2017年1月3日火曜日

日常生活が教えてくれること

三が日最後の朝も東京は晴れ。
小さなホットカーペットは足元でフル活動。底冷えを感じないようにするということはこんなに大事なことなんだと実感しています。

前回書いた「介助の考え方の違い」。もう少し考えてみました。
介助のあり方にこだわったのではなくて、こうした日常生活が教えてくれることはなんなのだろうという視点で、です。

介助のありかたについては、受ける立場である方もする立場である方もそれぞれあったりなかったりすることだと思うし、私と介助に来てくださる方との考え方のことでもあると思います。最近は、方法論を展開してもあまり意味を感じなくなっているので、今はここに書くのも控えます。

この日常が私に教えてくれること。
まず、コミュニケーションをとることは本当に大事なことなんだと感じています。言葉も態度もフルに使って、目の前の人を知っていくこと、思い込みでその人を勝手に判断しないこと。ということです。

私は、介助の方によく、「私に聞いてください」「何かをする前には確認してください」と伝えることが多いのですが、それだけではたりないのかもしれないと思いました。
それぞれの家事や生活の仕方の違い、そもそもそれぞれ別の人間なんだということに気づかないと、確認を求めてもそのことが難しい場合があるようです。

それはいつも私の課題だった、「相手を見ていない。自分の世界だけで物事を見ている」ということにつながりました。

私はいつも、出会う人と親しくなりたいという気持ちがあり、日々会う人を大切にしたいと思って生きて来ました。でもそれは、本当の意味で大切にしようとしていなかったんだと思います。
人はこうしたら喜ぶ、こうしたら笑ってくれる、そう思うのは自分の世界でのこと。目の前の人がどういう人かということに、着目しないと、本当にその人が喜ぶ行動はできません。かえって相手に気を使わせてしまう結果にもなります。私にはそこが欠けていて、私はいつも、自分が感じていた違和感を、人に与え続けていたのでした。

やはり自分がそういう気持ちを味わうことは大事なんだと思いました。人が望んでいることを察知することは、関係が深まらないと本当にできないし、深めるためには日々努力が必要なんだと思ったのでした。

もうひとつは、日常の一番身近で一番欠くことのできない場面でそのことを学んでいるということです。
自分の生活の根本である、身の回りのことや家事全般、何を作りどう食べさせてもらい、何に着替え、部屋の中をどう保ち、ということは、私は一人では人並みにすることはできません。
生活の根本にいつも助けが必要で、そこにいつの日も人が関わってくれています。

私はそのことを大切に、日々起こることを真摯に受け入れて、振り返ることが必要なんだと思います。
障害者としての思いにとどまらず、私の人生としてなぜそれが起こるのかを考えたいのです。

たくさんの方が私にくれることを、ひとつひとつ自分のものにさせてもらうことができるようになると、日々の出会いがもっと意味を感じられるものとして大切にできるように思うのです。









全は一、一は全

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