2019年12月31日火曜日

今年の振り返りと課題

今年を漢字に例えると何か、と友人から質問されて、思い浮かんだのが「生」。
生きることと死ぬことを、よく考えた一年でした。

といっても深刻なことがあったわけではなく、振り返ったときにそう感じただけなのですが。

年のせいなのか更年期の末期症状なのか、なにかと不調を感じることが多く、あまりにも体が動かないときは頭のCTをとったりして……幸いなことになんにも写りませんでした。

でも改めてアテトーゼ型の脳性麻痺というのは、いつもからだが小刻みに震えているものなんだということを理解しました。
CTの技師の方々、大変そうでした。
これではMRIなんてほんとうにとれないなあと改めて実感しました。

そういえば、そんなに強く打っていないのにおなかの筋肉を痛めて、日々の生活が困難になり、一週間ほど寝転がり生活もしました。
私にはジェネリックの痛み止めは効かない、ということもわかりました。
そして、痛みというものは、本人しかその辛さはわからないものなんだと改めて自覚しました。痛みを侮ってはいけないと思いました。

自分でやりたいことを自覚してそれをやってみると、小さなことでも気持ちいい状態が続くことも感じました。やりたくないことを義務感でやってもなにも感じることはないんだなって思いました。後味が悪くなるだけで。
自覚するのがとても難しいのですが。

新しいボランティアの世界にも飛び込んで、10年ぶりに肩書きを持ちました。
お仕事につながることがあったら、ここにもご報告しようと思います。

なんだかそれなりにいろいろあったのだけれど、ブログに書こうと思わなかったのが、今年の変化でした。

私にとってブログに書くとはどんな意味があるのだろう、ほんとうは何かを誰かに伝えたいという気持ちはないのかも知れない、そんなことをや思っていたら、数ヶ月も筆が進みませんでした。

今まで書きたかったことというのは、独りよがりなことだったのかも知れません。
こんなにやっているよー、という自己アピールに過ぎなかったように思います。

このブログはヒーリングサイトのブログも兼ねているし、しっかり内容を考えないと行けないのに、すごく中途半端。
来年はもう少し、何を書きたいかということを考えようと思います。
書きたくなければスッパリ閉じるのもいいかもしれません。

来年のテーマでぱっと浮かんだ字は「仲」。
いろんな形で関係性を深めることを忘れずにいたいです。

そして個人的な課題は、直感を使うことと、拒絶しないこと。
様々な価値観に出会うたびにびびっている自分からの卒業です。

後数時間で新年。
今年も読んでくださりありがとうございました。

よいお年をお迎えください。
みなさまのもとにいいことが雪崩のごとく起きますように(うけうり言葉)

2019年8月20日火曜日

感謝を込めて

おかげさまで、昨日は何十回目の誕生日でした。

友人、知人、家族とメール・お会いして、お祝いしていただきました。

覚えていてくださり、それぞれのかたちでやりとりしていただけたことに、感謝しています。

日々生きていると、何のために生きているんだっけ、なんて、寝ぼけてしまうことが多々あります。

頭の中の世界はいつも壮大で、どれが自分の経験で考えているのか、どれが先入観や偏見なのか、私欲で考えているのか心の底から湧き上がるものなのかもわからなくなってしまうのです。

自分の分別をどこにつけてどの方向に向かっていきたいのか。
いつも確かめていないと、ふらふら何かについて行ってしまいたい衝動に駆られます。

どんな一年間にしたいの、と聞いてくれた友人に、

理解力を身につけて、役に立つ人間になることを目指したい

と答えました。

その友人は、そのまま受け取ってくれました。 

私がここにいることを、うけいれてくださる方々の心を感じながら、
進んでいこうと思います。


2019年8月4日日曜日

熱中症対策

ものすごい暑さ。毎年参りますね。
眠った時の熱中症も、毎年話題になったりしています。

50代中盤に入る私の体は、暑いからといって冷たい水を受け付けてくれることもなく、薄着になると冷えも入って、調整がとても難しくなりました。
氷枕も冷えすぎて使えず、寝る時につけていた冷房のタイマーも、冷房がついている間は少し足の芯が冷えて眼が覚めるし、タイマーが切れると暑くて目が覚めます。
そしてものすごく汗をかいて、朝方少し頭痛気味。
さあどうするか。

考えた末、寝る時はエアコンは送風にして(ギリギリまで冷房つけていますが)、扇風機をあさっての方向につけっぱなしにして、部屋全体になんとなく風の流れを作ることにしました。
お茶を多めにつくっておいてもらい、目が覚めたら飲むように。
枕元には常温のアイスノンを常備。
そして、市販の塩分プラスのタブレットを、朝起きた時に食べてみることにしました。
ちなみにタブレットには、いくつかの成分も入っています。お手頃なやつです。

ときどき水だけを用意してもらって過ごしてみることもありますが、どうも水だけではいろんなものが足らないみたいです。更年期をすぎて、どんどん体外にいろんなものが出ていってしまっているような感覚です。
特にビタミンB群が足らない感じです。(根拠はありません。が摂取すると調子いいみたいです。)

つくってもらうスープは生姜入りが多くなりました。お腹があったまると過ごしやすいみたいです。

数年前までは、アイスノンとお水と2時間タイマー、またはつけっぱなしのゆるい冷房で過ごすことができました。あの頃が懐かしい。。半袖のパジャマも考えなく着れたし、素足で気持ちよく眠れて、それはそれで楽しかったです。

今は今で長袖のTシャツを着せてもらいながら、複雑な体の状況を介助の方に理解してもらえることがありがたく、感じています。
50代おそるべし、まるで新しい体の感覚をいただいたような感覚です。世の人たちはもっと苦労されているのかもしれませんね。


2019年7月29日月曜日

街の歩き方

板橋に越してきて、最初に気をつけるようになったのは、街の歩き方でした。
国道沿いなど大きな道は別ですが、生活に必要な道の多くが道幅が狭く、歩道も白線で区切られて色で分けられているところが多かったのです。
住処に選んだところが商店街の活発な地域だったからかもしれませんが、それまで住んでいた区とは少し町のつくりが違うように感じました。
私の住んでいる近くの道は、一方通行の道路ですが、当然のこととはいえ一方通行は自動車だけの話。自転車や歩行者は自由です。
商店街は、1日のうちの数時間だけ車両規制があるところが多く、午前のうちは様々な形で人や車が行き交います。
自ずと私は車椅子の運転を気をつけるようになりました。
以前暮らしていた街では、電動車椅子で歩いているとよけてもらえていたような気がしていました。なんとなく道ゆく人との間が遠く、すれ違うときもそんなに気にしないで歩いていました。ぶつかりそうになることはほとんどなく、たまにそういうことがあるぐらいでした。

板橋ではあまりよけられることもなく、だからと言って、ぶつかりそうになればお互いに「すみません」「失礼しました」と一声掛け合うことが多くなり、生活の中で自然に「こちらがよけるというもの」という感覚がも身につきました。よけられる方がよける、気がいた方が気をつける、この感覚がようやく私も身につきました。おかげて車椅子の運転技術が上がったのではないかと自負しています。

最近は、スマホに夢中ですれ違ったことさえ気づかずに歩いていく人も多く感じてます。車椅子で歩いていても、びっくりするほど近くすれすれを歩こうとされて、思わず運転を止めたりします。もし私が気がつかなかったらと思うとちょっとびびります。
 
それでも、人と人がすれ違うだけのことで、そんなに気になってはいませんでした。

つい最近、スーパーに行く道を歩いていると、電動自転車に乗った方とすれ違いました。お仕事中のようでした。よくあることです。
その方は、私が歩いて行こうとしていた交差点の左側から右折して私の方に走ってきたのですが、大回りして曲がって来られました。
自転車ですれ違う人はいつもキュッキュッと運転していく人が多いと思い込んでいた私ですが、この瞬間気がつきました。

かならずしも颯爽と自転車を操縦できる人ばかりではないのかもしれないということ。

そういえば、歩くのが大変で自転車に乗る方もいらっしゃると伺います。ご本人的には大丈夫な範囲だと思うのですが、すれ違う人の中には、操縦大丈夫なのかしら、とこちら側がひやりとすることが多々あります。
(私の電動車椅子の運転も、おぼつかないものとみられているかもしれないし、あまり人のことをいうものではありませんね。。すみません)

