2018年11月30日金曜日

花田春兆ーーその人と企画展

花田春兆氏の企画展を教えてもらい、行ってきました。

花田春兆ーその人と企画展


場所は板橋の淑徳短期大学。今月17日から明日までの企画展です。

数作著書を読み、生前にはそのほかにも接点をいただいていた春兆先生。
今日は主催された方からお話を伺う時間をいただいて、知らなかったことをたくさん教えていただきました。

●春兆先生は、「障害者だからできる」ということにこだわった
終戦後、これから自分のできることをやろうと思った氏は、自分のできることを生かして、できないことを人にやってもらいながら、自分の世界を実現していきました。
障害者でもできる、ではなくて、障害者だからできる、ということにこだわったそうです。

●機関紙は3部作った
まだコピーもできない時代に、手作りの冊子は同じものを必ず3部作ったそうです。

●しののめは社会に投げかけるテーマを特集した
氏が主宰していた同人誌しののめは、毎回、障害のある生活に関係するテーマを持ち、身近なそのテーマについて会員からの投稿を募っていたそうです。中には自助具を実際に使って見た感想を特集するものもあり、すごく考え方に共感しました。

できることはなんでもやり、できないことは周りを巻き込み、いつも伝える相手は一般社会の人たちだったと知り、外へ視線が向いていた方だったんだと思いました。

私は「しののめ」については俳句の句誌だと思い込んでいました。俳句の書けない私は、難しそうだと思い込み、敬遠していました。

ホーキング博士と写っている写真も展示されていて、天才同士、巡り合っていたのだなあと思いました。

淑徳短大のロビーに展示された作品は、教室での展示と違い、通りかかった学生さんが立ち寄れる良さを持っているそうです。
主催された方は、「この、立ち寄れる空間がいいんだ」とおっしゃっていました。

12月の生き方

今年最後の月。明日からの月は、

書くことを継続して意識する。
内省をしっかりする。

そして、楽しみます。たくさんの人にお会いしそうな予感がしますから。

11月のまとめ。

書く、といったのに、本当に思うようにはいかない月でした。
体調も、更年期障害がイケイケ状態になり、50代の体は40代と違って融通というものが効かなくて、というかまだ変化に心が追いつかず、本当に本当に50代は未知の世界だと思いました。
何もやらなかったことへの言い訳のような書き方になってしまいました涙。

でもとにかく映画は見ました。古い映画をたくさん。
感想を書けたらいいなあと思います。スボラグセが治れば。

今月気がついたことは、

自分を愛するということは、きちんと自分の声を聞き理解することから始まるのではないかということ

今ある状況に学ぶことはたくさんあるということ。

内省の難しさ。

行動や思考を間違えると、必ず自分の中に証拠が残るということ。それに気がついても気づかなくても、必ずそこに証拠というか、記憶が残るということ。

正しいか間違えているか、それは自分の価値観を離れたところにあるのかもしれないこと。

本能的な生への執着を捨てると、人のことを考えることが少し楽にできるようになるということ。

私自身が意識的に生きるようになった時、私の魂は一つの目的を卒業し、本来の目的に進むようになるということ。

今の私の課題は、内省をしっかりやることと、他者のことを考える時間を意識的に増やして経験をすること、そして物理的には、書くということに継続して取り組むことです。

みなさまにはわかりにくい文章ですみません。私ごととしての覚書になってしまいました。

2018年11月17日土曜日

東城百合子先生講演会

30代前半の時、先輩のピアカウンセラーの方から、
「体のことをよく考えるようにね」と、自然療法の本を勧められました。

その時は購入しなかったのですが、その方のおうちに泊まらせていただくたびに、本を見せてもらって、見よう見まねで体のケアを考え始めました。

里芋バスターや、ビワの葉の効能、こんにゃく湿布はその頃に覚えて、先輩方から道具を教えてもらい、介助の方に温灸をしてもらいながら、ピアカウンセリング講座リーダーの仕事などを続けていました。

