今年に入ってしばらく書くことを休んでいましたが、ブログ再開と同時に、チャクラヒーリングを受けました。
ヒーリングルームのブログを兼ねているにも関わらず、このブログには自分の日常ばかり書いてきました。
今回も自分のことになってしまうけれど、チャクラヒーリングを受けて感じたことを少し書いてみようと思います。
少ししか書くことができないのは、まだうまく表現ができないから。
……いや、、、少し違いますね。難しいことは文章を書くことではなくて、自分の心をあらわすこと。
来年からの課題だなあと感じています。
チャクラヒーリングを受けて感じたことのひとつは、自分がごうまんでしかなかったということ。謙虚な心が少しもない人生を歩いてきたということでした。
気づくということは、閃きのようなもので、何かをわかろうとしていた時は本当に何もわからなかったことだなあと思います。
そして、気づくことだけでは足りなくて、気づいたことから自分がどうするかを考える必要があるのだと感じました。
もうひとつは、自分が何を目的にして生きていきたいのかをきちんと持つことの大切さです。
それがないと人の考えに心が揺れて、物事を鵜呑みに信じ込んでしまったり、流されるままに生きていってしまったりします。
それはまわりにとって悪影響になります。
自分の生きる目的をはっきり持ち、ひとつひとつの日々の出来事を心で受け止めて生きること、感情(情動)のままに動くのではなく、感じた感情を大切にしながらそのできごとがどういうことなのか、自分は何をするべきなのか考え、自分なりに行動に移すこと。その経験を積むことがとても大事なのだと感じました。
そして、私の生き方に足りなかったことは、
「幸せを願う」
という姿勢でした。それは、愛情という視点がなかったということです。
謙虚さがないということは、自分のことしか考えていないということで、いつでも自分のことを考えているだけでは、人の視点を想像できません。自分しかわからないので、自分にしか愛情を持てません。
人の幸せを願うということは、その人にとっての幸せは何か、自分はそこにいることで何ができるのか、などということに想像をめぐらすことになります。
例えば私は毎日、介助の人から支援を受けて生活しています。
私はそのことに感謝はしていたけれど、一人一人会う人の幸せを願っていたかと聞かれると、それはできていなかったように思います。
確かに、少しでも介助が楽になる方法を工夫したり、介助を通して深まっていく人間関係を大事にしていました。
でもそれは、私目線のものばかりだったように思います。
幸せを願うということは、もっと広く物事を捉えることも大切なことのように思います。具体的に何ができて何ができないなどと判断するのではなくて、障害があるからできないとかできるとかそういうことではなく、視点を持って日々考えていくことが、私にとって必要なことのように思えたのでした。
いつかこのブログでももう少し表現ができるようにしたいけれど、今はここまでしかまとめられません。
たくさんたくさん、あるのだけれども。
ここまでの道のりを導いてくださった恩師、日々関わってくださったたくさんの方々に感謝しながら、また歩き出そうと思います。
来年はもう少しいろんなことを書けるよう努力したいなと思います。
今年もあとわずかになりました。
拙い文章で失礼いたしました。
みなさま、今年もありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
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お世話になっているヒーリングルームのホームページとブログは下記です。
(このブログのサイドにもリンクしてあります。)
Medicine Wheel
魂のカルテーーSpiritual Case File
2016年12月31日土曜日
2016年12月23日金曜日
障害と向き合うーー心理カウンセリング
自分の障害と向き合う、ということは、ピアカウンセリングを通してやってきたことではあるのですが…。
今年まるまる一年、別の視点から向き合う時間を作ってみました。
正確には一年と二ヶ月。心理カウンセリングという方法でです。
数年前に大学で臨床心理の科目を取得するうちに、いつか50分間のカウンセリング時間を体験してみたいとは思っていました。
自分がクライエントとして体験することになるとは、その時は考えもしませんでしたが。
カウンセリングの経験があるので、今回はその経験の視点から、せっかくの時間を有効に使いたいと思っていました。