スーパーでも、街中でも、確かに年齢の高い方が多く、時に必死さが伝わってきたりします。
私も50代になって、今まで通りの健康管理の感覚だけだとうまくいかなかったり、予定外のことがたくさん起きたりしていますが、きっとみなさんそうなんだろうなあと、なんだかそんなことを感じてしまったんです。

核家族化がいいとか悪いとか、私はよく判断できないし、私も家族から離れる生活を選んできた人間だから、家族がそばにいれば全て解決するなんて全然思っていないのですが、、
しんどそうな方が一人で買い物している姿を見ると、どうにかいい方法はないものかと、思う今日この頃です。
生活が楽しければ、本当にいいのですけれど。
なんか、勝手なことを書きました。

2019年7月24日水曜日

3時間の会話

友人と久しぶりにゆっくり話しました。吉祥寺の美味しいチーズケーキをいただいて、あれこれ話題が移り、あっという間の三時間でした。

気づいたことが一つ。私は最近まで、基本的なことができていなかったんだという気づきです。

私は最近、障害があることで自分の手でできない物事について、「できないものはできなないし、できないことでいい」と思い始めています。
介助の方が毎日来てくださっていることで私の生活が成り立っていますが、自分でできないことは人にやってもらって、それが「自分でできたこと」というように納得しながら生活していた時期がありました。
その頃は、自分の思うようにしたいことが進まないと、自分の伝え方が悪いのだと思い、言い方を変えてみたり、工夫を考える日々でした。

最近、自分の介助を頼むという感覚が、介助の方と一緒に時間を過ごすという感覚に変わりました。
できないことをやってもらうことには変わりはないのですが、「私のやり方」とか、「できないことをできることにする」という感覚が変わり、「私の生活をいろんな人のやり方でサポートしてもらっている」という気持ちになったように思います。
もちろん、やり方を伝えることはするけれど、そして、して欲しくなことがあるときはそれも伝えているけれど、自分のやり方が絶対で、介助の方はそれを実現してもらう人、という目線が変わったように思うのです。

そして、サポートを受ける側、利用者という枠に自分をはめてしまうのではなく、誰かと一緒に過ごす時間であり、自分のできないことをしてもらう時間として大切に考えるようになったのです。

何が変わったのかというと、他者に、自分のできないことを頼むということがどういうことなのかということを、ようやく理解できたのだとと感じています。

自分のできないことは他者にお願いしてやっていただく、という気持ちです。

その友人は、不思議そうな顔をしていました。
「お仕事で来るのだし、頼まれたことをするのが仕事だからなあ」

でも話しているうちに、友人も、自分のできないことを人にやってもらう時の気持ちを、つまり例えば経営者が全てを自分の手で賄えるわけではなく、働いてもらう人に対して気を使うものという本来の気持ちがある、ということを語ってくれました。

この気持ちが私にはなかった、ということに気がついたのでした。

友人は、私のいいところを見てくれている方なので、そこはできていたのではないかと思ってくれていたようですが、私は実はそこが欠けていたのでした。


運よくそこを見抜いてくれた人と巡り会い、わかりやすく指摘してもらったことで今の私がいますが、もしそのことをわからずにいたら、なぜ自分の言葉が人に伝わらないのかと、いまだに悩みあぐねていたことでしょう。

人は自分の価値観から人を理解しようとします。友人は自分の価値観から私を良い方に理解しようとしてくれていたんだなと思いました。

こうして書いてみるとわかりやすくかけなくて、申し訳ないことですが、今回の時間の中で、自分が変化していったことを気づき、いい時間をいただいたなあと思いました。

2019年7月21日日曜日

元気?どうしてる?

SnSが私は好きになれません。昔ミク●●を教えていただいたのがきっかけで、他の知人よりも遅いデビューとなりましたが(なぜなら私がようやく始めた頃にはもうピークは終わっていたようなのです。)、いまも極力投稿はしていません。
最初の頃は一行日記などで遊んでいた時期もありましたが。

なんだかいろんな人のいろんなことがわかってしまって、コミュニケーションしていないのに近づいた気になってしまう、というのが、苦手の原因。

自分で投稿はしていないけれど、好きな人のブログや好きな言葉は見つけるとシェアしています。それでもそこにいいねがついたりつかなかったりすると心が揺れます。

とても好きになれない気持ち。今を生きていくには、こんなことでは生きにくいことになるなあと、心の何処かで思っています。

今回、参院選ということもあり、少しだけ連絡や選挙ハガキが届きました。
普段から友達づきあいが悪い私は、そんなに友人が多い方ではなく、政治が好きな人とは選挙期間に会うこともない数年を過ごしてきましたから、久しぶりに感じるものがありました。

ちなみに私は選挙権を行使しなかった時は今まで一度しかなくて、権利をいつの日も行使してきました。
一度だけ行かなかった時は、昔埼玉で暮らしていた頃に、圧倒的に強い候補者が勝つとわかっていたあの時の、一回だけ、サボったのでした。

でも考えてみると、知人や友人と選挙に行ったかどうかなんてあまり自分から聞かないし、だから私が毎回欠かさす投票しているなんて、誰も知らなくてもいいことなんですけれどね。

選挙用ハガキは必要なこと以外はかけないみたいだから仕方ないとしても、

連絡はせめて、
げんき?
 とか、
どうしてる?
とかから、始めたかったなあと思います。
推している候補者のつながりの説明を書く前に、久しぶりなのだし。

きっと私が多分、このように用件だけを伝える、冷たいタイプの人間だったのかもしれないなあ、と、今もそういう面があるのかもなあ、と、
反省を込めて。
以前に私も指摘してくれた方がいました。
「あなたは自分だけの世界で生きている。目の前の人は不在。」
そう、私も他者に自分が伝えたいこと、言いたいことばかり話していた頃がありました。今もその癖が残っています。自分の言いたいことを、相手の気持ちよりも優先してしまうのです。
ほんの今日のひと時も、そんな自分がいました。
伝えたいことを身構えて話を聞いていても、相手の話はうまく聞こえません。

自分の言いたいことだけ相手に投げかければ、それでいいのでしょうか。
相手に自分の言いたいことを理解してもらえたら、それでいいのでしょうか。

今の私は、今日のひとときの自分の傲慢さに、少し落ち込んでいます。別にそのタイミングで話の流れを変えてまで伝えなくても良かったことでした。
会話というものは、難しいものです、いつも。

ここに書くということは、私も連絡をくれた本人に未だ自分の気持ちを伝えられていないということなので、ああ、自分もダメダメ。
私に忠告してくださった人は、愛があったなあと改めて思います。

それにしても、一方通行のコミュニケーションは、本当に寂しいものでした。

2019年7月14日日曜日

数日前の夢

お世話になっている、師と、夢でお会いしました。

夢の中で私が、別のところに引っ越すことになり、会いにいくと、師は、「今度は私が訪問するから」と言うのです。
そんなに遠くないから、またこちらから伺いますと、お伝えしたのに、別れを惜しむような雰囲気となり、涙が止まらない夢でした。
あたりは雨模様で、ところどころ水浸し。私は電動車椅子で動いていました。。。

2019年7月13日土曜日

自立生活を続ける中で

今年で、地域でアパートを借りて暮らし始めて26年が経ちました。
この間、5回ほど引っ越して、住む地域も4回ほどかえて、思えばいろんなことを体験しました。

詩人になりたかったり、作家になりたかったり、ピアカウンセラーになりたくてなってみたり、自立生活センターに務めたいという夢が叶ったり、所属することを全てやめたり、思えば、叶わない夢はほとんどなかった26年間でした。

重い障害と世間的に捉えられる体を持つ私のような人間が、福祉制度等を活用して地域で暮らすことを「自立生活」と呼んでいるけれど、
世間には、「施設の生活」や、親御さんやご兄弟の方と生活しておられる障害のある方もいて、
自立生活という生活スタイルは果たしてメジャーになったのか、私自身は認識できないでいます。

自立生活を続ける中で、26年前と今と、気持ちが変わっていったものがあります。

その一つが、介助を受けるということへの認識です。

最初のうちは、自分でできないことを、介助で来てくださる方に頼むということが大事なことだと思っていました。
自分ができないことを、関わってくれる人に上手に頼むことができるのなら、それは私の「できること」になると思っていました。
だから、どう伝えるか、どう理解してもらうか、思う通りにやっていただくためにどうすればいいかを常に考え続けていたように思います。
介助の方々にも、役割としての存在を求めていたというか、仕事の面を重く見ていたように思います。思う通りにやってもらいたいことが伝わらないと、どう伝えれば良かったのかと、そればかり考えていました。

