2020年2月24日月曜日

自分の撒いた、たねから刈っていく

一月に、気になっていたもうひとつのことは、イランとアメリカのことです。
(前々回の森林火災のことという記事の、なんとなく続きです。)

アメリカ合衆国がイランのソレイマニ司令官を殺害したというニュースは、なぜそれが起こったのかとても不安になり、気になったことでした。
その後旅客機が追撃されてしまい、二つの国がどうなっていくのか、連日考えるようになりました。

ヒーリングサロンでそのことに意識を集中した時に、自分の過去のことで分かったことは、
(ここからは話が飛びます。)

古い時代、私の過去生でマケドニアの兵士だった時があること。そこで戦争に行くことになったのですが、なんらかのことで家族(妻と娘?)が殺されていて、このときは深い恨みと怒りを持ったまま生涯を終わっています。
(私の中に浮かんできたイメージの世界なので、こういう話に抵抗がある方にはごめんなさい。)

歴史が超苦手な私は、マケドニアという、昔の時代の国名が思い浮かばずに、今の国の名前であるギリシャという言葉しか思い浮かびませんでした。
自分の持っている知識でしか理解できないということは、こういう事態なんだと思いました。

上官の命令ではありましたが、その時代にマケドニアの兵士だった私は、ペルシャ帝国に攻め入る一人となり、多くの人を殺めました。そこをこの回は癒していくことになったのです。

ちなみに、その後の時代のイランでも人生を送っていたようです。そのときはエセ商人になり、市民を騙しながら暮らしていました。
(私の遺してきたものは本当に重いです。知れば知るほど、どうしたらいいか一瞬は今でも怯みます)

今回も感じましたが、何か社会的な事件や出来事が気になった時、やはり自分の過去の行いを振り返る必要があるのだと思い知りました。

今生だけが自分の人生で、肉体が無くなったらそれで終わりと考えているうちは、まだ何も知らないということなので、過去生なんて信じなくても、ましてやどんな生き方をしていたかなどと知らなくてもいいことなのでしょう。
知らなくても許されているというか、思い出さないことは恩恵と教えていただきましたが、本当にそうなんだと思います。

物事は、あるものはいつもそこにあって、真実はいつも真実であるのだと思います。
ただものの見方は人それぞれ違いますから、一人一人真実と言うものの捉え方に差があるのも確かなんだと思います。

私の経験でいえば、過去生の体験を本当に大きな勘違いをして記憶していたということがあります。

その話はまたの機会に書くことにして、あまりごちゃごちゃ書くといっそうわかりにくくなるので、本筋に戻ります。
私が、世界や日本で起こる出来事で気になることがあるときは、やはり自分の過去の人生で遺してきたものについて修正する、機会が与えられたのでと思った方がいいようです。

ネガティブな思いもポジティブな思いも、人は生きている限り、記録としてエレメンタル(想念のようなもの)を残しながら生きているそうです。
一度作ったエレメンタルは無くなることはなく、同じ波長を持つ人に影響を与える存在としてあり続けるといいます。
そのときそのとき思った想念を作った者として、いつも世界に対してなんらかの責任はあるのだと思います。

私は多くの悪いものを撒いてきてしまったと知っているので、それをみないフリはもうできないのです。
それでもそのことを棚に上げていい人でいようとしてしまいます。
やり方もわからないのに、何かいいことをしてあげたいとすぐに思ってしまうのです。
そういう偽善的な考え方が、何度とない人生で自分の身を汚してきたというのに、人間というものはなかなか変われないものなんだなあと思います。

霊的真理の勉強の世界に入ったことは、私のそういう弱いところの大手術のためかも知れないと、こういう振り返りの機会が与えられるたびに思うのです。

少し大げさな話になってしまいました。

2020年2月23日日曜日

CATS 映画版(字幕版)観ました ネタバレです

CAT'Sというミュージカルには以前からとても興味があって、一度ミュージカルを観たいなあと思っていたのですが、なかなかあと一歩が踏み出せないままでした。今回映画化ということで、一度見てみたいと思うようになり、先日観てきました。

