今回もたわごとの続きを書いてみようと思います。妄想を楽しめる方はお付き合いください。
前回の続きです。
たくさんのじんせいで、なぜ私は成長しなかったのか。
視点を変えればいろんな理由がありそうですが、私が向き合わなければいけないことに絞ってみます。
それには、今の性格から見てみれば少しずつ理解できていきます。
まず、根本的に、私の思考はネガティブなところにいきがちです。
物事を、暗い視点から思い、理解しようとしてしまうようです。
たいしたことない出来事も、面倒臭い、逃げたい、と呟く心の声があります。
自分で行こうと決めた遊びの予定さえ、なんで行くと決めちゃったのだろう、行かない方が楽だったのに、と呟く心があります。
ネガティブに反応しがちな感情が引き金になり、多くの関連した気持ちを大きくしてしまうみたいです。
そして、ちか道を探す癖があります。
地道にひとつ一つ踏みしめて歩くことが苦手なのです。
努力して何かが上手くなるという、そんな実感を戻るところまで、努力し続ける忍耐がありません。
ちが道をもとめながら、物事に対してネガティブに反応しながらいきていると、
日々のことを自分の世界観からしか見られないままになります。
他者の世界を知りたいと思うまで、想いがいかないのです。
わかるはずない、と、諦めてしまうのです。
または、全て知っている、と思い込んでしまったりもします。
なので、自分の価値観の中でしか生きられなくなり、他者を理解することがより困難になっていきます。
私が持つたくさんのじんせいは、そういう中で始まり、終わり、繰り返されていったように感じます。
今の人生では、意識的に日々のことを捉えることの大切さを、知識として教えてもらいました。
なので、悩むことが多くても、どうにか前向きになれることが多いです。
過去のじんせいでの私の興味は、人の心ではなく、物事の合理性や、自分がなるべく何もしないで、他者からの見立てが良くなるにはどうすればいいか、ということでした。
本当に最低ですが、それが私の過去のじんせいの現実でした。
なので何も好転することはありませんでした。
人は、自分が与えたものしか、もらうことはできないそうです。
このことは、アメリカの昔の霊能力者エドガーケーシーの遺したことでもあり、ヒーリングサロンでも教わったことでしたが、
最近読んだ日本の哲学書にも出てきていました。「呻吟語を読む 竹井出版」の、最終章の文章を書き写します。
「人のために尽くすというと、大方の人は何か損をすると思われますが、そうではなくて、与えるものは与えられます。いま、われわれは同じように宇宙の大生命を呼吸しています。生きるということは、息をすることです。「呼吸」という言葉は「呼」が先で、これを昔は「吐納」といったそうです。
まず息を吐く、それから吸う。吐くことを忘れて吸うことばかりしていては窒息してしまいます。息を吐くことは自分のうちにあるものを外に出す。つまり与えることです。与えることが先にあって吸う。つまり大気を自分のものにすることができるのです。
人と人との間もそうで、人に尽くし、人に与えれば、人はまた自分に尽くし、自分に与えてくれます。つまり、自分が生きるということは、人から生かされることです。人を生かすことによって人から生かされる。
これが人生の真理であります」
安岡正篤 「呻吟語を読む」
最終章『人間練磨の書「呻吟語」に学ぶーーー豊田良平』から抜粋
きっと、実感できている方は、たくさんいらっしゃるのではないかと思いました。
話を戻します。
私の性格は、ネガティブシンキングと、近道を探そうとすること、というものがあり、物事に対してその方向性から反応しがちです。
長所は、今回できる限り努力した真面目さと、物事から逃げないということ。
今回は、ここにもうひとつ、謙虚に物事を見る、という部分を育てられたらいいなあと思っています。
今回の人生では、私がやりたいことを行うために、常にひとさまにお世話になることが必要です。
物理的に一人では動けない、たとえ多少動けても、からだ一つ駆使して毎日を一人で過ごすという世界は望めません。
そこが今回の私の生きるポイント。からだを思うように使えないというのは、きっと理由があるのです。
たくさんのじんせいの経験が、今の私に求めていること。
それは、感じること、考えること。
他の人の視点に立つこと。
友人愛、隣人愛、家族愛、
男女の愛以外の、多様な愛を知り、理解すること。
そして、今の人生を、余すところなく味わうこと、のように感じています。
私が過去のそれぞれのじんせいで本当にやりたかったこと、それは、
どんな環境であっても誠実に生き、心友を得て、人生を堪能すること、のように思います。
過去のどの人生でも、求めていたことであり、できなかったことでした。
さあ、今生は、どこまでも歩きましょう。一歩一歩、踏みしめたいものです。