2018年1月25日木曜日

料理研究会1 柑橘系ピールコンポート

最近、ある方から言われたことが心に残っています。

「ここは、料理研究会があるから…」
家にあるもので美味しいものを作ってもらうために、日々研究している、とその方はおっしゃるのです。時々物凄いものも出てくるけれど、絶品もある、と。

常識があまりない私は、レシピにこだわりなく作ってもらうことが多いです。
みなさん、根気強く私の意図を聞き取って作ってくださるので、私の理想通りのものもできるし、指示した現実に忠実なものになることもあります。
そこは介助をお願いした私の責任なので、毎回美味しく最後まで食べさせてもらっています(汗)。

最近好評だった柑橘系のデザートのレシピです。


橙とキンカン、ゆずのピールコンポート風

材料
橙 ひとつ
ゆず 小さいものが5つほど
キンカンの水あめ煮 適量
(キンカンは今回はあらかじめ水あめで煮てもらったものが残っていたので使いました。)
白ワイン 100cc弱(安いものです。)
てんさいオリゴ糖シロッブ 適量(50cc強残っていたので、全部使いました)

作ってもらった記録
橙は皮だけをまず切ってもらって、下ゆでしてもらい、茹でたお湯はこぼしました。
ゆずの実とかわ、橙の実を適当な大きさに切ってもらい(皮は細く切ってもらいました。)橙の皮と合わせて、ワインで煮詰めてもらいました。
ワインが少なくなった頃に。水あめごとキンカンを入れて(キンカンはもともと半分に切ってもらってタネを抜いてもらっていましたが、この時に細く切ってもらいました)少し煮詰めました。
最後にてんさいオリゴ糖シロップを入れて、少し煮て終わりです。

クラッカーにのせて食べるととても美味しくて、あっという間になくなってしまったので、来年も作っていただこうと思っています。
その時はまた違ったレシピになるとは思います。今回はたまたま水あめがあったりしたのですが、毎回買うとは限らないので。

身まで全部入れてもらうのは、もったいないからです。できるだけ、買った食材は、全部食べてしまいたいと思っています。

遊び呆けて、介助の方に料理してもらうことを選ばないままに、気づくと野菜等をダメにしてしまう時もあります。
食べないまま、買った野菜を捨ててもらう時はとても残念です。

今回のものは、なかなか好評だったので、楽しい思い出になりました。

聞こうとすること

昨年、高い音が聞こえにくくなったことがあり、耳鼻科に行ってみたりしました。
目覚ましがわりに使っている、携帯の着信音が、聞こえなくなったのです。

耳もいくらか違和感がありました。

クリニックに行くまで、老化現象かなあと勝手に思っていました。

お医者さんの見立ては違っていて、投薬するとのこと。治るということですか、と伺うと、治ります、とのこと。
治るんだ、というのが、なぜか新鮮でした。老化ならば治らないと思っていたし、治るということは原因は別にあるということです。

どうしてなったんでしょう? と質問すると、

最近、眠れなかったりしませんでしたか?

あ、そうか、ストレスか。その時少し思い当たることがありました。

そんなに大きなことではないのに、なんてこと!
 自分の体の反応にびっくり。

いただいた薬は、2週間分。眼圧を下げる薬は、えらく甘くて、飲みにくいものでした。

行きつけの薬局の方が丁寧に説明してくれて、液体の薬以外は体の中にあるものだということ。耳鼻科ではよく処方されるものなのだということでした。
お医者さんには本当に行かないので、知らないことが多いです。

この時期にヒーリングのセッションを受けていたので、違う観点からも、師のサポートのもとに見てみました。(私はヒーリングの師の元では、自分で問題をみつけてその原因を理解するトレーニングを受けます)

すると、聞きたくないというネガティブな思い(ヒーリング用語ではエレメンタルと言います。エレメンタルをいつも生みだしながら人は生きています。ポジティブなものとネガティブなものがあり、一度作られたエレメンタルは二度となくなることはありません)が詰まっていました。

