2019年8月20日火曜日

感謝を込めて

おかげさまで、昨日は何十回目の誕生日でした。

友人、知人、家族とメール・お会いして、お祝いしていただきました。

覚えていてくださり、それぞれのかたちでやりとりしていただけたことに、感謝しています。

日々生きていると、何のために生きているんだっけ、なんて、寝ぼけてしまうことが多々あります。

頭の中の世界はいつも壮大で、どれが自分の経験で考えているのか、どれが先入観や偏見なのか、私欲で考えているのか心の底から湧き上がるものなのかもわからなくなってしまうのです。

自分の分別をどこにつけてどの方向に向かっていきたいのか。
いつも確かめていないと、ふらふら何かについて行ってしまいたい衝動に駆られます。

どんな一年間にしたいの、と聞いてくれた友人に、

理解力を身につけて、役に立つ人間になることを目指したい

と答えました。

その友人は、そのまま受け取ってくれました。 

私がここにいることを、うけいれてくださる方々の心を感じながら、
進んでいこうと思います。


2019年8月4日日曜日

熱中症対策

ものすごい暑さ。毎年参りますね。
眠った時の熱中症も、毎年話題になったりしています。

50代中盤に入る私の体は、暑いからといって冷たい水を受け付けてくれることもなく、薄着になると冷えも入って、調整がとても難しくなりました。
氷枕も冷えすぎて使えず、寝る時につけていた冷房のタイマーも、冷房がついている間は少し足の芯が冷えて眼が覚めるし、タイマーが切れると暑くて目が覚めます。
そしてものすごく汗をかいて、朝方少し頭痛気味。
さあどうするか。

考えた末、寝る時はエアコンは送風にして(ギリギリまで冷房つけていますが)、扇風機をあさっての方向につけっぱなしにして、部屋全体になんとなく風の流れを作ることにしました。
お茶を多めにつくっておいてもらい、目が覚めたら飲むように。
枕元には常温のアイスノンを常備。
そして、市販の塩分プラスのタブレットを、朝起きた時に食べてみることにしました。
ちなみにタブレットには、いくつかの成分も入っています。お手頃なやつです。

ときどき水だけを用意してもらって過ごしてみることもありますが、どうも水だけではいろんなものが足らないみたいです。更年期をすぎて、どんどん体外にいろんなものが出ていってしまっているような感覚です。
特にビタミンB群が足らない感じです。(根拠はありません。が摂取すると調子いいみたいです。)

つくってもらうスープは生姜入りが多くなりました。お腹があったまると過ごしやすいみたいです。

数年前までは、アイスノンとお水と2時間タイマー、またはつけっぱなしのゆるい冷房で過ごすことができました。あの頃が懐かしい。。半袖のパジャマも考えなく着れたし、素足で気持ちよく眠れて、それはそれで楽しかったです。

今は今で長袖のTシャツを着せてもらいながら、複雑な体の状況を介助の方に理解してもらえることがありがたく、感じています。
50代おそるべし、まるで新しい体の感覚をいただいたような感覚です。世の人たちはもっと苦労されているのかもしれませんね。


2019年7月29日月曜日

街の歩き方

板橋に越してきて、最初に気をつけるようになったのは、街の歩き方でした。
国道沿いなど大きな道は別ですが、生活に必要な道の多くが道幅が狭く、歩道も白線で区切られて色で分けられているところが多かったのです。
住処に選んだところが商店街の活発な地域だったからかもしれませんが、それまで住んでいた区とは少し町のつくりが違うように感じました。
私の住んでいる近くの道は、一方通行の道路ですが、当然のこととはいえ一方通行は自動車だけの話。自転車や歩行者は自由です。
商店街は、1日のうちの数時間だけ車両規制があるところが多く、午前のうちは様々な形で人や車が行き交います。
自ずと私は車椅子の運転を気をつけるようになりました。
以前暮らしていた街では、電動車椅子で歩いているとよけてもらえていたような気がしていました。なんとなく道ゆく人との間が遠く、すれ違うときもそんなに気にしないで歩いていました。ぶつかりそうになることはほとんどなく、たまにそういうことがあるぐらいでした。

板橋ではあまりよけられることもなく、だからと言って、ぶつかりそうになればお互いに「すみません」「失礼しました」と一声掛け合うことが多くなり、生活の中で自然に「こちらがよけるというもの」という感覚がも身につきました。よけられる方がよける、気がいた方が気をつける、この感覚がようやく私も身につきました。おかげて車椅子の運転技術が上がったのではないかと自負しています。

