2020年2月29日土曜日

みてみたい世界

何がなんでも生きていきたいと心の底から思っていた若いとき、夢がたくさんありました。
  ①  一人で生きていきたかった、
      自立しているという実感を欲していました。

    ②仕事を持ちたかった、
       自分のできるのはこれ、という確固たるものを欲していました。 
 
    ③自分の家族を作りたかった、
       一緒の空間で笑い合える私の家族と呼べる人と巡り会いたいと欲していました。

いま、形は違うけれど、どれも叶っているように思います。
一般的なものではないし、私が望んでいた形ではなかったけれど、どれも叶っているのです。

①は、福祉制度や、それに関わって支えてくださる人がいて初めて成り立つことだけれど、日々の悩みの中で、私は自立を意識しています。
 自立とは、自分にとって自立とは何かということを問い続けることなのではないかと今は思っています。
 なので、私は今私なりに人生を生きている、意識しているから自立と言う中に入るのではないかと感じています。
 一般常識の自立が経済活動、生産的な活動ができることと身の回りが整えられることであるならば、できていないということになりますが、私の価値観の中では、自立した生活だと思って生きています。
日本の福祉制度が変われば私の生活も大きく変わってしまう現実はありますが、変化や不可抗力のものというのは、障がいある体で生きているから起こりやすいというものではなく、どんな人にとっても起こるもので、変わっていくことは避けられないことでもあるように思います。
私は私の現実のもと、自立のあり方について考える日々ですが、どの方もその方の現実があり、そのことからは逃れられるものではないのではないかと考えます。
それが辛いとかそういうことではなく、そういうものなのではないかと思っています。

②は、そうですね、金銭をいただけるお仕事のほとんどを、私は手放してしまいました。
そしてその後、本当にそれで、よかったのか、ただでさえ仕事を得る機会などないのに、それをわかっていて手放して良かったのか、経済につながらない私の「仕事」はなんなのだろうと思いながら、ここ数年は生きてきました。
今もまだ結論は出ていないし、考え続けているのですが、
ボランティア活動をしようと思ったとき、少し吹っ切れた気がしました。
お金が絡まなくても、真剣にできることがある、そうようやく思えたように思いました。
私が経済的に人並みになりたいのは、世間に、私は食べていけると示したい、特に親にそう思われたいという気持ちが強かったようです。
でも実際の私は、頭で何かできるほど知識はないし、努力もしてこなかった、
        体で何かをできるほど軽い障がいではなかった、
        一つ秀でたこともなく、技術も身につけてはいない、
という現実があります。
何かできるのではないか、という幻想から抜けて、今できる小さなことからやっていくことなんだな、と今は思っています。
 
③は、考え方を変えたということがあります。私が、周りの方のことを家族のように思い、生きることで、私が多くの知人を作り、その方々を家族のように子思うことができる、ということです。
それで今は十分なのではないかと思います。
きっと私こそが、家族愛をうつくしく優しいものだと勘違いしていたのだと思います。
今日会えた人を大事にできたら、今日を大事に生きられたら、人がそれをどう思おうと、
生き方としたらOKなのだしと思うのです。

私の話の前振りが長くなりましたが、
このように個人的には思いが叶い、もう今はあまりどうしたいという欲は感じられなくなりました。
(ただ、最近の心境の変化で、ああ私は現状維持をしたい、今の生活が壊れることを恐れている、と自覚はしました)

ただ、長い長い目で見て、自分が見てみたい世界があることに気がつきました。

それは、地球上の全ての生き物が共存し、ともに育ち合う世界です。

人間である私の目からそれを見ると、

人が植物の世界と動物の世界を完全に理解し、鉱物も大気についても全てを知ろうとし、生きるためにいただく命に感謝し、それぞれの生き方を尊重できる世界を、私は見てみたいのです。

