2012年9月30日日曜日

ハリーさん

昨夜、ハリーさんの講演会に行って心に残ったこと

● 創造はお金のためにするのではなく、人にインスピレーションを与えるために行うもの
● どんな芸術品でも書物でも、お金が目的でつくられたものはすぐ忘れられてしまう。こころを打たない
● 人々に忘れられない芸術品は、そこにつくった人の魂、哲学、愛が込められている。
● アイデンティティを大事にすること。アイデンティティとは「すきなこと」
● いい意味での欲望をもち、みがくこと
● 誰もが創造する才能を持っている。自分の才能は自分でみつけ、自分でじみちに鍛えること。自分のやりたいこと(才能)は、心の奥底にある。
● 1日1日を、魂を込めて表現し、精いっぱい生きること
● 自分のやりたいことを表現すれば、その日は充実するのでよく眠れる。(ただし魂がやりたいこと)

2012年9月26日水曜日

映画!

飯田橋の「ギンレイホール」というところで
「大人のけんか」
「マーガレットサッチャー 鉄の女の涙」
を観てきました。
二本立てでとてもお得に観られます。

大人のけんかは、大人の心のすべてを見せてもらったような気がしました。

マーガレットサッチャーは、ちょっと変わった映画という印象をうけました。

映画を映画館で観たのは久しぶり。また行こうかな。

2012年9月22日土曜日

本日のカメラ目線大賞

金魚さんです。
携帯のカメラを向けたらこんな顔をしたそうです。

時間があったので、先日行きそびれた本郷薬師辺りを歩いてきました。
帰りは大通りを避けて裏道散歩。
なかなかの味わいのある極小旅行でした。

2012年9月21日金曜日

お気に入りの場所で

お気に入りの六義園で大雨に。
園内にいらっしゃった方々がみんな、売店で雨宿り。
どしゃどしゃとすんごい雨でした。

雨上がりの日の光はまぶしく、木々が一段と輝いていました。

見知らぬ年上の方からおせんべいをいただいたり、飴をいただいたり、ちゃっかり子どものようなそぶりで年下ぶっていた私です。

最近、「私が障害者だから子どもみたいにあつかうんだ」「障害があるからうまくできないんだ」とか、そんな思い込みを崩すような気付きがあったりします。

障害がない方も年上の方から子どものような扱いをされたり、
障害がない方も 実は苦手なことが同じだったり、

そんな場面をみせていただくと、「私の思い込み」の部分に気がつくことがあります。

確かに「障害」を持っていることでいろいろと感じてしまうことはあるのですが、大なり小なり状況に関係なくいろんな人が味わっていることと似たり寄ったりなのかも知れないと思えたりする今日この頃です。

私はきっと、ひとからの言葉や態度に敏感になる自分の心を見続けるのではなく、視点を変えて、相手がどんな心持ちで気になることばを向けるのかを考えることが必要なのでしょう。
せっかくこの身体をもち、そのことを考える機会に多く恵まれているのですから。

雨上がりの気持ちいい場所で呼吸しながら、そんなことを思いました。
その時は細かい感情の処理にまた少し混乱していたのでしたが……。
狭い心を広げる修行は永遠に続きそうでございます

2012年9月17日月曜日

台風ですか

バケツをひっくり返すような雨が降ったり止んだりしています。

今日は湯島天神に一人で行ってみました。
自宅から約1時間。行けちゃったなあと思いました。
電動車いすは快調に走ります。

道に迷って偶然東大病院を確認したり、行ってみたかった横道を走って突き当たる先を確認したり、興味のある看板を見ると確認したくなってしまったり。
ほんとうに「さんぽ」でした。

約3時間、歩数のはかれない「●●さんぽ」でした。

せっかく都心にいるのだから、都心に詳しくなりましょう(^^)

昔から一人であるくと、その時間いろいろなことを考えます。
今回も過去のこととか、しょーもないことを思い起こして反省したり恥ずかしかったり、うだうだ歩いた時間でした。

家に帰ったとたんに大雨が。晴れ女の「さんぽじかん」でした。

2012年9月5日水曜日

虫の声を聞きながら

物思いにふける秋となりました。といっても昼間は灼熱の東京です。

19歳の時からなんだかんだいいながら仕事を持っていた私。遊び人になって4年が過ぎようとしています。
今年に入って、なんとなく心持ちが変わってきて、これからの生き方を意識するようになりました。
昨年そうそう小さな骨折をしたことで、家にいる時間が一時的に多くなり、なんとなく低空飛行になっていたようです。

私にとって仕事を辞めるということは、所属することをやめるということでしたが、最初の1、2年は、「仕事ができるのにやめてしまった」という罪悪感に苛まれていました。
(大して仕事はできなくて、迷惑をかけていたにも関わらず、そう思い込んでいました。)考え抜いた末の決断で、私のできる範囲で準備もしてからやめさせていただいたのですが、なんとなく引きずっていたのでした。

今年、そのきもちが薄れて、私なりに元職場との距離を保てるようになりました。
同時に今度は罪悪感からではなく、生き方として「所属しないこと」「今の環境をそのまま受け入れてポジティブに生きること」の難しさを感じるようになりました。
社会への還元、貢献の証拠としての「対価」を求めていた私。
結果が欲しかったのでした。目に見える形での結果。

結果を求めず、ただ私らしく生きること。
私としてどうありたいか、考えながらじぶんのできることを行っていくこと。
それでいいとようやく思えてきました。

元職場は私に仕事を与えてくれていました。
私は「社会に尽くしている」と思うことができました。
幸せな時間でした。

所属しないということは、私が個人として考えたことを行動に移していくこと。
社会的な位置とか評価を求めるためではなく、ただ目の前のことにつくしていくこと。
と言うことなのかなあと、今は思っています。
積極的に、今度は私自身が、私に見合った環境を自分に与え、動いていくのです。



2012年9月1日土曜日

9月になって

なぜか、ダイビングに行きたくなりました。
な、なぜ?今?

考えているとまた行くのが怖くなって、機会を逸してしまうので、動くことにしました。

あんなに怖くて、もう行こうなんて思わないだろうと思ったのに、どうしたのでしょう。
自分の心がわかりません。

ダイビングの練習を始めたのは41歳の時。未だにカードは取れず、それはあきらめました。
今関わって下さっているインストラクターはとても私の性格や心を理解して下さっています。
さくねんの年始めに自宅でこゆびを骨折した私は、ダイビングへの怖さに拍車がかかってしまったのですが、今回の心の変化は本当によくわかりません。
このままお世話になったインストラクターと別れるのは忍びないとは思っていましたが、海に入りたいなんてふたたび思うとは思いませんでした。

今朝5時までは!!

もうひとつ思ったことは、
「人生をもっと積極的にいきよう」ということ。
怖がってる場合ではないよね。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...