2018年8月31日金曜日

八月のまとめ

8月は誕生月だったので、日頃控えているお菓子など食べたいものを少し解禁して緩やかに生活してみようと思っていました。

確かにケーキなど、自分で買った分も含めて、よく食べました。
多くの方が、私の誕生日を覚えていてくださり、一緒にお祝いをしてくださりました。
ありがとうございました。

今月は一年のまとめとして、具体的な目標を書かずにいましたが、
まとめらしく、面白く忙しい、そして感じることが多かった月でした。

いつもはあまりない、ヒーリングのお仕事も数回いただきました。(新規でお試しの回をいただいた方も含めて。)
やはりヒーリングのお仕事は、私の場合はご縁のある方にさせていただくというコンセプトなので、日頃のおつきあいを通じて私の人となりを見ていただいた方がこのようなヒーリングをさせていただくというご縁になるのだと改めて思いました。そしてその体験は自分の体験に結びつくのだということを、改めて実感できました。依頼をしてくださった方には、経験の機会をいただいて、本当にありがとうございました。

学んだことを生かしきれない日常生活に少し落ち込みながらも、いろんな映像から考えを馳せることの多い月でした。わからなかったことを理解することで、なんと自分は鈍感だったんだろうと落ちて、体の調子を整えるのが難しい日もありました。

そういう意味では考える材料にたくさん巡り合った月でもありました。

自分の課題は、生活に密着した不安から日々どう離れ、他者の目線で世界を見られるようになるか、愛する人にどう心を表現するのか、でしょうか。

生活が壊れていくのではないかという不安は、日々の出来事の中にうまい具合に隠れていて、ふとした出来事が引き金で自分の心に沸き起こります。その時、周りに思いやりを持てない、本能にまみれた自分が目覚めてしまいます。

私は本当に経験が足りないようです。

ネガティブになりやすい思考回路も、改善したいですね。

でも今月は、お腹いっぱいです。ケーキもたくさん食べさせてもらったし、来月気を引き締めてまた頑張ります。

2018年8月30日木曜日

チャクラヒーリング 1回目 第一チャクラ

定期的にお世話になっている medicine wheel で、何度目かのチャクラヒーリングに取り組み始めました。

このサロンで開催していた霊的真理とスビリチュアルリズムのグループレッスンに、昨年まで通わせていただいたご縁で、今も定期的に勉強を続けさせていただいています。

このブログでも時たまそのことに触れてはいますが、とつぜん突拍子も無いことを書くので、わかりにくい説明だったかもしれません。

私は、このサロンでは、主に人間関係の見直しや、想いの整理、自分の性格の見直しを、自分の体を通して感じた情報を元に行わせていただいています。

今まで教えていただいた知識などは、スクールに所属していた時にいただいたテキストや、自分で見繕った本をもとに復習している場合が多く、質問があるときにこの時間に伺うようにしています。
(基本的なことを改めて伺うことが多く、師にはご迷惑をかけています汗)

今回のチャクラヒーリングはは第一チャクラでした。
トータルでチャクラヒーリングを受ける場合は、ほとんどの場合第一から始めます。

第一チャクラは、生殖器の位置にあり、イメージの色は赤、元素は土と言われます。

今回は家族のことについて改めて感じ、考える時間になりました。

多くを書くことは控えますが、感じたことは、家族一人一人の目線から昔を振り返ると、その時は気づかなかったことが見えてくること、時にそれは深い後悔として私の心に記憶されるということです。
私は実年齢よりもいつもあまりにも幼く、周りが理解できず、いつも自分の本能の中にいました。そのことでわからなかったことを50代になった今振り返る機会をもらって、一人一人が古い記憶のあの頃どんな思いを抱いて生きていたのかを感じています。

鈍感なことは罪だ、と誰かは言いましたが、本当にそうだと思います。

ただ言えることは、私は40代からヒーリングの手法を習ったことで、実際の関係性の中ではあまりできることが見つからなくても、手法を使ってさせてもらえることがまだ残っているということです。

私自身がその頃を振り返り、自分なりに正確に物事を見ようとすることで、できることは見つけられる、そんなふうに考えられるようになったひとときでした。

霊的真理の世界やスピリチュアルリズムの世界は、深く学ぼうとするとどうしても自分の嫌な部分、受け入れ難い部分と対話することになってしまうので、逃げたくなることも多々ありますが、このようなセッションの時間が得られるたびに、やはり続けていこうと思えるのです。

