2014年3月26日水曜日

幕張

大学の用事で幕張に。
久しぶりの千葉でした。

幕張はお初。在学中に大学本部に行ってみたかったので、いい機会でした。

でも、いきなり多目的トイレで非常ボタンの紐を触り、作動させて(わざとではありません)、トイレについての意見を学校側に伝えることになったり、使いやすいトイレを探すことになったり。なんかいきなりそんなことで時間を費やすことになりました。

いちにちを通して感じたことは、頭の中の世界と体験していく世界は違うということです。
頭の中の世界を広げていくだけでは、現実の世界と開きができて、その世界で生きていける人もいますけれど、私は苦手な分野なのだと自覚しました。

私の体や環境の現実は、静観して毎日を過ごせるほど自分自身達観できていない。それがわかったのでした。
研究だけでは理解できない、というかきっと今の私には向いていないみたいです。
認定心理士をとったら、大学とはお別れです。それを決めることができてよかったです。

学内のエッセイコンテストに選んでいただきました。先生方がどんなお気持ちを持って戴いたのかお聞きすることができました。
まとまった本が購入できる額の図書カードをいただいて、若者の気分です。
ちょうど本をたくさん買いたい、なんて思ったばかりだったので、夢が叶いました。
幕張はすこし遠かったけれど、出かけてよかったです。

2014年3月23日日曜日

ジュンク堂お初

池袋はあまり知らないので、教えていただきながらジュンク堂に。
本屋さんに行って、本を次から次へと欲しくなったのは初めてかも知れません。
他の本屋さんと、どこが違ったのでしょう。

確かに、図書館みたいだなあ、と言う印象を受けましたが。
水があったのかしらん。

新宿よりも池袋が行きやすくなるときが来るなんて、何年か前は思いもしなかったです。
新宿、とても好きだったのに。
交通事情で感覚なんていくらでも変わりますね。

ジュンク堂、私には毒かも知れません(^_^;)
資金がそれだけあれば別ですが。

久しぶりにシャーロックホームズ

久しぶりにシャーロックホームズを読みました。
「緋色の研究」。ホームズとワトスンが出会うシーンのある本です。
コナンドイルの第1作目の作品です。

アフガニスタンのことを知りたいと思ってテレビを観ていたら、この本を話題にして話を進めていた番組があり、少し興味を持ったのです。

10代の時、コナンドイルはよく読みました。
でもこの第一作目は初めてでした。

ホームズがワトスンと初めてあったとき、アフガニスタン帰りのワトスンの事情をいきなりホームズが言い当てます。
さすがに歴史小説ではないので、最近読んでいたたぐいの内容とは少しはずれましたが、コナンドイルは好きなのでいいひとときでした。
物語の後半はモルモン教徒をモチーフにした、「一連の事件」の背景が語られます。創作とはいえ、そんなに嘘は書けないでしょう。
最近とくに「宗教の難しさ」について考える機会が多かったので、そういう意味でもよんでよかったです。

2014年3月21日金曜日

自分の世界を決めると

ブーミ・プトラ(大地の子)という本を読みました。
インドの近代史です。

カースト制とヒンズー教の生活環境の中にイギリスからのキリスト教が入ったとき、市民に何が起こり、何が難しかったかがとてもわかりやすく書いてありました。
読む前までは、イギリスはインドを経済的・文化的に支配し、自国の糧として利用したという大まかなイメージがありましたが、カースト制や宗教色が強い中で、インド自体が自分の首を絞めた部分もあったのかなと感じました。
一般的に、宗教の弱い部分は、その考えに基づいた行動だけが「正しい」と信じすぎてしまう傾向があること。
科学や他文化を「間違ったもの」として拒絶してしまうことなのかも知れません。
それは「神」を明文化したものとしての宿命かも知れません。
人は、イマジネーションが無現に広げられる脳を持っているから、自分たちの本来立ち入れない(理論的に考えが組み立てられない)世界まで想像力を働かすことができます。
それに、自分のよこしまな思い(エゴイズム)も整理できませんし。
その中で考える「神」の世界だから、いろんなひずみができ、そのひずみを他の宗教や文化の違う人たちに向けてしまうのでしょう。

