保護法に基づいて、多くの人が本人の意思確認なしに強制不妊手術をさせられた事実が、今明るみになりつつあります。
毎日新聞は連日、裁判のことや、実際に被害に遭われた事実などを書いてくれていて、本当にあったんだということを教えてくれています。

熟読はできていなくて、レポートのように書けないけれど、このブログでも少し触れてみたいと思いました。

1948年にできたこの法律の下で行政が、障害を持った人の不妊手術を、その家族も巻き込んで積極的に進めていた事実が相当あったことを知ると、それを免れた私は運が良く、周りに恵まれていたと思わざるを得なくなります。
新聞によると、北海道や宮城などでは、不妊手術を断った家族を説得したとあるそうです。
在日している外国の方も対象になり、手術をさせられた事実があるそうです。
また、最近の記事では、家が貧しいなどの理由で、明らかに障害がないと思われる人も施設に入っていたようで、その人たちも不妊手術をさせられたということが書いてありました。

優生保護法は、遺伝性だと思われる疾患を不良なものとし、不良な子孫を残さないためにという目的で、その疾患に当てはまる人は本人の承諾なしで不妊手術ができる、と定めたものでした。
もともと刑法の堕胎罪がある日本では、この優生保護法の経済条項がないと、女性が自分の意思で中絶できないという問題があります。刑罰が適用されてしまうからです。

今は優生保護法は母体保護法に変わり、不良な子孫を残さぬための…という言葉は無くなりました。
遺伝と思われた疾患名を羅列していた別表も無くなりました。

ハンセン氏病は、遺伝性ではないのにもかかわらず、この優生保護法にかかれ、多くの人たちが不妊手術をさせられたと伺っています。

被害を受けた方々が訴訟を起こし、多くのことが今明るみになろうとしています。

私も15歳の時、ほんのひとことではありましたが、人から、子宮をとれば、と言われたことがありました。二度と言わないで、と私はその場で言えましたが、新聞を読めば読むほど、圧力を受けながらたくさんの人たちが手術をさせられたことを知ります。

私は一言だけ、一回だけでしたが、今でも心に残り続けています。

多くの人に支えてもらう生活を続けていると、時折何もなくても、この生き方で生きていいのかと、深い穴の中に入ってしまうことがあります。そういう時は、どのような人でも支え合って生きているのだから自分も人と変わらない、ということを自分でも忘れてしまったりします。自分自身を大事にすることも、人間として必要なことということを忘れてしまったりするのです。

きっと、自分の体を使って自分のことをできる人たちも、私が陥るような自分だけの視点の穴を、たくさん持っているのは変わらないことなのでしょう。ものを見ていないと、その穴は罠のようにやってくるように思います。

他者をどう見ているのか、どう考えているかは、態度や行動に現れ、社会に反映されていくようです。人を自分の考えのもとで判断することというのは、愛情がなかったり、勘違いの愛、理解していると思い込んでしまうものが含まれているように感じます。

私も、そうやって人様を区別してきた一人です。自分の置かれた場所から、そうやって差別的に考えてきた一面があることを自覚しています。
そういう穴に落ちないように、物事を広く考える努力は怠らないようにしないといけません。

記事を読んでいると、手術するようにと圧力がかかる中、必死で本人の立場に立って反対されたご家族もいらっしゃったということです。時折書かれるそのような文面を見ると、そういう人たちが確実にいたということがわかり、少しだけ心が和らぎます。もちろん被害を受けたのは変わりないことですから、どんなにつらかっただろうと思います。

一人でも多くの人が、他者がその人らしく生きることを考え、自分の事のように思いやれる心持ちを維持してくださったらと思います。

私も、私の周りにいてくれる人たちを悲しませないように、多くを考えて生きられたらと思うのです。

2018年4月26日木曜日

車椅子が壊れてから直るまで考えたこと

私の電動車椅子は、年に一度、タイヤとバッテリーを交換します。
前輪も後輪も、一年で溝がなくなって、危険になるのです。

今乗っている、愛車になってまだ一年のカレも例外ではありませんでした。今まで乗った中で消耗が激しい方で、勾配のきつい坂は前輪が滑るようになってしまい、さすがに危なくてメンテナンスしてもらいました。

綺麗になったばかりのカレ、なぜか、すぐに壊れました。
電動のブレーキが効かなくなったのでした。それも突然。
家の近くだったことが幸いでしたが、電動車椅子が手動のように、簡単に押せるようになってしまったのです。

何があってもなんとかなる、という根拠のない自信は、こういうことがあると打ち砕かれます。
電気が通らなくなって、ブレーキも効かなくなった電動車椅子は、ただの重たい車椅子でしかなくなりました。

幸いなことに介助の方がいてくれて、玄関に入れてくださったので、ことなきを得ました。

普段、まるで自分で動いているかのように、電動であちこち行けているけれど、電気が通じなくなると本当に自分では何もできなかったということを思い知ります。

車の運転の時も、バイクも自転車も、故障するとこんな感じなのかしら。
少し違うかな。自分の足で歩けるということは。

自分の足で歩くということは、大きなことなのかも知れません。意識的にも、無意識だとしても、目的地まで体一つで行けてしまうのだから。

できないということは、たとえ機械や何かを使ってできるようになっているとしても、100パーセント自分でできるようになったということではないと、どこかで忘れないようにして生きることが必要かな、と思いました。

もちろん、器具等を問題なく使って、できなくなったことをできるように努力をして生きている方ははたくさんいらっしゃると思いますが。

できないからやらない、ということではなくて、できない状況をできるように変えて、生きていくことができているということです(ややこしい)
そこを感謝したいなって。


車椅子のブレーキは、数日後、いつもお世話になっている車いすやさんが、その日のうちに直してくれました。
小さな部品が一つはずれたそうです、

すぐに直って良かったな。ほんとうに。




2018年4月16日月曜日

個人授業

先週、ふと気づいたことがありました。お芝居を観に行く前に、池袋をうろうろしていた時のこと。
一緒に歩いていた方とお話をしていた時に、会話の中で
「その人に起こることは、その人にしか起きないのよ」
という言葉があって。
確かに。

友人のHさんに起きていることは、私には起こらない。

甥っ子に起きていることも、妹に起きていることも、私には起こらない。

世の中に起こることは、とても不平等で、いつも不公平。

似たようなことは起こっているように思うけれど、似たような経験はたくさんあるかも知れないけれど、よくよく考えれば、シチュエーションはそれぞれ違うから、同じような経験でも、まるっきり同じではないのです。
同じ場所にいて、同時に一つのことを体験したとしても、まるっきり同じではありません。
つまり、世界中の人たちが、ひとりひとり全く違う人生を歩き、違う感性から、違う経験をしているということです。

そうだったんですね。だから、個人授業なんです、人生は。

私の身に起こることは、私にしか起こらないこと。
私は障害を持っていて、子供も作らなくて、福祉制度の中で生きていて、叶わないものもたくさんあり、恵まれた部分もたくさんあります。
そして今回どうしても知らなくてはいけないこともありました。
この人生で、感じなければいけないことがたくさんありました。
この人生で私の身に起きたことは、妹には起きないし、友人にも起こることはありません。
私だから起こった、私だけのものです。

私の経験値、私の人生観、私の価値観は、今日までの積み重ねでできたものであって、必要なもの、乗り越える必要があること、理解するためのこと、蒔いた種の結果しかやってこない。
だから、その時その時を、大事に生きることが必須なのですね。サボってはいけないのです。
サボったとしても、その穴埋めのような出来事がやって来ます。
そのときその時を、またとない機会として大切に、自分らしく生きることが、本当に役目なんです。

