2018年4月27日金曜日

旧優生保護法が残したもの

1996年に母体保護法に変わった旧優生保護法に基づいて、多くの人が本人の意思確認なしに強制不妊手術をさせられた事実が、今明るみになりつつあります。
毎日新聞は連日、裁判のことや、実際に被害に遭われた事実などを書いてくれていて、本当にあったんだということを教えてくれています。

熟読はできていなくて、レポートのように書けないけれど、このブログでも少し触れてみたいと思いました。

1948年にできたこの法律の下で行政が、障害を持った人の不妊手術を、その家族も巻き込んで積極的に進めていた事実が相当あったことを知ると、それを免れた私は運が良く、周りに恵まれていたと思わざるを得なくなります。
新聞によると、北海道や宮城などでは、不妊手術を断った家族を説得したとあるそうです。
在日している外国の方も対象になり、手術をさせられた事実があるそうです。
また、最近の記事では、家が貧しいなどの理由で、明らかに障害がないと思われる人も施設に入っていたようで、その人たちも不妊手術をさせられたということが書いてありました。

優生保護法は、遺伝性だと思われる疾患を不良なものとし、不良な子孫を残さないためにという目的で、その疾患に当てはまる人は本人の承諾なしで不妊手術ができる、と定めたものでした。
もともと刑法の堕胎罪がある日本では、この優生保護法の経済条項がないと、女性が自分の意思で中絶できないという問題があります。刑罰が適用されてしまうからです。

今は優生保護法は母体保護法に変わり、不良な子孫を残さぬための…という言葉は無くなりました。
遺伝と思われた疾患名を羅列していた別表も無くなりました。

ハンセン氏病は、遺伝性ではないのにもかかわらず、この優生保護法にかかれ、多くの人たちが不妊手術をさせられたと伺っています。

被害を受けた方々が訴訟を起こし、多くのことが今明るみになろうとしています。

私も15歳の時、ほんのひとことではありましたが、人から、子宮をとれば、と言われたことがありました。二度と言わないで、と私はその場で言えましたが、新聞を読めば読むほど、圧力を受けながらたくさんの人たちが手術をさせられたことを知ります。

私は一言だけ、一回だけでしたが、今でも心に残り続けています。

多くの人に支えてもらう生活を続けていると、時折何もなくても、この生き方で生きていいのかと、深い穴の中に入ってしまうことがあります。そういう時は、どのような人でも支え合って生きているのだから自分も人と変わらない、ということを自分でも忘れてしまったりします。自分自身を大事にすることも、人間として必要なことということを忘れてしまったりするのです。

きっと、自分の体を使って自分のことをできる人たちも、私が陥るような自分だけの視点の穴を、たくさん持っているのは変わらないことなのでしょう。ものを見ていないと、その穴は罠のようにやってくるように思います。

他者をどう見ているのか、どう考えているかは、態度や行動に現れ、社会に反映されていくようです。人を自分の考えのもとで判断することというのは、愛情がなかったり、勘違いの愛、理解していると思い込んでしまうものが含まれているように感じます。

私も、そうやって人様を区別してきた一人です。自分の置かれた場所から、そうやって差別的に考えてきた一面があることを自覚しています。
そういう穴に落ちないように、物事を広く考える努力は怠らないようにしないといけません。

記事を読んでいると、手術するようにと圧力がかかる中、必死で本人の立場に立って反対されたご家族もいらっしゃったということです。時折書かれるそのような文面を見ると、そういう人たちが確実にいたということがわかり、少しだけ心が和らぎます。もちろん被害を受けたのは変わりないことですから、どんなにつらかっただろうと思います。

一人でも多くの人が、他者がその人らしく生きることを考え、自分の事のように思いやれる心持ちを維持してくださったらと思います。

私も、私の周りにいてくれる人たちを悲しませないように、多くを考えて生きられたらと思うのです。

2018年4月26日木曜日

車椅子が壊れてから直るまで考えたこと

私の電動車椅子は、年に一度、タイヤとバッテリーを交換します。
前輪も後輪も、一年で溝がなくなって、危険になるのです。

今乗っている、愛車になってまだ一年のカレも例外ではありませんでした。今まで乗った中で消耗が激しい方で、勾配のきつい坂は前輪が滑るようになってしまい、さすがに危なくてメンテナンスしてもらいました。

