2017年12月31日日曜日

今年最後に

さっきまで一緒にいてくださった方と、今年はどんな年だったか語り合いました。
皆様にとって、今年はどんな年でしたか。

私にとって今年は、

 1月 元旦から人間関係でトラブり、反省月になりました。

 2月 今の私に何ができるのか、真剣に考えました

 3月 介助体制を(わたしにとって)大きく変えることになりました。

4月 人は、うまく自分を隠すということを改めて知りました。自分だけができなかったという思い込みから抜けることができました。

5月 レ・ミゼラブルに改めて感動しました。尊敬している文化人の方との別れがありました。

6月 骨折をしたことで、総合病院とワタリがつきました。24時間対応のリフトタクシーもようやく活用できました。

7月 本や漫画に読み耽りました。鋼の錬金術師は、本編も4コマもカバーを取った表紙も面白かったです。ツタヤはカバーがついてないのでかえってそれが良かった。

8月 板橋プロレス初観覧。来年はもっと見たいな。

9月 映画ざんまい。

10月 友人、知人の体験に共感し、疑似体験をもらうような時間がありました。

11月 やっと私の人生のスタートラインに立てたように思いました

12月 考え抜いて失敗しながら行動しました。人のために感情が湧くということはこういうことなのかと感じました。

一年間、できることはやって見たけれど、果たして、どうだったか、結果を求めてしまいがちな私は、結果の出ない一年間を根気強く過ごしたという印象でした。
でもいま心は穏やかで、去年の今頃よりも整理整頓がされたという感触があります。

今年も本当にお世話になりました。
このブログを読んでくださっていた方々、ありがとうございました。

来年はもう少しかけると良いなあと思っております。

良いお年をお迎え下さい。


2017年12月28日木曜日

友人との対話から

今年は12月になっても掃除する気にもならず、歯医者さんの定期検診もサボり、なんだか格好のつかない師走を過ごしています。
それでも換気扇や玄関周り、エアコンは掃除していただきました。やる気のないわたしをいつも支えてくださり、介助の方々、ありがとうございます。

年末にお別れになる方もいて、共通の友人と先日小さなうちのみをしました。

やりたいことがあるのなら、それはやったほうがいいよ、

友人は、介助職を離れていく彼女の気持ちを聞きながら、そう繰り返し言いました。

やりたい仕事があるなら、やったほうがいいし。


わたしはこんな時でも自分のことを考えて、つぶやいてしまいました。

「わたしは50年かけて、自分にできる仕事はないということがわかったよ」

友人は、え、君はもう50なの、とちょっと違う方向に会話を返しながら、

君の場合は、それでいいんだと思う、と。

その時ふと、10代から20代の時にやっていた文房具屋さんのことを思い出しました。
あのままずっとあの街にいたら、わたしはどんな50代を迎えていたのでしょう。
ちょっと今考えると、ぞっとしたりします。なぜなら、何も知らなかったし、感じていなかったから。

あの頃のわたしは、小さな針の穴から世界を見るような感じで世界を見て、家族を見て、いつも悲しく、怒っていました。
あのまま誰とも深い話をする機会がなければ、今よりもどうしようなくイタイ人になっていたかも知れません。

やっぱり、心に無理をしても、家族に迷惑をかけても、一人で暮らして良かったのかも知れません。
少しは、物事を知ることができたし、いい出会いも味わえたから。

お仕事もできることはやってきたつもりだけれど、わたしがそのまま持っているものを提供できる仕事はなかった気がします。

お仕事には出会えなかったけれど、経済を除けば、できることはたくさんあったように思います。
まだ全てを見つけられていないようには思うけれども。

あとどのぐらい、見つけられるか、楽しみですね、人生の後半戦。

お世話になったスクールが終わって

「人生も、いつか同じように突然終わるの。そのとき人は、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったと思うのよ。人生と同じ。何もかもが突然終わるものよ」
平均月に2回ペース、(わたしは月1ペース)でずっと通い続けてきた、「スクール」が先日最後の日を迎えました。最初の言葉は、恩師がその日に話してくれたものです。


思えば、初めてヒーリングを受けてから、約10年お世話になった場所であり、様々なことを教えていただいた年月でした。

終わると決まったときから、その時間がもうなくなるのだと思うととてももったいなくて、なんとも言えない寂しさに幾度も襲われました。

ちょうどタイムリーにテレビで「トットちゃん」という、黒柳徹子さんの半生を表したドラマが始まり、その主題歌「トモエ学園」という歌を覚えました。
わたしの心境に似ていたみたいで、歌うたびに泣けてしまいます。

せんせい ともだち
わたしの心 育ててくれたの
学び舎の日々 ありがとう
         ーーー福山雅治「トモエ学園」より抜粋

小学校は6年で終わるし、カルチャースクールは期間が決まっていたりします。
一般の習い事はどのような感じなのでしょう。

ここは、師弟関係のある習い事のようなところでもあり、塾のような勉強の場でもありました。いつも自分の心が試され、ドキドキする場でもありました。

わたしはここで、蚊帳の中に居られる感覚(阻害されず、人としてのあり方がいつも求められる感覚。蚊帳の外ではない感覚)を味わい、自分の居場所を作ることの意味を教わりました。
誰かが整えてくれて初めていごこちのいい場としてわたしが居られるという発想を抜けて、自分も誰かを思い、場を整える一員になる大切さを学びました。
これはまだわたしは何もできて居ませんが、わたしの人生では初めての経験だったように思います。

なくなることが決まって、こんなに寂しくなるとは思いませんでした。

そして、最終日前の一週間は、まるで今まで習ったことを集結させなければいけないほどに、心に残る出来事がいくつか起きました。
あくまで個人的な出来事でしたが。

その中で一番印象的だったのは、「ああ、こういう行動だったから今までの過去生が失敗の連続だったんだ」
とわかったことです。

わたしは思い立つとすぐに動きたくなってしまいます。そして起こした行動は、たいていが自分本位なので、周りには何がしたかったのか伝わりません。
わたしはこの連続でいつも癇癪を起こし、理解されないことに情念を爆発させてしまった居たようです。

今回、あることを行ったときに、考えて行動したつもりでした。でもそれは全く伝わらず、思っていなかった方向に行きました。
ああ、こんな風に物事は伝わらないものなんだと思い、なんとも言えない悲しみを感じました。(怒りではなく悲しみでした)
ある人が、わたしの行動についてどう思ったか教えてくれました。

その方が感じたように、わたしには人をコントロールしようとする癖があり、今回も少しその癖が出たようで、そのような思いを感じたそうなのです。

そうだったのか、と、教えてくれた人の話を聞きながら思いました。
わたしは、こうして意見をしてくれる人の声が聞けなかったのです。いつも独りよがりの正義を語り、いつも一人でした。そしてそれはかんしゃくに結びついていました。

今回の人生では、わたしが話を聞こうとさえすれば、教えてくださる人たちとたくさん出会っています。わたしに聞く耳さえあれば、物事は少しずつ理解できるかも知れない、そう思いました。

物事を伝えられない現実は、まちがいなくわたしの現実です。今回の人生では、それを修正する出来事をたくさんもらっている気がします。一つ一つのことに過度に落ち込まないで、わたしなりに受け入れていけばいいのです。


もう一つ大事なことは、わたしも世界の構成の一部分であるということ。
大げさなようだけれども、わたしには、わたし一人分だけの責任が、どこに行ってもあるのだということです。
だからいつも、わたしとして生きていくことに、ベストを尽くすことが必要ということです。
障害を持ち、様々な素質を持つわたしが、一人分の責任を持って社会にわたしらしさを表現していくこと。これがとても大事なことなのだということを、実感できたのでした。

人生は突然終わる、別れはいつも突然で、そのことにはわたしは抗えません。でも、ベストをいつも尽くそうと思えば、後悔は減るのかも取れません。

スクールにいさせてくださって、本当にありがとうございました。
そして今も、人生のお試しのようなドキドキする出来事は、続いているのです。




2017年12月11日月曜日

好きな歌詞 ーートモエ学園ーー

福山さんの歌は、好きな歌もあるけれど、あまりハマらないのですが、この歌はとても好きです。

「窓際のトットちゃん」の本も好きだったけれど、トットちゃんの世界を別にしても、とても心にしみる詩です。
子供目線が少し入るから、優しくわかりやすい詩になっています。

いい先生や、友人のことを忘れずに、生きてきたんだなあ、出会いを大切にしてきたんだなあ、ということがにじみ出るように伝わって来るのです。

出会いを大切に生きるって、素敵なことなのですね、福山さん。
私も、いい師との出会いがありました。大切にしたいと思います。
全てに感謝をして。

歌詞の内容は下記のリンクを開けてください。
トモエ学園

2017年12月4日月曜日

明け方の夢

なんだかわからないけれど、突然ある男性から、逢わないか、と言われました。なんでこんなかっこいい人が私なんかに会いたいのだろうと、少しウキウキしていると、しばらくしてから見知らぬイケメンの(というか好みの)男性から、同じ時間にデートの申し込み。
こんなことってあるの??と思いながら、同じ時間なのにオーケーしてしまって、はたと考えました。
どちらか断らなくてはいけない!!!

思わず約束してしまったけれど、やっぱり約束した順番よね…なんて考えていたら目が覚めてしまいました。

しばらく、ああ約束どうしよう、などと寝ぼけていました。

それで、この夢は何を言いたかったのか。多分、どんなに魅力的なものがあったとしても、優先順位を忘れるな、という警告だったと思います。

わかりにくい、夢でした!!
 なぜあんなに超好みの人を登場させたのでしょう。謎です。

2017年11月22日水曜日

10年目のスタートライン

普段自分でも忘れていますが、このブログは遠隔ヒーリングのサロンのブログを兼ねています。
書くことのほとんどは私的な出来事が多く、お仕事用の文章はあまりかけていないのが現実ではあります。

遠隔ヒーリングのサロンをホームページ上で始めた理由は、レイキヒーリング等ヒーリングエネルギーを扱えるようになったときに、アチューメント(エネルギーを扱えるようにしてもらうこと)をしてくれた師に勧められたことがきっかけです。

師と書かせてもらう理由は、師の主催する学校の生徒だからです。私塾のようなもので、約10年お世話になっています。

そのスクールは、人間として日々生きて行くための力を育てて行く視点が大きいところで、自分の弱い部分、苦手なところ、向き合いたくないところをみて行く場所でした。
自分だけでなく、生徒同士もその視点で支え合うことを学びます。


利己的な私はほんとうに、いい生徒ではなく、失敗ばかりの十年間でした。

10年目に、ようやく気付いたこと、それは、成長、という意味です。

私にとって成長とは、受け取った情報を自分の言葉に置き換えて表現し、自分の中に消化する繰り返しの中で得ていけるもののようです。
私はまだ、見たもの聞いたものをその場で自分の中に落とし込めるほどの力量が育っていないみたいです。
だから書くことが必要で、書かなくてはわからないということです。

私はいつも、書くということを自分の気持ちを人にわかってもらうことにばかり使って生きてきました。そして、情報や価値観を外にばかり求めてきました。

使い方が違ったのです。

いつも助言を受けていましたが、こんな風に自分で理解するまで10年かかってしまいました。
ようやく、まるで初心者のように、スタートラインに立てたのです。

むだな時間はもう少しもありません。物事を理解したら、進むしかないのです。

支えてくださった師に、スクールに、生活に関わってくださっている多くの皆様に感謝しています。


2017年11月18日土曜日

生きる意味

10代の頃、生活していた肢体不自由児施設で、年上の友人から勧められて詩を書き始めました。

その時から詩を通して、生きるということを文字にあらわし始めました。

それはそれは拙くて、詩と言えるものでは世間的には言えない、未熟な作品しか今でも書けないけれど、
詩は自分をあらわしていく手段でもありました。

新聞など、投稿欄に出し続けた時期もありました。
背伸びをしたり、知ったかぶりをした作品は、必ず、作品としてはボツになりました。

生きるということを詩に求めないで歩き始めたのは、30歳を過ぎた頃です。
仕事を通して、自分の表現をする場所が増えて、伝えることで返ってくる責任も、少し感じるようになりました。

