2016年12月31日土曜日

自分と向き合う

今年に入ってしばらく書くことを休んでいましたが、ブログ再開と同時に、チャクラヒーリングを受けました。
ヒーリングルームのブログを兼ねているにも関わらず、このブログには自分の日常ばかり書いてきました。
今回も自分のことになってしまうけれど、チャクラヒーリングを受けて感じたことを少し書いてみようと思います。

少ししか書くことができないのは、まだうまく表現ができないから。
……いや、、、少し違いますね。難しいことは文章を書くことではなくて、自分の心をあらわすこと。
来年からの課題だなあと感じています。


チャクラヒーリングを受けて感じたことのひとつは、自分がごうまんでしかなかったということ。謙虚な心が少しもない人生を歩いてきたということでした。

気づくということは、閃きのようなもので、何かをわかろうとしていた時は本当に何もわからなかったことだなあと思います。
そして、気づくことだけでは足りなくて、気づいたことから自分がどうするかを考える必要があるのだと感じました。

もうひとつは、自分が何を目的にして生きていきたいのかをきちんと持つことの大切さです。
それがないと人の考えに心が揺れて、物事を鵜呑みに信じ込んでしまったり、流されるままに生きていってしまったりします。
それはまわりにとって悪影響になります。

自分の生きる目的をはっきり持ち、ひとつひとつの日々の出来事を心で受け止めて生きること、感情(情動)のままに動くのではなく、感じた感情を大切にしながらそのできごとがどういうことなのか、自分は何をするべきなのか考え、自分なりに行動に移すこと。その経験を積むことがとても大事なのだと感じました。

そして、私の生き方に足りなかったことは、
「幸せを願う」
という姿勢でした。それは、愛情という視点がなかったということです。
謙虚さがないということは、自分のことしか考えていないということで、いつでも自分のことを考えているだけでは、人の視点を想像できません。自分しかわからないので、自分にしか愛情を持てません。

人の幸せを願うということは、その人にとっての幸せは何か、自分はそこにいることで何ができるのか、などということに想像をめぐらすことになります。

例えば私は毎日、介助の人から支援を受けて生活しています。
私はそのことに感謝はしていたけれど、一人一人会う人の幸せを願っていたかと聞かれると、それはできていなかったように思います。

確かに、少しでも介助が楽になる方法を工夫したり、介助を通して深まっていく人間関係を大事にしていました。
でもそれは、私目線のものばかりだったように思います。

幸せを願うということは、もっと広く物事を捉えることも大切なことのように思います。具体的に何ができて何ができないなどと判断するのではなくて、障害があるからできないとかできるとかそういうことではなく、視点を持って日々考えていくことが、私にとって必要なことのように思えたのでした。



いつかこのブログでももう少し表現ができるようにしたいけれど、今はここまでしかまとめられません。
たくさんたくさん、あるのだけれども。

ここまでの道のりを導いてくださった恩師、日々関わってくださったたくさんの方々に感謝しながら、また歩き出そうと思います。
来年はもう少しいろんなことを書けるよう努力したいなと思います。

今年もあとわずかになりました。
拙い文章で失礼いたしました。
みなさま、今年もありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

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お世話になっているヒーリングルームのホームページとブログは下記です。
(このブログのサイドにもリンクしてあります。)

Medicine Wheel

魂のカルテーーSpiritual Case File


2016年12月23日金曜日

障害と向き合うーー心理カウンセリング

自分の障害と向き合う、ということは、ピアカウンセリングを通してやってきたことではあるのですが…。
今年まるまる一年、別の視点から向き合う時間を作ってみました。
正確には一年と二ヶ月。心理カウンセリングという方法でです。

数年前に大学で臨床心理の科目を取得するうちに、いつか50分間のカウンセリング時間を体験してみたいとは思っていました。
自分がクライエントとして体験することになるとは、その時は考えもしませんでしたが。

カウンセリングの経験があるので、今回はその経験の視点から、せっかくの時間を有効に使いたいと思っていました。
月二回のセッション(途中月一にもしてみましたが、月2回で落ち着きました)、カウンセラーは同じ方。某大学で受けさせていただきました。

クリニックに行かなかったのは、診断を受けたくなかったから。
治療したいのでなくて、自分の障害を理解したかった。それだけだったのです。

ただ自分だけではどこをどう考えていいかわからなくて、誰かの視点をお借りして、一緒に考えたかったのでした。

その大学の方々は、私の趣旨をとてもよく聞いてくださり、インテイク(最初の面接のようなもの)では、もしかしたら経験不足なだけかもしれないという見解をいただきました。
一緒に向き合っていきましょうという言葉は、不思議な安心感がありました。

この期間でわかったこと、それは、
私がどんな障害であってもあまり関係ない。だから変わらずいきていけばいい、ということでした。

障害にこだわっていたのは、視野の細い穴に入ってしまっていたのは、私自身だったのです。

ある日のカウンセリングの後、たとえ身体障害だけが私の障害ではないとしても、私の目の前の課題は変わらない、ということに気がついたのでした。

もしかしたら自分から、「身体障害以外の障害が自分に認知できたら、空気の読めないことも他の自分の課題も、どこか少し手綱を緩めても許されるのではないか」という思いがあったように思いました。
でもそれば違って、私の課題は何も変わらずそこにあり、多分障害の名前が追加されたとしてもそこにあり続けるのだろうと自覚したのでした。自分でその課題のことを考えて行かない限り、ずっとずっと。

