2014年11月25日火曜日

見守り案内

えきのホームで、こんな放送を聞いたことがあると思う。
「到着の○○、お客さまご案内」

「お客さまご案内」と言うのは、車いすユーザーもしくは視覚障害を持った方など、駅員さんの誘導によって乗車する方がいるときに使われる。車掌さんに伝えるためだ。

車いすで歩いている私が電車に乗るときは、必ず有人の改札を通ることになる。
電動車いすで電車の乗り降りをするには、たいていの場合段差解消のスロープが必要になるから。駅員さんがいないと私は未だひとりでは電車に乗れない。

もちろんひとりで乗り降りしている車いすユーザーもいる。手動の車いすを駆使する方はウイリーができる人も多いから、ひとりで前輪を持ち上げて電車とホームとの段差やすき間をひょいと乗り越えてしまったりする。手動の車いすは介助の方だけでも前輪をあげて乗車できたりする。大きい電動車いすは性能も馬力もあるので、電車ぐらいの多少の段差を乗り越えてしまうものもある。

私の乗っている電動車いすは、どのタイプでもない。介助の方では乗せられないので、駅員さん頼みになる。
駅員さんは、実際はかなり重いはずの持ち運びできる簡易スロープを、片手で軽そうに持ってくる。

そして乗車案内のアナウンスをする。

ただ、例外の駅もある。まだほんの一部だが、電車とホームの間の段差やすき間が解消されている駅が。

都内の都営地下鉄大江戸線がいい例だ。

この線に乗るときは私は緊張する。駅員さんに頼らなくても乗り降りが自由だから。
自由というのは責任が生じる。私は目的地でちゃんと自分で降りなければならない。
誰かが待っているわけではないから。
いかにいつも保護されているかを、こういう時に自覚する。

大江戸線以外にも、ひとりで乗り降りできる駅はある。
そういうときでも私は駅員さんに来ていただくけれど、このとき駅員さんは実際補助しなくても乗れるので、見守りのような存在になる。

その日も、私は改札で、下車する駅を告げた。
車いすでの乗車の場合は、必ず下車駅を申告することになっている。目的のえきのホームで駅員さんに待っていていただくために。
もちろんひとりで乗り降りできる人は言わなくていいのだけれども。

「○○まで行きます」と私。
「では、○両目のところからお願いします」と駅員さん。

電車の位置を指定されたので、ホームの指定の場所に行った。
そのホームは段差が解消されている。私はいつものように介助の方と話しながら、駅員さんを待った。

ホームに電車が入ってきた。
駅員さんは来ない。

この電車には乗れないのかな、と思っていたら、放送が入った。
「到着の○○、お客さまご案内」

えっ、駅員さん、どこで放送しているのかしら。

確かにひとりで乗れるので乗車すると、

「お客さま、乗車終了しました」

えーっ。

小さい出来事だけれど、駅員さんがそばにいない状態で乗車案内のアナウンスされたの、本当に初めてだった。

「見守り案内、だね」
「どこで見守っていたのだろうね」
介助の方と、またこんなことで話が盛り上がった。

本当に一部の人にしかわからない世界の、他愛ない、そしてめずらしい体験だった。

ささらさや

友人と昨日観てきました。

最初は、物足りないのかなあと思っていたのですが、ラストで大泣きしてしまいました。
この映画はとてもすてきな、見終わったあとに心に灯りがともる映画です。

いやあ、よくこんなに台詞を覚えたなあと、よく演じたなーと、そういうことで感動しちゃったシーンもありました。

やっぱり、そのときそのとき自分にとってベストな生き方をしたいなと思いました。

そして、視点を変えることの大切さも教えてくれた映画でした。


原作、ぜったい読みます。

2014年11月22日土曜日

最強の二人

とうとう観ましたー。
おもしろかったー。

気持ちのよい映画でした。実話に基づいた映画だけれども、女性版だったらどうなるだろうと考えずにはいられませんでした。
フィリップの忍耐強さには学ぶところがあったし、ドリスのセンスはすごく刺激的でした。