今は少し違う認識があります。まず自分が物理的にできないことは、あくまで自分の手ではできないこととして、物事を捉えているのです。
自分の手でできないことを叶えていくためには、他者の協力が必要で、他者の手を借りてできるようになったことは、私ができるようになったということではない、
文章で書くとややこしくてわかりにくいものになってしまいますが、今の私はそう思って生活しています。
つまり、できないことは、誰に頼んでできたとしても、自分でやったことにはならない、という認識に、ようやく立つことができたのです。
できないことはできないことでそれはそれでいいもので、たくさんの協力者の存在があって、私の26年目の自立生活が営まれ続けているのです。

もちろん私自身の意思がないと、この生活は崩壊します。私の障害は身体的なものなので、意思を伝えるということが私の生きるという行為だと思うからです。

年月が経って違ってきたのは、できないことは誰にどう頼んでやってもらっても、自分ではやっていない、経験していないということと、そして私の頼んだことを忠実に表してくれる人がいつもそばにいてくれたという事実を、理解できたということでしょうか。

介助の仕事できてくれる方を、「介助者」「ヘルパー」という枠の中で見てしまっていた自分を手放して、私の生活に協力してくれる人として受け入れられるようになったことも、心が自由になった大きなことでした。

誰でも特手不得手があり、できないこともできることも、呼吸やテンポも常識も価値観もそれぞれが違います。いろんな人が、自分の人生を生きようとしている世界の中で、偶然、自立生活をしている、障害がある私と、介助がやってみたくて自立生活センターを訪れたどなたかが、介助という仕事を通して出会います。
この出会いはとても、実は大切なものでした。いつの日も。
この出会いがたくさんあることで、私は26年間、清潔で身ぎれいな生活を続けることができました。社会的な活動も続けることができました。


ありがたがったなあと、心から思います。いろんな経験をして、今日まで考えてこれたから。
私が26年間得た経験は、何かをできたというようなものではなく、いろんなことを考え続けていることや、感じ続けていることだったのでないかと思います。それによって少し視野が広がり、自分の中にある井戸から這い出て、他者の心を感じようとする方に少しでも進もうとする心が育ちました。
そこにこのとしつきの意味があったと、今は思います。





2019年6月29日土曜日

心の中にあるもの

人は他者からしか学べない…最近、本当にそうだと思ったことです。
なぜなら、自分の生活に起こるあらゆることは、その一つ一つが心を揺さぶって、常に当事者目線に立たそうとするばかりだから。いつも冷静になんて、自分の生活のハプニングを捉えることはできないから。

他者の体験を目の前に見させてもらう時、私ならばどうなるのか、予想もつかないことが本当に多いです。

だからなおさら、他人事ではいけないのだと思うこの頃です。物事にいい意味で敏感になりたい、鈍感な自分がわかるだけに、少し焦り気味でもあります。


2019年6月23日日曜日

気づき の後に

あることについて、気づかなかったことに気がつくということは、いつも満たされる気持ちになるわけではないようです。
今回はとても申し訳なく、未熟な私は、自分の気持ちに引き込まれました。

あの時にここまで気がついていれば、何かしようとできたかもしれないのに、と。

気づかない、感じないことは罪なんだと、実感しました。

こうやって、気がつくたびに、自分の不甲斐なさ、非情さに打ちのめされながら、少しでも考えようと努力する心が生まれるのだな、と思います。

何かを感じるところから、考えようとできるのだということも理解できました。

私にできることは、自分を磨き、育てること、本当にそれだけなんだと、今少しだけ低迷しながら、少しずつ普段の飛行位置に戻って進んでいこうと思います。

2019年6月10日月曜日

インビクタス 負けざる者たち

久しぶりに映画のレンタルを探したら、マンデラさんの大統領就任後の実話に基づいた映画がありました。

インビクタス

アパルトヘイトをなくし、大統領になったマンデラさんが、どのように国を大事にしようとしたかが、描かれたものでした。激しくはなかったけれど(ラグビーの試合は激しかったけれど)、それぞれの気持ちが映し出されていて、いい映画でした。
それぞれの心の氷が解けるように、互いの気持ちが通じあったり、理解しようと思いをはせるところがとても良かったです。見入ってしまいました。

マンデラさん役の俳優さん、いくつか映画を見ているけれどとても好きです。

マンデラさんが獄中で勇気付けられたという詩、ここに書き留めておきます。
マンデラさんが獄中にいた30年間、相手のことを知ろうと努力していろんな文学にも触れたということを、映画の中でも話すシーンがあります。ネタ少しバレて今頃ごめんなさい。




インビクタス(Invictus) ウィリアム・アーネスト・ヘンリー』


私を覆う漆黒の夜

鉄格子にひそむ奈落の闇

私はあらゆる神に感謝する

我が魂が征服されぬことを

無惨な状況においてさえ

私はひるみも叫びもしなかった

運命に打ちのめされ

血を流しても

決して屈服はしない

激しい怒りと涙の彼方に

恐ろしい死が浮かび上がる

だが、長きにわたる脅しを受けてなお

私は何ひとつ恐れはしない

門がいかに狭かろうと

いかなる罰に苦しめられようと

私が我が運命の支配者

私が我が魂の指揮官なのだ


最後の二行、そうだよなあ、私も私に屈してはいけないな、と思いました。
自分のことが一番難しいのですけれども。

2019年6月5日水曜日

柑橘とりんごのコンポート

りんごと柑橘系のものを合わせて煮てもらうと超美味しいということを最近発見し、ハマっております。
先日作ってもらったのは、夏みかんとジャズりんごを日本酒で煮たもの。

夏みかんは商店街で手に入れたのですが、えらく酸っぱくて、そのまま生で食べたらむせてしまいました。
ジャズりんごは今の時期でも手ごろに手に入った小ぶりのりんご。ニュージーランド産のようです。これも商店街の八百屋さんでゲット。

りんごは5個を八等分に。今回は皮を剥いてもらいました。
夏みかんは2個使い、薄皮まで向いていただきました。

日本酒を浸るまで入れて、沸騰させてシャトルシェフに15分おいたら再沸騰させて、板ゼラチンを溶かしもらいました。
ゼラチンが溶けたら火を止めてタッパーへ。粗熱をとって冷蔵庫に。

今回は砂糖も何もいれなかったので酸っぱめでしたが、生の夏みかんよりも少し甘めになったように思いました。
たくさん煮たのにすぐに食べきってしまいました。

15分ほどの調理時間だと、りんごの形がそのまま残り、歯ごたえも残ります。
ジャムのようなものがお好きな方は、りんごを小さくきってもらってください。
シャトルシェフがなくても、中火で10分ほど煮れば同じように作れます。

クリームチーズにすごくよく合いました。
市販の甘い豆乳が、種類も多いし手ごろなソースがわりになるかな、と思いついて、いくつか買ってやってみましたが、そんなに合うものは見つけられませんでした。私はヨーグルトがいまいち好きではないのでわかりませんが、好きな方はそれもいいかもしれません。
ゼラチン入れすぎると固くなってしまうので、少なめにしてもらいましたが、今回は少なすぎてゼリーにならず残念でした。

また頻繁に作ってもらおうと思います。おいしいんだもの。
写真がなくて申し訳ないです。写真撮ってもらわないとね。頼み忘れてしまうんです。

2019年6月4日火曜日

憧れる人物像

あまり人に憧れることはなかったのですが、ようやく最近、あ、この人たちとても惹かれる、という人物像がわかってきました。

まず、フランス革命時に死刑執行人だった、シャルル=アンリ・サンソン

死刑執行人が好き、というのも書いてみると少し変ですが、生き方に心が動かされるのです。

自分の運命から逃げず、そこで人道的に人に尽くそうと努力をした人。
職業柄、医学の道は長けていた人ですが、環境的には家柄のせいでひどく差別を受け、生涯苦しんだ人でもあります。

それから、レミゼラブルに出てくる登場人物、主人公のジャン・バルジャンと、フォンテーヌ、エポリーヌに憧れます。

3人ともフィクションの中の人たちですが、
ジャン・バルジャンはいつも自分が何者であるかを問いかけ、運命に立ち向かいながら愛のある道を選ぼうと努力した人、
フォンテーヌは、体を壊してしまうほどの不遇に見舞われながら、最後まで我が子を愛した人、
エポリーヌは、報われない愛に苦しみながらも、自分への誇りを忘れずに卑屈にならず生き方を選んだ人、
というところにとてもとても惹かれるのです。