今回の東城百合子先生の講演会は、そんな20余年まえからご本を通して教えていただいていた著者とお会いする機会でしたから、紹介してくださった方には感謝しています。

東城先生は93歳になられたとのこと。とても力のある声が、印象的でした。

今回の講演会は、38年間催されている料理教室同窓会の方々が主催されているとのこと。飛び込みで伺いましたが、あたたかく迎えていただきました。

東城先生の言葉を少しだけ書き写します。あまりメモは取れなかったので、本当に少しですが。

●人のせいにはしないこと
●今日のことは今日しなさい
●生活をしっかりしていないと、人は、ものごとを人のせいにする。
●掃除、洗濯、料理をしっかりする。自分でしっかり判断して行動することを身につけること
●自然の見えない力に感謝して食べる。
●生きるとは行動して体験すること
●日本に生きていることに誇りを持つこと

どんなに自然療法を実践しても、命をいただくことに感謝して食べる姿勢が身に付かなければ健康にはなっていかない、と、繰り返し伝えられたように思いました。
また、病気が治って良かった、ということだけで終わるのではなく、何か人のために、世のために行おうとすること、知識を得るだけではなく、応用していくこと、自分に責任を取って生きていくこと、それが大切だということが強く伝わってきました。

どのみちも同じことが大切なことなんだと再認識した日でもありました。

お会いできて良かった。心から思います。

2018年10月31日水曜日

11月の生き方

11月はとにかく

書く、書く、書く、書く。

思考力を鍛えます。

ここにも書けるかしら。

できなかったら、その時はその時。

そして、自分を理解すること。
今更と思いながらも。

この二つに絞ってやってみようと思います。

10月のまとめ

思った通り、今月は刺激的な一ヶ月でした。

学んだことは、

エゴイズムと戦っては本当に勝てないんだということ。戦ったつもりではないけれど、抑え込むということは戦うということになるんだと学びました。

相手がかたくなだと、私も緊張して視野が狭くなるということ。そして不安を増やし、健康に害を与えるということ。これは経験を増やさないとなかなか克服できないと思いました。

口は災いの元。口から出ていく悪いものを自覚できたのも、今後の気持ちの持ちかたを考える材料になりました。

物事を大きくしないということ、自分の信じた生き方を大事にすること。大げさかもしれないけれど、このことを意識しながら物事に取り組みました。

そして忍耐。話したい、確認したいと思ってしまう今の私に必要なのは、どんな物事であっても忍耐を持ってゆっくりやることが大事。

小さな小さな自分の日常の中で、最後の1日までドキドキしながら過ごしました。

そして私の人生のテーマはいつも、

どんな環境のもとであっても、人は成長できる

というものだったと自覚しました。自分のことがいろいろわかった一ヶ月でもありました。

そして、今までこだわっていただろうことに反応せず、素直に、突然再会した恩人のひとりにお礼を伝えられたという、サプライズ付きの10月でした。

そして2度も飲み会をできたことも、こころから笑ったひと時でした。

今日は久しぶりに家でまったり。長年お付き合いをしてくださる方と静かに過ごしました。

課題は、自分との対話が足りない感じです。もっと考えを書かないと、思考を働かせるのがとても弱いです。思考が働かないと、いい考えにならないので、来月はそこに絞って頑張ってみようと、今思いました汗。

経済に心を入れて

トルコでのサウジ領事館の事件は、心が凍りました。
こんなことがなぜ起こってしまったのだろうと、今も思っています。

かなしいことがたくさん起きている世界の中で、私も自分の世界でのいちにちいちにちがあり、身近なことに囚われていると、世界が繋がっているなんて心のどこかで忘れています。

もし、今の経済の仕組みに、自己や自国の利益だけでなく、他者への心を入れることができたら、少しはいい方向に向かえるのかなあ、なんて、漠然と思いました。

誰か一定の人の利益を追求するために、誰かが犠牲になってしまうのでは、結果的に豊かにはならないのだろうと。

誰かの不利益や犠牲の上に成り立つ経済って、それでいい訳ないなあって。

ではどのように考えたらいいのだろう。

出来上がった経済の仕組みを壊すのは大変なこと。誰かの生活が壊れてしまうことに繋がるから。

組み立てる時に広い視点が必要なのかもしれません。その視点のとり方が難しいのかも。
修正が必要な時に、どのように変えていくか、とか。

日本国内のことにしても、エネルギーの問題とか、基地の問題とか、知らないふりができないことがたくさんあって、
でもそれらの問題を自分なりにどう解決したらベストなのか、考えついていきません。
物事を考えていくのって、難しい…。