自分らしく、ということはとても大事。
セオリーを知っていて、マニュアルのようにそれをこなしても、考えて納得していなければ、何も残らないのです。
何も残っていないと、同じような出来事が、手を替え品を替え、次々にやって来ます。
だから考えて、自分の愛情を混ぜて行動して、味わうこと。それが経験となります。

うまくできなかったと思っても、次に同じようなことが起きた時、自分が少し変わったことに気がつくかもしれません。

人生は個人レッスン。その意味がようやく理解できたように思いました。

2018年4月13日金曜日

ストーリー・セラー

池袋シアターグリーンで、ストーリーセラーという舞台を観て来ました。

泣けました。書くという立場から見たからなのか、役者さんたちに圧倒されたのか、泣きっぱなしの一時間半でした。

私の胸に残ったのは、なんだったのでしょう。何がそんなにも、感情を揺さぶったのでしょう。

書くということは、今の自分をさらけ出すことだし、書ききれないということは、まだ向き合えていないということ。舞台のヒロインは、自分をさらけ出せて表現し、作家になったけれど、書く人というそのあり方が、もしかしたら自分の何かに触れたのかも知れません。

そして、愛されること、愛することもとても素直に観ることができました。

観て良かったなあと思います。

舞台挨拶も、この作品に対する熱意が伝わって来て本当に良かったです。

有川浩さんの原作、読んでみようと思います。

今日は盛りだくさんの1日でした。そのお話はまた後日に書きますね。

15日までの舞台です。ご興味のある方は是非。



2018年4月7日土曜日

今夜、新宿の片隅で

ミュージックBar TKOで8日日曜日まで催されている、「今夜、新宿の片隅で」という公演の昼間の部を観てきました。

ミュージックBARも初めてだったし、東新宿(大久保)を歩くのもお初だったので、全部ひっくるめてとても楽しかったです。
間近に迫るコメディと歌はいいですね。笑いっぱなしだったし、歌には惚れるし、最高でした。

普段は楽器がいっぱい並べてあるBARなんですって。行く機会があまりなかったせいか、刺激受けました。


耳に残っているのは〇〇の実況と、歌ですね!!!

いい時間に感謝。

2018年4月4日水曜日

今朝の夢

明け方に、「最近サボっているねぇ」と指摘された夢を見ました。

サボっていることを考えたら、エネルギーを扱うことかなと、思いました…

言い訳をするなら、時間の使い方が下手で…いつの間にかいつも寝てしまって…
1日があっという間で…というか、遊び人のはずなのに汗

天の声は的確です。時間配分考えます。

2018年4月1日日曜日

四月の生き方

今日から四月。少しこれまでのペースが現実的に変わる月でもあります。

今月は、
明るくたおやかに、日々を悔いなく楽しむこと。

でしょうか。

意味深で意味不明でどうにもすみません。

3月のまとめ

3月は、めまぐるしく過ぎて行きました。

あまり体験してないことを体験したり、気づきがあったり、落ち着かなかったり、なんともまとめようのない一ヶ月でした。

自分があまり人から信頼されていないことや、あまり書き残したくはないけれど、いいように思われたいないということも感じたり、だからと言ってそれに対してどう思うこともなく、ああ、そうだったんだ、と納得した瞬間がありました。

人の心を変えることはできない、でも自分の心は変えることができる、この意味は、自分の成長に責任を感じることなのではないかと思った日もありました。

そして、安易に返事をしたり反応したことが、心に嘘をつくことになるというか、不誠実になるということも理解したように思います。

私は自分の判断するスピードを知らなくてはいけないと思いました。それなりに感じたことを考えて自分なりのことが決まるまでは、少し時間がかかるみたいです。その時間を大切にしようと思いました。

感じたことについて考え、自分の答えを出すという作業に実感を持てた月でもありました。

そして、信頼を持てる人と一緒にいるときは、とてもリラックスするのだという腰も実感し、自分はいい時を過ごしていることを知りました。

私が愛情を人に分けることができるということを実感した時間もありました。

こうして書いてみると、豊かな一ヶ月でした。


2018年3月29日木曜日

さよなら桜

石神井川は花びらが散り始め、桜吹雪が綺麗でした。
板橋には強風注意報が出たので、もう時間のもんだいだなあという感じです。

さよなら、今年のソメイヨシノ。

もうすぐ、山桜が咲きますね。

2018年3月25日日曜日

石神井川は さくら満開

東京は桜が満開です。家から近い石神井川の川沿いは、例年通り見事でした。
今年は少しライトアップに工夫があるようです。駅近辺だけのようですが。

提灯だけでも十分夜桜を堪能できると思いますけれども。

毎年少しずつ植え替えられていく桜。場所によっては若木が目立つところもあります。
ソメイヨシノは樹齢が決まっているようだし、川沿いには住宅も立ち並び、道も車一台分少しの幅なので、剪定することもきっと樹木の寿命には影響しているように思います。

剪定といえば、余談になりますが、中板橋駅前のコブシの木は、昨年枝を全て落とすことになったらしく、今年は花を咲かせるのが難しかったようです。
みてると哀しくなってしまいます。諸事情があるのでしょうが…。


今回はガラケーを忘れたりなんだかんだで、写真はまだ取れていません。
今が満開なんて、早すぎるなあ、というのが正直なところです。最近まで冬のように寒かったのに、桜が咲くぐらい暖かな日って、そんなにあったかしらと思ってしまいます。

しかしやっぱりさくらにはみとれます。。夜桜もゆっくり歩ける石神井川が大好きです。

2018年3月22日木曜日

風に立つライオン

さだまさしさんの小説、「風に立つライオン」を読みました。
図書館の受付のところに、飾ってあった一冊です。
春は別れと出会いの季節だから、そのテーマの本が集められていたのです。

さだまさしさんの同名の歌も好きだし、映画も見ました。
小説はどんな風に表現されているか、とても興味がありました。

読んで見て、圧巻、という感じでした。様々な人の、いろんな語り口で前半、中盤、後半一人ずつのある人について語られる形で物語が進んでいくのですが、読んだ後は、たくさんの人たちと話した気持ちになりました。

大切なことを語り合い、共有した気持ちです。

特に、東日本大震災のことが表してあるところは、私も東京で生活していた時間なのに、知らないことが多すぎて、本当にできることをしていたのだろうかという、苦い振り返りの時間になりました。

大沢たかおさんの提案でこの本が生まれたとありましたが、心の中にあるものがこの本を作ったのだと思いました。

さださんは、やっぱり、優しい方だと思いました。

2018年3月21日水曜日

真実について

「真実はひとつ!」というコピーは名探偵コナン君のもの。
コナン君は思い出すとテレビを見ています。時折ほろっときてしまうから、アニメも好き。

一番好きなアニメはワンピース。介助にいらしていたママさんに「とってもいいよ」と伺っていて、ワンピース好きの知人からも進められ、読んで見たのが始まりです。
仲間は見放さない。裏切らない。そして、悪役だと思われる人たちのはーストーリーもすごく考えられているから、毎回感動してしまいます。
お母さん方に人気があるのがとても理解できます。絵は少し苦手ですが。