綺麗になったばかりのカレ、なぜか、すぐに壊れました。
電動のブレーキが効かなくなったのでした。それも突然。
家の近くだったことが幸いでしたが、電動車椅子が手動のように、簡単に押せるようになってしまったのです。

何があってもなんとかなる、という根拠のない自信は、こういうことがあると打ち砕かれます。
電気が通らなくなって、ブレーキも効かなくなった電動車椅子は、ただの重たい車椅子でしかなくなりました。

幸いなことに介助の方がいてくれて、玄関に入れてくださったので、ことなきを得ました。

普段、まるで自分で動いているかのように、電動であちこち行けているけれど、電気が通じなくなると本当に自分では何もできなかったということを思い知ります。

車の運転の時も、バイクも自転車も、故障するとこんな感じなのかしら。
少し違うかな。自分の足で歩けるということは。

自分の足で歩くということは、大きなことなのかも知れません。意識的にも、無意識だとしても、目的地まで体一つで行けてしまうのだから。

できないということは、たとえ機械や何かを使ってできるようになっているとしても、100パーセント自分でできるようになったということではないと、どこかで忘れないようにして生きることが必要かな、と思いました。

もちろん、器具等を問題なく使って、できなくなったことをできるように努力をして生きている方ははたくさんいらっしゃると思いますが。

できないからやらない、ということではなくて、できない状況をできるように変えて、生きていくことができているということです(ややこしい)
そこを感謝したいなって。


車椅子のブレーキは、数日後、いつもお世話になっている車いすやさんが、その日のうちに直してくれました。
小さな部品が一つはずれたそうです、

すぐに直って良かったな。ほんとうに。




2018年4月16日月曜日

個人授業

先週、ふと気づいたことがありました。お芝居を観に行く前に、池袋をうろうろしていた時のこと。
一緒に歩いていた方とお話をしていた時に、会話の中で
「その人に起こることは、その人にしか起きないのよ」
という言葉があって。
確かに。

友人のHさんに起きていることは、私には起こらない。

甥っ子に起きていることも、妹に起きていることも、私には起こらない。

世の中に起こることは、とても不平等で、いつも不公平。

似たようなことは起こっているように思うけれど、似たような経験はたくさんあるかも知れないけれど、よくよく考えれば、シチュエーションはそれぞれ違うから、同じような経験でも、まるっきり同じではないのです。
同じ場所にいて、同時に一つのことを体験したとしても、まるっきり同じではありません。
つまり、世界中の人たちが、ひとりひとり全く違う人生を歩き、違う感性から、違う経験をしているということです。

そうだったんですね。だから、個人授業なんです、人生は。

私の身に起こることは、私にしか起こらないこと。
私は障害を持っていて、子供も作らなくて、福祉制度の中で生きていて、叶わないものもたくさんあり、恵まれた部分もたくさんあります。
そして今回どうしても知らなくてはいけないこともありました。
この人生で、感じなければいけないことがたくさんありました。
この人生で私の身に起きたことは、妹には起きないし、友人にも起こることはありません。
私だから起こった、私だけのものです。

私の経験値、私の人生観、私の価値観は、今日までの積み重ねでできたものであって、必要なもの、乗り越える必要があること、理解するためのこと、蒔いた種の結果しかやってこない。
だから、その時その時を、大事に生きることが必須なのですね。サボってはいけないのです。
サボったとしても、その穴埋めのような出来事がやって来ます。
そのときその時を、またとない機会として大切に、自分らしく生きることが、本当に役目なんです。