ネタバレというか、内容に触れています。これから観る方は読んでしまうとつまらなくなるかも知れません。

映画版は評判があまり良くなくて、それがなぜなのかも少し知りたかったということもありました。
また、ミュージカル見に行かなくても映画で見られるのはラッキー、という気持ちも実はありました。

そしてどうだったかですが、

観始めてしばらく経つまで、ストーリーがないということに気がつかなくて、少し退屈でした。
前情報を全く調べないで行ったので、少しは調べておいた方が良かったな、とさえ思いました。

ストーリーがないんだと理解した後は、状態を楽しめばいいのだと思い、歌やダンスを楽しみました。

舞台をみたらきっとまたは思いますが、猫たちそれぞれの動きはとても楽しかったし、それなりに楽しかったです。映画ならではの演出も(それがあまり評判良くなかったと思いますが)個性的な表現でそれなりに面白く思いました。

そして、「メモリー」に号泣!!

もう自分でもこんなに泣けるんだと思ったぐらい、込み上げてしまって、
なんとも言えないその猫の悲しみが伝わってきてしまって、本当に歌の間、嗚咽が止まらなくなってしまいました。声はある程度殺したつもりだったのですが…。
(あとで、近くの席にいた介助の方にも聞こえるぐらいだったと伺って、申し訳なかったと思いました汗。その方は「号泣できるぐらい映画にのめり込めるなんていいね!」と言ってくださいましたが。)

ジェニファー・ハドソン、良かったです。胸を打ちました。
もしかしたら役を超えた悲しみだったのかも知れない、と感じるぐらいでした。

後から調べて、今回の映画は、映画版「レ・ミゼラブル」を監督されたトムフーバーだったんだなあと。
レミゼ は本当に大好きな映画だけれども、CATSはストーリー性が薄い分、舞台全体の様子がみえた方がよかったのではないかとは思いました。

あと、このお話の原作になった詩を読んでみたくなりました。
詩の世界だったのですね。本当に何も知らないまま観に行ってしまった。
詩の世界ならばその世界はとても納得です。

私は勝手に、
「この猫ちゃんたち、もしかしてもうこの世の猫ちゃんではないってこと?」
「一匹だけ転生ってこと?」
など独自に解釈していましたが、少し解釈が違ったみたいです。
なのであまり参考にはなりません。すみません。

でも、ジェニファー・ハドソンの歌は、必見です。
ああもうなんであんなに胸を打ったんでしょう。
いい経験でした。

日本語版、どうしよう。観たいような、もう少し考えたいです。

アニメの「SING」は、字幕版も吹き替え版も、大好きなのですが、今回の映画はどう感じるのでしょう。





2020年2月21日金曜日

森林火災のこと。

今年1月にとても気になっていたことは、ふたつありました。そのひとつは、オーストラリアの森林火災です。

オーストラリアで、昨年8月ごろから最近まで森林が燃え続けていました。
火災の原因は様々なことが考えられているようです。
この火災で焼死した動物は一億匹以上と言われています。コアラのかわいそうな映像は日本のニュースでも流れていましたが、なくなった動物たちは多種にわたっているようで、よく頭に入れられないまま書いていて申し訳ないのですが(資料を参考にして書くのが本当に苦手です。つくづくライターは向いていないようです)、絶滅の危機に追い込まれた種もあるようです。。
豪雨によって大部分の火は収まったと伺っています。。
(参考にしたサイト https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51171501

なぜこんなにも長い期間、火災が消えないのか、なぜこんなにも被害が大きくなっているのか、先月はそれが気になって頭から離れませんでした。

そんな時にヒーリングサロン medichnewheel を訪れる日になり、その時間を使って、気になることに取り組んでみました。

ここからは、私の過去生のことになり、スピリチュアル的な色が濃くなります。
お好きな方だけ読んでくださいね。

また、私は歴史が超弱いです。ものすごく勉強不足です。
なので、歴史の解説はここでは書きません。
私のその日見た(感じた)体験に留めます。
お目汚しになる文章かも知れません。申し訳ないです。

遠い昔、オーストラリアがイギリスの支配下だった頃、私の過去生の一つにイギリス人だった時があるようでした。オーストラリアで、囚人を管理することをしていました。
その時の行いを振り返り書き直していく時間になりました。