人と人は殺し合うのではなく、奪い合うのではなく、話し合いと適切な距離感でお互いを尊重し、敬愛して生きていけるのではないだろうか、
生きていくのに必要な分だけ命をいただいて、いただいた分なにか貢献できるものがあるのではないだろうか、
そのために、私はいろんなことを学ばなくてはいられない、さまざまなことを知らなくては本当にできることにたどり着けない、
そう感じるようになりました。

本当の助け合いとはなんだろう、支え合うこととはなんだろう、地球の住人がまるごとみんなで生きていくには、どんな知恵が必要なのだろう、
自然と暮らしていくとはどういうことなのか、生物の一員として考えなくてはいけないこととは…。知りたいことはたくさんあります。

そして、その一員として、私がやりたいことはなんなのだろう、と思います。

私は自然が大好きだけれど、動物を飼いたいわけではなく、自分で植物を育てたいわけではありません。
確かに今の人生では、自分の手では動物や植物に的確なお世話ができないという現実もありますが、例えば象が好きでも、動物園に行って象に会いたいわけではないのです。象は象の住んでる土地で、暮らしていてほしいと思うたちです(動物園自体は嫌いではなく、たまに園内を歩いてみたいと思うことはあります)


自分でもよくわかっていないようには思いますが、自然は好きなんだと思います。

自分が本当にやりたいことなのかは、定かではなく、変わっていくかも知れませんが、
人生を転んでしまった人たち(犯罪を犯したり、人を加害してしまった人たち)が、本当の意味で立ち直るお手伝いができたらと考えています。
今回の人生では難しいですが、いつか何度かの転生を経て、そういう道にたどり着きたいと考えています。

そして、夢物語のようになってしまいますが、今後の人生(来世以降)で毎回副職でやりたいことは、障がいある方の日常生活のサポートです。
この仕事は何度転生してもかならずやっていきたいことです。でも副職です。メインではありません。
やりたい理由として、
1 今回の障がいある人生でサポートを受けるという経験をしたので、反対の立場を経験したいという思いがあります。
2 今回受けた御恩を、返していきたいという気持ちがあります。
3 障がいある立場の人生は、誰かの具体的なサポートなしでは生きることがとても難しくなると学んだからです。

そして、メインでやりたいと思うことに、遠からずつながっているようにも思えるからです。
いろんな道があって、いつかたどり着く道へ行きたいと思っています。

いつか見てみたいのです。もっと私自身が視野を広げ、成長した時に、
目に見えるせかいが、どのようにうつるのか、どんなに美しいのかを。
私も小さな場所でその一員でありたいと、なにか少しでも役に立つ一員でありたいと、願っています。

そのために今生では、忍耐と知識と愛の表現を、身に付けたいと思っています。
いつも課題に現れるのは、「聴く力」と「受け入れる」ということのお試しの課題です。

自分を理解して高めていくことは、本当に難しいことなんだと、毎日のように感じています。
そしてこの文章も、ぶっ飛んでいますね。汗


2020年2月24日月曜日

自分の撒いた、たねから刈っていく

一月に、気になっていたもうひとつのことは、イランとアメリカのことです。
(前々回の森林火災のことという記事の、なんとなく続きです。)

アメリカ合衆国がイランのソレイマニ司令官を殺害したというニュースは、なぜそれが起こったのかとても不安になり、気になったことでした。
その後旅客機が追撃されてしまい、二つの国がどうなっていくのか、連日考えるようになりました。

ヒーリングサロンでそのことに意識を集中した時に、自分の過去のことで分かったことは、
(ここからは話が飛びます。)

古い時代、私の過去生でマケドニアの兵士だった時があること。そこで戦争に行くことになったのですが、なんらかのことで家族(妻と娘?)が殺されていて、このときは深い恨みと怒りを持ったまま生涯を終わっています。
(私の中に浮かんできたイメージの世界なので、こういう話に抵抗がある方にはごめんなさい。)