そんなに聞きたくなかったのか、と思いました。

体の他の部分にも、調子の悪いところは出ているのですが、この耳の状態は、私がいかにネガティブな思いを海だと安いかを示していました。

少し前までは、自分は間違っていない、という思いの方が強く、なにか自分の中の正義と反することがあると、反論するのが常でした。そうやって自分の正義感を守っていました。その頃も体の緊張などは強かったことはありましたが、最近は少し違ってきています。

自分の中の正義が壊れ、正しさの価値観が壊れたせいか、人に憤慨する前に、一度自分の中に起きたことを取り込むようになりました。
でも、心の奥ではまだ自分が正しいというところにいたいという面があるので、聞きたくないことに耳を塞いだのだと思います。

セルフヒーリングのせいか、薬のせいか、耳は1カ月足らずでほぼ聞こえるようになりました。


さて。
今朝、また、携帯の目覚ましがよく聞こえていないことを発見しました。
セルフヒーリングをすると、聞きたくなかったという思いがたくさん!!

え、でも聞いたし、ちゃんと見ようとしたし、確かに思い当たることはあるけれど、耳は塞がなかったのに。
どうゆーこと??

近いうちにセッションがあるので、その時に時間があればもう一度理解に努めようと思うけれど、とりあえず原因はわかったつもりでできることはやってみました。

携帯の音が明日の朝も聞こえづらいようなら、またあの不味い薬にお世話になることになります、涙。

聞こうとするということって、本当に私には難しいようです汗。

2018年1月22日月曜日

多目的トイレ

多目的トイレがいろんなところにつくられて、以前よりトイレは行きやすくなりました。
全てのところとはいかなくても、大きな商業施設や公共の施設には大抵あるし、本当に助かるようになりました。

ただ、若く亡くなった私は体の融通も効かなくなり、手摺の高さや位置で使いづらさを感じる場所もあります。
今は介助の方がいないと一人では使えなくなってしまったけれど、介助の方に手伝ってもらってもやりにくいトイレがあったりします。

こういうのって、使い勝手の良し悪しは千差万別だから、誰にどう提案していいか迷っています。
私が使いにくくても、他の人は大丈夫かもしれないし。
私が使いやすくても、他の人が使いやすいとは限らないし。

例えば便座の高さも、規定より高くしてあるところも多いです。たしか、車椅子から便座に乗りうつる時に、ある程度便座が高い方が動きやすかったりすると聞いたことがあります。

私は背が低いから、このような高さ調整がしてあるものは座るのに至難だったりします。

手すりも、片側がなかったり、左右両方が可動式だったり、長さが微妙に短かったり、便座から遠かったり。
私は固定式の手すりがないとうまくつかむことができないので、せっかくトイレを見つけても、使うのを諦めて他を探すこともあります。
使いやすいトイレがあるところは、やはり自然と覚えていたりします。

最近感じるのは、全部多目的トイレに設備を集中しなくても、一般のトイレに設備を分散すればいいのにな、ということ。
場所によっては、赤ちゃんスペースのある男女のトイレもあるけれども。

例えばオストメイトの設備とか、着替えの台とか、オムツ取り替えの設備とか、もっと一般用のところにも増やせないかなあって。

いろんな人が使えるトイレにするには、使う人の人口比のことも考えて、少し設備を分散させるというか、一般用を多様にした方がいいと思うのですが、場所的に作るの難しいのでしょうか。

昔は一般用のトイレの中に車椅子が入れるスヘースを、と考えていました(そういう場所もありますけれども)。いろんな事情があって多目的トイレとして広がったのだと思うから、それはもう言わないけれど、もしかしたらそういう少し広いスペースは本当に人口比的に必要かもしれないって、最近思います。車椅子が入るためだけではなくて、その人の必要な設備を整えるために。