間違いを認めていくことも、人間力(生きていく能力)を養う必要があることなのでしょう。

歴史的にいろんなつらい思いをしながら、人類が戦争をやめられないのは、世界観をとらえる心が未熟だからなのかも知れません。
自分の心をいかに育てていくか、一人一人が地道に人生と向きあうことが、実は全体の平和につながることなのかも知れません。

2014年3月20日木曜日

 上の奥歯

とうとう、抜歯することが決まりました。
右上の奥歯。
今かみ合わせが悪く、すこし浸みます。

2年前にひびが入り、ひどいことになりました。
体の緊張による、かみしめが原因です。

この数年前から、マウスピースのナイトガード(睡眠時専用のマウスピース)を使っていたのですが、どの歯ももう擦れて平たくなっていましたから、夜だけケアしても間に合わなかったのでしょう。

その時点で割れた歯は、温存して使い果たすことを選びました。
あれから2年。右の奥歯はもう限界のようです。

抜歯のあとは、入れ歯デビューかブリッジにするか、少し考え中です。
入れ歯は毎日の手入れと着脱の手間があります。やっぱりブリッジかなあ。

虫歯や歯槽膿漏でなくても歯をなくすことがあるなんて、何が起こるか本当にわからないものです。

小さい頃から、歯だけはよくみがけといわれてきました。
でも自分できちんとみがけるはずもなく、誰に頼むこともなかったので、けっこう虫歯になることは多かったように思います。

一人暮らし後、東京に越してから、友人の紹介で今の主治医の先生にお世話になっています。それでも、一度きれいにしていただいてから数年行かなかった時がありました。

どこに越しても、歯医者さんだけは変えません。なにしろ私は小心者なので。。
忍耐強く付き合っていただいています。ありがたいです。
誰かに「いい歯医者さん知ってる?」と聞かれると、ここしか紹介しません。


今は、介助の方に歯をみがいてもらっています。
定期的に歯医者さんで歯石も取っているし、いい環境で過ごしています。

ナイトカードは、一番厚くて堅いもので作ってもらいます。それでも6ヶ月で壊れます。
アテトーゼ恐るべし。自分で自分の力が調整できないって、すごいものです。

それでも、薬で緊張を緩和したりそういうことをしていないので、少し考えれば緊張の原因は少し察することができています。だから、歯は削れちゃっても、比較的毎日を楽に過ごしています。

筋緊張はなくすことはできないので、まあ、これが私なのだろうと、割り切ることにしています。

ブリッジor入れ歯。
私の悩みなど、こんなささいなものです。


2014年3月18日火曜日

ソチパラリン

少ししかみられなかったけれど、NHKの放送で観てましたー。
スカパーではLiveでやっていたみたいだけれど、有料だったので観られず。

出来島さん、ちょっとくやしかったなあ。
バイアスロンかな、1競技でコース誘導のミスがあり、間違えずに着実に進んだ彼女が最後、「公平さを期す」ためにコース変更されてかなり多くすべらされることになってしまった。
冷静にインタビューに答えていたところを観ながら、スポーツ精神を感じました。

チェアスキーの大回転は、見応えありました。
車いすホッケーも、怖いぐらいだったし。

解説の方にひとり私のツボにはまる方がいらっしゃいまして。
毎回一言、選手の普段の様子とか、個人的な人格を思い浮かべられるようなことを付け加えて話す方。
おかげさまで、選手を身近に感じることができましたよん。

