2020年4月10日金曜日

見えない視点からの感謝とI love you

お世話になっているヒーリングサロンで、遠隔ヒーリングのサービスがあり、
家族へのヒーリングをお願いしてみようと思い立ちました。
時世的にも、いい機会かも知れないと思ったのです。

私目線で振り返れば、今の家族となぜ今生でご縁ができたのか、過去生も含めて散々振り返ったこの10数年でした。

家族へのヒーリングをお願いして、多方面からその様子を解説していただいたことで、自分なりに学んだこと、考えたことを幾つか書き残しておこうと思います。


⭐︎気づいたこと、学んだこと

●自分も他者と同じように間違い、失敗すると認識する大切さ

物事が起きた時、それがあまりいい印象でないことであっても、その出来事を起こした一部は自分にも原因があるかも知れない、という視点はとても重要なことのようです。

自分以外の人のせいにせず、まず「もしかしたら自分かも知れない」と思って見ることは、辛いことかも知れないけれど、自分が発した言葉、行動を振り返るきっかけになり、そうした行為は自分が相手にしたことに対して責任を担う一歩になるように感じます。

(今日もそう言えばそのことを強く感じた出来事がありました。私も実にいつも、「自分は正しく生きている」と思いながら生活しているようです。汗)


●ポーズではなく本当に愛情を表現することの大切さ

誰かの上に立ちたい、そうした想いは、私自身も無意識に持っていたものでした。
いい人としてみられたい、といつも思い、そのことを目指していました。
この考え方は、
「誰かの上に立てば、なんでも正しいと思うことを行動できる」
「そして正しいことをしていけば、多くの人にいい人だと思ってもらえる」
このようなことだったと感じています。

この考え方はとても危険なことだったと、今の私は思います。
なぜなら、物事の正しさ・過ちという認識は、個人によっても環境によっても、時代によっても違い、一貫性がないからです。
私が正しいと思っても、他の環境で生きている誰かにとっては違うかも知れない。
なので物事は正しいか間違っているかで決めてはいけないのです。

以前、師から、

「物事の選び方は、そこには愛があるのかい?という視点で選ぶんだよ」と教わりました。

そこには、「自分と同じように他者を大事にする」という視点が必要になります。

「いい人と見られたい」と思うと、他者に理解を求めてしまいますが、
「いい人になりたい」と思えば、他者の視線は関係がなくなり、「自分がそのためにどう努力をすればいいか」を考えればいいとわかります。

そして、「自分と同じように他者を大事にする」という気持ちを持てば、自分の気持ちが本当に済むまで、人に尽くすことができます。
自分と同じように、というところがミソです。
自分のことも犠牲にせず、他者のことを思うのです。

自分と同じように本当に人を大事にしようとすると、いろんな思いの壁にぶつかりますが、一つ一つわかることも増えて、「自分が犠牲になっている」とか、「これ以上はやりすぎなのではないか」など、余計な思いを整理することもできるようになってきます。
(私もその道の途中ですが)
そして、本当にその人を喜ばせるアイデアが浮かんでくるようになります。

いい人にみられたい、という気持ちで他者に行う行為は、たとえ内容として親切に見えるものであっても、心が伝わりません。「いい人に見られるためのポーズ」になってしまうのです。そして学びがありません。心は何も気づかず成長しないのです。
私もここにたくさん引っかかりました。いまもひょんなことからこの地雷を踏み、悩むことがあります。道は簡単にいかない、本当に一歩ずつなのだと、心から感じています。


●自分の過ちを認めるということ

自分の過ちを認めること、人のせいに物事をしないことというのは、私にとっても難しい行いでした。
つい無意識に、自分は正しいことをした、間違えてはいない、という立ち位置から動けなくなるからです。
でも、いつまでもその位置に居続けると、人生に起こることの大部分を知らないまま過ごすことになります。
本当は自分の発言で身近な人たちが傷ついているのかも知れないのに、
感情的に口走った言葉で、せっかく近づいてきてくれた人を遠ざけてしまっているかも知れないのに、
周りから嫌われているかも知れないのに。
気づけないということは、本当のことを見ることなく、理解する力を養おうともせず、つまり心の成長をしないまま、一生を終えるということになります。

知るということは、最初はとてもつらいことでした。自分は正しいと思ってきたからです。
私にはそのことについて長い時間をかけて関わってくれた人がいました。
なので成長しない段階から少し抜けることができました。
いまも、自分の行いが誰かを傷つけたり、辛い思いをさせたことがわかると、その人への申し訳なさを感じる前に、情けなさに落ち込んでしまう自分勝手な面はあります。
また、伝え方もうまくいかないことが多いです。ここで自分の感じたことを伝えていいのか、相手の方にとってその言葉はどう伝わるのか、言う前も言った後も、言わなかった場合も、心に何かが残ります。

