2014年8月31日日曜日

涼しい日

こんなに過ごしやすい日が続くと、秋がもう来たかと勘違いしてしまいます。
夜も眠れるし、昼も眠れる。
暑い日も昼は眠いし、最近は少し私は眠り病。

考えたことは書いておかないと、忘れてしまうようです。
あとで思いだして書こうと思っていても、あとの祭り。
すこし気を抜いたら、時が流れてしまいました。
あっという間に月の終わり。

人に見返りを求めず、ただ感じたことを振り返りながら生きるということ。
戦略的に生きてきた私には、その生き方がうまくできていなかったようで。
いつも先回りして、周りの人の反応に期待しながら生きてきたみたい。
考え深い、いい人間に思われたくて。

そんな先回りはいらないし、もし考えが浅くてもそれが今の私なのだから、そこから始めるしかありません。
繕っても、実力がないのだから、ぼろが出るのです。
私は私のまま、日々感じたことを振り返って、高める努力をするしかない。
人が私を認めるか認めないかは、私の人生にとってまったく関係ないこと。

私はたぶん誰かに無条件に愛されたいと思いながら生きてきたのだと思います。
無条件に愛されるということがどういうことなのか、何も知らないままに求めてしまったのだと思います。
だからさまざまな人がいろんなかたちで愛してくれても、それがわからなくて受けとることもできなかった。
そして、自分が愛することを覚えなければいけないということさえも気付いていなかった。
私が、人を無条件に愛するという体験をしないと。

本能的に、感情のままに生きることって、とても怖いことでした。
結果的に何も気付くことができないから。

たぶん、私はそうやって、
自分に実力があると勘違いし、
自分が認めてもらえないのは社会のせいだと思い、
日々の体験を自分のものにすることなく、
愛されているという実感を求めて生きてきたのだと…。

人の心に寄り添うことなど、考えても見なかったのです。

だから、最近別サイトで書いた初めての小説は、小さい頃の私のふりかえりでした。
一年かけて推敲していこうと今は思っていますが、たぶんここから人生を修正しないと、私はまた何も考えずに生きていきそうで、書き表してみたのでした。

私は、人を理解できるようになるなるのだろうか。
なりたいと思って生きてきたはずだけれど、

できれば、今生で、達成したい。
今日は、誕生月の最終日。


2014年8月28日木曜日

かんれきくれない

銀座の松屋に、いってきました。
鶴太郎さんの企画展は、ものすごく混んでいました。

でも、やさしく、力のある独特の世界に、浸ってきました。

私は七福神がよかったな。

とても混んでいたので売店は素通り。

でも、本当にすごい人気です。

9月第1週まで開催みたいです。

2014年8月21日木曜日

明け方の夢

奇妙な夢を見た。
フリーアナウンサーの羽鳥さんの息子として私が夢に出演していた。
「都市銀行は銀行印が必要で、10万単位でないと預けられない。せっかく銀行印を持ったのだからその単位でかたちにして預けておくといいよ」
父(羽鳥さん)にいわれてうなずいている私。でも心の中で
「あれ、そんな制度あったかな」
なんて思っている。
そんな会話のあと雅な会合に出て(なんだか忘れてしまったけれど)、仲良く談笑する親子だった。
長い時間の夢だった。
ヘンな夢。

モノクロームクライシス

本田信一郎さんの本を読んで

犯罪の被害に遭うということは、その後の苦しみをずっと担うということで、被害に遭われた方がどんな目にあったのか、最後はどんなに苦しんだのか、何も知らされない被害者側のいいようのない思いを、この本から感じました。
人が人を傷つけるということは、本人だけでなくその家族をどん底に落とし、多くの人の人生を変えてしまうこと。
今も苦しい思いをしながら生活している方々がいる。

何を書いても、私の書くことは絵空事だ、うまく感想の書けない自分がいます。

2014年8月20日水曜日

野菜とネコとたてものと

久しぶりの文京区。
髪を思い切り短くしていただいたあと、大塚にあるクネーテンに。
このカフェで9月7日まで知人の絵が展示されています。

やさしい線の野菜や葉っぱ(?)に癒やされ、建物に魅了され、ネコに見つめられながら、おいしいランチを堪能してきました。

ランチは初めて。私はキッシュを。
ここの焼き菓子も好きだけれど、ランチは機会があればまた来たいところです。

知人は「けんちく新聞」というものを発行していて、今回はその展示もされています。
スケッチブックをのぞかせていただきました。

今日はとても暑かったけれど、リフレッシュできてとても元気になりました。

2014年8月16日土曜日

JICA

午後は市ヶ谷のJICAに行ってきました。
日本・イスラエル・パレスチナ学生会議主催のシンポジウムをききに行ったのでした。

お二人のシンポジストの方の基調講演に間に合わなくてとても残念でしたが、専門家が今の情勢をどうみているかがわかって、聞かせていただいてよかったなあと思いました。
なにかできるかわからないけれど、ニュースは欠かさず見るようにしようと思いました。