月二回のセッション(途中月一にもしてみましたが、月2回で落ち着きました)、カウンセラーは同じ方。某大学で受けさせていただきました。
クリニックに行かなかったのは、診断を受けたくなかったから。
治療したいのでなくて、自分の障害を理解したかった。それだけだったのです。
ただ自分だけではどこをどう考えていいかわからなくて、誰かの視点をお借りして、一緒に考えたかったのでした。
その大学の方々は、私の趣旨をとてもよく聞いてくださり、インテイク(最初の面接のようなもの)では、もしかしたら経験不足なだけかもしれないという見解をいただきました。
一緒に向き合っていきましょうという言葉は、不思議な安心感がありました。
この期間でわかったこと、それは、
私がどんな障害であってもあまり関係ない。だから変わらずいきていけばいい、ということでした。
障害にこだわっていたのは、視野の細い穴に入ってしまっていたのは、私自身だったのです。
ある日のカウンセリングの後、たとえ身体障害だけが私の障害ではないとしても、私の目の前の課題は変わらない、ということに気がついたのでした。
もしかしたら自分から、「身体障害以外の障害が自分に認知できたら、空気の読めないことも他の自分の課題も、どこか少し手綱を緩めても許されるのではないか」という思いがあったように思いました。
でもそれば違って、私の課題は何も変わらずそこにあり、多分障害の名前が追加されたとしてもそこにあり続けるのだろうと自覚したのでした。自分でその課題のことを考えて行かない限り、ずっとずっと。
そう思ったときに、どんな障害があろうと私にとっては関係ない、私の人生を生きるにあたっては関係ない、と思えるようになったのでした。
障害名が変わらない今でも、私は経済活動をうまくできないし、でもものすごく日々をサボっているわけでもない。才能があるわけではなく、人間としての幅は今の環境以上のものではない。現実をうまく受け入れて、自分の日々を豊かにしようと努力しなければ、物事は何も進展しない。そのことに気がついたのです。
障害のことに向きあいたくてお願いした時間でしたが、どんな障害でもいいんだと納得できたことで、カウンセリングの時間は卒業しようと決めることができました。
自分のことを、知らない人に話していくこと、それも毎回とても長い時間話すということは、とてもいい体験となりました。
心理カウンセリングでは、カウンセラーはクライエントの気持ちを理解していくために聞くんだということを学びました。話の筋道を理解するということは相手を理解することに繋がるのだということも。
心の課題はあちらこちらに見えてはきたけれど、それに取り組むのは機が熟したときに。
今は一区切りを味わおうと思います。
今年まるまる一年、別の視点から向き合う時間を作ってみました。
正確には一年と二ヶ月。心理カウンセリングという方法でです。
数年前に大学で臨床心理の科目を取得するうちに、いつか50分間のカウンセリング時間を体験してみたいとは思っていました。
自分がクライエントとして体験することになるとは、その時は考えもしませんでしたが。
カウンセリングの経験があるので、今回はその経験の視点から、せっかくの時間を有効に使いたいと思っていました。
月二回のセッション(途中月一にもしてみましたが、月2回で落ち着きました)、カウンセラーは同じ方。某大学で受けさせていただきました。
クリニックに行かなかったのは、診断を受けたくなかったから。
治療したいのでなくて、自分の障害を理解したかった。それだけだったのです。
ただ自分だけではどこをどう考えていいかわからなくて、誰かの視点をお借りして、一緒に考えたかったのでした。
その大学の方々は、私の趣旨をとてもよく聞いてくださり、インテイク(最初の面接のようなもの)では、もしかしたら経験不足なだけかもしれないという見解をいただきました。
一緒に向き合っていきましょうという言葉は、不思議な安心感がありました。
この期間でわかったこと、それは、
私がどんな障害であってもあまり関係ない。だから変わらずいきていけばいい、ということでした。
障害にこだわっていたのは、視野の細い穴に入ってしまっていたのは、私自身だったのです。
ある日のカウンセリングの後、たとえ身体障害だけが私の障害ではないとしても、私の目の前の課題は変わらない、ということに気がついたのでした。
もしかしたら自分から、「身体障害以外の障害が自分に認知できたら、空気の読めないことも他の自分の課題も、どこか少し手綱を緩めても許されるのではないか」という思いがあったように思いました。