詩だけでなく、書くことが怖くなってきたのは、40代後半になってから。
自分はものを知らないということに、うっすらと気づき始めました。

詩の中ではなんでも書けたけれど、果たして自分はどれほどの経験をしたのだろうか、
そもそも私にできる経験とはなんなのだろうか、

最近、そんなそこはかとない悩みに一つの答えが見つかりました。

私の生きる意味とは、
自分の弱さや、物わかりの悪さ、ともすると暗く考えがちな癖を自覚して、
視野を自分以外の世界に広げて考えようと努力するところにあるのではないかということ。
それが自分に対する、自分が与えられるギフトではないかということです。

誰かに認められたいとか、何かができる自分でいたいとか、いい人間に見られたいとか、
そう言った思いを先に持ってしまう人間であることを自覚して、
何も身についていない現実を受け入れて、
少しでもいい思考のできる人になろうとすることです。

人一倍努力をしても、理解力が本当に遅いことも、私の特徴なのだと。そこをバネにして少しずつでも成長しようと諦めないことが、一番大事なこと。

たどり着いた私の生きる意味。
大切にして生きていきたいと思います。
いつか、大好きな人たちの、力になれる人間になれるように。



2017年11月5日日曜日

君たちはどう生きるかーー吉野源三郎の世界ーー

多分、まだ実家で暮らしていた20代の頃、ラジオの「本の朗読」で、この本をところどころ聞いていたように思います。

吉野源三郎氏の「君たちはどう生きるか」。児童文学ですが、今この本を漫画化したものがよく売れているそうです。
「世界一受けたい授業」というテレビ番組の受け売りですが。

図書館で借りて、今日は少し時間があったので、半分まで読んでみました。
ラジオで聞いていた時は、聞かなかった部分もあったように思ったのです。
積極的に読もうともしなかったように思います。

この人を、私が目指す人生の見本の一人にしたいなあと、今は思います。
編集者であり、言論の不自由な時代に、自分も逮捕されながらも、児童文学にその表現方法を変えて書物を残した人です。

心に残る言葉や考え方がたくさんありました。

例えば、

「もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれがりっぱなこととして通っているからといって、ただそれだけで、言われた通りに行動し、教えられた通りに生きていこうとするならば、ーーコペルくん、いいか、それじゃあ、君はいつまでたっても、一人前の人間にはなれないんだ。子どものうちはそれでいい。しかし、もう君の年になると、それだけじゃあだめなんだ。肝心なことは、世間の目よりもなによりも、君自身がまず、人間の立派さがどこらにあるか、それを本当に君のたましいで知ることだ。そうして、心の底から、りっぱな人間になりたいという気持ちを起こすことだ。いいことをいいことだとし、悪いことを悪いことだとし、一つ一つ判断をしていくときにも、また、君がいいと判断したことをやってくときにも、いつでも、君の胸からわき出てくる、いきいきとした感情につらぬかれていなくてはいけない。北見君の口ぐせじゃあないが、だれがなんていったってーーというくらいな、心の張りがなければならないんだ」
                【吉野源三郎 君たちはどう生きるか ポプラ社】

すごくわかりやすい表現で書いてありますが、このことを私がようやく分かって言ったのはつい最近のことで、このような意味のものは、今学んでいる「霊的真理」の習い始めの時に、師から念入りに言われたことと共通することでした。

ものの心理というものは、表現や切り込み方の違いあっても、ねっこは同じなのだと、そのことも感じています。

物事を心で理解するということは本当に私にとって難しく、とても時間のかかることです。
自分の意思を持って生きていくというのは、知識を得て物知りになるのではなく、正しいか間違っているかという物差しを探すことでもなく、自分の中に生きていく価値を見出すことなんだと思います。そして自分で、生きる目的にたどり着くことなのではないかと思います。
それを少し理解できるようになったのが、本当にここ最近のことでした。

この本は、もうとっくに子どもの年ではなくなった私にとって、今だから理解できる本なのかも知れません。多分もっと早い時期に読んでいても、「そうだそうだ、わたしはわかっている、こんなことわかっている」と思い、深く考えることもなくスルーしていたかも知れません。
そして、子どもの本だからと、分かった気になっていたかも知れないのです。

それから、今読んで思ったことは、主人公の気持ちで読むのではなく、おじさんの側に立って読んでいたということでした。
もし、私だったら、若い人たちからコペル君のような疑問を投げかけられた時、どう答えるのか、私は今どのような大人なのか、そんなことで頭の片方をいっぱいにしながら、読み進んでいる自分がいます。

この本の一つ一つの言葉が身にしみるので、古本を探して手元に置こうと思っています。

2017年11月4日土曜日

井戸の中から

どうも私は、自分の中に想像しなかったことを、何の脈絡もなく聞かれると、気持ちが揺らぎます。

何故なんだろう、と、少し考えてみました。

心の揺らぎというのは、心地悪さということ。

例えば、
「○○のイベントは行くんですか?」
「インフルエンザの予防接種は打ったんですか?」

このような何気ない会話に、心が過剰に反応する時があるのです。

相手の方は、何気なく聞いていたりするのに、

「いかないことを責められている」
「まだ打っていないことを責められている」

と感じてしまう自分が、確実にいます。

なぜなのでしょう。

もしかしたら、イベントに行かないと決めている自分自身を、心の中で責めているのかもしれません。
予防接種にまだ行こうとしない自分を、怠けてると思っている心が隠れているのかもしれません。

その部分が過剰に反応してしまって、ものすごい勢いで言い訳を始めたり、責められた気分になって嫌な気分になってしまったり。

そんなような話題をふってくれた相手の方に、何故突然その話題なのでしょう、と、ある日伺ってみました。
そんなこと、あまり聞かないのでしょうが、私はあまり空気が読めていないので(汗)

そうしたら、その方もとても気にしていたことなのですって。

ああ、そうですね。私も、気になったことは、すぐ口に出ます。
私もこうやって、目の前の人と、話をしていたように思います。

突然、何の脈絡もなく、私の場合はきっと、独り言のように、しゃべっていたかも知れません。そういう時って、話しかけられた人は、戸惑ったでしょうね。

今、私が時々戸惑うようなことを、私も人に対して、知らず知らずにやってきたんだなと思いました。

そして、その時々で、私に話しかけられたみなさんは、根気よく話を合わせてくれたり、話を興味深く聞いてくれたり、そこから話題を広げてくれたりしました。

私も自分の悪い癖を心で発動することをやめて、聞く耳を持つことが必要ですね。

責められた気になってしまうのは、自分の心の反応に気持ちがいってしまうということなのかも知れません。

自分の思惑通りのこともあるかも知れないけれど、だからどうだというのでしょう。
何でもないことです。
人にどう思われても、いいんです。行動していないことを仮に責められたとしても。
それに対して、私が過度にネガティブになる必要はありません。

それよりも、私がやらなければいけないことは、聞く耳をもち、会話を楽しみ、そこから世界を過去し広げて考えること。そこなんだと思います。

毎日少しずつ、井の中から出る努力をするということですね、きっと。

2017年11月3日金曜日

オイルトラップ

今日、ある方とオイルトラップの話になり、いろいろ教えてもらいました。
飲食店などで設置義務となっているオイルトラップ。私は今日までこの言葉さえ知りませんでした。
オイルトラップとは、下水道に油等が流れていかないために作られた設備。
家庭では、そんなに油を流すことはないだろうという前提で、設備をする義務はありません。

でもできれば極力流さないほうがいいのは確かなことで。
つい、自分から、「油を拭き取ってください」と言わないままに、洗い物をお任せしてしまっていました。反省。

水といえば、ちょうど下水の話で盛り上がっていた時間に、ニュースで、多摩川の水温が数度上がっているということが報道されていました。
原因は、家庭等で使われている温水や、お風呂の水。そうした生活用水を処理して川に戻す時、どうしても水温が上がったまま戻すことになってしまうんだということでした。
水温が上がることで、川にすむ生物にも影響が出ているとのこと。

教えてくれた人も、働くまでは知らないことだったけれど、本当に水温高いんだと実感したそうです。

みんなで生活しているって、いろんなところに本当に影響を残しながら成り立っていることなんですね。例えば年末は大掃除する家庭が多くなりますが、塩素系の洗剤を流す率も増えてしまって、やはりそれも影響が出るそうです。

うーん、そうか…。

家庭用のオイルトラップ、どこかにあるのでしょうか。

とりあえずできることを(汗)。

2017年10月27日金曜日

「父と暮らせば」ニューヨーク公演実現に向かって

以前、このブログでも紹介した、舞台「父と暮らせば」。
井上ひさし原作の、広島のお話です。

以前の記事は
https://miwa-littleelephant.blogspot.jp/search?q=父と暮らせば


この舞台を、ニューヨークで公演しよう、という夢に邁進している方がいます。
ヒロインみつえ役を演じる、平野綾子さんです。

この舞台は、原子爆弾が落ちた後の広島で、心に深くきずを残しながら、父との交流の中で強く生きようとする、ある女性の物語です。
この舞台が、アメリカの地で開催されることは、より多くの人の心に残ることになると思います。そして、平和は一人一人が作らなければならないという気持ちが、深く伝わっていくことになる思うのです。。

平野さんの夢を、私も心から応援しています。
まずはその一歩を踏み出します。
ぜひ応援してくださったら、嬉しいです!!。
「父と暮せば」NY公演第一歩!プロモーション動画を作成したい!

2017年10月11日水曜日

全は一、一は全

先日、知人に尋ねられて、そういうこともあったかなあということがありました。
銀座の歩行者天国のおはなしです。
数年前、ストリートパフォーマンスをそこでみたという話を、知人に私はしたらしく。
覚えていないのです、悲しいことに。

書きたいことは、忘れっぽくなったということではなくて、
歩行者天国が一時期、なくなったということです。

原因は、マナーの問題とか、
その時期に起こった事件もありました。

誰かの行い一つで、物事が行われなくなることを、知人はとても残念がっていました。
ストリートパフォーマンスを、みたかったようでした。
今は、どうなんでしょうか、歩行者天国は、確か復活しているように思いましたが。

一人の人の行いで、社会のあり方や認識が変わってしまうということは、とても身近なことでした。

私は電動車いすユーザーになってもう30年以上になりますが、
すごく運転について、気を配ってきたと、自分では思っています。
誰かに当たらないように、お店で商品を傷つけないように、
それでも何か起こしてしまった時のために、保険など準備してきました。

だから、事故やトラブルなどのことがニュースにあがると、なんとも言えない気持ちになったものです。
ひとりの人の行動が、社会の認識を変えてしまうのに、と。

ここまで、そうか、と思ったことがあります。
障害も何も、関係なく、
世の中は一人一人が確実に関わって作られていて、
一人の人の影響力が、時に大きく社会に影響するのだと。

良いことも、悪いことも、
小さなたわいないことと思われるものであっても、

確実に社会に影響するし、自分にはそのぶんの責任があるのだと。

だから、自分をより深く理解し、今の自分が社会に表せるもののことや、
それが長い目で見て、本当に自分の望むものなのかを知っておいた方がいい、
そういうことなんだなと、思いました。

一人が世界に関わる、世界は一人一人が作っている、
自分は今、ここに何が残せるのか、何を表しておきたいのか。
自分ののこしたものが社会に影響を与えるということを気づいた時、
一人の人間の責任の重さを感じたのです。

全ての出来事は人ごとではなく、自分の世界の中に引き入れて考えていくということ。
ものごとを繋げて考えていくために、私はもっと学ばなくてはダメですね、

2017年9月27日水曜日

ナミヤ雑貨店の奇蹟

どうしても観たくて、行ってきました。少し遊び過ぎ(^o^)
東野圭吾さん原作の映画。

やっぱり、こういう映画は大好き。泣けました。
人が人のことを思って行動する姿って、なんて哀しくて美しくて、心に残るんだろう。
誰かを胸に思いながら強く生きるって、なんて素敵なんだろう、そう思います。

