2014年9月30日火曜日

ハリーさんの講演会 メモ

2年ぶりの来日です。

●知識は自分の物にしないと意味がない。多くの情報から選ぶ能力も生きる力。
●学びを続けるにはいい師を選ぶこと。一人で学ぶのもいいがいい師についてみんなで学ぶと学びが早い。
●頭がどんなによくても、賢くても、愛がないと意味がない。
●エゴイズムは100パーセントなくすこと。
●若い魂を育てること。若い魂は古い魂と一緒に過ごすと早く学ぶことが出来る。
●初めて生まれる魂にはギフトがある。次の生から課題が始まる。
●人生のプライオリティーをどこにするかを考えること。
●ぼくはその日1日を精いっぱい生きる。結果は考えない。結果は上からやってくる。
●アイデンティティをもつこと。アイデンティティを持てば気持ちが揺るがない。

2014年9月19日金曜日

トガニ

実際にあったことをもとにした映画。つらい映画でした。
弱虫なので、なかなか一気に観られなくてチャプターずつゆっくり観ました。

この映画が世に出たことで、韓国の法律が整備されたということ。
世に出るまでは、社会に埋もれていた事件のようです。

自分より立場が弱いとみると、人はなぜ人をおとしめるのか。
それが本能なのか。
こどもたちはどんなにか、どんなにか……。

自分はどのように生きているのか。向こう側になりはしないか。
人を苦しませる生き方をぜったいしていないと言えるのか。

そして、もし教師の立場だったら、どんなときも目の前のこどもたちの盾になれたのか。
今の自分は、そのような人間なのか。
どうなのだろう。

こどもたちの親だったら。
判事だったら
弁護士だったら。

どのような場合でも、誠実さを忘れないで生きるには、心に何を身につけたらいいのだろう。
知らなければいけない現実は、たくさんたくさんあるのに。

見終わったあとの何とも言えない居心地悪さのなかで、そのようなことを考えていました。



2014年9月18日木曜日

最近読んだ本

秋の空気が気持ちいいひととき。

早々とゆでてもらった栗の皮をむいてもらっています。
その時間を使って、最近読んだ本について。

「犯罪被害者の心の傷」
これは、カウンセリングの本だったのだけれども、実際の苦しみについて、ご本人の許可のもとに記されているものでした。その人の心の声を聞き取り、かたわらで共感していくことについて、大切なことを教えてくれたように思いました。

「愛と痛み」
辺見庸さんの本は初めてでした。死刑反対の立場から、死刑についてわかりやすい言葉で意見が書かれてありました。知り合いが刑を受けると考えると苦しいのに、他人だとなぜ容認してしまうのか、というような意味のくだりや、人ほど他のどうぶつにくらべて臭い生き物はなく、その生き物の、誰も愛されない人のためにつくすと言ったマザーテレサを尊敬する、といったくだりが印象的でした。

「歴史とは何か」
E.Hカーのものでなく、3人の鼎談集です。
暴力や、加害すること、被害に遭うこと、歴史とはなんなのかと言うことを、いろんな視点から語っています。語っていると言っても、難しくて、私は半分もわかりませんでした。障害を持つ人の介助の話しもふっと出てきて(経験されている方が著者のひとりにいらっしゃって)、その友人とのやりとりは印象的でした。
赦すことは祈ること。この言葉には、はっとしました。

「聞け てるくはのる よ」
小学生の息子さんを殺害されたご両親が書かれた手記です。
第三者にもわかりやすい語り口で、感情を抑えて書かれてありました。
他人をこうやって気遣いながら心情を書くには、本当に大変だったろうと、感じました。

自分の人生をまちがわないために、じぶんの手で人を悲しませないために、今日を意識的に生きなくては。
ものごとはいつも身近で起こり、私もその渦中にいると言うことを忘れないでいないと。

2014年9月16日火曜日

手放すこと、赦すこと

とっさの質問では、答えられなかったことが、あとあとわかることもある。
私の中の恐怖。だいぶ捨てることが出来たと思っていたけれど、1つどうしても捨てきれない物があることを、思い出した。

