今年で、地域でアパートを借りて暮らし始めて26年が経ちました。
この間、5回ほど引っ越して、住む地域も4回ほどかえて、思えばいろんなことを体験しました。
詩人になりたかったり、作家になりたかったり、ピアカウンセラーになりたくてなってみたり、自立生活センターに務めたいという夢が叶ったり、所属することを全てやめたり、思えば、叶わない夢はほとんどなかった26年間でした。
重い障害と世間的に捉えられる体を持つ私のような人間が、福祉制度等を活用して地域で暮らすことを「自立生活」と呼んでいるけれど、
世間には、「施設の生活」や、親御さんやご兄弟の方と生活しておられる障害のある方もいて、
自立生活という生活スタイルは果たしてメジャーになったのか、私自身は認識できないでいます。
自立生活を続ける中で、26年前と今と、気持ちが変わっていったものがあります。
その一つが、介助を受けるということへの認識です。
最初のうちは、自分でできないことを、介助で来てくださる方に頼むということが大事なことだと思っていました。
自分ができないことを、関わってくれる人に上手に頼むことができるのなら、それは私の「できること」になると思っていました。
だから、どう伝えるか、どう理解してもらうか、思う通りにやっていただくためにどうすればいいかを常に考え続けていたように思います。
介助の方々にも、役割としての存在を求めていたというか、仕事の面を重く見ていたように思います。思う通りにやってもらいたいことが伝わらないと、どう伝えれば良かったのかと、そればかり考えていました。
今は少し違う認識があります。まず自分が物理的にできないことは、あくまで自分の手ではできないこととして、物事を捉えているのです。
自分の手でできないことを叶えていくためには、他者の協力が必要で、他者の手を借りてできるようになったことは、私ができるようになったということではない、
文章で書くとややこしくてわかりにくいものになってしまいますが、今の私はそう思って生活しています。
つまり、できないことは、誰に頼んでできたとしても、自分でやったことにはならない、という認識に、ようやく立つことができたのです。
できないことはできないことでそれはそれでいいもので、たくさんの協力者の存在があって、私の26年目の自立生活が営まれ続けているのです。
もちろん私自身の意思がないと、この生活は崩壊します。私の障害は身体的なものなので、意思を伝えるということが私の生きるという行為だと思うからです。
年月が経って違ってきたのは、できないことは誰にどう頼んでやってもらっても、自分ではやっていない、経験していないということと、そして私の頼んだことを忠実に表してくれる人がいつもそばにいてくれたという事実を、理解できたということでしょうか。
介助の仕事できてくれる方を、「介助者」「ヘルパー」という枠の中で見てしまっていた自分を手放して、私の生活に協力してくれる人として受け入れられるようになったことも、心が自由になった大きなことでした。
誰でも特手不得手があり、できないこともできることも、呼吸やテンポも常識も価値観もそれぞれが違います。いろんな人が、自分の人生を生きようとしている世界の中で、偶然、自立生活をしている、障害がある私と、介助がやってみたくて自立生活センターを訪れたどなたかが、介助という仕事を通して出会います。
この出会いはとても、実は大切なものでした。いつの日も。
この出会いがたくさんあることで、私は26年間、清潔で身ぎれいな生活を続けることができました。社会的な活動も続けることができました。
ありがたがったなあと、心から思います。いろんな経験をして、今日まで考えてこれたから。
私が26年間得た経験は、何かをできたというようなものではなく、いろんなことを考え続けていることや、感じ続けていることだったのでないかと思います。それによって少し視野が広がり、自分の中にある井戸から這い出て、他者の心を感じようとする方に少しでも進もうとする心が育ちました。
そこにこのとしつきの意味があったと、今は思います。