一番好きな本は、今のところ12国記。小野不由美さんのファンタジー小説ですが、この本を読むと、ファンタジーだからこそ書けるリアリティに感動します。人の闇の部分がしっかり伝わってきます。NHKで作成されたアニメもとてもいい。欲を言えば、シリーズを全てアニメ化して欲しかったです。
リアリティを感じるアニメはとても好きです。と言っても数みてはいないので知らないことが多いかもしれませんが。

このブログにも書いたように思いますが、以前に見た、鋼の錬金術師も良かったです。最初に作られたアニメオリジナル版もいいけれど、私は原作に忠実な方のものが好きです。
全は一、一は全という考え方を、そして経験しなければ人生は自分のものにならないということを、長いストーリーでわかりやすく伝えるということに感動しました。

人間には何が大切なのか、その姿を表すものに出会った時、それが映画であれ、何かの作品であれ、人との話であれ、とても心に残るものになります。
そういうものが、好きなんだと思います。


最初から脇道に逸れてしまって、本題がなんなのかわからなくなってしまいました。

つい最近、ある人と真実について話をしたことを、少し書きたかったのです。

私がつい最近感じたことについて、話を聞いてもらっていた時、その感情をどう伝えればいいのか、私の過剰反応なのか、まだ結論が出ないと、そんな話をうちあけました。

そうしたら、彼女は私に伝えてくれました。

「でも感じたことは真実だから」

彼女いわく、その場で怒りが爆発してしまったり、感情をコントロールできない場合は考えものだけれど、感じた感情を受け止めて考えているということは過剰反応ではないのではないか、ということでした。
そして、感じたことは真実なのだから、と。

そうか、そうだなあと思いました。
そうやって感じたことについて考えていけばいいのかもしれません。感じたことは真実だし、の出来事は悲しかったけれど、私は情動に流されず、今は感じたことを悩み考えているということ。これは事実なんだと思いました。
爆発してしまえばその時は晴れるかもしれないけれど、後に思いが残ります。相手側にも、もしかしたら私の中にも。
同じ残るものならば、少しでも建設的にしておきたい、それが今の私の思いです。

真実はいつも一つ。誰にわかっていただかなくても、変に思われようとも、その事実だけが残り、いつか関係する誰かがそれに気づいていくもの、真実とはそういうものなんだと思います。

信じたものは向き合い続けるしかないなあと思いました。慣れていないぶん、少し辛いということも確かなことですが。

2018年3月20日火曜日

感じたことを言葉にする

数年前まで、たくさんのいかりを整理できなかった私は、本当によく怒っていました。
社会は私に対して不条理だと、その気持ちから逃れられませんでした。

今は、私に対してだけでなく誰に対しても、社会は不条理で、世界は不平等なんだと思っています。

何が私の中で変わったかというと、私だけではない、という視点が入れられたことだと思います。
みんなそれぞれ不条理な世界に生きているのだから、自分だけが不平等なところにいるわけではない、と思えたことです。

だから私も社会を本当の意味で理解することが必要なのだということです。

ただ、だからと言って何も感じなくなったわけではなく、その感じたことをどう表現するかは、今の私の課題になりました。
感じていることを伝えるのは、やって来なかったことなので、とてもとても難しいのです。

まずその時に、何を感じているのかを知るのが難しい。曲解してしまうからです。
感じたことをネガティブに捉えて、感じさせた人を責める言葉ばかりが浮かんできます。

これは今までの私の癖なのかなと思います。

表面的なことではなくて、真に感じたことを表現するのって、本当に難しいです。

今までやってきたことは、感じたことを傷ついたこととして捉えて、傷つけたと思われる相手を責めてきたこと、または自分を哀れんできたこと。

これからやっていくことは、感じたことを私の言葉で伝えていくこと。

この違いは、大きいとは思うけれど、いざやろうとすると、いつもの悪い癖が出てしまって難しいです。

とほほ。今まで何をいきてきたんだろ。

2018年3月18日日曜日

自分の生活にかかることは難しい。

今年は桜の開花が早いです。
近所のソメイヨシノは、根っこの方にひとつふたつ可愛い花を開かせていました。

世界ではいろんなことが起きているのに、ひとつひとつ自分の元に引き寄せて考えることは本当に難しいです。
今の私の課題です。

自分の視野を広げるということは、様々な地域で起きている出来事を、自分のこととして、痛みとして、喜び として、悲しみとして、感じられることなのかもしれないと、今は思っています。

今はたくさんの情報が入ってくる時代ですから、事実はいつも自分の目の届くところに書いてあります。そのことに気がつけるか否かは、私自身の生き方にあるように思います。

そして、自分自身は、ほんとうにまだまだ精神的に幼いなあと思います。少しの生活不安が、意外と大きく膨らんでしまうからです。

世界には過酷なところで生きている人たちがあふれていて、自分の環境はとても恵まれているとわかっているのに、この環境が壊れたらどうしようと、そんな不安を抱えてしまうのです。
人が来なくなったとしたら、制度が厳しくなったとしたら、その類の情報が聞こえてくると、生活不安が膨らんで、「なんとかなる」と思いきれるまでとても時間がかかります。

これまでも多くの支えがあって生きて来られたというのに、このくせを直すには、どんな経験が必要なんでしょう。
というか、そんな思いグセを修正するための、そしてこういう環境を理解するためのこの人生だということは、わかったはずなんですけれど。
過去生の私は本当に無知で、どうしようもないものでしたから。

自分の心は弱いものです。繰り返しますが、そこを直すためのこの人生なのですけれども。
私に今必要なことは、視野を広げること、つまり、世界の出来事を自分の元に引き寄せて感じる力を養うことです。はい。がんばるのみです。




きみは特別じゃない

今日読み終わった本

「きみは特別じゃないーー伝説の教師が卒業生に贈った一生の宝物」

 デビッド・マカルー・ジュニア  ダイヤモンド社 (大西央士 訳)

久しぶりに日曜日の予定がなかったので、ドーナツ屋さんでひたすら読書していました。
この本はたまたま図書館の店頭に飾ってあった本です。卒業がテーマで、揃えられていたものの一冊です。

高校を卒業していく人たちに向けた、熱いメッセージでした。

自分が特別と思っちゃいけない、道は自分で責任持って選ぶんだ、人はいつか死にたどり着くのだから…

語り口は、いろんな視点から結論にたどり着く感じ。あまり感情が表現されていない感じがして、私にとっては少し苦手な部類に入るものでした。

それでも読み通すことができたのは、題名に惹かれて、どんな風に「特別ではない」ということを書き表しているのか、とても興味があったからです。学校の先生の視点で、生徒に何を伝えたいかが、ひしひしと感じられたことがとても良かったと思います。

この中に「差別はしてはいけない」という章があって、ノーマルな考えが書いてあったのも良かったです。

人間の基本を教える先生はきっとたくさんいらっしゃると思うのだけれども、自分の味方と違う視点から同じ意味のことを教わった感じがします。

ひとつ残念だったのは、大学を出ることが前提で語られたことでしょうか。
その方の価値観だから、私の価値観と違うということで、理解しようと思います。

10代の時に、こんな風に、一人一人が特別な存在ではないということ、つまり一人一人が特別でそれを互いに尊重しあって初めて信頼が生まれるのだということを、根気よく説明してくれる人に巡り合えていたら、どんな人生が待っていただろうなあと思います。

そういう出会いがなかった自分はそれなりに人生を生きて、今頃いろいろ振り返る事態になってしまったけれども、それでもこの本が知り得たことの復習になったことに、ここまでのであった方との関係性に、感謝したいと思いました。