永遠。

自分のことをいろんな面で知っている今、死に対しては怖さはなくなった。
ひとはいつも成長をし続けるものだとわかったから。
永遠に。

その、永遠が、いつまでなのか。
永遠が、永遠という意味なので、私には理解できなかった。

永遠は本当に永遠なのか。
本当に終わらないのか。

私の頭のなかでは、終わりのないということが理解できない。
だからそれがときどき発作的にたまらなく怖くなる。

けさ、ある本を読んでいたら、こんな言葉に出会った。
「赦すと言うことは、祈ること。自分が許すことではない」

直接関係なさそうな言葉だったのだが。

ああ。赦すと言うことは、許すことではなく、その状況について祈ることなんだ。
自分がそれを許したり、相手が、誰かが許すという行為ではなくて、その状況を受け入れて、客観視して、祈ることなんだ。
このかなしい、切ない状況が二度と起きないように、自分自身が理解をして、祈ること。
それが手放すことであり、赦すこと。
そうなんだ、きっと。

私が今自分の人生でする必要があることは、ひとつひとつの経験を振り返ることで、それらの持つ意味を理解すること。
関わってくれた方々の思いを理解すること。
それが赦すことであり、祈ることなのかも知れない。

私の中の 永遠 のことだけれど、
わからないことは、手放すことにした。
明日のことは怖くない。それはたぶん、私というアイデンティティがあるから。
でも、よく考えたら、明日だって、何が起こるかわからない。
私というアイデンティティを失う何かがあるかも知れないし。
永遠、という遠い未来に対する怖さと、明日の未知さへのあやうさは、本当は同じなのではないだろうか。

わからないことは、いつかわかるようになったときに、考えることにした。
もっと他に考えることがあるのだし、不安ばかりを自分であおってもあまり意味がない。

私は無宗教だけれども、心の中の宇宙に、難問はゆだねることにした。
怖さを手放し、赦すことにしたんだ。

2014年9月15日月曜日

かぞくのくに

この映画は、切なかった。
春頃に、この映画のテーマになっている関係の本をよんでいたから、
よけいに心が痛かった。

自由にものごとが言えないということが、人の心をどんなに苦しめ、尊厳をなくしていくか。
住む場所を違えただけで家族さえ立ち入れないものを背負ってしまうなんて。

ものが言えて、個人として考えられることがこんなに幸せなことだなんて。


そして、経験しないとわからないであろう、息子の苦しみを、察しているつもりでわからない父親の言葉が、とても印象的だった。

家族を護る姿にやるせなく、どう考えていけばいいのか言葉が出なくなる映画だった。

命ある限り

インド映画のラブストーリー。
私はちょっと途中眠ってしまいました。

インド映画って、映画の途中で「引き続きお楽しみ下さい」などというテロップが入るのがおもしろい。
途中休憩があるのかしら。確かに長い映画が多いものね……。

2014年9月12日金曜日

昨日のアンビリーバボー

昨日の「感動のアンビリーバボー」は
6歳で病死した女の子が家族に残したたくさんの手紙
という話題。

大好きな家族に彼女は、
家のあちらこちらに手紙を隠して、旅だったのでした。

自分が逝かなくてはいけない時期には開けないような冬物の荷物の中に隠したりして。

病気のことを両親は女の子に言わないで、
残された時間を楽しく過ごせるように、やりたいことをたくさん叶えてあげたんだけれど、
彼女は自分の現実を知っていて、自分が好きだった家族が、自分がいなくなったあとも楽しい時間を過ごせるように考えたんだよね。

番組を観て、
愛っていろんなかたちで表現できるんだなって、教えてもらいました。
とても若い年齢でも、十分出来ることがあって、
彼女は思いきり、自分の愛する人たちに、自分の持っている愛を表現したんだなあって。
なんてステキなことなんだろう。そんなことを思いつくなんて。

人を愛していくって、本当にすてきで、大切なことなんだなあと思いました。

そうだよね、自分なりの表現の仕方でじゅうぶんなんだよね。

リンカーン

観たかった映画のひとつ、リンカーン。

自分の信念を人にどう伝え、理性的に通していくか。そのことを考えた映画でした。
人を納得させるには、一本筋の通った物が必要で、そのための覚悟を決めなくてはできないことなんだな、と。

