2020年12月4日金曜日

今朝見た夢

 明け方、気になる夢を見ました。

一面はたけのところに立っていました。

遠くの地域で火事があったらしく、地平線に煙が登るのがみえました。

火事だよ、という声が遠くで聞こえて、私も煙の立つ方をぼんやりみていました。


そうしていると、ケータイがなりました。

電話に出ると、知人のSさんの声です。

「火災に気づこ」

そう一言言って、電話は切れました。

そこで夢は終わりました。


私が何か気づいていないのか、今の現実で見えていないところがあるのか、

人間関係のことなのか、心のうちのことなのか、

今のところ、判断がつきません。


なんとなく、昨今の社会の現状をさしているようでもあり、警告もあるのかなあと、ぼんやり考えております。

2020年11月18日水曜日

罪悪感を手放す

 今月のヒーリングサロンでの個人セッションでは、前から気になっていたことに取り組むことにしました。

なんとなく、感じてはいたのですが、ここ何週間で明確に感じるようになったこと、


ある人と会うことで、数日後に体調を崩すことが多いと言うこと。


もともと自律神経が弱く、更年期になってからそれが頓着になって、ストレスがそんなにないと思われる日々を過ごしていても、頭痛が酷かったりする日もあって、

老化というものは、今までの感覚からでは判断できないことが多いものだと感じていました。


気づいたきっかけは、コロナ禍の中でつけるようになった、体温の記録を見た時でした。

その日にどこに行ったか、長い時間一緒にいた人は誰だったか、簡単に毎日記しているのですが、


どうも、あることの後数日後に、自律神経のバランスを崩しているらしい、ということに気がついたのです。


その日の夜セルフヒーリングに取り組むと、確かに、そのかたのイメージが。それも、私を恨んでいるというか、私をお嫌いらしいのでした。

思い当たるできことはありまして、私もその時分、今よりもっと人間的に浅はかで力量不足ということもあり、相手の方が求めることを差し上げることができませんでした。

その時のことは今も心に残っているのですが、どうにもならないまま今日まで持ち越してはいました。

気がついただけでも良かったと思いながら、その日の晩はセルフヒーリングで出来る限りのことは行ったのですが…。

私の感じたことは果たして本当だろうかという疑問が残りました。

見えない部分での人との関係は自分の感性だけが頼りです。確かに表面的にも嫌われているということは、そのかたも態度に出しているので理解できるのですが、実際自分の調子を崩している原因として考えてしまうのは危険なのではないかと感じていました。


個人セッションの日、事情を話すと、師は、ただ、その人がどんな人であるかを説明してくれました。

私が感じたことがあっているか間違っているかという答え合わせではなく、その人の性格を踏まえて、私がなぜ彼女の思い(念)を受け取ってしまったかという説明をしてくれたのです。


私はその方に対して、もしかしたら助けられたのに助けられなかったのではないかという思いを引きずっていました。それは罪悪感でした。


いろんなことを考え合わせると、本当に私にはできないことだったし、力量不足でできませんと答えることは、当時の私にとってできることでした。

なのに心のどこかでは、本当に何もできなかったのか。しようとしなかっただけなのではないかと、自分を責めていたところがありました。なのでそういう私の罪悪感とその方の被害者意識の波長が合い、私はその方の思いを受け入れてしまっていたのでした。


罪悪感というものは、相手の方を加害者にしてしまいます。無意識の中で。

今回、それを学びました。私がこのことに関係する思いを手放せば、日々の体調も改善し、相手のかたを意識しなくてもすみます。


私も体調を崩すなど思いもよらないところで支障が出てしまったけれど、相手の方も実は私の姿を見るたびに、気まずいことを思い出して嫌な気持ちになっていたのかも知れません。

本当は顔を合わせないで過ごすことができたら、お互いに良いのでしょう。


罪悪感といえば、昔勤めていた職場に対して、運営状態が大変なことを知っていながら退職してしまったことに罪悪感をずっと持ち続けていたようです。

障がい者福祉の分野は私の生活に密着していることなので、いろんな面で、話が耳に入り、一喜一憂してきました。


でも、今回の個人的な出来事が契機となり、ああ、この焦燥感も罪悪感から来ているんだと自覚できました。

私はもっと仕事ができたはずなのに、しなかった、してこなかった、しなくてはいけなかったのではないか、という思いは、

できなかった原因が力量不足や、不向きだったということを忘れて、もっとできるぐらいの力量があったのではないかと思いたい傲慢さが元になっているように思います。

罪悪感というのは、傲慢さなのかも知れないと思いました。


私は、仕事をやめた時、自分の力量の現実を知ったのでやめたのです。

その感覚に嘘はなかったのです。当時悪化した体調も、それを教えてくれていました。


私は罪悪感を手放しました。そして、自分にできることをせいいっぱいやり続けようと改めて思いました。




2020年11月9日月曜日

もらっているもの

 私は、今でも、経済活動に乗れなかった自分の生き方を心のどこかで卑下し、引け目を感じているようです。

もともと、仕事をもつことで自分を保っていたところもあり、全て手放した時は、もしかしたら違う道にたどり着くかも知れないという淡い期待を抱いて、就職活動をしたりしました。

なにか、誰かに「がんばっている人」と思われていないと、自分がなくなってしまうような気持ちになったりもします。

気持ちというものは、弱いものだと思います。

このような気持ちが湧いてきてどうしようもない時は、文章を書いてみたり、なにかチャンスが転がっていないかとネットにはまって落ち着かなくなったりすることもあります。そうしながら、今の私ができることは何か、改めてまた振り返るのです。

最近そんな中で気がついたことがありました。

ああ、私が今いただいているものは、福祉手当等の生活費だけではなく、介助の方への人件費も入るのだ、と。


全てが、私が生きることに対する報酬なのだと、ふと思えたのです。


仕事でもらう報酬は我慢料だという話を聞くことがあります。

忍耐が必要な事態を、お金をいただいて経験させていただいているという意味でしょうか。

私はどうしても、経済活動をしていない自分を責める気持ちがありましたが、全てが私の報酬なんだと思いついた時、

ああ、それならば日々の生活でベストを尽くしてみよう、

と心から思えたのです。

報酬をいただいているということは、私も相応の物を提供する必要がある、


変な考え方かも知れませんが、そう考えた時、自分が生きる時にいただいている全てのものに意識して、ありがたく思えたのです。


今の私の力量でできることは、とても小さなことかも知れないけれど、私なりのベストで生きてみようと、思えました。

いただいているものに対して、それがなくなるかも知れないという不安や、もらい過ぎてはいないかという疑いや、もっと違うものが欲しいという思いを、うまく整理して、


今日の分の自分なりの働きをすればいい、やっとそう思えました。

そう、その役割は、私にしかわからないことでいい、誰かの期待通りにならなくていいし、誰かに認められることを欲しなくていいのです。

大事なことは、私らしく行動すること。私の愛を表現すること。それだけ見失わなければいいのです。

生活が変わっていくのならば、仕事が変わっていくなどと思えばいいことでした。

思えばいつも一つ一つ整理しながら、四半世紀を超えて地域で生活させていただきました。


今の私の生活は、思い起こせば一番穏やかです。この穏やかに過ぎていく時間を、大事に生きていきたいと改めて思いました。


2020年11月8日日曜日

見失った時代を振り返る 1

 本当はコロナ 禍は落ち着いたわけではないけれど、以前より落ち着いているように見えるこの頃です。

日常生活の中で+アルファの部分であった、動的なボランティア活動が難しくなり、空いている時間は、動画鑑賞と本に依存しています。

時折Zoomで友人と話したりできているのはありがたい限りです。


この数ヶ月、身近な人との関係を見直す時期でもありました。

なぜ自分は今の家族と巡り合ったのか、

自分は家族の中でどんな役割だったのか、

私はその役割が果たせたのか、そしてどんなふうにこの先を生きていけば良いのか。

霊的心理を学び続けている身である立場から、ヒーリングサロンの時間をいただいて、少し振り返る作業をすることになりました。

私の生きてきた過去性の多くは、いろんなものを背負ってしまう結果になったものが多いのですが、今生で家族になってくれた人たちの中にも、私と同じような過去を持ったり、私と同じような課題を残してしまったりした人たちがいるようです。

特に私は、遠い昔の過去生の中で、ただ自分の権力にしがみつき、周りで世話をしてくれる人を人と思わずただふんぞり返っているある人物の生き方に憧れ、その生き方を後の人生で追求し、想いを達成してしまったことがあったようなのです。

その人生で実は多くの人を苦しめた上、その後もその思いはネガティブエレメンタル(エゴイズム)として私の中に残り、たくさんの人生を狂わせました。

今回私は多くの人との出会いに恵まれて、物事をネガティブに考えないことと、思いやりのありかというものを学びました。多くのことを知った今、私欲に流されたり、自分のことばかり考えて行動することはやめようと決めています。

その目で見てみると、未だ気付けずに自分が正しいと信じて、周りの思いに気づかないまま生きている人が哀れにも見えます。いつか気がついた時、その人はきっとひどく悲しむと思うからです。

自分がどんなに周りの人を苦しめてきたかということを自覚した時は、とても苦しいからです。そんな思いをこれからいつか自分から飛び込んで感じる日が来るんだと思うと、その人に対して複雑な思いになります。

でも私にとっては、その人たちは身近な存在であり、そういう利己的な考えを持つ人を身近かに感じることがどんなに辛いかという経験をくれた人たちでした。なかなか得られなかった感情を今回味わうことができました。

私も、誰かにこのような思いを与えていた、このような苦しみを与えていたと気づかないまま、毒を吐いていた時代がありました。人の意見を耳にせず、気にかけてくれた人を悲しませながら、自分本意に生きていた時代がありました。

そのことを忘れてはいけないと思いました。

何千年の魂の旅の中で私が気づけたように、いつかみんな気がつく日が来るのです。誰かの声が心に届き、自分から自分を見直せる日が来ます。

今はその意味も信じられるのです。


いろんなことを知ったとしても、日々の課題が消えたわけではありません。  

一日一日を、どう生きるかなのだと、やはり今回も思いました。


何度も悩み迷い、何度も思い出し確認する、その繰り返しの中で、いい部分が強化されていくといいのですが…。






2020年10月11日日曜日

ここまで地域で生きることができたこと

 最近、いくつかの出来事の中で、自分の生活を振り返る機会がありました。


福祉制度を活用して生きる、と一言で言っても、考えてみるといろんなことがあったなあと。

25年以上たった今、ひとつ一つの出来事はそのほとんどが小さなことのように感じられます。

今の生活は、とても等身大の感覚で暮らせていて、時間も私なりのスピードで流れていっているように感じています。


ただ考えてみると、いろんなことがないわけではなかったのです。

ホームヘルパー制度の中で、一日置きにしか介助が受けられなかったり。

モデル的な制度の中で、私の介助内容が市の福祉課の問題になってしまったり。

引っ越すたびに一から行政と話し合わなければならなかったり。

福祉精度が変わるたびに混乱したり。

支援団体が変わったり、職場が変わるたびに介助体制も変化したけれど、大丈夫、何も問題ないという格好をつけてしまったり。

思いもよらないところで人と別れることになったり、嫌われてしまったり。(私も自分が見えていなかった時間が長かったです。)