放送時間、30分はやはりもの足らなかったです。

旧川越街道は

旧川越街道は、やはり途中で川越街道につながり、また別々になっていくんですね。
昨日発見しました。

土曜日に立ち寄ったおいしい和菓子屋さんは「だんごの初音家」と言うところで、また少し買っちゃいました。
道明寺を少し分けてもらったら、これがとってもおいしかった(*^_^*)
もう一軒の評判店は、石田屋 というところのようです。残念ながら見つけられませんでした。
食べログで写真を見たら、バターまんじゅうがおいしそうでした。

場所はほんとに駅近。ちょっと道を間違えただけ。
きっと、たどり着いたら確実にまた買ってしまうので、止めが入ったのかも(なんちゃって)

上板橋の南口は、安い八百屋さんやおいしそうな惣菜屋さんもあって、少し狭いけれど満たされた道でした。
車いすトイレもあったし。でも電動車いすはドアの幅が狭くて入らなかったのが残念でしたが。

2014年3月17日月曜日

土曜日は

友だちとデートでした。
お正月に事故を起こしたショッピングセンターで待ち合わせをして、たくさん話したあと、介助の方と3人でよく歩きました〜。
東武練馬から家まで。旧川越街道と川越街道をずっと。
途中、旧川越街道沿いで和菓子屋さん発見。どら焼きをおごってもらいました。
このどら焼きが、あんこがぱんぱんに入っていて、栗が3つ入っていて、ホントに食べがいあってうまかったです。
見つけたのはかみいた付近でしたが、この付近にはもう一件評判の和菓子屋さんがあるんですって。

和菓子は日持ちがしないから買い置きはできないけれど、いつか誰かに食べさせたいどら焼きでした。
食べログネタを見つけられて、ラッキーでした。

数人でまちあるきもなかなかいいですね。めっちゃ楽しかったです。

しかしホント、この一年間よく町を歩きました。一年間観光した気分です。

2014年3月14日金曜日

神保町のカレー

神保町のカレーをお初でトライしました。
いつも素通りして、時間との勝負で帰宅していたので、なかなかトライできなかったのです。
昨日は予定の時間より早めに出かけたので、小さな夢が叶いました。
お店には入らず、お弁当でしたが。

人と話すことって、本当に大事なことですね。
臆しちゃいけないんだなあ、と改めて感じました。
臆さないことと配慮しないことは違いますね。

そう、私には癖があって、「自分は配慮される方」とついそういう頭になります。
わたしも、配慮する側の仲間に入らないと、見えるものも見えませんね。
町を歩いていると、ぶしつけなことによく逢うし、日常生活でも、ああ、ああ、そうなふうに考えているのね……という感じで人の気持ちを受けとめてしまうことが多いけれど、

自分が、自分の置かれている人生に積極的になるということは、自分から、日々置かれてしまいがちな立場を抜けて、違う視点に立つことなのかも知れません。
ここにいるよ、と人にアピールするのではなく、あなたを大切に思っていますと態度で伝えていくこと。
違う視点から、人を大切に想うこと。
それが今の私にできることなのかも知れません。

そんなことを感じながら、ある方とのひとときを過ごしてきました。
お時間を頂けて、本当によかったです。

2014年3月12日水曜日

大山の

気になっていた沖縄そばのお店でランチを食べてきました。
今日は日差しも暖かで、風もなかったのでチャンスでした。

その店は店内が少し狭くて、車いすでは入れそうもないのです。
でも外には少しだけ椅子とテーブルが置いてあり、店に入らない人でも休憩所として自由に使っていいようになっています。
今日のように暖かければいけると思い、たべてきたのでした。

私は久米そば。おいしかった(^_^)v
沖縄そば、本当は焼きそばが好きなのですが、その店では残念ながらたべられないみたいです。
でも久米そばはもやしがしゃきしゃきで、うまかったなあ。

「休憩所」とテーブルが置いてあるのは道路端。お店は商店街に面していますが、いずれにしても大型の車も通ります。
車いすが少し道路に出ていたので、時々大型車が通ると思わずよけようとしてしまったのですが、どの運転手さんもとても運転がうまく、よけようとして電動の運転レバーに手をかける私を制止して、難なく車を走らせるのでした。

