2019年7月29日月曜日

街の歩き方

板橋に越してきて、最初に気をつけるようになったのは、街の歩き方でした。
国道沿いなど大きな道は別ですが、生活に必要な道の多くが道幅が狭く、歩道も白線で区切られて色で分けられているところが多かったのです。
住処に選んだところが商店街の活発な地域だったからかもしれませんが、それまで住んでいた区とは少し町のつくりが違うように感じました。
私の住んでいる近くの道は、一方通行の道路ですが、当然のこととはいえ一方通行は自動車だけの話。自転車や歩行者は自由です。
商店街は、1日のうちの数時間だけ車両規制があるところが多く、午前のうちは様々な形で人や車が行き交います。
自ずと私は車椅子の運転を気をつけるようになりました。
以前暮らしていた街では、電動車椅子で歩いているとよけてもらえていたような気がしていました。なんとなく道ゆく人との間が遠く、すれ違うときもそんなに気にしないで歩いていました。ぶつかりそうになることはほとんどなく、たまにそういうことがあるぐらいでした。

板橋ではあまりよけられることもなく、だからと言って、ぶつかりそうになればお互いに「すみません」「失礼しました」と一声掛け合うことが多くなり、生活の中で自然に「こちらがよけるというもの」という感覚がも身につきました。よけられる方がよける、気がいた方が気をつける、この感覚がようやく私も身につきました。おかげて車椅子の運転技術が上がったのではないかと自負しています。

最近は、スマホに夢中ですれ違ったことさえ気づかずに歩いていく人も多く感じてます。車椅子で歩いていても、びっくりするほど近くすれすれを歩こうとされて、思わず運転を止めたりします。もし私が気がつかなかったらと思うとちょっとびびります。
 
それでも、人と人がすれ違うだけのことで、そんなに気になってはいませんでした。

つい最近、スーパーに行く道を歩いていると、電動自転車に乗った方とすれ違いました。お仕事中のようでした。よくあることです。
その方は、私が歩いて行こうとしていた交差点の左側から右折して私の方に走ってきたのですが、大回りして曲がって来られました。
自転車ですれ違う人はいつもキュッキュッと運転していく人が多いと思い込んでいた私ですが、この瞬間気がつきました。

かならずしも颯爽と自転車を操縦できる人ばかりではないのかもしれないということ。

そういえば、歩くのが大変で自転車に乗る方もいらっしゃると伺います。ご本人的には大丈夫な範囲だと思うのですが、すれ違う人の中には、操縦大丈夫なのかしら、とこちら側がひやりとすることが多々あります。
(私の電動車椅子の運転も、おぼつかないものとみられているかもしれないし、あまり人のことをいうものではありませんね。。すみません)

スーパーでも、街中でも、確かに年齢の高い方が多く、時に必死さが伝わってきたりします。
私も50代になって、今まで通りの健康管理の感覚だけだとうまくいかなかったり、予定外のことがたくさん起きたりしていますが、きっとみなさんそうなんだろうなあと、なんだかそんなことを感じてしまったんです。

核家族化がいいとか悪いとか、私はよく判断できないし、私も家族から離れる生活を選んできた人間だから、家族がそばにいれば全て解決するなんて全然思っていないのですが、、
しんどそうな方が一人で買い物している姿を見ると、どうにかいい方法はないものかと、思う今日この頃です。
生活が楽しければ、本当にいいのですけれど。
なんか、勝手なことを書きました。

2019年7月24日水曜日

3時間の会話

友人と久しぶりにゆっくり話しました。吉祥寺の美味しいチーズケーキをいただいて、あれこれ話題が移り、あっという間の三時間でした。

気づいたことが一つ。私は最近まで、基本的なことができていなかったんだという気づきです。

私は最近、障害があることで自分の手でできない物事について、「できないものはできなないし、できないことでいい」と思い始めています。
介助の方が毎日来てくださっていることで私の生活が成り立っていますが、自分でできないことは人にやってもらって、それが「自分でできたこと」というように納得しながら生活していた時期がありました。
その頃は、自分の思うようにしたいことが進まないと、自分の伝え方が悪いのだと思い、言い方を変えてみたり、工夫を考える日々でした。

最近、自分の介助を頼むという感覚が、介助の方と一緒に時間を過ごすという感覚に変わりました。
できないことをやってもらうことには変わりはないのですが、「私のやり方」とか、「できないことをできることにする」という感覚が変わり、「私の生活をいろんな人のやり方でサポートしてもらっている」という気持ちになったように思います。
もちろん、やり方を伝えることはするけれど、そして、して欲しくなことがあるときはそれも伝えているけれど、自分のやり方が絶対で、介助の方はそれを実現してもらう人、という目線が変わったように思うのです。

