2019年5月1日水曜日

じんせいをふりかえる作業。そのいち

元号が平成から令和になりました。平成の最後の日は少し寂しいような落ち着かないような気持ちでした。
昭和から平成になる時と気持ちが違うことが、不思議な感じでした。

平成の最後の数日、なんとなくいろんな些細なことに敏感になりながら、ふと、自分のじんせいを振り替える作業を仕上げてみようという気になりました。
今回のものではなく、過去の数多い人生の方です。
私の「過去の人生」。ここからは話がぶっ飛びます。

受け入れ難い話かもしれませんが、ひとつの夢物語としてお付き合いいただけたら幸いです。

ヒーリングサロンで「霊的真理」の勉強を習い始めてから、私は自分の過去生をたくさん知ることになりました。
それは、私がその能力がついたとかあったとか、そういうことではありません。
私は知らなくてはいけなかったのです。

自分がどんなに考えないで生きる人生を送ってきたか。
そのためにどれほど多くの方々の人生を奪ってきたか。
どれほど多くの悲しみを生み出してしまったか。
そして、その悲しみの種をこの世界に残してしまったか。

本当は自分から自分の人生の出来事を通して疑問を持ち、考えることを少しでも早いうちからできていればよかったのですが、
そんなに上手くは今回もいきませんでした。

今回の人生で、私は身体的な障害をもらいました。
それも、世間的に一般就労が難しいとみられるぐらいの重い障害でした。
特別秀でたものは何も持ち合わせていませんでした。
もっと真面目に努力していけるように人間であれば、もしかしたら何かを身につけられたかもしれませんが、私はそんな人間ではありませんでした。

身の回りのことについても、福祉的な介助サービスを毎日必要とする生活になりました。

その環境の中で、私はいつも人並みの生活を求めていきてきました。
施設に入らず、家族とも暮らさず、地域の中で生きていきたかったのです。

それを選んだことは何も悔いはありません。
どんな状態であっても自立して生きるやり方があるということを、私は身につけたかったからです。
この、自立するということも、今回の私の人生で実感しておきたい経験の一つでした。

まだ身につけたとは言えないけれども、制度に依存しても心は誰かに依存せずに、他者のことを考えながら生きる、それが私にとっての自立なのかなあと、今は思っています。

課題だったのは、いつも人並みの生活を求め続けた、というところです。

いつも一人前に扱われたいと思っていました。
向いている仕事に巡り会いたいと。
良きパートナーに出会いたいと。
市民としてふつうに地域で生活していきたいと。

思いは全て叶い、忙しく暮らしているときに、ヒーリングサロンに出会うこととなりました。

じんせいを省みるということは、私にとっては思いも寄らない、想像もできなかった、世界を開いてもらうことになりました。

過去の私は、何一つ極めようとしていませんでした。
それどころか何一つ身に付けようとしていませんでした。

ひとつひとつ、過去のじんせいを知るたびに、私は自分に勝手ながら失望し、絶望し、言い訳を考えて自分を正当化しようとして、逃げました。
できれば見ないでおきたかったのです。本当に、勝手なものです。

ひとつひとつのじんせいを知ったとしても、その時の状況が臨場感をもってわかるわけではありませんでした。何重もの薄いベールに包まれた情景が、頭の中に映画のように流れている感覚でしかありません。

だから本当のことなのか、夢を見ているのか、信じないなら信じないこともできたことかもしれません。

私がそれらひとつ一つを信じているのは、すべてのじんせいが自分の頭のイメージの中に展開されたことだからです。
そんなに想像力のない自分の頭の中で、見もしない主人公に会い、どんなじんせいだったかを垣間見たのです。
その多くが本当に最悪のじんせい、何も学べていないじんせいだったのです。
自分で作り上げるストーリーなら、少なくとも自分はいいひとでありたかったはず。
自分で最悪のじんせいを思いつくなんて、ありえないことだと思っています。

自分で信頼できるじんせいなら、今受け止めて振り替えることが本当に必要なことでしょう。
本当に本当かということを確かめることよりも、
なぜ、そのような行動をするじんせいを送ってしまったのか。
本当は何を学ぶ必要があったのか。

そうしないと、多くの出来事に申し訳がたちません。


自分を知るということは、本当に、勇気と省みられる心が必要です。


そして、

私のじんせいは、今回の人生の前に29回ありました(思い出したものだけですが)
ほとんどの人生で、
「どんな環境であっても、人は学ぶことができる。人は成長していける」
ということと、
「いろんな愛を覚える」
ということを学ぶ人生でした。
どんなに劣悪だと思われる環境であっても、卑屈にならず、おごらず謙虚に、人を思いやり、誠実に生きることが、いつもじんせいの課題でした。
そのことがいつもできなかったのです。

今回の人生で、ヒーリングサロンに出会い、自分を見直すことになったのは、
もういい加減気がつきなさいと、きっかけが与えられたということかも知れません。

まだまだ浅はかさが目立ってしまう自分ですが、今回知ったことから、もう逃げないで、生きることを全うしたいと思っています。

なぜなら、自分しかわからないと思うのです。それらの人生が、本当だ、という感覚というものは。
自分にはわかっているんです。逃げたら卑怯な人間になることが。

知識を得るということは、そういうものなんだと思っています。

 




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