「たとえ嫌な相手であっても、平和に解決したいと思うならば対話をしなければならない。」
これは普段の日常に通じることだなあと思いました。

双方の学生との意見交換は印象的でした。

学生の交流会もあったのですが、シンポジウムだけ聞かせていただくだけにして、JICAのなかを見学してかえってきました。

防衛省のわきを初めて通り、有楽町線に乗りました。
ほとんどの地下鉄の駅にエレベーターが着いていることが、なんだか不思議でありがたく、シンポジウムで聞いた学生たちの
「世界で生きているふつうの人たちのような暮らしができることが平和」
「2つの国がいがみ合ったり殺し合わない日が来ることが平和」
という姿が映像に残りました。

JICAの展示物をみながら、今海外派遣のために研修を受けている知人のことを思い出しました。

最寄り駅で

杖を使った女性と、ホームで一緒になりました。
ひとつひとつ、まわりと何かしらやりとりをしながら、同じ電車に乗って乗換駅までいったのですが。

そのやりとりひとつひとつ、まわりが引いてしまうようなことなのです。
本人はそんなつもりはないのですが、嫌みにきこえてしまい、攻撃的に聞こえてしまい、ひねくれて聞こえてしまうのです。
結果的に譲っていただいた席を断り、結果的にまわりを憤慨させながら電車を降りていきました。

なんだか、以前の私を見たような気がしました。

「あんな風な断り方をしたら、勇気を出して譲ってくれた人の心を傷つけてしまう」
知人の言葉に、私も多くの人にそんな思いをさせてきたのかも知れないと感じたのです。

女性は、自分なりの自己主張で、周りの人とコミュニケーションをとりながら行動しているのでしょう。
体をコントロールしながら動くのに精いっぱいなのです。
そして、自分の辛さは他人にはわからないだろうと思っているのかも知れません。

車いすの私を見て、駅員さんにきちんと対応されていることも、不公平に感じたかも知れません。

「以前の私に似ているから、なぜあんな風になってしまうのかわかる気がする」
私の言葉に、知人は複雑な顔をしていました。

でも、きっと、私は怖い目をして、世の中を斜に見て渡っていたような気がするのです。
そして、自分ではまったく自覚なく、何かを吐きながら生きてきたように思うのです。

今は、どうなんだろう
でもまだ時折、自分の気持ちの動き方に違和感を感じることはあります……。

2014年8月15日金曜日

ツバメの話

ついこの間、雛が巣立って空になったはずのツバメの巣にまた雛がいる。3羽ほど。
親がエサを運んできている。

え、2回目? それとも別のカップル?

ツバメって、1シーズンに2回子育てするんでしたっけ?
もしそうなら、私は知りませんでした。

本とドラマとアニメと

「甘え」の構造という本を読み終わった。といっても論文なので、私には少しむずかしかった。
日本人は独特の「甘え」のかたちを持っているというお話。言葉の使い方や考え方にそれが出ているという。
続編の方も読んでみようと思う。

ドラマ「母。わが子へ。」を観た。伊沢満さんのドラマ。母の子を思う態度が、優しいタッチでつくられていて、幸せな気持ちになった。息子たちを最後まで思いながら行動する生き方を描いた作品だった。すこし前のものなんだと思う。

御伽草子というアニメにはまりつつある。東京の昔と今をつなげたような不思議なアニメ。

アニメといえば、今はやっている妖怪ウオッチも見てみた。現代のこどもたちだなあと思い、これは子供に受けるかもと感じた。2話ぐらい見たかなあ。

それにしても、ちまたで売っている妖怪ウオッチ、高くありません?

2014年8月12日火曜日

グッドウィルハンティング

ロビンウイリアムスが亡くなった。

俳優さんの名前をなかなか覚えられない私にとって、覚えている数少ない方のひとりだった。

久しぶりにグッドウィルハンティングを見た。
吹き替え版だったのでちょっと残念だったが、以前見たときよりも理解できたような気がした。
自分の人生にきちんと向きあい、人と怖がらずに関係を作り、自分の人生を堪能すること。
この一作だけでも、生きる希望を感じることができる。

ロビンウイリアムスの映画は、心に残るものが多く、私はたくさんのものをいただいたように感じている。

これだけのものを演じ、映像に残し、人生を謳歌することを伝えて下さったのに。
どんなに苦しい日々だったのだろう。
心からご冥福をお祈りいたします。

2014年8月11日月曜日

十二国記

最近、小野不由美さんの「魔性の子」を読んだ。
その一冊だけ単独で読むと現代ホラーファンタジーのような世界で、もちろんこれだけでも楽しめるかも知れない。
十二国記のシリーズに入ることを最近知った私は、ファンとして少し恥ずかしかった。
そして、読み終わってホッとした。
気になっていたことが解決したから。
これは、シリーズが好きな人ならわかるかも知れない。というか、今初めて「魔性の子」を読むなんて、ひとつのことを納得しないまま過ごすなんて、といわれるかも知れない。