本当に私は勉強不足。
経済のこと知らないと、ここに書くのも難しくて書けないです。
少し愚痴っぽくなりました。
とにかく、勉強しないと。

2018年10月18日木曜日

同化した自分

数年前まで、私はとても怒りっぽく、正義を振りかざして生きていました。
そうして生きていることさえ、気がつかないまま、自然に生きていました。

ヒーリングの勉強で教わる大切なことの一つに、自分のエゴイズムを知る、というものがります。
自分というものの裏側に、エゴイズムという影があり、自分のエゴイズムを知ることでその存在を自覚できるようになり、手放せるようになるといいます。
エゴイズムはネガティブなエレメンタル(想念)の塊で、エレメンタルというものは私たちが生きている間、瞬間瞬間でつくり続けるものです。ポジティブなものとネガティブなものがあります。
人は一生の間たくさんのエレメンタルをつくりながら生きます。一度作ったエレメンタルは永遠に死なず、記録のように宇宙にたまり続けます。そして作った人のその時の知性を持ちます。

エゴイズムとたたかってはいけない、という鉄則があります。
エゴイズムと真っ向から戦おうとすると、なぜか100%負けるというのです。
だから、どんなエゴイズムがあるかを自覚し、焦点を当てずに無視すること。違う視点から物事を見る癖をつけていくことが必要になります。

今回、そのことを深く実感し、反省した出来事がありました。

私には、過去性の中で作り上げてしまった、強烈なネガティブキャラクターがいます。
王様キャラです。
奴は、何度とない過去の人生の中で、たくさんの方々を傷つけ、反省もなく生きてしまっていました。
そのやりようは、ブログに書くのも憚れるほどのことです。
サロンのヒーリングスクールで、また個人セッションで、みつけては開放し、みつけては開放してきました。

私は、このまま自分と向き合っていれば、飲み込まれることはないと、心のどこかでタカをくくっていました。
それはとてもとても甘い考えだったのです。

ある出来事をきっかけに、奴が私の中でつぶやき始めたのです。
(怪しい表現ですみません。本当に怪しいので…)
最初は、しょうがないなあと思って無視をしていました。でもだんだん大きくなるのです。
どうにかなだめて小さくしようと抵抗しました。蓋をして、その声の主を隠そうとしました。
それが多分、いけなかったんですね。
エゴイズムと戦うことになってしまったんだと思います。
いつの間にか、気持ちの整理ができなくなって、怒りのきっかけになった方から連絡があった時、口から何かが出ていきました。
爆発したという感じ、気体がパンと飛び出たという感じです。

自分でも支離滅裂だということをその方にぶつけている自分がいました。
(知人だったのでそのあと謝ることができて良かったです。)

その後の高揚感といったら。心は、してやったぞ、という気持ちでした。自分は間違っていない、正しいことをやった、と、爽快な感じでした。
でも、翌日鏡を見たら、怒りの浮かんだ自分の顔がありました。

これがエゴイズムと同化する、ということなんだと思いました。反省も何も浮かんでこない、自分が正しかったというところに止まってしまうことも、同化の証拠なんだなあと思いました。

運良く個人セッションの日で、他者の目線がある中で、自分の中を点検する機会に恵まれました。案の定、王様キャラの奴が、お腹に怖い顔して居座っていました。

いくら捨てても繋がってしまう奴。私の中に怒りのタネが生まれると、そく繋がります。

今回は、自分が本当は誰であるかというところに立ち戻り、その情報を元にポジティブなキャラを作って、私の中にいてもらうことにしました。奴がつぶやき始めても何もしなくても、私は新しいキャラにエネルギーを注ぎ、生きようと思ったのです。