のんびりした午前中。おいしいひとときでした。

2014年3月11日火曜日

この日は

3年前のこの日は自宅にひとりでいました。
きき手の小指をケガしたばかりで、あまり動ける状態でなく、だから揺れがひどくなったときも、出入り口代わりの玄関の窓を開けたり閉めたりしていました。

テレビをつけるとひどい現実が映っていました。
ネット上で友人の状況を把握するのに集中していたら、電話が鳴りました。
私を心配した妹からでした。

実家に無事を知らせる連絡を取ったあと、ずっと介助派遣を依頼している自立生活センターと夕方からの介助のことでやりとりしていました。
この日、私は生活のケアを受けることができました。
携帯メールを時々手動で強制受信すると、ある車いすの友人から「家に帰れないかも知れないからもしもの時は泊めて欲しい」というメールが入っていました。
 家がバリアフルなこと、私がケガしていること、とても狭くて車いすで動けないことで、うんと言えない私がいました。いつか友人が泊められる家に越さなければと思いました。

つぎの日に来て下さった方は、普通に私のケアをして下さいましたが、実は帰宅難民になっていて、朝ご飯が食べられないまま来て下さったのでした。
 一緒に朝ご飯をたべながら、泣きました。

 私は、それでもやはり自分の中に無神経さがあったように思います。

 都心は、一人一人の心の中に小さなパニックが起きていたように思います。
もちろん、甚大な被害を受けられた方々を思えば、とても小さなことなのですが。
人の恐怖や不安にふれるたびに、誰かが来て下さることで成り立つ生活の現実を感じ、生きていく意味を考える時間になり、心が揺れ続けました。
ただ1日1日、生活できていることに感謝をしようと思ったのでした。

知人の、この日の体験談を聴きに行ったのは、ずっとずっと後。
その間、知人を通して、都心に避難してこられた友人には会いに行くことができたけれども。

お米が買えなかったり、トイレットペーパー探しにさまよったりしたけれど、知人たちの体験を思うと、ここに書くことではないのかも知れません。

原発やエネルギーの問題が、人を大切にする方向に向かいますように。
被害に遭われた方々の状況がよくなる道を、日本が進めますように。


2014年3月9日日曜日

きづいたこと

夕べ考えて、気付いたことが一つ。
私が介助の方に求めているのは、
「私の行動に対しての責任を私自身がとりたい」
ということにつきるのかも知れません。

確かに、「出来ないことを出来るように助けていただく」ために
制度を使って介助の方に来ていただいているのですが、

私がイライラしたりしてしまうのは、
「私が本来行動すべきことをしてもらってしまったとき」みたいなのです。

よく介助の研修では
「先回りしないで下さい」とか
「言われたことだけやって下さい」などと伝えますが。
たぶん
「私の判断する場は手伝って欲しくない」
ということなのかも知れないなあと、思ったのでした。
私の場合は「判断や物事の「一般的な対応」そのものには支援はいらないのでしょう。

そこのところがうまく伝わらなかったとき、または明らかにやってもらってしまったとき、
私はイライラしてしまうみたいです。

自分自身が生きていないような気がしてしまうようです。

介助は人間関係の一つ。自分の体で完結できないさまざまなことを、人の手を介して実現していくのが私の生活です。
変なところで心を乱さないように、ひとつひとつ自分なりの答えを出していきたい今日この頃です。