この映画を観終わった後、ふと、自分は何者になりたかったのかなあと、考えました。
少し前までは、人並みに生きたくて、それを誰かに認めてもらいたくて、追い求めていたけれども、
その夢から覚めて、何も身につけてこなかった自分を思うと、
ああ、何者になりたかったのかなあって、考えました。

人の悲しみを、少しは察せられるようになったか。
人に痛みを与えてしまう側から、卒業できているか。
少しは物事を理解できるようになったのか。
何も知らなかったということを受け入れることはできたのか。

山下達郎さんのエンデングの歌を聴きながら、そんな思いにかられました。

私の50年は、なんだったんだろう。何者かになるために生きてきたのだろうか。
いいえ、自分の心に精一杯で、まだ何者にもなれてない自分を見つけてしまった気分なのだと思います。

それでも、まだ人生は続くのだから、諦めてはいけないね。
何者かになるために、死ぬまで諦めないで行こう。

「ヤコブへの手紙」という映画をふと思い出しました。


2017年9月21日木曜日

三度目の殺人

是枝監督作品の最新作。福山雅治と広瀬すず、役所広司出演の映画です。

私の理解力では追いつかなくて、見終わった後に混乱を残しました。
でも、何があっていて間違っているか、誰が犯人かとかそういうことではなくて、人は何を見て真実を生きるのか、見るということはどういうことなのか、本当のことはどこにあるのか、それを問う映画でした。

いつも答えを求めてしまう私には、疲れたけれど深く印象に残りました。

人が人を無視しないで、真実に生きるとは、規範やセオリーではなくて、心をどこに向けて生きるのかということを考えました。

役所広司さん、すごかった、もう一度見たら、混乱が治るかしら。
でもネット検索して、混乱していた頭の中を解説で整理してしまったので、自分でたどり着けばよかったかなあと少し思っています。

謎はまだ残っていますが。それはゆっくり考えます、

見終わった後、昔の映画、グリーンマイルが頭をよぎりました。


2017年9月18日月曜日

世界を広げる

幾山河という本の感想を前回書きましたが、この本を読み終わったあと、チャクラヒーリングを受けてきました。
毎回お世話になっているのは、Medicine Whell です。

チャクラヒーリングは今回で数回目。上記のサロンが主催しているスクールの中でも教えていただいたので、4回目ぐらいになるでしょうか。

1回目と二回目は、自分が過去生で残してしまった出来事を見るだけで精一杯で、どう受け入れていいかわからず、混迷しました。

3回目は、ようやく積極的に過去のことを掘り出したように思いました。そしてそこに学びがあることを実感しました。

今回は少し違います。相変わらず受け入れがたい事実ばかりですが、本当は周りの環境は学べるものが整っていた、とか、
自分がその人生の時に謙虚に現実を受け入れていれば、修正するチャンスがあったとか、
少し冷静に物事を感じているように思います。

今回は今回で、自分の課題はあり、本当に自分には人を愛することができなかったなあと、心が痛く、向き合うのは難しいです。一人では本当にできないことだと、恩師には本当に感謝です。

学べる場があることに、教えてくれる方に感謝の気持ちを忘れずに、今回も向き合っていきたいと思っています。

幾山河

瀬島隆三氏の回想録、「幾山河」を読んで、
第二次対戦前の日本は、世界から孤立していたんだなあと、改めて思いました。
どうにもできない身に迫る思いを感じて、なんとも言えない気持ちになりました。

孤立するって、怖いなあと。
どうにもできないって、追い詰められるなあと。

周りがきちんと見えなくなっていることを、振り返って、こうして記録に残す精神は、心に残りました。
冷静に全体を捉えることは、大切なことだと思いました。

ただ、この時代の日本は、どこかの国に似ているところがあるようにも思いました。
やはり、今世界で起こっていることは、ひとつも人ごとではないのだと思いました。

自分のそばに引き寄せて、自分の世界感で物事を見えるようにならないと、今生きている社会の中で、一人テレビ画面を見ているような感覚に陥ってしまいそう。

それはあまりにも悲しいから、自分の世界観を改めてみようと思いました。

戦争も、テロも、災害も、どこかで起こっていることではなくて、私が住んでいる世界で起こっていること。

私がそこにいたら、どうするのだろう。どうすればいいのだろう。
そこから考えていこうと、改めて。

2017年9月4日月曜日

幼な子、われらに生まれ

重松清氏原作の映画、観てきました。
8月26日公開なのに、近くの映画館はもう、1日一回しかやっていないなんて、予想外。早く行かないと公開が終わっちゃうと思って、行っちゃいました。

登場人物は、離婚した奥さんのところに娘が一人いる主人公と、暴力的な夫と離婚した、二人の娘がいる女性がけっけんしてから数年経って、双方の長女が小学6年生になった時(主人公が再婚して数年経った時)、奥さんが妊娠します。

静かで激しく、デリケートで情の深い映画だったと思います。
重松さんの小説、映画を見てから読もうと思っていました。
また、感じ方がきっと違う。そう思います。

子供たちの、感受性の表現と、主人公の向き合い方が、染み込むように伝わってくるものでした。
「誰も私の気持ちを聞いてくれなかった、なぜそうしたの、と理由はたくさん聞いてくるけれど、どんな気持ちだったかなんて、誰も聞いてくれなかった」
このセリフに、ハッとしました。

人の心の動きが痛くて、苦しくて、愛おしく感じました。

後から思い起こすと何度でもセリフが思い浮かんだりします。

小説を読んだらまた付け足します。


2017年9月3日日曜日

違い

障害者福祉の自立支援と介護保険の考え方の違いが、これかも知れないと感じたことがありました。

知人に介護福祉士試験問題の一部を見せてもらった時です。

その例題には、介護認定3、身障手帳3級と診断された男性が、高齢の両親を助けるために、どんなサービスを選択できるかというものでしたが、

問題に違和感を感じ、私は答えられなかったのです。
もちろん、勉強していないし、最近制度から遠ざかっているので、知識不足で疎かったということもありますが、

違和感は、家事援助や身体介護の選択肢がない、ということでした。

つまり、高齢の両親を助ける方法は、一時的に別に暮らす「短期入所」で、
日常のケアは両親に任せるという視点に感じました。

私が感じた違和感は、本人が両親を日常的に助けるという視点がないことでした。
「自分のパンツは自分で洗う(実際にはヘルパーさんもしくは介助の方に頼むのですが)、または両親の負担を少しでも本人目線から軽減する方法を考える」という視点です。

そうなんだ、自分のやりたいことをやるということの前提が違うんだと思いました。

人に助けてもらうことで一人暮らしをしてきた私の生活ですが、家事、身の回りのことをまず支えてもらうという前提があったことを、この問題で再認識したのです。
ただやりたいことをやりたいわけではなく、心地よさを求めるだけでなく、自分で生活しているという実感を持ちたいから、一人暮らしを始めたんだなあと思いました。

実際、生活は自己管理する部分が多くを占めていると思うし、その部分を私は家族でなく、福祉制度に託しているんだと思います。

自分で自分の生活を管理して行く視点は、一人暮らしを始めた時にお世話になった、埼玉の障害者団体からたたき込まれました。
出発点がその団体から始まって、よかったなあと今は感謝しています。

自立生活センター以外の事業所などの経験者の方と、私はどうもいい関係が作れません。その原因が、わかったように思いました。
どうすればよりよい関係が作れるのか、考えてみようと思います。

2017年8月29日火曜日

いい方法なんて一個もない

今日学んだことは、いい方法なんて一個もないということ、人生は正解探しではないということ。
やりきれない気持ち悪さと罪悪感を、感じて眠ろうと思い。

2017年8月27日日曜日

大山のふるさと祭り

昨日と今日は大山ハッピーロードのお祭り。
友人とのんびり、席を取って飲み会しました。

舞台ではジャズの生演奏とか、演歌歌手の方とか、商店街公認アイドルの歌、プロバスケットボールの方の企画など盛りだくさん。
雨も降らず、雷もならず、少し暑いのが曲者だったけれど、いい時間でした。
夕方には板橋プロレスもあり、舞台はリングになって、本当に楽しかった。

友人たちは、楽しんでくれたかしら。
誘ったのは私なのに、おもてなしはあまりできませんでした。

でも、誰かと一緒に過ごせるって、幸せなことなんだなあと、今日はただそれだけを味わい続けた1日でした。
友人があるって、ありがたい。そして、付き合ってくれる介助の方がいるということも。

でも一年分ぐらい陽にあたりました。皆さん疲れが取れるといいけれど。
私はといえば、まったく疲れていません。これもまた不思議。

しかし、板橋はいつも元気だなあ。イベントを行くたびに感じます。

2017年8月13日日曜日

今朝の夢

久しぶりに夢を見ました。あまりきれいな夢ではなくて、あしからず。

出かけ先で、トイレに行きたくなったので、電気屋さんのようなイベント会場のような建物に入りました。中はとても広くて活気がありました。
昔の車椅子用トイレがあったので、使わせてもらおうと思ったら、手すりの位置もめちゃくちゃで、仕切りのような板が便座の上に貼ってあったりして、座れる状態ではありませんでした。

もう一個使えそうなトイレを見つけたので、扉を開けると、広い部屋に簡易型のものが。よく部屋の中を見ると、洗面台で誰かが歯ブラシをしていたり、トイレではないような感じ。一応赤いカーテンで仕切れるようだったので(介助の人が見つけてくれました)、「こうやって仕切って使うのか」と思いました。

簡易トイレは、いらなくなった雑誌を切り抜いてスポンジをはめて作られたものでした。仕方なくそこで済ませることにしました。済ませようとした時に顔見知りの車椅子に乗った人が入って来たので、「ごめん、先に使わせて」と頼んで先に使わせてもらいました。

途中で介助の人が呼び出されて、部屋を出て行きました。

用事が済んだ後、クッションが汚れてしまっていて
「仕方ない」と言ったら、介助の人がものすごくその言葉に嫌そうな顔をしました。
介助の人は、使用済みのスポンジを新しいスポンジに替えてくれていたのです。

私は自分のできないことを、このように人にやってもらっているんだな、と気づいたところで、目が覚めました。

感謝の気持ちが足りないのかもしれません。


2017年8月4日金曜日

鋼の錬金術師

鋼の錬金術師、少し前にすごく流行った少年漫画だと最近知ったのですが、そしてゲームも流行ったみたいと言うことも知らずにいたのですが(最近実写化されたということは知りました)、読みました!!
よかったなー。ワンピースを初めて読んだ時も感動したけれど、最後まで読み終わって、ジンときています。

心に残っているのは、

エドとアルがお互いを想いあった兄弟であること。自分のことよりも相手のことを片時も忘れずに考えていること。

全は一、一は全。の考え方。

二人のお父さんであるホーエンハイムが、自分が得てしまった賢者の石の分の魂全てと対話したと言ったこと。

ホムンクルスもわずかながら成長した者がいたこと。

フラスコの中の小人が、最後、絶望を味わうことになったこと。

人間はやはり自分が経験してなんぼなんだなあと、それをサボって楽をして全てを得ようとしても地に落ちていくだけで現実は何も変化していかないのだと、学ばない人は絶望しか味わえないと、しっかり教えてくれた漫画でした。

読んだことのない人には意味のわからない文章になってしまいましたが、アニメよりも原作の展開の方が私は好きでした。アルフォンスが好きだなあ、兄さん想いで、優しくて、冷静で。私にはないものばかり(笑)

余談ですが、各巻の巻末の4コマ漫画や、表紙の漫画は笑えました。作者は本当にキャラクター一人一人を愛していたんだなあって。
本編が少し難しく、シリアスな作品だったので、息が抜けて楽しかったです。