そう思ったときに、どんな障害があろうと私にとっては関係ない、私の人生を生きるにあたっては関係ない、と思えるようになったのでした。

障害名が変わらない今でも、私は経済活動をうまくできないし、でもものすごく日々をサボっているわけでもない。才能があるわけではなく、人間としての幅は今の環境以上のものではない。現実をうまく受け入れて、自分の日々を豊かにしようと努力しなければ、物事は何も進展しない。そのことに気がついたのです。

障害のことに向きあいたくてお願いした時間でしたが、どんな障害でもいいんだと納得できたことで、カウンセリングの時間は卒業しようと決めることができました。

自分のことを、知らない人に話していくこと、それも毎回とても長い時間話すということは、とてもいい体験となりました。

心理カウンセリングでは、カウンセラーはクライエントの気持ちを理解していくために聞くんだということを学びました。話の筋道を理解するということは相手を理解することに繋がるのだということも。

心の課題はあちらこちらに見えてはきたけれど、それに取り組むのは機が熟したときに。
今は一区切りを味わおうと思います。

2016年12月14日水曜日

午後に見た夢

予防接種後、ものすごく眠くなってあっというまに時間を過ごしてしまいました。
その時に見た夢です。

家を出ようと思ったら、妹が衣服を整理していた。どうするの?と聞いたらまとめて寄付をするという。それなら私も寄付したい服があるから一言言って欲しかった、と思いながら家を出る。隣の家を通り過ぎると友人がその家に入っていくところ。「お隣さんと共同して申請すればいい…」と声が聞こえて来る。なんのことかなと思ったら、どうやら公的設備を直すことらしく、「あなたは話がわかると思って」とその友人に言われた。友人は金色の背広を着ていた。
なんのことだろうと思っていたら、みしらぬ高齢の男性、仙人みたいな人が、私の車椅子を後ろ向きにして前輪をあげて、すぐそばの階段を引っ張り上げてくれた。その階段は大きくて幅のある、神社にあるような厳かな雰囲気の白い階段だった。途中で踊り場があり、直角に続いていた。
階段を登りきると、晴れやかな気持ちになった。よく見ると登りやすいように、階段に小さな段差解消のスロープが付いているものが多かった。これは多くの人に助けられたんだと感じた。空は青くはなかったが、澄み渡っていた。ここで目が覚めた。

記憶に残る夢でした。

2016年11月1日火曜日

最愛の子

中国の映画。

子供誘拐がテーマですが、一人っ子政策の現実もあって、多くのことが絡み合った奥の深い映画でした。

観ていて切なくなるシーンがいくつも。今もどうここに感想を書いたらいいかわからないままです。
映画のあらすじを書かずに、感想だけ書くのは、とても難しい。

日本にいると、日本の法律の中で物事を自然に考えている毎日なのだなあ、と中国のこの映画の中の感覚に触れてみて思いました。
人々の感覚の違いも。文化が違うということは、小さな一つ一つに対する感覚が違うということで、これが映像になると感覚的に違う感触をこんなに感じるのだと。

映画は事実に基づいているので、本当にいたたまれないです。
親の、深い思いも、ひしひしと感じます。

もう少し時間をかけて、この項、もっと読みやすくかけるように考えます。

2016年10月12日水曜日

海街diary

ようやく見られた、是枝監督作品。原作はコミックだそうです。

映画でシーンに描かれない部分が、想像する世界となり、すごく心に残りました。

表面的な言葉や、映像よりも、奥にあるものを感じさせてくれた映画でした。

広瀬すずさん、かわいかったな。まえだまえだの汪士郎くんもういういしさがあって、良かったです。

「存在しているただけで人を傷つけている」そんな風なつぶやきに、主人公の苦しみと周りの人の気持ちを思いました。


2016年10月9日日曜日

よい神さまたちの住むところ

銀座でオリンピック・パラリンピックの凱旋パレードが催された日、近くのギャラリーで個展を見てきました。

「よい神さまたちの住むところ」 上野真由さんの作品展。
 羅針盤というギャラリーです。

よい神さまの面と、絵画がありました。

世の中は光と闇で作られた世界で、私たちはそのふたつが混じり合うところに住み、よい神さまたちはすべての(混じり合わないところと混じり合う世界と)に住んでいるものなのかなあ、と、絵を見ながら感じました。

よい神さまのお顔はどれも光の色をしていて、中に闇の部分を入れ込んで浄化しているような、そんなイメージを感じさせました。

ギャラリーの中に入って、神さまの空間にほっと座らせてもらったような、そんな体験をさせていただきました。

いつも迎えてくださって、感謝です。また伺わせてください。

次回の個展は3年後に。グループ展は来年行うそうです。

サウルの息子

2016年(今年)公開された、ハンガリー映画

ナチスドイツ下のアウシュヴィッツでの2日間の物語です。

縁があって何回か観直すことになりました。

最初は少し解釈が難しくて、ただただ事実が強烈で、何も言えないきもちになりました。
なんとなく、主人公が自分勝手にみえてしまったところが多く(誤解を招くような言い方ですが、)、淡々と過ぎていく残酷なことが、受け入れがたく思いました。

2度目、3度目と観るうちに、これだけ感情を無視しないとやり過ごせないこと、「息子」という意味を深く考えるようになりました。


極限のところに追い込まれた時、どんな生き方を選ぶのか、そしてその中に組み込まれた時、どうやって自分を保っていくのか、何を大事に生きたらいいのか。映画を見ている間、ずっとそんなことが頭を巡っていました。


ハンガリーは第2次大戦時、ドイツに進んで侵略されて、多くのユダヤ人をガス室に送ったそうです。その様子が目の前で起こっているように描かれていることに、言葉を失いました。

