2020年7月21日火曜日

久しぶりの個人セッションで感じたこと 前世への旅

4月から3カ月間リモートで時間をいただいていたヒーリングルームに、本当に久しぶりに伺うことができました。

いつもこの時間は私にとって貴重な時間ですが、今回も忘れられないことがあったので、このブログに記録しておこうと思います。

今回は、今までもなんどもやってきた、第4チャクラをみることになりました。
なんとなく最近、じぶんの心が傲慢になったようで落ち着かなく、特に胸のあたりに気持ち悪さを感じていたからです。

セッションの内容なので、少し気分の悪くなる表現を感じることがあるかも知れません。
前世はいい思い出ばかりではないので、ご了承ください。

最初はモヤがかかったように黒くてよく見えなかったのですが、もやをきれいにすいとると、石畳の道と、石造りの街並みが見えました。
人はいなくて、静かな街並み。ヒーリングサロンの師の提案によって近くの家に入ってみると、そこは血の海。服が広がっていて黒くなった人が亡くなっています。
部屋は乱れた様子もなく、何かを盗まれた形跡もありません。

その家を出て、他の家に入ってみました。
そこには、高齢の女性がご飯の支度をしていました。
私自身はこのかたとつながりがあるのかどうかわからなかったので、そのかたに私のことを知っているか聞いてみました。
彼女は、知っていると答えました。
うちの息子を殺した人だ、とおっしゃったのです。
でもその顔は、穏やかに見えました。

そのころの自分を探してみなさい、と、師のアドバイスがあり、私はその頃の自分に会いに行きました。
その頃の自分は男性でした。そしてその国の兵士でした。
利き手には刀を持ち、血で手は汚れていました。


彼の仕事は、ペストにかかったこの街の人たちを、殺すことでした。
もし彼が引き受けなかったら、彼の後輩が引き受けなくてはならなくなる仕事でもありました。
この頃は伝染病に対する知識もまだなく、ペストのように人々をしに追いやる病が流行ると、その街ごと消滅させる方法が取られていたようです。
まだ調べていないので歴史的なことは不明ですが、あとでググってみようと思っています。

その役をやらなければならなかった、彼はとても辛かったようです。
その街は彼の故郷でした。小さい頃の彼を、街の人たちはみんな知っていました。

彼は役目を終えると、一人森の奥に行き、誰とも合わず、結婚もせず、森の中で一人で天寿を全うして死にました。
人生の意味を見失い、絶望の中で死を迎えたのでした。

この人生で学びたかったのはなんなのか聞いてみなさいと師からアドバイスがあったのですが、彼も私も感情が昂ってしまい、うまく話せません。
そこで、彼のガイドさんに聴いてみることになりました。

「どんなに最悪な事態になっても、できることがある」

なにか私は、すごく納得しました。彼の人生は最悪でしたが、まだできることがあったのにやりませんでした。彼はこの人生では、重要なことに気がつけず、学べなかったのです。
そのことはその後の人生に、影を落としました。

私は、師のアドバイスのもと、亡くなった人たちを弔い、祈ることを彼に提案しました。
彼と一緒に、一本一本小さな棒を地面にたてて、祈りました。
彼は私に、一人一人がどんな人だったか、どのような思い出があるのか、全て話してくれました。彼は全て覚えていました。街の人たちを大切に思っていたのです。

棒を立て終わった後、師が私に言いました。

その棒全てに、火を灯します。なくなったひとたち全員と会えますよ

火が灯ると、亡くなった人たちがみんな彼に会いに来ました。
誰も彼を恨んではいなかったのです。

私は思わず嗚咽しました。


「彼はそれが仕事だった。街の人はみんな知っていた。何も知らない人よりも、知っている人に手にかけられたことに、街の人は良かったと思っている。だれも怒っていないでしょう。」
彼は街の人たちと、行くべきところに行きました。

この出来事は私の心の中にあった深い傷。今の日常の中で思い出すことになったのか、手離す時期だったのか、定かではありません。

でも、今回の経験ができたことで、人は成長していくものだということを、実感できたのは収穫でした。
明らかに古い時代の過去生とは、考え方も今の私に似ていたところが多かったのです。
何より、聞く耳のあるまともな人でホッとしました(今までの過去生の自分がどんなに酷かったか汗汗汗このブログにかけない汗汗)。

同時に、今の自分の課題もみえました。
あと一歩のセンスがない、踏み出せない、少し視点を変えてできることを探せない。
過去の自分もそうでした。自身の絶望にはまって、今みんなのためにできること、本当にやりたいと思うことができずにいました。