歴史が超苦手な私は、マケドニアという、昔の時代の国名が思い浮かばずに、今の国の名前であるギリシャという言葉しか思い浮かびませんでした。
自分の持っている知識でしか理解できないということは、こういう事態なんだと思いました。

上官の命令ではありましたが、その時代にマケドニアの兵士だった私は、ペルシャ帝国に攻め入る一人となり、多くの人を殺めました。そこをこの回は癒していくことになったのです。

ちなみに、その後の時代のイランでも人生を送っていたようです。そのときはエセ商人になり、市民を騙しながら暮らしていました。
(私の遺してきたものは本当に重いです。知れば知るほど、どうしたらいいか一瞬は今でも怯みます)

今回も感じましたが、何か社会的な事件や出来事が気になった時、やはり自分の過去の行いを振り返る必要があるのだと思い知りました。

今生だけが自分の人生で、肉体が無くなったらそれで終わりと考えているうちは、まだ何も知らないということなので、過去生なんて信じなくても、ましてやどんな生き方をしていたかなどと知らなくてもいいことなのでしょう。
知らなくても許されているというか、思い出さないことは恩恵と教えていただきましたが、本当にそうなんだと思います。

物事は、あるものはいつもそこにあって、真実はいつも真実であるのだと思います。
ただものの見方は人それぞれ違いますから、一人一人真実と言うものの捉え方に差があるのも確かなんだと思います。

私の経験でいえば、過去生の体験を本当に大きな勘違いをして記憶していたということがあります。

その話はまたの機会に書くことにして、あまりごちゃごちゃ書くといっそうわかりにくくなるので、本筋に戻ります。
私が、世界や日本で起こる出来事で気になることがあるときは、やはり自分の過去の人生で遺してきたものについて修正する、機会が与えられたのでと思った方がいいようです。

ネガティブな思いもポジティブな思いも、人は生きている限り、記録としてエレメンタル(想念のようなもの)を残しながら生きているそうです。
一度作ったエレメンタルは無くなることはなく、同じ波長を持つ人に影響を与える存在としてあり続けるといいます。
そのときそのとき思った想念を作った者として、いつも世界に対してなんらかの責任はあるのだと思います。

私は多くの悪いものを撒いてきてしまったと知っているので、それをみないフリはもうできないのです。
それでもそのことを棚に上げていい人でいようとしてしまいます。
やり方もわからないのに、何かいいことをしてあげたいとすぐに思ってしまうのです。
そういう偽善的な考え方が、何度とない人生で自分の身を汚してきたというのに、人間というものはなかなか変われないものなんだなあと思います。

霊的真理の勉強の世界に入ったことは、私のそういう弱いところの大手術のためかも知れないと、こういう振り返りの機会が与えられるたびに思うのです。

少し大げさな話になってしまいました。

2020年2月23日日曜日

CATS 映画版(字幕版)観ました ネタバレです

CAT'Sというミュージカルには以前からとても興味があって、一度ミュージカルを観たいなあと思っていたのですが、なかなかあと一歩が踏み出せないままでした。今回映画化ということで、一度見てみたいと思うようになり、先日観てきました。

ネタバレというか、内容に触れています。これから観る方は読んでしまうとつまらなくなるかも知れません。

映画版は評判があまり良くなくて、それがなぜなのかも少し知りたかったということもありました。
また、ミュージカル見に行かなくても映画で見られるのはラッキー、という気持ちも実はありました。

そしてどうだったかですが、

観始めてしばらく経つまで、ストーリーがないということに気がつかなくて、少し退屈でした。
前情報を全く調べないで行ったので、少しは調べておいた方が良かったな、とさえ思いました。

ストーリーがないんだと理解した後は、状態を楽しめばいいのだと思い、歌やダンスを楽しみました。

舞台をみたらきっとまたは思いますが、猫たちそれぞれの動きはとても楽しかったし、それなりに楽しかったです。映画ならではの演出も(それがあまり評判良くなかったと思いますが)個性的な表現でそれなりに面白く思いました。

そして、「メモリー」に号泣!!

