2012年12月6日木曜日

地下鉄沿線

そういえば昔「私鉄沿線」と言う歌がありました。…

今日は暖かな午後だったので、となりの区内を沿線にそって放浪してきました。
二駅歩いてみるつもりだったのですが、いきなり道を逆に歩いて反対方向に進み、行く予定でなかった駅にたどり着いてしまいました。おかげでそこから3駅歩き、長い道のりに(そうでもないか!)
公園が多くて、子どもたちがのびのび遊んでいて、気持ちよかったな。

となりの芝生、の心境かな。住みやすそうに見えるのは。

明日はまじめに何かをやる予定でございます。

2012年11月30日金曜日

はっきり言いなさい 、か…

明け方に3つも夢を見ました。

ひとつ目は大きな荷物がいっぱい届く夢。嫌がらせのように荷物を置いていくのは知人。
私ははっきり「迷惑だから引き取って下さい」と言い、知人は渋々荷物を持っていきました。

ふたつめは新興宗教に誘われる夢。誘ってきたのは古い知人。
知人は知り合いを二人連れてきて、私に「この宗教がどんなにいいか」話そうとします。
私は「聞きたくない」とはっきり言い、3人ともお引き取りいただきました。

3つ目は新しいヘルパーさんふうの二人組が部屋に入ってくる夢。
勝手に部屋中のカギを閉め出したので、私は「またはっきり言わないと!」と思い始めていました。
そこで目が醒めました。
すっきりとした目覚めでした。

最近ちょっと引っかかっていたこと。それはある男性への私の言動でした。
「障害者同士だから友だちになりましょう」と言われたときの、私の行動です。

以前の私なら、「いい人にならなきゃ」とか、「断ったらがっかりするだろう」とか、「私が人をわけちゃいけない」などと、ありとあらゆる考えのような変な思いが心を駆け巡り、おどおどドキドキしたものでした。

今回は私のなかで
「そんな理由で友だちにはなれない自分」を発見し、
そんな自分が正直に行動することを考えたのでした。

これからもお会いするかも知れないその方に、私が正直でいる方法。

考えたことを行動に移してみたものの、やはりはっきり伝えたいことを言うときは声が大きくなってしまったし、ちょっと怒っているようになってしまったので、もっと冷静にやさしく相手のことを思いやれなかったのかと気に病んでいたのですが。

今回の夢が答えですか…。
うーん。

多少乱暴でも、こちらが誠意をつくしてちゃんと考えて行動したことなら。それに自分で責任を取ろうと思っているなら。
はっきり自分の行動をしなさい……ですか。

多少、こんな大きな声出したら周りはどう思うだろうとか、確かに思ったんだけど、いいやしょうがない、とも思えたんだよね。

しかし最近、夢が回答を運んできてくれます。

2012年11月24日土曜日

逢いたいときに

動くことができて、すごくうれしいひとときでした。
たくさん話したつもりだったけれど、時間がめちゃくちゃ短く感じました。

秋の色に染まった山並みは、懐かしいくらいにきれいでした。

初体験は、生後一ヶ月ほどの赤ちゃんを抱くことができたこと。
かわいかったな。

鳥もつ煮も格別でした。

ありがとうございましたm(_ _)m すべての人に感謝を込めて

2012年11月19日月曜日

先月の夢 明け方の夢

先月末に、夢を見ました。
夕飯時、私の妹たちが全員そろってごはんの支度をしていました。ふと私のパソコンの電源が入らなくなり、すったもんだしていると、次女が電源コードをいじってなおしてくれました。
パソコンのわきには炊飯器が置いてあり、あけると真っ白なごはんが炊けていました。
「どんなに悩んでも、美味しいごはんが食べられる」
そんなことばが浮かんだ瞬間にめがさめました。

ここ2年あまり、揺らいでいた「生きる意味」のようなもの。
震災のあとあたりから感じていた不安、
生活保護に対する社会的なざわめきが心に残したもの、
それは「制度を活用して生きていくこと、人の支えのなかで生きること」についての自分自身への問いかけでした。