中途半端な感想になってしまいました。今もどう考えていいかわからない自分がいます。
もう少し書きたいことを整理して、この感想を書きなおそうと思います。

2016年9月20日火曜日

あの日の声を探して

あの日の声を探して  フランス映画

この映画はとても見たかったものでした。台風で予定がなくなったこともあり、幾つか借りたレンタルDVDの中の一枚です。

第2次チェチェン紛争の時の物語。両親を殺されて声が出なくなった少年が主人公です。
伏線で、ロシア軍に強制的に入隊させられた若者の人生が描かれています。

本当に書くって難しいですね。思い切りネタバレしてストーリーを全部書いて追いたくなります。少年の味わった悲しみというのは、ただ、悲しそうでした、という言葉ではあまりにも軽すぎて、どう表現していいかわかりません。

国際支援の現場に立つ人と、国連の立場に立つ人の認識の違いや、ものごとを他人事として受け取られていると感じることの寂しさというか虚しさというか、その表現をこの映画はしてくれています。
その感覚は実は現実的な、誰でも味わうもので、私も誰かに無意識な態度で与え続けているものなのかもしれないと思いました。
 そしてその価値観の相違というか、人の立場に立てないということは、大きな組織でも身近な関係でも存在するものなのだと、無神経に自分のことを考えながら生きているということを、誰かが傷つきながら感じているんだと思いました。
 他人事には感じられませんでした。

強制的に軍に入ることになった若者の心が、愛を忘れていくというか、考えに染まっていくというか、考えなくなるというか、その様子もいたたまれなかったものがあります。人はすぐに自分で考えることをやめるんだ、恐怖と不条理に壊れていくものがあるんだと思いました。
心を壊さずに生きるためにはどうすればいいんだろう、自分の中に何があれば壊れないで生きられるのだろうと、しばらく思いました。きっとそれが信念のようなもので、それを心の核につくらないと、立ち直れなくなるような気がしました。

登場人物が流す無言の涙は、胸が痛くなりました。少年の悲壮な眼差しも、ラスト近くで見せた心の底からの笑顔も、印象的でした。

2016年9月11日日曜日

ものすごくうるさくてありえないほど近い

2011年アメリカ映画。

見始めた時は字幕に追いつけない気がしたけれど、静かに2時間見続けてしまいました。

9,11がアメリカの方々にとってどんなことだったのか、肌から感じ取れるような、せつなくて哀しくて、そしてたくさんの言葉でその感情を届けてくれたような映画でした。

見終わって、やっぱり私はばかだったなあと思いました。
命はみんな特別なものなのに。ひとりひとりが大切でひとりひとりが特別なものなのに。
どこの国の人も、どんな環境の人も、どんな場所に住んでいようと、ひとりひとりがその人生を歩いていってるのに。それを侵害することは誰にとっても許されることではないのに。
私は、アメリカという国ばかりを見ていて、そこに暮らしている方々のことを本当には思えていなかったような気がしました。
どこに住んでいようと、私たちは一市民なのに。
私の中にあった、いらない心を、この映画に寄り添って消してもらったように思います。
うまく表現できなくてごめんなさい。もう少しうまく書けたらいいのだけれど。

トムハンクスの声は、心に響きました。

悲しみを生まないためには、何をすればいいのだろう。

2016年9月9日金曜日

くちびるに歌を

2015年に公開された邦画。新垣結衣さん主演
huluで「鈴木亮平」と検索をかけたらこの映画が入ってきました。試しに観てみたらはまってしまい、3度も観てしまいました。

ひとはみんな、抱えている心の傷に、少しずつ折り合いをつけることを覚えなから日々生きていくのだな、と、それは他者には見えないものだけれど、あえて見せようとしなくても、伝わるひとには伝わり、そのことを察しながらひとはひとを理解していくのだと感じられた映画でした。
互いの心などわからないものだけれど、口に出来るからわかりあえるものでもないのだと。

ティーンス向けの小説が原作だということで、わかりやすく描かれた後味のいい映画でした。でもとても切なくて、挿入歌の「手紙ーー十五の君へーー」にとてもマッチした内容でした。

渡辺大知という方の演技がとってもよかった。今でも声が聞こえてくるようです。

辛い時は、思わずこれからは「ボーッ、ボーッ」と呟きそう。つぶやくたびにワンシーンが浮かんできて、泣けてきそうになるのです。

検索をかけた「鈴木亮平」さんは声だけの登場。初めは声を聞き分けることもできなかったので、私はファンとは言えないかも知れませんね^ ^

2016年8月19日金曜日

ルドルフとイッパイアッテナ

児童文学の「ルドルフとイッパイアッテナ」。図書館に行くと必ずそのコーナーで見ていたりしていたのですが、手に取ったことはなく。イッパイアッテナってどんな意味なんだろうと思いながら通り過ぎていました。
8月公開の映画。鈴木亮平さんが声をやるということで
観よう!!!
というテンションが上がり、

今日は自分の誕生日ということで(あまり関係ないか…でも、なんせ亮平さんが声をやっているし…)、見てきました。

(俺物語という映画を観てから、亮平さんにハマっております。)

新聞評では、児童文学の良さを忘れないでつくられているというようなものがあったけれど、確かに。よかったよー。
なんだか、今私が実感しなければならないことを見せてくれたというか、ああ、余計なことを喋らないということはこういうことなんだ、とか、希望を持つということはこういうことなんだとか、悲しみはあえて説明しなくてもいいし、他人に分かってもらわなくてもいい、そして無理に整理しなくていい、などということを、猫たちが教えてくれる、奥行きのある映画でした。