私は自分の立場を利用して、悪事を働いていたようです。その事実を認識し、被害にあった方々に謝罪をし、本来はどのような世界だったら良かったのか、良いイメージを膨らませます。
過去生の私(このときは男性)に改心を求めましたが、聞き入れてくれませんでした。

これ以上書くのは控えますが、私の数多くの過去生は、私自身も受け入れがたいものばかりです。
多くを人に加害しています。
ひとつひとつの過去生を知り、向き合っていくことは、正直しんどいことでした。
時には感じないようにし、何もなかったように振る舞いたくなることもありました。

でも、あったこと、あること、知ったことをみないようにすることで、物事は何も解決しないということを、この10年あまりの時間の中で知ることができました。

私がたとえ、なかったことにしても、起こった事実はそこにあり、被害に遭われた方は、今も何かしらの影響を受け、苦しまれているのかも知れません。

もちろん今生の私は、法に触れることは何もしてないし、感情が暴走したとしてもせいぜい怒鳴るぐらいで、犯罪には結びつかないであろうからだを持ち、生活する日々です。

そして、過去生なんてない、魂が永遠なんて嘘、いくつもの人生を生きてきたなんて、信じない、という人生を生きるということはできるのかも知れません。

でも、今の私は、
いろんなことを知っています。
知らないふりなどできません。

特に、自分の過去生の行いについては、できる限り今向き合っておきたいという気持ちもあります。
なぜなら、せっかく自分から思い出したことだからです。

人は、肉体の死を迎えた後、次の人生に生まれる時、ほとんどの場合記憶をリセットして生まれてくるようです。
よほど心の成長を果たし、過去の記憶を留めて置けるほどの心を持てれば別ですが、
残念ながら私はまたまだ幼稚園児のような成長度合いのようなので、今、知識があるうちに、自分の中の真実と向き合っておきたいのです。
そして一つでも多くのことを考え、感じておきたいという思いが消えません。

話が横道にそれましたが、ヒーリングの手法を使って過去生と向き合う時間を、今回も過ごすことになりました。
やはり自分の問題がそこに残り、ネガティブな作用の一部になっていたことを知りました。

人は誰も、世界と無関係ではないし、人類の過去とも無関係ではない、残したものがいいものかも知れないし、悪いものかも知れない、なんらかの記憶をその場所に残して、生まれ変わっていくということを、今回も知ることになりました。
オーストラリアのために、少しでもエネルギーを送らせていただけるなら、などと、こころのどこかで思っていた私は、本当に傲慢でしかなかったと、思います。



2020年2月19日水曜日

誰かと一緒に過ごす日々

私が自立生活(福祉制度を受けて一人暮らしをする生活)を始めて、27年が経とうとしています。
20代後半だった年齢もとてもいい歳となり、身体的にも少しずつ変化しているようです。でも今のところ、小さな世界ですが充実した日々を過ごしています。

私の日々の生活は、「重度訪問介護」という枠の中で介助派遣を受けています。
重度訪問介護とは、障害者総合福祉法の障がい福祉サービスの中に含まれる、介護給付の一つで、「体が不自由で常に介護を必要とする人の居宅や入院先で、身体介護や家事援助などを提供」するという形をとるものです。

最近、少し自分の生活を振り返る機会を持ち、改めてたくさんの人が私の生活に関わってくれたことを思い出しました。
今のように法律が整備する前、ホームヘルパーの時間数が今ほど認めてもらえない時代から、私は多くの方に生活に関わっていただきながら暮らせてきたのです。

先日、ある方とのやり取りで、介助に対する考え方や、あり方を自分なりに説明する機会があり、その時に気がついたことがありました。

「私は、介助を受けている時も自分の人生に責任を保とうとしている」
当たり前のことですよね。あえて書くことでもないことです。
そう思ってきました。

でも、このことはどういう認識なのか、もしかしたら体験から感じてきたことを書いた方がいいかも知れないと、ここ数日で思ったのです。
わかりやすく書けるかどうか、分からないのですが、私の価値観というか、考え方をまとめてみた方がいいのかなと思いました。