アリソン

少し前のアメリカドラマにはまっています。

霊的な夢を見ることのできる女性が犯罪捜査に協力するドラマ。
海外ドラマにどっぷり浸かるのは久しぶりです。

どこに惹かれているかといえば、
ごく普通の家族の日常だからかな。
三人の娘と、エンジニアのご主人がいる、たぶんアメリカの一般的な家庭。
夫婦はとてもよくコミュニケーションをとるし、家庭内でのいろんなことは日常的におきて、確かに主人公の夢や感性が話しの中心だけれども、私はたぶんそれ以外のことで楽しんでる気がするのです。
たとえば夢の解釈を間違えていたい目にあったり、家族が大変になっちゃったり、自分の夢の意味がわからなかったり。
夢のせいで職を失ったり。
どんな能力がギフトされていても、それを使いこなしていくのは本人で、広い視野と経験がないとうまく行かないんだなあと変に実感するのです。
実在する人物の物語なので、話しがオーバーでないところも気に入っています。

家族が、母子や夫婦がたくさんたくさん話し合っているシーンが多いので、私にはそういう面ではまる要素があるみたいです。
こんなに相手の話を聞く家庭もあるんだなあと。
まあ、ドラマだから、ということもあるでしょうけれど。
今日は一人の時間が長かったので、見てなかったところを一気に観てしまいました。

もう寝ないと。本は明日読むことにします。

2014年3月8日土曜日

桐ヶ丘特別支援学校と

日大板橋病院を抜けて、桐ヶ丘特別支援学校と東京都総合医療療育センター(整肢療護園)のわきを通り、有楽町線小竹向原駅に出てみました。
家からは45分から50分ぐらい。帰りは地元の方に近道を教えていただきました。
でも一度ではなかなか道はわかりません。
方向音痴の哀しいところです。

私は埼玉の北にある施設で小中学校を過ごしたのでまったく知らなかったのですが、大人になってから地域活動でいろんな方に伺うと、「桐ヶ丘出身なんだ」とか、「整肢療護園に母子入園していたの」などという声をよく聞きました。

今の家が比較的近い場所だとわかり、本当に興味本位でそばを通ってみたかったんです。〈ミーハー〉

2時間のまちあるき。道を覚えるのはこの次ということで、とても満足です。
探しものも、実はあったし。

2014年3月7日金曜日

心をひろげて

最近、何冊か本を読み、映画や、テレビ番組を見て自分の中の認識を整理しています。

たとえば「差別」について。
最近読んだ本「それでも、私は憎まない」映画の「42」最近テレビでやった「朝日軍(カナダのアマチュア野球チーム。日本人のチーム)」、どれも差別を受ける立場に立った側が謙虚さを失わずに紳士的な態度をとって生きる姿が印象に残り心をうたれました。

差別を受けていると感じる側は、それについて忍耐を持って接し、かつ誇りと希望を失わないことが大切なのだなと再確認しています。
誰が差別をしても、まずは自分のことを自分から差別しないということ。最大限自分の人生の可能性を信じ、現実を踏まえながらも智恵とアイデアと思考力を持って突き進むこと。諦めないで生きていくこと。それが自分の人生に責任を持つことなんだな、と。

それには決して感情的にならず、物事を少し離れたところから見る力が必要で、その視点を養うには知識を得なくてはなりません。

今回、お風呂の湯船がなおらないことになったとブログに書いたところ、信頼している方が引っ越しという方法もあるとすすめて下さいました。
私が住みやすいと思われる物件もリンクされていました。
とてもとてもうれしく、積極的に生きる大切さを取り戻すことができました 。
私の状況を理解して下さった上での、あきらめない提案が、どこかで引っ越しを諦めていた自分を自覚させてくれたのでした。

差別のない関係性をつくろうとして下さる方と出会うたび、そしてその視点にふれるたび、差別心の強い自分を自覚します。
私が、環境に慣れてしまっているのです。
だから、差別をされない環境には、はっとします 。
自分も、人を愛する側だと、自覚しなくてはと教わるからです。

生活している中で「私は関係ない存在」という狭い中に入り込んでしまう、そんな時が多々あります。

ほんとうは社会で人がどう私をあつかうかは関係ないのです。私が人をどう見るか、私がどう人を理解し、どんなことがその人にできると思っているか、私が私の人生をどう見ているか、それが大事なことなのです。
が、視野が狭い私はどうしても自分の視野の範囲で世界を見てしまうのです。
だから怯えて、人のきもちがわからないときが多くなってしまうようです。

