2017年1月27日金曜日

明け方の夢

久しぶりに夢を見ました。

新しい家を探すことになり、大きなフラットの家が見つかった。作業場の一部を間借りする感じ。縫製関係の作業場で、作りかけの生地があちこちにある、忙しそうな作業場だった。ペットオーケーらしく、車椅子も中まで入れて、行けると思って契約した。その後トイレを見せてもらったら、とても狭くてシャワールームを兼ねていて、湯船がなかった。ふと今住んでいるところのお風呂の状況や、多分もっと探せばいい環境のものが見つかるだろうということを思うと、なぜトイレをちゃんと見なかったのか悔やまれた。契約を取り消してもらうことにした。職場(私は働いているらしい)でそのことを話すと、「手数料取られちゃうね」と同僚が教えてくれた。4万円ぐらいかな、と私は思い、仕方ないなと思いながら、契約したところに電話をかけ始めた。ここのところで、今見ているものが夢だとわかり、本当は家など契約していないこと、今の家に住めるということが蘇ってきた。そうだ、引っ越してはいないし、あの家はあるんだと思ってホッとして目が覚めた。

誰かとあったわけではないし、今回の夢は自分の何かのイメージかな、と思っています。作りかけの洋服の量が半端ではなかったので、それだけ今整理できないことが多いのか、トイレが思いの外綺麗だったので、片付きつつあるのか。。。とてもただっ広い家だったので、なぜあんな大きな家を借りたかったのか、謎です。

2017年1月15日日曜日

今朝、気がついたこと

今朝起きて、窓を開けて部屋の空気を入れ替えた時に、ふと気づいたことがあります。

近道は、ほんとうにどこにもないんだなって。

何事も、楽な道などどこにもないんだって。
どの道もそのように同じぐらいデコボコしていて、坂道があるんだって。

当たり前のようだけれども、私はそこに気づいてなかったみたいです。
だから、楽な道ばかり探そうとしていました。

日々のいろんなことに関して。
確かに体を楽に過ごす方法は考えたほうがいいけれども、日々の歩き方というか、道の選び方というか、そういうことは、どうすれば楽かという観点はやめたほうがいいんだと、突然思ったのでした。

楽な方を選ぼうとしていたのは、無意識な私の行動。

ひとつひとつ、やりたくないことや気が進まないことを検証していくと、「どちらが楽だろう」という観点で選ぼうとしている自分がいました。
その観点から物事を選ぶと、楽でなかった時に「こんなはずではなかった」とどうしても思ってしまうのです。

そしてなにも気がつかない。パニックを乗り越えて、ものごとが過ぎてしまう。
これはいけなかったなあと思いました。

どの道を進んでも、同じぐらいの高低さ。
ならば違う観点から道を選ぼうと思いました。




2017年1月14日土曜日

羽布団を洗ってみた

近くの商店街に、昨年、羽根布団も丸洗い・乾燥ができる洗濯乾燥機のあるコインランドリーができました。
最大洗濯物27kgまで洗えるらしく、洗剤は自動投入、乾燥までしてくれて50分で仕上がります。少なめの洗濯物ならば少し安くなるので(流石に27kg分の洗濯物など持っていけない…というか私が読み違えているんだろうか…)、ちょっとはまっています。
年末はカーテンとカーペットをまとめて洗ってみました。
 これは持っていくのに少し大変で、大きなランドリー用の袋に入れてもらって車椅子の後ろにかけてもらって行きました。。
電動車いすなので、コインランドリーまでは車椅子に運んでもらって(もちろん運転はしますが)。
ランドリーは一段の段差。介助の方にお願いすることになります。
カーテンとカーペットがほとんど乾いて仕上がったのは感動でした。

それに味をしめて、今回はいつも使っている掛け布団を丸洗いしてみました。
さすがに完全に乾ききるまではいかなかったので、家に持ち帰って暖房の風に当ててもらいました。
おかげさまでスッキリ。
昨年は、夏の暑い時も手放せなかったので(年ごろのせい ??)、やってみてよかったとしみじみ思っています。
コインランドリーおそるべし。流石に綿の布団は洗えませんが。。いつか洗えるようになったりして。その前にそこまで運べないですね、はい。