こんな関係性もおもしろい。ここまでぜいたくしなくても、今は制度があるのだし。気の合う人と密な生活もまたおつですね。

人生は一期一会。自分自身を出来るだけポジティブに保って、貴重な出会いを楽しみたいものです。

2014年11月21日金曜日

終結

ここ数年引きずっていた一つの思いが、今日解放されました。

私の中の執着や怒りがだいぶ整理されて、落ちついて物事を捉えられるようになったからです。

ずっと言わないままでいたことも言えたし。
友人がいてくれたおかげでもあるかな。
ありがたかったな。

意味不明な日記でした。

AIDで生まれるということ

最近読んだ新刊本です。

「精子提供で生まれた子どもたちの声」と言う副題がついています。

数十年前から行われてきた精子提供によって、多くの人が生まれていますが、大部分の人が自分が精子提供で生まれたと知らされずに生きているそうです。

知ってしまった人たちは、自分がこれまで積み重ねてきた親子の関係性の経験が根本からくずされることとなり、苦しんでいます。

血のつながった父親だと思っていた人は、自分とは赤の他人で、しかも父親が誰なのか誰もわからないという現実が、ある日突然自分にやってくるからです。

それもその事実は、家族が病気になる、亡くなるという自体になったときにわかることが多く、本人たちはいっぺんに多くの事実を体験しなければならない事態になります。

こどもが出来ないご夫婦にとっては、きっと希望の方法だったのでしょうが。
いつの日もそれぞれの気持ちをわかるということは本当に難しいことで、
何か自分の苦しみや悩みを解消するために方法を選んだときは、そこに巻き込まれる人たちがどんな思いをするのか、少しでもわかるよう努力をしなければいけないと考えました。


医学の専門家の気持ちはなかなかわかりませんが、一人の人間としてどこの視点に立つかが生きていく時に必要なことなのだろうと思います。

AIDで生まれるということ
非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ・長沖暁子編著
萬書房

2014年11月20日木曜日

愛するひと

この映画の印象は、ハッピーエンドでない、でも現実的に前を向いていくという感じ。
誰かが運良くてとか、ものすごく助けられて、とかそういうのではなく、何があってもいきていきなさい、なるようになるからベストを尽くしなさい、と言われているみたいだった。
どうしようもないことも、乗り越えて行かなくてはいけないよね。

今度は愛妻家

この映画は、何度でも観たくなるものでした。

夫婦の価値観の違いや、不器用な関係のようなもの、取り巻く人たちの人間くささのようなものがわかり、観てよかったなあと思いました。

心がおさなかったりすると、無遠慮になるもんだなということも。愛を受け取れないということは、甘えているということなんだなと。

またいつか、観てみようと思います。

バベル

すこし前の映画ですが、観ました。


言葉や心が通じないと、人と人はかなしいことになる。
傷つけあい、抑圧しあい、理解しようとしなくなる。
それぞれの不条理が映し出され、生きるということが孤独と結びつくもののように感じてしまう。


何も関係のない同士と思われたものがつながり、関係のない出来事などないといわれているような気もしました。
観てよかったなと思いました。
再度観るには、時間をおきたいとも思いました。

2014年11月19日水曜日

思いのこし

もうすぐ公開されるこの映画を、昨夜たまたま先行で観ました。

最初はどうなるかと思いましたが、暖まる映画でした。

ただ、広末さんが出ているせいか、「よみがえり」を連想してしまったのが惜しいところでした。

岡田将生さんがどーしよーもないやつに見えてくるから、映画っておもしろいですね。


そうだなあ、岡田さん(役名忘れました)の心の変化が、印象深かったかな。
あと、現代社会の一面を登場人物に映していたところも。
すべてをいわゆるハッピーでなく、現実を踏まえた結末にしていたところも。