もう自分でもこんなに泣けるんだと思ったぐらい、込み上げてしまって、
なんとも言えないその猫の悲しみが伝わってきてしまって、本当に歌の間、嗚咽が止まらなくなってしまいました。声はある程度殺したつもりだったのですが…。
(あとで、近くの席にいた介助の方にも聞こえるぐらいだったと伺って、申し訳なかったと思いました汗。その方は「号泣できるぐらい映画にのめり込めるなんていいね!」と言ってくださいましたが。)

ジェニファー・ハドソン、良かったです。胸を打ちました。
もしかしたら役を超えた悲しみだったのかも知れない、と感じるぐらいでした。

後から調べて、今回の映画は、映画版「レ・ミゼラブル」を監督されたトムフーバーだったんだなあと。
レミゼ は本当に大好きな映画だけれども、CATSはストーリー性が薄い分、舞台全体の様子がみえた方がよかったのではないかとは思いました。

あと、このお話の原作になった詩を読んでみたくなりました。
詩の世界だったのですね。本当に何も知らないまま観に行ってしまった。
詩の世界ならばその世界はとても納得です。

私は勝手に、
「この猫ちゃんたち、もしかしてもうこの世の猫ちゃんではないってこと?」
「一匹だけ転生ってこと?」
など独自に解釈していましたが、少し解釈が違ったみたいです。
なのであまり参考にはなりません。すみません。

でも、ジェニファー・ハドソンの歌は、必見です。
ああもうなんであんなに胸を打ったんでしょう。
いい経験でした。

日本語版、どうしよう。観たいような、もう少し考えたいです。

アニメの「SING」は、字幕版も吹き替え版も、大好きなのですが、今回の映画はどう感じるのでしょう。





2020年2月21日金曜日

森林火災のこと。

今年1月にとても気になっていたことは、ふたつありました。そのひとつは、オーストラリアの森林火災です。

オーストラリアで、昨年8月ごろから最近まで森林が燃え続けていました。
火災の原因は様々なことが考えられているようです。
この火災で焼死した動物は一億匹以上と言われています。コアラのかわいそうな映像は日本のニュースでも流れていましたが、なくなった動物たちは多種にわたっているようで、よく頭に入れられないまま書いていて申し訳ないのですが(資料を参考にして書くのが本当に苦手です。つくづくライターは向いていないようです)、絶滅の危機に追い込まれた種もあるようです。。
豪雨によって大部分の火は収まったと伺っています。。
(参考にしたサイト https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51171501

なぜこんなにも長い期間、火災が消えないのか、なぜこんなにも被害が大きくなっているのか、先月はそれが気になって頭から離れませんでした。

そんな時にヒーリングサロン medichnewheel を訪れる日になり、その時間を使って、気になることに取り組んでみました。

ここからは、私の過去生のことになり、スピリチュアル的な色が濃くなります。
お好きな方だけ読んでくださいね。

また、私は歴史が超弱いです。ものすごく勉強不足です。
なので、歴史の解説はここでは書きません。
私のその日見た(感じた)体験に留めます。
お目汚しになる文章かも知れません。申し訳ないです。

遠い昔、オーストラリアがイギリスの支配下だった頃、私の過去生の一つにイギリス人だった時があるようでした。オーストラリアで、囚人を管理することをしていました。
その時の行いを振り返り書き直していく時間になりました。

私は自分の立場を利用して、悪事を働いていたようです。その事実を認識し、被害にあった方々に謝罪をし、本来はどのような世界だったら良かったのか、良いイメージを膨らませます。
過去生の私(このときは男性)に改心を求めましたが、聞き入れてくれませんでした。

これ以上書くのは控えますが、私の数多くの過去生は、私自身も受け入れがたいものばかりです。
多くを人に加害しています。
ひとつひとつの過去生を知り、向き合っていくことは、正直しんどいことでした。
時には感じないようにし、何もなかったように振る舞いたくなることもありました。