オチもない、なんとはない話でした。


2017年1月13日金曜日

今年の生き方

今年どのように生きるか、個人的なメモです。
年の初めに書いたものです。個人的に読み直したいので、読みにくいものですがアップします。

意味不明なところはすみません。解説を書かないので、読まれる方にはわかりにくいかもしれません。


● 習ったことを駆使する実践の年。謙虚な気持ちで、提供する側の人間になる。
● できなかったことはなぜできなかったのか内省して翌年に実践できるようにする。

実践したいこと
  毎日の瞑想、トレーニング、セルフヒーリング
  機会に応じてヒーリング技術を実践させていただく。その経験から人の生き方を学ぶ
  外側から見る自分と内側で体験する自分を日々意識する
  エゴイズムと自分を完全に見分ける。
  日々出会う人の幸せとは何かを考え、具体的にその人の幸せを願うとはどのようなことなのか考える。その結果、今、愛を持ってできることは何かを考えて行動する。
  
なぜそれが必要か
  人に痛みを与えないで、愛情を持っていつも生きられる生き方をする。人の幸せを願うことが本来の私の生きる目的だから、目的に近づいた生き方ができるこころを持ちたいから。

なんのためにそうしたいのか。私の生きる大きな目標
  春の風のように、温かさを分けられる人になる。人にわかってもらおうとする人間をやめて、理解する側の人間として、そこにいるだけで心に気力を分けてあげられるような人になる。

毎日心がけること
 出会う人と意識的に付き合うこと。親の目線で物事を見ること。無意識をやめること
 人の話を理解すること。カウンセラーになること。
 その人の幸せとはという観点から物事を見ること。
 一対一の関係性だけではなく、社会生活として広く日々を見ていくこと。
 心がやりたいと思うこと以外やらないこと。やらなくてはいけないという焦燥した気持ちを感じたときは、なぜそう思うのか内省すること。やったほうがいいのにできない時も同様に内省する。
感情に負けそうになったら、深呼吸して外側から見ている自分を意識し、何が見えているか確認すること。
わからなかったこと、できなくて悲しかったことは書き留めておくこと。それらが愛情を注ぐという観点からどうしたら良かったのか内省しておくこと。
または相手の方に対してどんな感情があるのか内省する。
自分のエゴイズムを意識して、エゴイズムで動かないようにすること。またはエゴイズムを理解して次の行動に生かすこと。

2017年1月6日金曜日

マイプロ道場。

昨年の後半は、友人から勧められて「マイプロ道場」という一般向けの講座を受講しました。

TIP*S(ティップス)(中小機構の組織の一つ)主催の、自分を見つけていくための講座です。

自分のやりたいことを、自分の生き方を振り返ることで客観的に見つめ、他者にプレゼンテーションすることで言葉にして発し、アドバイスしてもらう。
少し、ピアカウンセリングや自立生活プログラムなど、自立生活センターでやっていたことと似ている点があり、興味深く受けさせていただきました。

印象的だったのは、社会の中では自分に向き合ったり振り返る時間や、他者と分かち合う機会があまりにも足りないのだという事実を知ったことでした。
この社会で、気持ちを分かち合える人に出会えることは、奇跡に値することなのかもしれないと、やっと思えたのです。

本題から外れますが、
少し前まで、自分の生きる環境にばかり注意を向けていた私は、自分が努力しないから深い友人関係を作ることができないのではないか、と思っていた頃がありました。
友人というのは子供の頃のようにすぐできるものと心のどこかで思い続けていたのです。

人は人とは気持ちを分かち合え、わかりあえるものなのだと、そういうものなんだと思いこんでいたのです。

そこには、努力や相性や長い年月が必要ということ、その人との関係を日々大事にして初めて実現するということ、私のその人への気持ちが大事なのだということ、簡単に得られるものではないということに、なかなか気づけずにいたのでした。ようやくそのことがわかってきたのはこの10年ほどのあいだ。私の精神は幼かったのだと思います。