2018年3月15日木曜日

昨日見た夢

昨日見た夢は、自分が這いつくばって道を探し歩いている夢でした。
砂埃を立てて、手足を真っ黒にしながら、はって道を進んでいる私。そばを高校生が笑いながら楽しそうに通り過ぎたり、道ゆく人にとって私は見えているのか無視されているのか定かではないのですが、そんな中を、脇目も振らずに道を探し進んでいるのでした。
遠くに見覚えのあるショッピングセンター(何故かサティ^_^)が見えて、道は間違っていな方と思ったところで目が覚めました。

なんだか意味ありげなゆめでした。

スクールが終わってから

昨年まで通っていた、ヒーリングの先生主催のグループレッスン。
育った環境も年齢も置かれている立場も違う女性たちが数年間を一緒に学びました。

私塾のようなもので、私はずっと「スクール」と呼んでいました。

このスクールが昨年終了した時のことを、このブログにも以前書きました。

スクールの内容は、スピリチュアルリズムと、グノーシスの教えに基づいた理論とワークが中心のものでした。
目的は、人間力を高める(人としての思いやり、協調性、問題のある性格を正し、美徳を養う)ことだったように思います。
私はご縁があって、この場が始まったときから、終了する昨年末まで、通うことができました。

最初は「ヒーラー養成講座」と言う、知識中心の講座から始められたものなので、「ヒーラーになるのかな」と勘違いしながらもドキドキワクワクして通い始めました。

長い間お世話になるとは、そのときは想像もつきませんでした。

私の転機は、2年前でした。
それまで、私は、自分の問題について、今思い起こすと、そんなに真剣に考えていなかったように思います。
その時は考えていると思っていました。理解していると思っていたし、過去生について思い出したことも、受け止めていると思っていました。
なので、できていないことを指摘されるたびに、何故できないのか、どうすればできるようになるのか、そんなことばかり考えを巡らしていました。

私は、何故そう言うご縁があったのか、自分の過去生での行いをよく思い出す時が多くありました。
過去生の存在を信じられない方には、変なことを書いていると言う感じにしか見えないかもしれませんが、過去5000年の自分の様々な人生を見させていただくことになりました。

それは感情を伴わず、実感のない、まるでテレビで誰かのドキュメンタリー番組が、部屋の片隅で流れているよう感じでした。
私の人生の出来事なのに、私がそこで生きていたと言う実感も持てない、記憶でした。

そしてそれらの多くは、直視できないほどに、私の酷い性格を表すものでした。

それらの過去生で私の被害に遭われた方がたくさんいるという事実を、スクールの中で自覚する作業が続きました。

事実を受け入れること、自分自身を受け入れることの難しさを、知りました。

転機は、突然でした。
今まで、どうしたらわかるのだろう、どうしたらできるのだろうと思い悩んでばかりいたのですが、ふと、
「できないんだ、私。」「理解するだけの経験がないんだ」
ということを理解したのです。
知らないことは、これから覚えていかなくてはいけないし、教えを請う必要があります。
できない、と気がついたこと、それに見合う経験も知恵も備わっていないということに気がつけたことは、私にとってとても大きなことでした。


それからしばらくして、自分の人生の目的を自分で決めることが重要、ということに気づき、幼稚であっても、意志を持って生きることを心がけることに決めました。
そこから、少しずつ、人生の在り方が変わっていきました。

スクールでお世話になった恩師とは、今も時折教えを請いに伺っています。

最近気がついたことは、ネガティブな欲望(難しい言葉でエゴイズムと言いますが)は、本当に怖い代物だということです。
理解していたことをわからなくさせ、覚えていたことを忘れさせ、人を欲の深い方に誘い、愛情を表現する力を失わせます。
私は数年前までその真っ只中にいました。多くの人に支えてもらいながらいろんな物事を得ているのに、自分ができないということに集中し、できる能力かあると信じていました。
それは過信でした。

人は誰でも、自分はいい人であると思いたいし、いい行いをしたいと思っていると思います。その気持ちが、醜い部分のあることを隠してしまい、かえって物事を正確に見ない原因になったりします。
自分がそれほどいい人ではなかったということ、醜い部分があるということを自覚できた時、そしてそれをどうにかしたいという気持ちが生まれた時、つまりその醜い部分で他者にこれ以上辛い思いをさせたくないと思った時、何かが自分の中で変化していくのかもしれません。

このことは、忍耐強くそのことがわかるまで諦めなかった人にしか、わからない世界のように思います。
私の状態が果たしてどうなのかは定かではないですが、自分を諦めたくはないと、それだけは心に決めています。

2018年3月11日日曜日

祈る日

昨日は3月10日、今日は3月11日。

忘れてはいけないことは、たくさんあることを、思います。


NHKの「映像の世紀」で、第2次世界大戦から、戦争は庶民を巻き込むようになったことを再認識しました。

歴史を実感するのは、悲しいことだと思いました。

そして、被害にあった人々の悲しみを、加害した人は本当に実感できないことが、この不幸が止まらない理由のように感じています。

人を傷つけたら、傷つけた方の人の心にも悲しみが感じることができると良いのにと思います。


7年前の今日、私は東京で暮らしていて、その日も介助の方と過ごしていました。




世界が本当の優しさを取り戻すために、まず私の心を育てていこうと思った1日でした。


2018年3月4日日曜日

好奇心と怖さと

乗り越えたはずの物事に、ふと怖さを蘇らせることがあります。

例えば私の場合

このように制度の中で生きているということはどう捉えればいいのだろうか、とか

ある日生活が壊れてしまったらどうしよう、とか。

考えても仕方ないことを、考えてしまう時があります。

考えても仕方ないことというのは、考え続けても底なし沼のように切りがないだけ。ただただ心配事が増えるだけ。

なので、違うことに切り替えたり、建設的な考えに頭を向けるということをできるようにしてきました。

でも今日は久しぶりに、迷路にはまった瞬間がありました。

ある物事について、私はなんの努力もしてこなかったのではないか。だから最近この身にある物事が起こったのではないか。

いや、そうではなくて、やってきたところもあるからこそ、今の流れなのかもしれないのですが。

どうなのでしょうか。

どつぼにはまると、すべてのことが不安定に見えてしまいそう。この物の見方が自分の弱さのようにも思います。

とにかく、今年に入ってからは、まるでこの人生でやり残したことを整理しなさいと言われているみたいに、物事が起こります。


そして、好奇心。
苦手分野を学べそうな講座が見つかり、受けようか悩み始めました。

私の今年の目標は、関係性を深めることだけれども、伝えるということがあまり良くできません。
若い時は自分の言いたいことだけ言い放ち、伝わった気になっていたし、理解してくれない人イコール私を偏見で見ている人、と思っているところがありました。

そう思うと、好き勝手なことを書いて、伝えられた気になっていました。自分は文章に長けていると…。

心地よい言葉しか聞こうとしなかったし。
今頃になって、満足にできることは何もないということを理解するなんて、少し遅かったですね。


せめて人にわかるように伝えられるようになりたい。
本当のことを聞けるようになると同時に。

新しいことが始まりそうな春、新しい場所で学ぶことも始めるかどうか、
悩むこともないとは思いますが。そもそも遊び人なんだし、時間はあるはずだもの。

なぜ悩んでいるのか、わからなくなってしまいました。

2018年3月2日金曜日

ことば

人は、言葉で人の心をころしてしまう。

過去の私は、どうだったろうか。そのことに気づいていなかった私は、どれほどに、周りの人に迷惑をかけたのだろうか。

無意識にそれをやってしまっている知人に、私は何を伝えたいんだろう。
助けたいと思っているんだろうか。そう思うことがそもそも傲慢だけれども。

私にはスクールがあって、先生が私に伝える役を負ってくれた。

知り得たものを、気づいたことを、私はどのように生かすのだろうか。

言葉を、考えながら話すのはとても難しい。
愛情を入れて話すということを意識し、
自分の感情に押し流されず、その時その時、ベストに生きるということを私はできるだろうか。

