2018年9月21日金曜日

明日

シアターKASSAI(池袋)で公演されている
「明日」という舞台を観てきました。

1945年8月8日の長崎の生活をえがいた、井上光晴氏原作の「明日」を舞台にしたものです。

すごく、よかった。渾身の演技を目の当たりに感じて帰ってきました。

物語は、テレビドラマなどで観たことがあり、初めてではなかったのですが、改めて小劇場で見ると、目の前でその時に戻って生活を見つめているようなそんな気分になりました。
その時代に言われていたであろう、現実的なニュースや人との関係性の難しさやそういうものが、ひたりひたりと匂い立つような作品でした。
その中で家族の想い合う姿、深い愛情が漂う家の様子が、身に迫ってくるのでした。

この舞台を9回やるなんて、役者さんはタフだなあとしみじみ。
いつもお世話になっている方も出演されていたのですが、別人に見えました。感動でした。

でも、あらわすって、そのぐらい燃えつくすものなのだとも思いました。

公演は24日の月曜日までです。

2018年9月20日木曜日

今回の個人セッションで学んだこと

私は時折ヒーリングサロンMedicine wheel で個人セッションをうけています。
ある日はヒーリングを受け、またはチャクラヒーリングの日もあり、対話で学ぶこともあります。

今までそれほどこのブログに書かずに来ましたが(書くときは突飛な書き方ばかりで読みづらいものでした汗)、できるだけ書ける範囲で書こうと思い、今回はそう決心してから2回目の書き込みです。
と言っても今回も、あまり具体的なことは控えます。なので非常にわかりにくい文章だと思います。申し訳ないです。

今回学んだことの一つは、
本当に思っていること、考えたことは、どんなに賢いふりをしても、理解しているふりをしても、いずれは繋がりのある(またはあった)人たちに本当のことが知れるのだと言うことでした。

つい最近まで私は、自分のことでせいいっぱいで、周りのことは見えていないことが多かったようです。
本当に残念だけれど、何もわかっていなかったと言うか、感じなかったんだなあと、それを考えるとひどく落ち込みます。
もう少し周りが見えていたら、その状況を知り得て、そのことで悩むことができたのに。

これは私ができなかったことです。

霊的真理を学ぶということは、深く知れば知るほど、人の思いに敏感になっていく一面があるのかも知れません。
もちろん人生経験のない身では、なかなか感受性も思うように育ちませんが(私のことです汗)

少し時がたって、過去のシーンや、その時学ぶ場の仲間だった方々の心を理解できていくと、気づかなかっただけに、衝撃だったり、かなしかったりします。
でも、それも私の学びなのかなあと思います。

見えない世界を学んでいくということは、自分の中の差別感があらわになったり、(科学や文学等、証明ができたり作品があったりして世に知られていることでもないせいか)特別なこととして捉えがちです。

特別なことと捉えてしまった段階で、心の成長は止まってしまうのだと感じています。

そして、ここからは推測ですが、心の成長が止まってしまった時、意識的に認識できることが少なくなり、無意識の部分が活性化してしまうのではないかと今は考えています。
つまりエゴイズムに取り込まれてしまう(同化してしまう)という状態です。

私も、自分のネガティブな部分(エゴイズムや過去の自分。私の過去生はえぐいです)と同化している時、自分では何も自覚なく、普通に日常を、いつものように悩みながら生活していました。

その頃はまだスクールが開催されていて、生徒全員の学びとして私のネガティブエレメンタルを壊すという時間をいただきました。
そこに参加する一人一人が伝えてくださったことは、メモに残し、今でも読み返すことがあります。

読み返しながら、進言してくれた人はその責任を負ってくれたのだと、自分が口にしてくれたことを実践していくということを決めたのだと、理解しています。

ありがたかったと今はしみじみ思います。

それほどに、自分の無意識な部分を意識することは難しく、一人でそれを実践するには、よほど謙虚に自分の心を見つめる作業をしないとできないように思います。
無意識な心は、学んで知識が多くなればなるほど、少しの油断で周りの方々に悪い影響を与えかねないからです。
思えば、あの頃、自分と向き合うことを途中でやめなかった理由として、一緒に学ぶ方々に、先生に対しても、私の無意識部分が暴走することが怖かったということがありました。
せめて、内省がある程度できて、周りに悪影響をもたらさないぐらいになるまではスクールをやめないと決めたのでした。