誰に話しても納得のいかない心がありました。

その日のの夢は、その納得のいかない部分の答えのように思えました。
「どんなに悩んでも、美味しいごはんが食べられる」
のことばの意味は、
「誰もが(私も)、生きていくために必要な糧は考えて得ている」
ということであり、妹たちが全員登場したのは、
「私が生き抜くことで、安心して暮らせる人たちがいることを忘れないで」
と言うことを教えてくれたような気がしました。

1日1日ごはんを食べられること、気持ちよくせいかつできること
もしそれが今叶っているととしたら、誰にとってもそれは奇跡だし、多くの恵まれた現実があって成り立っているということは事実。
人として、この環境があたりまえと思わないことは必要だけれど、自分を卑下する必要もなく、罪悪感も持たなくていい。
美味しいごはんを食べればいい(楽しいことをすればいい)。

夢の解釈は自己流ですが、私なりに自然と答えが出せたことはよかったと思います。

2012年11月16日金曜日

思うところがあって

ソーシャルネットワーク系の書き込みをしないことにしました。
私には難しいことだったと自覚したので。

なんとなく私自身、顔見知りの人とツールでつながることで付き合っているような錯覚をしていたみたいです。
本当は顔をつきあわせて、相手のお話を生で聞いて、関係を作っていくものなのですよね。

リアルな友だちとしか友だち申請しない、と話していた知人が数人いましたが(私もそのつもりでやっていたはずでしたが)、ああ、そういういみだったのか、と今さらですが思いました。

これからはツールに頼らず知人とお付き合いしていこうと思います。そのほうが何もかも明確になるように思っています。

自分で結論が出るまでいろいろ試すことができてよかったな。
今のところどれも退会する予定はありません。(とくにf○は退会という手続きはできないみたいだし。)
メールはそれぞれのツールを使ったほうが送りやすい方もいらっしゃるし。

ほんとに、日々悩み多し。でも自分なりに考えがかたまると、気持ちがすっきりです。

2012年11月11日日曜日

心に気持ち悪いことが起こったとき


こころに気持ち悪いことが起こると、その原因がどこから来るのか考える癖をつけています。

私の内側の感情なのか、相手の問題なのか、一般化するとどういうことなのか、本当はたいしたことない問題を自分がものすごく大きな問題として感じてしまっているだけなのか。それとも本当に理不尽な体験なのか。

私の場合は、たいていは過敏すぎる自分の感情の問題であることが多いです。
私はそういう癖があるので。
感情のコントロールは本当に難しい。
他人のたった一言で火がついてしまうから。

心の気持ち悪さを感じた日は、私もこんなふうに人の心に火をつけてしまうような浅はかな言葉を吐いているのかも知れないと、誰かを同じ気持ちにしたことがあるのだろうと、気づけるように努力はしています。

なかなか思うようにはならないけれど。


これは教えていただいたことですが、バレリーナやピアニストと同じで、自分と向きあう心の作業も今自分の持っている力量から出発し、ほんとうに毎日自主トレをしていくしかないのだなあと思います

きっと数年前よりは怒り等の整理は多少早くなっているのでしょう

冷静になってから「この出来事に対してどんな行動をしたほうがベストか、流すのか、意見するのか、手放すのか、受け入れるのか」決めるようにしています。

が……。

心の波は幅があるので、感情が整理されないうちは本当に苦しいのですけれど。

心の動き

沖縄旅行以来、気持ちの変化が続いているような。
ちょっとおかしな気分です。

生きることにより積極的になったというか、
メリハリがついているというか、
うまく言えないけれど、なんか違うのです。

うーん なんなのだろう。うまく説明できません。


今日はスイーツ巡りをしてきました。
日比谷で降りて、有楽町のイトシア地下と銀座のプランタン。
買ってはないですよ〜。目の保養です。
明日の午後は、またどこか別のところを観に行こうかな。

食べログでランキングを見ても、ほとんど知らないのです。

でも。いろいろ見たあとに、お外で売っていたおまんじゅうに惹かれてしまった。(>_<)