少しだけでも、自分に自覚があって本当に良かった。何も感じていなかったら、他者からの言葉も聞き取れなかったかもしれません。

エゴイズムは本当に怖いのです。でも自覚をしたら、あとは内省するしか手放す方法はないし、地道に逃げずに理解する努力をしようと、改めて思ったのでした。

サロンでは久しぶりに謙虚さの消えた私に見えたみたいです。
もう、ほんとうに難しいですね。自分を理解するのって。

2018年10月14日日曜日

矢印がどちらに向いているか

昨夜の会話から、考えたことを記しておこうと思います。

その前に、私はとても自己中な人間で、自分目線の視点しか持てていませんでした。今も改善されたとは言いがたく、慢性的な悩みの一つではあります。

ヒーリングを行う者は、他者目線を持てるようにならないといけないからです。
自己中を卒業する必要があるのです。

昨夜は、人のために行う仕事について話しました。

例えば、私は障害者支援を主軸に置く障害当事者団体で仕事をしていましたが、自分には他者を支援するまでの器がないことがわかり、退職しました。
その思いはやはり間違えてはいなかったと思う出来事が最近あり、自分の器の小ささを自覚しております。
感情的になる部分や、自分を正当化する癖、人に自分の考えを押し付けようとすることは、油断をするとすぐ出てくるのだと感じたのです。

誰かを支援するということは、他者目線が必要で、私のように自分だけしか見えていない人間には向いていないことなのだと、自分では思っているのです。
でも、そのような仕事につけたことで、自分への疑問や認識が高まり、少しでも成長しようと思えるようになったので、仕事につけたことがありがたく、大変だった中で一緒に働いてくださった方々に今の私は感謝しています。

人の目線になかなか立てない私が、人を支援する仕事についたことを考えながら、「他者のためにする仕事」について話していくと、こんな言葉をもらいました。

「仕事というのは全て人のためにするもので、それを自分がどのぐらい自覚できるかだと思うよ。どんな仕事であっても、人のためを思ってすることでそこに喜びがあるんだ。」
改めて言葉として聞くと、そうだな、と納得するものです。
「自分に矢印が向いていると、その喜びまで到達しない。考えているつもりでそうではないし、お金や生活のことが実はとても大事だったりする。ゆっくり一歩ずつ成長して、本当の喜びにたどり着くんだけれども」

そしてこの日の結論は、誰かを支援する仕事は、誰かのために何かをするという具体的な仕事でもあるから、本来の労働の目的が見えやすいということでした。
それでも、自分に矢印が向いていることが多いかも…。私はそうでした。いい人と見られたかった人間だから。

そういうことなんだ、と変に納得して眠りました。

2018年10月13日土曜日

 今朝の会話

今朝、ある方とこんな会話をしました。
築地が解体されることになりましたが、ネズミの問題が今大きくなっています。そのことについてニュースが流れた時のことです。
映像には、建物内部の隙間から覗くネズミの姿が映っていました。

「この子たちも大変だ…ねずみの気持ちになっちゃいます」と彼女。

「その気持ちもわかるけれど、うちも隣の家が解体された時、ネズミが来て大変だったんだよ」と私。

「そうなんですか!!」
「ゴキブリが来ることは想定内で、対策していたんだけれど、ネズミのことは考えていなかったから、時間がかかったよ。問題を解決するまで半年はかかったかな」
「そんなに」
「銀座にネズミが押し寄せるのではないかと心配が広がっているけれど、もし自分の家にネズミが出たら、やっぱり大変だと思うよ」
「そうか、人の立場に立つということは、そういうことなんですね」
「!!」
「遠くに住んでいると、ねずみはかわいい、なんて思ってしまうけれど、実際自分ちに出たら大変ですよね。人ごとではなくなる。それがわからないんですね」

そうか、これが、人の立場を思うということなんだなー。

「わからないということは、想像力の欠如ということなんでしょうね」と彼女。
「想像力の欠如と思うよりも、想像してみたら良いんじないかなあ」と私。
「一回想像すれば、一回ぶんの「想像した」という経験になっていくから、そうやって自分の『想像した』経験を積んでいくしかないよね」

ここまで話して、ハッとしました。
想像することが経験になるということは、こういうことなんだと。
物事をイメージすることはとても大事な経験になるんだと、自分で説明しておきながら、そのことを理解したのでした。