少しの違和感は、以前も感じたことがあります。
介護福祉士の問題集を解いていた方が、ふと質問してきたときです。

「この問題、何番だと思います?」

それは、ある方の支援のあり方だったと思います。
詳しいシュチュエーションは忘れてしまってここに書けませんが、
その例題にはその障害ある本人の判断というものが選択肢になかったことだけを覚えています。
周りの人が「支援」を考えている、本人が悩んでいない…。そんな感じがしたのです。

私の中の介助を受けての自立生活とは、楽しみを見つけたり、生きがい、やりがいを見つけてそれをやり続けるということの以前に、日々の生活を成り立たせるということがあります。
生活とは、身の回りのこと、つまり、着替え、歯磨き、洗顔、入浴、トイレ等からだを清潔にして保つことと、家事全般です。
食事を取ることは、調理をしてもらうのか、外でとるのかということを決めることを含みます。
その全般を私と一緒に、動いてくださるのが介助の方です。

私は身体障がいがあるので、自分で何をしたいか考えられても、実際には自分の体を使ってはできません。
なので多くの時間を介助の方と過ごし、家事全般と生活に必要な身の支度を整えてもらいます。

その上で私の社会生活が成り立ちます。

おかげさまで、多くの方がきてくださり、家の中はとても清潔に整っています。
今住んでいる家は古い家なので、ありの問題やネズミの問題、水道漏れの問題などいろいろおきましたが、その他に私には考える時間があり、悩む時間がありました。

私の身に起きる問題は、私自身が向き合う、そのスタンスを貫くことができています。

これは、介助派遣をしてくださる自立生活センターが障害者の自立支援という理念をきちんと持っているということ、介助者としてきてくださる方々が、私の生き方を理解しようとしてくださっていたことが、大きかったのだと、本当に思います。

誰かと一緒に暮らしている自分。誰かというのは血の繋がった身内ではありません。
誰かがいつも私に一緒に過ごす時間をくれたから、そして生きる責任というものを私自身に感じさせてくれた、というか、そういうことが考えられるのだと信じてくれたから、今もこうして私のままで生活しているのだと思います。

どんな書き方になるのかわからないのですが、このことを少しずつ書き留めてみようと思いました。
日々の出来事よりも、その出来事をどう思い、どう対処したかをかけたらいいとは思うのですが…。
それほど書くことがあるのか、今は不明なのですけれど。



2020年2月17日月曜日

心のメンテナンス

先日、月一回のペースでお世話になっているヒーリングサロン medicinewheelで、個人セッションを受けてまいりました。

今回は、行く前から、「自分の心をどうにかしないと」という気持ちがありました。

ある出来事をきっかけにして、心が大きく揺れていたのです。

ここ一年ぐらいは、体を痛めたり波はありましたが、それほど大きく心が揺らいだことはなかったように思います。いつもその日できることを粛々とやって、気持ちはネガティブになる日があっても、前を向いてきたと思います。

ここ何日かはそれができず、不安に苛まれてしまったのです。

そこに向き合う時間となりました。

整理できたことは、次のことでした。

●物事はなんであっても現状維持とはいかないし、有限であるということ。
私は今、生活全般に不満はなく、自分のやりたいことをできている状態だと思います。ただ、その状態が崩れることを極端に恐れ、怖がっている気がしています。
物事はいつも形を変えていくし、予期しないことは起こるし、それを避けることはできないということを、頭のどこかではわかっているのに、受け入れていない気がしました。
自分の生活の根幹の部分でさえ、その環境が形を変えていくことがあるということを、フラットに捉えていった方がいいんだと今更ながら気づきました。
変わっていくのは当然のこと、怖がるのではなく、変化を体験していくのだと思いました。

●自分に、いい意味でのプライドを持つということ。
私が生きてきたことに誇りを持って生きること。私は正直に言うならば、自分の過去生に圧倒されていたように思います。何か、今の自分とつながってしまって、自分の存在さえ信用できなくなっていたように思います。
「プライドは大事」とアドバイスをいただいた時、いい意味のプライドを大事にするとはどういうことだろうと、考え始めました。