きっと少年読者は戦いにも目を奪われたのかな。


自分の足で立って歩く。大切だよね、うん。がんばろ。

2017年7月26日水曜日

かあちゃん

最近読んだ本に、重松清さんの本「かあちゃん」がある。
重松清さんの本は好きで、よく図書館で借りて読む。「流星ワゴン」「とんび」から読み始めて、人の気持ちの表現に魅了されてしまった。
先日も他の本と一緒に3冊借りて、よんだ。その中に入っていたのが、「かあちゃん」だった。
ネタバレはしたくないので、内容に触れないように、感想を書いてみようと思う。

ひとつの出来事について、そのことに関係する人たちの思いや状況や人格が本当によく書かれていて、何度も胸が熱くなった。
人が一つの出来事をどれだけ重きを持って考え、それを心に据えて生きることがどんなに大切で美しいかを語ってくれた本だった。
印象に残ったのは、「忘れない」ということと、「もう戻れない」ということだった。

どんなに仲のいい同士だからといって、そしてその行為が本意ではなかったとはいえ、人は人にやってはいけないことがある。その一つのことで、信頼関係は崩れて、壊したものは元には戻らない。記憶がすべて痕跡が無くなるぐらい消えてしまうことがないように、たとえ相手が自分を受け入れてくれることがあったとしても、起こしてしまったことはなくなることはない。それを忘れてはいけない。それほどのことだったのだということを忘れてはいけない。

「忘れない」ということは本当に大事なこと。本で読めたことに感謝している。

2017年7月8日土曜日

板橋でお気に入りのパンやさん

引っ越して5年目。板橋ではたくさんの美味しいパン屋さんがあり、食べたい種類や予算によって選んで食べています。

勝手に紹介、パンやさん。

●丸十
東武東上線大山駅前と、中宿商店街に昔からあるらしいパンやさん。コッペパンが有名のようです。
私はカレーパンとたまごドーナツが好き。たまごドーナツ、お手頃値段で嬉しいです。
大山のお店にはカフェがあり、ピザなど安くて美味しいのが嬉しい。
ホームページを見たら、モスバーガーも系列店でびっくりしました。そうだったんだ。
モスを食べる時は、パンズも意識して食べようと思います。


●ブロート・ヴァルム
本当に普段からお世話になっているパンやさん。小学校の近くにお店があり、店先で選ぶ「地元のパン屋さん」という感じのところです。最近は軽食も中のスペースで食べられるようになりました。
100円、150円、200円のパン。あんパンなどスタンダードなパンは100円から。調理パンは200円のパンに多いです。
曜日によってゴマの入ったパンやフランスパンなどもあるけれど、いつ何があるのか私はまだ把握できていません。比較的柔らかくて、シンプルなものが多いように思います。
個人的に好きなのはきな粉のかかったあんパンと、コロッケぱん。通りかかると買ってしまう、大好きなパン屋さんです。

●東武パン 工場直営所
上板橋南口を東武練馬方面に歩いて行った時に偶然見つけました。
ここではスコーンとかガレットとか、ドーナツなどを買うことにしています。
東武直営なのでなんでも置いてあります。安くて美味しい。パンは甘めみたいです(私は気づかなかったけれど、甘いもの苦手な友人が教えてくれました。)
スコーンが手頃に買えるのはとてもありがたいです。

●ブランジュリー ケン
最近、知人から教えていただいたパンやさん。この間行ってみました。
下赤塚駅から美術館に向かって歩き出して徒歩5分程度。小さなパン屋さんでした。少し入り口に段差があるので、勇気がいりました。(だから素通りしていたのかも(#^.^#))
ハードなずっしりとしたパンです。どれも美味しそうでたくさん買ってしまいました。
少し気持ち的に遠い(下赤塚に用事ができれば行きやすくなりますが…)ので、気が向いたら行こうと思ってます。

●NEED`s
板橋に越してきた時に、友人が買ってくれたパン。品があって、何よりも美味しいです。
一度テレビで紹介されたら、しばらく私は買えませんでした(汗)
個人的に好きなのは、アーモンドのタルト。伺うといつもきになるパンがあります。
リッチな気分になりたい時、お気に入りのものを買ってうきうきといただいています。

よくお世話になるパン屋さんはこのくらいかなあ。他にも美味しいところはあるのですが。





2017年6月29日木曜日

いつまた、君と 何日君再来

向井理さんが企画の「いつまた、君と」みてきました

いつまた、君と 公式ホームページ

普通に生きている、たくさんの人のなかから、少しだけ一家族の生き方と人生を見せてもらった、と言うような印象でした。
人生は思うようにはいかないもので、他人に恵まれていると思われようがどう思われようが、自分たちの運命に逃げるところはなく、ただただ立ち向かって、生きて行くと言う生き様を観せてもらいました。

親戚との葛藤を描いたシーンでは、私は自分の若い時のことを思い出しながらみていました。
全く環境も厳しさも違うので、怒られそうですが。

「ここにいたらあなたは死んでしまう」

尾野真千子さんのセリフに、ああ、そう思って家族と離れる人は多くいるのかもしれないな、と思ったのです。どんな環境であれ、どのような関係であれ、この想いは共通のところがあるのかもしれないと感じました。

イッセー尾形さんは相変わらず存在感のある演技で、家族ってそうだなあと、なんか本当に、自分の気持ちと照らし合わせてしまうようなシーンが多かったと思います。

人は生きるために生きて行く、変な言い方だけれど、生きるということは、自分の心を殺さず、忍耐強く、誰かを愛し、愛してくれる人たちを悲しませないで生きると言うことだけでいいのかもれません。
何かを成し遂げるとかそう言うことは傲慢なことで、うまくいかないことも含めて自分の人生として受け入れ、今日どのように生きたいかと言うことを実現しようと努力するだけでいいのかもしれないのです。
そんなことを教えてくれた映画のように思いました。

多分、想いをわかってもらいたいなんて誰も思っていなくて、ただただ一生懸命に自分らき生きて、それぞれの思いが通じる結果になったけれど、期待してそうなったわけではないよなあって。それぞれがそれぞれを思う気持ちがいいように糸がほぐれたのだと思いました。

糸がほぐれずに悩んでいる方に、おすすめの映画です。

2017年6月22日木曜日

銀座

時間ができたので、銀座に。

知人のブログで「資生堂ギャラリー」を知り、無性に気になって、今日ならばと行ってみました。
思いのほか雨が降らない1日だったので。

丸ノ内線銀座駅から、まず東急プラザの地下によりみち。
その日一緒に行ってくれた方が(すっかりお世話になってしまいました。ありがとう!)、ワインの試飲できるお店を教えてくれました。

でも残念ながら今日はテイスティングできず。その代わり同じフロアにあるザ シティ ベーカリーで、一目惚れしたパンを。

そのあと、キリバコーヒーでコーヒーをいただいて、資生堂ギャラリーへ。
「測量|山」/「砂の下の鯨」吉田志穂展 をみてきました。

エレベーターで降りると、ギャラリーは静かな異空間でした。
見る位置を変えるとまた世界観が変わるような感じがしました。

中二階にも展示スペースがあって(階段なので私は無理)、その場所によってまた違った不風景になるのかなあと思いました。

時間があったのでうわさのGSIXへ。屋上のガーデンに。
印象的だったのは、一階エレベーターのドアが斬新なデザインだったこと。

それからはいつも行く交通会館でギャラリーをゆっくりみたりして帰ってきました。
ちょうど水墨画の個展をやっていて、綺麗な風景画を堪能しました。

銀座や有楽町はよく行くところですが、いつも決まったところしか行かなかったので、今日は少し行動範囲が広がった気分です。

いつも木曜日はプールで泳ぐ日なのですが、大抵は雨が降ります。
なぜかプールを休むと雨が降りません。

お天気の話は、木曜日に会う人たちとの間だけで通じる、木曜日のあるあるなのです。


2017年6月11日日曜日

今年の梅

炊飯器を使って、今年も梅を仕込んでもらいました。
商店街で一キロ380円で買った、2キロ分の梅。

35度の焼酎で一つ一つ洗ってもらい、ヘタを取ってもらって、てんさい糖を入れて炊飯器の保温機能で4時間あまり。
2キロ分は多すぎました。大きめのタッパーにふたつぶん。
一生懸命食べないと。
2回に分けて仕込んでもらったのですが、2回目のものは少し渋みが出ました。何がいけなかったのでしょう。

数日前には赤紫蘇のジュースも作ってもらいました。今年は甘味料を入れずに、穀物酢とポッカレモンだけで味を整えました。

商店街に出ると、いつも安く赤紫蘇が売っていて、みると買いたくなってしまいます。
冷蔵庫に、作ってもらったものがまだ残っているというのに。

冷蔵庫に二キロ分の梅をしまったら、今年の梅雨時の保存食作りは終わりです。
あ、あんずはつけてもらいたいな。それだけは買いましょう!!

2017年6月8日木曜日

かなった願い事

板橋に越して来て4年が過ぎたけれど、まだ叶っていないものがいくつかありました。

まず、近くの総合病院とつながりができていないということ。もともと病院はあまり好きでないので、具合が本当に思わしくないときしか行きたくないと思っています。それがいけないんですね。ひどく健康を害したことも幸いなことにあまりなく、この4年間でご縁ができたのは健康診断を引き受けてくれる、内科を兼ねた整形外科。主治医は以前住んでいた街の先生が引き受けてくださったけれども、苦手意識を持つと本当に総合病院にはいかなくなるので、一箇所でも知っておきたいという気持ちはありました。

それから、リフトタクシーを使いこなせていないこと。リフトタクシーは予約制が多くて、私のように計画性がない人間には縁ができない(使いたい時が突発的なために、早くから予約が必要なシストムとは折り合わないのです)のがとても残念に思っていました。それでも何度か利用してみたけれど、実用的に使えていないのが気になっていました。バスも電車も車椅子で乗れるし、元気な時はそれで済んでしまうのです。

最近友人で体を痛める人が多く、お見舞いに行くことも多かったこともあり、痛みの辛さについて気になっていました。骨折しても手術をしないことを選ぶ方がいたり。また、日常的に逢う方も体がきつそうだったり。とても気になっていたのでした。

最近少し体を痛める出来事があって、ちょっと大変だったけれど、色々と経験して、気になっていたことがほとんど解消されて、不思議な感覚です。ついでに気になっていた漢方系の薬局にもご縁ができました。リフトタクシー、その日に使える会社と縁ができたことも嬉しかったです。

情報は知っていても、実際に活用したり経験してみないと感触がわからないのだ、と改めて思いました。
総合病院も行きたかったところに行って来て、中の雰囲気がつかめてホッとしました(変な話かもしれないですが……)。

ついでに、その日は帰り道で、いつもはグッと我慢している、コンビニのハロハロを買って帰りました。
それもほんとに美味しかったです(^ ^)


それにしても変な願い事はしないことですね。願い事というものは、自分でも思ってみないやり方で叶うものなのかも知れません。
今度からはもっと考えて、ひねくれたり自己本位にならず、建設的な願い事をしようと思っています。


2017年6月5日月曜日

心の中の感情   

どんなに何度も乗り越えたと思っても、同じようなことが起こったりすることがある。

たとえば、どうしても受け入れられない部分を見せる人との出会い。
避けられないトラブル(例えば、話を聞いてもらえなかったとか、自分が正当だと思ったのにわかってもらえなかったとか。)
ある出来事が心のスイッチを押して、その瞬間その出来事から離れられなくなり、その出来事を引き起こしたと思われる人が謝ってくれるか、考えを正してくれるまで、怒りはえんえんと収まらない。

そんなことがあるのは、私だけだろうか。

例えば、私の場合だと、昔よく怒っていたシーンは駅が多かった。
駅で思うように対応されず、待たされたり乗車する位置を決められたり、行き先をホーム全体にマイクでインフォメーションされたり。
電車の車内で名前と住所を聞かれたり、何度も利用する駅でいつも障害者手帳を確認されたり。路線によっては電話でいつ乗るか前もって連絡となければならなかったり。