もちろんたくさんの人たちに助けていただいた人生だったけれど、私なりに、何も苦労していなかったわけではなかったかもしれないと、最近感じたのです。


やっばりね、いきなり、制度があるからってそれを行政に申請しようと思っても、自分らしくうまくいくようになるには、それなりの体験が必要なんだと思います。

自分に必要な介助がどんなものなのかということも、体感の中で培っていくものもあるのだと思います。


自分の障がいをどう捉えるか、体が動くのか、動かないのか。自分でやろうと思えばできると感じているのか、できないと感じているのか。

生活に対する物理的な考え方は、やがて、自分はどうこの人生を生きるかという難題に向かっていきます。


どのような世界で生きていても、それは簡単ではない、ということ。
それを私は今とても実感しています。

だから目の前の人の生き方を、心から知っていきたいと思っています。できる限り、理解しようと努力したいのです。

私が日常の中で無意識に受けている、「上から目線」を、学びとして、目の前にいる人に向けることをしないように。

失礼な態度をとる人と出合ったら、私も誰かにそうしたことがあるのかもしれないということを心に思い出して、

できる限り、知りたい、理解したいと思っています。

私が人からの「上から目線」を不快に感じるということは、私もその要素を人に晒しているということなのでしょう。

失礼な態度に心を揺さぶられるのは、その部分をまだ整理できていないと、その人を通して教えていただいているのでしょう。

そのことを忘れずに歩いていきたいのです。

私が選んだこの地域、生きていくことを選んだこの地域で、なんでもないことのように日々の迷いを乗り越えて生きること。

あの人は能天気ねえ、と噂されながらも、見えない部分でしっかり生きていきたいと思うのです。

しっかりと生きる、誰の目がなくても、あっても、そうありたい自分を見失わずに生きていきたいです。

2020年9月28日月曜日

ご縁と、過去生と

 思えば、前回の更新から一ヶ月経ってしまいました。

おかげさまで体調良く、日々を暮らすことができています。


この一ヶ月、心の隅にあったことを、書いておこうと思います。


身内との縁をふたたびたどる機会を作りました。

きっかけは、8月の個人セッション。
身近な人との、過去生の接点を辿ることになりました。


レイキヒーリングを習ってから、私は時折家族のヒーリングをさせていただいています。

ヒーリングという行為は、本来、本人の許可がなければ絶対にしてはいけないものです。ヒーリングはあくまで「させていただくもの」であり、本人がやりたいと思って初めて成り立つものだからです。
やってあげたいから、必要だと思うから、など、こちら側の勝手な思いでしてはいけないのです。

本人にとっては今の状態がベストなのかも知れないし、やってあげたいと思うことがこちら側の傲慢な気持ちかも知れません。大きなお世話と言うことになってしまいます。

また、許可を取らずにしてしまうと、なんらかのカルマになるそうです。


ただ、家族は、本人の許可を取らずにできるそうなのです。

父、母、兄弟姉妹、娘・息子、そして夫。

私の場合は、子供や夫はいないので、それ以外の家族という括りになります。

肉親のご縁は切れることはないので、ヒーリングも可能のようです。


家族のヒーリングといっても、始めると大抵は寝てしまいます。
なので、レイキエネルギーを送ることぐらいしかできません。


先月、日常の出来事がきっかけで、家族の一人との関係性を、個人セッションの場で振り返る機会を得ました。

二人の人生に接点があった、出来事を知る時間でした。


一つは、私がエセ坊主だった時代。どこかで手に入れた怪しい民間療法の本の内容を鵜呑みにして、見よう見まねで人さまにアドバイスをしていたらしく、その行動が原因で多くの人が迷惑を被っていたようです。
家族の一人はその被害者で、家族を亡くしていました。

もう一つは、ルーマニアの古い時代のことです。
この時代の私は男性で、脊椎カリエスのような障がいがあるようでした。
当時雇われていた主人の指示で、子供達を集めていたようです。

家族の一人はそのときに子どもを失った犠牲者でした。


たくさんの過去を振り返ってきたここ10年ほどでしたが、今回知った過去生については、とても心に残りました。

子供達の姿が、脳裏に焼き付いたからです。

本当に申し訳ない思いでした。


そのことを踏まえて、家族と私の遠隔ヒーリングを依頼したのです。


ヒーリングの結果を毎回読ませていただいたとき(遠隔なので、施術後どうだったか、後日メールが届きます。)、

それぞれの人生があるのだなあ、と、しみじみ思いました。


確かに、私との過去生の出会いは、よくないものばかりで、客観的にみられないものばかりでした。

でも、過去生というものはものすごくたくさんあり、それぞれがそれぞれの課題を持って今の人生があるということを実感したのです。

そして、障害ある私の人生は、今の家族に与えるものがちゃんとあったということも理解しました。

私たちはこの人生で家族になって、

切れないご縁の中で、学び合っている、そう思いました。

そして、人生の課題はそれぞれのものであるから、それぞれが気がついていけばいいことで、

私だけが、過去生があるからと、全てのことを背負おうとしなくていいということも理解しました。

ヒーリングの世界は、サイキカル界(感情の世界)なので、その人の本当の気持ちが伝わってくることもあります。

家族から私への問いは、

「人生、楽しんでる?」「自分を慈しんでる?」というものだったそうです。

さあ、どうなのでしょう。どうなのかなあ。

今はただ、このコロナの世界を感じて生きようと思っています。










2020年8月21日金曜日

昨日、おかげさまで

 今年も誕生日を迎えることができました。(書いていたら一昨日になってしまいました汗)

友人たちからメールが届き、小学校の担任の先生からお電話をいただきました。

「55歳でしょ、私は94歳よ!!」


その数日前からケーキを持ってきてくださった方も、おごってくれた方もいて(介助でずっと関わってくださっている方です)何だかとっても幸せな日々を過ごしました。

ありがとうございました。

あえてsnsには公表していないのですが(毎年悩みながらも数年前公表をやめました)、誕生日、誕生月はやっぱり特別だなあと思います。

覚えていてもらえるって、嬉しいことですね。そして、メールでも久しぶりの会話は、楽しいことでした。

私も何か自分に買ってあげよう、と思って、数年ぶりにポテチを二袋。

千葉の丸大豆醤油味と、栃木の餃子味。

ちびりちびり食べようかと思いまして。








2020年7月21日火曜日

久しぶりの個人セッションで感じたこと 前世への旅

4月から3カ月間リモートで時間をいただいていたヒーリングルームに、本当に久しぶりに伺うことができました。

いつもこの時間は私にとって貴重な時間ですが、今回も忘れられないことがあったので、このブログに記録しておこうと思います。

今回は、今までもなんどもやってきた、第4チャクラをみることになりました。
なんとなく最近、じぶんの心が傲慢になったようで落ち着かなく、特に胸のあたりに気持ち悪さを感じていたからです。

セッションの内容なので、少し気分の悪くなる表現を感じることがあるかも知れません。
前世はいい思い出ばかりではないので、ご了承ください。

最初はモヤがかかったように黒くてよく見えなかったのですが、もやをきれいにすいとると、石畳の道と、石造りの街並みが見えました。
人はいなくて、静かな街並み。ヒーリングサロンの師の提案によって近くの家に入ってみると、そこは血の海。服が広がっていて黒くなった人が亡くなっています。
部屋は乱れた様子もなく、何かを盗まれた形跡もありません。

その家を出て、他の家に入ってみました。
そこには、高齢の女性がご飯の支度をしていました。
私自身はこのかたとつながりがあるのかどうかわからなかったので、そのかたに私のことを知っているか聞いてみました。
彼女は、知っていると答えました。
うちの息子を殺した人だ、とおっしゃったのです。
でもその顔は、穏やかに見えました。

そのころの自分を探してみなさい、と、師のアドバイスがあり、私はその頃の自分に会いに行きました。
その頃の自分は男性でした。そしてその国の兵士でした。
利き手には刀を持ち、血で手は汚れていました。


彼の仕事は、ペストにかかったこの街の人たちを、殺すことでした。
もし彼が引き受けなかったら、彼の後輩が引き受けなくてはならなくなる仕事でもありました。
この頃は伝染病に対する知識もまだなく、ペストのように人々をしに追いやる病が流行ると、その街ごと消滅させる方法が取られていたようです。
まだ調べていないので歴史的なことは不明ですが、あとでググってみようと思っています。

その役をやらなければならなかった、彼はとても辛かったようです。
その街は彼の故郷でした。小さい頃の彼を、街の人たちはみんな知っていました。

彼は役目を終えると、一人森の奥に行き、誰とも合わず、結婚もせず、森の中で一人で天寿を全うして死にました。
人生の意味を見失い、絶望の中で死を迎えたのでした。

この人生で学びたかったのはなんなのか聞いてみなさいと師からアドバイスがあったのですが、彼も私も感情が昂ってしまい、うまく話せません。
そこで、彼のガイドさんに聴いてみることになりました。

「どんなに最悪な事態になっても、できることがある」

なにか私は、すごく納得しました。彼の人生は最悪でしたが、まだできることがあったのにやりませんでした。彼はこの人生では、重要なことに気がつけず、学べなかったのです。
そのことはその後の人生に、影を落としました。

私は、師のアドバイスのもと、亡くなった人たちを弔い、祈ることを彼に提案しました。
彼と一緒に、一本一本小さな棒を地面にたてて、祈りました。
彼は私に、一人一人がどんな人だったか、どのような思い出があるのか、全て話してくれました。彼は全て覚えていました。街の人たちを大切に思っていたのです。

棒を立て終わった後、師が私に言いました。

その棒全てに、火を灯します。なくなったひとたち全員と会えますよ

火が灯ると、亡くなった人たちがみんな彼に会いに来ました。
誰も彼を恨んではいなかったのです。

私は思わず嗚咽しました。


「彼はそれが仕事だった。街の人はみんな知っていた。何も知らない人よりも、知っている人に手にかけられたことに、街の人は良かったと思っている。だれも怒っていないでしょう。」
彼は街の人たちと、行くべきところに行きました。

この出来事は私の心の中にあった深い傷。今の日常の中で思い出すことになったのか、手離す時期だったのか、定かではありません。

でも、今回の経験ができたことで、人は成長していくものだということを、実感できたのは収穫でした。
明らかに古い時代の過去生とは、考え方も今の私に似ていたところが多かったのです。
何より、聞く耳のあるまともな人でホッとしました(今までの過去生の自分がどんなに酷かったか汗汗汗このブログにかけない汗汗)。

同時に、今の自分の課題もみえました。
あと一歩のセンスがない、踏み出せない、少し視点を変えてできることを探せない。
過去の自分もそうでした。自身の絶望にはまって、今みんなのためにできること、本当にやりたいと思うことができずにいました。

今回は、やりたいことをやっていこうと思いました。わからなくなったら周りに話し、ヒントをもらおうと思いました。

もっと周りを信頼して生きようと思えました。

思い出すと涙がまだ出てきます。良い時間に感謝。

そして私の日常には早速お試しの出来事が来ています。

世界も日本も身近なことにもいろんなことが起きていますが、出来ることはきっとあるはず、今はそう心から思います。




2020年7月11日土曜日

それぞれが住んでいる世界

最近よく感じることは、
「ひとりひとり住む世界が本当に違う」
という実感です。

同じ場所にいても、同じ映画を見ていても、本当に一人一人の世界は違っていて、その人はその人の世界で生きているんだと、本当に感じます。

だから、目の前の人を知ろうとしない限りは、理解しようという視点を持たない限りは、本当に自分の世界しかわからないのだと、感じています。

相手の世界を少しでも知ろうとすることが、自分の世界を広げることなのだと、今更ながら思うのです。

そのための対話、そのための言葉。だから言葉は大切に使う必要があるのだと感じました。

そして自分自身は、自分の心を成長させていくことに責任を持つこと。
成長するとは、自己中心的な思い込みを手放し、愛の形を理解していくこと。
それをできるようになることが、私の今世の人生としての目標です。
そのことを胸に、自己表現を試みます。