どんな境遇にあっても自分の人生において最良のことを考えて生きる、そのようなところがこれらの人物の共通点であり、私の生き方の目標なのだと思います。

レミゼの舞台はとても好きです。映画も音楽も。

2019年5月25日土曜日

最近気付いたこと

春になると、ここ数年体調を整えるのが難しかったりしています。
難聴っぽくなった年もあり、肋骨の先を骨折した年もあり、
少し気が抜けてしまうのか、魔が差してしまうのか、
今年も魔が差してしまいました。

幸いなことに骨折などはしなかったので、10日間ほどで少しずつ家の中を動けるようになりました。でも、打ち身の、ナイフで刺すような断続的な痛みには、閉口しました。

変わらず来てくださる介助の方々のおかげで、そんなに大きく生活を変えないで過ごせたことは、本当にありがたく、感謝をしています。
当たり前のことは一つもないと、実感できたのは幸せなことでした。

この期間に気がついたことがいくつかあるので、忘れないために書いておこうと思います。

●人の痛みは本当にわかることはできないのだということ
普段、脳性麻痺の不随意運動に伴う筋肉の痛みや、頭痛や肩こりの痛みについて経験済みだった自分ですが、重い打ち身の痛みはは閉めて体験するものでした。
体験してみて、痛みについて慢心だったなあと思いました。
人が感じる痛みは、本当にその人にしかわからないものなんだと、どのように痛いのか、どのように辛いのか、言い表せないほどのものがあるのではないかと、今回感じたのでした。
自分の体験を通してしかものは考えられなくて、価値観も広げられないものなんだと思いました。
わかっていなかったと知ることは、とても大事なことなのだと思いました。そこから、自分には未経験である世界が広がっているのです。
わかったふりをすることは、知らないということなんだとも思いました。
体の痛みだけではなく、心の痛みも、苦しみも、その人にしかわからないものなのかもしれないと思いました。
痛みについて、簡単に考えていた、浅はかさを自覚しました。

●自分の人生からは決して逃げることはできないということ
以前、このブログでも触れていますが、私は今回、たくさんの過去生を思い出す機会に恵まれました。
今回、少しの間パソコンに向かうことが難しく、何もしない時間に、いろんな考えがやってきては消えて行きました。
ふと、自分の人生の記録は、私自身の中から消すことはできない事実なのだということに気づきました。たくさんの過去生を生きてきた自分を受け入れて、それがどんなにひどいものであろうとも、自分で行ったことなのだから、自分の背中に乗せて、責任というものを忘れずに、糧にして生きるということです。
私の責任は、自分の行動を見直し、改めていくこと、そして、本当にやりたいと思うことにたどりくことです。
やりたいことにたどり着くには、一つ一つ小さいことでも、怠惰にならずに自分の選んだことに責任を持つという姿勢を忘れないこと。つまり、自分との対話を忘れずに、積極的に生きること、、抽象的ですが、それが大事なんだと思いました。心が嫌と思うことはやらない、ということ。やりたくない理由を理解すること、それがまず大事なんだと思いました。なぜなら、私はとても好奇心があって、何にでも飛び込みたくなってしまうのです。何がやりたくないのか、やりたいのか、それを自分のどこの部分が判断しているのか、欲望からなのか、本当の気持ちからなのか、わからないことが多いのです。

糧にするとは、過去生で生きたようなものへ誘われないこと、二度と同じ鉄を踏まないということ。自分自身を育てて、愛のない道には二度と足を踏み入れないこと、だと思っています。

言葉を少し変えると、

糧にするとは、
人を愛するがわになること
自分をすべて理解すること
変わること
なのだと思います。


2019年5月6日月曜日

じんせいをふりかえる作業。そのさん

前回、そのにまで書いてみて、気がついたことがありました。

ああそうだった、
今回は、自分は誰かとか、そういうことを考える前に、
自分の性格を見直すことが先決だったと。

なぜ毎回のじんせいで、いつもいつもエゴイズムにまみれてしまったのか、
どんなことに自分の性格の修正すべきことがあるのか、
今回の人生の時間ではそれを最優先に考えて、自分の意識を変えていくことが必要なのだと。

そう。もう一つの性格。
私はいつも、何者かになりたがるのです。
誰かの声に依存し、誰かの理想に思いを馳せ、自分の中に虚像を作り、安易にそれになりたがる。何も考えないで。

私が私であるということを、みないで生きようとするのです。
多分、その方が楽だから。

自分を知るという作業は、難しく根気がいることだもの。

そこを知ろうとしないで、地道な努力を怠ったまま、
自分は誰だろうなんて、一体誰になりたかったのでしょう。


私は私でしかないのだから、
多くのかこせいをもって、今は自分の道を歩くだけ。それだけできればいいのかもしれません。

エゴイズムを手放せる心を育みたい。
今度生まれてくるときには、せめて人として、日々の出来事を普通に喜べる心を持って生まれたい、かなしみをかなしむ心を持って生まれたい。
それだけ先ずは目指そうと思います。

おさらい ネガティブなエレメンタルのこと。

妄想の続きです。わかりにくいと思います。うまく書けなくて申し訳ないです。

前回、このプログに書きましたが、私の性格は根がネガティブです(ダジャレのようですが)。
それがなぜ、性格として問題なのかを、習ったことのおさらいとして書いてみようと思います。 

唐突ですが、エレメンタル、エゴイズムというものの説明を、少し書きます。
この後、じんせいをふりかえる作業。の続きを少し書きたいのですが、すぐ本題に入ると本当にわけわからない文章になりそうなので。

霊的真理の考え方では、今の自分は今まで作ってきたエレメンタルの総数である、というものがあります。

エレメンタルとは、人間が、物事を見たり、感じたりするときに自然に作り出している想念、思いのようなものと言われています。ひとつひとつはとても小さいものですが、それぞれが意思を持ち、作った本人と同等の賢さがあるそうです。
ものを一瞬見ただけでシャッターを押すようにエレメンタルは作られ続けます。
ひとつ一つは小さいものなのですが、同じような思いを抱き続けると、それなりにたくさんできたエレメンタルは活性化し、同じようなもの同士が引き寄せあっていきます。

エレメンタルには、ポジティブなものとネガティブなものがあります。ネガティブなエレメンタルは同類が引き寄せあうとエゴイズムという、ネガティブエレメンタルの塊になります。

エレメンタルは、それぞれ意志があり賢さがあるということ、作られた時の欲求をいつか叶えるということ、そして、一度作られたものは二度と無くならない、という性質があります。

教わったことの中で、自分のエゴイズムを知り、手放していくことは、とても重要なレッスンでした。
とても難しいことでもありました。今も難しく思います。
エゴイズムには意志があり、自分と見分けがつかないからです。

性格の話に戻って。
なぜ根がネガティブな性格を変える必要があるのかというと、エゴイズムを活性化しやすいからです。
少しのことでもエゴイズムを大きくしてしまうことにつながると感じられたからです。

今の人生が過去に自分がつくったエレメンタルの総数であるならば、私はほとんど毎回ネガティブエレメンタルを作り続けていたという事実にあたります。

過去のじんせいが29回あるならば、その毎回のじんせいで、同じようなエレメンタルしかつくっていないのです。

そうすると、いくら今、教えてもらった知識を大事にいきていても、元々の性格を変えることをしなければ、
来世、記憶をリセットしてどこかで生まれてきたときに、また多くの過去のじんせいと同じ人生に進んでしまう可能性が大きくなってしまいます。

それだけは、やめたいと思っています。

今度、どこかで人生が始まったときには、せめて、人の心に対して、ひととして普通の反応ができるぐらいの心は持って生まれてきたい、そう思っています。

それにはやはり、なぜ多くの過去のじんせいで大きくつまづいたのか、基本的な性格を振り返っておく必要があるのです。



2019年5月3日金曜日

じんせいをふりかえる作業。そのに

今回もたわごとの続きを書いてみようと思います。妄想を楽しめる方はお付き合いください。

前回の続きです。


たくさんのじんせいで、なぜ私は成長しなかったのか。
視点を変えればいろんな理由がありそうですが、私が向き合わなければいけないことに絞ってみます。
それには、今の性格から見てみれば少しずつ理解できていきます。

まず、根本的に、私の思考はネガティブなところにいきがちです。
物事を、暗い視点から思い、理解しようとしてしまうようです。


たいしたことない出来事も、面倒臭い、逃げたい、と呟く心の声があります。
自分で行こうと決めた遊びの予定さえ、なんで行くと決めちゃったのだろう、行かない方が楽だったのに、と呟く心があります。