今回は、やりたいことをやっていこうと思いました。わからなくなったら周りに話し、ヒントをもらおうと思いました。

もっと周りを信頼して生きようと思えました。

思い出すと涙がまだ出てきます。良い時間に感謝。

そして私の日常には早速お試しの出来事が来ています。

世界も日本も身近なことにもいろんなことが起きていますが、出来ることはきっとあるはず、今はそう心から思います。




2020年7月11日土曜日

それぞれが住んでいる世界

最近よく感じることは、
「ひとりひとり住む世界が本当に違う」
という実感です。

同じ場所にいても、同じ映画を見ていても、本当に一人一人の世界は違っていて、その人はその人の世界で生きているんだと、本当に感じます。

だから、目の前の人を知ろうとしない限りは、理解しようという視点を持たない限りは、本当に自分の世界しかわからないのだと、感じています。

相手の世界を少しでも知ろうとすることが、自分の世界を広げることなのだと、今更ながら思うのです。

そのための対話、そのための言葉。だから言葉は大切に使う必要があるのだと感じました。

そして自分自身は、自分の心を成長させていくことに責任を持つこと。
成長するとは、自己中心的な思い込みを手放し、愛の形を理解していくこと。
それをできるようになることが、私の今世の人生としての目標です。
そのことを胸に、自己表現を試みます。

自己を表現するとは、自分の愛の形を示すこと。
愛の形を示すことを繰り返していく中で、他者への表現方法を獲得していくのではないかと考えます。
愛を示すことを意識しなければ、人は成長できないのではないかとも感じます。
独りよがりの世界で、どんなにいい人ぶろうとも、親切ぶろうとも、
本音が違うところにあれば、本当に他者のことを思っているわけではなく、
見せかけの表現からは、心にはネガティブなものしか宿らない、そんな気がします。

たとえ技術を磨いても、何を表現したいのか、そこが明確でなければ、人の心には届くことなく流れていくような気がします。

私はまだ少ししか実感できていないように思いますが、小さなことを積み重ねて、自分を見極めて、本当の自分を、目の前の人に対して表現していきたいと感じています。
その日に表現できたことが、たった一言であっても、心から伝えられる人間としていきたい、そう思います。

自分の世界を自覚して、他者の世界に興味を持ち、その時その時愛情を表現できることが、人として自立することなのではないかと、今は感じています。
できないことをを支えていただいているこの世界で、自分一人分の役割を明確に果たせるなら、本望です。

今朝の夢

なんだか、ストレスフルだと思う毎日です。世界中の人たちが、何かしら感じながら、心を痛めながら、生きているのかと思うと、心が痛みます。

今朝の夢です。夢の話なので、現実の話ではありません。

私が逝くことになり、今日だと感じた時のこと。部屋の中は、病院の地下一階のような広い待合室でした。若い人たちが結構いて、談笑していて賑やかでした。
その中に混じって話をしていました。みんなには私の姿は見えているようで、私とみんなとの関係は、遠くもなく近くもなく、知り合いのような関係みたいでした。現実の世界で知っている人はいませんでした。
部屋はほの暗く、窓がないので、空気の流れがないようでした。
お迎えがいつ来るか、いつ来るかとドキドキしていると、不意に自分の姿が鏡に映らなくなっているのに気がつきました。もう時間がないことがわかりました。
近くにいる人に、もうすぐいなくなると告げても、なんだかピンとこないようでした。

大きなテレビがつけっぱなしになっていましたが、私の名前を呼ぶ声がして、テレビの中から、髪を二つに縛った10代後半ぐらいの女性が、出てきました。
「お待たせしました!」
女性はそういうと、にこっといい笑顔をしました。
結構早足で、その女性について行きました。膝歩きだったと思います。
途中で何人かの人に会い、声をかけられたので、行かなくてはいけないということを告げると、寂しがって見送ってくれる人もいました。あまり付き合いがないのに、感激して私も泣きました。
扉から外に出ると、なんだか変わらない世界で、人々が外で撮影の仕事をしていたり、つまらなそうに働いていました。
なんだ、何も世界は変わらないものなんだ、と感じながら、自分はそれらの姿を上から見ていました。体は幾分軽くなっているようでした。
行き場所までは行けませんでした。そこで目が覚めてしまいました。

書いてみるとホラーのようですが、怖くはありませんでした。
それよりも夢を見ている間は、そんなに世界の見方は変わらないんだという、つまり生きている世界と肉体をなくした世界はそんなに変わらないという実感の方が大きかったです。

自分の目線が、上から地上を見ていると気がついたのは、目が覚めてからでした。

変わった小説を読んで寝たからなのか、私の今の精神状態を表しているのか、今回の夢は訳がわかりません。

ある説によると、自分が死ぬ夢は、新しい自分を発見するとか、古い自分を捨てるとか、転機の象徴という意味があるようです。

どうなのでしょう。ね。。。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...