●その場に置かれた当事者として、権利を守るということ
人としてその人生を生きる時、自分の生きる権利を守ることは大事なことだということを、改めて言っていただきました。
ただ、どのようにしたらいいのか、まだ迷っています。
考えるヒントとして、
・ 第二次世界大戦中のドイツのように、ユダヤ人に対して国家が迫害を決めた時、そこに住むユダヤ人ならばどうするか。
・ では他国の人、例えばアメリカ人だったらそのことをどう感じるか。
・ 私が抱えている問題、障がいがある立場の問題もそのことにすこし似ているのではないか。

ではどのように考え、行動していくのか、考えていく必要があります。

●自分一人の視点から物事を考えるのではなく、自分と似たような経験をしている100人
 の人たちのことを思い、自分に何ができるか考えること。
自分一人の問題として考えるのではなく、自分と同じような障がい(同レベルの体の動き等)のある人たちに焦点を当てて、その人たちに何ができるのかを、自分の体を通して得た経験から考えていく。
自分より障がいの軽い人の辛さや気持ち、重い人の辛さや気持ちは、実際には体験していないから推測しかできない(障がいあればみんな同じ辛さや気持ちを感じるるわけではないから)けれど、自分と似たような人たちのことならば自分を通して体験しているから体験談を話すことができる。(同じように感じることはないということも含めて)

●愛のない言葉には恐怖を感じるだけだということ
今回私が一番ダメージを受けていたのこの部分でした。ある人のある文章の一部分の言葉が、心に刺さってしまったのでした。
結局その言葉は、自分が大変になるからみんなどうにかしてくれ、という、自分の恐怖に焦点を置いただけの言葉だったようです。
そのことは私も理解していたのですが、読んだ途端ものすごく自分が何もしてこなかったような気持ちになり、はやる気持ちが抑えられなくなり、未来への不安が生まれました。
どうにもできなくなった時、少し、不安と悲しい気持ちを、泣くことで解消しました。
感情を表に出したときに、浮かんできた疑問は、「私の今までの行いは間違っていたのだろうか」というものでした。
ここ十年強、私は私なりに自分と向き合う人生を送ってきました。拙いながらも、そこでは自分なりの努力は惜しまなかったつもりでした。
なので、精一杯だった、という結論になり、そう思えたとき、いくぶん気持ちが和らいだのでした。
この経験を考えていたときに、「愛のない行為は恐怖だけ」と教えていただきました。
「愛があれば、その言葉からは恐怖なんて感じないで、この人と一緒に何かやりたいという気持ちになるはず」
この会話の時、私もこうして数年前まで周りに恐怖をばら撒いていたんだな、と自覚しました。以前の自分のような人が、自分のやってきたことを見せてくれたのだと思いました、こういう出来事のことを、自分を試されるという意味で「お試し」と呼んでいるのですが、今回はこのお試しに、振り回されてしまった自分がいたようでした。
後戻りのないように、日々奢らず生活していこうとつよく感じました。

話しながら涙が止まらず、顔がグショグショになりました。

後半の瞑想を体験しながら、ああやっぱり、経験したことや感じたことは書いてみよう、とふと思えました。
私の日々の経験はプライスレスで、この経験を言葉に残した方がいいと、やっと思えたのです。
文章は書くほどに表現できず難しく、自分のことばかり書くようで抵抗感を持つようになってしまったのですが、経験談や感じたことだけを背伸びしないで書くことは大事なことかもしれないとふと思ったのです。

変わっていく身の回りのことを残すことは、一緒に過ごしてくれた方々への感謝の言葉になるのかも知れない、
私が受けた福祉制度や社会の仕組みからの恩恵と、課題の記録になるのかもしれない、
ある日は問題提起になるのかも知れない、
傲慢のようでもありますが、書くことに対しての意義をそのように感じ、ようやく書いてみようと思えたのでした。
いつまでこの気持ちが続くか自分でも不明ですが、努力していこうと思います。