子どもの本はいいですね。こういうことが書いてある文学だったんですね。やはり読んでみようかな。巷の夏休みが明けたら。

子どもたちが後ろの席でいろいろ感動したような声をあげていたのも、聞くことができてよかったかな。

蛇足ですが、あるところでは私の年齢は今回も28歳ということになっております。張り倒されそうですが。

精進いたします。

2016年8月17日水曜日

グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札

2014年 アメリカ、フランス、ベルギー、イタリア合作の伝記映画。
下記は、モナコ公妃が映画の最後に語った言葉です。モナコは危機でした。
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世界の片隅にある小国においでくださり感謝します。
モナコは昨今トラブルに見舞われています。

私が演技を始めた頃
優れた脚本家だった伯父は祈りを捧げるように言いました。
「いつか私が成功したら感謝を忘れません」と毎晩唱えました。
影響ある立場になった時その気持ちが役立つと信じて

なぜハリウッドを去ったか?
理由は簡単です。王子と恋に落ちたからです。

彼のおかげで、思いやりの気持ちで世界を見るようになりました。
不当な世の中に立ち向かう力も持てました。
だからこそ赤十字を支援するのです。
世界をよくしたいと心から願うからです。

大切な友達がこう言いました。
「王族との結婚を夢見る人と他人はその『意味』を分かっていない」と
その「意味」とは
「選ぶ」ことです。

そして私はモナコを選びました

王宮は華麗ですが儀礼的で気取った場所に見えるかもしれません。
私は公用語が上手く話せずそんな自分に苛立つこともあります。

それでも私はモナコ国民です。
モナコの人々は世界の片隅で正しいことをしようとする善き人々です。
全力を尽くして
結婚している方はよくわかるはずです

子供じみていますが私はおとぎ話を信じます
心から望めば実現するはずです
どんな努力でも惜しまない覚悟があれば世界は変えられると信じています。
憎悪や衝突も消えるに違いありません。
代償を払う覚悟があれば

私にとってモナコはそういう国です
その意味でモナコは私自身です

私は軍隊を持っていません。
誰の不幸も望みません。
たとえ侵攻されても抵抗することなくここにいます。

自分の出来る範囲で少しでも世界を変えるために

でも破壊する人がいれば
現実もおとぎ話も終わりです。
気に入らないから破壊する人たちがいます
当然の権利とばかりに

幸福や美を破壊する権利は誰にもありません。
それは許されないことだと教わりました。
そんな世の中には住みたくありません。
庭に戦車が侵入しても
爆弾が投下されても
愛があれば解決できるはずです。

なぜなら愛の力を信じているからです。
今夜一堂に集まったのも愛の力だと思います。
愛の力があれば武器や政略や恐怖や差別はなくなり
世の中が正しい道に導かれます

だから今夜は愛を賛美したいのです
私は愛を守り抜きます。
皆さんも各自の方法で努力してください
自分の社会の中で
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自分は今、どのように物事を選んでいるか、事実を見ようとしているか、学ぼうとしているか、見終わっても考え続けたくなる映画でした。


十二国記 好きな箇所。

小野不由美さんの長編ファンタジー小説。最近、ネットで映画が見られるサイトhuluでアニメ版も始まって、ファンとしてはとても嬉しく思っています。


以前、自立生活センターの事務局長職のお話をいただいてその役職で働き始めた時、とても悩んだ頃がありました。
力量や経験のない私にとっては難しい仕事だったので、この職で過ごさせていただいた数年間はいつも悩んでいましたが、初めの頃は特に悩むばかりでした。
もともと怠け者のところがあるので、仕事に向き合おうとするまで時間がかかったのです。
このような時に、職場の人から教えてもらったのが、この「12国記」でした。

虚空の世界にある12の国の物語。普通の女子高生が一国の「王」になってしまうところから物語は始まります。
ファンタジーの世界だからこそ、作者はリアルな苦しみ、葛藤を書けたのではないかと、ファンとしては勝手に思っています。それほど、「王」になっていくみちは厳しく、また、生きるということの厳しさ、無常さ、自分を知っていくことの大切さを教えてくれます。

ここ数ヶ月、考えることがあり、この本も読み直し、アニメもなんども見ることになりました。
ぶれない視点というのは、こういうことかと思いながら、またこの小説に助けてもらいました。

十数年前に、職を納得するまで勤めてみようと思ったのは、主人公・陽子が王になることを悩んでいた時に、伝えていた、陽子の親友・楽俊の言葉を読んだことによってでした。

「陽子、どっちを選んでもいいが、わからない時は自分がやるべき方を選んでおくんだ。同じ後悔をするなら、軽い方がいいだろう?」

今もこの言葉は胸にあり、心が萎えてしまいそうな時のつっかえ棒のような言葉になっています。

この項では、十二国記の好きなセリフを随時書きたしていこうと思います。

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小野不由美  
十二国記 『月の影 影の海』(講談社刊)から抜粋

