先日、月一回のペースでお世話になっているヒーリングサロン medicinewheelで、個人セッションを受けてまいりました。
今回は、行く前から、「自分の心をどうにかしないと」という気持ちがありました。
ある出来事をきっかけにして、心が大きく揺れていたのです。
ここ一年ぐらいは、体を痛めたり波はありましたが、それほど大きく心が揺らいだことはなかったように思います。いつもその日できることを粛々とやって、気持ちはネガティブになる日があっても、前を向いてきたと思います。
ここ何日かはそれができず、不安に苛まれてしまったのです。
そこに向き合う時間となりました。
整理できたことは、次のことでした。
●物事はなんであっても現状維持とはいかないし、有限であるということ。
私は今、生活全般に不満はなく、自分のやりたいことをできている状態だと思います。ただ、その状態が崩れることを極端に恐れ、怖がっている気がしています。
物事はいつも形を変えていくし、予期しないことは起こるし、それを避けることはできないということを、頭のどこかではわかっているのに、受け入れていない気がしました。
自分の生活の根幹の部分でさえ、その環境が形を変えていくことがあるということを、フラットに捉えていった方がいいんだと今更ながら気づきました。
変わっていくのは当然のこと、怖がるのではなく、変化を体験していくのだと思いました。
●自分に、いい意味でのプライドを持つということ。
私が生きてきたことに誇りを持って生きること。私は正直に言うならば、自分の過去生に圧倒されていたように思います。何か、今の自分とつながってしまって、自分の存在さえ信用できなくなっていたように思います。
「プライドは大事」とアドバイスをいただいた時、いい意味のプライドを大事にするとはどういうことだろうと、考え始めました。
●その場に置かれた当事者として、権利を守るということ
人としてその人生を生きる時、自分の生きる権利を守ることは大事なことだということを、改めて言っていただきました。
ただ、どのようにしたらいいのか、まだ迷っています。
考えるヒントとして、
・ 第二次世界大戦中のドイツのように、ユダヤ人に対して国家が迫害を決めた時、そこに住むユダヤ人ならばどうするか。
・ では他国の人、例えばアメリカ人だったらそのことをどう感じるか。
・ 私が抱えている問題、障がいがある立場の問題もそのことにすこし似ているのではないか。
ではどのように考え、行動していくのか、考えていく必要があります。
●自分一人の視点から物事を考えるのではなく、自分と似たような経験をしている100人
の人たちのことを思い、自分に何ができるか考えること。
自分一人の問題として考えるのではなく、自分と同じような障がい(同レベルの体の動き等)のある人たちに焦点を当てて、その人たちに何ができるのかを、自分の体を通して得た経験から考えていく。
自分より障がいの軽い人の辛さや気持ち、重い人の辛さや気持ちは、実際には体験していないから推測しかできない(障がいあればみんな同じ辛さや気持ちを感じるるわけではないから)けれど、自分と似たような人たちのことならば自分を通して体験しているから体験談を話すことができる。(同じように感じることはないということも含めて)
●愛のない言葉には恐怖を感じるだけだということ
今回私が一番ダメージを受けていたのこの部分でした。ある人のある文章の一部分の言葉が、心に刺さってしまったのでした。
結局その言葉は、自分が大変になるからみんなどうにかしてくれ、という、自分の恐怖に焦点を置いただけの言葉だったようです。
そのことは私も理解していたのですが、読んだ途端ものすごく自分が何もしてこなかったような気持ちになり、はやる気持ちが抑えられなくなり、未来への不安が生まれました。
どうにもできなくなった時、少し、不安と悲しい気持ちを、泣くことで解消しました。
感情を表に出したときに、浮かんできた疑問は、「私の今までの行いは間違っていたのだろうか」というものでした。
ここ十年強、私は私なりに自分と向き合う人生を送ってきました。拙いながらも、そこでは自分なりの努力は惜しまなかったつもりでした。
なので、精一杯だった、という結論になり、そう思えたとき、いくぶん気持ちが和らいだのでした。
この経験を考えていたときに、「愛のない行為は恐怖だけ」と教えていただきました。
「愛があれば、その言葉からは恐怖なんて感じないで、この人と一緒に何かやりたいという気持ちになるはず」
この会話の時、私もこうして数年前まで周りに恐怖をばら撒いていたんだな、と自覚しました。以前の自分のような人が、自分のやってきたことを見せてくれたのだと思いました、こういう出来事のことを、自分を試されるという意味で「お試し」と呼んでいるのですが、今回はこのお試しに、振り回されてしまった自分がいたようでした。
後戻りのないように、日々奢らず生活していこうとつよく感じました。
話しながら涙が止まらず、顔がグショグショになりました。
後半の瞑想を体験しながら、ああやっぱり、経験したことや感じたことは書いてみよう、とふと思えました。
私の日々の経験はプライスレスで、この経験を言葉に残した方がいいと、やっと思えたのです。
文章は書くほどに表現できず難しく、自分のことばかり書くようで抵抗感を持つようになってしまったのですが、経験談や感じたことだけを背伸びしないで書くことは大事なことかもしれないとふと思ったのです。
変わっていく身の回りのことを残すことは、一緒に過ごしてくれた方々への感謝の言葉になるのかも知れない、
私が受けた福祉制度や社会の仕組みからの恩恵と、課題の記録になるのかもしれない、
ある日は問題提起になるのかも知れない、
傲慢のようでもありますが、書くことに対しての意義をそのように感じ、ようやく書いてみようと思えたのでした。
いつまでこの気持ちが続くか自分でも不明ですが、努力していこうと思います。
2時間半のひとときの時間で、こんなに気持ちが変わることも発見でした。
いい時間を過ごさせていただいたことに感謝いたします。