2012年11月5日月曜日

あちらこちら

先月末、沖縄に行ってきました。
貴重な体験と、久しぶりに会った大切な人たちとの時間を、経験してきました。

いざというときに思い浮かぶ考えで、どれだけのことを心に蓄えてきたかがわかるものですね。
また来年、会いに行こう。そう思った旅でした。

そして先週末は実家に一泊。
年に2回も実家に帰るなんて、私としては例年にない快挙なのでした。
こんな時間を持てるようになって本当によかったです。

人の心は変わっていくもの。
いい体験ができますように

2012年10月13日土曜日

薄井ゆうじ氏の講演会

知人に教えてもらって、地元図書館で開催された作家の方の講演会に行ってきました。

心に残ったことは次の通りです

小説の調理法

●おそれを持つこと(ちゃんと伝わっているかどうか)
●本をたくさん読むこと。できれば1000冊ぐらい。
●伝えなくてはいけない事柄は、読者に伝えること
●プロットをたてないこと
●好きな小説を模写してみること
●小説を読むとき、途中で中断してその話の展開を考えてみる。自分ならどう展開するか
●何十回も推敲する。
●利害関係のない赤の他人に呼んでもらうこと(友人や身内は×)

原稿の書き方も説明して下さいました。

今は公募に出すのがいちばんよく、あきらめそうになったら3ヶ月間何も書かず何も読まない時間を作ってみるのはどうか。三ヶ月でも三年でも三十年でも書かなくても読まなくても人生が楽しいなら、それはそれでいい人生なのではないか、とおっしゃっていました。

その先生は「小説は読んだ人が元気になってほしいから書く」とおっしゃっていました。

ウナギことばもこんにゃくことばも面白かったな。

2012年10月11日木曜日

お遊びの日

昨日の映画は
 幸せへのキセキ
 ファミリーツリー

 うーん、私にとってはどちらも、「映画の世界を楽しみました」ってかんじでした
 幸せへのキセキは、テレビでドキュメントをやっていたときに見ていましたが、そちらのほうが印象強くて映画にのめり込めなかったみたいです。(映画だとファクションも入っちゃうし)
ファミリーツリーは、家族はいろいろありますよ、と言うごちゃごちゃっとした感じでした。わかっているようないないような、人にはいろんな一面がありますよ、的な。

そして、夜は再会した知人と飲み会。めちゃくちゃいい時間でした。

やっぱりこういう時間を大切にしたいな。
さて、今日はガリ勉女にならないと。

2012年9月30日日曜日

ハリーさん

昨夜、ハリーさんの講演会に行って心に残ったこと

● 創造はお金のためにするのではなく、人にインスピレーションを与えるために行うもの
● どんな芸術品でも書物でも、お金が目的でつくられたものはすぐ忘れられてしまう。こころを打たない
● 人々に忘れられない芸術品は、そこにつくった人の魂、哲学、愛が込められている。
● アイデンティティを大事にすること。アイデンティティとは「すきなこと」
● いい意味での欲望をもち、みがくこと
● 誰もが創造する才能を持っている。自分の才能は自分でみつけ、自分でじみちに鍛えること。自分のやりたいこと(才能)は、心の奥底にある。
● 1日1日を、魂を込めて表現し、精いっぱい生きること
● 自分のやりたいことを表現すれば、その日は充実するのでよく眠れる。(ただし魂がやりたいこと)

2012年9月26日水曜日

映画!