2時間半のひとときの時間で、こんなに気持ちが変わることも発見でした。
いい時間を過ごさせていただいたことに感謝いたします。


2020年1月4日土曜日

2020年の生き方

あけましておめでとうございます

皆様にとって本年が素晴らしい年でありますように、心からお祈り申し上げます。


今年は、昨年出会った某ボランティア活動が軌道に乗るように努力したいと思います。

そして、少しでもましな人間になれるよう、視野を広めていこうと思います。

口から出ていくものが愛情あるものであるように、日々精進いたします。

関わってくださる方々に感謝の気持ちを忘れず、小さなことから整えることに意識を注ぎたいと思います。

このブログもできる限り書けるといいなと思っております。

2019年12月31日火曜日

今年の振り返りと課題

今年を漢字に例えると何か、と友人から質問されて、思い浮かんだのが「生」。
生きることと死ぬことを、よく考えた一年でした。

といっても深刻なことがあったわけではなく、振り返ったときにそう感じただけなのですが。

年のせいなのか更年期の末期症状なのか、なにかと不調を感じることが多く、あまりにも体が動かないときは頭のCTをとったりして……幸いなことになんにも写りませんでした。

でも改めてアテトーゼ型の脳性麻痺というのは、いつもからだが小刻みに震えているものなんだということを理解しました。
CTの技師の方々、大変そうでした。
これではMRIなんてほんとうにとれないなあと改めて実感しました。

そういえば、そんなに強く打っていないのにおなかの筋肉を痛めて、日々の生活が困難になり、一週間ほど寝転がり生活もしました。
私にはジェネリックの痛み止めは効かない、ということもわかりました。
そして、痛みというものは、本人しかその辛さはわからないものなんだと改めて自覚しました。痛みを侮ってはいけないと思いました。

自分でやりたいことを自覚してそれをやってみると、小さなことでも気持ちいい状態が続くことも感じました。やりたくないことを義務感でやってもなにも感じることはないんだなって思いました。後味が悪くなるだけで。
自覚するのがとても難しいのですが。

新しいボランティアの世界にも飛び込んで、10年ぶりに肩書きを持ちました。
お仕事につながることがあったら、ここにもご報告しようと思います。

なんだかそれなりにいろいろあったのだけれど、ブログに書こうと思わなかったのが、今年の変化でした。

私にとってブログに書くとはどんな意味があるのだろう、ほんとうは何かを誰かに伝えたいという気持ちはないのかも知れない、そんなことをや思っていたら、数ヶ月も筆が進みませんでした。

今まで書きたかったことというのは、独りよがりなことだったのかも知れません。
こんなにやっているよー、という自己アピールに過ぎなかったように思います。

このブログはヒーリングサイトのブログも兼ねているし、しっかり内容を考えないと行けないのに、すごく中途半端。
来年はもう少し、何を書きたいかということを考えようと思います。
書きたくなければスッパリ閉じるのもいいかもしれません。

来年のテーマでぱっと浮かんだ字は「仲」。
いろんな形で関係性を深めることを忘れずにいたいです。

そして個人的な課題は、直感を使うことと、拒絶しないこと。
様々な価値観に出会うたびにびびっている自分からの卒業です。

後数時間で新年。
今年も読んでくださりありがとうございました。

よいお年をお迎えください。
みなさまのもとにいいことが雪崩のごとく起きますように(うけうり言葉)

2019年8月20日火曜日

感謝を込めて

おかげさまで、昨日は何十回目の誕生日でした。

友人、知人、家族とメール・お会いして、お祝いしていただきました。

覚えていてくださり、それぞれのかたちでやりとりしていただけたことに、感謝しています。

日々生きていると、何のために生きているんだっけ、なんて、寝ぼけてしまうことが多々あります。

頭の中の世界はいつも壮大で、どれが自分の経験で考えているのか、どれが先入観や偏見なのか、私欲で考えているのか心の底から湧き上がるものなのかもわからなくなってしまうのです。

自分の分別をどこにつけてどの方向に向かっていきたいのか。
いつも確かめていないと、ふらふら何かについて行ってしまいたい衝動に駆られます。

どんな一年間にしたいの、と聞いてくれた友人に、

理解力を身につけて、役に立つ人間になることを目指したい

と答えました。

その友人は、そのまま受け取ってくれました。 

私がここにいることを、うけいれてくださる方々の心を感じながら、
進んでいこうと思います。


2019年8月4日日曜日

熱中症対策

ものすごい暑さ。毎年参りますね。
眠った時の熱中症も、毎年話題になったりしています。

50代中盤に入る私の体は、暑いからといって冷たい水を受け付けてくれることもなく、薄着になると冷えも入って、調整がとても難しくなりました。
氷枕も冷えすぎて使えず、寝る時につけていた冷房のタイマーも、冷房がついている間は少し足の芯が冷えて眼が覚めるし、タイマーが切れると暑くて目が覚めます。
そしてものすごく汗をかいて、朝方少し頭痛気味。
さあどうするか。