日常の生活から

私の生活はいつも、介助の方に支えていただいて成り立っています。
今日はそのスタイルから少し気がついたことがありました。

人は、というか日本ではと言った方がいいのか、最近はと言った方がピンとくるのかまだわからない部分が多いけれど、仲が良くなっても、あまり互いに気づいたことを言い合うことはないように感じています。

相性が合う人同士なら言いにくいことも互いのためなら言い合えるのでしょうか。
親友ならば言えるのでしょうか。
私には少しまだわかっていないところがあります。

私は今も残念ながら親友と言える出会いはありませんから、ここのところは未知なのです。

介助というお仕事でお世話になる方々は、私の身の回りのことをやっていただくことが仕事になりますので、私との関係は最初から契約のものになります。

私は「利用者」という位置で、関係が始まります。

なので、どんな関係を作りたいかということは、私次第になっててしまうところもあります。

必要なことだけ頼めたらいいのか、
和気藹々と関係を作りながらその時間を過ごしたいのか、
お互いのことを少しずつ話しながら深めていきたいのか、

私は、今はその時間きてくれた人と大切にしたいという気持ちが強くあります。数年前までは、理解してほしい、という気持ちが先行しました。
昔からそのことで失敗したり楽しかったりいろいろなことの中で過ごしてきました。

自分で自分のことをできる、介助のいらない生活を送っている人々の人間関係は、私が送っている日常生活とは本当に違う、と思ったのが今日の実感です。

あえて人に自分の心を見せなくていいということは、見せないということに慣れているということなのかなと思いました。

プライベートを自分だけで持つということ(家族がいるにしても、身辺のことは自分で行うわけですから)は、私の世界ではもしかしたら想像以上に他者との境界線がはっきりしているのかもしれないと思ったのです。

今日常として私が過ごしている毎日は、心のうちもほんのり見えてしまう距離にいつも他者がいるということ。それはこちら側ばかりでなく、関わってくださる方もそうだということです。

だから今私はとても人を理解しやすい環境にいるということなんだと思いました。

本当は突っ込んではいけないと思われること、そんなことを時には伺い、触れられたくないかもしれない心のひだに触れてしまったり、そんな日々の中で、
私はもっと気がつかなくてはいけないことがあるように思いました。

本当は、人は自分の心をそっと胸の奥深くにしまって、何もないように装って生きていて、私はそれさえ気がつかないほど自分本位だったような、そんな切なさと申し訳なさを感じた日でした。


2018年3月1日木曜日

3がつのすごしかた

今月は、一つの物事を深く理解していく努力をしようと思います。
自分の価値観がどこにあるかを確認しながら、他者の目線を意識し、理解していくことにつとめてみます。

よりそうことに視点を置き、生活してみようと思います。
一つでも多く、こころをりかいしていけますように、

そして、遠くから自分を見る目を養いたいと思います。

さあ、できるかしら。


2018年2月28日水曜日

2月のまとめ

今日で2月が終わります。
今月は思いもよらないことがあったり、背筋を伸ばして考えを正すことがあったり、しました。
知人とも話す時間があったり、出会いもありました。

一ヶ月過ごして見て気がついたことは、

自分で気がつかないことは、人に言われないとずっと気づかない。だから聞く耳はいつも謙虚な気持ちで持っていないといけない。

自分中心の人とは、他者への興味が伝わらないので、親しくなるのは難しい(自分がそうだったので、反省の意味もあります。)

価値観の違いを越えるには、着地点を自分で考えること。

たとえ相手のことを思って使った言葉も、エゴイズムが入っていることがあるので気づくことは大事。

やはり耳が痛いことは、心が萎えるなあと思う。どう自分で受け入れるかが大事なこと。そして経験を積むということも大切。

大切な人を大事にすること。裏切らない姿勢を持つこと。

さあ、明日から三月です。 

今朝の夢

夢で叱られてしまいました。

昨年、傾聴ボランティアの研修会で講師で教えていただいた先生が今朝夢に現れて、

研修をサボるんじゃありません

と一喝。

今、何を指しているだろうと考えています。

リアルで今年の傾聴ボラの研修、まだ申し込んでないからこのことなのか、
最近ピグのゲームにハマりすぎていることの罪悪感なのか、
人生で毎日のことをサボっているということなのか。
(確かに内省日記は数日書いてなかった汗)

どれもこれもかなあ。本も読みきれてないし、
やる気の問題かもしれません。

2018年2月22日木曜日

大切にしたいこと

今の時点で、私が大切にしたいことは、

他者の価値観を知ること。
自分のやりたいことに嘘をつかないこと。
気持ちを聞く努力をすること
エゴイズムの意思に従わないこと。

です。

エゴイズムの意思に従わないためには、

感じたままに即行動しないこと。
つまり、感じたことがエゴイズムなのか、そうではないのかを見極める時間をもつこと、
でしょうか。

先日、知人が教えてくれたことは、

最初に感情を感じ、時間をおいて思考が働く、
ということでした。

私の場合は、エゴイズムが多いので、
感じる前に、エゴイズムが反応してしまうことが多いのかもしれないと、その話を聞きながら思いました。

大切にしたいことを心に、明日も過ごしてみようと思います。

今朝の夢

久しぶりに夢を見ました。

いつも介助派遣でお世話になっているBさんに、
「今回の旅行は取りやめてほしい」
と説得される夢でした。
何かやんごとないことがあるらしく、あまり熱心に頼まれるので、Bさんのためにやめよう、と思った時に意識が戻り目が覚めました。
昔の家で、真夜中に二人で向かい合って話していました。奥には白いカーテンがかかってありました。

今こうして書いてみると、なんとなく意味がわかるような気もします。
思い込みかもしれませんが…。

2018年2月21日水曜日

かけ違えたボタン

成人してから、なぜか責任者になることが多く、変にその経験をたくさん持っている私は、どうしても人様に対して態度が大きくなりがちになってしまうようです。ことば使いも非常識だったり、変に対等性を意識してしまったり。若い時から生意気な口をききがちで、それはとても自覚をしていました。

おまけに言い知れない怒りも抱えていましたから、やはり性格が悪かったのだと思います。

最近だいぶ静かに過ごせるようになったものの、まだ問題は解決しておらず、ある方が私の上から目線を指摘してくれました。

どうもとっかかりの話題が、私が未だ過反応することだったらしく、そこから自分の価値観で受け答えをしていたみたいです。

みたいですと書いているのは、それらが無意識だったからです。

古くからの知人は、私がそういうところを持っていることを知っていて、
「時々まだ反応する部分があるよね」
と。

それでも最初はあまり理解が深まらず、ネットでそれらしい言葉を調べたりしていました。
翌日、もう一度知人と話したときに、ああ、自分の世界で自己分析していた、ということに気がつきました。
相手が聞いて欲しかったのは、その時の気持ちであって、そのことに対する分析ではないということ、その視点こそが上からものを見ているということに気がついたのでした。