「陽子は遠い人だったんだな……」
「わたしは」
「本当なら、おいらが口をきける方じゃねえ。陽子、なんて呼び捨てにも、もうできねえなぁ」
 言って立ち上がる。
「そうとなれば、一刻も早く延王にお会いするのがいい。関弓へ向かうよりも近くの役所に届けたほうが早い。事は国の大事だからな」
 背を向けたまま言ってから、改めて振り返り、陽子を見上げた。
「遠路のことでお疲れとは存じますが、ここならばまっすぐ関弓に向かわれるよりも官に保護をお求めになるほうが早い。延王のご裁可があるまで宿にご逗留願わねばなりませんが、ご寛恕ください」
 深々と頭を下げた姿が悲しかった。
「わたしは、わたしだ」
「そういうわけには」
「わたしは」
 ひどく憤ろしくて声が震えた。
「わたしでしかない。一度だってわたし自身でなかったことなんかなかった。王であるとか、海客であるとか、そんなことはわたし自身には関係ない。わたしが、楽俊とここまで歩いてきたんだ」
 楽俊はただ俯いている。丸い背が、今は悲しい。
「どこが違う。何が変わったの。わたしは楽俊を友達なのだと思ってた。友達に豹変されるような地位が王座なんだったら、そんなもの、わたしはいらない」
 小さな友人の返答はない。
「そういうのは差別っていう。楽俊はわたしのことを海客だからといって差別しなかった。なのに王だと差別するのか」
「……陽子」
「わたしが遠くなったんじゃない。楽俊の気持ちが、遠ざかったんだ。わたしと楽俊の間にはたかだか二歩の距離しかないじゃないか」
 陽子は自分の足元から楽俊の足元までに横たわった、わずかな距離を示した。
 楽俊は陽子を見上げる。前肢が所在なげに胸のあたりの毛並みをさまよって、絹糸のような髪がそよいだ。
「楽俊、違う?」
「……おいらには三歩だ」
陽子は微笑う。
「……これは失礼」
楽俊の前肢が伸びて陽子の手にちょこんと触れた。
「ごめんな」

☆☆☆
「卑屈になって言っているんじゃない。根拠のない不信なら卑屈と言われても仕方ないけれど、わたしの不信に根拠がないわけじゃない。わたしはこちらで、たくさんのことを学んだ。その最たるものが、平たく言えば、わたしは莫迦だということだ。」
「陽子」
「自分を卑下して満足してるんじゃない。わたしは本当に愚かだった。そんな自分をわかって、やっと愚かでない自分を探そうとしてる。これからなんだ、楽俊。これから少しずつ努力して、少しでも、ましな人間になれたらいいと思っている。ましな人間であることの証明が、麒麟に選ばれて王になることなら、それを目指してもいいかもしれない。でも、それは、今のことじゃない。もっとずっと先の、せめてもう少し愚かでない人間になってからのことだ」
  ーーー中略ーーー
「ましな人間になりたいんだったら、玉座について、ましな王になれ。それがひいては、ましな人間になるってことなんじゃねえのかい。王の責任は確かに重い。いいじゃねえか。重い責任て締め上げられりゃ、さっさとましな人間になれるさ」
 ーーー中略ーーー
「あのなぁ、陽子。どっちを選んでいいか分からないときは、自分がやるべきほうを選んでおくんだ。そういうときはどっちを選んでも必ずあとで後悔する。同じ後悔するなら、少しでも軽いほうがいいだろ」
「うん」
やるべきことを選んでおけば、やるべきことを放棄しなかったぶんだけ、後悔が軽くてすむ」
「うん……」
頬を軽く叩いてくれる掌が暖かい。
「おいらは陽子がどんな国を造るのか見てみたい」
「……うん。ありがとう……」

☆☆☆

2016年8月7日日曜日

駅のエレベーターを探す人

地下鉄のとある駅は今、地上までのエレベーターを設置する工事をしています。

改札からまっすぐ通路を眺めると、エレベーター表示にフィルムが貼ってあるので、もうすぐなのだなあと感じています。
所用でこの駅を使うことが多く、今は地上に上がるときだけ、数年前に階段に設置された昇降機「エスカル」を使わせてもらっています。帰りは少し歩いて一つ先の駅に。昇降機を使わせてもらっているのは昨年あたりからです。

なぜ帰りを違う駅から帰るのかというと、エスカルが設置されてある階段が狭いということに原因があります。
 
エスカルは車椅子ごとゴンドラのように運ぶ機械。階段に沿って設置されているので、その階段の幅によっては誰も階段を使えなくなります。
現実、私がエスカルを使うときは、階段を使って改札に降りようとする方々に待っていてもらうよう、駅員さんが地上の階段付近に立って説明をしてくださいます。

どうも帰りまで人の流れを止めて使うのは…。
駅員さんのことを考えているわけではなく、ただなんとなく頑張れないし、気がひけるのです。
行きだけでもその駅を利用するのは、エスカルが設置されているから。やっぱり行きだけでもその駅を利用したい、エスカルを使わせてくださるのならば避けずに行きたい、どっちつかずなので、単に私のわがままです。

今日、久しぶりにその駅に行った時のこと。改札で精算をしていたら、ベビーカーを押して男性が改札をすうっと通り抜けていきました。
どうもエレベーターを探している様子。一つ一つ表示と階段を確認し、まだフィルムで隠してある表示板の通路に消えて行きました。
ふと、エスカルは車椅子しか使えないことに、今更ながら気がつきました。それと同時に、今はエレベーターを探す人は障碍者だけではないということを実感しました。

エスカルで登って行った先では、ベビーカーを押した家族連れが駅員さんと話していました。
エレベーターのことを聞いていた様子でした。
歩き始めたばかりの女の子が階段を、お母さんに手を引かれて降り始めましたが、階段がその子にとっては急だったようで、すぐに抱きかかえられました。

その子のお父さんがベビーカーを抱えて降り始めた時、何年か前まではこうした光景を気にも止めずにみていたと思いました。
自分も階段があることでどうにもならず、駅員さんと言い合いをしながら階段を降ろしてもらっていたけれども、階段をどんな形であれ上り下りができる人たちに対しては、私の態度は冷たかったように思い出したのです。

今は、エレベーターのない駅に対して、多くの人が違和感や不便を感じる時代になったのだなと思い、人の流れを止めて優先的に、専用に使えるエスカルを使わせていただきながら、複雑に感じたひとときでした。

