2016年7月30日土曜日

父と暮らせば

介助でお世話になっている方の公演が、9月にあります。
「父と暮らせば」。井上ひさし氏戯曲の、映画にもなった作品です。

私は映画を観ているので、その内容が目の前で観られることを楽しみにしています。

先日は、違うお芝居を同じ会場で観させていただきました。

自分の母親を亡くした主人公が、インド旅行の後に自宅をゲストハウスにする話です。登場人物のそれぞれの思いがひしひしと伝わってくる作品でした。
ネパールから日本に来た人、そのネパールで自信を目の当たりにして帰ってきた日本人、主人公とインドで知り合って、家族の思いを抱えながらゲストハウスの仕事を手伝う中国の人、心に子供を亡くしたという悲しみを抱えながらハウスに滞在する人、…一人一人の思いが伝わってきた時、その世界に気持ちが入り込んでいきました。
すべてパントマイムで表現されているということも、魅力でした。

今回は2人芝居。とても楽しみです。
小さな劇場で、場所も地下一階なのですが、介助の方と見に行こうと思っています。


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内木英二プロデュース公演

  父と暮らせば

出演 内木英二 平野綾子

2016年9月8日〜11日  

中野スタジオあくとれ
中野区中野2-11-2 さん中野マンションB1(JR中野駅南口)

前売り3000円、 当日3300円
高校生以下2000円(未就学児はご遠慮ください)

ホームページ http://eiji-naiki.tumblr.com

2016年7月25日月曜日

ねずみと暮らして思ったこと・その後

長い間ブログを書かなかったので、書きたかった後日談も今頃になってしまいました。

http://miwa-littleelephant.blogspot.jp/2015/11/blog-post_13.html

上記、「ねずみと暮らして思ったこと・まとめ」の続きです。

結論から書くと、ねずみはある日を境に出なくなりました。
年明けて、しばらくたった節分の頃だと思います。

それまで我が家は、天井裏は大運動会、台所はぱらぱらと「あるもの」が散らばる、という感じでした。
日によって量も大きさも違い、本当に小さなねずみが出入りしていることがわかりました。

年末に実家に帰った時、両親が心配してもたせてくれた「殺鼠剤」。使い方も教えてもらったのですが、いざどうしてもという時まで待つことにしました。
古い家なので、まず穴らしき穴をふさぐところからと思ったからです。

毎日あるものを拾って殺菌用のウエットティッシュで拭き、どこから入ってくるのかを探りました。
それらしきところはパテを使ったりガムテープを使ったりして、塞いでみました。

もちろん前回書いたように、食べ物は徹底的にタッパーに入れて、そのまま外に置かないようにしていました。それでも台所の調味料など、思いもよらないところでかじられていたりあるものがあったりして、きりがありませんでした。

ある日、ふとおもいました。

この家に使われているキッチンのシンク台、その排水管のことです。

排水管の穴の位置が家の構造と違うシンク台だったということを思い出したのです。

本来排水管が通るはずだった穴はそのまま開きっぱなしで、無理やりこじ開けたような横穴から排水管が入っていたことを。
それを発見した私とその日の介助の方は、開きっぱなしの穴をガムテープでふさぎ、こじ開けたような横穴のまわりもうめたのでした。

もしも、と思いついたのです。
この排水管の通っている壁がもろくなっていて、まわりが少しひび割れていたとしたら。

幸いなことに、シンクの裏は、ほとんどぴったり壁にくっついていて、危ないと思うところは一箇所しかありませんでした。その一箇所が、ビンゴ!だったみたいです。

ガムテープで側面を閉じていただくと、その日からぴたりと被害がやみました。
不思議と天井のねずみも来なくなりました。

一時は業者をよぶことも考えましたが、その必要もなく、薬も使わずに対処できたことに感謝しています。
日々に来てくださる方々とのねずみ談義が、いい思い出になりました。

新しい体験

板橋区に越して3年半。もう少し人間関係を広げたいと思うようになりました。
タイミングよく受講できたのが2つのボランティア講座です。

ひとつは区の保健所主催の「心の健康サポーター養成講座」。
係わるボランティアのこころの健康も考えながら、心のケアに関する活動についての講義・体験を提供する講座でした。

