2010年12月6日月曜日

いいものですね

この間家族の話題をここで書きましたが、
家族の優しさを感じることができるというのも、いいものですね

あのあとちょっとしたことがあって、
ああ 私も家族から愛されていると 実感できる体験をしました。

障害があると、どうしても個性よりも障害が家族にとっての大きなものとなって、
本当にお互いがどんな性格で、何が好きで、嫌いで苦手なものは何で、得意なものは何でなどと考える余裕がとれなかったりします。
このこどもの何ができて、何ができなくて、それは障害だから仕方がないけど、なんて、「障害」と言うめがねを通してその子をみてしまったり。
そのつもりでなくても、こどもはそう感じてしまったり。
私はそう感じてしまったこどもでした。

だから、いつも家族に人並みにみてもらうことを求め続けていたのでした。

今はその部分を卒業して、心が平和になったけれど、

家族のひとりから最近メールをもらいました。
心のこもった優しい内容でした

受け入れてもらえたと感じました。
そうしたら 泣けました。
こんなに 受け入れられたかったんだなと思いました。

こんな日が
来るのですね

2010年12月3日金曜日

うまいいいかたないかな

この間、久しぶりに家族と話して、
私が生まれた年の話になりました。

私がいちばんの厄を背負った

そんなふうな話となり

ちょっぴり、たくさんむかついてしまったのでした。

生まれてもう45年。厄をかぶったならもっと苦しみようがあるかも。
だいたい、この体はどうも自分で選んだみたいだし。
別に不幸とは無縁だし。
なんて、少しネガティブシンキング。ごめんなさい。

重い障害を持った娘を育てるのはそれはそれは苦労したと思う。

ただちょっとだけ
家族と私との認識のギャップに圧倒されてしまった、小心者の私でした。

身近な人の理解を求めないで生きるって、ときどきとっても難しい。
だからって、うまく切り返せないんだよな…(^^;)

2010年11月28日日曜日

収穫祭

収穫祭のホームパーティーにとつぜん誘っていただきました。
手作りのおいしいお料理と初対面の方々との交流と。楽しく温かなひとときでした
ターキーが丸ごと入るオーブンが魅力的でした
切り分けるターキーを初めてみました〜

子供たちの大騒ぎな声を遠くで聞きながら、ゆったりリラックスした周りを見ている私を発見しました。
何をアピールする訳でなく、それでいて周りをみている、今までと違う自分
こういうことが今までできなかったんだと思いました

どうにか自分をアピールしようとしていた過去の私
周りの様子ばかり気にして変に気を使っていた過去の私

手放してしまえば、残ったのは余裕のある静かな自分

過去の私よ さよならバイバイ

2010年10月11日月曜日

今年最後の連休

世間的にはそのようですね。
雲ひとつないさわやかな一日になりました。
少し暑かったけれども


後楽園、ラクーアの韓国豆腐料理屋さんでカボチャ入りのものをランチにいただきました。
ラクーアのお店はすべてではないけれどほとんど車いすで入れるので助かります。

今日入ったお店は、熱々の豆腐鍋がでるのに結構ひとつひとつのテーブルが小さかった気がします。いつもはテーブルふたつくっつけてもらうんだけれど、今日は混んでいてそうもいかず。
熱いものを食べるので、もっと広めのテーブルの方が安全なのではないのかな、と思いながら料理をいただきました。
(写真がなくてごめんなさい)
と、お盆も熱い鉄鍋も滑らないことを発見。私の不可抗力な動きをする手にかかっても滑らないのはとてもありがたかったです。
何度もきているのに初めて気がつきました。いつもはテーブルふたつ占領しているから気持ちが違ったのかな

テーブルが狭くてもこの安定感だからみなさんそんなに違和感がないのですね。ちょっとだけ納得。

2010年9月30日木曜日

おいしいランチ


今日は雨がよく降りました。
予定を変えずに東大前にある自然食のレストランへ。介助をして下さったことのある方が、最近オープンさせた店です。
そんなに広い店ではないけれど、車いすで遠慮なく入ることができます。とても嬉しい。
入り口もとても工夫されたスロープ。
そしてランチは栄養いっぱいのベジタブルランチ。
栄養が取りたい時、そしてちょっと家事をさぼりたい時に来させていただきます。