一年間で10年歳をとったようですね

リンカーンがそういわれるラストに近いシーンで、ああそうだよな、それだけの体の力を使ってやらなかったら出来ない仕事だったんだよな、と思いました。

考えながら言葉を選んでいく、その姿勢は徹底していたなと思います。仕事でも、家族に対しても。
人はひとに対して、近しい人でもそうでない人でも、このぐらい聞き、このぐらい考えながらものを言った方がいいのだろうと思いました。


2014年9月11日木曜日

もうひとりの息子

イスラエルとパレスチナの、2組の家族の物語。

宗教とは、アイデンティティを失うこととは、家族とは
観ているときに、いろんなことが頭をよぎっていった。

事実を知るまでは敵対した2つの国のそれぞれの家族だったのに、ひとつの事実がお互いの現実を他人事ではなくさせていく。
身内になると言うことは、愛を分けると言うことを意味するのか。
身近になることで、身内となり、赤の他人でなく、気にとめる人間となる。
この家族にとってはひとつの事実がそうさせたけれど、人と人が近づき合うには、愛を分ける相手であると言うことを認識することが必要なのかも知れない。

多くの国が戦争を続けている今。

この2つの国のことがとても気になっている。学んで知っていくことで私に行動できることは何だろう。

きっとうまくいく

池袋のツタヤに昨日初めて行き、観たかった映画があることにおどろき、下見のつもりがレンタルすることに。
どうしても観たかった映画2本だけにしようと思っていたけれど、値段が安くなることに負けてまとめ借りをしてしまいました。

一昨日は区内のツタヤで借りてきたばかりだったので、ツタヤのはしごというか、ふたまたというか。
借りた物のジャンルが似たようなので、ブログにはまとめ書きはしないでひとつひとつ感想を書いています。

インド映画の「きっとうまくいく」を観ました。

この映画は、よかったです。

諦めないで生きること、知恵を働かせること、自分の生きる目的をぶらせないこと、友だちを愛すること、すべてが入ったコメディでした。

ものごとが起きたときに、何が大事か考えて行動すると言うことは、なかなかうまくいかないけれど、
やはり、生きるということは、何が正義かとか、そういうことではなく、どれだけその状況に真剣になれるかなのだと言うことを教えてくれました。

2014年9月10日水曜日

ダンサーインザダーク

日常が、自分にとって不利な方に動くとき。
ある友人が自分を裏切り、ある友人は自分を疑い、自分を嫌っていこうとするとき
友人に、裏切られたと感じさせてしまったとき。
それでも、裏切った友人の秘密を守り、意志を通し抜くことができるか。

いしとはなんだろう。
私の意志とは。
いざその時、私は友人よりも自分のいのちを優先するかも知れない。
自分のいのちより大切なもの
それがなんであるかを知らないと。

そんなことを感じながら、ビヨークの歌と表情に魅了され、重たい気持ちに泣いてしまった。

真実の追究より、大切なものを選んだ生き方を教わった。

そして、かくれた悪意の存在も。

デッドマンウオーキング 

うまく感想を書けそうもないけれど、昨日感じたことが薄れてしまいそうだから…。

自分の罪を見つめていくこと、向きあっていくことは、とても難しい。でも向きあわないと、自分の生きてきた意味がわからなくなってしまう。

罪を犯したこと自体が、誰かのせいで済まそうとするのではなく、犯した自分自身のなかで消化させる。
法に触れることもふれないことも含めて、人は罪を犯す。人が人生を終えるまでに、その罪に向きあうことができていくならば、人生の悔いが少しだけ少なくてすむ。
自分もそこに向きあわなければいけないけれど、向きあえなくて苦しむ人に寄り添うことができたならば、その人は変わっていくのかも知れない。