十二国記といえば、昨年刊行された「丕緒の鳥」という短編集を最近購入して読んだ。
読み終わって、
ファンタジーの世界で書き表せる、リアリティのある思想というか、考え方の書き表し方について学んだように思う。
ジャーナリストが書く世界情勢についての問題提起と、作家の書くひとつの考え方についての見解の書き方は、書き方がとても違うが、ファンタジーだからこそつっこんで書ける何かがあるのかも知れないとも感じた。
読む側がどうとるかは別問題になってしまうけれども。
虚構の世界として楽しむか、今の世界観と連動させるか。
小説はそこも読む側の自由だから。

十二国記は、私が自立生活センターの職をいただいたときに、力になってくれた本だ。
あの本に出会わなかったら、七年も局長はできそうもなかった。
私は臆病で小心者だから。

雑読していることが多いので、「好きな本」を聞かれても、それほど思い入れの深いものはないと思っていたけれど、十二国記は別格かも知れない。
でもシリーズはとても長く、全部読まないと良さは伝わらないかも、とも思っている。

2014年8月10日日曜日

トークトゥーハー

ブログを書きそびれてしまって、今頃になって先週見た映画の感想です。

この映画は、私にとってはうまく理解できなかったというか、不思議な部分のある映画でした。

映画の後半で純粋に人を想うことが理解されない切なさのような、善良といわれる周りの人たちの自然な志向の成り行きと、それを否定せず真実を胸にとどめて、行動を起こしてしまう人のはかなさみたいなものを感じました。
そこのところが、うまく理解できなかったというか、後味の残った映画でした。

まちうた

吉祥寺駅から徒歩で行けるコミュニティーセンターで、月一度開かれる「まちの歌を歌う会」。
ふたりの主宰者が、21年間、企画されています。

歌の好きなまちの人たちが、緩く集まって一人一人歌い、楽しい時間。
昨日久しぶりにいってきました。

友人の生演奏で、ひとり、前に出て歌うことは、快感です。
緊張しない雰囲気だからできるのですが。

思いきって行ってきて、よかった。
会いたい人に会いに行けることは、幸せなことですね。
おかげで今日は、こつこつと地道なことに打ち込めました。

2014年8月8日金曜日

想像力と感情と。

例えば、自分を何度もいのちの危険に追いやった人を、助けられるだろうか。
その記憶がもしも鮮明にあったとして。
大切なひとを奪い去った人間に、救いの手をさしのべられるだろうか。

このブログは、ヒーラーのお仕事をさせてもらうことになったときに、そのホームページ用としてつくったブログだった。
今はその意味を逸していて、(ほとんどその意味を成していないのですみません)。思いついたことから書くようにしてきた。
そうしないと何から書いていいかわからないし、かっこつけてもすぐに続かなくなってしまったから。
書きたいことを無理せず書くことにしたら、かなり自分本位なブログになってしまった。

このブログの本来の役割に戻せば、いきなり私が「自分の過去生」についてこの場で書き表してもいいのかも知れない。
けれど、やっぱりいきなりは書けない。
どのような書き方で書き進んでいったらいいか、今はまだわからないから。

ただ、たくさんの自分の過去生の断片を見てきて、同じような失敗ばかりしていることに、この数年戸惑い続けてきた。
どうしてなのか、考えてもわからなかった。

きのう、ひとつ気がついた。
人は、例え何度生まれ変わっても、自分が望んだ生き方でしか生きられないということ。

私が偏った生き方の記憶を重ね続けてきたと言うことは、もうひとつの生き方を選ばなかったと言うことだったんだ。

そこに、私の、人への興味の欠如という問題がある。

私は、常にいい人になりたいだけで、薄っぺらい正義感やルールのなかで妄想していた。
相手不在と言うことはそういうことだった。

自分が誰かの犠牲になろうなんてこれっぽっちも思わなかった。

ああ、ここだった。

愛している人がいるのならば、その人のためにどんな犠牲を払ってもいいと、思う瞬間を味わえるはずだ。

表面を見せるためでなく、内面で身近な人を愛していくこと。
これが私はできていなかった。

私の犠牲になっていく人たちに、ただ甘えていたんだ。
そして自分本位に、自分の感情だけに注目して生きてきてしまった。

愛は求めることではない。

人の気持ちにより添い、その感情に寄り添う。
それを私は心でわからないといけない。


人はある日気付くらしい。
その人の受けた痛みを知りたいと。
そして生き方を変えていく。

私はそれができていなかった。
こどもだった。


心で知っていくことを心がけなくてはいけない。
そして覚えなくては。
残念ながら肉体はもうこどもではない。
おいがはじまっている

この人生が終わるまでに身につけたい。
ここまで来るのにもすごく時間をかけてしまったけれども。

努力するしかない。

2014年8月2日土曜日

板橋花火大会toいおん

午前中、いつものようにプールに行った後、地元の方に誘われて、イオンの屋上で久しぶりの花火。
本当によく見えて、最初はさわいでいたものの、無言で見入ってしまいました。
穴場でした。

数年ぶりにアオザイを来て、めちゃ楽しかったです。

イオンの屋上に2500人! 車いす席はおもしろい場所にあり、ちょっと今時新鮮でした。
明日のために早めに帰らせていただいたので、帰りの電車も混むことなく快適に帰りました。なんてぜいたくなことでしょう。

明日は最後の科目試験。楽しんできます(なんて書いたら不謹慎)。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...