ネガティブに反応しがちな感情が引き金になり、多くの関連した気持ちを大きくしてしまうみたいです。

そして、ちか道を探す癖があります。
地道にひとつ一つ踏みしめて歩くことが苦手なのです。
努力して何かが上手くなるという、そんな実感を戻るところまで、努力し続ける忍耐がありません。

ちが道をもとめながら、物事に対してネガティブに反応しながらいきていると、
日々のことを自分の世界観からしか見られないままになります。
他者の世界を知りたいと思うまで、想いがいかないのです。
わかるはずない、と、諦めてしまうのです。
または、全て知っている、と思い込んでしまったりもします。

なので、自分の価値観の中でしか生きられなくなり、他者を理解することがより困難になっていきます。
私が持つたくさんのじんせいは、そういう中で始まり、終わり、繰り返されていったように感じます。

今の人生では、意識的に日々のことを捉えることの大切さを、知識として教えてもらいました。
なので、悩むことが多くても、どうにか前向きになれることが多いです。

過去のじんせいでの私の興味は、人の心ではなく、物事の合理性や、自分がなるべく何もしないで、他者からの見立てが良くなるにはどうすればいいか、ということでした。

本当に最低ですが、それが私の過去のじんせいの現実でした。
なので何も好転することはありませんでした。

人は、自分が与えたものしか、もらうことはできないそうです。

このことは、アメリカの昔の霊能力者エドガーケーシーの遺したことでもあり、ヒーリングサロンでも教わったことでしたが、
最近読んだ日本の哲学書にも出てきていました。「呻吟語を読む  竹井出版」の、最終章の文章を書き写します。


「人のために尽くすというと、大方の人は何か損をすると思われますが、そうではなくて、与えるものは与えられます。いま、われわれは同じように宇宙の大生命を呼吸しています。生きるということは、息をすることです。「呼吸」という言葉は「呼」が先で、これを昔は「吐納」といったそうです。
まず息を吐く、それから吸う。吐くことを忘れて吸うことばかりしていては窒息してしまいます。息を吐くことは自分のうちにあるものを外に出す。つまり与えることです。与えることが先にあって吸う。つまり大気を自分のものにすることができるのです。
人と人との間もそうで、人に尽くし、人に与えれば、人はまた自分に尽くし、自分に与えてくれます。つまり、自分が生きるということは、人から生かされることです。人を生かすことによって人から生かされる。
これが人生の真理であります」
    安岡正篤 「呻吟語を読む」
        最終章『人間練磨の書「呻吟語」に学ぶーーー豊田良平』から抜粋



きっと、実感できている方は、たくさんいらっしゃるのではないかと思いました。

話を戻します。
私の性格は、ネガティブシンキングと、近道を探そうとすること、というものがあり、物事に対してその方向性から反応しがちです。
長所は、今回できる限り努力した真面目さと、物事から逃げないということ。
今回は、ここにもうひとつ、謙虚に物事を見る、という部分を育てられたらいいなあと思っています。

今回の人生では、私がやりたいことを行うために、常にひとさまにお世話になることが必要です。
物理的に一人では動けない、たとえ多少動けても、からだ一つ駆使して毎日を一人で過ごすという世界は望めません。

そこが今回の私の生きるポイント。からだを思うように使えないというのは、きっと理由があるのです。

たくさんのじんせいの経験が、今の私に求めていること。

それは、感じること、考えること。
他の人の視点に立つこと。
友人愛、隣人愛、家族愛、
男女の愛以外の、多様な愛を知り、理解すること。

そして、今の人生を、余すところなく味わうこと、のように感じています。

私が過去のそれぞれのじんせいで本当にやりたかったこと、それは、
どんな環境であっても誠実に生き、心友を得て、人生を堪能すること、のように思います。

過去のどの人生でも、求めていたことであり、できなかったことでした。

さあ、今生は、どこまでも歩きましょう。一歩一歩、踏みしめたいものです。








2019年5月1日水曜日

4月28日明け方の夢

明け方、一旦目覚めた後にうつらうつらしていたら、
何かブツブツ考えながら、大股でさっさと歩く私。まわりはのどかな風景。山道に川があり橋があり、大きな家があちこちに。日本的にも感じるし、アジアの見知らぬ国のようにも感じました。
目が覚めたときに、あ、私、ちゃんと考えながら仕事に精を出していたな、思いました。
考えることができていたと。このことが重要ポイントの夢でした。

じんせいをふりかえる作業。そのいち

元号が平成から令和になりました。平成の最後の日は少し寂しいような落ち着かないような気持ちでした。
昭和から平成になる時と気持ちが違うことが、不思議な感じでした。

平成の最後の数日、なんとなくいろんな些細なことに敏感になりながら、ふと、自分のじんせいを振り替える作業を仕上げてみようという気になりました。
今回のものではなく、過去の数多い人生の方です。
私の「過去の人生」。ここからは話がぶっ飛びます。

受け入れ難い話かもしれませんが、ひとつの夢物語としてお付き合いいただけたら幸いです。

ヒーリングサロンで「霊的真理」の勉強を習い始めてから、私は自分の過去生をたくさん知ることになりました。
それは、私がその能力がついたとかあったとか、そういうことではありません。
私は知らなくてはいけなかったのです。

自分がどんなに考えないで生きる人生を送ってきたか。
そのためにどれほど多くの方々の人生を奪ってきたか。
どれほど多くの悲しみを生み出してしまったか。
そして、その悲しみの種をこの世界に残してしまったか。

本当は自分から自分の人生の出来事を通して疑問を持ち、考えることを少しでも早いうちからできていればよかったのですが、
そんなに上手くは今回もいきませんでした。

今回の人生で、私は身体的な障害をもらいました。
それも、世間的に一般就労が難しいとみられるぐらいの重い障害でした。
特別秀でたものは何も持ち合わせていませんでした。
もっと真面目に努力していけるように人間であれば、もしかしたら何かを身につけられたかもしれませんが、私はそんな人間ではありませんでした。

身の回りのことについても、福祉的な介助サービスを毎日必要とする生活になりました。

その環境の中で、私はいつも人並みの生活を求めていきてきました。
施設に入らず、家族とも暮らさず、地域の中で生きていきたかったのです。

それを選んだことは何も悔いはありません。
どんな状態であっても自立して生きるやり方があるということを、私は身につけたかったからです。
この、自立するということも、今回の私の人生で実感しておきたい経験の一つでした。

まだ身につけたとは言えないけれども、制度に依存しても心は誰かに依存せずに、他者のことを考えながら生きる、それが私にとっての自立なのかなあと、今は思っています。

課題だったのは、いつも人並みの生活を求め続けた、というところです。

いつも一人前に扱われたいと思っていました。
向いている仕事に巡り会いたいと。
良きパートナーに出会いたいと。
市民としてふつうに地域で生活していきたいと。

思いは全て叶い、忙しく暮らしているときに、ヒーリングサロンに出会うこととなりました。

じんせいを省みるということは、私にとっては思いも寄らない、想像もできなかった、世界を開いてもらうことになりました。

過去の私は、何一つ極めようとしていませんでした。
それどころか何一つ身に付けようとしていませんでした。

ひとつひとつ、過去のじんせいを知るたびに、私は自分に勝手ながら失望し、絶望し、言い訳を考えて自分を正当化しようとして、逃げました。
できれば見ないでおきたかったのです。本当に、勝手なものです。

ひとつひとつのじんせいを知ったとしても、その時の状況が臨場感をもってわかるわけではありませんでした。何重もの薄いベールに包まれた情景が、頭の中に映画のように流れている感覚でしかありません。

だから本当のことなのか、夢を見ているのか、信じないなら信じないこともできたことかもしれません。

私がそれらひとつ一つを信じているのは、すべてのじんせいが自分の頭のイメージの中に展開されたことだからです。
そんなに想像力のない自分の頭の中で、見もしない主人公に会い、どんなじんせいだったかを垣間見たのです。
その多くが本当に最悪のじんせい、何も学べていないじんせいだったのです。
自分で作り上げるストーリーなら、少なくとも自分はいいひとでありたかったはず。
自分で最悪のじんせいを思いつくなんて、ありえないことだと思っています。

自分で信頼できるじんせいなら、今受け止めて振り替えることが本当に必要なことでしょう。
本当に本当かということを確かめることよりも、
なぜ、そのような行動をするじんせいを送ってしまったのか。
本当は何を学ぶ必要があったのか。