それでも、いろんなところに参加したりするたびに、周りの人々は楽しそうに会話をしているように見えていました。自分が話そうとするとあまりうまくいかないのだけれども、周りでは話題がいつの日も飛び交っているようなイメージでした。

人はどのように出会った人を思い、関係を大事にしていくのか。限られた共にいる時間の中で、相手のことをどのように理解していくのか。自分のことは相手に伝えたくならないのか。その疑問のようなものは心の奥から消えませんでした。

今回受けさせてもらったこの講座で、その疑問をきれいに整理できたように思います。

まず、悩みの根本は誰も変わらないということを実感できました。
私はこの体で「自分で何もできない」という状態を日々味わっていますが、それは私の持って生まれた世界のこと。私の現実に変わりなく、変えようもないことなのです。だから、自分の役割に合わないことを自分で求めても、他人から求められているように感じても、心強くやり過ごし、自分の役割を見極めるしかないのです。

マイナスイメージで書いているのではありません。役割を見極めていれば、つまり自分を知っていれば、欲に溺れる可能性を消すことができるということです。

それは誰の人生も同じことのように思うことができました。もし体が思うように動いて、自分で何もかもできていく人生がそこにあったとしても、できるからこそ人生は広がり、選んだことで自分の行きたい道にも進めるし、がんじがらめになることもあるのです。
自分の役割と違うことをやらなければならないことになった時、きっとその人は苦しみ、生きづらさを感じるかもしれません。それは私も同じ。何も変わらないと思えたのです。


そのような、人の気持ちに気付けるのは私次第。自分だけができないと思うことをやめることで、目の前の人がどのように感じながらそこにいるのか、興味が湧いてくるように感じました。
たくさんたくさん、人様の前で自分の思いを表現したことで、もう自分に集中することは終わりにしようと思えたのです。
外に目を向けて、外を理解してみようと。

こうして心と向き合うことはとても必要なことで、その時間は基本的に、他者の前では誰もがなかなか持つことができないことなんだということ。
それから、他者への多くのアドバイスや意見をうかがう機会を得たことで、人がその人の視点にたって物事を捉えて伝えられることは本当に大事なことなんだと教えていただきました。

人の話を聞ける人間になろうと思いました。自分を知り、人を知り、愛情を持ってその役を果たせるように。

教えてくれた友人に感謝しています。

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リンクの許可をいただいたので、下記に記します。
現在マイプロ道場は、7期目が始まっているそうです

TIP*S(中小機構)












2017年1月3日火曜日

この世界の片隅に

昨年から公開されている、漫画が原作の、広島が舞台の映画。新聞の記事がとても良くて、みたいと思っていました。

観終わった後、しばらく涙が止まらず、声も出ませんでした。ただそこにいて、心が落ち着くまでじっとしていたかった、じっとして、この2時間の出来事を、観て来たことを、自分の記憶としてがっちりと心に残したかった、そう感じる映画でした。

戦争前の、原爆ドームと呼ばれる前の建物、息づく商店、人々の暮らしが感じられること、広島から呉にお嫁に行った女性の目線からその世界を一緒に体験していく感覚のあること、その感覚は私には斬新で、心に刻み込まれるものでした。
アニメの画風がとても優しく、のんさんの声がみごとに主人公の深みを出していたのも印象的でした。

戦争は暴力でしかなく、人が人を殺していくことでしかないと、人々はいつも傷つきながらも、何か大事なものを失いながらも、力強く生きていたんだと、映画は語っていました。
ひとつ一つの出来事にはっとしながら、自分の世界はなんて狭いのだろうと思いました。生きることをいつも真剣にしなければと思いました。

同時に日本のアニメの表現力の確かさには本当に感動しました。アニメだからこそ描けたリアリティ、アニメだからこそ向き合えた様々な視覚的事実の表現力を感じました。

この映画はクラウド・ファンティングで資金を集めて作られたものだそうです。最後に資金を出された方々の名前をみながら、多くの方が関わった映画なんだとじんと来ました。

こんなに心に残っているのは、主人公一人分の人生観が描かれているからだと思います。
人が100人いれば、100通りの思いがあり、感情があり、人生がある。それが心に強烈に響いたのだと思います。