2014年11月18日火曜日

ティム・バートンの世界

六本木の森美術館で来年1月初めまで開催されている、「ティム・バートンの世界」を観てきました。

チャーリーとチョコレート工場という言葉にひかれて。
この映画の原作がこどもの頃大好きでした。

最初から最後まで一貫した世界観でした。
この方には、人はこんなふうに見えているのかも知れないと、ひとつひとつを観ながら思いました。

爆発していたりかなしそうだったり、おどろおどろしかったり。
少しの間夢を見ていた気分になりました。

しかし、なぜナプキンに絵を描いて残したんだろう。
わざとなのか、書くものがなかったのか、意図的に選んだものなのか。

平日なのに、混んでました。土日はもっと混むのでしょうね。

2014年11月17日月曜日

赤カブのつけもの

八百屋さんでいい赤カブをかったので、
ピクルス風の漬け物にしてみました。

材料
 赤カブ   2個
 お酢    カップ1杯半
 砂糖    お好み
 赤しそジュースの残り  少量
 からしマスタード    大さじ2はい

赤カブは適当に切って塩で軽くもんでもらいます

お酢は沸騰させて砂糖を入れておきます

容器にカブを入れてお酢を注ぎます。

からしマスタードをいれて混ぜて1日おけばおいしく食べられます

時々カブの上下を入れ替えて、よく酢につかるようにします。今回は大きめに切ってもらったので多少食べにくいですが、いちだんとあかく染まったカブがとてもきれいです。ちなみに皮は、むいたあときざんで、同じ容器に入れてもらいました。

2014年11月16日日曜日

海の思い出

障がい者ダイビングのインストラクターKさんは、ダイバーの経験者である、障がい当事者の先輩が紹介して下さった。
当時、あるところでオープンウォーターの講習を受けていたのだけれども、あまりにも海が怖くて、うまくいっていなかった。なので、経験豊富なその方に相談したのだった。

Kさんはとても気を長くして、私と付き合って下さった。
当時板橋の蓮根にダイバー用のプールがあり、一ヶ月に一度そこで私はトレーニングを受けた。
レギュレーターでの呼吸が、レッスンの大部分だった。

私は本当に水が苦手だった。
なので別の知人が同時期に水泳のスクールを教えて下さった。

私は月3回水泳で水慣れしながら、月1のダイビングレッスンを受けた。

それでも毎回毎回、インストラクターには迷惑をかけた。

彼は決して
「怖いのになぜやりたいのか」
と言う質問はしなかった。
「怖くても、どんな気持ちでも、やりたいなら付き合う」
と言って下さった。

レギュレーターでの呼吸が出来るようになり、マスクをはずして水の中で呼吸が出来るようになった時期に、蓮根のプールが閉鎖になり、私たちは伊豆でレッスンを続けることになった。

土肥でのレッスンは、プールもあったけれど、海の方が多かったように思う。
彼はいつもていねいに、私を海に入れて下さった。
決していきなり潜らせず、出来るようになってから、慎重に次の課題を提示して下さった。

土肥の海を、顔だけ水中に埋めて、ゆっくり観るのが私は大好きだった。
怒られてしまうと思うけれど、潜らなくても、本当はそれだけでよかった。

初めてちゃんと潜水できたのはセブ島の海。
15分間のひとときだった。
セブの海はとても穏やかで、マスクも揺れることはなかった。
顔中にかかる水圧がとても気持ちよかった。

一番長く潜ることが出来たのは、沖縄だったと思う。
30分。
インストラクターが沖縄に越したあと、なんどかお世話になったレッスンのなかで、一度だけものすごくうまくいったことがあったのだった。

潜れたという実感までは持てなかったけれど、水中での写真を観るたびに、潜れたんだなあと感じる。

残念ながらカードが取れるまで出来なかったけれど、
「やりたいなら付き合う」
と毎回のように伝えて下さって、少しでも出来たところを見つけてほめて下さったり、私がつまづいたところを理論的に考えて整理して下さったことを、私はとても感謝している。
Kさんと出会わなかったら、海はただ怖いだけの場所にしかならなかった。
少しでもスキルを高められたことを、忘れないでいようと思っている。

