妄想の続きです。わかりにくいと思います。うまく書けなくて申し訳ないです。
前回、このプログに書きましたが、私の性格は根がネガティブです(ダジャレのようですが)。
それがなぜ、性格として問題なのかを、習ったことのおさらいとして書いてみようと思います。
唐突ですが、エレメンタル、エゴイズムというものの説明を、少し書きます。
この後、じんせいをふりかえる作業。の続きを少し書きたいのですが、すぐ本題に入ると本当にわけわからない文章になりそうなので。
霊的真理の考え方では、今の自分は今まで作ってきたエレメンタルの総数である、というものがあります。
エレメンタルとは、人間が、物事を見たり、感じたりするときに自然に作り出している想念、思いのようなものと言われています。ひとつひとつはとても小さいものですが、それぞれが意思を持ち、作った本人と同等の賢さがあるそうです。
ものを一瞬見ただけでシャッターを押すようにエレメンタルは作られ続けます。
ひとつ一つは小さいものなのですが、同じような思いを抱き続けると、それなりにたくさんできたエレメンタルは活性化し、同じようなもの同士が引き寄せあっていきます。
エレメンタルには、ポジティブなものとネガティブなものがあります。ネガティブなエレメンタルは同類が引き寄せあうとエゴイズムという、ネガティブエレメンタルの塊になります。
エレメンタルは、それぞれ意志があり賢さがあるということ、作られた時の欲求をいつか叶えるということ、そして、一度作られたものは二度と無くならない、という性質があります。
教わったことの中で、自分のエゴイズムを知り、手放していくことは、とても重要なレッスンでした。
とても難しいことでもありました。今も難しく思います。
エゴイズムには意志があり、自分と見分けがつかないからです。
性格の話に戻って。
なぜ根がネガティブな性格を変える必要があるのかというと、エゴイズムを活性化しやすいからです。
少しのことでもエゴイズムを大きくしてしまうことにつながると感じられたからです。
今の人生が過去に自分がつくったエレメンタルの総数であるならば、私はほとんど毎回ネガティブエレメンタルを作り続けていたという事実にあたります。
過去のじんせいが29回あるならば、その毎回のじんせいで、同じようなエレメンタルしかつくっていないのです。
そうすると、いくら今、教えてもらった知識を大事にいきていても、元々の性格を変えることをしなければ、
来世、記憶をリセットしてどこかで生まれてきたときに、また多くの過去のじんせいと同じ人生に進んでしまう可能性が大きくなってしまいます。
それだけは、やめたいと思っています。
今度、どこかで人生が始まったときには、せめて、人の心に対して、ひととして普通の反応ができるぐらいの心は持って生まれてきたい、そう思っています。
それにはやはり、なぜ多くの過去のじんせいで大きくつまづいたのか、基本的な性格を振り返っておく必要があるのです。