一本の映画で世界観が変わることがあります。私の今日観たことは日本が体験した戦争体験の一部でしかないけれど、本当に観に行けてよかったと思っています。。

日常生活が教えてくれること

三が日最後の朝も東京は晴れ。
小さなホットカーペットは足元でフル活動。底冷えを感じないようにするということはこんなに大事なことなんだと実感しています。

前回書いた「介助の考え方の違い」。もう少し考えてみました。
介助のあり方にこだわったのではなくて、こうした日常生活が教えてくれることはなんなのだろうという視点で、です。

介助のありかたについては、受ける立場である方もする立場である方もそれぞれあったりなかったりすることだと思うし、私と介助に来てくださる方との考え方のことでもあると思います。最近は、方法論を展開してもあまり意味を感じなくなっているので、今はここに書くのも控えます。

この日常が私に教えてくれること。
まず、コミュニケーションをとることは本当に大事なことなんだと感じています。言葉も態度もフルに使って、目の前の人を知っていくこと、思い込みでその人を勝手に判断しないこと。ということです。

私は、介助の方によく、「私に聞いてください」「何かをする前には確認してください」と伝えることが多いのですが、それだけではたりないのかもしれないと思いました。
それぞれの家事や生活の仕方の違い、そもそもそれぞれ別の人間なんだということに気づかないと、確認を求めてもそのことが難しい場合があるようです。

それはいつも私の課題だった、「相手を見ていない。自分の世界だけで物事を見ている」ということにつながりました。

私はいつも、出会う人と親しくなりたいという気持ちがあり、日々会う人を大切にしたいと思って生きて来ました。でもそれは、本当の意味で大切にしようとしていなかったんだと思います。
人はこうしたら喜ぶ、こうしたら笑ってくれる、そう思うのは自分の世界でのこと。目の前の人がどういう人かということに、着目しないと、本当にその人が喜ぶ行動はできません。かえって相手に気を使わせてしまう結果にもなります。私にはそこが欠けていて、私はいつも、自分が感じていた違和感を、人に与え続けていたのでした。

やはり自分がそういう気持ちを味わうことは大事なんだと思いました。人が望んでいることを察知することは、関係が深まらないと本当にできないし、深めるためには日々努力が必要なんだと思ったのでした。

もうひとつは、日常の一番身近で一番欠くことのできない場面でそのことを学んでいるということです。
自分の生活の根本である、身の回りのことや家事全般、何を作りどう食べさせてもらい、何に着替え、部屋の中をどう保ち、ということは、私は一人では人並みにすることはできません。
生活の根本にいつも助けが必要で、そこにいつの日も人が関わってくれています。

私はそのことを大切に、日々起こることを真摯に受け入れて、振り返ることが必要なんだと思います。
障害者としての思いにとどまらず、私の人生としてなぜそれが起こるのかを考えたいのです。

たくさんの方が私にくれることを、ひとつひとつ自分のものにさせてもらうことができるようになると、日々の出会いがもっと意味を感じられるものとして大切にできるように思うのです。









2017年1月1日日曜日

介助についての考え方の違い。

あけましておめでとうございます。
東京は青空でした。あまり今日は外に出なかったけれど、幾分暖かだったように思います。


個人的なことですが、自立生活に踏み切ってから、今年で24年になるようです。
その間に関わってくれた介助の方は、一体何人になるんだろう。
今日いただいた年賀状の中にも、むかし介助で知り合った人の、嬉しい知らせが混じっていました。

一般的に、重い障害を持つ人は施設などで暮らしているのではないか、というイメージは、最近はどうなんでしょうか。少しは崩れたのでしょうか。
少し私はその感覚に疎いようなのです。
介護職がこんなにも求められる時代になったけれども、やはり施設のイメージは強いのでしょうか。

駅のエレベーターが当たり前の社会になり、多目的トイレが増えて、障害者の雇用率も上がっているし、テレビに映る人たちも多くなってきました。2020年にはオリンピック・パラリンピックがあるので、これから様々な分野で街が変化していくように思います。