どうなんでしょうね。


2018年1月20日土曜日

お風呂に安全に入る

うちのお風呂は少し変わっていて、
以前にも書いたかもしれませんが、湯船は内側を蹴っぽったらペッコリ凹んでひび割れてしまいました。
なので外してもらいました。

今は、ドアとの段差を幾分解消するために台を置き、その上に幼児用のプールを置いています。
台は、ホームセンターにもあるらしいパーツと(名前忘れてしまいました汗)、柔らかで滑らない素材の板でできています。以前の家の時に、FRANCEBEDさんにお願いして作ってもらいました。

板橋に越してから、知人のご友人に台の脚を直していただいて、今は全体的に安全になりました。(以前は少し不安定でした。)

写真がないから、イメージ難しいですよね。こうやって書くと、文章力のなさがあらわになります。ああ、作家さんのような表現力を持ちたかった。。

そしてその台の上に、幼児用の、直径60cmの、ビニールプールを置いているのです。
今のプールは蛍光オレンジ。やけに鮮やかです。

私がその中に入ると、へそ浴になります。
半身浴にまでいかないのが、少し残念。

障害を持った友人にさえ、このスタイルはウケました。
本人はいたって真面目に毎日入っています。

確かに、一見寒そうだし、変ですが、意外と利点がありまして。

まず、お湯がすぐ溜まること。そして少ないお湯でまかなえること。

おへそまで入るので、シャワーをかければ全身が温まること。

溺れる心配がないこと。

出入りが楽なので、体力がいらないこと。

お掃除が比較的楽で、管理が簡単なこと。

プールは柔らかいので、たらいなどよりも使い勝手がよく、ひびが入ったり壊れても体に被害は比較的なくて済みます。
半年くらいで交換になる消耗品ですが、安全に入るという利点には、今のところ他のものは勝てません。

ちなみに、小型犬用のペットプールでも試してみました。夏は比較的長持ちしましたが、冬はお湯の温度が熱めになるせいか、すぐヘタレました。

出入りが楽だと介助者さんも楽だと思うし(勝手な思いですが)、介助者さんが楽だと、私も気持ちが楽です。

欲を言えば、高さが25cmは欲しいですね、そもそも幼児用なので、無理な話ですが。
というか、きっとお湯仕様ではないですよね、子供用のビニールプールって。

なんだかんだと言いながら、また違うアイデア模索中ですが、とりあえず、お風呂に入れるって、幸せなことです。

2018年1月14日日曜日

聲の形

「聲の形」と言う映画を、ようやくレンタルして来ました。
一昨年だったでしょうか、板橋イオンシネマのロビーに、公開の半年前ぐらいからチラシがずっと置いてあって、「観たい」と思っていながら観はぐれたアニメ映画です。

軽い気持ちで観始めました。夜遅かったので、一時間ぐらい観たら一旦止めて眠ろう、そして翌日続きを見よう、と思いながら。
でも、止められなくなって、一気に観てしまいました。

色々と考えさせられたのは、耳の聞こえない女の子が出演するせいなのか、どうなのか。
私自身を取り巻くことと、似ていたところがあったせいなのか。

ヒーリングスクールの中で、「もっとまわりに配慮できる人になりなさい」とアドバイスを受け続けた自分を、重ね合わせながら観ていました。

一人の人間の影響力は時にとても大きく、双方が受け入れる関係を作っていかないと、どちらかが気遣う側になってしまうこと、
実は対等な関係は長い間かけてお互いが学ばないと作ることが難しいと言うこと、
自分が何もできないと思うことが、どれだけまわりに影響を与えてしまうのかと言うこと、
どんな人でも必要ではない人はいなくて、腹がたっても、自分も相手に迷惑をかけ続けている人間の一人であると忘れずに、おごらず生きる姿勢が大事だと言うこと、

映画に出てくる登場人物の台詞を聞きながら、そんなことをひたすら考えていました。

忘れられない映画の一つになりそうです。

2018年1月7日日曜日

お正月の残り物と七草

今日は七草粥の日。八百屋さんで、一人前の可愛い七草セットがあったので、買いました。
でも、スープが残っていたので、その中に小さく刻んで入れてもらうことにしました。