私は私に限界をつくらない。
昔々、ピアカウンセリングで教わったことですが、本当の意味で、もうそろそろできるようにならないと。

限界をつくらないということは、心を広げて、いろんな世界を感じること。愛する心を広げること。
そして、自分の可能性を広げていくこと。

それをいつの日も教えて下さる方々に、感謝しながら生きることを忘れないでいようと思います。。

2014年3月6日木曜日

戦後の ーー世界史そのにーー

日本から北朝鮮への帰国事業について、物語形式で書かれた本を読みました。

実話を物語としてやさしい語り口でつづられた本でした。

でも、読み終わるのに時間がかかりました。

現実に行われていることを受けとめるのがとても難しかったのでした。

貧しさと、統制と、終わらない差別と。

今の私の環境を見直すと、言論の自由とはこんなに豊かなこと、人の尊厳が与えられているということはこんなに豊かなことと確認できます。
「人は、こんなこともできる」
人はどんな環境もつくることができてしまう。
他人に対して、非情にもなるし、情をいだくこともできる。

人を分けて阻害することもできれば、あたたかく自分のことのように理解しようとすることもできる。

とこに住んでも、どんな環境でも、差別や無知がない世界はないけれども。
いろんな世界を知るということは本当に大事なことだと思います。

歴史的に日本も背負っているものもあるし、他人事とは思えず、別の本を読み始める前の心のせいりをしています。

いつか、本当の平和のあり方に、私たち人類が気付きますように。
私が自分の心の狭さに気が付けたように、小さな小さな奇跡がたくさんたくさん起きますように。
そして、今も苦しんでいるたくさんの人たちに、理解の光が差しますように。

私も、明日は今日より、未知なことに気がつく自分でありたいです。
自分にできることが増えていく自分でありたいです。

2014年3月4日火曜日

池袋で

久しぶりに友人と飲み。
火鍋というものを初めて食べました。

鍋を半分に仕切って、片側に辛いつゆ、もう片側にマイルドなつゆを入れ、しゃぶしゃぶのように野菜やお肉を食べる鍋。
お店もいい感じでよかったです。

帰りは東上線が止まり、バスで帰ってきました。
混んでいるバスにすっと乗せてもらったのもすごかった。。

午後から店探ししたり、おもしろいいちにちでした。

火鍋はいいなあ。うちでもやってみたくなりました。

2014年3月1日土曜日

世界史 そのいち

少しずつ歴史の本を読んでいるのですが、苦手な分野はなかなか頭に入りません。

最近、イスラエルとパレスチナの問題をわかりやすく書いてある本を、中学生向けも含めて何冊か読みました。

アラブ諸国とパレスチナの違いとか、シオニストのこととか、何も知らなかったので、今の難しさが、宗教と、関わった各国の都合と、差別との入り交じった結果なのだということを、少しだけ知ることができました。

やはり怒りを憎しみにしないで生きるのはとても難しいこと。そして相手のことを愛情を持って考えて行動することは、自分の心がある程度豊かでないとうまくできないのかも知れません。
きっといつも人はいい人になりたいと思って生活しているし、相手のことを考えているつもりでいるように思うから。
私がそうであるように。

真にできているかどうかは別の話で。

本当は相手のことを考えているようで考えてなかった、自分のことばかり考えていた、と自覚したときから、ゆっくり自分の時間が流れ出すような気がします。

でももし目の前で、自爆テロが起こり、攻撃されて人が死に、あからさまに生存さえ危ぶまれる状態が続いたら、きっと私はすぐそばの人を恨むと思います。
私の精神はまだまだそのあたり。自覚だけではきっと駄目。自分の心を育てる責任は自分にあるのでしょう。
知る努力をするしかないよね、きっと今の私には。うん。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...