被害を受けた側の気持ちは、どうしたら癒やされるのだろう。

やっぱり感想はまとまらない

2014年9月6日土曜日

思ったこと

外出先で、合わないなあと感じてしまう方とお逢いすることがある。
どこでも、折り合いが合う方と合わない方はいるので、私自身の心の持ちようの話だ。

私は今まで、なぜ合わないのか、原因ばかりを探していた。

そして、相手にいきどおりを感じてしまったり、受け入れられなかったりして、それが悩むもとになっていた。

少し気持ちを変えて、自分からなんとはない話を振ってみた。
やはり苦手だな、と思ったんだけれども、この方のことを私は苦手なんだと自覚したら、それ以上悩まなかった。

そして、その人の反応と似たような雰囲気を、私も誰かに感じさせてしまっているかも知れないと思った。
私がその人に感じる言葉の違和感や、押しの強い感触は、私が誰かに感じさせている感情かも知れないと思った。
私も上から目線で物事を言いやすいし、自分が一番正しいと思ってしまったりするから。
そんな目線で言われてしまうと、すこし嫌な感じがするんだな、と考えている自分がいた。

唐突に話しかけられたときに、意にそぐわないと、むっとしてしまうことがある。
なぜ、今そこをつっこむ、と。
自分があまりその場の空気を読めないのを棚に上げて。

今日は、気がついた。
つっこんできたその方は、私に興味を持ってくれていて、
近づこうとしてくれていると言うこと。
その方のやり方なのだ。

わかると、受け流せることも、わかった。

そういうことだったんだ。。

出先からの帰り道、コンビニで手作りおにぎりを買った。
店頭に一個も並んでいなくて、
「ああ、残念」
と思わず言ったら、店員さんが聞き漏らさずに
「明太子と鮭とツナならすぐできますからどれにしますか」
といってくれた。
わたしは、
「めんたいこ」「めんたいこ」「めんたいこ」
と3回伝えたけれど、店員さんの説明は止まらず、3回目でようやく
「明太子ですね」
と聞き取っていただいた。

できたてのおにぎりをゲットして帰る道、
「やっぱりあわてて伝えないで、店員さんの説明が終わってから言えばよかったんだね」
などと話しながらかえってきた。

確かに、話しているときに人の話は聞けないもの。

焦って伝えなくても、日常はまわるのかも知れない。

2014年9月5日金曜日

今日の金スマ

ダンカンさんの奥様のお話でした。

その人のことを愛し抜くって、強い力だなって、
涙がボロボロ出てしまいました。

なくなられたあとに、愛したひとの心にともしびを残していけるって、ほんとにすてきな生き方だなあって。
こんな生き方を選ぶことのできる、人間になりたいと思いました。

人の気持ちを考えて生きるって、できているつもりでも実はうまくできてなくて、
ある日できていないじぶんにがーんと来るんですが、
きっとそれが自然にできるまで、試みていくことなのでしょう。

自然にできるようになるといいな

いやあ、泣いちゃったな…


ここ数日

ここ数日、パソコンには向かえなかったけれど、元職場の知人と再会できたり、突然なにかの歯車が回り出したような、そんな日々でした。
いつもこの時期には実家からおいしいブドウが送られてくるので、少しおすそ分けをします。
そのブドウがきっかけで、知人とのランチが叶い、年末にかけて少しお仕事をいただくことになりました。
昔知り合った方々と関係を続けていけると言うことは、とてもありがたいことだなと思いました。

私自身も、変にかたちに捕らわれず、少しだけできることをさせていただくと言うことを、すなおに喜んでいます。

いろんな思いを整理してきて、よかったなあと思った日でした。

2014年9月2日火曜日

上野

久方ぶりに雨があがったので、上野に。
東京都美術館で、メトロポリタン美術館のエジプト展がやっていたので、みてまいりました。

ゆっくりまわって、
でも印象に残ったのが スカラペだと言ったら、怒られちゃうかな。
私には美術鑑賞のセンスはないです。

呪術的な感触だったというのが、感想です。

大きな壁画みたいのがみたかったけれど。


東京都美術館、初めて行きました。広くていいところでした。

2014年9月1日月曜日

楽しいときは

あっというま。

まるで4時間が1分のよう。
そして一泊が5分のよう。

そんな方々に巡り会えていることは、恵まれたことだとおもいます。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...