2019年5月25日土曜日

最近気付いたこと

春になると、ここ数年体調を整えるのが難しかったりしています。
難聴っぽくなった年もあり、肋骨の先を骨折した年もあり、
少し気が抜けてしまうのか、魔が差してしまうのか、
今年も魔が差してしまいました。

幸いなことに骨折などはしなかったので、10日間ほどで少しずつ家の中を動けるようになりました。でも、打ち身の、ナイフで刺すような断続的な痛みには、閉口しました。

変わらず来てくださる介助の方々のおかげで、そんなに大きく生活を変えないで過ごせたことは、本当にありがたく、感謝をしています。
当たり前のことは一つもないと、実感できたのは幸せなことでした。

この期間に気がついたことがいくつかあるので、忘れないために書いておこうと思います。

●人の痛みは本当にわかることはできないのだということ
普段、脳性麻痺の不随意運動に伴う筋肉の痛みや、頭痛や肩こりの痛みについて経験済みだった自分ですが、重い打ち身の痛みはは閉めて体験するものでした。
体験してみて、痛みについて慢心だったなあと思いました。
人が感じる痛みは、本当にその人にしかわからないものなんだと、どのように痛いのか、どのように辛いのか、言い表せないほどのものがあるのではないかと、今回感じたのでした。
自分の体験を通してしかものは考えられなくて、価値観も広げられないものなんだと思いました。
わかっていなかったと知ることは、とても大事なことなのだと思いました。そこから、自分には未経験である世界が広がっているのです。
わかったふりをすることは、知らないということなんだとも思いました。
体の痛みだけではなく、心の痛みも、苦しみも、その人にしかわからないものなのかもしれないと思いました。
痛みについて、簡単に考えていた、浅はかさを自覚しました。

●自分の人生からは決して逃げることはできないということ
以前、このブログでも触れていますが、私は今回、たくさんの過去生を思い出す機会に恵まれました。
今回、少しの間パソコンに向かうことが難しく、何もしない時間に、いろんな考えがやってきては消えて行きました。
ふと、自分の人生の記録は、私自身の中から消すことはできない事実なのだということに気づきました。たくさんの過去生を生きてきた自分を受け入れて、それがどんなにひどいものであろうとも、自分で行ったことなのだから、自分の背中に乗せて、責任というものを忘れずに、糧にして生きるということです。
私の責任は、自分の行動を見直し、改めていくこと、そして、本当にやりたいと思うことにたどりくことです。
やりたいことにたどり着くには、一つ一つ小さいことでも、怠惰にならずに自分の選んだことに責任を持つという姿勢を忘れないこと。つまり、自分との対話を忘れずに、積極的に生きること、、抽象的ですが、それが大事なんだと思いました。心が嫌と思うことはやらない、ということ。やりたくない理由を理解すること、それがまず大事なんだと思いました。なぜなら、私はとても好奇心があって、何にでも飛び込みたくなってしまうのです。何がやりたくないのか、やりたいのか、それを自分のどこの部分が判断しているのか、欲望からなのか、本当の気持ちからなのか、わからないことが多いのです。

糧にするとは、過去生で生きたようなものへ誘われないこと、二度と同じ鉄を踏まないということ。自分自身を育てて、愛のない道には二度と足を踏み入れないこと、だと思っています。

言葉を少し変えると、

糧にするとは、
人を愛するがわになること
自分をすべて理解すること
変わること
なのだと思います。


新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...