自分の価値観の中で会話をしてしまうと、それが自分の欲や、思い込みであればあるほど、受け答えも安易になってしまうということが、今回わかりました。
私の経験値の中で答えていくと、ともすると先入観にはまり、決めつけてしまいます。そのくせが多く出ていたようです。

他者と一緒にいる時間は、自分の価値観の外にいるということを意識することが大事なのだと知ったのです。

この感覚は、きっと多くの人たちと関係性を持つことで、徐々に身につくことなのでしょう。私がその経験に疎かったのは、意見を言ってくださる人たちとの関係が薄かったこと、その関係を求めなかったことにあります。

多くの人たちが、これまでの生活の中で、何も言わずに去って行った事実を思い出しました。
きっと私は、鼻持ちならない性格を、晒していたのだと思います。
そして、教えてもらわなければ、その場では絶対気づかなくて、自分はいいコミュニケーションを取っていたと思うままでいたと思います。
自分では気がつけなかったという、大事なことを知ったのでした。

上から目線で人を見てしまうところは、私の無知な面を表しています。本当にそのことについて経験に基づいて理解しているならば、わかった風にいうことなど到底できないことなのですから。自分は何も知らないということを、人様にひけらかしていたということです。

とても冷静に、感じていたことを話してくれたそのかたに、とても感謝しています。

かけ違えたボタンは、自分から掛け直さないと、誰もただすことができません。
毎日会う方々の言葉を本当に聴けるように、努力しようと思った出来事でした。



2018年2月10日土曜日

ボランタリーフォーラム東京2018

たまには別方面のことも知りたいと思い、飯田橋で開催されている

ボランタリーフォーラム2018」に行って来ました。

集会のようなものに行くのは久しぶり。少しドキドキしました。

今回、参加したのは一つの分科会。



2015年9月に持続可能な開発目標(SDGs:SustainableDevelopmentGoals)が採択され、2030年までに達成すべき17の目標が設定されました。
経済・社会・環境のバランスが取れ、「誰一人取り残さない」世界を2030年までに実現することを目指すSDGsは、私たちが求める地域や生活のあり方とも大きく関わっています。
世界が目標として掲げるSDGsを実現するために、各地域での取り組みがとても重要です。遠いようで近いSDGsについて、まずは知る機会をつくります。 
                             上記ホームページより

地球がなくならないように、続いていくようにという思いのこもったSDGSは、2015年の国連サミットで全会一致で採択されたものだそうです。

今回は、障害分野から、そしてリサイクルの分野から、実践発表を伺って来ました。
障害分野の実践を話された方は知人だったので、お会いできたことも本当に良かったです。

グループディスカッションも面白かったです。立場の違う人たちの話は興味深く、意見も聞いてもらえて有意義でした。

私は個人の生活の中にどうこの考えを取り込んで生きていくかということを考えながら聴いていました。
いろんな分野とゆるくつながりながら自分の生活を考えていけたら素敵だし、世界と逸れずに、できることを探していけたらもっと素敵なことだと思いました。

参考資料 外務省ホームページ  持続可能な開発のための2030年アジェンダ

2018年2月4日日曜日

2がつのすごしかた

今日は立春。2月になって4日が過ぎました。

今月は、書き残した手紙を書き、長い間いくことをやめていた、多くの人たちが集まる場に行ってみることにします。
少し視野が広がると良いと思います。

多くの人が集まる場をなぜ避けていたかというと、無意識にその場で注目されることを求めてしまう自分を自覚したからです。
自分の学ぶ場として活用するのではなく、目立ちたいという気持ちを助長するばかりだったから。
もう少し、心が落ち着いてから、意識的にそういう場には参加できるようになろうと思ったのでした。

今回、果たして、出かけてみて気分が変わるかどうか。
やってみようと思います。

そして、今の私ができることの中から、やりたいと思う気持ちを意識して、行うこと。
なんだか抽象的な表現になりました。
焦らないで、心が冷静になるのを待ち、リラックスして行動すること。

そして、このブログに残していくこと。

どんな風に書いていくのか、今はわからないけれど、書かないと心がどこにあるのか、自分でも確認が難しくなってしまうので、少し心に決めてやってみようと思います。

2018年2月3日土曜日

2018年いちがつ

一月は、穏やかな天気とともに始まりました。
年賀状、初詣、おみくじを引いて、お札を買って。そして恒例の正月カラオケ。
三が日は料理もあるもので、ゆっくり過ごしました。

今年の目標は、より深く人との関係を大切にすること。
はじまりの一月は、昨年から引っかかっている関係性のことを、私なりに考える日々でした。

自分として流されずに生きること、
冷静にものを伝えること、
それがいかに苦手だったのかを知る機会でもありました。

心に残っている人たちに、連絡をしてみることを昨年末から始めましたが、
1月に入って。今度は、関係性に自分なりにしめしをつける、くぎりをつける作業も始まりました。

まだ、伝えられないままに放っておいているものもあります。
優等生にはなれません。

突然、家族との過去のことを整理する機会が来たり、
心も忙しくなりました。

嬉しかったことは、妹たちとのラインに自分の心を少し書くことができたこと。
それを妹たちが読んで、それなりに答えてくれたことです。

きっかけはNHK特集のビデオでした。

昔、国際障害者年の時に、取材を受けたのです。

私は当時、放映されたテレビを見ませんでした。

私ができた、反抗でした。

そのあと時が流れ、ダビングしてもらったビデオテープをもたせてもらって、自立生活をしました。
一度、そのとき近くにいた友人と見た記憶があります。真剣には見なかったけれども。

今回改めて見れたのは、良い機会でした。
なんて暗くて、固定観念ばかりの映像なのだろうと、思いました。

いろいろ書いて、当時一緒に写っていた古い知人に手紙を送ったら、

もうその時の自分をあれこれ評価しなくて良い、と、返信にありました。観られなかったとか、自分が幼稚だったとか、うんぬんかんぬん、もう自己評価しなくて良いと。

あれはテレビ局がつくった番組。

映像は嘘をつく、と知っていながら、自分が取材を受けたものは、真実が写って欲しいと思ってしまう。これも私の思いぐせなのかもしれません。何かに期待してしまう、癖なのかも知れません。

でも今回のことで、妹たちのいろんな思いを少しでも聞けたのはよかったなあと思います。

一月のうちに、書きたい人に思いを伝えようと思っていたけれど、伝えたいことが危ういうちはやはりかけなくて、2月に持つことにしました。


新しい関係性にも飛び込みました。終わっていくのを知った関係性もありました。
1日1日が貴重な機会で、何かをやろうとした一回一回がまたとないチャンスなんだと、改めて思います。
一貫していたのは、関係性の結び直し、距離の調整、だったようにに思います。

私の課題は、怠けごごろとどう付き合うか。
自然が好きで、食べることも街を歩くこともとても好きなので、介助者さんにその日の家事を取り組んでもらった後は、いっしょにまち歩きを徹底的に楽しむことにしました。

一人の時間はこうしてできる限り集中して必要なことに向き合えるように。

それでも、注意散漫になった一ヶ月でした。

2月が始まりました。今日は新たな展開が。月が変わったということを告げるかのように。

私はとりあえず、できなかったお手紙をかけたら良いと思っています。





2018年1月25日木曜日

料理研究会1 柑橘系ピールコンポート

最近、ある方から言われたことが心に残っています。

「ここは、料理研究会があるから…」
家にあるもので美味しいものを作ってもらうために、日々研究している、とその方はおっしゃるのです。時々物凄いものも出てくるけれど、絶品もある、と。