考えた末、寝る時はエアコンは送風にして(ギリギリまで冷房つけていますが)、扇風機をあさっての方向につけっぱなしにして、部屋全体になんとなく風の流れを作ることにしました。
お茶を多めにつくっておいてもらい、目が覚めたら飲むように。
枕元には常温のアイスノンを常備。
そして、市販の塩分プラスのタブレットを、朝起きた時に食べてみることにしました。
ちなみにタブレットには、いくつかの成分も入っています。お手頃なやつです。

ときどき水だけを用意してもらって過ごしてみることもありますが、どうも水だけではいろんなものが足らないみたいです。更年期をすぎて、どんどん体外にいろんなものが出ていってしまっているような感覚です。
特にビタミンB群が足らない感じです。(根拠はありません。が摂取すると調子いいみたいです。)

つくってもらうスープは生姜入りが多くなりました。お腹があったまると過ごしやすいみたいです。

数年前までは、アイスノンとお水と2時間タイマー、またはつけっぱなしのゆるい冷房で過ごすことができました。あの頃が懐かしい。。半袖のパジャマも考えなく着れたし、素足で気持ちよく眠れて、それはそれで楽しかったです。

今は今で長袖のTシャツを着せてもらいながら、複雑な体の状況を介助の方に理解してもらえることがありがたく、感じています。
50代おそるべし、まるで新しい体の感覚をいただいたような感覚です。世の人たちはもっと苦労されているのかもしれませんね。


2019年7月29日月曜日

街の歩き方

板橋に越してきて、最初に気をつけるようになったのは、街の歩き方でした。
国道沿いなど大きな道は別ですが、生活に必要な道の多くが道幅が狭く、歩道も白線で区切られて色で分けられているところが多かったのです。
住処に選んだところが商店街の活発な地域だったからかもしれませんが、それまで住んでいた区とは少し町のつくりが違うように感じました。
私の住んでいる近くの道は、一方通行の道路ですが、当然のこととはいえ一方通行は自動車だけの話。自転車や歩行者は自由です。
商店街は、1日のうちの数時間だけ車両規制があるところが多く、午前のうちは様々な形で人や車が行き交います。
自ずと私は車椅子の運転を気をつけるようになりました。
以前暮らしていた街では、電動車椅子で歩いているとよけてもらえていたような気がしていました。なんとなく道ゆく人との間が遠く、すれ違うときもそんなに気にしないで歩いていました。ぶつかりそうになることはほとんどなく、たまにそういうことがあるぐらいでした。

板橋ではあまりよけられることもなく、だからと言って、ぶつかりそうになればお互いに「すみません」「失礼しました」と一声掛け合うことが多くなり、生活の中で自然に「こちらがよけるというもの」という感覚がも身につきました。よけられる方がよける、気がいた方が気をつける、この感覚がようやく私も身につきました。おかげて車椅子の運転技術が上がったのではないかと自負しています。

最近は、スマホに夢中ですれ違ったことさえ気づかずに歩いていく人も多く感じてます。車椅子で歩いていても、びっくりするほど近くすれすれを歩こうとされて、思わず運転を止めたりします。もし私が気がつかなかったらと思うとちょっとびびります。
 
それでも、人と人がすれ違うだけのことで、そんなに気になってはいませんでした。

つい最近、スーパーに行く道を歩いていると、電動自転車に乗った方とすれ違いました。お仕事中のようでした。よくあることです。
その方は、私が歩いて行こうとしていた交差点の左側から右折して私の方に走ってきたのですが、大回りして曲がって来られました。
自転車ですれ違う人はいつもキュッキュッと運転していく人が多いと思い込んでいた私ですが、この瞬間気がつきました。