自己を表現するとは、自分の愛の形を示すこと。
愛の形を示すことを繰り返していく中で、他者への表現方法を獲得していくのではないかと考えます。
愛を示すことを意識しなければ、人は成長できないのではないかとも感じます。
独りよがりの世界で、どんなにいい人ぶろうとも、親切ぶろうとも、
本音が違うところにあれば、本当に他者のことを思っているわけではなく、
見せかけの表現からは、心にはネガティブなものしか宿らない、そんな気がします。

たとえ技術を磨いても、何を表現したいのか、そこが明確でなければ、人の心には届くことなく流れていくような気がします。

私はまだ少ししか実感できていないように思いますが、小さなことを積み重ねて、自分を見極めて、本当の自分を、目の前の人に対して表現していきたいと感じています。
その日に表現できたことが、たった一言であっても、心から伝えられる人間としていきたい、そう思います。

自分の世界を自覚して、他者の世界に興味を持ち、その時その時愛情を表現できることが、人として自立することなのではないかと、今は感じています。
できないことをを支えていただいているこの世界で、自分一人分の役割を明確に果たせるなら、本望です。

今朝の夢

なんだか、ストレスフルだと思う毎日です。世界中の人たちが、何かしら感じながら、心を痛めながら、生きているのかと思うと、心が痛みます。

今朝の夢です。夢の話なので、現実の話ではありません。

私が逝くことになり、今日だと感じた時のこと。部屋の中は、病院の地下一階のような広い待合室でした。若い人たちが結構いて、談笑していて賑やかでした。
その中に混じって話をしていました。みんなには私の姿は見えているようで、私とみんなとの関係は、遠くもなく近くもなく、知り合いのような関係みたいでした。現実の世界で知っている人はいませんでした。
部屋はほの暗く、窓がないので、空気の流れがないようでした。
お迎えがいつ来るか、いつ来るかとドキドキしていると、不意に自分の姿が鏡に映らなくなっているのに気がつきました。もう時間がないことがわかりました。
近くにいる人に、もうすぐいなくなると告げても、なんだかピンとこないようでした。

大きなテレビがつけっぱなしになっていましたが、私の名前を呼ぶ声がして、テレビの中から、髪を二つに縛った10代後半ぐらいの女性が、出てきました。
「お待たせしました!」
女性はそういうと、にこっといい笑顔をしました。
結構早足で、その女性について行きました。膝歩きだったと思います。
途中で何人かの人に会い、声をかけられたので、行かなくてはいけないということを告げると、寂しがって見送ってくれる人もいました。あまり付き合いがないのに、感激して私も泣きました。
扉から外に出ると、なんだか変わらない世界で、人々が外で撮影の仕事をしていたり、つまらなそうに働いていました。
なんだ、何も世界は変わらないものなんだ、と感じながら、自分はそれらの姿を上から見ていました。体は幾分軽くなっているようでした。
行き場所までは行けませんでした。そこで目が覚めてしまいました。

書いてみるとホラーのようですが、怖くはありませんでした。
それよりも夢を見ている間は、そんなに世界の見方は変わらないんだという、つまり生きている世界と肉体をなくした世界はそんなに変わらないという実感の方が大きかったです。

自分の目線が、上から地上を見ていると気がついたのは、目が覚めてからでした。

変わった小説を読んで寝たからなのか、私の今の精神状態を表しているのか、今回の夢は訳がわかりません。

ある説によると、自分が死ぬ夢は、新しい自分を発見するとか、古い自分を捨てるとか、転機の象徴という意味があるようです。

どうなのでしょう。ね。。。

2020年6月25日木曜日

恵まれていた世界の思い出たち

ここ数ヶ月の間、感じていたことを、書いておこうと思います。

ああ、今まで本当に、恵まれた、人生だったんだなあという実感でした。

私の日常は、多くの人たちに支えられながら、望んだことをなんでもできる状態になっていました。

ある時期から私は、経済活動を諦めボランティア活動を選びましたが、自分の選んだ活動ができる、相手側に受け入れられる環境に生きていました。

教育を受けたいと思えば受けられました。興味あるワークショップに、夜も出かけようと思えば行ける環境でした。

運動も毎週行えました。そこにはちゃんとサポートしてくださる人が待っていてくれました。

映画も演劇も、美術館も、望めばいつも叶いました。

ご飯を一緒に食べてくれる人が、必ず月に何回かはいてくれました。
女子会もウチ飲みも、話に乗って楽しんでくれる人たちがいました。

どんな人でも、多少の制限はあります。私は私の現実があり、制限や制約もありましたが、その中で確実に寄り添って目線を合わせてくれる人がいて、隣に座り続けてくれる人たちがいました。
理解しようとしてくれる人がいました。

その中で私は、いろんな刺激をもらって、経験を積むことができました。

なんて恵まれた世界に住んでいたのだろう、本当にそう感じます。

経験ができたということ、悩んだ形跡を持てたということ、やりたいことができたという思いは、私の中で消えることのない記憶です。体のどこかでいつも忘れない一人分の歴史です。

一人ではできなかったことでした。
ほんとうに、ほんとうに。

出会ったたくさんのみなさん、今も私に関わろうとしてくださる皆さん、
私が身を置いていた環境の全てに感謝の気持ちが止みません。

ほんとうにありがとうございます。

このたくさんの思い出を味わいながら、新しい世界に生きていくのだと、感じています。

戻らない時の中で、一日一日を大切に歩いていこうと思います。


2020年6月18日木曜日

自粛中に観たアニメ

自粛期間中に観た、印象的だったアニメの話です。
二つとも某無料サイトから観られます。


どちらも、教えていただいて、観てみようかな、と思い、観始めました。


1 ファンタジックチルドレン


最初は、一体何を言いたいのだろうと、理解がうまくできませんでした。
途中から、全体像がみえてきて、一気に理解したという感じでした。

私は、登場人物の中で「トーマ」という名の少年に感情移入をしました。
最後は、ああよかったなあと思いました。

最後の展開は、視聴者は賛否両論だったようですが、私はこの話の展開に最後まで納得できたし、希望が持てました。

人の魂は生まれ変わっていろいな人生を体験しながら成長していくと、私も霊的真理を教わる中で理論で教わり、自分の過去生を知っていく中で実感してきましたが。決して「いい人の人生」ばかりを生きてきたわけではないことを知っています。

あまり内容は書きたくないので、わかりにくい感想になってしまうかもしれませんが、やっぱり、いい人でありたいと今は思うけれど、いい人でなかったことが誰でも多くあるのかもしれないと思いました。

自分が、昔の行いを知った時、その重さを受け止めることがいつの日もできるのか、このアニメを観ながら考えさせられました。

原作がなく、いきなりアニメの世界だったようですが、リアルな歴史との絡みもあり(私は教わるまで気づけませんでした汗)、見応えのあるアニメでした。
*************** 




2 地球少女アルジョナ 

これは別の方から教わったアニメで、回数も短く、すぐも終わるのかなと思いながら観始めました。
内容に重みがあり、一話ずつゆっくり観た方が心に入る気がして、あまり急がずに観ました。
一話一話、感情が揺すぶられて、心が痛かったです。
そして、自分が物事に対して、自然に対して、不感症になっている気がしました。

関西弁の主人公が妙に現実的で、内容の重さとプラスマイナスというか、深いところに入っていきやすい感じを受けました。

感じやすくなるのは、ある意味辛いことかもしれませんが、何も知らないまま笑っているよりましな視野が持てるのかな、と思いました。
感じやすくありたいと思いました。

誰かがUPしてくれているおかげで、今はもうテレビでも再放送されない番組が観られるのは、いい時代に生まれているなあと改めて思いました。

いろんなことがありながらも、こうした時間がつくれたことも、ありがたかったなあと思います。



2020年6月8日月曜日

さっきまで見ていた夢

久しぶりに夢を覚えていたので書いておこうと思います。早寝をしたら3時間ほどで目が覚めました。

介助の方と出掛けたけれど、途中から一人で歩こうと思いました。
知っている道で、すぐに帰るつもりでしたが、見慣れたところなのに道に迷ってしまいました。
でも、お世話になった人に届け物があり、それだけは届けなくてはと思いました。
その時は介助の方と一緒だったような気がします。

その方を尋ねたら、かなり若い女性が玄関先に出てきてくれました。
ご本人ではないように思ったのですが、とても親しげに、親密な感じで私のことを見てくれました。私は、その人に伝言を頼んで、お世話になった人に手渡したいパンを若い女性に預けました。パンはまだ暖かでした。パンの袋が開いているような気がして、介助の方に確認したことを覚えています。袋の口はしまっていると言われました。

介助の方には家に帰ってもらい、一人で帰り街を探しながら、懐かしい居酒屋や、食堂などを遠目で見ているうちに、帰り道を見失いました。

車でいつも送ってくれる(夢の中のストーリーなので実際には会ったことはありません)気の良さそうな年配の男性に、駅まで送ってほしいと頼んでみました。頼みながら、あれ、駅は近かったな、と思っている自分がいました。本当は家の近くまで乗せてもらいたいと思っていました。今のようなご時世に、なぜか現代の現実がそこにありました、電車に乗ってはいけないような気がしたのです。

気の良さそうな男性は、最初は送ってくれそうでしたが、4時間後に知り合いのご老人がテレビに出るので絶対見たいんだという話をしてきました。それでは落ち着かないと悪いので、一人で帰ると伝えました。するとその男性は、車椅子のタイヤに空気を入れてあげると言ってくれて、整備をしてくれました。

すこし進むとすぐ駅で、見慣れた電車が走っていました。
自分には覚悟が必要なんだな、と思ったところで目が覚めました。

夢から醒めて思ったことは、
人にむやみに要求しないほうがいい、人がやってくれることと自分がやってほしいことは違うし、いつも人は自分のできることはしたいと思っている、ということでした。
つまり、依存しないで自分で生きる覚悟を持てば、周りはできる限りのことで助けてくれるよ、というメッセージだったように感じています。

介助の方もお世話になっている方も、リアルに同じ関係を持っている方でした。私も電動車椅子で走っていましたし、最後に出てきた駅は最寄駅だったので、今の人生へのアドバイスだったように思います。

受け身であることと、受け入れて生きることの違いを最近よく考えていたので、そのヒントをくれたのかな、と思います。

お世話になっている方は、すごく若かったけれど、本人だったのかな、と今は思います。私が伝言を頼んだら、けげんそうだったので。

長くなってしまいました。人の夢の話に付き合ってくださってありがとうございました。すっきりしたので、もう一度寝ようと思います。おやすみなさい。

2020年6月1日月曜日

おうち映画三昧

stay homeの月末、映画を一気見しました。

  
幸せなひとりぼっち 

なんだか不器用な主人公でした。
一辺倒で、ルールに忠実で、偏屈と受け止められがちな人。
外国から来た隣人との関係を通して、彼の誠実さ、人の良さがすこしずつ周りにわかってきます。
いや、実は周りの人は彼をよく理解していて、知らなかったのは映画を見ている私だったのかもと、途中から思いました。

まさか後半に、私の人生のあり方にかぶるエピソードが出てくるとは思いませんでした。
観終わった後は、なんだか暖かくなりました。
ああみんな、理解していたんだなあって。


ホームレス ニューヨークと寝た男

これはニューヨークのマンションの屋上で暮らすカメラマンの物語というか、ドキュメンタリーでした。
すごい生き方だなあと思いました。

家を失ったことを楽しんでいるようにも見えましたが、最後は弱音が出たり、観ていて、自由な発想で人生を謳歌しているようにも見えたし、哀しくもみえました。


奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ
勉強の苦手なフランスの高校生たちが、自国にあったユダヤ人の収容所、ナチスの歴史について学んでいきます。
高校生たちそれぞれの偏見や差別、暴力に脅かされている日常が垣間みられて、
切なかったりします。また、他宗教に対する拒絶感もところどころ社会派的に映し出されます。
先生を真の職だと感じている人の目線というのは、生徒と違う目線なんだということを、感じることができた映画でした。


南極料理人
これは邦画です。そしてコミカル。単純にリラックスできます。あまりシリアスなことはありません。なんだか楽しみました。本を読んでなかったので、すこし想定外でした。


オリーブの樹は呼んでいる
これはスペインの、お爺さん思いの孫のはっちゃけた物語。なんだか見るのがしんどくてあまり真剣に観ませんでした。家族の話です。機会があったらもう一度ちゃんと飛ばさずにみようと思います。
ただ、家族は大変なんだよ、的なセリフを言った叔父さんの表情に、妙に共感してしまいました。

2020年5月24日日曜日

私は誰??