想像力の欠如を悲観することなく、まず人の立場を想像すること、イメージすることが、経験になると、今日初めて腑に落ちました。

会話は大事ですね。ひらめきをもらえます。彼女との出会いに感謝しています。

2018年10月4日木曜日

腎臓のさけび

定期的にお世話になっているヒーリングサロンMedicine wheel でのお話です。

つい最近、夏に受けていた健康診断の結果を聞きに行きました。
値はすべて正常値だったのですが、腎臓の値がギリギリだったということ。
「おしっこはちゃんと出てる?」などのツッコミをクリニックの先生からされたりしました。
ちなみに背骨も側わんしてきたとのこと。(国民健康保険での健康診断なので、側わんの検査はしないのですが、肺のレントゲンでわかったことです。背骨は写りますものね。)
確かに最近姿勢は悪かった、と反省しながら帰ってきたのでした。

サロンでそのことを話題にしたので、気になる体の箇所の声を聞いてみることに。
花粉症がひどくなる春に何度かトライしているので、自分の体が私に言いたいことは薄々わかってはいましたが。

下記の話は、誰かのアドバイスとかではなく、あくまでも私の心に浮かんだイメージのお話です。私は信用しているけれど、どう捉えるかは読んでくださる方にお任せいたしますね。

まずは一番気になる腎臓。
「水が足りない!!」
叫びのような声が(聞こえたんではなくて、頭の中のさけびです)。
私が飲まなくてはいけないお水の量は、いちにちにプラス1500cc。

…やっぱり。わかってはいたけれど…。

それから、お菓子は控えて。今の5分のいち

そんなに少ないんですかーー。しゅん。


次に背骨。
本読むときは姿勢を正しく。できればソファに腰掛けて。
…。
あと、時々うつ伏せになって。

はい。

最後に、一番痛みがある右手。
「あまり動きを抑えないで」
一番アテトーゼが激しい右手さん。左手で動きを抑え込むことが多くなりました。そこのところの苦情だとは思いますが…。

まず、腎臓の訴えは、今始まったことではないです。若いときから、私はあまり水を飲みません。お手洗いが近くなるからというのが最大の理由です。介助の方と暮らすようになっても、私のこの癖は治りませんでした。
特に外に行くときは、自然に控えてしまうようで、この癖が50歳を過ぎて体が変わってきたときに調整がうまくできなくなったようでした。
お菓子をなぜ食べてはいけないか、後から師に意見を伺うと、塩分や糖分のバランスなのではないかということです。基本的に水分が足らない中でお菓子などを食べてしまうと、濃度のバランスが悪くなってしまうようです。
更年期を過ぎた肉体は思った以上に水分が体から出てしまうようで、10年前の感覚でいたらいけないようなのです。
せめて家にいるときは水分を意識的にとろう、というのが今回の教訓です。
そしてお菓子は当分控える、ということ。これは痛いなあ。

背骨は油断すると、脳性麻痺のアテトーゼ(不随意運動)が激しいので、姿勢を保っておくことができずに、側わんが進みます。
今回は本当に油断しました。

右手については、ヒーリングのの後に師からもアドバイスをいただきました。

右手に、状況を話してあげたらどう?

そういえば、以前に古い友人からもそう言われました。私の右手は違う人格だと思った方がいい、というようなことを。

脳性麻痺と付き合うのは、本当に難しいです。50年この体で生かしてもらっていますが、なかなか以心伝心ということにはいかないようです。

でも、自分の体から訴えられてしまうと、他の誰から言われたことよりも説得力があり、どうにかしようと考えてしまいます。不思議なものです。
特別長く生きたいわけではないけれど、生きている間は少しでも過ごしやすい体でいたい、という気持ちがあります。一緒にいてくれる人と心地よく、過ごしたいと思うからです。

一年に一度ぐらいなら、お菓子を食べようかなあ。

花田春兆ーーその人と企画展

花田春兆氏の企画展を教えてもらい、行ってきました。 花田春兆ーその人と企画展 場所は板橋の淑徳短期大学。今月17日から明日までの企画展です。 数作著書を読み、生前にはそのほかにも接点をいただいていた春兆先生。 今日は主催された方からお話を伺う時間をいただい...