でも、あったこと、あること、知ったことをみないようにすることで、物事は何も解決しないということを、この10年あまりの時間の中で知ることができました。

私がたとえ、なかったことにしても、起こった事実はそこにあり、被害に遭われた方は、今も何かしらの影響を受け、苦しまれているのかも知れません。

もちろん今生の私は、法に触れることは何もしてないし、感情が暴走したとしてもせいぜい怒鳴るぐらいで、犯罪には結びつかないであろうからだを持ち、生活する日々です。

そして、過去生なんてない、魂が永遠なんて嘘、いくつもの人生を生きてきたなんて、信じない、という人生を生きるということはできるのかも知れません。

でも、今の私は、
いろんなことを知っています。
知らないふりなどできません。

特に、自分の過去生の行いについては、できる限り今向き合っておきたいという気持ちもあります。
なぜなら、せっかく自分から思い出したことだからです。

人は、肉体の死を迎えた後、次の人生に生まれる時、ほとんどの場合記憶をリセットして生まれてくるようです。
よほど心の成長を果たし、過去の記憶を留めて置けるほどの心を持てれば別ですが、
残念ながら私はまたまだ幼稚園児のような成長度合いのようなので、今、知識があるうちに、自分の中の真実と向き合っておきたいのです。
そして一つでも多くのことを考え、感じておきたいという思いが消えません。

話が横道にそれましたが、ヒーリングの手法を使って過去生と向き合う時間を、今回も過ごすことになりました。
やはり自分の問題がそこに残り、ネガティブな作用の一部になっていたことを知りました。

人は誰も、世界と無関係ではないし、人類の過去とも無関係ではない、残したものがいいものかも知れないし、悪いものかも知れない、なんらかの記憶をその場所に残して、生まれ変わっていくということを、今回も知ることになりました。
オーストラリアのために、少しでもエネルギーを送らせていただけるなら、などと、こころのどこかで思っていた私は、本当に傲慢でしかなかったと、思います。



2020年2月19日水曜日

誰かと一緒に過ごす日々

私が自立生活(福祉制度を受けて一人暮らしをする生活)を始めて、27年が経とうとしています。
20代後半だった年齢もとてもいい歳となり、身体的にも少しずつ変化しているようです。でも今のところ、小さな世界ですが充実した日々を過ごしています。

私の日々の生活は、「重度訪問介護」という枠の中で介助派遣を受けています。
重度訪問介護とは、障害者総合福祉法の障がい福祉サービスの中に含まれる、介護給付の一つで、「体が不自由で常に介護を必要とする人の居宅や入院先で、身体介護や家事援助などを提供」するという形をとるものです。

最近、少し自分の生活を振り返る機会を持ち、改めてたくさんの人が私の生活に関わってくれたことを思い出しました。
今のように法律が整備する前、ホームヘルパーの時間数が今ほど認めてもらえない時代から、私は多くの方に生活に関わっていただきながら暮らせてきたのです。

先日、ある方とのやり取りで、介助に対する考え方や、あり方を自分なりに説明する機会があり、その時に気がついたことがありました。

「私は、介助を受けている時も自分の人生に責任を保とうとしている」
当たり前のことですよね。あえて書くことでもないことです。
そう思ってきました。

でも、このことはどういう認識なのか、もしかしたら体験から感じてきたことを書いた方がいいかも知れないと、ここ数日で思ったのです。
わかりやすく書けるかどうか、分からないのですが、私の価値観というか、考え方をまとめてみた方がいいのかなと思いました。

少しの違和感は、以前も感じたことがあります。
介護福祉士の問題集を解いていた方が、ふと質問してきたときです。

「この問題、何番だと思います?」

それは、ある方の支援のあり方だったと思います。
詳しいシュチュエーションは忘れてしまってここに書けませんが、
その例題にはその障害ある本人の判断というものが選択肢になかったことだけを覚えています。
周りの人が「支援」を考えている、本人が悩んでいない…。そんな感じがしたのです。