飯田橋の「ギンレイホール」というところで
「大人のけんか」
「マーガレットサッチャー 鉄の女の涙」
を観てきました。
二本立てでとてもお得に観られます。

大人のけんかは、大人の心のすべてを見せてもらったような気がしました。

マーガレットサッチャーは、ちょっと変わった映画という印象をうけました。

映画を映画館で観たのは久しぶり。また行こうかな。

2012年9月22日土曜日

本日のカメラ目線大賞

金魚さんです。
携帯のカメラを向けたらこんな顔をしたそうです。

時間があったので、先日行きそびれた本郷薬師辺りを歩いてきました。
帰りは大通りを避けて裏道散歩。
なかなかの味わいのある極小旅行でした。

2012年9月21日金曜日

お気に入りの場所で

お気に入りの六義園で大雨に。
園内にいらっしゃった方々がみんな、売店で雨宿り。
どしゃどしゃとすんごい雨でした。

雨上がりの日の光はまぶしく、木々が一段と輝いていました。

見知らぬ年上の方からおせんべいをいただいたり、飴をいただいたり、ちゃっかり子どものようなそぶりで年下ぶっていた私です。

最近、「私が障害者だから子どもみたいにあつかうんだ」「障害があるからうまくできないんだ」とか、そんな思い込みを崩すような気付きがあったりします。

障害がない方も年上の方から子どものような扱いをされたり、
障害がない方も 実は苦手なことが同じだったり、

そんな場面をみせていただくと、「私の思い込み」の部分に気がつくことがあります。

確かに「障害」を持っていることでいろいろと感じてしまうことはあるのですが、大なり小なり状況に関係なくいろんな人が味わっていることと似たり寄ったりなのかも知れないと思えたりする今日この頃です。

私はきっと、ひとからの言葉や態度に敏感になる自分の心を見続けるのではなく、視点を変えて、相手がどんな心持ちで気になることばを向けるのかを考えることが必要なのでしょう。
せっかくこの身体をもち、そのことを考える機会に多く恵まれているのですから。

雨上がりの気持ちいい場所で呼吸しながら、そんなことを思いました。
その時は細かい感情の処理にまた少し混乱していたのでしたが……。
狭い心を広げる修行は永遠に続きそうでございます

2012年9月17日月曜日

台風ですか

バケツをひっくり返すような雨が降ったり止んだりしています。

今日は湯島天神に一人で行ってみました。
自宅から約1時間。行けちゃったなあと思いました。
電動車いすは快調に走ります。

道に迷って偶然東大病院を確認したり、行ってみたかった横道を走って突き当たる先を確認したり、興味のある看板を見ると確認したくなってしまったり。
ほんとうに「さんぽ」でした。

約3時間、歩数のはかれない「●●さんぽ」でした。

せっかく都心にいるのだから、都心に詳しくなりましょう(^^)

昔から一人であるくと、その時間いろいろなことを考えます。
今回も過去のこととか、しょーもないことを思い起こして反省したり恥ずかしかったり、うだうだ歩いた時間でした。

家に帰ったとたんに大雨が。晴れ女の「さんぽじかん」でした。

2012年9月5日水曜日

虫の声を聞きながら

物思いにふける秋となりました。といっても昼間は灼熱の東京です。

19歳の時からなんだかんだいいながら仕事を持っていた私。遊び人になって4年が過ぎようとしています。
今年に入って、なんとなく心持ちが変わってきて、これからの生き方を意識するようになりました。
昨年そうそう小さな骨折をしたことで、家にいる時間が一時的に多くなり、なんとなく低空飛行になっていたようです。

私にとって仕事を辞めるということは、所属することをやめるということでしたが、最初の1、2年は、「仕事ができるのにやめてしまった」という罪悪感に苛まれていました。
(大して仕事はできなくて、迷惑をかけていたにも関わらず、そう思い込んでいました。)考え抜いた末の決断で、私のできる範囲で準備もしてからやめさせていただいたのですが、なんとなく引きずっていたのでした。

今年、そのきもちが薄れて、私なりに元職場との距離を保てるようになりました。
同時に今度は罪悪感からではなく、生き方として「所属しないこと」「今の環境をそのまま受け入れてポジティブに生きること」の難しさを感じるようになりました。
社会への還元、貢献の証拠としての「対価」を求めていた私。
結果が欲しかったのでした。目に見える形での結果。

結果を求めず、ただ私らしく生きること。
私としてどうありたいか、考えながらじぶんのできることを行っていくこと。
それでいいとようやく思えてきました。

元職場は私に仕事を与えてくれていました。
私は「社会に尽くしている」と思うことができました。
幸せな時間でした。

所属しないということは、私が個人として考えたことを行動に移していくこと。
社会的な位置とか評価を求めるためではなく、ただ目の前のことにつくしていくこと。
と言うことなのかなあと、今は思っています。
積極的に、今度は私自身が、私に見合った環境を自分に与え、動いていくのです。



2012年9月1日土曜日

9月になって

なぜか、ダイビングに行きたくなりました。
な、なぜ?今?