そして、サポートを受ける側、利用者という枠に自分をはめてしまうのではなく、誰かと一緒に過ごす時間であり、自分のできないことをしてもらう時間として大切に考えるようになったのです。

何が変わったのかというと、他者に、自分のできないことを頼むということがどういうことなのかということを、ようやく理解できたのだとと感じています。

自分のできないことは他者にお願いしてやっていただく、という気持ちです。

その友人は、不思議そうな顔をしていました。
「お仕事で来るのだし、頼まれたことをするのが仕事だからなあ」

でも話しているうちに、友人も、自分のできないことを人にやってもらう時の気持ちを、つまり例えば経営者が全てを自分の手で賄えるわけではなく、働いてもらう人に対して気を使うものという本来の気持ちがある、ということを語ってくれました。

この気持ちが私にはなかった、ということに気がついたのでした。

友人は、私のいいところを見てくれている方なので、そこはできていたのではないかと思ってくれていたようですが、私は実はそこが欠けていたのでした。


運よくそこを見抜いてくれた人と巡り会い、わかりやすく指摘してもらったことで今の私がいますが、もしそのことをわからずにいたら、なぜ自分の言葉が人に伝わらないのかと、いまだに悩みあぐねていたことでしょう。

人は自分の価値観から人を理解しようとします。友人は自分の価値観から私を良い方に理解しようとしてくれていたんだなと思いました。

こうして書いてみるとわかりやすくかけなくて、申し訳ないことですが、今回の時間の中で、自分が変化していったことを気づき、いい時間をいただいたなあと思いました。

2019年7月21日日曜日

元気?どうしてる?

SnSが私は好きになれません。昔ミク●●を教えていただいたのがきっかけで、他の知人よりも遅いデビューとなりましたが(なぜなら私がようやく始めた頃にはもうピークは終わっていたようなのです。)、いまも極力投稿はしていません。
最初の頃は一行日記などで遊んでいた時期もありましたが。

なんだかいろんな人のいろんなことがわかってしまって、コミュニケーションしていないのに近づいた気になってしまう、というのが、苦手の原因。

自分で投稿はしていないけれど、好きな人のブログや好きな言葉は見つけるとシェアしています。それでもそこにいいねがついたりつかなかったりすると心が揺れます。

とても好きになれない気持ち。今を生きていくには、こんなことでは生きにくいことになるなあと、心の何処かで思っています。

今回、参院選ということもあり、少しだけ連絡や選挙ハガキが届きました。
普段から友達づきあいが悪い私は、そんなに友人が多い方ではなく、政治が好きな人とは選挙期間に会うこともない数年を過ごしてきましたから、久しぶりに感じるものがありました。

ちなみに私は選挙権を行使しなかった時は今まで一度しかなくて、権利をいつの日も行使してきました。
一度だけ行かなかった時は、昔埼玉で暮らしていた頃に、圧倒的に強い候補者が勝つとわかっていたあの時の、一回だけ、サボったのでした。

でも考えてみると、知人や友人と選挙に行ったかどうかなんてあまり自分から聞かないし、だから私が毎回欠かさす投票しているなんて、誰も知らなくてもいいことなんですけれどね。

選挙用ハガキは必要なこと以外はかけないみたいだから仕方ないとしても、

連絡はせめて、
げんき?
 とか、
どうしてる?
とかから、始めたかったなあと思います。
推している候補者のつながりの説明を書く前に、久しぶりなのだし。

きっと私が多分、このように用件だけを伝える、冷たいタイプの人間だったのかもしれないなあ、と、今もそういう面があるのかもなあ、と、
反省を込めて。
以前に私も指摘してくれた方がいました。
「あなたは自分だけの世界で生きている。目の前の人は不在。」
そう、私も他者に自分が伝えたいこと、言いたいことばかり話していた頃がありました。今もその癖が残っています。自分の言いたいことを、相手の気持ちよりも優先してしまうのです。
ほんの今日のひと時も、そんな自分がいました。
伝えたいことを身構えて話を聞いていても、相手の話はうまく聞こえません。

自分の言いたいことだけ相手に投げかければ、それでいいのでしょうか。
相手に自分の言いたいことを理解してもらえたら、それでいいのでしょうか。

今の私は、今日のひとときの自分の傲慢さに、少し落ち込んでいます。別にそのタイミングで話の流れを変えてまで伝えなくても良かったことでした。
会話というものは、難しいものです、いつも。