私の中の介助を受けての自立生活とは、楽しみを見つけたり、生きがい、やりがいを見つけてそれをやり続けるということの以前に、日々の生活を成り立たせるということがあります。
生活とは、身の回りのこと、つまり、着替え、歯磨き、洗顔、入浴、トイレ等からだを清潔にして保つことと、家事全般です。
食事を取ることは、調理をしてもらうのか、外でとるのかということを決めることを含みます。
その全般を私と一緒に、動いてくださるのが介助の方です。

私は身体障がいがあるので、自分で何をしたいか考えられても、実際には自分の体を使ってはできません。
なので多くの時間を介助の方と過ごし、家事全般と生活に必要な身の支度を整えてもらいます。

その上で私の社会生活が成り立ちます。

おかげさまで、多くの方がきてくださり、家の中はとても清潔に整っています。
今住んでいる家は古い家なので、ありの問題やネズミの問題、水道漏れの問題などいろいろおきましたが、その他に私には考える時間があり、悩む時間がありました。

私の身に起きる問題は、私自身が向き合う、そのスタンスを貫くことができています。

これは、介助派遣をしてくださる自立生活センターが障害者の自立支援という理念をきちんと持っているということ、介助者としてきてくださる方々が、私の生き方を理解しようとしてくださっていたことが、大きかったのだと、本当に思います。

誰かと一緒に暮らしている自分。誰かというのは血の繋がった身内ではありません。
誰かがいつも私に一緒に過ごす時間をくれたから、そして生きる責任というものを私自身に感じさせてくれた、というか、そういうことが考えられるのだと信じてくれたから、今もこうして私のままで生活しているのだと思います。

どんな書き方になるのかわからないのですが、このことを少しずつ書き留めてみようと思いました。
日々の出来事よりも、その出来事をどう思い、どう対処したかをかけたらいいとは思うのですが…。
それほど書くことがあるのか、今は不明なのですけれど。



2020年2月17日月曜日

心のメンテナンス

先日、月一回のペースでお世話になっているヒーリングサロン medicinewheelで、個人セッションを受けてまいりました。

今回は、行く前から、「自分の心をどうにかしないと」という気持ちがありました。

ある出来事をきっかけにして、心が大きく揺れていたのです。

ここ一年ぐらいは、体を痛めたり波はありましたが、それほど大きく心が揺らいだことはなかったように思います。いつもその日できることを粛々とやって、気持ちはネガティブになる日があっても、前を向いてきたと思います。

ここ何日かはそれができず、不安に苛まれてしまったのです。

そこに向き合う時間となりました。

整理できたことは、次のことでした。

●物事はなんであっても現状維持とはいかないし、有限であるということ。
私は今、生活全般に不満はなく、自分のやりたいことをできている状態だと思います。ただ、その状態が崩れることを極端に恐れ、怖がっている気がしています。
物事はいつも形を変えていくし、予期しないことは起こるし、それを避けることはできないということを、頭のどこかではわかっているのに、受け入れていない気がしました。
自分の生活の根幹の部分でさえ、その環境が形を変えていくことがあるということを、フラットに捉えていった方がいいんだと今更ながら気づきました。
変わっていくのは当然のこと、怖がるのではなく、変化を体験していくのだと思いました。

●自分に、いい意味でのプライドを持つということ。
私が生きてきたことに誇りを持って生きること。私は正直に言うならば、自分の過去生に圧倒されていたように思います。何か、今の自分とつながってしまって、自分の存在さえ信用できなくなっていたように思います。
「プライドは大事」とアドバイスをいただいた時、いい意味のプライドを大事にするとはどういうことだろうと、考え始めました。