どんな世界でも、極めるためには地味で地道な毎日をひとつひとつこなしていくことが重要になります。誰もいきなりなんでもわかるようにはならないし、万能に悟れる魔法なんてありません。
そしてそれは、誰に認められようとかそういう浅はかさを捨てて、できないことを自覚し、先を行く師へ教えを請い、謙虚に自分と向かい合おうとする姿勢を忘れないように生きることから始まり、続けようとする意志から続けられることだと実感しています。

この時間をまたもてたことに、やはり感謝したいと思います。

家族の様々な想いにふれ、できる限りのことをした後、そこに残っていた私のネガティブな想いの残骸もすてました。それは枯れた樹木の根のようでした。
いろんなものを手放した後、大きく開いた穴には、愛のエネルギーと果実のなる木を植えました。
私の家族の心が空腹になった時、いつでも木の実が食べられるように願いながら。ちょうど時期的にとても美味しい、ネクタリンにしてみました。

家族だから、第一チャクラでつながっているから、できることがあるのよ。
師は静かに教えてくれました。

2018年8月28日火曜日

コスタリカの奇跡

昨日、近くの商店街を歩いていたら、市民団体主催の映画の上映会があることを知り、飛び込みで見させてもらいました。

コスタリカの奇跡

1948年に常備軍隊を持たないと決断したコスタリカが、どのようにその国を守ってきたか、その歩みのドキュメンタリーでした。

この映画から学んだことは、

平和を守るのは戦いだということ。戦うということは、武器の代わりに平和を選び、賢くなるという方法もあるということ。

そして平和を選ぶということは、覚悟と勇気と、現実を見極める力を養う必要があるということ。

市民が国際法を知り、自分の国がどの位置で生きようとしているかということをわかっているということが、とても大事なことなんだと実感しました。

そして誰も、自分の国の政治についた評論家でも傍観者でもなく、主体だと意識していること。この映画からそのことを感じました。

私はもっと知らなければ、と思いました。

2018年8月19日日曜日

不屈の男ーアンブロークン……アンジェリーナジョリーの思い

不屈の男 アンブロークン

という映画を、知人から進めてもらい、見ました。

この映画は、2014年にアメリカで公開、2016年に日本で公開された映画だそうです。アンジェリーナジョリーの初監督のもので、ルイス・ザンベリーニの伝記をもとに作られたものです。
日本では、当初の公開予定の規模よりも小さな規模で公開され、以降も賛美両論だったそうです。私は何も知りませんでした。そういえば数年前に、アンジェリーナジョリーが初監督をする、という話題を、芸能ニュースか何かで見たような気もしますが、定かではありません。

辛かったけれど、見てよかったというのが、今の感想です。
映画の後半は、日本で捕虜になった話なので、見ているのが辛く感じました。どの国に住んでいても、被害者であり、加害者であったということを、思い知るものでした。
国のために戦うのはどの国の人も同じで、敵を憎む気持ちも、許せない相手としてみるのも、立場を変えれば違わないことだったと、どの人にも大切な家族や友人がいて、属した国を守るために生きているのだと感じました。

アンジェリーナジョリーの目線は、的確に細かく、日本人を理解して見ているように思いました。原作の本を私はまだ読んだことがないのですが、映画を見る限りでは、収容所内での事実だけを表現しているように思ったのです。

水木しげるさんの戦争についての漫画などを読むと、当時の軍隊の中の人間関係について、とてもシビアに伝わるものがあります。そのことを今回は思い出しなから見ていました。
見ていてつらかったのは、私が日本人だからなのかもしれません。
見たことで、こうして見るということも、加害したということを私なりに受け止めるということなのかも知れないと感じ、そして戦争においては、行なったどの国の人も被害を受け、加害をしているということを、強く感じました。
どのかなしみも比較などするものではなく、人がかかわってつくってしまったということで、私も蚊帳の外ではないということです。

ルイスさんは長野オリンピックの時に、聖火ランナーになった方でした。映画の中でも、戦争に行く前、1940年に開催される予定だった東京オリンピックに夢を馳せているシーンがありました。幻のオリンピックに思いを抱いていた人は、世界中にきっといたんだ、と思いました。

今は、レンタルでいろんな映画を借りられるので、たとえ公開が危ぶまれても、見ることができますね。つくった側への興行収入は少なくなるだろうけれど、そうやって、映画館であまりやらないものでも、いろんな映画が見られるのは幸せなことだと思いました。