スティホームが続いた東京。コロナウィルスは、ほんとうにいろいろ考える機会を私にくれました。
このことは後でまた書きたいと思います(まとまればいいな)。

思いつきですが、プログの文字表示を大きくしてみました。
パソコンやスマホは拡大機能がついているので、ブログ自体の文字を大きくすることは考えていませんでした。

でもそういえば文字を大きくするために私自身もスマホで二本指がうまく使えず苦労していることを思い出し、初めから表示を大きくしようと思ったのです。

どうも私も、自分はとっくに老眼なのに、読み手に文字調整してもらうことばかり考えて書いていたなあと反省しました。

(小さい文字が読みやすい方は、恐れ入りますが調整していただけたら幸いです。)


本題です。

私は誰

ここ2ヶ月ほど、ヒーリングサロンmedicine wheelのセッションも、リモート(遠隔)で受けさせていただきました。

ヒーリングさサロンもそうですが、普段なかなか会えない知人ともリモートならば顔を見て話せて、私なりに時間は有意義だと感じています。

先日のセッションの中で、「これからの半年、どう生きますか」と質問されました。ハッとしました。
数ヶ月の出来事の中、私は自分の心に向き合うことに精一杯で、半年後にどのような自分になっていたいかなどという思いは、忘れていたのです。

昨年末は、

来年のテーマでぱっと浮かんだ字は「仲」。
いろんな形で関係性を深めることを忘れずにいたいです。

そして個人的な課題は、直感を使うことと、拒絶しないこと。
様々な価値観に出会うたびにびびっている自分からの卒業です。


なんて書いていました。

今考えると、相変わらずびびっているなあと思います。
情報に埋もれ、耳にするものを鵜呑みにし、後からその意味を考えるので、消耗している気がします。
判断力がありません。知識がないからでしょうか。
知らないことが多すぎて、自分なりの考えを持つまでとても時間がかかるのです。
それまですこし不安になるので、自律神経が落ち着きません。

そういえば、直感を鍛えたいとも思っていました。
ヒーリングサロンの師曰く、

直感とは、愛から来るもの

なのだそうです。

その行為に愛があるかないかで、ものごとは暖かく感じるか恐怖を感じるか、受け取る側の印象はかわる

私はどうしても知識を基準に置いて考えてしまう癖があり(あまり知識がないのにもかかわらず)、そこも間違う要因の一つだったようです。

心が何を感じているか、もう少し意識してみようと、昨年の年末に思ったばかりでした。

最近の動揺を繰り返す自分の心を思い返すと、

どうも信念がないのではないか

そう思うようになりました。

信念がないから揺らぐのでは、ビビるのでは、情報を鵜呑みにしてしまい何が正しいのか分からなくなるのでは、そう思ったのです。

なので、今年後半をどう生きるかということを、

自分なりの信念が持てるようになる

ということにしました。

信念を持つには、知識を得ること、勉強かと思っていた私に、師がアドバイスをくれました。

尊敬する人、またはとっても好きな人に、「これだけは言ってはいけない」「これをいったら、やったら軽蔑されるから絶対やらない」と思う行いはありますか。

絶対やりたくない行為を、周りがどんな状況であっても、後から非難されても、死ぬまで理解されなくても、つらぬけますか。

例えば杉原千畝は、外交官だった時に多くのユダヤ人を助けました。当時の日本はドイツと同盟を結んでいたので、杉原氏の行為は、国を裏切る行為でした。彼は日本に帰ってからも名誉は回復できませんでした。戦時中の行為が公になったのは最近のことです

例えばある国に起こった内紛の時のように、その国を支援するために派遣されていた国連軍に撤退命令が出たら、そしてもしあなたが国連軍として派遣されていたらどうしますか。命令に背いてそのまま仲間に命令のことを伝えずに戦い続けますか。それとも、その国の人の大部分が殺されるのを分かっていて、命令だから撤退しますか。

私は答えられませんでした。
ただ、ひとつわかっていたことがあります。
ここ数年、霊的真理を学ぶようになって、私が知った自分の過去生のほとんどは、杉原千畝氏の生き方とは真逆の生き方ばかりでした。
そのほとんどの人生が、私自身だけを優先し、私利を叶えることだけを考えて生きてきたのです。
多くの人たちの思いを知らないままに。

私はもう、自分が経験してきた過去生のような生き方はしないと決めています。
自分の命も、他者の命も差別は絶対にしない、誰かを故意に傷つけたりして自分の人生を優先させるような生き方はまっぴらごめん、自分が生きるために誰も犠牲にしない、だからといって自分の人生を軽く扱うこともしない、私らしい生き方をしたいのです。

ではどのように生きるのならば、そういう生き方に向かえるのか。
大きな課題だと思いました。

そして毎日は小さな何気ないことを判断するところから始まります。


私は私と生きる、そのためには、私はどんな生き方をしたいのか、私自身を知る必要があるのだと思いました。

何気ないところの何気ない判断から、私は私自身として、いつの日も生き方を表現しているのだと感じました。

そこにいつも責任を持つ態度が必要なのだと思いました。





2020年5月17日日曜日

小さな一歩 そして 絆

緊急事態宣言の続く東京。私の生活は大きく変わることなく、平穏に続いています。
確かに出かける予定は全てなくなって、交通機関を使う理由もなくなり、行動範囲は狭くなりました。
でもおかげさまで相変わらず取り組みたい課題はてんこ盛りで、ちまちまと何かしらやりながら日々を過ごしております。

ここ数週間か、遠くに住む知人とリモートで顔を見ながら話す機会を得ました。
昔からお互いに知っている間柄だったのですが、深くお話しする機会がなかったのです。

相手のかたの方が人生の先輩なので、リモートで話したいと提案させていただくことにドキドキしましたが、ゆっくりお話できて本当に楽しかったです。

最初の数回はZoomがうまく繋がらなくて、さんざんご迷惑をかけてしまいました。
相手の方も根気よく付き合ってくださって、ありがたかったです。

Iさん、その節はご迷惑をおかけいたしました。貴重な時間をありがとうございました。

その時の共通の話題が、奈良たんぽぽの会が昔から開催している「わたぼうし音楽祭」でした。

たんぽぽの会は障がいあるかたの芸術支援等、さまざまな活動を続けている団体です。

「わたぼうし音楽祭」は、障がいがある人の書いた詩を公募し、曲をつけて歌にし、ステージで発表する音楽の祭典で、現在も年一回開催されています。

私は10代、20代の時に、詩を取り上げていただき、お世話になりました。

その時に出会った二人の詩人がいました。

おぞねとしこさんと、松兼功さん。

おぞねさんは詩集を数冊出されていて、その詩集は、自立生活に入る前の私の心の拠り所になりました。

松兼さんは数年前にその時お世話になっていた介助の方の計らいで、居酒屋で一度だけ直にお話しすることができました。

私は「わたぼうし音楽祭」の場でお二人と同じ舞台に上がらせていただいたけれど、その頃の私は精神的に幼すぎて、関係を深めていく事は叶いませんでした。
言葉というものは、心から出た言葉というものは、すごく響くものなんだと教えてくれたお二人でした。

今生ではもう、お二人にお会いすることも叶わなくなりました。
おぞねさんは、数年前に、逝去されました。

松兼さんは昨年秋に、旅立たれたと、リモートでお会いした時間に、伺いました。

今感じるのは、悩みながら自分を表現したお二人だったな、という気持ちです。


つつしんでご冥福をお祈りいたします。






2020年4月10日金曜日

見えない視点からの感謝とI love you

お世話になっているヒーリングサロンで、遠隔ヒーリングのサービスがあり、
家族へのヒーリングをお願いしてみようと思い立ちました。
時世的にも、いい機会かも知れないと思ったのです。

私目線で振り返れば、今の家族となぜ今生でご縁ができたのか、過去生も含めて散々振り返ったこの10数年でした。

家族へのヒーリングをお願いして、多方面からその様子を解説していただいたことで、自分なりに学んだこと、考えたことを幾つか書き残しておこうと思います。


⭐︎気づいたこと、学んだこと

●自分も他者と同じように間違い、失敗すると認識する大切さ

物事が起きた時、それがあまりいい印象でないことであっても、その出来事を起こした一部は自分にも原因があるかも知れない、という視点はとても重要なことのようです。

自分以外の人のせいにせず、まず「もしかしたら自分かも知れない」と思って見ることは、辛いことかも知れないけれど、自分が発した言葉、行動を振り返るきっかけになり、そうした行為は自分が相手にしたことに対して責任を担う一歩になるように感じます。

(今日もそう言えばそのことを強く感じた出来事がありました。私も実にいつも、「自分は正しく生きている」と思いながら生活しているようです。汗)


●ポーズではなく本当に愛情を表現することの大切さ

誰かの上に立ちたい、そうした想いは、私自身も無意識に持っていたものでした。
いい人としてみられたい、といつも思い、そのことを目指していました。
この考え方は、
「誰かの上に立てば、なんでも正しいと思うことを行動できる」
「そして正しいことをしていけば、多くの人にいい人だと思ってもらえる」
このようなことだったと感じています。

この考え方はとても危険なことだったと、今の私は思います。
なぜなら、物事の正しさ・過ちという認識は、個人によっても環境によっても、時代によっても違い、一貫性がないからです。
私が正しいと思っても、他の環境で生きている誰かにとっては違うかも知れない。
なので物事は正しいか間違っているかで決めてはいけないのです。

以前、師から、

「物事の選び方は、そこには愛があるのかい?という視点で選ぶんだよ」と教わりました。

そこには、「自分と同じように他者を大事にする」という視点が必要になります。

「いい人と見られたい」と思うと、他者に理解を求めてしまいますが、
「いい人になりたい」と思えば、他者の視線は関係がなくなり、「自分がそのためにどう努力をすればいいか」を考えればいいとわかります。