最近はこのようなことはほとんど感じなくなった。そして、このようなことが起きてもほとんど怒らなくなった。たまにムッとすることはあっても、そこに怒りがあって、私はまだこの部分でおこるんだということを自覚して終わる。日常生活でいろんなことに怒る自分はまだいて、時々疲れる部分はあるけれど。東京という場所に住んでいるせいもあるのかもしれないけれど、いい環境に暮らしていると思っている。

だからと言って、日常の怒りが完全に整理されたとは言いがたく、もう理解したと思っても、再びそのシーンが来た時、明らかに機嫌が悪くなっている。
最近も、ある地下鉄の駅でそうだった。

その人は、「この前も注意したのに」という憤りをぶつけてくる。
確かに、たしかに。その人は、ルールに則っている。

その人と会話をすると、私が若い頃、どんなに正義感ぶって 、「差別をなくす」ために怒り散らし、その怒りが目の前の人を困惑させて、あるいは意気消沈させていたかがとてもよくわかる。
相手を理解しようとせず、正しさをただ主張するコミュニケーションは、目の前の人を疲れさせ、気力を奪うだけなんだと、この歳になって人の怒りを受けとめてみて思う。


人が人を見る目線はそうは変わらない。
わかってもらおうという思いは、残念ながら相手には伝わらない。
思えは自分も、相手の心情をわかろうとはしていないから。自分の論理の中では、相手のことを理解している気になっているけれど。

自分の価値観の中で怒っていても、何も世界は変わらない。自分の怒りが増して、体を蝕んでいくだけ。

そもそも、なんでこんなに怒り続けるのか、本当は何に怒っているのか、本当に怒っているのは自分なのか。

そこに向き合って見ると、意外なものが見えてきたりする。



2017年6月4日日曜日

湯を沸かすほどの熱い愛

宮沢りえさん主演の邦画。
成増のツタヤは新作5枚で10日間1000円ちょいで借りられるので、時折無理やりいろいろ借ります。

この映画、良かった。。

体当たりの人生という感じ。残り少ない時間が描かれる映画って、どうしても最初からしんみりするものが多いけれど、この映画は本当に体当たりします、人生!!!という感じでした。
自分のことを説明しないというのがどんな感じなのか、人に愛情を注ぐということがどういう感じなのか、見本のように見せてもらいました。
そうだよね、何もいう必要はないんだ。
悲しいとか、苦しいとか、切ないとか辛いとか。
人はそれほど、人の話に興味はないし、理解することも難しい。
でも一生懸命生きて、大事な人を愛して、支えようとすることはできる。それが唯一、だれもができることなのかもしれないね。

最後のシーンは面白かった。ほんと、見て良かった。ネタバレしていいなら、思い切りストーリーを描きたい気分です。

2017年5月20日土曜日

花田春兆 様

今日も昨日も本当によく晴れました。

昨日は、早めに伺わせていただいて、失礼いたしました。いろいろ考えると、どうしても約束の時間より早く行った方が、いいように思ってしまったのです。前もってお電話して、周りを考えての判断のつもりでしたが、もしかしたら私本位な行動だったのかもしれません。

初めてお会いしたのは、某企業が主催した障害者リーダー育成のための研修旅行でした。

私は英語力がないので、毎年行われる障害者リーダー養成のための留学試験に、落ちるばかりでした。
その事業の10年の節目に、2週間の研修旅行に選抜してもらい、参加しました。
貴方はその時の団長でした。
その前にもしかしたら、「折れたクレヨン」などを読んでいたかもしれません。

研修旅行の後、何回か詩の勉強会に通ったことを覚えています。終わった後だったか、始まる前だったか、マックのポテトのエルサイズを買って食べられていて、いつも少し分けていただいていたように思います。

私はそのあと実家を離れ、ピアカウンセラーとして活動が始まり、思わぬところで違う形でのご縁がありましたが、なぜだか、風の便りにお話を伺うことが多くなりました。

昨日伺ったときに、友人というところに丸をつけさせていただきましたが、私にとって先生は、文学家であり、俳人であり、文章表現についての心の師でありました。

最後のお別れの日に快晴の二日間を残して、私のように時間より早く伺った者にも、暖かく受け入れていただきました。

著作を読み返し、勉強しようと思います。
ありがとうございました。
ゆっくり休まれて、今生のお疲れを癒されますように、心からお祈り申し上げます。

2017年5月14日日曜日

東京YWCA肢体不自由者水泳60周年

東京YWCAのプールのスクールに行き始めて、個人的には10年になりますが、60周年の茶話会があり、参加させていただきました。

60年前に肢体不自由者の水泳をレクリエーションとして取り組むところは少なく、多くのことがありながら今があるのだなあと、実感したひとときでした。

私は自分の人生まだ50年ちょいで、この活動の歴史よりも若いんだなあと。
当時の手作りの浮き袋などをみて、全部作ったというお話を聞き、その歴史に支えられて今があるということを感じたのでした。

水泳をレクリエーションとして楽しめるということはとても楽しく、40歳になるまで知らなかったことにちょっと残念な気持ちもありましたが、今続けて行けることはありがたいことだと思います。

そして歩みが遅くても受け入れられ、一緒に取り組んでもらえることに、感謝しています。

水は怖いけれど、楽しい。背浮きができる日が来なかったとしても、水の中で動けることを支えてもらえるということに、本当に貴重な時間を毎回いただいていると思うのです。

歴史を知ることは、大切なことだと実感した時間でもありました。

2017年5月9日火曜日

表参道駅の写真展

表参道駅構内で、写真展をやっていることを知り、行ってきました。



https://mainichi.jp/articles/20170508/k00/00e/040/159000c


大きなパネルで、表情が自然で、その人の人生を感じるものでした。
個人の情報がない分、一人一人と見つめあったような、そして個性を感じたような、印象を受けました。

そうやって個性的な私たちが、日々を歩いていくんだなあ、と感じました。
こんな表情を人に見せながら、生きていきたいと感じました。

14日の母の日まで、開催されています。
青山通り沿いにある、表参道駅エレベーターを降りると、すぐ正面に展示されています。

2017年5月7日日曜日

ゴールデンウィーク

久しぶりに連休らしい連休を送ってしまいました。

4月の終わりに海を見に。知人と館山に。
ただただ海の近くを歩いて、潮風にあたり、波の音を聞いてきました。あと、多分一生分のウグイスの鳴き声。谷渡りまでしっかり聞けて、嬉しかったです。

今住んでいるところは、さすがにウグイスの鳴き声は聴こえません。

5月の連休は、部屋の模様替えと小物整理に勤しみました。年明けにいただいたギフト券は、新しいカーテンに化けました。(ありがとうね)

個人的なことになりますが、今回出かけて見て気が付いたことは、慣れない場所に行くと少しの段差でも体がなかなか適応しないということ。
自分ちを離れて一晩過ごしたのも3年ぶり。少し自分の家に引きこもり過ぎました。

一応、もそもそと日々身体を動かしているつもりだったけれど、数年前の適応力は望めないのだということがわかったのでした。

体も適度の刺激が必要みたいです。

それから、もう一つわかったことは、今住んでいる家の、ことに寝室は、めちゃ寒いということ。

体の冷えが慢性化している原因は、寝室の状態なのかもとやっと自覚したのでした。
なので、夏間近の今から、冬の寝床のことを考え始めています。

そして最終日の今日は、入院している友人のお見舞いに。
そのあと、昭島に住んでいるときによく行った、昭和記念公園を少しだけ歩いて来ました。

いつも昭島口から出入りしていたので、立川口は見慣れないものが多く、少し残念でしたが、それでもシロツメグサは咲いていたし、木々の若葉は綺麗で、幸せでした。

この期間に気が付いたことは、上記のイベントとは全然関係なくて(^ ^)

説明したことを理解されなかったり、受け流されたり、勘違いされたまま何かを行動されると、された方はとても悲しいということ。
これは私自身が人様にして来たことなんだなあと。こんなに悲しく、嫌な思いをさせていたんだなあと。
自分が悲しかったその思いを、他の誰かが感じているんだということに気づいたのでした。私も物事に対して、勘違いが多いし、人に伝えて初めてそれに気がつくことがとても多いから。今回感じたこの想いと似たような感覚を、誰かに与えて来たように思ったのです。

最近も少し勘違いをする確率があがっているので、物事を丁寧に見て、少しでもその人の気持ちを汲めるようになりたいなあと思いました。


そして、エゴイズムはとてもしぶといということ。
言い負かしたい、勝ちたい、とつい思ってしまいます。
これはまだまだ、自分が正しいと何処かで思っているし、そのときに起きたある出来事にとても刺激を受けてしまっています。
エゴイズムとは戦ってはいけない、ということを知識で分かっていても、ではいざ刺激されてしまったときにどうするか、その場での対処はとても難しい。
刺激は波のようにやまないから。
どんな時でも静かに息をするって、これも日々の努力かなあ。いつかできるようになりたいけれど。

視野を広げて物事を捉えることは、本当に難しいです。



思えばこの連休に入る少し前から、友人と会う時間があったりして、この二週間はとてもいい時間でした。
明日からはまたいつものスケジュール。ゴールデンウイークさん、さよなら。また来年。





2017年4月20日木曜日

ごじゃっぺ

【ごじゃっぺ、ごじゃ、ごじゃらっぺ】 ごじゃっぺ、ごじゃ、ごじゃらっぺ
いい加減、ばか、どじ、間抜け、などの否定的表現全般に使用。茨城弁の基本中の基本。「ごじゃ満開」などという言い方も存在するが、ごじゃの最上級なのか、ごちゃごちゃな状態を指すのか、いまいち不明。
例)「あすこのわけしはごじゃっぺだちけ」→あそこの息子は間抜けらしい
例)あんまりごじゃっぺなごとばっかぬかしてんじゃねえよ→あんまりいい加減なことばっかり言うんじゃない ーーーーweblio 辞書より

私は昔から「ごじゃっぺ」なところがあります。
本当は理解していないのに、分かったと思ってしまうんです。今でもその癖は治っていません。
新聞を読んでいても、読んだ後、なにが書いてあったかさえ記憶になかったり、その癖世界情勢をわかった気になってしまったり。
トルコの国民投票も、フランスの大統領選も、韓国の情勢も、気になることはたくさんあるのに、きっと言語化はできない、それほど理解力が私の頭の中で進んでいないと思います。


昔、肢体不自由児施設の夏(か冬?)休みの帰省中、家族で麻雀をして遊んだ記憶があります。
その時も、上がりだと思ってみんなに自分のパイを見てもらったら、全然上がりでもなんでもなくて。
「ごじゃっべだったね」
と言われてとても恥ずかしく、でもそこから反省して覚えようとも思えなくて、麻雀遊びからも遠のいてしまいました。

それから長い年月が流れて、スピリチュアルについて学ぶことを選び、元々その世界を特別視して捉えていた私の意識を叩き直すことになりました。
誤解を解くというか、ほんわかキラキラの世界から脱していくというか。
誰かが助けてくれるとか、癒されるとか、そういう意識を捨てるというか。

それでもつい最近、勉強してきたことをものすごく誤解して捉えていたことがわかり、しかもあまり自分が理解していないことも明確になって、すごくへたれました。
「ごじゃっべ」だったんです。

でも麻雀の時のように逃れて終わりするわけにはいかず、もう一度学び直すことにしました。

自分の捉え方を間違うと、本当になにも覚えられません。学んできたことがふいになってしまいます。

「ごじゃっぺ」な自分を自覚したら、すこし力を抜いて物事に向かえるようになりました。
わかったふりをしたくなる自分に構うことなく、何度でも理解しようと努力すること。私のような性格を持つ者にとっては忘れてはいけないことだと思います。

昔は何者かになりたかった自分、でも何者かになる前に、何者であるかを知ることは本当に大切なことなんだなと思います。
そして今持たされているもの、与えられているものを理解することの方が、何者かになることよりもずっと大事なことなんだと感じています。