最近は、スマホに夢中ですれ違ったことさえ気づかずに歩いていく人も多く感じてます。車椅子で歩いていても、びっくりするほど近くすれすれを歩こうとされて、思わず運転を止めたりします。もし私が気がつかなかったらと思うとちょっとびびります。
 
それでも、人と人がすれ違うだけのことで、そんなに気になってはいませんでした。

つい最近、スーパーに行く道を歩いていると、電動自転車に乗った方とすれ違いました。お仕事中のようでした。よくあることです。
その方は、私が歩いて行こうとしていた交差点の左側から右折して私の方に走ってきたのですが、大回りして曲がって来られました。
自転車ですれ違う人はいつもキュッキュッと運転していく人が多いと思い込んでいた私ですが、この瞬間気がつきました。

かならずしも颯爽と自転車を操縦できる人ばかりではないのかもしれないということ。

そういえば、歩くのが大変で自転車に乗る方もいらっしゃると伺います。ご本人的には大丈夫な範囲だと思うのですが、すれ違う人の中には、操縦大丈夫なのかしら、とこちら側がひやりとすることが多々あります。
(私の電動車椅子の運転も、おぼつかないものとみられているかもしれないし、あまり人のことをいうものではありませんね。。すみません)

スーパーでも、街中でも、確かに年齢の高い方が多く、時に必死さが伝わってきたりします。
私も50代になって、今まで通りの健康管理の感覚だけだとうまくいかなかったり、予定外のことがたくさん起きたりしていますが、きっとみなさんそうなんだろうなあと、なんだかそんなことを感じてしまったんです。

核家族化がいいとか悪いとか、私はよく判断できないし、私も家族から離れる生活を選んできた人間だから、家族がそばにいれば全て解決するなんて全然思っていないのですが、、
しんどそうな方が一人で買い物している姿を見ると、どうにかいい方法はないものかと、思う今日この頃です。
生活が楽しければ、本当にいいのですけれど。
なんか、勝手なことを書きました。

2019年7月24日水曜日

3時間の会話

友人と久しぶりにゆっくり話しました。吉祥寺の美味しいチーズケーキをいただいて、あれこれ話題が移り、あっという間の三時間でした。

気づいたことが一つ。私は最近まで、基本的なことができていなかったんだという気づきです。

私は最近、障害があることで自分の手でできない物事について、「できないものはできなないし、できないことでいい」と思い始めています。
介助の方が毎日来てくださっていることで私の生活が成り立っていますが、自分でできないことは人にやってもらって、それが「自分でできたこと」というように納得しながら生活していた時期がありました。
その頃は、自分の思うようにしたいことが進まないと、自分の伝え方が悪いのだと思い、言い方を変えてみたり、工夫を考える日々でした。

最近、自分の介助を頼むという感覚が、介助の方と一緒に時間を過ごすという感覚に変わりました。
できないことをやってもらうことには変わりはないのですが、「私のやり方」とか、「できないことをできることにする」という感覚が変わり、「私の生活をいろんな人のやり方でサポートしてもらっている」という気持ちになったように思います。
もちろん、やり方を伝えることはするけれど、そして、して欲しくなことがあるときはそれも伝えているけれど、自分のやり方が絶対で、介助の方はそれを実現してもらう人、という目線が変わったように思うのです。

そして、サポートを受ける側、利用者という枠に自分をはめてしまうのではなく、誰かと一緒に過ごす時間であり、自分のできないことをしてもらう時間として大切に考えるようになったのです。

何が変わったのかというと、他者に、自分のできないことを頼むということがどういうことなのかということを、ようやく理解できたのだとと感じています。

自分のできないことは他者にお願いしてやっていただく、という気持ちです。

その友人は、不思議そうな顔をしていました。
「お仕事で来るのだし、頼まれたことをするのが仕事だからなあ」

でも話しているうちに、友人も、自分のできないことを人にやってもらう時の気持ちを、つまり例えば経営者が全てを自分の手で賄えるわけではなく、働いてもらう人に対して気を使うものという本来の気持ちがある、ということを語ってくれました。

この気持ちが私にはなかった、ということに気がついたのでした。

友人は、私のいいところを見てくれている方なので、そこはできていたのではないかと思ってくれていたようですが、私は実はそこが欠けていたのでした。


運よくそこを見抜いてくれた人と巡り会い、わかりやすく指摘してもらったことで今の私がいますが、もしそのことをわからずにいたら、なぜ自分の言葉が人に伝わらないのかと、いまだに悩みあぐねていたことでしょう。

人は自分の価値観から人を理解しようとします。友人は自分の価値観から私を良い方に理解しようとしてくれていたんだなと思いました。

こうして書いてみるとわかりやすくかけなくて、申し訳ないことですが、今回の時間の中で、自分が変化していったことを気づき、いい時間をいただいたなあと思いました。

2019年7月21日日曜日

元気?どうしてる?