自分らしく、ということはとても大事。
セオリーを知っていて、マニュアルのようにそれをこなしても、考えて納得していなければ、何も残らないのです。
何も残っていないと、同じような出来事が、手を替え品を替え、次々にやって来ます。
だから考えて、自分の愛情を混ぜて行動して、味わうこと。それが経験となります。

うまくできなかったと思っても、次に同じようなことが起きた時、自分が少し変わったことに気がつくかもしれません。

人生は個人レッスン。その意味がようやく理解できたように思いました。

2018年4月13日金曜日

ストーリー・セラー

池袋シアターグリーンで、ストーリーセラーという舞台を観て来ました。

泣けました。書くという立場から見たからなのか、役者さんたちに圧倒されたのか、泣きっぱなしの一時間半でした。

私の胸に残ったのは、なんだったのでしょう。何がそんなにも、感情を揺さぶったのでしょう。

書くということは、今の自分をさらけ出すことだし、書ききれないということは、まだ向き合えていないということ。舞台のヒロインは、自分をさらけ出せて表現し、作家になったけれど、書く人というそのあり方が、もしかしたら自分の何かに触れたのかも知れません。

そして、愛されること、愛することもとても素直に観ることができました。

観て良かったなあと思います。

舞台挨拶も、この作品に対する熱意が伝わって来て本当に良かったです。

有川浩さんの原作、読んでみようと思います。

今日は盛りだくさんの1日でした。そのお話はまた後日に書きますね。

15日までの舞台です。ご興味のある方は是非。



2018年4月7日土曜日

今夜、新宿の片隅で

ミュージックBar TKOで8日日曜日まで催されている、「今夜、新宿の片隅で」という公演の昼間の部を観てきました。

ミュージックBARも初めてだったし、東新宿(大久保)を歩くのもお初だったので、全部ひっくるめてとても楽しかったです。
間近に迫るコメディと歌はいいですね。笑いっぱなしだったし、歌には惚れるし、最高でした。

普段は楽器がいっぱい並べてあるBARなんですって。行く機会があまりなかったせいか、刺激受けました。


耳に残っているのは〇〇の実況と、歌ですね!!!

いい時間に感謝。

2018年4月4日水曜日

今朝の夢

明け方に、「最近サボっているねぇ」と指摘された夢を見ました。

サボっていることを考えたら、エネルギーを扱うことかなと、思いました…

言い訳をするなら、時間の使い方が下手で…いつの間にかいつも寝てしまって…
1日があっという間で…というか、遊び人のはずなのに汗

天の声は的確です。時間配分考えます。

2018年4月1日日曜日

四月の生き方

今日から四月。少しこれまでのペースが現実的に変わる月でもあります。

今月は、
明るくたおやかに、日々を悔いなく楽しむこと。

でしょうか。

意味深で意味不明でどうにもすみません。

3月のまとめ

3月は、めまぐるしく過ぎて行きました。

あまり体験してないことを体験したり、気づきがあったり、落ち着かなかったり、なんともまとめようのない一ヶ月でした。

自分があまり人から信頼されていないことや、あまり書き残したくはないけれど、いいように思われたいないということも感じたり、だからと言ってそれに対してどう思うこともなく、ああ、そうだったんだ、と納得した瞬間がありました。

人の心を変えることはできない、でも自分の心は変えることができる、この意味は、自分の成長に責任を感じることなのではないかと思った日もありました。

そして、安易に返事をしたり反応したことが、心に嘘をつくことになるというか、不誠実になるということも理解したように思います。

私は自分の判断するスピードを知らなくてはいけないと思いました。それなりに感じたことを考えて自分なりのことが決まるまでは、少し時間がかかるみたいです。その時間を大切にしようと思いました。

感じたことについて考え、自分の答えを出すという作業に実感を持てた月でもありました。

そして、信頼を持てる人と一緒にいるときは、とてもリラックスするのだという腰も実感し、自分はいい時を過ごしていることを知りました。

私が愛情を人に分けることができるということを実感した時間もありました。

こうして書いてみると、豊かな一ヶ月でした。


新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...