そうしないと、多くの出来事に申し訳がたちません。


自分を知るということは、本当に、勇気と省みられる心が必要です。


そして、

私のじんせいは、今回の人生の前に29回ありました(思い出したものだけですが)
ほとんどの人生で、
「どんな環境であっても、人は学ぶことができる。人は成長していける」
ということと、
「いろんな愛を覚える」
ということを学ぶ人生でした。
どんなに劣悪だと思われる環境であっても、卑屈にならず、おごらず謙虚に、人を思いやり、誠実に生きることが、いつもじんせいの課題でした。
そのことがいつもできなかったのです。

今回の人生で、ヒーリングサロンに出会い、自分を見直すことになったのは、
もういい加減気がつきなさいと、きっかけが与えられたということかも知れません。

まだまだ浅はかさが目立ってしまう自分ですが、今回知ったことから、もう逃げないで、生きることを全うしたいと思っています。

なぜなら、自分しかわからないと思うのです。それらの人生が、本当だ、という感覚というものは。
自分にはわかっているんです。逃げたら卑怯な人間になることが。

知識を得るということは、そういうものなんだと思っています。

 




2019年4月17日水曜日

花冷えの日々

今年は桜が長い期間咲き、石神井川がとても綺麗な十日間あまりでした。

冬のような気温の毎日は、とてもこたえましたが。

少し気持ちがだれて、半月ほどどう考えながら暮らしていたのか、何も書き留めることもないまま過ごしてしまいました。

ソメイヨシノが満開のうちに友人が来てくれて、板橋に越してきてから初めてちゃんとしてお花見をしました。といっても川沿いは宴会する場所は難しいので、自宅で盛り上がりました。楽しい時間でした。

石神井川は魚はいないのですが、微生物はいるらしく、カモやシラサギが休んでいたりします。
友人と過ごしたこの日も川面にコサギのつがいが優雅に泳いでいました。つがいで観るのは初めてだったので、貴重なひとときでした。

コサギのすぐそばを鴨たちが泳いでいたのですが、一話の鴨が何度も水面へのダイブを繰り返していました。その度にバシャーンと大きな水音が立つのですが、コサギにはどうでもいいことのようで、我関せず、動じず、という感じでした。
鴨の水面ダイブ、求愛行動でも威嚇行動でもないようで一体なんだったんだろうと今も時々思い出しています。

お花見から数日後、知人と、同じ川沿いの道を歩いていると、ジョージア(グルジア)のワインを売っているご夫婦とお会いしました。
試飲をさせてくださったのですが、すっきりとして美味しいワインで、思わず買ってしまいました。
ジョージアはワインの発祥の地で8000年の歴史があると伺いました。今までジョージアを意識してワインを買ったことはなかったなあと、思いながら帰りました。

最近はアルコールを飲まない生活を続けていたので、久方ぶりに少しいただいたらものすごく眠くなってすこし眠ってしまいました。
でも頭も痛くならず、美味しいワインでした。

2019年3月19日火曜日

1日のみの再来

昨日、朝起きると、わずかな異変が…。

昨夜少し食べた後、口を輪ゴムで結んでいただいたピーナツの袋に小さな穴が開いて、中身が溢れています。

これは間違いなく、危険信号。
あの方達の再来です。

今回は、何かの間違いとか、もしかしたら元から穴が開いていたかもとか、そんな楽観視や現実逃避をやめて、

数年前に塞いだ穴を一つ一つ点検してみました。

そう、あの方達は入れる穴から確実に入ってきて、餌場を認識するとどんどん夜中に入ってきます。

よく見ると台所のジャガイモもわずかにかじり跡が。

そして一番要だったシンク裏の穴を塞いであったものが動いていました!!


よかったよ!!
早期発見、早期対処。
穴を頑丈に塞いでもらって、今朝はおかげさまで痕跡なしです。

数年前に初めてこの方達に襲われた時は、二階には住人の方がいらして空き室ではありませんでした。
誰か二階に住んでくれないかなあと、いらぬ願いをめぐらすこのごろ。
最近少し音がうるさいと思ったら、来てたのね。ねずちゃん。

嫌いじゃないのよ。問題なのは衛生面なの。
それに黙って入ってくるし。一応この部屋は私が契約した部屋だから、ねずちゃん、あなた方はうちに入ると不法侵入になるのよ。

住む世界が違うから、わからないのは仕方ないけれどね。



1日だけの対処でおさまって、本当にありがたかったです。必死で私の言葉をきいてくださり、穴を埋めてくださったかた、本当に感謝です。ありがとうございました。

2019年3月17日日曜日

一隅を照らす を読んで

神渡良平氏の本「一隅を照らす」を読みました。
安岡正篤という人のことをもっと知りたくて図書検索をしていた時に出会った本です。

読み終わった後に感じたのは、著名な方々も道に迷うことが多々あり、そんな時には指針になる方を探し当てて、その教えや考え方を享受してもらう時間を必ずとるという事実でした。

人は迷うのだと思いました。どんなに成功したと思われる人でも、人は迷い、尊敬できるしを探し、その言葉に何かを気づき、前に進むのだと。

教えを請う心、その教えに自分の考えを照らし合わせ、何か大事なことに気づいていくというプロセスは、自分を省みる力が備わっていないとできないことなのかもしれないと感じました。

私が師の元に通い続けることは、自然なことなのだと、この本を読むことで教わりました。

自分を振り返ることができる人でありたいと思い、そして、なかなかそれができていない時に、言いにくいことを伝えてくださる人を、大事にする人生を送っていきたいと思います。



2019年3月5日火曜日

お世話になっている方々のサイト

あることがきっかけで、遠隔ヒーリングのサイトやこのブログのレイアウトなどを見直しています。
内容までは見直す度量がないので、形から相変わらず入っています。

今のブログはスマホでも観られるように簡単に設定が変えられるものもあり、このブログも遅まきながらそのように設定しました。

でもそうしたら、パソコンでは見ることのできるサイドのリンクがスマホでは観られないようなので、応急ですがこのページにリンクを貼っておこうと思いました。

以前から現在までの間にお世話になった(もしくは現在もお世話になっている)方々です。拙い紹介文で失礼いたします。





この2つのサイトは、10数年前に出会い、今もとてもとてもお世話になっているヒーリングサロンのサイトです。時々私のブログで書く個人セッションの体験談は、このサロンでの体験です。このサロンで開催されていたスクールで、私はとても多くのことを教えていただきました。ブログを読ませていただいたりと、ネットを通しても変わらず勉強させていただいております。




介助の方の派遣をお願いして、ずっと生活を支えていただきお世話になっている、文京区にある自立生活センターです。一時期はお仕事をさせていただいたこともありました。



ある方からのご紹介で、マイプロ道場という講座を受講しました。その時間をいただいたことで、違う視点をいただきました。中小機構が運営している「学ぶ場」です。




写真家 矢部朱希子さんのサイトです。以前介助を通してお世話になり、ポートレートもとっていただきました。さりげなくシングル(私の個人的なサイト)に載せている写真は、この方にお願いして撮っていただいたものです。



カラーセラピスト、黒滝清香さんのサイトです。介助を通してお世話になり、カラーセラピーやフェイシャルをしていただいたり、とても素敵な時間をいただきました。



文京区に住んでいた頃にみつけて、ずっと通わせていただいた美容院です。引っ越すことで後が遠のいてしまったけれど、板橋に越してからも数年間は通わせていただきました。いつ伺ってもとても気持ちよく対応していただきました。



東京に越した時に友人が教えてくれた歯医者さん。臆病な私を受け入れてくださった歯医者さんです。障害の特性を熟知し、安心感の中で治療をしてくださいます。




板橋に越す時にひとかたならぬお世話になった不動産屋さん。「希望をすべて教えてください」と言ってくださり、本当にその希望に沿った家を見つけてくださいました。


東京に住む前から、ずっとお世話になっています。からだの不調は、自然堂さんに相談に乗ってもらうことが多いです。障害のことを熟知し、親身に考えてくださいます。

エンジェルスマイル&百歳王写真館

写真家 小野庄一さんのサイトです。この方の富士山の写真が好きで、家に飾らせていただいておりました。






2019年2月27日水曜日

道草

映画「道草」を、新宿のK`sシネマで観てきました。


知的障害と自閉症を持つ人の自立生活。その人自身の日常の様子や、介助で関わる人たちとの関係性が、自然にえがかれていました。
登場する人たちの人となりがすっと入ってくるような映画で、いい映画だったなあと思いました。