SnSが私は好きになれません。昔ミク●●を教えていただいたのがきっかけで、他の知人よりも遅いデビューとなりましたが(なぜなら私がようやく始めた頃にはもうピークは終わっていたようなのです。)、いまも極力投稿はしていません。
最初の頃は一行日記などで遊んでいた時期もありましたが。

なんだかいろんな人のいろんなことがわかってしまって、コミュニケーションしていないのに近づいた気になってしまう、というのが、苦手の原因。

自分で投稿はしていないけれど、好きな人のブログや好きな言葉は見つけるとシェアしています。それでもそこにいいねがついたりつかなかったりすると心が揺れます。

とても好きになれない気持ち。今を生きていくには、こんなことでは生きにくいことになるなあと、心の何処かで思っています。

今回、参院選ということもあり、少しだけ連絡や選挙ハガキが届きました。
普段から友達づきあいが悪い私は、そんなに友人が多い方ではなく、政治が好きな人とは選挙期間に会うこともない数年を過ごしてきましたから、久しぶりに感じるものがありました。

ちなみに私は選挙権を行使しなかった時は今まで一度しかなくて、権利をいつの日も行使してきました。
一度だけ行かなかった時は、昔埼玉で暮らしていた頃に、圧倒的に強い候補者が勝つとわかっていたあの時の、一回だけ、サボったのでした。

でも考えてみると、知人や友人と選挙に行ったかどうかなんてあまり自分から聞かないし、だから私が毎回欠かさす投票しているなんて、誰も知らなくてもいいことなんですけれどね。

選挙用ハガキは必要なこと以外はかけないみたいだから仕方ないとしても、

連絡はせめて、
げんき?
 とか、
どうしてる?
とかから、始めたかったなあと思います。
推している候補者のつながりの説明を書く前に、久しぶりなのだし。

きっと私が多分、このように用件だけを伝える、冷たいタイプの人間だったのかもしれないなあ、と、今もそういう面があるのかもなあ、と、
反省を込めて。
以前に私も指摘してくれた方がいました。
「あなたは自分だけの世界で生きている。目の前の人は不在。」
そう、私も他者に自分が伝えたいこと、言いたいことばかり話していた頃がありました。今もその癖が残っています。自分の言いたいことを、相手の気持ちよりも優先してしまうのです。
ほんの今日のひと時も、そんな自分がいました。
伝えたいことを身構えて話を聞いていても、相手の話はうまく聞こえません。

自分の言いたいことだけ相手に投げかければ、それでいいのでしょうか。
相手に自分の言いたいことを理解してもらえたら、それでいいのでしょうか。

今の私は、今日のひとときの自分の傲慢さに、少し落ち込んでいます。別にそのタイミングで話の流れを変えてまで伝えなくても良かったことでした。
会話というものは、難しいものです、いつも。

ここに書くということは、私も連絡をくれた本人に未だ自分の気持ちを伝えられていないということなので、ああ、自分もダメダメ。
私に忠告してくださった人は、愛があったなあと改めて思います。

それにしても、一方通行のコミュニケーションは、本当に寂しいものでした。

2019年7月14日日曜日

数日前の夢

お世話になっている、師と、夢でお会いしました。

夢の中で私が、別のところに引っ越すことになり、会いにいくと、師は、「今度は私が訪問するから」と言うのです。
そんなに遠くないから、またこちらから伺いますと、お伝えしたのに、別れを惜しむような雰囲気となり、涙が止まらない夢でした。
あたりは雨模様で、ところどころ水浸し。私は電動車椅子で動いていました。。。

2019年7月13日土曜日

自立生活を続ける中で

今年で、地域でアパートを借りて暮らし始めて26年が経ちました。
この間、5回ほど引っ越して、住む地域も4回ほどかえて、思えばいろんなことを体験しました。

詩人になりたかったり、作家になりたかったり、ピアカウンセラーになりたくてなってみたり、自立生活センターに務めたいという夢が叶ったり、所属することを全てやめたり、思えば、叶わない夢はほとんどなかった26年間でした。