そして、「自分と同じように他者を大事にする」という気持ちを持てば、自分の気持ちが本当に済むまで、人に尽くすことができます。
自分と同じように、というところがミソです。
自分のことも犠牲にせず、他者のことを思うのです。

自分と同じように本当に人を大事にしようとすると、いろんな思いの壁にぶつかりますが、一つ一つわかることも増えて、「自分が犠牲になっている」とか、「これ以上はやりすぎなのではないか」など、余計な思いを整理することもできるようになってきます。
(私もその道の途中ですが)
そして、本当にその人を喜ばせるアイデアが浮かんでくるようになります。

いい人にみられたい、という気持ちで他者に行う行為は、たとえ内容として親切に見えるものであっても、心が伝わりません。「いい人に見られるためのポーズ」になってしまうのです。そして学びがありません。心は何も気づかず成長しないのです。
私もここにたくさん引っかかりました。いまもひょんなことからこの地雷を踏み、悩むことがあります。道は簡単にいかない、本当に一歩ずつなのだと、心から感じています。


●自分の過ちを認めるということ

自分の過ちを認めること、人のせいに物事をしないことというのは、私にとっても難しい行いでした。
つい無意識に、自分は正しいことをした、間違えてはいない、という立ち位置から動けなくなるからです。
でも、いつまでもその位置に居続けると、人生に起こることの大部分を知らないまま過ごすことになります。
本当は自分の発言で身近な人たちが傷ついているのかも知れないのに、
感情的に口走った言葉で、せっかく近づいてきてくれた人を遠ざけてしまっているかも知れないのに、
周りから嫌われているかも知れないのに。
気づけないということは、本当のことを見ることなく、理解する力を養おうともせず、つまり心の成長をしないまま、一生を終えるということになります。

知るということは、最初はとてもつらいことでした。自分は正しいと思ってきたからです。
私にはそのことについて長い時間をかけて関わってくれた人がいました。
なので成長しない段階から少し抜けることができました。
いまも、自分の行いが誰かを傷つけたり、辛い思いをさせたことがわかると、その人への申し訳なさを感じる前に、情けなさに落ち込んでしまう自分勝手な面はあります。
また、伝え方もうまくいかないことが多いです。ここで自分の感じたことを伝えていいのか、相手の方にとってその言葉はどう伝わるのか、言う前も言った後も、言わなかった場合も、心に何かが残ります。

でも、何も知らないまま、誰も傷つけてないと過信して、大切な目の前の人を傷つけていることも想像もしないままに、変わらず言いたいことを言っている人生より、少し物事がわかってきた、かなしみの多い今の方がずっとマシな人生になったなあと感じる日々です。。
自分が間違えているかも知れないと振り返られるようになるのは、精神的な成熟さが必要なのかも知れない、とも感じています。


●自分が選んだ家族を大切に愛する

私はパートナーには今のところ出会わない人生を送ってきました。
私の家族は、父母を含め、配偶者と歩む人生を送っています。

今は、私の人生に配偶者、それに似た人が現れなかったことに対して、マイナスの思いは何も感じていません。
10年前ぐらいまでは、そのような人との出会いにまだ期待していましたが。
今の私の生活は、血の繋がった家族の他に、毎日お仕事として私を支えてくださる方々との関係性があります。
その付き合いの浅さ、深さ、十人十色のお付き合い全てが、家族的だと捉えています。
相手の方々は、それぞれさまざまな思いがあるでしょう。ビジネスライクな考え方から、少し深く関係性を持ちたいと思ってくださる方まで、いろんな思いがあるのでしょう。
それも全部含めて、あくまで私の側は、家庭的な姿勢をとりたいと考えています。

今このような時世になっても、知人、友人たちとも連絡しあえる今、私は寂しくはないし、時折感じる孤独もあっていいと考えています。

配偶者、パートナーのいる生活は、幸せでしょうか。
それぞれ感じている幸せとは、どのようなものなのでしょうか。

お互いを大事にし合っているでしょうか。

目の前の人は悲しんでいないでしょうか。
相手に心を閉ざしてはいないでしょうか。

相手を変えようとしていないでしょうか。
自分はいつも正しいと思っていないでしょうか。

本当に相手の方を理解しようとしているでしょうか。
相手の幸せそうな顔を見たいと思っているでしょうか。

私の人生と違う人生の醍醐味を、うかがってみたい気がしています。


●お互いのわだかまりに向き合う

信じられないことかも知れませんが、人はいくつもの過去生を生きて、現在に至っています。
たくさんの人生の中で違う形で出会っていたりするのです。
いいことばかりではなかったかも知れません。辛い関係性があったかも知れません。

でも今こうしてご縁ができたということは、家族というご縁の中で向き合っておきたいことがあるのかも知れません。癒しておきたいことがあるのかも知れません。
時間はあっという間に過ぎていきます。来世は再び会えるかどうかわからないのです。
わだかまりがあるのなら、今話しておいた方がいいのかも知れません。
私もあまりできてはいないことだけれども、話を聞いて理解を深めた方がいいこともあるかも知れません。
またとないチャンスかも知れないから。


●私自身の今回の学び

今回いただいた時間は、別の視点から家族ひとりひとりの過去生も含めたたましいの歴史を説明してもらい、理解する時間になりました。
本当は、このご時世の中で、私が家族にできることはなんだろうと思ったことがきっかけでした。

私目線からの縁はこの10数年間で少しずつ紐を解いて理解してきたつもりでしたが、それぞれの人生のテーマや、つまづいてきたことなどを教えてもらうことで、私と誰か、という家族の関係を離れて、魂として同じ道を目指すもの同士としての視点を与えていただいたように感じています。

そして、悩みながらここまで生きてきたことが、何千年も前からのもつれた糸を解くことになった面もあったということを今回知りました。
ほどいた糸は数本かも知れませんが、私なりに人生に向き合ってきて良かったと感じました。

私はご縁があって、今の家族の中に生まれました。
その事実はたくさんの感謝をこめて、大事にしたいと思います
つらいことも含めて、たくさんの経験をいただきました。そのなかで少しだけ物事を考えられるようになりました。少しだけですが、まだまだですが、周りの人の気持ちに思いを馳せられるようになりました。
ありがたかったなあと感じています。

そして、まだ私ができることがあったということを、嬉しく思います。

現実はうまくいかないことがたくさんあります。
私が脳性まひの障がいから逃れられないように、逃げられないもの、逃げてはいけないものを背負って人は生まれてくるようです。
そして、向き合っても逃げまくっても、どちらを選んで生きても人生としては自由、という、一生を送ります。

いつか、自分のまいた種は、自分で刈り取る日が来る、
それだけのことかも知れません。

自由に考えた人生を生きるのは素敵なことだけれど、
本当は今生で、やっておきたいことが残ってはいないでしょうか。
後悔していることがあるのではないでしょうか。

今生、家族というご縁を持ってくれたみんなが、幸せを感じる日々を過ごせるように、祈ります。
心から、本当に心から、願っています。
そう心から思えたことが、今回の学びでした。

この機会をいただけたことに、心から感謝をしております。


2020年3月30日月曜日

志村けんさんの訃報

小さい頃、ドリフターズが好きでした。
「全員集合」は、小さい頃、施設生活をしている頃から見ていました。

「ドリフの大爆笑」も毎回観ていましたし、
「カトちゃんケンちゃん云々」も観ていたように思います。

バカ殿は苦手だったけれど、
「変なおじさん」は好きでした。

最近は志村動物園(テレビばっかりだ汗)を毎回観ていて、お笑いでない分野でまた癒されていたのを今日自覚しました。

ファミリーヒストリー(NHK)も、金スマの特集も観たし、
何気に本当に親しんでいたみたいです。

だから今、すごく悲しいです。
このような形で、姿が見られなくなることが。

考えてみたら、リアルにお会いしたことなど一度もないし、
知らない方なのですが。
人ごととは思えませんでした。
だから今は、追悼番組も見られない気分です。

小さい時からいい年頃になる今日までの時間、私の心に笑いとウィットをいただいて、本当にありがとうございました。

どうぞ安らかに。感謝を込めて。心からお悔やみ申し上げます。

2020年3月25日水曜日

2020年3月15日日曜日

いちばんになりたくない理由

心の整理をしたのにフアフアとまだ落ち着かない部分を感じて、何が原因なのか少し向き合ってみました。
前回、私は自分の中に「人にウィルスをうつしたくない」と言う気持ちを持っていると言うことを書きました。
それは、人に迷惑をかけたくないと言う気持ちでした。
私に今関わってくれる人はたくさんいて、その人たち全員に迷惑がかかることを、怖がっているのでした。
自分には生きる覚悟が足りなかったことはわかりましたが、覚悟が決まってもまだ心が治りません。
何があるのだろうともう少し考えてみました。

「人に迷惑をかけたくない」と言う気持ちは、発生源になりたくないと言う気持ちです。
そう言う気持ちの奥には、「悪者になりたくない」と言う気持ちがあったようです。
自分は悪者になりたくない、つまりは、いつも悪くない人でありたいだけ。
自分を守りたいだけなんだと言うことに気が付きました。

メディアはウィルスに感染してしまわれた人たちを、さも悪いように報じているように見えます。
そう感じてしまうのは私の心のあり方かも知れません。本当は被害に遭われていると言うことなのに、そうでないように受け取ってしまうのです。


そして自分の番が来ないことをのぞみ、願ってしまう、そこにいつも怖さが潜んでしまうのです。
悪者にはなりたくないけれど、それはみんな同じこと。
でもそうはいかないこともあると言うことを、理解しないといけないと感じました。
感染された方が悪いわけではない。今はみんな慎重に行動しているでしょうし、それでも不可抗力が起こるのです。

自分を守りたいだけの思いは流してしまおうと思いました。
誰が悪いわけではない、全員で今は乗り切ろうと努力することが大切な時なのかも知れません。
大切なのは、何かの時に自分の愛情を表現できるかどうか。その時に光の方を選ぶ心を持てることなのかなと思います。
そうありたいと思う今日この頃です。

こわさはひょんなところから生まれると、気がついた出来事でした。


2020年3月10日火曜日

私に足りなかったもの

コロナウィルスの問題が全国に広がる中、私は心に言い知れぬ不安を感じるようになりました。

言葉にするとそれは、

私がもし感染して、家に来てくださる多くの人にウィルスをうつしてしまったらどうしたらいいだろう

というものでした。

この心の火種は、日々流れるニュースの中で自分の外側の世界から同じような思いを引きつけてしまった気がします。
そして、個人的にいくつか予定していたことがなくなり、少なからずがっかりする自分の心が、落ち着かなくなっていったのです。

心が落ち着かない理由を、ずっと探っていました。

話は少し逸れて、少し暗い話になり読みにくくなってしまうかもしれませんが、私は昨年辺りからずっと「生きること」に執着を持たなくなりました。
積極的に生を終わらせたいということではありません。何がなんでも生きたいという、渇望が無くなったと言えばいいのでしょうか。
それまで、「自分が生き残るため」に何が必要なのかに焦点が当たり、そこから社会を見ていました。
なので、自分の身を脅かすような社会の流れがとても嫌いでした。
いつもその部分に恐怖を抱えていました。
自分が受けている福祉制度が安定して続くことばかり求めていました。
福祉制度が不安定になっていく要因に対して、いつも怒りを持ち、社会を斜にみて生きていました。