常識があまりない私は、レシピにこだわりなく作ってもらうことが多いです。
みなさん、根気強く私の意図を聞き取って作ってくださるので、私の理想通りのものもできるし、指示した現実に忠実なものになることもあります。
そこは介助をお願いした私の責任なので、毎回美味しく最後まで食べさせてもらっています(汗)。

最近好評だった柑橘系のデザートのレシピです。


橙とキンカン、ゆずのピールコンポート風

材料
橙 ひとつ
ゆず 小さいものが5つほど
キンカンの水あめ煮 適量
(キンカンは今回はあらかじめ水あめで煮てもらったものが残っていたので使いました。)
白ワイン 100cc弱(安いものです。)
てんさいオリゴ糖シロッブ 適量(50cc強残っていたので、全部使いました)

作ってもらった記録
橙は皮だけをまず切ってもらって、下ゆでしてもらい、茹でたお湯はこぼしました。
ゆずの実とかわ、橙の実を適当な大きさに切ってもらい(皮は細く切ってもらいました。)橙の皮と合わせて、ワインで煮詰めてもらいました。
ワインが少なくなった頃に。水あめごとキンカンを入れて(キンカンはもともと半分に切ってもらってタネを抜いてもらっていましたが、この時に細く切ってもらいました)少し煮詰めました。
最後にてんさいオリゴ糖シロップを入れて、少し煮て終わりです。

クラッカーにのせて食べるととても美味しくて、あっという間になくなってしまったので、来年も作っていただこうと思っています。
その時はまた違ったレシピになるとは思います。今回はたまたま水あめがあったりしたのですが、毎回買うとは限らないので。

身まで全部入れてもらうのは、もったいないからです。できるだけ、買った食材は、全部食べてしまいたいと思っています。

遊び呆けて、介助の方に料理してもらうことを選ばないままに、気づくと野菜等をダメにしてしまう時もあります。
食べないまま、買った野菜を捨ててもらう時はとても残念です。

今回のものは、なかなか好評だったので、楽しい思い出になりました。

聞こうとすること

昨年、高い音が聞こえにくくなったことがあり、耳鼻科に行ってみたりしました。
目覚ましがわりに使っている、携帯の着信音が、聞こえなくなったのです。

耳もいくらか違和感がありました。

クリニックに行くまで、老化現象かなあと勝手に思っていました。

お医者さんの見立ては違っていて、投薬するとのこと。治るということですか、と伺うと、治ります、とのこと。
治るんだ、というのが、なぜか新鮮でした。老化ならば治らないと思っていたし、治るということは原因は別にあるということです。

どうしてなったんでしょう? と質問すると、

最近、眠れなかったりしませんでしたか?

あ、そうか、ストレスか。その時少し思い当たることがありました。

そんなに大きなことではないのに、なんてこと!
 自分の体の反応にびっくり。

いただいた薬は、2週間分。眼圧を下げる薬は、えらく甘くて、飲みにくいものでした。

行きつけの薬局の方が丁寧に説明してくれて、液体の薬以外は体の中にあるものだということ。耳鼻科ではよく処方されるものなのだということでした。
お医者さんには本当に行かないので、知らないことが多いです。

この時期にヒーリングのセッションを受けていたので、違う観点からも、師のサポートのもとに見てみました。(私はヒーリングの師の元では、自分で問題をみつけてその原因を理解するトレーニングを受けます)

すると、聞きたくないというネガティブな思い(ヒーリング用語ではエレメンタルと言います。エレメンタルをいつも生みだしながら人は生きています。ポジティブなものとネガティブなものがあり、一度作られたエレメンタルは二度となくなることはありません)が詰まっていました。

そんなに聞きたくなかったのか、と思いました。

体の他の部分にも、調子の悪いところは出ているのですが、この耳の状態は、私がいかにネガティブな思いを海だと安いかを示していました。

少し前までは、自分は間違っていない、という思いの方が強く、なにか自分の中の正義と反することがあると、反論するのが常でした。そうやって自分の正義感を守っていました。その頃も体の緊張などは強かったことはありましたが、最近は少し違ってきています。

自分の中の正義が壊れ、正しさの価値観が壊れたせいか、人に憤慨する前に、一度自分の中に起きたことを取り込むようになりました。
でも、心の奥ではまだ自分が正しいというところにいたいという面があるので、聞きたくないことに耳を塞いだのだと思います。

セルフヒーリングのせいか、薬のせいか、耳は1カ月足らずでほぼ聞こえるようになりました。


さて。
今朝、また、携帯の目覚ましがよく聞こえていないことを発見しました。
セルフヒーリングをすると、聞きたくなかったという思いがたくさん!!

え、でも聞いたし、ちゃんと見ようとしたし、確かに思い当たることはあるけれど、耳は塞がなかったのに。
どうゆーこと??

近いうちにセッションがあるので、その時に時間があればもう一度理解に努めようと思うけれど、とりあえず原因はわかったつもりでできることはやってみました。

携帯の音が明日の朝も聞こえづらいようなら、またあの不味い薬にお世話になることになります、涙。

聞こうとするということって、本当に私には難しいようです汗。

2018年1月22日月曜日

多目的トイレ

多目的トイレがいろんなところにつくられて、以前よりトイレは行きやすくなりました。
全てのところとはいかなくても、大きな商業施設や公共の施設には大抵あるし、本当に助かるようになりました。

ただ、若く亡くなった私は体の融通も効かなくなり、手摺の高さや位置で使いづらさを感じる場所もあります。
今は介助の方がいないと一人では使えなくなってしまったけれど、介助の方に手伝ってもらってもやりにくいトイレがあったりします。

こういうのって、使い勝手の良し悪しは千差万別だから、誰にどう提案していいか迷っています。
私が使いにくくても、他の人は大丈夫かもしれないし。
私が使いやすくても、他の人が使いやすいとは限らないし。

例えば便座の高さも、規定より高くしてあるところも多いです。たしか、車椅子から便座に乗りうつる時に、ある程度便座が高い方が動きやすかったりすると聞いたことがあります。

私は背が低いから、このような高さ調整がしてあるものは座るのに至難だったりします。

手すりも、片側がなかったり、左右両方が可動式だったり、長さが微妙に短かったり、便座から遠かったり。
私は固定式の手すりがないとうまくつかむことができないので、せっかくトイレを見つけても、使うのを諦めて他を探すこともあります。
使いやすいトイレがあるところは、やはり自然と覚えていたりします。

最近感じるのは、全部多目的トイレに設備を集中しなくても、一般のトイレに設備を分散すればいいのにな、ということ。
場所によっては、赤ちゃんスペースのある男女のトイレもあるけれども。

例えばオストメイトの設備とか、着替えの台とか、オムツ取り替えの設備とか、もっと一般用のところにも増やせないかなあって。

いろんな人が使えるトイレにするには、使う人の人口比のことも考えて、少し設備を分散させるというか、一般用を多様にした方がいいと思うのですが、場所的に作るの難しいのでしょうか。

昔は一般用のトイレの中に車椅子が入れるスヘースを、と考えていました(そういう場所もありますけれども)。いろんな事情があって多目的トイレとして広がったのだと思うから、それはもう言わないけれど、もしかしたらそういう少し広いスペースは本当に人口比的に必要かもしれないって、最近思います。車椅子が入るためだけではなくて、その人の必要な設備を整えるために。