重い障害と世間的に捉えられる体を持つ私のような人間が、福祉制度等を活用して地域で暮らすことを「自立生活」と呼んでいるけれど、
世間には、「施設の生活」や、親御さんやご兄弟の方と生活しておられる障害のある方もいて、
自立生活という生活スタイルは果たしてメジャーになったのか、私自身は認識できないでいます。

自立生活を続ける中で、26年前と今と、気持ちが変わっていったものがあります。

その一つが、介助を受けるということへの認識です。

最初のうちは、自分でできないことを、介助で来てくださる方に頼むということが大事なことだと思っていました。
自分ができないことを、関わってくれる人に上手に頼むことができるのなら、それは私の「できること」になると思っていました。
だから、どう伝えるか、どう理解してもらうか、思う通りにやっていただくためにどうすればいいかを常に考え続けていたように思います。
介助の方々にも、役割としての存在を求めていたというか、仕事の面を重く見ていたように思います。思う通りにやってもらいたいことが伝わらないと、どう伝えれば良かったのかと、そればかり考えていました。

今は少し違う認識があります。まず自分が物理的にできないことは、あくまで自分の手ではできないこととして、物事を捉えているのです。
自分の手でできないことを叶えていくためには、他者の協力が必要で、他者の手を借りてできるようになったことは、私ができるようになったということではない、
文章で書くとややこしくてわかりにくいものになってしまいますが、今の私はそう思って生活しています。
つまり、できないことは、誰に頼んでできたとしても、自分でやったことにはならない、という認識に、ようやく立つことができたのです。
できないことはできないことでそれはそれでいいもので、たくさんの協力者の存在があって、私の26年目の自立生活が営まれ続けているのです。

もちろん私自身の意思がないと、この生活は崩壊します。私の障害は身体的なものなので、意思を伝えるということが私の生きるという行為だと思うからです。

年月が経って違ってきたのは、できないことは誰にどう頼んでやってもらっても、自分ではやっていない、経験していないということと、そして私の頼んだことを忠実に表してくれる人がいつもそばにいてくれたという事実を、理解できたということでしょうか。

介助の仕事できてくれる方を、「介助者」「ヘルパー」という枠の中で見てしまっていた自分を手放して、私の生活に協力してくれる人として受け入れられるようになったことも、心が自由になった大きなことでした。

誰でも特手不得手があり、できないこともできることも、呼吸やテンポも常識も価値観もそれぞれが違います。いろんな人が、自分の人生を生きようとしている世界の中で、偶然、自立生活をしている、障害がある私と、介助がやってみたくて自立生活センターを訪れたどなたかが、介助という仕事を通して出会います。
この出会いはとても、実は大切なものでした。いつの日も。
この出会いがたくさんあることで、私は26年間、清潔で身ぎれいな生活を続けることができました。社会的な活動も続けることができました。


ありがたがったなあと、心から思います。いろんな経験をして、今日まで考えてこれたから。
私が26年間得た経験は、何かをできたというようなものではなく、いろんなことを考え続けていることや、感じ続けていることだったのでないかと思います。それによって少し視野が広がり、自分の中にある井戸から這い出て、他者の心を感じようとする方に少しでも進もうとする心が育ちました。
そこにこのとしつきの意味があったと、今は思います。





2019年6月29日土曜日

心の中にあるもの

人は他者からしか学べない…最近、本当にそうだと思ったことです。
なぜなら、自分の生活に起こるあらゆることは、その一つ一つが心を揺さぶって、常に当事者目線に立たそうとするばかりだから。いつも冷静になんて、自分の生活のハプニングを捉えることはできないから。

他者の体験を目の前に見させてもらう時、私ならばどうなるのか、予想もつかないことが本当に多いです。

だからなおさら、他人事ではいけないのだと思うこの頃です。物事にいい意味で敏感になりたい、鈍感な自分がわかるだけに、少し焦り気味でもあります。


2019年6月23日日曜日

気づき の後に

あることについて、気づかなかったことに気がつくということは、いつも満たされる気持ちになるわけではないようです。
今回はとても申し訳なく、未熟な私は、自分の気持ちに引き込まれました。

