2014年9月16日火曜日

手放すこと、赦すこと

とっさの質問では、答えられなかったことが、あとあとわかることもある。
私の中の恐怖。だいぶ捨てることが出来たと思っていたけれど、1つどうしても捨てきれない物があることを、思い出した。

永遠。

自分のことをいろんな面で知っている今、死に対しては怖さはなくなった。
ひとはいつも成長をし続けるものだとわかったから。
永遠に。

その、永遠が、いつまでなのか。
永遠が、永遠という意味なので、私には理解できなかった。

永遠は本当に永遠なのか。
本当に終わらないのか。

私の頭のなかでは、終わりのないということが理解できない。
だからそれがときどき発作的にたまらなく怖くなる。

けさ、ある本を読んでいたら、こんな言葉に出会った。
「赦すと言うことは、祈ること。自分が許すことではない」

直接関係なさそうな言葉だったのだが。

ああ。赦すと言うことは、許すことではなく、その状況について祈ることなんだ。
自分がそれを許したり、相手が、誰かが許すという行為ではなくて、その状況を受け入れて、客観視して、祈ることなんだ。
このかなしい、切ない状況が二度と起きないように、自分自身が理解をして、祈ること。
それが手放すことであり、赦すこと。
そうなんだ、きっと。

私が今自分の人生でする必要があることは、ひとつひとつの経験を振り返ることで、それらの持つ意味を理解すること。
関わってくれた方々の思いを理解すること。
それが赦すことであり、祈ることなのかも知れない。

私の中の 永遠 のことだけれど、
わからないことは、手放すことにした。
明日のことは怖くない。それはたぶん、私というアイデンティティがあるから。
でも、よく考えたら、明日だって、何が起こるかわからない。
私というアイデンティティを失う何かがあるかも知れないし。
永遠、という遠い未来に対する怖さと、明日の未知さへのあやうさは、本当は同じなのではないだろうか。

わからないことは、いつかわかるようになったときに、考えることにした。
もっと他に考えることがあるのだし、不安ばかりを自分であおってもあまり意味がない。

私は無宗教だけれども、心の中の宇宙に、難問はゆだねることにした。
怖さを手放し、赦すことにしたんだ。

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