私は未だ一人では見落としが多く、サロンに行くたびに見直すのです。

これが自分の選んだ道なのだと、今は思っています。
そして日々わかって行く事実を、受け止めていける心を育てていきたいと思っています。

今朝の夢

久しぶりの夢日記です。

広い部屋三つぶんのところに私は住んでいる。障子を開けると外はコンクリ張りの港近く。露天がぽつぽつあり、顔なじみの人が何か食べている。空は広く、空気も良くて、知り合いもいて、「ここは良いなあ」としみじみ思う。
障子を開けている間は、人がへやにはいってくる。私は、部屋に来てくれる人の話を聞きながら、食べ物を口に入れてもらう。その日常がとても自然で、私は目の前の人のことだけ考えているし、目の前の人は私の好みのご飯を食べさせてくれる。部屋は暖かく、心地よく、この生活が大好きで、この場所が大好きだと私は思っている。

前日舞台を見たせいなのか、少し前に友人の家で暖かく過ごした残像なのか、幸せな夢でした。
でも、このような生活をしたいんだと心から感じました。

2018年9月15日土曜日

アメイジング・ジャーニー

友人が務める団体の映画鑑賞会に選ばれたというこの映画。
イベントには行けないことを伝えたら、映画だけでも観てみて、と勧めていただいたので、借りて来ました。

アメイジングジャーニー

久しぶりに、何回も何回も観てしまいました。
私にとって、これまで習って来たことをわかりやすく見せてくれたという感じの映画でした。
友人曰く
「映画『沈黙』の逆をいってる」
とのこと。確かに。沈黙は、信じるべき見えないものをどう信じるのかということがあったと思うけれども。
この映画は、私にとっては、本当にわかりやすく、宗教とは何か、愛とは何か、信じるとは何かを語ってくれます。

私にとってはストーリーを追うということよりも、表現の仕方に感動しました。
手元に置いておきたい作品でした。

宗教が嫌いな方には、どう映るんでしょう。
宗教というよりも、「生きるということ」という感じですが。
見えないもの、肉眼で認識できないもの、神様に対しての認識さえも、人それぞれ感じ方は違うだろうから。

すみれちゃん、綺麗でした。ハリウッドデビューおめでとうございます

2018年9月13日木曜日

旅の思い出

久方ぶりに、小旅行に行ってきました。
最近山梨に越した古い知人の家を訪ねる旅でした。

大きな一軒家を借りた知人は、私たちを笑顔で迎えてくれました。餃子をたくさん作ってくれて、美味しくいっぱいいただきました。

この家では、たまたま今の時期に一緒に暮らしている人たちがいて、小さな子達とコミュニケーションをとる機会に恵まれました。
介助で同伴してくれた友人はママなので、小さい子とすぐ仲良しになり、その様子をみさせてもらうのも、私にとってはいい刺激でした。
小さい子には、こちらからぐいぐいいってはいけないんだ、待つのも大事なんなあと、知りました。
翌日には私も少し子供たちと仲良くなれて、よかったなあ、と思いました。

思えば、小さい子の「なんで」、「どうして」にうまく対応できない頃の私は、子供達の問いかけに「理解してもらおうとして説明していた」のだと思います。

目の前の人の目線に立つということは、自分の感情や言いたいことから視点を外すことなのかもしれないと思いました。

妹たちが小さい時も、ここまで考えられる私だったらよかったなあ、と思いました。
できない、わからないということは、罪なものです。

翌朝は十数年振りぐらいに、一人で高尾駅周辺をぶらつきプチ旅行。
せっかく来たからどこか一箇所でも「行った!!」感を味わおうと思い、駅から徒歩で行ける霊堂に。
緑深く、静かなところでした(本当は駅の地図には「公園」とあったので行ってみたのですが。…霊堂だったので、写真は控えました。残念。)。

今時ICカードを持って行かずに(直帰するつもりでした !)、いちいちキッブを買うことになり変なところで苦労して、たくさん周りの方に助けてもらった1日でした。


2018年9月1日土曜日

9月の生き方

9月は、積極的に、自分から。
そして、ネガティブなくせに引き込まれないこと。

冷静に、不安を対処し、深呼吸を忘れないで、生きようと思います。

花田春兆ーーその人と企画展

花田春兆氏の企画展を教えてもらい、行ってきました。 花田春兆ーその人と企画展 場所は板橋の淑徳短期大学。今月17日から明日までの企画展です。 数作著書を読み、生前にはそのほかにも接点をいただいていた春兆先生。 今日は主催された方からお話を伺う時間をいただい...