固定観念のようなものがないというか、信頼関係を感じるというか、映像にするときに一人一人の個人を自然に残せるのは、映す側の視野の広さなのかも知れません。

伝えにくいことも映像にこめ、ありのままに生きていくということを問いかけてくる感覚を覚えました。

季節の鳥や木々や花の様子もうつくしく、映画の登場人物と一緒に大きな夕日を眺めたりしている気分になりました。

私も昔自立生活センターの職員として働いていた頃がありましたが、私自身はとても視野が狭かったなあと改めて感じました。あの頃は自分にビジョンがないことに悩みながら活動していたけれど、そしてうまいようにできないことにいろんな感情を味わっていたけれど、それはきっと自分自身のことで精一杯な部分が多かったんだろうなって。。

立場が違うそれぞれの人が意見を交わしながらの年月を積み重ねて、今の道があるんだと、自戒を持ってかんじました。

私は私のやりたいことしかできないのだなあと、思いました。


K'sシネマでは3月8日まで。10時20分の上映です。
平日に行ってきましたが、かなり混んでいました。車いす席は2つで、事前に連絡すれば座席を外しておいて下さいます。

2019年2月26日火曜日

東京都美術館の特別鑑賞会

東京都美術館では、企画展の各機関のうち一日だけ、障害のある人のための特別鑑賞会を催しています。
東京藝術大学とコラボした、とびらプロジェクトの活動なのだそうです。

数年前から友人に誘われて、毎回応募し、抽選に当たると出かけています。

開催されるのは期間中のある月曜日。友人は、くじ運が強いらしく毎回当選しますが、私は2回ほど外しています。

今回は江戸絵画。色使いも面白く、大胆な作品もあり、すっかり楽しみました。

毎回、タブレットを持っている方々が要所要所にいらっしゃって、お願いするとタブレットの中の絵画を大きくして見せてくださいます。


数回行われる10分ほどの企画展示に関するトークも、わかりやすくていいなあと思っています。

今回は友人とは時間帯が合わず、会えませんでしたが、江戸絵画を満喫して、いつものように楽しむことができました。

2019年2月11日月曜日

会話のしかた

私はいつも日常の中で失敗することが多いです。
あまり調子よくない時は特に、気づかないというか、思いが及ばないというか。

最近も、思わぬところで気がつかず、相手の方と気まずくなりました。


そのときに、気がついたことがありました。

私は普段、無意識に会話をしていることが多かった、ということ。
相手の方の言葉に反応したまま、反射のように答えていたみたいです。

なぜそれではいけないのかというと、自分で感じたり考えたりする時間を取っていないのがまずいのです。
もっというと、意識を持って感じたり考えたりする時間のことです。

相手から投げかけられた言葉に、反応したまま何も感じずに、反射的に返してしまう言葉は、私の心が入らないものになってしまうのだなあと。

なにも感じずに、という言い方には語弊がありました。
感じていることを意識しないまま、という言い方が正しいでしょうか。

言葉のやり取りはとても難しいことですが(そして語彙の少ない私はここでどう書いていいかわからなくて今回は意味不明の文章です。すみません)、たとえどんなふうに話しかけられても、気持ちの反応で言葉を返すのではなく、なにを感じたのがをせめてわかった上で、話せるようにならないとなあと思ったのです。

そうしないと、思わぬところですれ違います。これは実感しました。

言葉は、相手を理解するために使い、自分の愛情を表現するために使うのですね。
言葉を伝えるって、本当に難しいです。



2019年2月5日火曜日

私を離さないで 原作を読んで

図書館に予約した本がすぐに来たので、読んでみました。

思っていたよりも優しい語り口で、これは翻訳者の方が良かったのかな、と思いながら読み始めたのですが、静かになぞを解くようにあっという間に読み終わりました。

なぜこんなに読みやすかったのだろうと、今考えています。
施設とか、隔離された世界の生活というのは、ある程度私には理解できる世界観だったのかもしれません。もちろん置かれた環境はまるっきり違うのだけれども。主人公たちの生活感が溢れていて、細やかで入り込みやすい世界でした。

他人の世界観に立つということは本当に難しいことなのですね。確かにそこにある命を、一方の側からは違うものにしか見えないということと、本人たちの生という当たり前の営みが大きくずれている事実が、とても悲しい作品でした。

丁寧に丁寧に描かれたその世界は、どんな環境下でも、どんな目論見があるところでも、生を受けたものは生きようとし、命は輝くということ。人がどんなふうに思おうと、たとえ医学や科学の発達でできていく命であっても、なんら変わりはなく私たちは一緒の世界を生きている同じ重さの命であるということを、言いたかったのかな、と感じました。

片方しか見ようとしなければ物事はその方向でしか見えず、この小説に出てきた主人公たちは残酷な道を行かなくてはいけないばかりなのだけれど、できれば多くの人に、この架空の世界は環境を変えて隣で起こっているかもしれないということ気づいて欲しいと言われているような気がしました。
架空だからこそ非現実な世界として最後まで読めるけれども、人は見知らぬ他人の命よりも見知った人の命を優先し、見知らぬ相手にも自分と同じ感情や思いがあるということを忘れてしまう中に生きているということを、そうやって世界が動いている事実を知らなくてはいけないのだと感じました。
自分の命も他者の命も大切にできる世界を作るために、小さな私の世界をどう生きたらいいのか、今私はすごく気になっています。

物語の終盤に出てくるセリフ、
「あなたたちがいつも怖かった」
エミリ先生の中にあった恐怖ってなんなのだろうと、今考えています。
本来持たないだろうと思われている人たちに心があると分かったとき、人が感じる恐怖なのでしょうか。それとも、物語に流れる架空の設定の中で、自分たちがその子供達を教育することで何が起こるのかという先行きの見えなかったものに対する恐怖なのでしょうか。

命を区別する側は、区別の理由を持っています。エミリ先生の感じた恐怖は、その理由が成り立たないという事実を本当は知っていて、その事実を大事に生きることを選んでいない自分が見透かされているかも知れないという恐怖でしょうか。本当に真の人間らしい愛を持った人間になれないのは、目の前の特別な子供達ではなく自分たちの側なのだということを、誰かに見透かされてしまわないかという恐怖なのでしょうか。

優しい文体でこの世界を表すなんて、本当にすごいことだと感じました。


受け身の生き方をやめるということ

私は、どういうわけか無意識に気を使ってしまう人に時々出会います。
関係性が悪いわけではないのに、その方と会うときは少し気持ちが張って、今日はどんな様子なのか妙に気になってしまうのです。

昔から、同じような雰囲気のする方との関係性は、緊張します。

その方は、私の持ってないものを持っているように見えます。
すごく人生を楽しんでいるように見えます。

それなのに、なんだかいつもお疲れのような、そんな雰囲気を感じてしまうと、今日は機嫌がいいのかどうか、気になってしまうのです。気遣う方向が外れちゃうといけないことをしたような、罪悪感が回ります。

最近、知人と話していて、そういう自分に気がつきました。会話に出るまで、意識なく、ただ私が察しが悪く、何か気がつかないことが重なっているから落ち着かないのだろうと思っていました。その日によって気分や体調が違うことは当たり前のことだし、それを毎回受け入れられない私の心が未熟なせいで気になるのだと思っていました。なので、変に気を使う自分を自覚できたとき、ハッとしました。

なぜ気になってしまうのか、なぜ相手の方の機嫌をとりたくなるような衝動を感じてしまうのか、少し考えてみました。

すると、自分の、人に対しての関係作りの課題がみえてきました。

数年前まで、私は精神的に本当に子供で、自分よりも精神的に大人の人としかうまく関係性がつくれませんでした。つまり、相手の方が理解してくれなければ、私からは相手の方を理解しようとすることができなかったのです。

最近は、自分ももし子供を産んでいたのなら成人するぐらいの子供がいるような年齢となり、年齢差を感じる方々と出会うと、まず話を聞いてみたいという気持ちが生まれるようになりました。これはふしぎな心の変化でした。

出産もしてなく、結婚もしなかったし、若い人と多く接する仕事の縁もなかった人生でしたが、少し目線を変えることができたのは、ヒーリングサロンでいただいた一つのアドバイスも原因の一つだったと思います。
「あなたが親の目線を持てば、世界中の人があなたの子供になる」
この言葉は今も心の中に生きていて、ことあるごとにはっきりと聞こえてきます。