もうひとつは、ボランティアセンター主催の、「傾聴ボランティア養成講座」。
この講座は、特養や高齢者のグループホーム等で活動する「傾聴ボランティア」を養成する講座です。

どちらの講座も施設での体験が含まれているので、座学で終わらず実践的な講座でした。


「心の健康ボランティア養成講座」で印象に残ったのは、区内で活動している施設ユーザーの皆さんの体験談を伺った日でした。

障害がある私は、よく自分の生い立ちを語る機会をいただいたりしていました。私も自分を語る側にいることが多かったのです。
今回初めて、ボランティアをする側に立って話を聞きました。
今まで感じていた自分の視点と、異なった見方をしている自分がいました。
自分も必要だと思ってやってきたこと、話してきたことは、私にとっては当然やるべきことだったわけだけれども、聴いている側にとっては、信頼できる人以外に話すことではないという感覚のようなものかもしれないと思ったのです。
そう思うほど人の語る人生は実感がこもる体験談なので、身も知らない私がここで聞いてしまっていいのだろうかという思いにかられました。
体験談というものは、重いものなのだと感じたのです。

ボランティアとして体験させていただくことも、私にはとても貴重な経験になりました。ボランティアは自主的なもの。今回は講座中なので保健所が調整してくださいましたが、日程確認の電話は自分で行いました。
こんなにドキドキするのだと実感しました。

私の家は、たくさんの方が介助というお仕事で来てくださいますが、こんな風にドキドキしながら、でも、自分の不安な気持ちよりも、訪問先で何ができるのかを考えながら来てくださるんだなあと思いました。
その気持ちには謙虚さがあるように感じました。
人を支援するという気持ちの中には、そのようなものがあるように思ったのです。

私は実際に体が動かないので、その日の介助の方に私のやるべき作業を頼んで、何もできないまま体験の時間を過ごすことになりました。でもその雰囲気を感じることができて、とてもいい経験になりました。



「傾聴ボランティア」の講座は、ピアカウンセラーとしての体験が少し活かせるかと思っていたのですが、甘い考えでした。
積極的に話を聞くためには、話のきっかけからすそ野を広げていかなければならず、それ自体が私には難しいことだったのです。
傾聴に必要な「受容、関心、共感」は、ずっと学んできたことのように思います。なのに、実感が持てたのは、カウンセラー役をしていたロールプレイ時にタイミングよく、講師の方にアドバイスを受けた瞬間でした。
「村山さん、ここで話を拾って質問するのよ」
はっとしました。話を拾うとはこういうことなのかと腑に落ちた時でした。

特養での体験も貴重な初体験でした。この話題はもう少し言葉がまとまったら記そうと思います。


体験というのは本当に貴重なのだと、今回2つの講座体験で思いました。
ボランティアをする側として講座を受けること自体も、私にとっては初めてだったと思います。
私はいつも支援を受ける側だったからです。
講座が終わってこれからどんな体験ができるのか、ドキドキしながら活動を始めます。
私の中で驕った気持ちを排除できるような、気付いていけるような活動をしたいなと、思っています。

2016年7月24日日曜日

ポコラート全国公募展

昨日、友人に誘われて観に行ってきました。

『「ポコラート(POCORART)」とはPlace of“Core+Relation ART”「障がいの有無に関わらず人々が出会い、相互に影響し合う場」であり、その「場」を作っていく行為を示す名称です。』アーツ千代田3331ホームページより抜粋

個性的な作品が会場にあふれんばかりで、ひとつひとつがエネルギッシュでした。
トークイベントを観させていただいたのですが、アーティストは情熱を表現していく人たちなんだなあと、思いました。

作品ひとつひとつに込められた思いは深くて熱く、語りつくせないものがあるんだということを観せてもらったように思います。

作家さんの話は尽きることなく、ただただ聴かせていただきました。

私も芸術がもう少し理解できれよかったな。日頃の勉強不足が露呈しましたね。


ポコラート全国公募展

開催日時:2016年7月16日(土)~8月8日(月)
開場時間:12:00−19:00 ※入場は18:30まで 火曜休場
会場:アーツ千代田 3331 1階 メインギャラリー(東京都千代田区外神田6-11-14)
入場料:一般500円 65歳以上300円 中学生以下無料
※千代田区民は身分証明書のご提示で無料
※障害手帳をお持ちの方とその付き添いの方1名は無料