あの時にここまで気がついていれば、何かしようとできたかもしれないのに、と。

気づかない、感じないことは罪なんだと、実感しました。

こうやって、気がつくたびに、自分の不甲斐なさ、非情さに打ちのめされながら、少しでも考えようと努力する心が生まれるのだな、と思います。

何かを感じるところから、考えようとできるのだということも理解できました。

私にできることは、自分を磨き、育てること、本当にそれだけなんだと、今少しだけ低迷しながら、少しずつ普段の飛行位置に戻って進んでいこうと思います。

2019年6月10日月曜日

インビクタス 負けざる者たち

久しぶりに映画のレンタルを探したら、マンデラさんの大統領就任後の実話に基づいた映画がありました。

インビクタス

アパルトヘイトをなくし、大統領になったマンデラさんが、どのように国を大事にしようとしたかが、描かれたものでした。激しくはなかったけれど(ラグビーの試合は激しかったけれど)、それぞれの気持ちが映し出されていて、いい映画でした。
それぞれの心の氷が解けるように、互いの気持ちが通じあったり、理解しようと思いをはせるところがとても良かったです。見入ってしまいました。

マンデラさん役の俳優さん、いくつか映画を見ているけれどとても好きです。

マンデラさんが獄中で勇気付けられたという詩、ここに書き留めておきます。
マンデラさんが獄中にいた30年間、相手のことを知ろうと努力していろんな文学にも触れたということを、映画の中でも話すシーンがあります。ネタ少しバレて今頃ごめんなさい。




インビクタス(Invictus) ウィリアム・アーネスト・ヘンリー』


私を覆う漆黒の夜

鉄格子にひそむ奈落の闇

私はあらゆる神に感謝する

我が魂が征服されぬことを

無惨な状況においてさえ

私はひるみも叫びもしなかった

運命に打ちのめされ

血を流しても

決して屈服はしない

激しい怒りと涙の彼方に

恐ろしい死が浮かび上がる

だが、長きにわたる脅しを受けてなお

私は何ひとつ恐れはしない

門がいかに狭かろうと

いかなる罰に苦しめられようと

私が我が運命の支配者

私が我が魂の指揮官なのだ


最後の二行、そうだよなあ、私も私に屈してはいけないな、と思いました。
自分のことが一番難しいのですけれども。

2019年6月5日水曜日

柑橘とりんごのコンポート

りんごと柑橘系のものを合わせて煮てもらうと超美味しいということを最近発見し、ハマっております。
先日作ってもらったのは、夏みかんとジャズりんごを日本酒で煮たもの。

夏みかんは商店街で手に入れたのですが、えらく酸っぱくて、そのまま生で食べたらむせてしまいました。
ジャズりんごは今の時期でも手ごろに手に入った小ぶりのりんご。ニュージーランド産のようです。これも商店街の八百屋さんでゲット。

りんごは5個を八等分に。今回は皮を剥いてもらいました。
夏みかんは2個使い、薄皮まで向いていただきました。

日本酒を浸るまで入れて、沸騰させてシャトルシェフに15分おいたら再沸騰させて、板ゼラチンを溶かしもらいました。
ゼラチンが溶けたら火を止めてタッパーへ。粗熱をとって冷蔵庫に。

今回は砂糖も何もいれなかったので酸っぱめでしたが、生の夏みかんよりも少し甘めになったように思いました。
たくさん煮たのにすぐに食べきってしまいました。

15分ほどの調理時間だと、りんごの形がそのまま残り、歯ごたえも残ります。
ジャムのようなものがお好きな方は、りんごを小さくきってもらってください。
シャトルシェフがなくても、中火で10分ほど煮れば同じように作れます。

クリームチーズにすごくよく合いました。
市販の甘い豆乳が、種類も多いし手ごろなソースがわりになるかな、と思いついて、いくつか買ってやってみましたが、そんなに合うものは見つけられませんでした。私はヨーグルトがいまいち好きではないのでわかりませんが、好きな方はそれもいいかもしれません。
ゼラチン入れすぎると固くなってしまうので、少なめにしてもらいましたが、今回は少なすぎてゼリーにならず残念でした。

また頻繁に作ってもらおうと思います。おいしいんだもの。
写真がなくて申し訳ないです。写真撮ってもらわないとね。頼み忘れてしまうんです。

感謝を込めて

おかげさまで、昨日は何十回目の誕生日でした。 友人、知人、家族とメール・お会いして、お祝いしていただきました。 覚えていてくださり、それぞれのかたちでやりとりしていただけたことに、感謝しています。 日々生きていると、何のために生きているんだっけ、なんて、寝ぼけてしまう...