2017年4月14日金曜日

嫉妬深さ

プログのデザインなど、いろいろいじくり回していたら、いつのまにかリンクの部分が非表示になっていました。最近はスマホなどでの読みやすさを優先するデザインが多いみたいで、PCでの全体のデザインが気になる身としては、少し違和感があります。

確かに読みやすさは大事ですね。悩みどころです。

知人からのあるリクエストに答えていたら、ブログに私の文章しか載っていないことに気がついて、元々あったリンク欄を復活させました。

ブログのレイアウトについては、もうしばらく試行錯誤が続きそうです。

本題は、嫉妬深さについて。
結構小さいことで、すぐジェラシーを感じている自分がいます。

今日も、ある小さなことで、自分の中の嫉妬深さを感じました。


まるで、恋人が他の女性と仲良くしているのを見てショックを受けている、若い時のよう。
すぐにその気持ちは心にやってきて、もやもやとさせます。

こういう時は少し視野を広げて、そうだ、私だけがその人の友達ではなかった、ということを思い出します。
そんなこと当たり前ですよね。でもこの当たり前の簡単なことが、私は意識的にしないとうまくいかない。心が揺れてしまうのです。

心を占領してしまう自分勝手な欲望を、私欲(エゴイズム)と習いました。
この想いと離れるには、その思いがどこから来るのか知り、理解することが大切です。

私は性格的に臆病で依存的なところがあるので、人に期待しやすい性質があります。そして自己を中心に物事を考えてしまいます。

他者がどう考えて私と接してくれているのか、そこを考えることを忘れてしまうのです。


今日はそこに立ち返ることができたので、湧き上がってきた嫉妬深い気持ちから離れられました。

エゴイズムは自分が作るネガティブな思いのかたまりのようなものなのですが、一度作ってしまうと二度となくならないそうです。ですから消してしまおうと戦ってはいけないと言われています。

自分の作ってしまった感情とは戦わず、前向きな心を育てて行くこと。
視野を広げて、良いところ(美徳)を育てて行くこと。

これが本当に、ここにはいくらでも偉そうに書けるけれど、難しいです。
今日は振り返ることができて、良かったけれども。

つまづきそうになっても、自分と向き合い、自己点検していくしかないのですけれども。



2017年4月13日木曜日

ムーンライト

今月は木曜日の予定がないので、映画をみてきました。

ムーンライト
http://moonlight-movie.jp/index.html

感じたことは、
どうにもならないほどの気持ちを抱きながら生きて行くことの辛さが伝わってきたのと、
最後のシーンを見終わって、少しでも救われてほしいと、見終わった自分が思っていたこと。

自分を見つけて行くことは本当に困難なんだということ。

闇の部分はとても引力が強くて、引っ張られてしまうということを表しているような
気がしました。闇に勝って行くということはどういうことなんだろうと。自分ではどうにもならないように思える環境の中で、闇に勝つということはどういうことだろうと思ったのです。


自分が誰かに確かめたいと思う時期には確かめられるような人はいなくて、それでもその存在を求めてしまうのが若い心なのか、弱い部分なのか。映画を見ながら、切なくて言い知れなく怖くて、すこし目を伏せていた部分があったように思います。

「あなたが愛を必要としていたときに、私はあなたに愛を与えなかった。だから私を愛さなくてもいい。でも私はあなたを愛している。そのことだけは知っておいてちょうだい」

映画のストーリーよりも、今なぜかこの言葉を覚えています。

プログの題名を変えました。

思うところがあり、私ごとですがブログの題名を変えて、気まぐれだった内容を少し意識的に考えてみようかと思い立ちました。
と言いながら大きな変化はないような気がしますが。

気がついたことって、書き留めないと忘れてしまいそうで、今はそれを中心に書いてみたいなと思ったのが変更のきっかけです。
だからといって、日々のことを日記のように思うがままに書いても、個人的なことをどこまで読んでいただくかということもあるなあとの思いもあって。。

遠隔ヒーリングルームを始めてから、少しブログをカッコつけて書こうとしていたところもあったので、それはやめようと心を改めました。
書きたいことも書けないし、書けないのに書こうとしていたりしていたし。

最近、以前よりも気がつくことが増えたのはいいのですが、気づきをどんなふうに考えて生活していけばいいか、そこまでの考えに至らないことも多いことが気になっていました。この場に書くことで見つけられることがあるといいなあと思ったりしたのです。

なにも変わらなかったりして(><)。
書いてみなければ、私にはまだわからないから、やってみます。

読みやすいものになるといいけれど、性格が変わったわけではないので、そこのところは難しいです。
いつも読んでくださって感謝です。これからも乱文ですが、お付き合いください。

やさしい味

食べることがとても好きなせいか、作ってもらう時も外で食べる時も、美味しいものを食べたいと思ってます。
特別高いものが欲しいわけではなく、ただ美味しいものをいただきたいと意識しているだけ。無農薬にこだわってもいないし、産地にもこだわっていません。
ただ、野菜は八百屋さんで、お肉はお肉屋さんで、魚は魚屋さんで買いたいと思っています。
今は時間があるし、介助の方もこの生活に付き合ってくださるので、スーパーだけでなくいろんなお店に行くことが叶っています。

先日、知人からご自宅で育てられたという絹さやをいただいて、朝ごはんにさっとゆでてもらいました。
一口食べたら、とても甘くて、栄養が口の中にはじけるよう。ばりばり食べてしまいました。
食べながら、毎日世話を欠かさない知人の姿が浮かんでくるような気がしました。優しさだけを込めて育てているんだなあと。
個人宅での栽培なのでそんなに多くは収穫できないものを、分けていただいたのですが、貴重なものをいただいたと思いました。

私は自分の手で調理することも、食材になるものを育てることも今回の人生では実体験できませんが(介助の方やどなたかに頼むことはできますが)、毎日どなたかの食べ物に込められたものごといただいているのだと実感しました。美味しいと心から感じる時、食材が新鮮とか、物理的なものだけではなく、誰かの愛情が入っていることを意識しないとなと思いました。

毎日美味しいものがいただけるということは、毎日いろんな人からの思いを受けとっていることなのかも知れません。

野菜もお肉もお豆腐もお米もパンも、毎日いただくものですが、作った人の気持ちが実感できたのは初めてでした。本当に甘くて、濃くて優しい味でした。
栄養をめいいっぱいいただいた、昨日の朝食でした。

2017年4月5日水曜日

We Are X

X japan の映画を、縁あって観てきました。

ファンと言ってもカラオケで歌ったり、2枚組のCDをひとつだけ持っている程度だったのですが、映画を見てほんとになにも知らないままのにわかファンでしかなかった自分に気がつきました。

なぜYoshikiが独特の詩を書くのか、そうなのか…と自分なりの想像が湧いてきたり。
築地本願寺になぜHideのコーナーがあるのか、謎が解けたり。

にわかファンなのにファンと言っていて申し訳ない。

でも観てよかったと思っています。

あまり激しい音楽は好みでないのに、なぜこの方々のの音楽に魅かれるのか、自分の中の謎ですが、
怒りと悲しみの塊のようなものが音楽となって吹き出していくようにも思うし、生々しくそこにあるようにも感じます。
決して癒えないものがそこにあるように思います。
そこが共感を誘うのかな…。

映画にはもっと音楽を入れて欲しかったけれど、それだときっと高くなるよね。
今日は運良くレディースデーだったし( ◠‿◠ )

2017年4月4日火曜日

明け方の夢

明け方に目覚めた後二度寝をすると、夢を見ることが多いです。
今朝は少し変な夢でした。

久しぶりに会った知人は、ドレスアップしてきましたが、私は彼女がドレスを脱ぎにいく後姿でそのことにようやく気がつきました。「ドレス着ていたね」というと、「誰も気がついてくれなかった」と彼女は答えました。
今回の彼女に頼んだ仕事時間を確認すると、早く帰る予定だといいます。早く帰るなら現地解散になると伝えると、それでいいとのこと。時間が短くなり寂しかったのですが、彼女はそうでもない様子。
一緒にイベントに参加しました。この部分は、あまり覚えていません。
終了した後、場面が変わり、男性たちが話していました。とても怪しげな話でした。
横から作業服を着た違う男性の集団が、さっとそこの人たちの耳元で囁き、事実をよくない方へ塗り替えていきました。その集団はさっきイベントに参加した時も、目立たぬようにいたような気がしました。

よくない記憶も塗り替えられていくことがあるんだと思わせるような夢でした。自分の意識ははっきり保つ必要があるのだと思いました。

2017年4月3日月曜日

今日気づいたこと

今は突然の雷雨。
数年前から冬が過ぎると天候が激しくなるということを、思い出しました。

もう昔のやわらかな春は来ないかと思うと、今日はなんだか寂しい気がします。
毎日雷雨というわけではないだろうから、穏やかな日はそんなことは思わないのだろうけれども。
「春雷」という言葉もあるし、昔から春に雷もあったとは思うけれど、どうも夏のイメージが私の中で強いせいか、違和感を感じてしまいます。


今日、歩きながら気づいたことは、
日々の中の出来事は、私に謙虚になれということを教えてくれているのだということでした。
今まで、私に上から目線で接してくれる方や、
それはきっと偏見から来るな、と思うような態度を人からされた時、
どう正してもらうか、どう言ったらその視点をやめてもらえるか、ということばかりを考えたりしていたのですが、
それは違うんだ、と思ったのです。

私は、相手の方の行動を正そうとするのではなく、それでも受け入れてそこから学ぼうとすることが必要だったんだと気がついたのでした。
伝えたいと思うということは聞こえがいいけれど、実は私はその方を指導したいと思っていたのかもしれないと感じました。

そこが奢りだったんだと。

私が今学ぶ必要があることは、自分の中にある傲慢さに向き合い、捨てていくことで、人の生き方に物申すことではない、ひとつひとつの状況から、見えるものを理解することが先ず必要なんだと。

相手の生き方は相手の生き方だから、もし何かに気づかなくてはいけないのだったら、その方がわからなくてはいけないこと。自由な意思の中で、たどり着く必要があること。

もちろん自分の気持ちも大切だけれど、一つ一つの出会いや出来事に、もっと真摯になろうと思ったのです。

何かを批判的に見る前に、その出来事が私のなにに響いて、印象深くなっているのか、理解していくことが大切なんだと思いました。

その上で伝えたいことがあったら伝えてみようと。そう思ったのでした。

私がこの人生で何を身につけてきたかを思い返せば、いまだ何かができる人間ではないことが自分でもわかります。私は今は、自分の心を育てていかなければなりません。人の生き方に何を言える人間ではないし、そもそもそういうことを思うこと自体が私の中にある差別意識なのです。

それを理解するための、日々でもあったんだと思いました。

わかった上で、伝えたいことは伝えて見ること。それも大事なのだと思いました。
わかってほしいという気持ちではなく、物事を消化した上でその方に伝えたいことを話してみるということです。

伝わった時は、本当に嬉しいです。わかってくれたことに感謝の気持ちがわいてきます。それを今日も体験したのでした。

…いつも理想通りには生きられませんけれど、それはそれということで。

2017年3月30日木曜日

豊島区 健康フラザとしま

しばらく御茶ノ水のプールのスクールがお休みになるので、木曜日はしばらく自由時間があります。
なので、池袋駅東口から徒歩で行ける、豊島区の健康フラザとしまのイケスポを教えてもらいました。