あまり経験のないのは、子供の部分を持つ大人の方とのおつきあいです。
つまり、私の持っている部分と同じようなものをもつ方々と関係を深めることが難しいのです。

そう、書いてみて気がついたけれど、子供大人だったのは私自身でした。分別ある能力を持った大人と認めて欲しくて、できることをアピールしてみたり、知識をさらけ出したりしますが、自分の感情をコントロールすることもできないで、周りの人々に気を使わせてしまう、自分はうまくできていると思っているので、不合理なことに出会った時に相手がどうすれば自身が犯したミスに気がついてくれるのかと、そのことばかり考えてしまう、この考えのあり方はまさしく私自身のことでした。

そうすると、そういう私のことを周りの方は理解しようと思いやってくれて、付き合ってくれたということになります。私に合わせてくれたということです。

今私が悩んでいる人間関係は、私が多くの方からいただいていたものを恩返ししていけばいいということなのかもしれません。
それが私の、人を思う経験の一つになるのかもしれません。

今から思うと、その頃の私は、実は人生を自分の意思で生きていませんでした。
このブログに何度も書きますが、人並みに扱われる人生を望んでいただけで、人並みに考えられるように努力して生きることに欠けていました。

これは今だからわかることです。その頃の私は、人生を積極的に生きていると思っていたし、思ったように生きられる自分に満足していました。無意識の怒りは社会に向けられていました。

子供大人、つまり、まだ自分を見出せてない頃は、無意識に自分をアピールしたり、周りを責めて自分の正当性を確かめたくなるものです。自分を気遣ってくれない世間はなんと心が狭いのだろう、未熟なのだろう、私の言葉がなぜ理解できないのだろうと思ってしまいます。
私もまだその部分を捨てきれていないようです。だから冷静にことが見られないのかもしれません。

受け身の人生をやめるということは、自分の生き方を見直す力を養うということなのかもしれません。改善点は自分にあり、世間にはアイデアを提供したりリクエストすることしかできないのかも知れません。自分の心を改善していこうとする意思は、生きる目的を見つけていなければ難しいことかも知れません。

その時の会話で忘れられない言葉があります。
「経験だけでも意味がない」
「でも、多くを経験しないと、自分を振り返る力がつかない」

そうですね、今私が「自分がいたらない」の自覚できているのは、多くの経験の中で「失敗」を感じ、「恥」を感じ、自分ができていないということを、ある日、理解できてからだと思います。その友人もそう、だからこの話ができたし、そこに信頼を持っています。

そう思うと今の私の生活は、私が学ぶ必要があることが、形を変えて随時起こっているということになります。
そして、そのことを会話で確認できる友人に出会えているということも、私が感謝していきたい事実の一つなのだと感じています。


2019年2月2日土曜日

私を離さないで

カズオ・イシグロ氏の原作「私を離さないで」。映画版を観ました。

1967年の架空の世界設定の解説から始まるこの物語、たんたんとすすむ話の中で、やりきれない思いが心の中に広がりました。
隔たりがあるけれど、変わらない日常、ところどころ違和感があり、だんだんその違和感の意味が理解されていきます。

観終わって感じたことは、人が人を分けるときは、その人自身がどんな人かは関係ない時があるんだな、というやり切れなさです。

その架空の世界では、彼らは管理されていて、その中で生きることしかできないようになっているのでしょう。何も変わりがないいのちの営みが生活の中で感じられるのに、彼らの元には確実に「知らせ」が届くのです。

彼らは彼らでしかなく、その仕組みを考えた人たちの元、一方の側に立ち続けなければならない、そのことを忘れてしまうほどに、互いにいのちであり、いきている毎日がある、それがとても愛おしく、悲しい映画でした。

自分の幸せは、人の犠牲のもとでは成り立たない

最近感じたこの言葉が繰り返し聞こえてくるようでした。

ドラマは見ないでおこうと思っていますが、本は読んでみようと思います。

2019年1月8日火曜日

年があけて みた映画


ぼくと魔法の言葉たち

自閉症と診断された主人公と家族のドキュメンタリー映画。
家族で向き合うという姿に、ああ、こういう風に誠実にすればいいんだ、と教えてもらったように思います。
「コミュニケーションが取れなくなった息子(弟)を取り戻す」
この考え方は素敵だと思いました。
人が他者の世界に焦点を合わせて、その人の世界を理解しようとするということは、その人のことを大事に思うからできることなんだなあと改めて思いました。
アマゾンプライムで偶然探した映画だったけれど、また最初から見たい気持ちです。
ご両親もお兄さんも、暖かい人たちと印象でした。息子の行動や思いにいつも真剣に答えようとするなんて、家族として真剣だし、本人も自立について真摯だと感じました。。

わが母の記
樹木希林が母役で好演する映画。井上靖の原作のものです。
一度見たように思うのですが、その時はきちんと見ていなかったようで、初めて見るように展開が新鮮でした。
印象に残ったのは、認知症になったお母さんと、憤りや戸惑いを感じながら家族として暮らしながら、それぞれが心の幅を広げていく感触を感じられたことでした。
樹木希林さん、よかったです。


こんな夜中にバナナかよ
同名のノンフィクションが原作のもの。大泉洋主演。
本はまだ読んでいないので、映画のみの感想です。
大泉洋、笑ってしまうぐらい「ワガママ」さを好演していました。
高畑さんもよかったです。

印象としては、ああ、こんなに障害当事者と関わる側の気持ちはズレるんだなあ、というものがありました。私は自分の立場を重ねながら見てしまうので、介助をうけながせらの生活を外から冷静に見させててもらったような感じです。
ボランティアの方が書いた本が原作なので、ボランティアの目線から映画が作られているように感じました。だから自分と大泉洋さんの演じる主人公の気持ちを重ねられたように思います。

主人公の、親に対する思いなどは、共感したのか涙が出ました。ところどころなんだ泣けました。でも、いい意味で、介助に関わる方の気持ちや人生観を見せてもらったように感じています。



2019年1月4日金曜日

うるち米を50 %まぜたおもち

お正月は、お餅が恋しくなります。
やきもちやお雑煮を食べたくなるからです。

私は少し若い時はどんなお餅も食べられたのですが、この十数年は市販のお餅をうっかり食べられなくなりました。
噛んで飲み込むという一連の作業を、気をつけて行わないとタイミングが合わなくなったのです。

噛んでから飲み込む、これが自然にできていたころは、意識しなくてもなんでも食べることができました。
脳性麻痺特有の不随意運動(アテトーゼ)が、成人年齢を過ぎた頃から強くなり、噛んでる途中から口内で飲み込もうとする動作が重なるようになり(そのように感じてしまっています)、自分でコントロールすることが難しい時が出てきたのでした。

飲み込む力が落ちたわけではなく、噛む力がなくなったわけではなく、タイミングが合わないのです。
お餅や、ツルッと咽喉に流れてしまうものに関しては、そういう理由で安易に食べられなくなりました。
思いがけず咽喉に流れてしまうと、咽喉や体がびっくりしてしまうからです。

それでも、お正月にお餅が食べられるのは、実家で、餅米とうるち米を混ぜたお餅を作ってもらっているからです。

うるち米を50%もち米にまぜてついてもらうだけで、もち米の粘りが緩和されて驚くほど食べやすくなります。

普通のお餅はどんなに小さく切っても、粘りはあるので飲み込む怖さは消えません。
この粘りが美味しい要素だと思うので、普通のお餅を好きな方には、私が作ってもらうお餅は物足りないかも知れません。

ただ、慎重に普通のお餅を小さく切ってもらって食べたり、または食べられなくなったと諦めるよりも、粘らないこのお餅を美味しく食べてお正月を過ごせることは、ありがたいなあと思っています。

世間ではこのお餅を「ごんだもち」と言い、調べてみると、北陸、とくに富山で作られていたもののようです。
茨城のお餅だと思っていたのですが、ネットでは茨城の資料は見つけられませんでした。

お餅が食べられなくなったり、食べたいけれど飲み込みが怖くなった方も、もしかしたらたべられるおもちかもしれません。

2019年1月1日火曜日

2019年の生き方

今年は、できる限り心を育てていきたいと思います。
背伸びせず、等身大を意識し、自分として生きるとはどういうことなのかを理解したいです。
何者ではない、私という心を意識して、育てていきたいです。

自分を大切に、同じぐらい目の前の方を大切に、愛していくということを身につけられたらと思います。

中庸な心持ちをだいじに、tension with no tension (緊張しないで意識する)ということを胸に留めて、努力していこうと思います。

悪い部分も私だから、自分を否定せずに、美徳となる部分だけを育てられるように心がけてやってみます。

いつか本当に、人様の役に立つ人間になれますように。❤️

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...