でも、何も知らないまま、誰も傷つけてないと過信して、大切な目の前の人を傷つけていることも想像もしないままに、変わらず言いたいことを言っている人生より、少し物事がわかってきた、かなしみの多い今の方がずっとマシな人生になったなあと感じる日々です。。
自分が間違えているかも知れないと振り返られるようになるのは、精神的な成熟さが必要なのかも知れない、とも感じています。


●自分が選んだ家族を大切に愛する

私はパートナーには今のところ出会わない人生を送ってきました。
私の家族は、父母を含め、配偶者と歩む人生を送っています。

今は、私の人生に配偶者、それに似た人が現れなかったことに対して、マイナスの思いは何も感じていません。
10年前ぐらいまでは、そのような人との出会いにまだ期待していましたが。
今の私の生活は、血の繋がった家族の他に、毎日お仕事として私を支えてくださる方々との関係性があります。
その付き合いの浅さ、深さ、十人十色のお付き合い全てが、家族的だと捉えています。
相手の方々は、それぞれさまざまな思いがあるでしょう。ビジネスライクな考え方から、少し深く関係性を持ちたいと思ってくださる方まで、いろんな思いがあるのでしょう。
それも全部含めて、あくまで私の側は、家庭的な姿勢をとりたいと考えています。

今このような時世になっても、知人、友人たちとも連絡しあえる今、私は寂しくはないし、時折感じる孤独もあっていいと考えています。

配偶者、パートナーのいる生活は、幸せでしょうか。
それぞれ感じている幸せとは、どのようなものなのでしょうか。

お互いを大事にし合っているでしょうか。

目の前の人は悲しんでいないでしょうか。
相手に心を閉ざしてはいないでしょうか。

相手を変えようとしていないでしょうか。
自分はいつも正しいと思っていないでしょうか。

本当に相手の方を理解しようとしているでしょうか。
相手の幸せそうな顔を見たいと思っているでしょうか。

私の人生と違う人生の醍醐味を、うかがってみたい気がしています。


●お互いのわだかまりに向き合う

信じられないことかも知れませんが、人はいくつもの過去生を生きて、現在に至っています。
たくさんの人生の中で違う形で出会っていたりするのです。
いいことばかりではなかったかも知れません。辛い関係性があったかも知れません。

でも今こうしてご縁ができたということは、家族というご縁の中で向き合っておきたいことがあるのかも知れません。癒しておきたいことがあるのかも知れません。
時間はあっという間に過ぎていきます。来世は再び会えるかどうかわからないのです。
わだかまりがあるのなら、今話しておいた方がいいのかも知れません。
私もあまりできてはいないことだけれども、話を聞いて理解を深めた方がいいこともあるかも知れません。
またとないチャンスかも知れないから。


●私自身の今回の学び

今回いただいた時間は、別の視点から家族ひとりひとりの過去生も含めたたましいの歴史を説明してもらい、理解する時間になりました。
本当は、このご時世の中で、私が家族にできることはなんだろうと思ったことがきっかけでした。

私目線からの縁はこの10数年間で少しずつ紐を解いて理解してきたつもりでしたが、それぞれの人生のテーマや、つまづいてきたことなどを教えてもらうことで、私と誰か、という家族の関係を離れて、魂として同じ道を目指すもの同士としての視点を与えていただいたように感じています。

そして、悩みながらここまで生きてきたことが、何千年も前からのもつれた糸を解くことになった面もあったということを今回知りました。
ほどいた糸は数本かも知れませんが、私なりに人生に向き合ってきて良かったと感じました。

私はご縁があって、今の家族の中に生まれました。
その事実はたくさんの感謝をこめて、大事にしたいと思います
つらいことも含めて、たくさんの経験をいただきました。そのなかで少しだけ物事を考えられるようになりました。少しだけですが、まだまだですが、周りの人の気持ちに思いを馳せられるようになりました。
ありがたかったなあと感じています。

そして、まだ私ができることがあったということを、嬉しく思います。

現実はうまくいかないことがたくさんあります。
私が脳性まひの障がいから逃れられないように、逃げられないもの、逃げてはいけないものを背負って人は生まれてくるようです。
そして、向き合っても逃げまくっても、どちらを選んで生きても人生としては自由、という、一生を送ります。

いつか、自分のまいた種は、自分で刈り取る日が来る、
それだけのことかも知れません。

自由に考えた人生を生きるのは素敵なことだけれど、
本当は今生で、やっておきたいことが残ってはいないでしょうか。
後悔していることがあるのではないでしょうか。

今生、家族というご縁を持ってくれたみんなが、幸せを感じる日々を過ごせるように、祈ります。
心から、本当に心から、願っています。
そう心から思えたことが、今回の学びでした。

この機会をいただけたことに、心から感謝をしております。


新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...