なので最後に伺ってみました。
いつ頃にエレベーターはつきますか、と。

年末には、着くそうです。待ち遠しいことです。

2016年8月6日土曜日

顔のない天使(ネタバレ)

1993年 アメリカ合衆国 「顔のない天使」
ネタバレになってしまうので、観ていない方は申し訳ありません。

最初すこしとっつきにくい感じがしたけれど、見終わると気持ちよさが残る映画でした。

交通事故で生徒を失い、自分も火傷を負い、その上あらぬ罪に問われてその罪をつぐわなければならなかった元教師。ある少年との出会いでまた新しい展開があるのだけれども。

教師というのは、というよりも、自分の仕事を全うする喜びというのは、苦しい思いをしてもやり通すことで得られるものなのかと、感じました。

彼は教師という職業で得られるものを「至極の幸福」と表現しました。
それは、彼を慕って通ってくるようになった孤独を抱える少年が、変わっていく姿をまじかで感じてのことだと思うのですが、
周囲の人たちはそうは取らず、自分の世界観の中でしか人を観ていないということを見せてくれる映画でした。
価値観の違いというのこのような平行線を辿るものなのだと、そして一度植えつけられた偏見や先入観は、とても手強く、その目を向けられた側の苦しみは計り知れないと感じました。

彼の過去の出来事を確かめようとする少年に、
「君は僕を黒と判断している。君は先入観でしか僕を見ていない。僕は君に何かしたか? 僕が過去に何かしたと思うか?」
と言います。
確かめるな、自分で考えてみろ、ものごとは人に確かめてわかるものではない、と言われているように思いました。
考えるというのは、相手との関係の中で感じていくことから、受け取ったものから、自分の中でたどり着くものなのだと感じました。

少年に伝えられる教師の言葉は、とても心に残りました。

何かがあったときに、それを確かめることで確かに安心したりするけれども、それは安心できる言葉が欲しいだけで、本当は相手を理解しようと思って行動しているわけではないんだなと、日頃の自分の心持ちと合わせるように返りみました。
考える心を自分で育てることの難しさを思いました。

同時に、ものごとが深く理解できるということは、苦しみが伴うのかもしれないとも思いました。わかってもらえない苦しみというよりも、真実を表そうとする苦しみというか、私は経験がないことだから上手く言えないけれども。

私はようやく「書き現わす」大切さに気がついたばかり。深みに行くには当分時間を費やしそうです。

2016年8月5日金曜日

あんず

梅雨時になると、毎年梅のシロップ漬けを作ります。
介助の方との共同作業です。

最近は難しいことをせず、シロップはてんさいオリゴ糖シロップに決めて、炊飯器の保温機能でチャチャッとできるようにしています。
以前書いたと思いますが、作り方は下記の通りです。


用意するもの
        梅 1キロ(青梅でも梅干し用のでもそれなりに美味しいです)
 
 てんさいオリゴ糖シロップ 適量(私はおよそ200mlぐらいで抑えました。)

   楊枝
   炊飯器
   焼酎(35度以上)

作り方
  梅は楊枝でヘタをとり、一つ一つ焼酎で洗います。
  焼酎で洗った梅は炊飯器に入れて、シロップを適量かけ、保温のスイッチをON
        5時間以上で梅酢があがり、出来上がります。冷めたら容器を写して冷蔵庫に。
  (私は夜仕込んでいただいて、朝にスイッチを切ります。)

注意すること
 梅は水で洗わないこと。水洗いした場合はすべて拭き取ること。少しでも残っていると黴びます。

毎年、介助の方とあれやこれや話しながら作り、この方法に落ち着きました。


さて、今年は初めてあんずを同じ要領で漬けてみました。
あんずの方が梅よりもやわらかいせいか、一晩保温にかけたら形が崩れてしまいました。
炊飯器を使わず、梅酢にそのまま入れて冷蔵庫に保管したら、5日ぐらいで食べ頃になりました。
あんずだけをシロップに漬けても美味しいし、梅酢漬けも美味しくいただきました。


私は、最初あんずも梅のようにへたがあって、楊枝で取れるのかと思っていました。
実際に介助の方にお願いすると、ないとのこと。
知りませんでした。

なのであんずは梅よりも短時間で仕込んでもらうことができました。

毎年あんずが八百屋に並ぶ頃、ある知人を思い出します。
「あんずのシロップ漬けは美味しい」と話してくださった人です。
数年前にお裾分けを頂いて、食べやすく美味しかった記憶があります。

一度やってみたいと思っていましたが、こんなに美味しくできるとは思いませんでした。
数人の方に食べていただいて、「あ、美味しい」「あ、」という言葉を聞くことができたので、より、欲が出てしまいました。
来年はもう少し作ってみようかと思っていますが、すこうし梅よりも高いんですよね、あんずって。
すぐ食べ終わっちゃうんです。それでいて。

2016年7月30日土曜日

父と暮らせば

介助でお世話になっている方の公演が、9月にあります。
「父と暮らせば」。井上ひさし氏戯曲の、映画にもなった作品です。

私は映画を観ているので、その内容が目の前で観られることを楽しみにしています。

先日は、違うお芝居を同じ会場で観させていただきました。

自分の母親を亡くした主人公が、インド旅行の後に自宅をゲストハウスにする話です。登場人物のそれぞれの思いがひしひしと伝わってくる作品でした。
ネパールから日本に来た人、そのネパールで自信を目の当たりにして帰ってきた日本人、主人公とインドで知り合って、家族の思いを抱えながらゲストハウスの仕事を手伝う中国の人、心に子供を亡くしたという悲しみを抱えながらハウスに滞在する人、…一人一人の思いが伝わってきた時、その世界に気持ちが入り込んでいきました。
すべてパントマイムで表現されているということも、魅力でした。