設備がとてもいいということを伺っていたので、とても興味があったのでした。

プールとトレーニングルームを見学させてもらうと、

確かに、プール用の車椅子もあるし、プールまでフラットみたいだし、多目的更衣室もとても広かったです。
トレーニングルームも車椅子のまま見学させていただきました。

慣れた介助の方や、お友達数人と行くならば、ハード面では利用できるかもしれません。
一人では私には無理ですが(だいいちまだ水が怖いし)。。

使いやすそうだった他の面は、リーズナブルな利用料と、会員登録が入らないところ。
いろんな方が使えるところのようです。

ただ、シャワーの時にボディソープとかは使ってはいけないんですって。

プールはとても綺麗でした。
外の景色も、9階なのでかなりいい眺めでした。

区民に限らないなんて、豊島区の考え方は面白いな。
今はそういうところ増えているのでしょうか。数年後のオリパラに向けて。

2017年2月24日金曜日

ゲストハウス 蒴果

初日の公演を、観てきました。

中野のあくとれでの前回公演も観ることができたので、再演の舞台を観るという体験もできました。

泣いてきました。

それぞれのストーリーを思うと、胸が今も熱くなります。

演出も舞台の様子も前回とはまた違って、グレードが上がってる!!!と感じました。
舞台の流れも、自然で、その世界に入っていけました。

前回も感じたけれど、それぞれの生きている世界や、それぞれ違う価値観を持つ目の前の人を、大事に思いたいと思いました。
心に抱えているものを慮れる心を育みたいと。

久しぶりに友人と会えたのも良かった。同じ舞台を友人と観るって、やっぱりとても素敵。
公演は日曜日までです。


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Toshizoプロデュース第21回公演『ゲストハウス蒴果』
東京公演 2017年2月24日(金)~26日(日) 
大阪公演 2017年4月2日(日)
http://www2.odn.ne.jp/~aah16680/archive-2017.html
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2017年2月18日土曜日

彼女と彼女の猫

僕は僕の時間を生きていて
彼女は彼女の時間を生きている
だから二つの時間が交差するこの瞬間が、僕には何より大切なんだ
                        映画「彼女と彼女の猫」より

この短編映画を見て、登場する猫と彼女の想いが少しずつずれているのを観た。
それでも互いを思いやり、相手を大事にする姿を見た。

そう、私と、大切な人は、別人格で、別の時間を生きている。さも同じ世界で、同じ季節を生きているように思うけれど、それぞれ感じ方も違うし、考え方も違うし、見ているものも違う。私と大切な人は、違う世界を生きている。

私は、それを忘れてはいけないんだなあと、この映画を見ながら思いました。
違う世界を生きていて、理解していない部分や、わかっていないことがたくさんあることを、忘れちゃいけない。明日は、今日よりもそれがわかって、謙虚な自分を見つけていかなくては。

そうしないと、誰かを助けられるような、智慧を学ぶことはできない。

なにも知らない自分を自覚して、成長していかないと、大好きな誰かの力になることなんてできない。

それがわからないぐらい、私は傲慢に生きてきました。

人はそれぞれ、違う時間を生きている。すれ違う一瞬に、ユーモアを持って笑いあえるぐらいの、智慧のある人間になりたい。

猫のように、いるだけで癒せる存在になるには難しすぎるから。

なんだか心にしみた映画でした。いろんなことを繋げるようにして観ていました。

2017年2月15日水曜日

沈黙

映画を見た時、原作を読まないとちゃんと理解できないような気がしました。
なので本も読みました。

映画は、とても辛かったし、重たい気持ちが残りました。そして、言いようのない違和感が残りました。
日本人の表現の仕方とか、所作のようなものに。
でも原作を読んで、原作に忠実に描かれているのかもしれないと思いました。

日本の上に立つ人の残酷ないやらしさと、庶民を人と思わず弾圧の道具として利用していくところは、気持ち悪さのようなものを感じました。

一方で、この出来事を忘れてはいけないのだと思いながら見ていました。
宗教に対する感じ方の違いも、わかるような気がしました。

映画では、イッセー尾形さんの演技は見事にいやらしく冷酷でした。

キリスト教信者の方は、どのように感じるのでしょう。

神は答えてくれるものではなく、ともにいて体験もともにするもの、という感覚は、信仰者としてはどのようなものなのでしょうか。

2017年2月9日木曜日

クネーテンの個展

文京区にある クネーテン で、知人が絵の個展を開いているので、ランチを食べに行ってきました。

なにも連絡しないで伺ったのですが、ご本人がいらっしゃる時間で、ラッキー!。
絵のことや、近況を伺ったり、とても楽しい時間でした。

この店はお菓子も大好きですが、ランチも超美味しい!!
文京区を越してしまったのでなかなかいく機会が持てませんが、久しぶりにこの店の美味しいものも味わえて、幸せでした。

作品展はしばらく開かれていますので、興味のある方は是非。



~『モルドヴァの教会壁画』をめくる旅 ~

  
      柳田亮 作品展 
 
  2017年2月3日(金)~2月26日(日)  

最近読んだ本

「カエルの楽園」

ようやく図書館の順番がまわってきて、読みました。

そうですね、私はあんまり好きになれませんでした。

比喩に無理があるように感じて。

ただ、この作家さんが普段どんなことを考えているかは、すごくよくわかったように思います。
配役された動物とか、どこにどの生き物を使っているかとか、そういうもので。ああ、こんなふうにイメージされているんだなあって。

配役への理解が私は今ひとつかもしれないので、それを理解することはこの本を読んだ甲斐になるかもしれないと思いました。

2017年2月5日日曜日

チャクラヒーリングを受けて

昨年、夏からチャクラヒーリングを受けていたというお話は、年末に記しました。
自分と向き合う

ヒーリングサロンのブログに、まとめの感想を載せていただいたので、興味のある方は読んでいただけると幸いです。

感想「チャクラヒーリングを受けて気づいたこと」

自分と向き合う作業は、時に大変なこともあるけれど、いつもそばで支えてくれた方がいてくれたということを、今は大切に思い、感謝したいと思います。

いきなりの専門的な言葉や表現、このブログではなにも解説ができていなくてもうしわけありません。
このブログでも少しずつ書けたらいいのですが、私の表現力なども限界もあるような(本当はもっといろんなことを書く場ですよね、このブログは)。

精進します。ほんと今年はがんばろ。

2017年1月27日金曜日

明け方の夢

久しぶりに夢を見ました。

新しい家を探すことになり、大きなフラットの家が見つかった。作業場の一部を間借りする感じ。縫製関係の作業場で、作りかけの生地があちこちにある、忙しそうな作業場だった。ペットオーケーらしく、車椅子も中まで入れて、行けると思って契約した。その後トイレを見せてもらったら、とても狭くてシャワールームを兼ねていて、湯船がなかった。ふと今住んでいるところのお風呂の状況や、多分もっと探せばいい環境のものが見つかるだろうということを思うと、なぜトイレをちゃんと見なかったのか悔やまれた。契約を取り消してもらうことにした。職場(私は働いているらしい)でそのことを話すと、「手数料取られちゃうね」と同僚が教えてくれた。4万円ぐらいかな、と私は思い、仕方ないなと思いながら、契約したところに電話をかけ始めた。ここのところで、今見ているものが夢だとわかり、本当は家など契約していないこと、今の家に住めるということが蘇ってきた。そうだ、引っ越してはいないし、あの家はあるんだと思ってホッとして目が覚めた。

誰かとあったわけではないし、今回の夢は自分の何かのイメージかな、と思っています。作りかけの洋服の量が半端ではなかったので、それだけ今整理できないことが多いのか、トイレが思いの外綺麗だったので、片付きつつあるのか。。。とてもただっ広い家だったので、なぜあんな大きな家を借りたかったのか、謎です。

2017年1月15日日曜日

今朝、気がついたこと

今朝起きて、窓を開けて部屋の空気を入れ替えた時に、ふと気づいたことがあります。

近道は、ほんとうにどこにもないんだなって。

何事も、楽な道などどこにもないんだって。
どの道もそのように同じぐらいデコボコしていて、坂道があるんだって。

当たり前のようだけれども、私はそこに気づいてなかったみたいです。
だから、楽な道ばかり探そうとしていました。

日々のいろんなことに関して。
確かに体を楽に過ごす方法は考えたほうがいいけれども、日々の歩き方というか、道の選び方というか、そういうことは、どうすれば楽かという観点はやめたほうがいいんだと、突然思ったのでした。

楽な方を選ぼうとしていたのは、無意識な私の行動。

ひとつひとつ、やりたくないことや気が進まないことを検証していくと、「どちらが楽だろう」という観点で選ぼうとしている自分がいました。
その観点から物事を選ぶと、楽でなかった時に「こんなはずではなかった」とどうしても思ってしまうのです。

そしてなにも気がつかない。パニックを乗り越えて、ものごとが過ぎてしまう。
これはいけなかったなあと思いました。

どの道を進んでも、同じぐらいの高低さ。
ならば違う観点から道を選ぼうと思いました。




2017年1月13日金曜日

今年の生き方

今年どのように生きるか、個人的なメモです。
年の初めに書いたものです。個人的に読み直したいので、読みにくいものですがアップします。

意味不明なところはすみません。解説を書かないので、読まれる方にはわかりにくいかもしれません。


● 習ったことを駆使する実践の年。謙虚な気持ちで、提供する側の人間になる。
● できなかったことはなぜできなかったのか内省して翌年に実践できるようにする。

実践したいこと
  毎日の瞑想、トレーニング、セルフヒーリング
  機会に応じてヒーリング技術を実践させていただく。その経験から人の生き方を学ぶ
  外側から見る自分と内側で体験する自分を日々意識する
  エゴイズムと自分を完全に見分ける。
  日々出会う人の幸せとは何かを考え、具体的にその人の幸せを願うとはどのようなことなのか考える。その結果、今、愛を持ってできることは何かを考えて行動する。
  
なぜそれが必要か
  人に痛みを与えないで、愛情を持っていつも生きられる生き方をする。人の幸せを願うことが本来の私の生きる目的だから、目的に近づいた生き方ができるこころを持ちたいから。

なんのためにそうしたいのか。私の生きる大きな目標
  春の風のように、温かさを分けられる人になる。人にわかってもらおうとする人間をやめて、理解する側の人間として、そこにいるだけで心に気力を分けてあげられるような人になる。

毎日心がけること
 出会う人と意識的に付き合うこと。親の目線で物事を見ること。無意識をやめること
 人の話を理解すること。カウンセラーになること。
 その人の幸せとはという観点から物事を見ること。
 一対一の関係性だけではなく、社会生活として広く日々を見ていくこと。
 心がやりたいと思うこと以外やらないこと。やらなくてはいけないという焦燥した気持ちを感じたときは、なぜそう思うのか内省すること。やったほうがいいのにできない時も同様に内省する。
感情に負けそうになったら、深呼吸して外側から見ている自分を意識し、何が見えているか確認すること。
わからなかったこと、できなくて悲しかったことは書き留めておくこと。それらが愛情を注ぐという観点からどうしたら良かったのか内省しておくこと。
または相手の方に対してどんな感情があるのか内省する。
自分のエゴイズムを意識して、エゴイズムで動かないようにすること。またはエゴイズムを理解して次の行動に生かすこと。

2017年1月6日金曜日

マイプロ道場。

昨年の後半は、友人から勧められて「マイプロ道場」という一般向けの講座を受講しました。

TIP*S(ティップス)(中小機構の組織の一つ)主催の、自分を見つけていくための講座です。

自分のやりたいことを、自分の生き方を振り返ることで客観的に見つめ、他者にプレゼンテーションすることで言葉にして発し、アドバイスしてもらう。
少し、ピアカウンセリングや自立生活プログラムなど、自立生活センターでやっていたことと似ている点があり、興味深く受けさせていただきました。

印象的だったのは、社会の中では自分に向き合ったり振り返る時間や、他者と分かち合う機会があまりにも足りないのだという事実を知ったことでした。
この社会で、気持ちを分かち合える人に出会えることは、奇跡に値することなのかもしれないと、やっと思えたのです。

本題から外れますが、
少し前まで、自分の生きる環境にばかり注意を向けていた私は、自分が努力しないから深い友人関係を作ることができないのではないか、と思っていた頃がありました。
友人というのは子供の頃のようにすぐできるものと心のどこかで思い続けていたのです。

人は人とは気持ちを分かち合え、わかりあえるものなのだと、そういうものなんだと思いこんでいたのです。

そこには、努力や相性や長い年月が必要ということ、その人との関係を日々大事にして初めて実現するということ、私のその人への気持ちが大事なのだということ、簡単に得られるものではないということに、なかなか気づけずにいたのでした。ようやくそのことがわかってきたのはこの10年ほどのあいだ。私の精神は幼かったのだと思います。