ソウルサーファー

春爛漫だった4月頃に観た映画です。
知人がDVDを貸してくれました。


腕をサメに襲われた主人公が、サーファーとして立ち上がるまで。ハワイが舞台の実話です 。
サーファーを生業とする家庭に生まれた少女の、ハーストーリーです。

とにかく良かった。ものすごく泣けました。

主人公の真の前向きさというか、嘘のない気持ちに、そして家族の愛に、本当に感動しました。
前向きに生きるということは、悲しみや辛さを味わい、自分の気持ちが変わるまで味わいつくすことなのかな、と、この映画を見て思いました。
家族や友達の、視点は、それぞれ違い、互いを思いやりながらそれぞれの視点から彼女を支えようとしていました。
生きる力を取り戻していく姿はとても力強くて、勇気をもらいました。

いろんな人がくれる視点は、受け取る方も受けとろうとしないとわからなくなってしまうものだと思うし、すごくお互いの信頼を感じました。

経験は新たな視点をくれるのだと思いました。

主人公のスタントを、モデルになった本人がしているので、迫力のあるサーフィンのシーンが見られます。
お借りしている間、何度もなんども観てしまいました。

レンタルショップに見つけられないのがとても残念。もしもいつかお店で見つかったら、ご報告します。

海がとても綺麗です。

「ソウルサーファー」2011年 アメリカ合衆国

ご無沙汰しました。

半年ほど、ここに記さずに時を過ごしました。

文章を書かなくなったのは、小学生の時に書き始めて以来のことです。
なんだか、自分のあらわすことが勝手な思いばかりのように感じてしまって、それではいけないような気がして、そう思っていたら筆がとまりました。

本の感想だけは、ツイッターに書いていたのですが。


この間、自分だけの日記は書いていました。
自分だけが読める日記は、まるで覚書のようで、後で読み返すのはしんどくなるようなものでした。
電子メモで書いていたせいもあるとは思いますが。

書かなくなって、最近、表現力がものすごく落ちてきたように感じています。
言葉を一層使えなくなったというか、しゃべれなくなったというか。
できなくなったことを思うと、もしかしたら、文章というのは私にとって、言葉を意識するための道具なのかもしれません。それに過ぎないものだけれど、書くということは続けていく必要があるものかもしれません。
本当に思い込みかもしれないけれども。

若い時は、この文章で生活したいと思っていたこともあったけれど(若気の至り、傲慢だったのですね)、
実はそんなことを考える以前に、自分には言葉を使いこなしていく訓練が必要だったのかもしれない、そのために日々文章を書いていく必要があったのかもしれない、
ただそのためだけのものだったのかもしれない、
そんなことを、今日思いました。

本当に最近、表現できなくなってしまって(前からかもしれませんが)。

自分だけの日記がその効果を持たないのは、客観性を欠くからかもしれません。
このようなブログは誰の目に止まるかわからないし、あまりにも意味不明なことは書けませんから。

言葉を使いこなす練習のために文章を書く。
こんな意味が、書くという行動にあるなんて、思いもしませんでした。
書いたから表現力が付くかどうかは、なんとも言えませんが。

とはいえ、再開早々こうして自分のことしか書けないので、このようなブログでいいのかどうか。結論は出ません。でもええかっこしいもできないし。
書けるところから、再開しようと思います。
気づきをいただいたことに、感謝いたします。


気がついたら冬も春も梅雨も過ぎて、一年の半分をとうに過ぎました。
長いお休みで、失礼いたしました。

全は一、一は全

先日、知人に尋ねられて、そういうこともあったかなあということがありました。 銀座の歩行者天国のおはなしです。 数年前、ストリートパフォーマンスをそこでみたという話を、知人に私はしたらしく。 覚えていないのです、悲しいことに。 書きたいことは、忘れっぽくなったということで...