それにしても、しとしと降る雨もいいな…と独り言を言ったら、「そんなことを言う人はあまりいない」と突っ込まれました。
確かに車いすでカッパ着て歩きながら楽しそうな人には、お会いすることは少ないかな…

2010年9月28日火曜日

長野の空気

週末、長野県飯田市に行ってきました
駒込から5時間半。岡谷に着いた時にはもう空気がおいしくて幸せな気分になりました。
泊まったホテルは、数年前にピアカウンセリング講座のさい、主催者の方が用意して下さった時のホテルでした。
自分でネット予約した時は気がつきませんでしたが。

中央公園沿いに、しとしと雨が降る夕方、散歩がてら夕飯探しに出かけました。
入ったところは定食屋さんのようなところ。
鯉こくは、小さい頃実家で父が作ってくれた味に似ていたような、似ていないような。
湯豆腐もサンマの刺身も、とにかくみんなおいしかった。

今回は知人の個展を覧に。
翌日たっぷり知人と話すことができました。

飯田駅について、チェアメイトに揺られながら、
「この駅にはエレベーター、なかったんだっけ…?」
相変わらず私はなにも考えずに旅したのでした。

そういえば写真も撮らずにいました。
チェアメイトも、鯉こくも。

2010年5月26日水曜日

こだわりから離れた日

まだまだ未成熟だけれども…
…生まれ持ったすべてのこだわりから解放される日など、来るかどうかわからないという意味で未成熟と表現しました…
あるこだわりから離れられた日がありました。

人並みに愛されたい、人並みに認められたいという、
のどの奥、胸の奥まで乾いていくような

いつも私は、言いしれぬ大きなくらい寂しさを抱いて生きてきました。
この地上で、いつも一人で歩いているような不安。
誰も味方がいないような、人の眼ばかりが気になるような。
知人はたくさんいるのに、満足できない、いつも孤独な私。

人のために何かをしたいとか
私にもできる仕事があるはずとか

何かを見つけたいと思う心の裏には、私にだって一人前にできることがあると言うことを認めて欲しかったのです
そして無条件に受け入れて欲しかったのです

誰に?

障害を持つ体で生まれて、生きていくことは。決して不幸なことでもかわいそうなことでもないと、
心から認めて私にそのメッセージを伝えて欲しかったのです。

かあさん とうさん

認めて欲しいから、新しい彼氏ができると真っ先に報告し、人並みに幸せになれると実証しようとしました。
仕事はとても大好きで、身を粉にして働きました。
そう、ふたりのの手を借りなくても、私は一人前にいきていけるの…幸せにいきていけるの…と猛烈にアピールしていました。

孤独から抜けることができなかったのは、

私が求めていたものは人との真のつながりだったから
なにかができるから認めてもらえる関係ではなくて、何もできないままの私でもいいと思って欲しかったから

かあさん とうさん

ふたりの価値観としてではなく、私の価値観の基準で認めてもらうことを
ずっと私は望んで生きて来たのです。

「もう認めてもらわなくてもいいじゃない」
ある日、ヒーラーの人は私に言いました。
「誰が認めていたって認めていなくたって、あなたがここまで生きてきたことには変わりはないのだから。もう誰かに認めてもらいたいなんて、思わないでいいんじゃない」

この日、本当につい最近のことですが、私の心は親離れをしました。
人が人をすべて受け入れることなどできない。誰であっても同じこと。
私はゆっくりゆっくり、小さいとき自分が得られなかったと思っていることから、距離をとっていきました。
そして、普通に生きてきた20代の若者が、突然障害を持った子どもを授かったとしたら、と想像していったのでした。

私の言いしれぬ寂しさは、まだほんの少し奥の方に残っているような気がします。
自分と向き合う作業は、例えヒーリングエネルギーを流しても、時間がかかることなのです。
向き合うか向き合わないかを決めるのは自分なのですから。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...