「生きること」に過度な執着を持たなくなった時、少し目線が変わって、今社会が抱えているさまざまな現状に、心が痛くなることが多くなりました。
目の前の人さえも助ける知恵がない愚かな自分に、無力さを感じました。

自分は何もできていないんだと、思いました。

それでも日々は過ぎていき、私の生活は日本の福祉制度の中で安定した時間を過ごすことができました。

そのなかで今回の問題が社会に起きました。

生きることに執着しなくなったはずなのに、生きていくこと自体がとても不安になっていく自分。社会の流れに冷静さを欠いていく自分。
何が足りなかったか、あるとき気がつきました。

私には、何があっても生きていく覚悟が、足りなかったのです。

私の体は、確かに誰かのサポートがなければ、日常生活がままならないという身体障がいがあります。なので、現実を踏まえて書くととても難しく感じてしまうのですが、

心のどこかで、頼るものを探し、そこに人生を委ねたいと思っていたのではないかと思ったのです。

生きることに執着することと、積極的に生きることは、全く別のことです。

私は生きることに執着することはやめました。何がなんでも自分を生かしたいという気持ちからは離れることができたのです。
それは、すべての命を自分と同等の命と認識することなのではないかと思います。
私と同じようにみんなも生きている、みんなと同じように私も生きている、という感覚です。
自分をむげに犠牲にはしないけれど、人を傷つけてまで生き延びようとは思わない、という感覚でしょうか。
人として当たり前だと思われるこの感覚が、私には少なかったようです。

この感覚は、私の中に生きることに関しての無力感のようなものを感じさせるようになりました。どのように、生きることを考えていったらいいのか、わからなくなったのです。

それでいて、価値観に合わないようなことが起こると、いつも戸惑い、暗にその出来事を拒絶する日々が続きました。

今回の社会の大きな出来事の中で、「積極的に生きようとすること」が私にはできていなかったのではないかと思いました。
「死ぬ気で生きる」ということです。
生きることに執着していないと言いながら、死ぬことは怖くないと言いながら、生きることにこんなに怯えるのはなぜだろうと考えて行った時、「死ぬ気で生きていない自分」に気が付いたのです。
がむしゃらに生きるとか、そういうことではなく、「今日死んでもいいと思ってベストを尽くす」という気持ちが薄かったのです。
つまり、今日を生きる覚悟が、足らなかったのです。

今日死んでもいいぐらいに、今日会う人を大切にする。
今日死んでもいいくらいに、今日しておきたいことをきちんとする。
今日死んでいいぐらいに、今日向き合っておきたい課題に精一杯取り組む
そして、今日死んでもいいくらいに、愛情を表現できたら、好きな人たちを思いやれたら、本当に悔いが残らないのだろうと、今この文章を書きながら感じています。

物事は大きなことをしなくてもいい、自分のしたいと思っていることをきちんとやっていけばいいのではないか、それが私の人生を積極的に生きるということなのではないかと思います。

社会の流れも、人の気持ちも変えることはできません。でも自分の人生から始められることは確実にあります。

私は霊的心理の勉強をする機会に巡り合って、多くの自分の過去生を振り返る機会を与えていただきました。
たくさん振り返った人生のほとんどすべて、闇の道を歩いた人生でした。
その原因の一つに、人生のあり方をいつも人に委ねてしまった、自分の人生に責任を持つという視点が欠けていたというものがあったように思います。

どんな時にも、自分の人生には責任があり、豊かな気持ちをはぐくめるように、積極的になる必要があったのです。
自分の命に執着して他人を落としめても生きようとするのではなく、自分の命を積極的に生きて、心により良いものを追求する気持ちです。
その生き方が光の道と言うならば、今生から私は光の道を歩きます。
二度と闇の道には戻りません。






2020年3月6日金曜日

今思うこと

テレビのニュースはコロナウィルス一色になりました。
小中高の学校が春休みまでお休みと言うことになり、イベントが延期や中止になって、少し私の体も緊張気味です。



早いうちから傾聴ボランティアがお休みになり、予定していたスケジュールも無くなって、正直意気消沈。今苦しんでおられる方もいらっしゃることをわかっているのに、やはり予定がなくなることは寂しい感じがします。
このような気持ちを、今たくさんの人が味わっているのだなあと思います。

ありがたいことに、介助できてくださる方々はいつもとても冷静で、日々のことは順調にこなせています。
私が介助者だったら、こんなふうに自然にいつも通りできるだろうか、と思うと、とても暖かく、心強い気持ちになります。
私は自分以外の人生に視点を移すことがとても難しいけれど、きっと違う世界観がそこにあるのだろうなあと思います。時間が許す時は少しお話を聞かせていただいたりしています。
また、9年前の震災時の気持ちも蘇ってきたりしています。私はその時は大きな被害を受けたわけではないので、そのことを思うと申し訳ない気持ちにもなりますが、何も感じなかったわけではなくて、その時も多くの不安や様々な気持ちに負けそうになっていたことを思い出します。

この数週間で感じたことは、世界は一つなんだ、と言う実感でした。
中国でコロナウィルスが広まり、日本に中国からの方々が来られなくなったことで、各地で経済が落ち込みました。
また、マスクが店頭から消えたことも、中国経済に支えられていたと言うことを自覚した事実でした。
武漢でウィルスが広がった時、日本のチャーター便が日本人帰国のために往復しましたが、その時多くのマスクを中国に寄付したと言うことを後で知りました。
気づかないところで助け合いがあったのだなと思いました(知らないのは私だけだったかもしれませんが汗)。
一つの国だけでは、何も成り立たない世界になっているように感じました。
本当に助け合わないと世界は成り立たないと言う気持ちになりました。

それから、恐怖を抱いた気持ちはとても大きく心を支配していくように感じました。
家の壁を越えて不安がやってくるような感じです。
トイレットペーパーの品薄状態はデマから始まりましたが、デマが真実になる経緯をテレビの解説で知り、ネットの時代の危うさを感じました。

コロナウィルスは罹患率は高くても死亡率は少ないとききます。今は本当に混乱していて分からないことが多いまま先の不安ばかりが煽られているような気がしますが、本当に医療の必要な人が検査を受けられ、病院にかかれる状況になってほしいと願っています。

私はと言えば、不安に弱い心を試されているように感じています。
霊的心理を師のもとで10数年勉強してきたにもかかわらず、いろんな内在した恐怖に、自分でもふわふわとした心を抑えられない瞬間が多々あります。
知人や友人、ニュースの言葉に、心が揺れるのです。
そう言う意味でも、落ち着いた介助の方々に助けられています。

どうにか心を保ち、平常に暮らしたいと思っています。

何か大きいことをしたいと言うことでなく、心を平常に保ち、毎日きてくださる人、気にかけてくださる人のことを思って、生きたいのです。


2020年2月29日土曜日

みてみたい世界

何がなんでも生きていきたいと心の底から思っていた若いとき、夢がたくさんありました。
  ①  一人で生きていきたかった、
      自立しているという実感を欲していました。

    ②仕事を持ちたかった、
       自分のできるのはこれ、という確固たるものを欲していました。 
 
    ③自分の家族を作りたかった、
       一緒の空間で笑い合える私の家族と呼べる人と巡り会いたいと欲していました。

いま、形は違うけれど、どれも叶っているように思います。
一般的なものではないし、私が望んでいた形ではなかったけれど、どれも叶っているのです。

①は、福祉制度や、それに関わって支えてくださる人がいて初めて成り立つことだけれど、日々の悩みの中で、私は自立を意識しています。
 自立とは、自分にとって自立とは何かということを問い続けることなのではないかと今は思っています。
 なので、私は今私なりに人生を生きている、意識しているから自立と言う中に入るのではないかと感じています。
 一般常識の自立が経済活動、生産的な活動ができることと身の回りが整えられることであるならば、できていないということになりますが、私の価値観の中では、自立した生活だと思って生きています。
日本の福祉制度が変われば私の生活も大きく変わってしまう現実はありますが、変化や不可抗力のものというのは、障がいある体で生きているから起こりやすいというものではなく、どんな人にとっても起こるもので、変わっていくことは避けられないことでもあるように思います。
私は私の現実のもと、自立のあり方について考える日々ですが、どの方もその方の現実があり、そのことからは逃れられるものではないのではないかと考えます。
それが辛いとかそういうことではなく、そういうものなのではないかと思っています。

②は、そうですね、金銭をいただけるお仕事のほとんどを、私は手放してしまいました。
そしてその後、本当にそれで、よかったのか、ただでさえ仕事を得る機会などないのに、それをわかっていて手放して良かったのか、経済につながらない私の「仕事」はなんなのだろうと思いながら、ここ数年は生きてきました。
今もまだ結論は出ていないし、考え続けているのですが、
ボランティア活動をしようと思ったとき、少し吹っ切れた気がしました。
お金が絡まなくても、真剣にできることがある、そうようやく思えたように思いました。
私が経済的に人並みになりたいのは、世間に、私は食べていけると示したい、特に親にそう思われたいという気持ちが強かったようです。
でも実際の私は、頭で何かできるほど知識はないし、努力もしてこなかった、
        体で何かをできるほど軽い障がいではなかった、
        一つ秀でたこともなく、技術も身につけてはいない、
という現実があります。
何かできるのではないか、という幻想から抜けて、今できる小さなことからやっていくことなんだな、と今は思っています。
 
③は、考え方を変えたということがあります。私が、周りの方のことを家族のように思い、生きることで、私が多くの知人を作り、その方々を家族のように子思うことができる、ということです。
それで今は十分なのではないかと思います。
きっと私こそが、家族愛をうつくしく優しいものだと勘違いしていたのだと思います。
今日会えた人を大事にできたら、今日を大事に生きられたら、人がそれをどう思おうと、
生き方としたらOKなのだしと思うのです。

私の話の前振りが長くなりましたが、
このように個人的には思いが叶い、もう今はあまりどうしたいという欲は感じられなくなりました。
(ただ、最近の心境の変化で、ああ私は現状維持をしたい、今の生活が壊れることを恐れている、と自覚はしました)

ただ、長い長い目で見て、自分が見てみたい世界があることに気がつきました。

それは、地球上の全ての生き物が共存し、ともに育ち合う世界です。

人間である私の目からそれを見ると、

人が植物の世界と動物の世界を完全に理解し、鉱物も大気についても全てを知ろうとし、生きるためにいただく命に感謝し、それぞれの生き方を尊重できる世界を、私は見てみたいのです。

人と人は殺し合うのではなく、奪い合うのではなく、話し合いと適切な距離感でお互いを尊重し、敬愛して生きていけるのではないだろうか、
生きていくのに必要な分だけ命をいただいて、いただいた分なにか貢献できるものがあるのではないだろうか、
そのために、私はいろんなことを学ばなくてはいられない、さまざまなことを知らなくては本当にできることにたどり着けない、
そう感じるようになりました。

本当の助け合いとはなんだろう、支え合うこととはなんだろう、地球の住人がまるごとみんなで生きていくには、どんな知恵が必要なのだろう、
自然と暮らしていくとはどういうことなのか、生物の一員として考えなくてはいけないこととは…。知りたいことはたくさんあります。