●その場に置かれた当事者として、権利を守るということ
人としてその人生を生きる時、自分の生きる権利を守ることは大事なことだということを、改めて言っていただきました。
ただ、どのようにしたらいいのか、まだ迷っています。
考えるヒントとして、
・ 第二次世界大戦中のドイツのように、ユダヤ人に対して国家が迫害を決めた時、そこに住むユダヤ人ならばどうするか。
・ では他国の人、例えばアメリカ人だったらそのことをどう感じるか。
・ 私が抱えている問題、障がいがある立場の問題もそのことにすこし似ているのではないか。

ではどのように考え、行動していくのか、考えていく必要があります。

●自分一人の視点から物事を考えるのではなく、自分と似たような経験をしている100人
 の人たちのことを思い、自分に何ができるか考えること。
自分一人の問題として考えるのではなく、自分と同じような障がい(同レベルの体の動き等)のある人たちに焦点を当てて、その人たちに何ができるのかを、自分の体を通して得た経験から考えていく。
自分より障がいの軽い人の辛さや気持ち、重い人の辛さや気持ちは、実際には体験していないから推測しかできない(障がいあればみんな同じ辛さや気持ちを感じるるわけではないから)けれど、自分と似たような人たちのことならば自分を通して体験しているから体験談を話すことができる。(同じように感じることはないということも含めて)

●愛のない言葉には恐怖を感じるだけだということ
今回私が一番ダメージを受けていたのこの部分でした。ある人のある文章の一部分の言葉が、心に刺さってしまったのでした。
結局その言葉は、自分が大変になるからみんなどうにかしてくれ、という、自分の恐怖に焦点を置いただけの言葉だったようです。
そのことは私も理解していたのですが、読んだ途端ものすごく自分が何もしてこなかったような気持ちになり、はやる気持ちが抑えられなくなり、未来への不安が生まれました。
どうにもできなくなった時、少し、不安と悲しい気持ちを、泣くことで解消しました。
感情を表に出したときに、浮かんできた疑問は、「私の今までの行いは間違っていたのだろうか」というものでした。
ここ十年強、私は私なりに自分と向き合う人生を送ってきました。拙いながらも、そこでは自分なりの努力は惜しまなかったつもりでした。
なので、精一杯だった、という結論になり、そう思えたとき、いくぶん気持ちが和らいだのでした。
この経験を考えていたときに、「愛のない行為は恐怖だけ」と教えていただきました。
「愛があれば、その言葉からは恐怖なんて感じないで、この人と一緒に何かやりたいという気持ちになるはず」
この会話の時、私もこうして数年前まで周りに恐怖をばら撒いていたんだな、と自覚しました。以前の自分のような人が、自分のやってきたことを見せてくれたのだと思いました、こういう出来事のことを、自分を試されるという意味で「お試し」と呼んでいるのですが、今回はこのお試しに、振り回されてしまった自分がいたようでした。
後戻りのないように、日々奢らず生活していこうとつよく感じました。

話しながら涙が止まらず、顔がグショグショになりました。

後半の瞑想を体験しながら、ああやっぱり、経験したことや感じたことは書いてみよう、とふと思えました。
私の日々の経験はプライスレスで、この経験を言葉に残した方がいいと、やっと思えたのです。
文章は書くほどに表現できず難しく、自分のことばかり書くようで抵抗感を持つようになってしまったのですが、経験談や感じたことだけを背伸びしないで書くことは大事なことかもしれないとふと思ったのです。

変わっていく身の回りのことを残すことは、一緒に過ごしてくれた方々への感謝の言葉になるのかも知れない、
私が受けた福祉制度や社会の仕組みからの恩恵と、課題の記録になるのかもしれない、
ある日は問題提起になるのかも知れない、
傲慢のようでもありますが、書くことに対しての意義をそのように感じ、ようやく書いてみようと思えたのでした。
いつまでこの気持ちが続くか自分でも不明ですが、努力していこうと思います。

2時間半のひとときの時間で、こんなに気持ちが変わることも発見でした。
いい時間を過ごさせていただいたことに感謝いたします。


新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...