昨年実家に帰った時の最寄駅路線のエレベーター設置の変化は、私にとって大きな出来事でした。

24年このような生活をしていると、様々な方との出会いの中で、私の自立生活に対する考え方も少しずつ変わっていっているような気がいたします。

最初の数年間は、自分で生活を選び、決めて、選んだ責任を取っていくこと(他の人のせいにしないこと)ができるこの生活で、学ぶことが多くありました。
介助制度も発展途上だったし、行政との話し合いの日々だったように思います。

それと同時に、ながい時間を介助の方と一緒に過ごすということ、その全体に障害者として(介助という仕事のあり方を考える側として)どう責任を持って生活していくかが、私の課題だったように思います。

障害当事者団体でピアカウンセラー等のお仕事をしていた頃は、自立生活という考え方を理解した上で介助に関わってくださった方が多かったように思います。
私も仕事が充実し、また自立生活センターで責任を持つ役割をいただいて、自立の理念を大事にして生活していました。

そして今は、支援者としても仕事も辞め、障害者運動からもひかせてもらい、自立生活センターや社会福祉法人から介助の方を派遣していただいて生活しています。今の生活は私にとって、今までの価値観と違う学びがあるように思います。

高齢者の介護施設で働いている方に伺ったのですが、介護施設では介護者は自分で考えて動くことが主となり、介護される側がどうすれば心地よく生活できるかを考えながら動くことが主な仕事となるそうです。

その話を伺って、私はなぜ施設を選ばないのか、自立生活を選んだのかを改めて考えてみました。

わかりやすく書くならば、自分の人生に責任を持ちたかった、世間的にその責任がたとえほんの一部のことに見えたとしても、自分の選んだことに責任を持っていきたいと思った、その気持ちが始まりのように思います。

そしてできれば、自分のできること、自分の役割を見つけたかった。

生活のすべを知らないまま、すべての選択の責任を誰かに任せて、選んで援助してくれた人のせいにして人生を生きたくなかったのです。

だから私は施設には戻らなかったんだと思います。自分の生き方として。
施設を生活の場として選ぶ方もいるだろうけれど、私は地域で生活して生きたかった。
それが選択だったのです。

介助で来てくださる方の中には、介護経験のある方もいらっしゃって、私の今の生活スタイルはわかりにくい面もあるようです。考え方としてはまるで真逆、なのだそうです。

確かに、現実的には自分で何もできないし、誰かがこないと生活が成り立たないというのに、頼んだことだけやってほしいとか、生活の全てを自分で把握したいというのは、支援する側はどのように見えるのか、相手の目線に立ってみると、大変なことかもしれません。

でも、最近の経験から、その考えの違い、やり方の違いを説明することも大切なことなのかもしれないと思えました。
この生活を選び、いろんな方が来てくださる中で、ちゃんとした説明を試みることは、傲慢な面だけではないのではないかと感じたのです。
その経験の中でふとでてくる自分の甘えも、自覚した方がいいことだとも思いました。
まだ確かではありませんが、そんな気持ちでいます。

ただ、伝え方は、どうも私は直球すぎるようです。
どうしても、自分の生活スタイルにこだわりがあり、外れることに気持ちの悪さを感じてしまうのです。
理解を求めてはいけないとわかっているのに、瞬間的に子供のように感情が出て来てしまいます。
もしかしたらまだ、理解してほしいというものがあるのかもしれません。
自分の考え方が正しいのにとか、それをわかってほしいとか…。手放したはずの気持ちが、ぶり返してしまいます。
こういうところはまだまだ未熟だなあと思います。冷静に状況を知る必要があるのに。
例えば、お正月でも介助に来てくれる人がいるというのに。
私の経験値は本当に偏っていると反省です。

元旦からさまざまなことを考える機会に恵まれました。
こうして生活が続けられることに深く感謝して、過ごして生きたいと思います。

心豊かな年でありますよう、お祈りいたします。



全は一、一は全

先日、知人に尋ねられて、そういうこともあったかなあということがありました。 銀座の歩行者天国のおはなしです。 数年前、ストリートパフォーマンスをそこでみたという話を、知人に私はしたらしく。 覚えていないのです、悲しいことに。 書きたいことは、忘れっぽくなったということで...