2018年7月23日月曜日

居心地のいい場所

今日、ある人と話していて、ふと思いました。

私は、いこごちのいい場所を選んではいないか。

成長できる場を選びたいと思いながら、実は受け入れてくれる環境、甘えさせてくれる環境を選んではいないか、と。

私が実家を離れて、一人生活を始めた時、介助についての考え方を、英才教育のように、支援団体から教わりました。

行きたい時にトイレに行くためには、好きな時にご飯を食べるためには、したいことをしたい時にするためには、介助で入る人の労働環境を整えることが必要。

この考え方は、この支援団体に出会わなければ、知ることはできませんでした。

互いの立場を考えること。
私は障害があり、そしてそれは世間が「重い」と判断するぐらい、自分ではできないことがたくさんあります。
だから、自分のペースで生きて行くためには、基本的な生活そのものを整えて行くためには、協力してくれる方がいつも必要です。

東京に移り住む前の、埼玉で一人暮らしした6年間は、他者の立場から物事を見るということのいい経験でした。
もしかしたらこの後の東京での経験も、埼玉で障害のない人たちと議論しながら、時には凹みながら知り得たことがあったから、とびこめて行けたのかもしれません。
もう今はあの場所に戻ることはないし、再会を望んではいないけれど、あの経験はありがたかったなあと思い、感謝の気持ちがあります。。


自己主張と要求は違う、と、ある人は私に話してくれました。

自分の生活を考えて組み立てているか、他人任せにして、要求ばかりしていないか、とてもきになると。
私も、自立生活をするときは、まず自分の生活を整えることから始めました、無意識でしたが。最初から特別、やりたいこともなかったせいかもしれません。とにかく自分の意思で生活を作って生きたかったんです。

生活する中で、もちろん今もうまくできているとは決して言えませんが、頼み方を知り、それぞれの個性を知り、自分の頭の中の世界と、人のお願いした時の現実の違いを知っていったのです。
 無論、私はここまで理解できるまで、とてもとてもとても長い時間がかかってしまいました。多くの人とうまくいかず、多くの人を困らせ、時に傷つけてしまいながら生活を続けてきたのだと感じています。その中で、ずっと支えてくれた人たちがいたことを、忘れないで生きようと思っています。

居心地のいい場所がいけないというわけではないけれど、その居心地の良さを誰かに作ってもらっているばかりだとしたら、自分でも自分の心の置き場所を作ろうと前向きに考えていないとしたら、そしてそのことに周りは気づいているのに私自身が気づいていないとしたら、それは見直さなくてはいけないことかもしれないと今は思います。

どこであっても居心地よさは、最初からあるわけではないし、お互いに努力してお互いが一緒にいてもいいと思える場所を作って行くことだと思うから。



2018年7月9日月曜日

障害のある人生

今日、ある方と自立についてのお話になりました。
先日ここに書いた内容のことを話したんだけれど…

以前からお付き合いのある彼女は、本に残して欲しいと言います。

私も書けるものならかきたいけれど、

どうやって書いていいかわからないというか、イメージがわかないというか、

本当に書きたいことがないように思っているものだから、始末が悪いんです。

あれこれ考えていくうちに、怖さがあることを発見しました。

自立についての気持ちを書くことで、障害を持つ知人はどう思うのだろう。
介助に対する考えや、仕事について、考えを書くということは、もしかしたら、人の心を逆なですることなのかもしれない。
かつて私が何も知らないでいろいろ書いたことで気を悪くした人がいたかもしれない中、私は自分を表すことができるだろうか。

かつて書いた処女作「あんドーナツ」は、きっとあの内容は家族に知って欲しかったんだと思います。
伝えたかったことを読んでもらえたら、何かが変わるかもしれないと思ったんだと感じています。

期待はしても叶わないもの。その頃の私は、メチャクチャに理解してもらいたかったんだと思います。
理解は求めるものではなくて、こちら側がするものなのに。そこがわからなかつたのです。

障害があることで経験し得たこと。書いてみたい気もするけれど、私的なメモでもいいような気がするし、それでも書き始めることに意義があるということなのかしら。
もし生まれ変わって次の人生があるなら、その人が読めるように残すつもりで書いてみようかしら。

どうやって書こう…書きたいのかしら、どうなんだろう。


2018年7月1日日曜日

7月の生き方

7月は、
いつもの生活を大切に生きるということですね。

アメリカの心霊診断家エドカーケーシーの言葉に、

祝福の経路となることを求め、あなたが神に用いられることを願い求めるならば、他の人に役立つための機会が与えられる。

というものがあります。
エドガーケーシーの言葉のカードを持っていて、日々ランダムに引いて読んでいますが、その時その時、時期によって気になる言葉は変化します。

最近は上記の言葉がなんとなく心に残っています。


下手な思い込みや欲望にとらわれないで、日々を気を配りながら生きていれば、平凡な日々の中でも、どんな人であっても、つまり私のような人間であっても、何かしら役に立つ機会が与えられる、ということかなあと思っています。

attention with no tension.
(緊張しないで注意する)
この姿勢を忘れずに、大切に、大切に。

6月のまとめ

6月はやはり体験型でした。
大学でのお話のお仕事が3箇所。どれも友人、知人との繋がりでもらえたものでした。
元職場でのボランティア。ボランティアとして関わることを許されたことが、とても心を落ち着かせてくれました。
途中で大風邪をひき、その理由とも向き合うことになり、またスピリチュアル的にはそれ以外にも立ち止まらなくてはいけない出来事があり、自分の人生においては、自分が全ての原因であり、その視点、つまり人のせいにしないことがとても大事なことなんだと痛感しました。

思わぬところで道に迷ったり(元々方向音痴なので、よくあるのですが、まさかここまで分からなくなるとは思わなかった出来事がありました泣)、最後まで気が抜けない一ヶ月でした。

気づいたことは、
スヒリチュアル的には、今まで私は体験しないであろうことを身をもって体験し、今のこの体は多くのことを体験するのには向いていない体なんだということ。

風邪を含めて体調を壊す原因は自分にあり、気がつく感覚を育てる必要があるということ。

人は自立をしなくては他者を助けられず、依存体質は人に迷惑をかけるばかりだということ。これは障害のあるなしは当然ですが関係ないということ。

私に必要なのは、
とにかく自分を育てようと意識を持つこと。できる限り努力をし、私欲に関しては整理をして理解すること。
人と会う機会には、介助の方と過ごす時間もふくめて、その方との時間を大事にし、理解をしようという意識を持ち続けること。

でしょうか。



花田春兆ーーその人と企画展

花田春兆氏の企画展を教えてもらい、行ってきました。 花田春兆ーその人と企画展 場所は板橋の淑徳短期大学。今月17日から明日までの企画展です。 数作著書を読み、生前にはそのほかにも接点をいただいていた春兆先生。 今日は主催された方からお話を伺う時間をいただい...