でもそれば違って、私の課題は何も変わらずそこにあり、多分障害の名前が追加されたとしてもそこにあり続けるのだろうと自覚したのでした。自分でその課題のことを考えて行かない限り、ずっとずっと。
そう思ったときに、どんな障害があろうと私にとっては関係ない、私の人生を生きるにあたっては関係ない、と思えるようになったのでした。
障害名が変わらない今でも、私は経済活動をうまくできないし、でもものすごく日々をサボっているわけでもない。才能があるわけではなく、人間としての幅は今の環境以上のものではない。現実をうまく受け入れて、自分の日々を豊かにしようと努力しなければ、物事は何も進展しない。そのことに気がついたのです。
障害のことに向きあいたくてお願いした時間でしたが、どんな障害でもいいんだと納得できたことで、カウンセリングの時間は卒業しようと決めることができました。
自分のことを、知らない人に話していくこと、それも毎回とても長い時間話すということは、とてもいい体験となりました。
心理カウンセリングでは、カウンセラーはクライエントの気持ちを理解していくために聞くんだということを学びました。話の筋道を理解するということは相手を理解することに繋がるのだということも。
心の課題はあちらこちらに見えてはきたけれど、それに取り組むのは機が熟したときに。
今は一区切りを味わおうと思います。
2016年12月14日水曜日
午後に見た夢
予防接種後、ものすごく眠くなってあっというまに時間を過ごしてしまいました。
その時に見た夢です。
家を出ようと思ったら、妹が衣服を整理していた。どうするの?と聞いたらまとめて寄付をするという。それなら私も寄付したい服があるから一言言って欲しかった、と思いながら家を出る。隣の家を通り過ぎると友人がその家に入っていくところ。「お隣さんと共同して申請すればいい…」と声が聞こえて来る。なんのことかなと思ったら、どうやら公的設備を直すことらしく、「あなたは話がわかると思って」とその友人に言われた。友人は金色の背広を着ていた。
なんのことだろうと思っていたら、みしらぬ高齢の男性、仙人みたいな人が、私の車椅子を後ろ向きにして前輪をあげて、すぐそばの階段を引っ張り上げてくれた。その階段は大きくて幅のある、神社にあるような厳かな雰囲気の白い階段だった。途中で踊り場があり、直角に続いていた。
階段を登りきると、晴れやかな気持ちになった。よく見ると登りやすいように、階段に小さな段差解消のスロープが付いているものが多かった。これは多くの人に助けられたんだと感じた。空は青くはなかったが、澄み渡っていた。ここで目が覚めた。
記憶に残る夢でした。
その時に見た夢です。
家を出ようと思ったら、妹が衣服を整理していた。どうするの?と聞いたらまとめて寄付をするという。それなら私も寄付したい服があるから一言言って欲しかった、と思いながら家を出る。隣の家を通り過ぎると友人がその家に入っていくところ。「お隣さんと共同して申請すればいい…」と声が聞こえて来る。なんのことかなと思ったら、どうやら公的設備を直すことらしく、「あなたは話がわかると思って」とその友人に言われた。友人は金色の背広を着ていた。
なんのことだろうと思っていたら、みしらぬ高齢の男性、仙人みたいな人が、私の車椅子を後ろ向きにして前輪をあげて、すぐそばの階段を引っ張り上げてくれた。その階段は大きくて幅のある、神社にあるような厳かな雰囲気の白い階段だった。途中で踊り場があり、直角に続いていた。
階段を登りきると、晴れやかな気持ちになった。よく見ると登りやすいように、階段に小さな段差解消のスロープが付いているものが多かった。これは多くの人に助けられたんだと感じた。空は青くはなかったが、澄み渡っていた。ここで目が覚めた。
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新しい家での暮らし
しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...
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こんにちは、久方ぶりの投稿です。 年も明けて今日は立春。すっかりブログはサボってしまいました。 近況ですが、 東京大学のREDDY での連載が最終回を迎えました。 無事に10回掲載していただけたことを、心から感謝いたします。 連載記事は下記にまとめてみました。興味を持っていただ...