2017年4月20日木曜日

ごじゃっぺ

【ごじゃっぺ、ごじゃ、ごじゃらっぺ】 ごじゃっぺ、ごじゃ、ごじゃらっぺ
いい加減、ばか、どじ、間抜け、などの否定的表現全般に使用。茨城弁の基本中の基本。「ごじゃ満開」などという言い方も存在するが、ごじゃの最上級なのか、ごちゃごちゃな状態を指すのか、いまいち不明。
例)「あすこのわけしはごじゃっぺだちけ」→あそこの息子は間抜けらしい
例)あんまりごじゃっぺなごとばっかぬかしてんじゃねえよ→あんまりいい加減なことばっかり言うんじゃない ーーーーweblio 辞書より

私は昔から「ごじゃっぺ」なところがあります。
本当は理解していないのに、分かったと思ってしまうんです。今でもその癖は治っていません。
新聞を読んでいても、読んだ後、なにが書いてあったかさえ記憶になかったり、その癖世界情勢をわかった気になってしまったり。
トルコの国民投票も、フランスの大統領選も、韓国の情勢も、気になることはたくさんあるのに、きっと言語化はできない、それほど理解力が私の頭の中で進んでいないと思います。


昔、肢体不自由児施設の夏(か冬?)休みの帰省中、家族で麻雀をして遊んだ記憶があります。
その時も、上がりだと思ってみんなに自分のパイを見てもらったら、全然上がりでもなんでもなくて。
「ごじゃっべだったね」
と言われてとても恥ずかしく、でもそこから反省して覚えようとも思えなくて、麻雀遊びからも遠のいてしまいました。

それから長い年月が流れて、スピリチュアルについて学ぶことを選び、元々その世界を特別視して捉えていた私の意識を叩き直すことになりました。
誤解を解くというか、ほんわかキラキラの世界から脱していくというか。
誰かが助けてくれるとか、癒されるとか、そういう意識を捨てるというか。

それでもつい最近、勉強してきたことをものすごく誤解して捉えていたことがわかり、しかもあまり自分が理解していないことも明確になって、すごくへたれました。
「ごじゃっべ」だったんです。

でも麻雀の時のように逃れて終わりするわけにはいかず、もう一度学び直すことにしました。

自分の捉え方を間違うと、本当になにも覚えられません。学んできたことがふいになってしまいます。

「ごじゃっぺ」な自分を自覚したら、すこし力を抜いて物事に向かえるようになりました。
わかったふりをしたくなる自分に構うことなく、何度でも理解しようと努力すること。私のような性格を持つ者にとっては忘れてはいけないことだと思います。

昔は何者かになりたかった自分、でも何者かになる前に、何者であるかを知ることは本当に大切なことなんだなと思います。
そして今持たされているもの、与えられているものを理解することの方が、何者かになることよりもずっと大事なことなんだと感じています。

好きな歌詞 ーートモエ学園ーー

福山さんの歌は、好きな歌もあるけれど、あまりハマらないのですが、この歌はとても好きです。 「窓際のトットちゃん」の本も好きだったけれど、トットちゃんの世界を別にしても、とても心にしみる詩です。 子供目線が少し入るから、優しくわかりやすい詩になっています。 いい先生や、友...