今回は2人芝居。とても楽しみです。
小さな劇場で、場所も地下一階なのですが、介助の方と見に行こうと思っています。


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内木英二プロデュース公演

  父と暮らせば

出演 内木英二 平野綾子

2016年9月8日〜11日  

中野スタジオあくとれ
中野区中野2-11-2 さん中野マンションB1(JR中野駅南口)

前売り3000円、 当日3300円
高校生以下2000円(未就学児はご遠慮ください)

ホームページ http://eiji-naiki.tumblr.com

2016年7月25日月曜日

新しい体験

板橋区に越して3年半。もう少し人間関係を広げたいと思うようになりました。
タイミングよく受講できたのが2つのボランティア講座です。

ひとつは区の保健所主催の「心の健康サポーター養成講座」。
係わるボランティアのこころの健康も考えながら、心のケアに関する活動についての講義・体験を提供する講座でした。

もうひとつは、ボランティアセンター主催の、「傾聴ボランティア養成講座」。
この講座は、特養や高齢者のグループホーム等で活動する「傾聴ボランティア」を養成する講座です。

どちらの講座も施設での体験が含まれているので、座学で終わらず実践的な講座でした。


「心の健康ボランティア養成講座」で印象に残ったのは、区内で活動している施設ユーザーの皆さんの体験談を伺った日でした。

障害がある私は、よく自分の生い立ちを語る機会をいただいたりしていました。私も自分を語る側にいることが多かったのです。
今回初めて、ボランティアをする側に立って話を聞きました。
今まで感じていた自分の視点と、異なった見方をしている自分がいました。
自分も必要だと思ってやってきたこと、話してきたことは、私にとっては当然やるべきことだったわけだけれども、聴いている側にとっては、信頼できる人以外に話すことではないという感覚のようなものかもしれないと思ったのです。
そう思うほど人の語る人生は実感がこもる体験談なので、身も知らない私がここで聞いてしまっていいのだろうかという思いにかられました。
体験談というものは、重いものなのだと感じたのです。

ボランティアとして体験させていただくことも、私にはとても貴重な経験になりました。ボランティアは自主的なもの。今回は講座中なので保健所が調整してくださいましたが、日程確認の電話は自分で行いました。
こんなにドキドキするのだと実感しました。

私の家は、たくさんの方が介助というお仕事で来てくださいますが、こんな風にドキドキしながら、でも、自分の不安な気持ちよりも、訪問先で何ができるのかを考えながら来てくださるんだなあと思いました。
その気持ちには謙虚さがあるように感じました。
人を支援するという気持ちの中には、そのようなものがあるように思ったのです。

私は実際に体が動かないので、その日の介助の方に私のやるべき作業を頼んで、何もできないまま体験の時間を過ごすことになりました。でもその雰囲気を感じることができて、とてもいい経験になりました。



「傾聴ボランティア」の講座は、ピアカウンセラーとしての体験が少し活かせるかと思っていたのですが、甘い考えでした。
積極的に話を聞くためには、話のきっかけからすそ野を広げていかなければならず、それ自体が私には難しいことだったのです。
傾聴に必要な「受容、関心、共感」は、ずっと学んできたことのように思います。なのに、実感が持てたのは、カウンセラー役をしていたロールプレイ時にタイミングよく、講師の方にアドバイスを受けた瞬間でした。
「村山さん、ここで話を拾って質問するのよ」
はっとしました。話を拾うとはこういうことなのかと腑に落ちた時でした。

特養での体験も貴重な初体験でした。この話題はもう少し言葉がまとまったら記そうと思います。


体験というのは本当に貴重なのだと、今回2つの講座体験で思いました。
ボランティアをする側として講座を受けること自体も、私にとっては初めてだったと思います。
私はいつも支援を受ける側だったからです。
講座が終わってこれからどんな体験ができるのか、ドキドキしながら活動を始めます。
私の中で驕った気持ちを排除できるような、気付いていけるような活動をしたいなと、思っています。

2016年7月24日日曜日

ポコラート全国公募展

昨日、友人に誘われて観に行ってきました。

『「ポコラート(POCORART)」とはPlace of“Core+Relation ART”「障がいの有無に関わらず人々が出会い、相互に影響し合う場」であり、その「場」を作っていく行為を示す名称です。』アーツ千代田3331ホームページより抜粋

個性的な作品が会場にあふれんばかりで、ひとつひとつがエネルギッシュでした。
トークイベントを観させていただいたのですが、アーティストは情熱を表現していく人たちなんだなあと、思いました。

作品ひとつひとつに込められた思いは深くて熱く、語りつくせないものがあるんだということを観せてもらったように思います。

作家さんの話は尽きることなく、ただただ聴かせていただきました。

私も芸術がもう少し理解できれよかったな。日頃の勉強不足が露呈しましたね。


ポコラート全国公募展

開催日時:2016年7月16日(土)~8月8日(月)
開場時間:12:00−19:00 ※入場は18:30まで 火曜休場
会場:アーツ千代田 3331 1階 メインギャラリー(東京都千代田区外神田6-11-14)
入場料:一般500円 65歳以上300円 中学生以下無料
※千代田区民は身分証明書のご提示で無料
※障害手帳をお持ちの方とその付き添いの方1名は無料