考えているとまた行くのが怖くなって、機会を逸してしまうので、動くことにしました。

あんなに怖くて、もう行こうなんて思わないだろうと思ったのに、どうしたのでしょう。
自分の心がわかりません。

ダイビングの練習を始めたのは41歳の時。未だにカードは取れず、それはあきらめました。
今関わって下さっているインストラクターはとても私の性格や心を理解して下さっています。
さくねんの年始めに自宅でこゆびを骨折した私は、ダイビングへの怖さに拍車がかかってしまったのですが、今回の心の変化は本当によくわかりません。
このままお世話になったインストラクターと別れるのは忍びないとは思っていましたが、海に入りたいなんてふたたび思うとは思いませんでした。

今朝5時までは!!

もうひとつ思ったことは、
「人生をもっと積極的にいきよう」ということ。
怖がってる場合ではないよね。

2012年8月30日木曜日

もしも、産む前に一ヶ月の命だとわかったら……

自分の人生があと一ヶ月しかないとわかったら、どのような気持ちになるだろう。

その時になってみなければわからないけれど、小心者の私のことだから、きっと大げさに騒いで周りに迷惑をかけて、時間をかけて受け入れていくか、それとも受け入れられないまま流れていってしまうか。あまり優等生になれないような気がする。

では、身ごもった子が生まれても一ヶ月しか生きられないと事前にわかったとしたら、私はどうするだろう。

妊娠したことがない私は母の気持ちが今ひとつわからないけれども、もし何も知らないまま子どもを産み、その子が一ヶ月しか生きられないとわかったとしたならば、私はその一ヶ月間を大切に大切にするだろう。医療に囲まれながらも、許される限り、その子が幸せを感じるように、たくさん抱きしめ、たくさん歌い、たくさんキスをするだろう。あくまでも想像でしかないけれど。

では、あらかじめ知らされていたら、私はどうするのだろう。妊娠1、2ヶ月でわかったら。

他の場合ではどうか。
身ごもった子が、命に別状がないけれど、五体満足ではないとあらかじめわかったとしたら?
私は、どんな心で、どのような選択をするのだろう。

前もって将来の子どもの可能性を知っていたら…。

出生前診断の怖さは、私はここに感じる。

  今の私は、さまざまな人生のあり方があるということを少しだけ知っている。歩けなくて見、みえなくても、聞こえなくても、話せなくても、意志が通じにくくても、その人の人生があり、生きるかたちがあるということ。たくさんの人たちが、私に教えてくれたことだ。

でも、前もっていろんなことがわかってしまっていたら、私はいつも「産む」という選択をするだろうか。
いろんな人がたくましく生きているということを知識や経験として持っていなかったら?
周りが「丈夫な赤ちゃん」をのぞんでいたら?
自分も家族も多くの生き方を受け入れられない青さをもっていたら?

未来を知ると、判断がかわる。命を選別する立場に自然になっていく。
そんな選択肢がまたひとつ増えてしまった。

障害がある私ができることは、幸せな生き方をしていくことにつきるのだろうか。
どんな境遇に生まれてもひとつの人生。ひとつの選択はその人の人生の小さな歴史になる。

私のいのちは摘まれなかった。
たしかに、幸せを感じるまでに時間がかかった。
家族が、私がいたことでどうであったかまでは、私の範疇で答えられない。

生きてみてどうであったかは、死ぬときにしかわからないだろう。
苦労しているときは、苦労でしかないだろう。

多くの方々が選択していくのだろうか。そして中絶していくのだろうか。
未来はただ想像の中だけ。必要なのかも知れない経験の場は閉ざされる。
それでいいのだろうか。
どう私は心を整理してみようか。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120829/bdy12082911260002-n1.htm

