2016年12月23日金曜日

障害と向き合うーー心理カウンセリング

自分の障害と向き合う、ということは、ピアカウンセリングを通してやってきたことではあるのですが…。
今年まるまる一年、別の視点から向き合う時間を作ってみました。
正確には一年と二ヶ月。心理カウンセリングという方法でです。

数年前に大学で臨床心理の科目を取得するうちに、いつか50分間のカウンセリング時間を体験してみたいとは思っていました。
自分がクライエントとして体験することになるとは、その時は考えもしませんでしたが。

カウンセリングの経験があるので、今回はその経験の視点から、せっかくの時間を有効に使いたいと思っていました。
月二回のセッション(途中月一にもしてみましたが、月2回で落ち着きました)、カウンセラーは同じ方。某大学で受けさせていただきました。

クリニックに行かなかったのは、診断を受けたくなかったから。
治療したいのでなくて、自分の障害を理解したかった。それだけだったのです。

ただ自分だけではどこをどう考えていいかわからなくて、誰かの視点をお借りして、一緒に考えたかったのでした。

その大学の方々は、私の趣旨をとてもよく聞いてくださり、インテイク(最初の面接のようなもの)では、もしかしたら経験不足なだけかもしれないという見解をいただきました。
一緒に向き合っていきましょうという言葉は、不思議な安心感がありました。

この期間でわかったこと、それは、
私がどんな障害であってもあまり関係ない。だから変わらずいきていけばいい、ということでした。

障害にこだわっていたのは、視野の細い穴に入ってしまっていたのは、私自身だったのです。

ある日のカウンセリングの後、たとえ身体障害だけが私の障害ではないとしても、私の目の前の課題は変わらない、ということに気がついたのでした。

もしかしたら自分から、「身体障害以外の障害が自分に認知できたら、空気の読めないことも他の自分の課題も、どこか少し手綱を緩めても許されるのではないか」という思いがあったように思いました。
でもそれば違って、私の課題は何も変わらずそこにあり、多分障害の名前が追加されたとしてもそこにあり続けるのだろうと自覚したのでした。自分でその課題のことを考えて行かない限り、ずっとずっと。

そう思ったときに、どんな障害があろうと私にとっては関係ない、私の人生を生きるにあたっては関係ない、と思えるようになったのでした。

障害名が変わらない今でも、私は経済活動をうまくできないし、でもものすごく日々をサボっているわけでもない。才能があるわけではなく、人間としての幅は今の環境以上のものではない。現実をうまく受け入れて、自分の日々を豊かにしようと努力しなければ、物事は何も進展しない。そのことに気がついたのです。

障害のことに向きあいたくてお願いした時間でしたが、どんな障害でもいいんだと納得できたことで、カウンセリングの時間は卒業しようと決めることができました。

自分のことを、知らない人に話していくこと、それも毎回とても長い時間話すということは、とてもいい体験となりました。

心理カウンセリングでは、カウンセラーはクライエントの気持ちを理解していくために聞くんだということを学びました。話の筋道を理解するということは相手を理解することに繋がるのだということも。

心の課題はあちらこちらに見えてはきたけれど、それに取り組むのは機が熟したときに。
今は一区切りを味わおうと思います。

全は一、一は全

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