かならずしも颯爽と自転車を操縦できる人ばかりではないのかもしれないということ。

そういえば、歩くのが大変で自転車に乗る方もいらっしゃると伺います。ご本人的には大丈夫な範囲だと思うのですが、すれ違う人の中には、操縦大丈夫なのかしら、とこちら側がひやりとすることが多々あります。
(私の電動車椅子の運転も、おぼつかないものとみられているかもしれないし、あまり人のことをいうものではありませんね。。すみません)

スーパーでも、街中でも、確かに年齢の高い方が多く、時に必死さが伝わってきたりします。
私も50代になって、今まで通りの健康管理の感覚だけだとうまくいかなかったり、予定外のことがたくさん起きたりしていますが、きっとみなさんそうなんだろうなあと、なんだかそんなことを感じてしまったんです。

核家族化がいいとか悪いとか、私はよく判断できないし、私も家族から離れる生活を選んできた人間だから、家族がそばにいれば全て解決するなんて全然思っていないのですが、、
しんどそうな方が一人で買い物している姿を見ると、どうにかいい方法はないものかと、思う今日この頃です。
生活が楽しければ、本当にいいのですけれど。
なんか、勝手なことを書きました。

2019年7月24日水曜日

3時間の会話

友人と久しぶりにゆっくり話しました。吉祥寺の美味しいチーズケーキをいただいて、あれこれ話題が移り、あっという間の三時間でした。

気づいたことが一つ。私は最近まで、基本的なことができていなかったんだという気づきです。

私は最近、障害があることで自分の手でできない物事について、「できないものはできなないし、できないことでいい」と思い始めています。
介助の方が毎日来てくださっていることで私の生活が成り立っていますが、自分でできないことは人にやってもらって、それが「自分でできたこと」というように納得しながら生活していた時期がありました。
その頃は、自分の思うようにしたいことが進まないと、自分の伝え方が悪いのだと思い、言い方を変えてみたり、工夫を考える日々でした。

最近、自分の介助を頼むという感覚が、介助の方と一緒に時間を過ごすという感覚に変わりました。
できないことをやってもらうことには変わりはないのですが、「私のやり方」とか、「できないことをできることにする」という感覚が変わり、「私の生活をいろんな人のやり方でサポートしてもらっている」という気持ちになったように思います。
もちろん、やり方を伝えることはするけれど、そして、して欲しくなことがあるときはそれも伝えているけれど、自分のやり方が絶対で、介助の方はそれを実現してもらう人、という目線が変わったように思うのです。

そして、サポートを受ける側、利用者という枠に自分をはめてしまうのではなく、誰かと一緒に過ごす時間であり、自分のできないことをしてもらう時間として大切に考えるようになったのです。

何が変わったのかというと、他者に、自分のできないことを頼むということがどういうことなのかということを、ようやく理解できたのだとと感じています。

自分のできないことは他者にお願いしてやっていただく、という気持ちです。

その友人は、不思議そうな顔をしていました。
「お仕事で来るのだし、頼まれたことをするのが仕事だからなあ」

でも話しているうちに、友人も、自分のできないことを人にやってもらう時の気持ちを、つまり例えば経営者が全てを自分の手で賄えるわけではなく、働いてもらう人に対して気を使うものという本来の気持ちがある、ということを語ってくれました。

この気持ちが私にはなかった、ということに気がついたのでした。

友人は、私のいいところを見てくれている方なので、そこはできていたのではないかと思ってくれていたようですが、私は実はそこが欠けていたのでした。


運よくそこを見抜いてくれた人と巡り会い、わかりやすく指摘してもらったことで今の私がいますが、もしそのことをわからずにいたら、なぜ自分の言葉が人に伝わらないのかと、いまだに悩みあぐねていたことでしょう。

人は自分の価値観から人を理解しようとします。友人は自分の価値観から私を良い方に理解しようとしてくれていたんだなと思いました。

こうして書いてみるとわかりやすくかけなくて、申し訳ないことですが、今回の時間の中で、自分が変化していったことを気づき、いい時間をいただいたなあと思いました。

自分の撒いた、たねから刈っていく

一月に、気になっていたもうひとつのことは、イランとアメリカのことです。 (前々回の 森林火災のこと という記事の、なんとなく続きです。) アメリカ合衆国がイランのソレイマニ司令官を殺害したというニュースは、なぜそれが起こったのかとても不安になり、気になったことでした。 そ...