ここに書くということは、私も連絡をくれた本人に未だ自分の気持ちを伝えられていないということなので、ああ、自分もダメダメ。
私に忠告してくださった人は、愛があったなあと改めて思います。

それにしても、一方通行のコミュニケーションは、本当に寂しいものでした。

2019年7月14日日曜日

数日前の夢

お世話になっている、師と、夢でお会いしました。

夢の中で私が、別のところに引っ越すことになり、会いにいくと、師は、「今度は私が訪問するから」と言うのです。
そんなに遠くないから、またこちらから伺いますと、お伝えしたのに、別れを惜しむような雰囲気となり、涙が止まらない夢でした。
あたりは雨模様で、ところどころ水浸し。私は電動車椅子で動いていました。。。

2019年7月13日土曜日

自立生活を続ける中で

今年で、地域でアパートを借りて暮らし始めて26年が経ちました。
この間、5回ほど引っ越して、住む地域も4回ほどかえて、思えばいろんなことを体験しました。

詩人になりたかったり、作家になりたかったり、ピアカウンセラーになりたくてなってみたり、自立生活センターに務めたいという夢が叶ったり、所属することを全てやめたり、思えば、叶わない夢はほとんどなかった26年間でした。

重い障害と世間的に捉えられる体を持つ私のような人間が、福祉制度等を活用して地域で暮らすことを「自立生活」と呼んでいるけれど、
世間には、「施設の生活」や、親御さんやご兄弟の方と生活しておられる障害のある方もいて、
自立生活という生活スタイルは果たしてメジャーになったのか、私自身は認識できないでいます。

自立生活を続ける中で、26年前と今と、気持ちが変わっていったものがあります。

その一つが、介助を受けるということへの認識です。

最初のうちは、自分でできないことを、介助で来てくださる方に頼むということが大事なことだと思っていました。
自分ができないことを、関わってくれる人に上手に頼むことができるのなら、それは私の「できること」になると思っていました。
だから、どう伝えるか、どう理解してもらうか、思う通りにやっていただくためにどうすればいいかを常に考え続けていたように思います。
介助の方々にも、役割としての存在を求めていたというか、仕事の面を重く見ていたように思います。思う通りにやってもらいたいことが伝わらないと、どう伝えれば良かったのかと、そればかり考えていました。

今は少し違う認識があります。まず自分が物理的にできないことは、あくまで自分の手ではできないこととして、物事を捉えているのです。
自分の手でできないことを叶えていくためには、他者の協力が必要で、他者の手を借りてできるようになったことは、私ができるようになったということではない、
文章で書くとややこしくてわかりにくいものになってしまいますが、今の私はそう思って生活しています。
つまり、できないことは、誰に頼んでできたとしても、自分でやったことにはならない、という認識に、ようやく立つことができたのです。
できないことはできないことでそれはそれでいいもので、たくさんの協力者の存在があって、私の26年目の自立生活が営まれ続けているのです。

もちろん私自身の意思がないと、この生活は崩壊します。私の障害は身体的なものなので、意思を伝えるということが私の生きるという行為だと思うからです。

年月が経って違ってきたのは、できないことは誰にどう頼んでやってもらっても、自分ではやっていない、経験していないということと、そして私の頼んだことを忠実に表してくれる人がいつもそばにいてくれたという事実を、理解できたということでしょうか。

介助の仕事できてくれる方を、「介助者」「ヘルパー」という枠の中で見てしまっていた自分を手放して、私の生活に協力してくれる人として受け入れられるようになったことも、心が自由になった大きなことでした。

誰でも特手不得手があり、できないこともできることも、呼吸やテンポも常識も価値観もそれぞれが違います。いろんな人が、自分の人生を生きようとしている世界の中で、偶然、自立生活をしている、障害がある私と、介助がやってみたくて自立生活センターを訪れたどなたかが、介助という仕事を通して出会います。
この出会いはとても、実は大切なものでした。いつの日も。
この出会いがたくさんあることで、私は26年間、清潔で身ぎれいな生活を続けることができました。社会的な活動も続けることができました。


ありがたがったなあと、心から思います。いろんな経験をして、今日まで考えてこれたから。
私が26年間得た経験は、何かをできたというようなものではなく、いろんなことを考え続けていることや、感じ続けていることだったのでないかと思います。それによって少し視野が広がり、自分の中にある井戸から這い出て、他者の心を感じようとする方に少しでも進もうとする心が育ちました。
そこにこのとしつきの意味があったと、今は思います。





新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...