1996年に母体保護法に変わった旧優生保護法に基づいて、多くの人が本人の意思確認なしに強制不妊手術をさせられた事実が、今明るみになりつつあります。
毎日新聞は連日、裁判のことや、実際に被害に遭われた事実などを書いてくれていて、本当にあったんだということを教えてくれています。
熟読はできていなくて、レポートのように書けないけれど、このブログでも少し触れてみたいと思いました。
1948年にできたこの法律の下で行政が、障害を持った人の不妊手術を、その家族も巻き込んで積極的に進めていた事実が相当あったことを知ると、それを免れた私は運が良く、周りに恵まれていたと思わざるを得なくなります。
新聞によると、北海道や宮城などでは、不妊手術を断った家族を説得したとあるそうです。
在日している外国の方も対象になり、手術をさせられた事実があるそうです。
また、最近の記事では、家が貧しいなどの理由で、明らかに障害がないと思われる人も施設に入っていたようで、その人たちも不妊手術をさせられたということが書いてありました。
優生保護法は、遺伝性だと思われる疾患を不良なものとし、不良な子孫を残さないためにという目的で、その疾患に当てはまる人は本人の承諾なしで不妊手術ができる、と定めたものでした。
もともと刑法の堕胎罪がある日本では、この優生保護法の経済条項がないと、女性が自分の意思で中絶できないという問題があります。刑罰が適用されてしまうからです。
今は優生保護法は母体保護法に変わり、不良な子孫を残さぬための…という言葉は無くなりました。
遺伝と思われた疾患名を羅列していた別表も無くなりました。
ハンセン氏病は、遺伝性ではないのにもかかわらず、この優生保護法にかかれ、多くの人たちが不妊手術をさせられたと伺っています。
被害を受けた方々が訴訟を起こし、多くのことが今明るみになろうとしています。
私も15歳の時、ほんのひとことではありましたが、人から、子宮をとれば、と言われたことがありました。二度と言わないで、と私はその場で言えましたが、新聞を読めば読むほど、圧力を受けながらたくさんの人たちが手術をさせられたことを知ります。
私は一言だけ、一回だけでしたが、今でも心に残り続けています。
多くの人に支えてもらう生活を続けていると、時折何もなくても、この生き方で生きていいのかと、深い穴の中に入ってしまうことがあります。そういう時は、どのような人でも支え合って生きているのだから自分も人と変わらない、ということを自分でも忘れてしまったりします。自分自身を大事にすることも、人間として必要なことということを忘れてしまったりするのです。
きっと、自分の体を使って自分のことをできる人たちも、私が陥るような自分だけの視点の穴を、たくさん持っているのは変わらないことなのでしょう。ものを見ていないと、その穴は罠のようにやってくるように思います。
他者をどう見ているのか、どう考えているかは、態度や行動に現れ、社会に反映されていくようです。人を自分の考えのもとで判断することというのは、愛情がなかったり、勘違いの愛、理解していると思い込んでしまうものが含まれているように感じます。
私も、そうやって人様を区別してきた一人です。自分の置かれた場所から、そうやって差別的に考えてきた一面があることを自覚しています。
そういう穴に落ちないように、物事を広く考える努力は怠らないようにしないといけません。
記事を読んでいると、手術するようにと圧力がかかる中、必死で本人の立場に立って反対されたご家族もいらっしゃったということです。時折書かれるそのような文面を見ると、そういう人たちが確実にいたということがわかり、少しだけ心が和らぎます。もちろん被害を受けたのは変わりないことですから、どんなにつらかっただろうと思います。
一人でも多くの人が、他者がその人らしく生きることを考え、自分の事のように思いやれる心持ちを維持してくださったらと思います。
私も、私の周りにいてくれる人たちを悲しませないように、多くを考えて生きられたらと思うのです。