そして、その一員として、私がやりたいことはなんなのだろう、と思います。

私は自然が大好きだけれど、動物を飼いたいわけではなく、自分で植物を育てたいわけではありません。
確かに今の人生では、自分の手では動物や植物に的確なお世話ができないという現実もありますが、例えば象が好きでも、動物園に行って象に会いたいわけではないのです。象は象の住んでる土地で、暮らしていてほしいと思うたちです(動物園自体は嫌いではなく、たまに園内を歩いてみたいと思うことはあります)


自分でもよくわかっていないようには思いますが、自然は好きなんだと思います。

自分が本当にやりたいことなのかは、定かではなく、変わっていくかも知れませんが、
人生を転んでしまった人たち(犯罪を犯したり、人を加害してしまった人たち)が、本当の意味で立ち直るお手伝いができたらと考えています。
今回の人生では難しいですが、いつか何度かの転生を経て、そういう道にたどり着きたいと考えています。

そして、夢物語のようになってしまいますが、今後の人生(来世以降)で毎回副職でやりたいことは、障がいある方の日常生活のサポートです。
この仕事は何度転生してもかならずやっていきたいことです。でも副職です。メインではありません。
やりたい理由として、
1 今回の障がいある人生でサポートを受けるという経験をしたので、反対の立場を経験したいという思いがあります。
2 今回受けた御恩を、返していきたいという気持ちがあります。
3 障がいある立場の人生は、誰かの具体的なサポートなしでは生きることがとても難しくなると学んだからです。

そして、メインでやりたいと思うことに、遠からずつながっているようにも思えるからです。
いろんな道があって、いつかたどり着く道へ行きたいと思っています。

いつか見てみたいのです。もっと私自身が視野を広げ、成長した時に、
目に見えるせかいが、どのようにうつるのか、どんなに美しいのかを。
私も小さな場所でその一員でありたいと、なにか少しでも役に立つ一員でありたいと、願っています。

そのために今生では、忍耐と知識と愛の表現を、身に付けたいと思っています。
いつも課題に現れるのは、「聴く力」と「受け入れる」ということのお試しの課題です。

自分を理解して高めていくことは、本当に難しいことなんだと、毎日のように感じています。
そしてこの文章も、ぶっ飛んでいますね。汗


2020年2月24日月曜日

自分の撒いた、たねから刈っていく

一月に、気になっていたもうひとつのことは、イランとアメリカのことです。
(前々回の森林火災のことという記事の、なんとなく続きです。)

アメリカ合衆国がイランのソレイマニ司令官を殺害したというニュースは、なぜそれが起こったのかとても不安になり、気になったことでした。
その後旅客機が追撃されてしまい、二つの国がどうなっていくのか、連日考えるようになりました。

ヒーリングサロンでそのことに意識を集中した時に、自分の過去のことで分かったことは、
(ここからは話が飛びます。)

古い時代、私の過去生でマケドニアの兵士だった時があること。そこで戦争に行くことになったのですが、なんらかのことで家族(妻と娘?)が殺されていて、このときは深い恨みと怒りを持ったまま生涯を終わっています。
(私の中に浮かんできたイメージの世界なので、こういう話に抵抗がある方にはごめんなさい。)

歴史が超苦手な私は、マケドニアという、昔の時代の国名が思い浮かばずに、今の国の名前であるギリシャという言葉しか思い浮かびませんでした。
自分の持っている知識でしか理解できないということは、こういう事態なんだと思いました。

上官の命令ではありましたが、その時代にマケドニアの兵士だった私は、ペルシャ帝国に攻め入る一人となり、多くの人を殺めました。そこをこの回は癒していくことになったのです。

ちなみに、その後の時代のイランでも人生を送っていたようです。そのときはエセ商人になり、市民を騙しながら暮らしていました。
(私の遺してきたものは本当に重いです。知れば知るほど、どうしたらいいか一瞬は今でも怯みます)

今回も感じましたが、何か社会的な事件や出来事が気になった時、やはり自分の過去の行いを振り返る必要があるのだと思い知りました。

今生だけが自分の人生で、肉体が無くなったらそれで終わりと考えているうちは、まだ何も知らないということなので、過去生なんて信じなくても、ましてやどんな生き方をしていたかなどと知らなくてもいいことなのでしょう。
知らなくても許されているというか、思い出さないことは恩恵と教えていただきましたが、本当にそうなんだと思います。

物事は、あるものはいつもそこにあって、真実はいつも真実であるのだと思います。
ただものの見方は人それぞれ違いますから、一人一人真実と言うものの捉え方に差があるのも確かなんだと思います。

私の経験でいえば、過去生の体験を本当に大きな勘違いをして記憶していたということがあります。

その話はまたの機会に書くことにして、あまりごちゃごちゃ書くといっそうわかりにくくなるので、本筋に戻ります。
私が、世界や日本で起こる出来事で気になることがあるときは、やはり自分の過去の人生で遺してきたものについて修正する、機会が与えられたのでと思った方がいいようです。

ネガティブな思いもポジティブな思いも、人は生きている限り、記録としてエレメンタル(想念のようなもの)を残しながら生きているそうです。
一度作ったエレメンタルは無くなることはなく、同じ波長を持つ人に影響を与える存在としてあり続けるといいます。
そのときそのとき思った想念を作った者として、いつも世界に対してなんらかの責任はあるのだと思います。

私は多くの悪いものを撒いてきてしまったと知っているので、それをみないフリはもうできないのです。
それでもそのことを棚に上げていい人でいようとしてしまいます。
やり方もわからないのに、何かいいことをしてあげたいとすぐに思ってしまうのです。
そういう偽善的な考え方が、何度とない人生で自分の身を汚してきたというのに、人間というものはなかなか変われないものなんだなあと思います。

霊的真理の勉強の世界に入ったことは、私のそういう弱いところの大手術のためかも知れないと、こういう振り返りの機会が与えられるたびに思うのです。

少し大げさな話になってしまいました。

2020年2月23日日曜日

CATS 映画版(字幕版)観ました ネタバレです

CAT'Sというミュージカルには以前からとても興味があって、一度ミュージカルを観たいなあと思っていたのですが、なかなかあと一歩が踏み出せないままでした。今回映画化ということで、一度見てみたいと思うようになり、先日観てきました。

ネタバレというか、内容に触れています。これから観る方は読んでしまうとつまらなくなるかも知れません。

映画版は評判があまり良くなくて、それがなぜなのかも少し知りたかったということもありました。
また、ミュージカル見に行かなくても映画で見られるのはラッキー、という気持ちも実はありました。

そしてどうだったかですが、

観始めてしばらく経つまで、ストーリーがないということに気がつかなくて、少し退屈でした。
前情報を全く調べないで行ったので、少しは調べておいた方が良かったな、とさえ思いました。

ストーリーがないんだと理解した後は、状態を楽しめばいいのだと思い、歌やダンスを楽しみました。

舞台をみたらきっとまたは思いますが、猫たちそれぞれの動きはとても楽しかったし、それなりに楽しかったです。映画ならではの演出も(それがあまり評判良くなかったと思いますが)個性的な表現でそれなりに面白く思いました。

そして、「メモリー」に号泣!!

もう自分でもこんなに泣けるんだと思ったぐらい、込み上げてしまって、
なんとも言えないその猫の悲しみが伝わってきてしまって、本当に歌の間、嗚咽が止まらなくなってしまいました。声はある程度殺したつもりだったのですが…。
(あとで、近くの席にいた介助の方にも聞こえるぐらいだったと伺って、申し訳なかったと思いました汗。その方は「号泣できるぐらい映画にのめり込めるなんていいね!」と言ってくださいましたが。)

ジェニファー・ハドソン、良かったです。胸を打ちました。
もしかしたら役を超えた悲しみだったのかも知れない、と感じるぐらいでした。

後から調べて、今回の映画は、映画版「レ・ミゼラブル」を監督されたトムフーバーだったんだなあと。
レミゼ は本当に大好きな映画だけれども、CATSはストーリー性が薄い分、舞台全体の様子がみえた方がよかったのではないかとは思いました。

あと、このお話の原作になった詩を読んでみたくなりました。
詩の世界だったのですね。本当に何も知らないまま観に行ってしまった。
詩の世界ならばその世界はとても納得です。

私は勝手に、
「この猫ちゃんたち、もしかしてもうこの世の猫ちゃんではないってこと?」
「一匹だけ転生ってこと?」
など独自に解釈していましたが、少し解釈が違ったみたいです。
なのであまり参考にはなりません。すみません。

でも、ジェニファー・ハドソンの歌は、必見です。
ああもうなんであんなに胸を打ったんでしょう。
いい経験でした。

日本語版、どうしよう。観たいような、もう少し考えたいです。

アニメの「SING」は、字幕版も吹き替え版も、大好きなのですが、今回の映画はどう感じるのでしょう。





2020年2月21日金曜日

森林火災のこと。

今年1月にとても気になっていたことは、ふたつありました。そのひとつは、オーストラリアの森林火災です。

オーストラリアで、昨年8月ごろから最近まで森林が燃え続けていました。
火災の原因は様々なことが考えられているようです。
この火災で焼死した動物は一億匹以上と言われています。コアラのかわいそうな映像は日本のニュースでも流れていましたが、なくなった動物たちは多種にわたっているようで、よく頭に入れられないまま書いていて申し訳ないのですが(資料を参考にして書くのが本当に苦手です。つくづくライターは向いていないようです)、絶滅の危機に追い込まれた種もあるようです。。
豪雨によって大部分の火は収まったと伺っています。。
(参考にしたサイト https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51171501

なぜこんなにも長い期間、火災が消えないのか、なぜこんなにも被害が大きくなっているのか、先月はそれが気になって頭から離れませんでした。

そんな時にヒーリングサロン medichnewheel を訪れる日になり、その時間を使って、気になることに取り組んでみました。

ここからは、私の過去生のことになり、スピリチュアル的な色が濃くなります。
お好きな方だけ読んでくださいね。

また、私は歴史が超弱いです。ものすごく勉強不足です。
なので、歴史の解説はここでは書きません。
私のその日見た(感じた)体験に留めます。
お目汚しになる文章かも知れません。申し訳ないです。

遠い昔、オーストラリアがイギリスの支配下だった頃、私の過去生の一つにイギリス人だった時があるようでした。オーストラリアで、囚人を管理することをしていました。
その時の行いを振り返り書き直していく時間になりました。

私は自分の立場を利用して、悪事を働いていたようです。その事実を認識し、被害にあった方々に謝罪をし、本来はどのような世界だったら良かったのか、良いイメージを膨らませます。
過去生の私(このときは男性)に改心を求めましたが、聞き入れてくれませんでした。

これ以上書くのは控えますが、私の数多くの過去生は、私自身も受け入れがたいものばかりです。
多くを人に加害しています。
ひとつひとつの過去生を知り、向き合っていくことは、正直しんどいことでした。
時には感じないようにし、何もなかったように振る舞いたくなることもありました。