どうなんでしょうね。


2018年1月20日土曜日

お風呂に安全に入る

うちのお風呂は少し変わっていて、
以前にも書いたかもしれませんが、湯船は内側を蹴っぽったらペッコリ凹んでひび割れてしまいました。
なので外してもらいました。

今は、ドアとの段差を幾分解消するために台を置き、その上に幼児用のプールを置いています。
台は、ホームセンターにもあるらしいパーツと(名前忘れてしまいました汗)、柔らかで滑らない素材の板でできています。以前の家の時に、FRANCEBEDさんにお願いして作ってもらいました。

板橋に越してから、知人のご友人に台の脚を直していただいて、今は全体的に安全になりました。(以前は少し不安定でした。)

写真がないから、イメージ難しいですよね。こうやって書くと、文章力のなさがあらわになります。ああ、作家さんのような表現力を持ちたかった。。

そしてその台の上に、幼児用の、直径60cmの、ビニールプールを置いているのです。
今のプールは蛍光オレンジ。やけに鮮やかです。

私がその中に入ると、へそ浴になります。
半身浴にまでいかないのが、少し残念。

障害を持った友人にさえ、このスタイルはウケました。
本人はいたって真面目に毎日入っています。

確かに、一見寒そうだし、変ですが、意外と利点がありまして。

まず、お湯がすぐ溜まること。そして少ないお湯でまかなえること。

おへそまで入るので、シャワーをかければ全身が温まること。

溺れる心配がないこと。

出入りが楽なので、体力がいらないこと。

お掃除が比較的楽で、管理が簡単なこと。

プールは柔らかいので、たらいなどよりも使い勝手がよく、ひびが入ったり壊れても体に被害は比較的なくて済みます。
半年くらいで交換になる消耗品ですが、安全に入るという利点には、今のところ他のものは勝てません。

ちなみに、小型犬用のペットプールでも試してみました。夏は比較的長持ちしましたが、冬はお湯の温度が熱めになるせいか、すぐヘタレました。

出入りが楽だと介助者さんも楽だと思うし(勝手な思いですが)、介助者さんが楽だと、私も気持ちが楽です。

欲を言えば、高さが25cmは欲しいですね、そもそも幼児用なので、無理な話ですが。
というか、きっとお湯仕様ではないですよね、子供用のビニールプールって。

なんだかんだと言いながら、また違うアイデア模索中ですが、とりあえず、お風呂に入れるって、幸せなことです。

2018年1月14日日曜日

聲の形

「聲の形」と言う映画を、ようやくレンタルして来ました。
一昨年だったでしょうか、板橋イオンシネマのロビーに、公開の半年前ぐらいからチラシがずっと置いてあって、「観たい」と思っていながら観はぐれたアニメ映画です。

軽い気持ちで観始めました。夜遅かったので、一時間ぐらい観たら一旦止めて眠ろう、そして翌日続きを見よう、と思いながら。
でも、止められなくなって、一気に観てしまいました。

色々と考えさせられたのは、耳の聞こえない女の子が出演するせいなのか、どうなのか。
私自身を取り巻くことと、似ていたところがあったせいなのか。

ヒーリングスクールの中で、「もっとまわりに配慮できる人になりなさい」とアドバイスを受け続けた自分を、重ね合わせながら観ていました。

一人の人間の影響力は時にとても大きく、双方が受け入れる関係を作っていかないと、どちらかが気遣う側になってしまうこと、
実は対等な関係は長い間かけてお互いが学ばないと作ることが難しいと言うこと、
自分が何もできないと思うことが、どれだけまわりに影響を与えてしまうのかと言うこと、
どんな人でも必要ではない人はいなくて、腹がたっても、自分も相手に迷惑をかけ続けている人間の一人であると忘れずに、おごらず生きる姿勢が大事だと言うこと、

映画に出てくる登場人物の台詞を聞きながら、そんなことをひたすら考えていました。

忘れられない映画の一つになりそうです。

2018年1月7日日曜日

お正月の残り物と七草

今日は七草粥の日。八百屋さんで、一人前の可愛い七草セットがあったので、買いました。
でも、スープが残っていたので、その中に小さく刻んで入れてもらうことにしました。

このスープ、お正月の残り物だったかまぼこ、なると、焼き豚で作っていただいたもの。
白菜と玉ねぎ、おしゃぶり昆布を入れ、少しだけお塩を足して、さっぱりと最初は作っていただきました。

翌日、そのスープにひとかけらだけカレールーを入れてもらいました。
なんとなくカレー味が恋しくなったのでした。

そのスープに今日は七草を小さく刻んで入れてもらいました。
少しお水を足して、いりこだしを多めに入れてもらって。

結構美味しかったんです。冷やご飯を入れて雑炊みたいにしてもらっていただきました。

そうだ、残っていた焼き餃子も2個、刻んで入れてもらっちゃった。

どんな味になったか、想像できますでしょうか。
これが結構美味しかったんです。

ご飯が増えて、食べ切らなかったので、グラタン用の器に入れて冷蔵庫に入れてもらいました。

明日の朝ごはんは、この残り物にチーズをかけて、トースターで焼いてもらいます。

とにかく、何も無駄にならないで良かったです。
小さいすずしろは、可愛かったです。

2018年1月3日水曜日

今年の生き方

今年、自分がどう生きるか、昨年、考えてみました。

人との関係を大事にしようと思います。

昨年末に、ああ、できていなかったなあ、と思うことがあり、
もう少し大事にして生きてみようと思ったのです。

昨年はわたしにとって、実戦の年でした。
知識を使ってみる、もっと深めてみる、考えをつなげてみる。
うまくはできなかったけれど、それなりに心は落ち着いて、地に足がついたような気がしました。

今年は応用編のような認識です。
昨年から、ではやってみな、と、自分の人生に言われているような感触です。

人生を自分のものにするのは、本当に難しいことだと、つい最近は思います。
街に出れば欲しいものはどんどん目に入り、移っていくし、食べたいものもきりがないし。
魅力的なものがたくさんあって、本当に欲しいものがなんなのか、わからなくなるぐらい欲望が出てきます。
ものが溢れる中で生活するということはそういうことなのかと思います。

これで体が自由に動いて、いろんな制限が外れたら、わたしは何をするか相変わらずわからないな、と時々思います。
今は自分の限界も知っているし、制限も知っているし、どう生きるか指針があるから脱線せずに生きているけれど、
この記憶や、体の障害がない世界に行ったとしたら、まだまだ危ういです。

でも、昨年わかったことがもう一つ。努力は無駄ではなかったということです。
たくさんの失敗は、無駄ではなかった、ちゃんと糧になって、わたしの中に残ってくれた、そんな実感です。
もし、自分の欲望や利益をかなえるためだけに邁進していたら、このような気持ちにはなれなかったでしょう。
それが今まで、たくさんの過去においてのわたしの生き方でした。

欲望や自分の利益に焦点を当てないで、生きること。
自分については心の成長だけを望むということ。
そして毎日自分のできることを探し、ベストを尽くすこと。
これが、心が満たされる、生きるコツなのかも知れません。

いつもこんな気持ちだったらいいのだけれども。

とにかく、
今年は、人との関係を大切にする、これがわたしの目標というか、豊富です。

距離感も含めて。大切な人たちを、より大切にできるような一年にしたいと思います。

2018年1月1日月曜日

よい年でありますように

あけましておめでとうございます。

皆様にとって本年が、心に平和の火を灯せるような、あたたかな一年でありますように。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...