2020年5月24日日曜日

私は誰??

スティホームが続いた東京。コロナウィルスは、ほんとうにいろいろ考える機会を私にくれました。
このことは後でまた書きたいと思います(まとまればいいな)。

思いつきですが、プログの文字表示を大きくしてみました。
パソコンやスマホは拡大機能がついているので、ブログ自体の文字を大きくすることは考えていませんでした。

でもそういえば文字を大きくするために私自身もスマホで二本指がうまく使えず苦労していることを思い出し、初めから表示を大きくしようと思ったのです。

どうも私も、自分はとっくに老眼なのに、読み手に文字調整してもらうことばかり考えて書いていたなあと反省しました。

(小さい文字が読みやすい方は、恐れ入りますが調整していただけたら幸いです。)


本題です。

私は誰

ここ2ヶ月ほど、ヒーリングサロンmedicine wheelのセッションも、リモート(遠隔)で受けさせていただきました。

ヒーリングさサロンもそうですが、普段なかなか会えない知人ともリモートならば顔を見て話せて、私なりに時間は有意義だと感じています。

先日のセッションの中で、「これからの半年、どう生きますか」と質問されました。ハッとしました。
数ヶ月の出来事の中、私は自分の心に向き合うことに精一杯で、半年後にどのような自分になっていたいかなどという思いは、忘れていたのです。

昨年末は、

来年のテーマでぱっと浮かんだ字は「仲」。
いろんな形で関係性を深めることを忘れずにいたいです。

そして個人的な課題は、直感を使うことと、拒絶しないこと。
様々な価値観に出会うたびにびびっている自分からの卒業です。


なんて書いていました。

今考えると、相変わらずびびっているなあと思います。
情報に埋もれ、耳にするものを鵜呑みにし、後からその意味を考えるので、消耗している気がします。
判断力がありません。知識がないからでしょうか。
知らないことが多すぎて、自分なりの考えを持つまでとても時間がかかるのです。
それまですこし不安になるので、自律神経が落ち着きません。

そういえば、直感を鍛えたいとも思っていました。
ヒーリングサロンの師曰く、

直感とは、愛から来るもの

なのだそうです。

その行為に愛があるかないかで、ものごとは暖かく感じるか恐怖を感じるか、受け取る側の印象はかわる

私はどうしても知識を基準に置いて考えてしまう癖があり(あまり知識がないのにもかかわらず)、そこも間違う要因の一つだったようです。

心が何を感じているか、もう少し意識してみようと、昨年の年末に思ったばかりでした。

最近の動揺を繰り返す自分の心を思い返すと、

どうも信念がないのではないか

そう思うようになりました。

信念がないから揺らぐのでは、ビビるのでは、情報を鵜呑みにしてしまい何が正しいのか分からなくなるのでは、そう思ったのです。

なので、今年後半をどう生きるかということを、

自分なりの信念が持てるようになる

ということにしました。

信念を持つには、知識を得ること、勉強かと思っていた私に、師がアドバイスをくれました。

尊敬する人、またはとっても好きな人に、「これだけは言ってはいけない」「これをいったら、やったら軽蔑されるから絶対やらない」と思う行いはありますか。

絶対やりたくない行為を、周りがどんな状況であっても、後から非難されても、死ぬまで理解されなくても、つらぬけますか。

例えば杉原千畝は、外交官だった時に多くのユダヤ人を助けました。当時の日本はドイツと同盟を結んでいたので、杉原氏の行為は、国を裏切る行為でした。彼は日本に帰ってからも名誉は回復できませんでした。戦時中の行為が公になったのは最近のことです

例えばある国に起こった内紛の時のように、その国を支援するために派遣されていた国連軍に撤退命令が出たら、そしてもしあなたが国連軍として派遣されていたらどうしますか。命令に背いてそのまま仲間に命令のことを伝えずに戦い続けますか。それとも、その国の人の大部分が殺されるのを分かっていて、命令だから撤退しますか。

私は答えられませんでした。
ただ、ひとつわかっていたことがあります。
ここ数年、霊的真理を学ぶようになって、私が知った自分の過去生のほとんどは、杉原千畝氏の生き方とは真逆の生き方ばかりでした。
そのほとんどの人生が、私自身だけを優先し、私利を叶えることだけを考えて生きてきたのです。
多くの人たちの思いを知らないままに。

私はもう、自分が経験してきた過去生のような生き方はしないと決めています。
自分の命も、他者の命も差別は絶対にしない、誰かを故意に傷つけたりして自分の人生を優先させるような生き方はまっぴらごめん、自分が生きるために誰も犠牲にしない、だからといって自分の人生を軽く扱うこともしない、私らしい生き方をしたいのです。

ではどのように生きるのならば、そういう生き方に向かえるのか。
大きな課題だと思いました。

そして毎日は小さな何気ないことを判断するところから始まります。


私は私と生きる、そのためには、私はどんな生き方をしたいのか、私自身を知る必要があるのだと思いました。

何気ないところの何気ない判断から、私は私自身として、いつの日も生き方を表現しているのだと感じました。

そこにいつも責任を持つ態度が必要なのだと思いました。





2020年5月17日日曜日

小さな一歩 そして 絆

緊急事態宣言の続く東京。私の生活は大きく変わることなく、平穏に続いています。
確かに出かける予定は全てなくなって、交通機関を使う理由もなくなり、行動範囲は狭くなりました。
でもおかげさまで相変わらず取り組みたい課題はてんこ盛りで、ちまちまと何かしらやりながら日々を過ごしております。

ここ数週間か、遠くに住む知人とリモートで顔を見ながら話す機会を得ました。
昔からお互いに知っている間柄だったのですが、深くお話しする機会がなかったのです。

相手のかたの方が人生の先輩なので、リモートで話したいと提案させていただくことにドキドキしましたが、ゆっくりお話できて本当に楽しかったです。

最初の数回はZoomがうまく繋がらなくて、さんざんご迷惑をかけてしまいました。
相手の方も根気よく付き合ってくださって、ありがたかったです。

Iさん、その節はご迷惑をおかけいたしました。貴重な時間をありがとうございました。

その時の共通の話題が、奈良たんぽぽの会が昔から開催している「わたぼうし音楽祭」でした。

たんぽぽの会は障がいあるかたの芸術支援等、さまざまな活動を続けている団体です。

「わたぼうし音楽祭」は、障がいがある人の書いた詩を公募し、曲をつけて歌にし、ステージで発表する音楽の祭典で、現在も年一回開催されています。

私は10代、20代の時に、詩を取り上げていただき、お世話になりました。

その時に出会った二人の詩人がいました。

おぞねとしこさんと、松兼功さん。

おぞねさんは詩集を数冊出されていて、その詩集は、自立生活に入る前の私の心の拠り所になりました。

松兼さんは数年前にその時お世話になっていた介助の方の計らいで、居酒屋で一度だけ直にお話しすることができました。

私は「わたぼうし音楽祭」の場でお二人と同じ舞台に上がらせていただいたけれど、その頃の私は精神的に幼すぎて、関係を深めていく事は叶いませんでした。
言葉というものは、心から出た言葉というものは、すごく響くものなんだと教えてくれたお二人でした。

今生ではもう、お二人にお会いすることも叶わなくなりました。
おぞねさんは、数年前に、逝去されました。

松兼さんは昨年秋に、旅立たれたと、リモートでお会いした時間に、伺いました。

今感じるのは、悩みながら自分を表現したお二人だったな、という気持ちです。


つつしんでご冥福をお祈りいたします。






新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...