2012年8月23日木曜日

10年後どんなふうに生きていきたいか

10年後、私は下記のような心持ちで暮らしていたいです。

好きな人たちを信じ、心から相手のことを思うことができる関係性。そのなかで支えた下さる方々に感謝しながら、持って生まれたこの身体でできることを実践していく生活。

私にできることとは
 ●縁のある人を理解し、受け入れていくこと
 ●相手の話を聴き、寄り添うこと
 ●支えていただくことに、罪悪感、恐怖、理想を持たないこと(エゴイズムを捨てること)
 ●偏った関係性にならないように最善を尽くすこと
 ●相手のためを思って行動すること

10年後の生活を実現させるためにしていくこと
 ●多分野の勉強
 ●身近な人たちを大切にすること
 ●冷静に考える癖をつけること
 ●感じたら思考を働かせることを忘れずにおこなうこと

このメモは随時更新します

2012年8月10日金曜日

心の罠

思いもしない瞬間にそれはやってきます。

ふっと、人が言った言葉がよみがえって
その言葉の真意を探ってしまったり。

罠ですね。

心を明るい色に保ち続けることは難しいけれど
できる限り罠の存在に気づける冷静さを持ちたいものです。

2012年8月8日水曜日

物事を手放すと言うこと

私はこだわりが多いので、悩みも多いように思う時があります。
手放したいと思うことも、思うようにはいかないのです。

でも時折、「あれ、できてるじゃん」と自覚することも。
今日がまさにそうでした。

どうもひとつ手放せたようです。
あるものごとにいからず動じず、淡々と対応していたことに気がついたのです。

こんなことがあるなんて。
眠くてボーッとしていたせいかしらん

2012年7月22日日曜日

○○さんぽ 神保町周辺

ゆっくりと神保町周辺で遊んでみました。

週末の下見を兼ねて、入れる食べ物屋さんを探索。

イタリアン、洋食、中華、カフェ…
エレベーターや段差や広さのチェックをしながら、美味しいものを食べてきました。

ついでに岩波ホールでトイレを借り、神保町花月をちょいのぞき。
とびっきり気に入ったところは今回は見つからなかったけれど、気に入りました、神保町。
また遊びにいこ

2012年7月21日土曜日

そういえば

この間、知人に年一回のカラーセラピーをお願いしました。

私にとっては健康診断のようなもので、心の状態をチェックしていただく時間になります。

私ができるヒーリングと手法が違うので、また違う気分が味わえます。
なによりもお会いできることが嬉しいのですが。

知り合いに見てもらうのは、照れるけれど楽しいのです。
暖かさにもふれることができて幸せな時間です。

私の考えていることに共感し、熱いエールと鋭い視点をくれるのが彼女。
今回も、力をもらいました。

また来年の今頃、健康診断を受けます。
その日を楽しみに、じみちに歩きますよ!