このスープ、お正月の残り物だったかまぼこ、なると、焼き豚で作っていただいたもの。
白菜と玉ねぎ、おしゃぶり昆布を入れ、少しだけお塩を足して、さっぱりと最初は作っていただきました。

翌日、そのスープにひとかけらだけカレールーを入れてもらいました。
なんとなくカレー味が恋しくなったのでした。

そのスープに今日は七草を小さく刻んで入れてもらいました。
少しお水を足して、いりこだしを多めに入れてもらって。

結構美味しかったんです。冷やご飯を入れて雑炊みたいにしてもらっていただきました。

そうだ、残っていた焼き餃子も2個、刻んで入れてもらっちゃった。

どんな味になったか、想像できますでしょうか。
これが結構美味しかったんです。

ご飯が増えて、食べ切らなかったので、グラタン用の器に入れて冷蔵庫に入れてもらいました。

明日の朝ごはんは、この残り物にチーズをかけて、トースターで焼いてもらいます。

とにかく、何も無駄にならないで良かったです。
小さいすずしろは、可愛かったです。

2018年1月3日水曜日

今年の生き方

今年、自分がどう生きるか、昨年、考えてみました。

人との関係を大事にしようと思います。

昨年末に、ああ、できていなかったなあ、と思うことがあり、
もう少し大事にして生きてみようと思ったのです。

昨年はわたしにとって、実戦の年でした。
知識を使ってみる、もっと深めてみる、考えをつなげてみる。
うまくはできなかったけれど、それなりに心は落ち着いて、地に足がついたような気がしました。

今年は応用編のような認識です。
昨年から、ではやってみな、と、自分の人生に言われているような感触です。

人生を自分のものにするのは、本当に難しいことだと、つい最近は思います。
街に出れば欲しいものはどんどん目に入り、移っていくし、食べたいものもきりがないし。
魅力的なものがたくさんあって、本当に欲しいものがなんなのか、わからなくなるぐらい欲望が出てきます。
ものが溢れる中で生活するということはそういうことなのかと思います。

これで体が自由に動いて、いろんな制限が外れたら、わたしは何をするか相変わらずわからないな、と時々思います。
今は自分の限界も知っているし、制限も知っているし、どう生きるか指針があるから脱線せずに生きているけれど、
この記憶や、体の障害がない世界に行ったとしたら、まだまだ危ういです。

でも、昨年わかったことがもう一つ。努力は無駄ではなかったということです。
たくさんの失敗は、無駄ではなかった、ちゃんと糧になって、わたしの中に残ってくれた、そんな実感です。
もし、自分の欲望や利益をかなえるためだけに邁進していたら、このような気持ちにはなれなかったでしょう。
それが今まで、たくさんの過去においてのわたしの生き方でした。

欲望や自分の利益に焦点を当てないで、生きること。
自分については心の成長だけを望むということ。
そして毎日自分のできることを探し、ベストを尽くすこと。
これが、心が満たされる、生きるコツなのかも知れません。

いつもこんな気持ちだったらいいのだけれども。

とにかく、
今年は、人との関係を大切にする、これがわたしの目標というか、豊富です。

距離感も含めて。大切な人たちを、より大切にできるような一年にしたいと思います。

2018年1月1日月曜日

よい年でありますように

あけましておめでとうございます。

皆様にとって本年が、心に平和の火を灯せるような、あたたかな一年でありますように。

花田春兆ーーその人と企画展

花田春兆氏の企画展を教えてもらい、行ってきました。 花田春兆ーその人と企画展 場所は板橋の淑徳短期大学。今月17日から明日までの企画展です。 数作著書を読み、生前にはそのほかにも接点をいただいていた春兆先生。 今日は主催された方からお話を伺う時間をいただい...