それでも、いろんなところに参加したりするたびに、周りの人々は楽しそうに会話をしているように見えていました。自分が話そうとするとあまりうまくいかないのだけれども、周りでは話題がいつの日も飛び交っているようなイメージでした。

人はどのように出会った人を思い、関係を大事にしていくのか。限られた共にいる時間の中で、相手のことをどのように理解していくのか。自分のことは相手に伝えたくならないのか。その疑問のようなものは心の奥から消えませんでした。

今回受けさせてもらったこの講座で、その疑問をきれいに整理できたように思います。

まず、悩みの根本は誰も変わらないということを実感できました。
私はこの体で「自分で何もできない」という状態を日々味わっていますが、それは私の持って生まれた世界のこと。私の現実に変わりなく、変えようもないことなのです。だから、自分の役割に合わないことを自分で求めても、他人から求められているように感じても、心強くやり過ごし、自分の役割を見極めるしかないのです。

マイナスイメージで書いているのではありません。役割を見極めていれば、つまり自分を知っていれば、欲に溺れる可能性を消すことができるということです。

それは誰の人生も同じことのように思うことができました。もし体が思うように動いて、自分で何もかもできていく人生がそこにあったとしても、できるからこそ人生は広がり、選んだことで自分の行きたい道にも進めるし、がんじがらめになることもあるのです。
自分の役割と違うことをやらなければならないことになった時、きっとその人は苦しみ、生きづらさを感じるかもしれません。それは私も同じ。何も変わらないと思えたのです。


そのような、人の気持ちに気付けるのは私次第。自分だけができないと思うことをやめることで、目の前の人がどのように感じながらそこにいるのか、興味が湧いてくるように感じました。
たくさんたくさん、人様の前で自分の思いを表現したことで、もう自分に集中することは終わりにしようと思えたのです。
外に目を向けて、外を理解してみようと。

こうして心と向き合うことはとても必要なことで、その時間は基本的に、他者の前では誰もがなかなか持つことができないことなんだということ。
それから、他者への多くのアドバイスや意見をうかがう機会を得たことで、人がその人の視点にたって物事を捉えて伝えられることは本当に大事なことなんだと教えていただきました。

人の話を聞ける人間になろうと思いました。自分を知り、人を知り、愛情を持ってその役を果たせるように。

教えてくれた友人に感謝しています。

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リンクの許可をいただいたので、下記に記します。
現在マイプロ道場は、7期目が始まっているそうです

TIP*S(中小機構)












2017年1月3日火曜日

この世界の片隅に

昨年から公開されている、漫画が原作の、広島が舞台の映画。新聞の記事がとても良くて、みたいと思っていました。

観終わった後、しばらく涙が止まらず、声も出ませんでした。ただそこにいて、心が落ち着くまでじっとしていたかった、じっとして、この2時間の出来事を、観て来たことを、自分の記憶としてがっちりと心に残したかった、そう感じる映画でした。

戦争前の、原爆ドームと呼ばれる前の建物、息づく商店、人々の暮らしが感じられること、広島から呉にお嫁に行った女性の目線からその世界を一緒に体験していく感覚のあること、その感覚は私には斬新で、心に刻み込まれるものでした。
アニメの画風がとても優しく、のんさんの声がみごとに主人公の深みを出していたのも印象的でした。

戦争は暴力でしかなく、人が人を殺していくことでしかないと、人々はいつも傷つきながらも、何か大事なものを失いながらも、力強く生きていたんだと、映画は語っていました。
ひとつ一つの出来事にはっとしながら、自分の世界はなんて狭いのだろうと思いました。生きることをいつも真剣にしなければと思いました。

同時に日本のアニメの表現力の確かさには本当に感動しました。アニメだからこそ描けたリアリティ、アニメだからこそ向き合えた様々な視覚的事実の表現力を感じました。

この映画はクラウド・ファンティングで資金を集めて作られたものだそうです。最後に資金を出された方々の名前をみながら、多くの方が関わった映画なんだとじんと来ました。

こんなに心に残っているのは、主人公一人分の人生観が描かれているからだと思います。
人が100人いれば、100通りの思いがあり、感情があり、人生がある。それが心に強烈に響いたのだと思います。

一本の映画で世界観が変わることがあります。私の今日観たことは日本が体験した戦争体験の一部でしかないけれど、本当に観に行けてよかったと思っています。。

日常生活が教えてくれること

三が日最後の朝も東京は晴れ。
小さなホットカーペットは足元でフル活動。底冷えを感じないようにするということはこんなに大事なことなんだと実感しています。

前回書いた「介助の考え方の違い」。もう少し考えてみました。
介助のあり方にこだわったのではなくて、こうした日常生活が教えてくれることはなんなのだろうという視点で、です。

介助のありかたについては、受ける立場である方もする立場である方もそれぞれあったりなかったりすることだと思うし、私と介助に来てくださる方との考え方のことでもあると思います。最近は、方法論を展開してもあまり意味を感じなくなっているので、今はここに書くのも控えます。

この日常が私に教えてくれること。
まず、コミュニケーションをとることは本当に大事なことなんだと感じています。言葉も態度もフルに使って、目の前の人を知っていくこと、思い込みでその人を勝手に判断しないこと。ということです。

私は、介助の方によく、「私に聞いてください」「何かをする前には確認してください」と伝えることが多いのですが、それだけではたりないのかもしれないと思いました。
それぞれの家事や生活の仕方の違い、そもそもそれぞれ別の人間なんだということに気づかないと、確認を求めてもそのことが難しい場合があるようです。

それはいつも私の課題だった、「相手を見ていない。自分の世界だけで物事を見ている」ということにつながりました。

私はいつも、出会う人と親しくなりたいという気持ちがあり、日々会う人を大切にしたいと思って生きて来ました。でもそれは、本当の意味で大切にしようとしていなかったんだと思います。
人はこうしたら喜ぶ、こうしたら笑ってくれる、そう思うのは自分の世界でのこと。目の前の人がどういう人かということに、着目しないと、本当にその人が喜ぶ行動はできません。かえって相手に気を使わせてしまう結果にもなります。私にはそこが欠けていて、私はいつも、自分が感じていた違和感を、人に与え続けていたのでした。

やはり自分がそういう気持ちを味わうことは大事なんだと思いました。人が望んでいることを察知することは、関係が深まらないと本当にできないし、深めるためには日々努力が必要なんだと思ったのでした。

もうひとつは、日常の一番身近で一番欠くことのできない場面でそのことを学んでいるということです。
自分の生活の根本である、身の回りのことや家事全般、何を作りどう食べさせてもらい、何に着替え、部屋の中をどう保ち、ということは、私は一人では人並みにすることはできません。
生活の根本にいつも助けが必要で、そこにいつの日も人が関わってくれています。

私はそのことを大切に、日々起こることを真摯に受け入れて、振り返ることが必要なんだと思います。
障害者としての思いにとどまらず、私の人生としてなぜそれが起こるのかを考えたいのです。

たくさんの方が私にくれることを、ひとつひとつ自分のものにさせてもらうことができるようになると、日々の出会いがもっと意味を感じられるものとして大切にできるように思うのです。









2017年1月1日日曜日

介助についての考え方の違い。

あけましておめでとうございます。
東京は青空でした。あまり今日は外に出なかったけれど、幾分暖かだったように思います。


個人的なことですが、自立生活に踏み切ってから、今年で24年になるようです。
その間に関わってくれた介助の方は、一体何人になるんだろう。
今日いただいた年賀状の中にも、むかし介助で知り合った人の、嬉しい知らせが混じっていました。

一般的に、重い障害を持つ人は施設などで暮らしているのではないか、というイメージは、最近はどうなんでしょうか。少しは崩れたのでしょうか。
少し私はその感覚に疎いようなのです。
介護職がこんなにも求められる時代になったけれども、やはり施設のイメージは強いのでしょうか。

駅のエレベーターが当たり前の社会になり、多目的トイレが増えて、障害者の雇用率も上がっているし、テレビに映る人たちも多くなってきました。2020年にはオリンピック・パラリンピックがあるので、これから様々な分野で街が変化していくように思います。

昨年実家に帰った時の最寄駅路線のエレベーター設置の変化は、私にとって大きな出来事でした。

24年このような生活をしていると、様々な方との出会いの中で、私の自立生活に対する考え方も少しずつ変わっていっているような気がいたします。

最初の数年間は、自分で生活を選び、決めて、選んだ責任を取っていくこと(他の人のせいにしないこと)ができるこの生活で、学ぶことが多くありました。
介助制度も発展途上だったし、行政との話し合いの日々だったように思います。

それと同時に、ながい時間を介助の方と一緒に過ごすということ、その全体に障害者として(介助という仕事のあり方を考える側として)どう責任を持って生活していくかが、私の課題だったように思います。

障害当事者団体でピアカウンセラー等のお仕事をしていた頃は、自立生活という考え方を理解した上で介助に関わってくださった方が多かったように思います。
私も仕事が充実し、また自立生活センターで責任を持つ役割をいただいて、自立の理念を大事にして生活していました。

そして今は、支援者としても仕事も辞め、障害者運動からもひかせてもらい、自立生活センターや社会福祉法人から介助の方を派遣していただいて生活しています。今の生活は私にとって、今までの価値観と違う学びがあるように思います。

高齢者の介護施設で働いている方に伺ったのですが、介護施設では介護者は自分で考えて動くことが主となり、介護される側がどうすれば心地よく生活できるかを考えながら動くことが主な仕事となるそうです。

その話を伺って、私はなぜ施設を選ばないのか、自立生活を選んだのかを改めて考えてみました。

わかりやすく書くならば、自分の人生に責任を持ちたかった、世間的にその責任がたとえほんの一部のことに見えたとしても、自分の選んだことに責任を持っていきたいと思った、その気持ちが始まりのように思います。

そしてできれば、自分のできること、自分の役割を見つけたかった。

生活のすべを知らないまま、すべての選択の責任を誰かに任せて、選んで援助してくれた人のせいにして人生を生きたくなかったのです。

だから私は施設には戻らなかったんだと思います。自分の生き方として。
施設を生活の場として選ぶ方もいるだろうけれど、私は地域で生活して生きたかった。
それが選択だったのです。

介助で来てくださる方の中には、介護経験のある方もいらっしゃって、私の今の生活スタイルはわかりにくい面もあるようです。考え方としてはまるで真逆、なのだそうです。

確かに、現実的には自分で何もできないし、誰かがこないと生活が成り立たないというのに、頼んだことだけやってほしいとか、生活の全てを自分で把握したいというのは、支援する側はどのように見えるのか、相手の目線に立ってみると、大変なことかもしれません。

でも、最近の経験から、その考えの違い、やり方の違いを説明することも大切なことなのかもしれないと思えました。
この生活を選び、いろんな方が来てくださる中で、ちゃんとした説明を試みることは、傲慢な面だけではないのではないかと感じたのです。
その経験の中でふとでてくる自分の甘えも、自覚した方がいいことだとも思いました。
まだ確かではありませんが、そんな気持ちでいます。

ただ、伝え方は、どうも私は直球すぎるようです。
どうしても、自分の生活スタイルにこだわりがあり、外れることに気持ちの悪さを感じてしまうのです。
理解を求めてはいけないとわかっているのに、瞬間的に子供のように感情が出て来てしまいます。
もしかしたらまだ、理解してほしいというものがあるのかもしれません。
自分の考え方が正しいのにとか、それをわかってほしいとか…。手放したはずの気持ちが、ぶり返してしまいます。
こういうところはまだまだ未熟だなあと思います。冷静に状況を知る必要があるのに。
例えば、お正月でも介助に来てくれる人がいるというのに。
私の経験値は本当に偏っていると反省です。

元旦からさまざまなことを考える機会に恵まれました。
こうして生活が続けられることに深く感謝して、過ごして生きたいと思います。

心豊かな年でありますよう、お祈りいたします。



新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...