2012年5月2日水曜日

長らくご無沙汰しました

何があったわけではないのですが、先月は何も投稿しませんでした。
春はあっという間に過ぎました。
今年は桜をよくみました。とても素敵な春でした。

先週末、実家に一泊してきました。
ほんとうに、自分から帰ることができてよかったです。

母に食事介助をしてもらいました。
妹たちにも全員会うことができ、甥や姪の顔をみることが出来ました。

私も親孝行できるんだなあと思いました。私自身が平和であれば。

心の平和をたもとー
ちょっと無理なこともあるけれど。

2012年3月26日月曜日

実家への外泊計画

あたりまえのように題目を書いたけれど、わたしにとってはもうないと思っていました。
実家へ帰ると言うこと。
ふつうに、父母に逢いに行き、泊まると言うこと。

障害がいくぶん若いときより重くなって、介助の方が毎日必要になったとき、実家でひとりで身の回りのことをやるのがとてもしんどくなりました。

なぜおふろに入っていかないの?  と毎回聞かれるたびに緊張したのでした。

帰ろうと前向きに思えたことは、ある意味成長かも知れません。
多くを一人でできなくなった今であっても、帰ることは親孝行なのかも知れないと、自然に思えたからです。

こんな日が来るなんて。
自分のこころんなかは不思議な宇宙です。

父と母に手紙を書きました。

いっしょにくらすならそれもいい、という返信のメールに涙が止まりませんでした。

大人の私は、もう自立していて、誰ともいっしょには暮らさないけれど。

いっしょに暮らしたかった、小さいころの私。
来月は、その子もちゃんと連れて帰って、一晩を過ごしてこようと思います。

2012年2月21日火曜日

常に動くこころ

日々が常に動くのと同時に、それにそって心も動いていきます。
自分の感情への注目をはずすと、視野がちょっと広がり、なにがあっても少しだけ冷静な気持ちを取り戻せるものなのですね。
今回それを少し感じることができました。
心が哀しいということにうそをつくことはしなくてもいいけれど、必要以上に敏感になってもつらくなるだけ。相手の方も嫌な思いをしているということに、思いをはせていくことは重要なことなのですね。

せっかくの哀しい時間。無駄に過ごすことができるだけないように、静かに心を広げています。

ただちょっとやはりさびしかったのか、知り合いの顔をみにいきました(^^)
なんせ、慣れてないもので(^^;)

2012年1月27日金曜日

そして 食べられる幸せ

ああ、噛めるってなんて幸せなことなのだろう。
痛み止めを副作用の少ないものにして一回飲んだら、ものが噛めるようになりました。

そうこうしていたら、今度は風呂釜がこわれ、シャワーしか使えなくなりました。
今まで追い炊きが出来ていたことの幸せだったこと。

おかげさまで大家さんが即対応して下さって、明日新しい風呂釜が設置されます。

あたりまえのことが、普通に出来ることの、本当に幸せなこと。

感謝の気持ちが足らなかったな、私。

2012年1月20日金曜日

美味しいものはすぐそこに

突然、右半分の歯のつけ根にずしりとして痛みを感じて、ものが噛めないという体験をしました。
一昨日の話です。

かかりつけの歯医者さんに相談して、市販の痛み止めを服用したら、2日目の夜は咳が止まらなくなりました。
今日はくすりもやめて、咳は止まり、なぜか痛みも落ちついています。

なんだったのでしょう。
確実に虫歯ではありません。

来月早々、歯医者に行ってきます。

それにしても、噛めないってつらいものですね
ああ、かみごたえのあるものをたくさんたくさん食べたい。

そう、まだ思うようにものが噛めない私でございます。

しかし、いい経験でした。私はまだまだ欲が深いでーす。

2012年1月15日日曜日

本日のライヴ KOTOBUKI

駒込駅東口にある、沖縄琉球センターどぅたっちに行ってまいりました
寿ライヴ イエイ


オリオンtという大好きな歌が聴けて幸せでしたーーー

2012年1月14日土曜日

今日の観光

といっても「ぽ、ぽ、ぽ」の範疇ですが
(by あのねのね さんぽから…とちっとばかりふるいか)
千石から春日に出てラクーアで私物を買い、春日通りを大塚方面に。
中央大学理工学部の坂を過ぎたところにあるケーキ屋さんをまどごしに眺め、電通院と大黒天を見ました。
そして茗荷谷へ。
切支丹屋敷跡の石碑と夜泣き石を見てきたのでした。

ずっと歩いたので帰りは地下鉄を使って…と思ったらなかなかお会いできない知人にばったり。ついさっきまどごしに眺めてきたケーキ屋を教えてくれた人でした。

旅はどんなに小さな旅でもいろんな出来事があるものです。
縁は異なもの
そして 一期一会。

6月の生き方

今月は、 体験を大事にすること。 一つ一つの体験を通して、自分の苦手なこと、好きなことを理解し、その出来事に対し自分が何を表現したかったのかを、明らかにしていこうと思います。 自分の表現とは、自分がその場でできることを考え、行動に移すことです。 ハードル高い気もする...