でも、あったこと、あること、知ったことをみないようにすることで、物事は何も解決しないということを、この10年あまりの時間の中で知ることができました。

私がたとえ、なかったことにしても、起こった事実はそこにあり、被害に遭われた方は、今も何かしらの影響を受け、苦しまれているのかも知れません。

もちろん今生の私は、法に触れることは何もしてないし、感情が暴走したとしてもせいぜい怒鳴るぐらいで、犯罪には結びつかないであろうからだを持ち、生活する日々です。

そして、過去生なんてない、魂が永遠なんて嘘、いくつもの人生を生きてきたなんて、信じない、という人生を生きるということはできるのかも知れません。

でも、今の私は、
いろんなことを知っています。
知らないふりなどできません。

特に、自分の過去生の行いについては、できる限り今向き合っておきたいという気持ちもあります。
なぜなら、せっかく自分から思い出したことだからです。

人は、肉体の死を迎えた後、次の人生に生まれる時、ほとんどの場合記憶をリセットして生まれてくるようです。
よほど心の成長を果たし、過去の記憶を留めて置けるほどの心を持てれば別ですが、
残念ながら私はまたまだ幼稚園児のような成長度合いのようなので、今、知識があるうちに、自分の中の真実と向き合っておきたいのです。
そして一つでも多くのことを考え、感じておきたいという思いが消えません。

話が横道にそれましたが、ヒーリングの手法を使って過去生と向き合う時間を、今回も過ごすことになりました。
やはり自分の問題がそこに残り、ネガティブな作用の一部になっていたことを知りました。

人は誰も、世界と無関係ではないし、人類の過去とも無関係ではない、残したものがいいものかも知れないし、悪いものかも知れない、なんらかの記憶をその場所に残して、生まれ変わっていくということを、今回も知ることになりました。
オーストラリアのために、少しでもエネルギーを送らせていただけるなら、などと、こころのどこかで思っていた私は、本当に傲慢でしかなかったと、思います。



2020年2月19日水曜日

誰かと一緒に過ごす日々

私が自立生活(福祉制度を受けて一人暮らしをする生活)を始めて、27年が経とうとしています。
20代後半だった年齢もとてもいい歳となり、身体的にも少しずつ変化しているようです。でも今のところ、小さな世界ですが充実した日々を過ごしています。

私の日々の生活は、「重度訪問介護」という枠の中で介助派遣を受けています。
重度訪問介護とは、障害者総合福祉法の障がい福祉サービスの中に含まれる、介護給付の一つで、「体が不自由で常に介護を必要とする人の居宅や入院先で、身体介護や家事援助などを提供」するという形をとるものです。

最近、少し自分の生活を振り返る機会を持ち、改めてたくさんの人が私の生活に関わってくれたことを思い出しました。
今のように法律が整備する前、ホームヘルパーの時間数が今ほど認めてもらえない時代から、私は多くの方に生活に関わっていただきながら暮らせてきたのです。

先日、ある方とのやり取りで、介助に対する考え方や、あり方を自分なりに説明する機会があり、その時に気がついたことがありました。

「私は、介助を受けている時も自分の人生に責任を保とうとしている」
当たり前のことですよね。あえて書くことでもないことです。
そう思ってきました。

でも、このことはどういう認識なのか、もしかしたら体験から感じてきたことを書いた方がいいかも知れないと、ここ数日で思ったのです。
わかりやすく書けるかどうか、分からないのですが、私の価値観というか、考え方をまとめてみた方がいいのかなと思いました。

少しの違和感は、以前も感じたことがあります。
介護福祉士の問題集を解いていた方が、ふと質問してきたときです。

「この問題、何番だと思います?」

それは、ある方の支援のあり方だったと思います。
詳しいシュチュエーションは忘れてしまってここに書けませんが、
その例題にはその障害ある本人の判断というものが選択肢になかったことだけを覚えています。
周りの人が「支援」を考えている、本人が悩んでいない…。そんな感じがしたのです。

私の中の介助を受けての自立生活とは、楽しみを見つけたり、生きがい、やりがいを見つけてそれをやり続けるということの以前に、日々の生活を成り立たせるということがあります。
生活とは、身の回りのこと、つまり、着替え、歯磨き、洗顔、入浴、トイレ等からだを清潔にして保つことと、家事全般です。
食事を取ることは、調理をしてもらうのか、外でとるのかということを決めることを含みます。
その全般を私と一緒に、動いてくださるのが介助の方です。

私は身体障がいがあるので、自分で何をしたいか考えられても、実際には自分の体を使ってはできません。
なので多くの時間を介助の方と過ごし、家事全般と生活に必要な身の支度を整えてもらいます。

その上で私の社会生活が成り立ちます。

おかげさまで、多くの方がきてくださり、家の中はとても清潔に整っています。
今住んでいる家は古い家なので、ありの問題やネズミの問題、水道漏れの問題などいろいろおきましたが、その他に私には考える時間があり、悩む時間がありました。

私の身に起きる問題は、私自身が向き合う、そのスタンスを貫くことができています。

これは、介助派遣をしてくださる自立生活センターが障害者の自立支援という理念をきちんと持っているということ、介助者としてきてくださる方々が、私の生き方を理解しようとしてくださっていたことが、大きかったのだと、本当に思います。

誰かと一緒に暮らしている自分。誰かというのは血の繋がった身内ではありません。
誰かがいつも私に一緒に過ごす時間をくれたから、そして生きる責任というものを私自身に感じさせてくれた、というか、そういうことが考えられるのだと信じてくれたから、今もこうして私のままで生活しているのだと思います。

どんな書き方になるのかわからないのですが、このことを少しずつ書き留めてみようと思いました。
日々の出来事よりも、その出来事をどう思い、どう対処したかをかけたらいいとは思うのですが…。
それほど書くことがあるのか、今は不明なのですけれど。



2020年2月17日月曜日

心のメンテナンス

先日、月一回のペースでお世話になっているヒーリングサロン medicinewheelで、個人セッションを受けてまいりました。

今回は、行く前から、「自分の心をどうにかしないと」という気持ちがありました。

ある出来事をきっかけにして、心が大きく揺れていたのです。

ここ一年ぐらいは、体を痛めたり波はありましたが、それほど大きく心が揺らいだことはなかったように思います。いつもその日できることを粛々とやって、気持ちはネガティブになる日があっても、前を向いてきたと思います。

ここ何日かはそれができず、不安に苛まれてしまったのです。

そこに向き合う時間となりました。

整理できたことは、次のことでした。

●物事はなんであっても現状維持とはいかないし、有限であるということ。
私は今、生活全般に不満はなく、自分のやりたいことをできている状態だと思います。ただ、その状態が崩れることを極端に恐れ、怖がっている気がしています。
物事はいつも形を変えていくし、予期しないことは起こるし、それを避けることはできないということを、頭のどこかではわかっているのに、受け入れていない気がしました。
自分の生活の根幹の部分でさえ、その環境が形を変えていくことがあるということを、フラットに捉えていった方がいいんだと今更ながら気づきました。
変わっていくのは当然のこと、怖がるのではなく、変化を体験していくのだと思いました。

●自分に、いい意味でのプライドを持つということ。
私が生きてきたことに誇りを持って生きること。私は正直に言うならば、自分の過去生に圧倒されていたように思います。何か、今の自分とつながってしまって、自分の存在さえ信用できなくなっていたように思います。
「プライドは大事」とアドバイスをいただいた時、いい意味のプライドを大事にするとはどういうことだろうと、考え始めました。

●その場に置かれた当事者として、権利を守るということ
人としてその人生を生きる時、自分の生きる権利を守ることは大事なことだということを、改めて言っていただきました。
ただ、どのようにしたらいいのか、まだ迷っています。
考えるヒントとして、
・ 第二次世界大戦中のドイツのように、ユダヤ人に対して国家が迫害を決めた時、そこに住むユダヤ人ならばどうするか。
・ では他国の人、例えばアメリカ人だったらそのことをどう感じるか。
・ 私が抱えている問題、障がいがある立場の問題もそのことにすこし似ているのではないか。

ではどのように考え、行動していくのか、考えていく必要があります。

●自分一人の視点から物事を考えるのではなく、自分と似たような経験をしている100人
 の人たちのことを思い、自分に何ができるか考えること。
自分一人の問題として考えるのではなく、自分と同じような障がい(同レベルの体の動き等)のある人たちに焦点を当てて、その人たちに何ができるのかを、自分の体を通して得た経験から考えていく。
自分より障がいの軽い人の辛さや気持ち、重い人の辛さや気持ちは、実際には体験していないから推測しかできない(障がいあればみんな同じ辛さや気持ちを感じるるわけではないから)けれど、自分と似たような人たちのことならば自分を通して体験しているから体験談を話すことができる。(同じように感じることはないということも含めて)

●愛のない言葉には恐怖を感じるだけだということ
今回私が一番ダメージを受けていたのこの部分でした。ある人のある文章の一部分の言葉が、心に刺さってしまったのでした。
結局その言葉は、自分が大変になるからみんなどうにかしてくれ、という、自分の恐怖に焦点を置いただけの言葉だったようです。
そのことは私も理解していたのですが、読んだ途端ものすごく自分が何もしてこなかったような気持ちになり、はやる気持ちが抑えられなくなり、未来への不安が生まれました。
どうにもできなくなった時、少し、不安と悲しい気持ちを、泣くことで解消しました。
感情を表に出したときに、浮かんできた疑問は、「私の今までの行いは間違っていたのだろうか」というものでした。
ここ十年強、私は私なりに自分と向き合う人生を送ってきました。拙いながらも、そこでは自分なりの努力は惜しまなかったつもりでした。
なので、精一杯だった、という結論になり、そう思えたとき、いくぶん気持ちが和らいだのでした。
この経験を考えていたときに、「愛のない行為は恐怖だけ」と教えていただきました。
「愛があれば、その言葉からは恐怖なんて感じないで、この人と一緒に何かやりたいという気持ちになるはず」
この会話の時、私もこうして数年前まで周りに恐怖をばら撒いていたんだな、と自覚しました。以前の自分のような人が、自分のやってきたことを見せてくれたのだと思いました、こういう出来事のことを、自分を試されるという意味で「お試し」と呼んでいるのですが、今回はこのお試しに、振り回されてしまった自分がいたようでした。
後戻りのないように、日々奢らず生活していこうとつよく感じました。

話しながら涙が止まらず、顔がグショグショになりました。

後半の瞑想を体験しながら、ああやっぱり、経験したことや感じたことは書いてみよう、とふと思えました。
私の日々の経験はプライスレスで、この経験を言葉に残した方がいいと、やっと思えたのです。
文章は書くほどに表現できず難しく、自分のことばかり書くようで抵抗感を持つようになってしまったのですが、経験談や感じたことだけを背伸びしないで書くことは大事なことかもしれないとふと思ったのです。

変わっていく身の回りのことを残すことは、一緒に過ごしてくれた方々への感謝の言葉になるのかも知れない、
私が受けた福祉制度や社会の仕組みからの恩恵と、課題の記録になるのかもしれない、
ある日は問題提起になるのかも知れない、
傲慢のようでもありますが、書くことに対しての意義をそのように感じ、ようやく書いてみようと思えたのでした。
いつまでこの気持ちが続くか自分でも不明ですが、努力していこうと思います。

2時間半のひとときの時間で、こんなに気持ちが変わることも発見でした。
いい時間を過ごさせていただいたことに感謝いたします。


2020年1月4日土曜日

2020年の生き方

あけましておめでとうございます

皆様にとって本年が素晴らしい年でありますように、心からお祈り申し上げます。


今年は、昨年出会った某ボランティア活動が軌道に乗るように努力したいと思います。

そして、少しでもましな人間になれるよう、視野を広めていこうと思います。

口から出ていくものが愛情あるものであるように、日々精進いたします。

関わってくださる方々に感謝の気持ちを忘れず、小さなことから整えることに意識を注ぎたいと思います。

このブログもできる限り書けるといいなと思っております。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...