思い出がたくさん、たくさんある。
このすべてを下さったKさん、ありがとうございました。

2014年11月12日水曜日

舞台の予定

ふたりの知人がそれぞれ、演出し、主演する舞台の予定が決まりました。

楽しみです。ポスターの写真も知人です

ホームページがないのが残念。

ダニーと紺碧の海
(原作:ジョン・パトリック・シャンリィ)
キッドアイラックアートホール(世田谷区 明大前駅)
翻訳・脚本・監督  平野綾子

1月31日、2月1日

2014年11月10日月曜日

築地本願寺ふたたび

あたたかな日だったので 築地本願寺で時間を過ごしてきました。

満充電、という感じです。

XJAPANのHideのコーナーがあることに気付きました。

2014年11月9日日曜日

リンクは時折テストしないと

ヒーリングサイトの申し込みメールページが表示されない状態になっていました。
申し訳ありませんでした。

リンクがうまくいっていなかったみたいです。

今まで気がつかなかったなんて、それにもびっくりです。
気をつけなくてはですね。


2014年11月4日火曜日

巣鴨の写真館

今月新しくオープンした、写真館に行ってきました。

写真館は、写真集「百歳王」を出されている、小野庄一氏のものです。ギャラリーが併設されていて、写真を観たい方も気軽に入ることが出来ます。

写真を撮影する場合、高年齢の方の年齢割引があるようです。

自分の家族がこんなふうに幸せそうに写っていたら、年月がたってもその写真を観ると元気をもらえるだろうな、そんな気持ちをいだくような写真が飾られています。

今日まではオープン記念で、ご夫妻がいらっしゃいます。

私は久しぶりに友人に会うことが叶い、いいひとときを過ごしてきました。
行きは久しぶりにとげぬき商店街をあるき、帰りは西巣鴨までの初めての道を(一本道ですが)。
今日は巣鴨は4の日ですね…。

百歳王写真館&寿ギャラリー

2014年11月2日日曜日

整理しておきたいこと

一つの出来事によって、いろんな気づきがあったのですが、この大事なことを二度と忘れないために、ここに整理しておきたいと思います。

●人に何かを伝えるときは、無意識にならないようにする。
 無意識というのは、気を許し、自然に出る言葉。私は根がネガティブなので、つい要らぬ言葉が出てしまうということに気がついたのです。
その人に出会ったことへの感謝が足らなかったのです。
感謝が足らないと、つまり愛情が持てないと、無意識に発したり書く言葉はとても冷たいものになります。
相手の方が本当に親しい人、もしくは、私に対して理解を持ち、言い返して下さるかたならば、私のその時の気持ちを汲んで、そのことに対して進言してくれたり、見守ってくれたりするでしょう。
私はそこに甘んじていたのでした。
私が心から人を好きになって、初めてお会いする人であってもその出会いを大事に思えるようになったら、きっと自然な言葉もすべてに愛情を込められると思いますが、そしてその日が来て欲しいと思いますが、今はまだその段階ではなかったということに気がついたのでした。

このことについて、今までも自覚をうながすような出来事はたくさんあったと思いますが、私は、そのひとつひとつの出来事に無感覚でいたみたいで、ただ犯人捜しをするだけだったのだと思います。
私も、同じだったのに。冷たい心を持った同じ人間だったのに。
ここに気がつくことが出来て、本当によかったと思います。

私は、自分が差別的な心を持った人間だという自覚はあったけれど、それがどこから来るのか、なぜそうなのかわかりませんでした。
今まで障がい者運動や、人権運動をしてきて、そしてプライバシーを守ることについてとてもこだわってきたのですが、ルールのないところで、では私は他の人の尊厳を守れるのか、そこにひっかかりのようなものを感じていたのでした。
今回私の身に起きたことで、身をもって、私は人と出会うことそのものを大切にし、真摯にならないといけない、と心から思うことができました。
こだわりがひどかったのは、私が出来ていなかったから。
人の人権を守るということは、人を愛しているということなんだと思います。私の人権を守って欲しいと思い続けていたのは、私を愛して欲しいと思っていたからなのだと。
私には、人を愛していく(理解していく)力が足らなかったのです。大切なのは愛される事ではなく、愛すること。つまり理解されることではなく、理解していくこと。やっと自覚できたのでした。

そして、身から出たさびは、いい訳などせずに自分で拭き取ることが大切なことだということも学ぶことが出来ました。
だいぶ痛かったけれど、起きたことは取り戻すことは出来ないけれど、自分の行動が発端なので、基本を忘れないようにしたいなと思っています。

これからはたぶん、少し人との付き合い方が変わってくるように思います。
自分の心には自分が栄養をあげないと。いい友と話し、いい環境に出かけ、たくさんいい空気を取り入れたいと思います。

そして私の心ない言葉で、きっと深く傷ついてしまったたくさんの人たちに、報いていけるような心を育てていきたいと感じています。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...