2018年8月12日日曜日

繰り返し起こることについて

私は、自分の生活に直結していることに敏感です。
例えば福祉制度が変化すること。
福祉の科目も苦手です。私にとって福祉は学問で学ぶものではなくて、生活そのものだから。
福祉に対しては、私はその制度を受ける立場からしか物事を見られない気がしています。
客観的に見直すことができません。

苦手なものの中に、記録をつけるというものがあります。
介助の方が入った時に、どんなことをやったのかをつけるものです。

この記録のつけかたは、派遣事業所によって書式が異なります。

この記録が、私の最近までの超えられないことでした。

私の生活の内容を、他者が毎日つけること自体に、違和感のようなものを感じていたのです。
最近は一段と記録が厳しくなっていっているようで、それが悩みの種だったりしていました。

ここ数年、意見を言ってみたり、話し合いに行ってみたりしたこともありましたが、最近になって思い出したように、記録についての感情を思い出す出来事があり、考えてみました。
なぜ苦手なんだろう。
記録を他者に取られることで、こんなに気分を害してしまうのは、なぜなんだろう。
多分、介助の制度を活用している人がみんな、この記録のことについて受け入れているのに、なぜ私はいつまでも気持ちよく受け入れることができないのだろう、と、できる限り冷静に考えてみました。

今の段階だと、真面目に真面目に受け入れようと思っていたことが、方向性を間違えていたとわかりました。
物事はラフに考えた方がいい場合がある、ということてす。

受け入れたくないことは、無理して受け入れようと思わなくてもいいようです。
先方と価値観があまりにも違っていて、こちらが合わせなくてはいけない時、つまり話し合いが難しい時は、相手の価値観に乗ってしまうのも手なのかもしれないと思いました。

私自身が変わるわけではないし。
相手がたも、私の考えを知りたいわけではないでしょうし、

相手の価値観を知るということは、こうやって受け流すことも含むのかも知れません。今まで私は、相手の価値観を知りたいと言っておきながら、自分の価値観を押し付けたり、自分の正しさを主張するばかりだったのだと思います。

いい気持ちはしない、ということは伝えてみて、終わりにいたしました。
私も、相手がたも、意見はすれ違うだけだとわかったところもありました。

思えば同じような出来事が今回で3回目。繰り返し起こることは、何か私の中で落ち着く所を探さなければならなかったということです。少し視点を変えての着地でした。でも着地できてよかったと思いました。


2018年8月1日水曜日

8月

誕生月の8月はこの一年のまとめと、新しい一年への自分の気持ちを確認する月にしてみようと思います。

少し自分に、お菓子を食べることを許して過ごします。ふふ


7月のまとめ

暑かった7月。本当に過ごしにくかったですね。
40度近い気温のある毎日は、思った以上に体内から水分を奪うんだと思いました。

その中で、7月はいろんな場所に出かけて行けた日々だったと思います。
勉強会に誘われたり、自分で申し込んだり。

その中で、昔の感情と向かい合ったり、静かな日々の中で刺激のある一ヶ月でした。

世間の出来事に一憂し、できることについて思う日もありました。

7月に気がついたことは、自分のペースを忘れること、でしょうか。
人の気持ちを思うということは、自分のペースを忘れないと私にはとても難しくて、意識をしても言葉を選ぶことも難しいし、やはり口からすぐ言葉が出てしまうことが多いように思います。
人生のあり方について、人と比べては色々いらぬことを考えてしまうし、自分とはそういう、浅い意識の人間なのだと思いました。
その中で、話を聞くということに意識を持つことは、私にとって必要なことなんだと思います。日々のことに今の自分の課題があるということを再認識したように思います。

人と比べず、自分さえきちんと生きていればそれでいい。

私の中に隠れていた嫉妬心や怒りなど、まだ整理することは尽きないと思いました。
心はなかなか育たないけれど、自分の心だから、自分で鍛えるしか他に方法はないのだと思いました。

出会う人たちが、自分の人生に起きる厳しい出来事に立ち向かいながら、冷静にそれを受け止めて、私のところを訪ねてくださる日々は、考えさせられることがたくさんありました。
何があっても静かな心を保ち、できることをする、
その姿勢を、見せてもらったように思います。

花田春兆ーーその人と企画展

花田春兆氏の企画展を教えてもらい、行ってきました。 花田春兆ーその人と企画展 場所は板橋の淑徳短期大学。今月17日から明日までの企画展です。 数作著書を読み、生前にはそのほかにも接点をいただいていた春兆先生。 今日は主催された方からお話を伺う時間をいただい...