ソウルサーファー

春爛漫だった4月頃に観た映画です。
知人がDVDを貸してくれました。


腕をサメに襲われた主人公が、サーファーとして立ち上がるまで。ハワイが舞台の実話です 。
サーファーを生業とする家庭に生まれた少女の、ハーストーリーです。

とにかく良かった。ものすごく泣けました。

主人公の真の前向きさというか、嘘のない気持ちに、そして家族の愛に、本当に感動しました。
前向きに生きるということは、悲しみや辛さを味わい、自分の気持ちが変わるまで味わいつくすことなのかな、と、この映画を見て思いました。
家族や友達の、視点は、それぞれ違い、互いを思いやりながらそれぞれの視点から彼女を支えようとしていました。
生きる力を取り戻していく姿はとても力強くて、勇気をもらいました。

いろんな人がくれる視点は、受け取る方も受けとろうとしないとわからなくなってしまうものだと思うし、すごくお互いの信頼を感じました。

経験は新たな視点をくれるのだと思いました。

主人公のスタントを、モデルになった本人がしているので、迫力のあるサーフィンのシーンが見られます。
お借りしている間、何度もなんども観てしまいました。

レンタルショップに見つけられないのがとても残念。もしもいつかお店で見つかったら、ご報告します。

海がとても綺麗です。

「ソウルサーファー」2011年 アメリカ合衆国

2016年1月20日水曜日

町工場見本市2016

昨年も行った葛飾区の町工場見本市。今年は後楽園のプリズムホールで開催だったので、また覗きに行ってきました。

町工場の製品を見るのは面白くて、はまっております。

今年は東京理科大学のオムニライド2(玉乗り型移動機器)に最初に引き寄せられ、「数年後には車椅子の研究も」というお話になりました。
「何キロありますか」と伺うと、35キロぐらいですとのこと。
電動車椅子の重さをお伝えすると、びっくりされていました。
実際、車椅子に応用できないかという声があるそうなのです。平行移動できるので、横付けのしやすさを求められているみたいです。

興味があったのは、ノンアルコール、ノン塩素の消毒液。
製品名と会社を書こうと思ったのに、思い出せず。見本市のパンフをみても、見つけられない!!!
パンフには、どんなものを展示するのか、一般人にもわかるように書いて欲しかった。

確か30mlで630円。液体が乾いても抗菌バリアで守ります、みたいなものでした。
ノロウィルスの除菌ができるということで、とても魅力的だったのに、何も覚えていない私。やっぱり買ってくればよかったかな。
調べてわかったら書き足します。

もうひとつ目を引いたのは、北星鉛筆の、「固まると木になる粘土」と木になる水彩絵の具。面白いなあと思いました。廃材でつくっているとのこと。お店に行ってみたくなりました。
やっぱり葛飾面白い。来年はどこで開催するのか楽しみです。

2016年1月13日水曜日

マリーとマルグリット

フランスのもうひとつの「奇跡のひと」。
昨年、シネスイッチ銀座でみはぐれてしまった映画です。

ヘレンケラーとサリバン先生のように、実話を基にした映画です。

うん、大袈裟でなく、伝えたいことが伝わって来る映画でした。
闇から目覚めるまでのひとは、本当に盲目で、こうした根気強く付き合ってくれる教師が必要なんだなあと、思いながら見ました。
見ている私は耳も目も聞こえるし見えるから、マルグリットの根気強さやうまくいかない悩みが見えるけれど、闇の中のマリーは本当に、ことばやものごとがわかるまでは、なぜ強く引っ張られるのか(勝手に走り出さないように伝えたいだけだけれど)、なぜお湯の中に入れられるのか(お風呂だけれど^ ^)、なぜ髪の毛をいじられてしまうのか(髪をとかす気持ち良さを味合わせたいだけだけれど)、通じないんだなって改めて思いました。

これは障害がどうこうという世界を離れて、伝えるひとは十分に誤解され嫌われる覚悟を持って、闇の中にいるひとを救おうとしてくれているのだと感じたのでした。

そして、ふと、見終わった時に、昨年金スマで見た、渡辺和子さんの著書の名前を思い出していました。
「置かれた場所で咲きなさい」

マリーの人生の、つつましくも役割のあった時間を思いました。



The Rose

とうとう見つけて、観ることができました。

ベット・ミドラー主演の、「The Rose」。
ジャニス・ジョブリンがモデルの、70年代のアメリカ映画です。

見終わって、大泣きしました。

ああ、こんなに、人は傷つき、癒えることのない気持ちを抱えるんだ。その原因は人の行ないなんだと。

めちゃくちゃな感情が、観ている私を説得するように、人の心の傷があらわになった映画でした。

加害した人間はきっと決してローズの気持ちをわかろうとしない、後半のバーのシーン。
監督は察しているんだと思い、とても心が痛かった。

私にとってはとても心に響く映画だったけれど、この映画が好きだと言っていた知人たちの気持ちも聞いてみたいなあと思いました。

2016年1月11日月曜日

ズレてる支援!

昨年の10月に出版された本を、区の図書館で借りて読みました。

副題に、
「知的障害/自閉の人たちの自立生活と重度訪問介護の拡大」
とあります。

 読み始めて思ったことは、読みやすい、ということでした。
 これは、私自身が介助制度(もっと言えば福祉制度全般)を活用して生活しているので、みじかな世界だったせいでもあります。

 そして、私の中にもやもやあったけれど書けなかったことを言ってもらったような、感覚になりました。
 私が書けなかったことです。

 気づいたことは、作者が障害当事者の気持ちや背景などに寄り添い、最大限言葉を尽くしているということ、すごく心を整理して書いてくださっているということでした。

そもそも互いにずれているということは、介助の関係だけではなく、すべての人間関係に言えることなんだろう、そのズレ、世界感の違いが根本になければ、私は誰かとわかりあう基盤ができないのだろう、深く知り合う可能性は薄れてしまうのだろうと思いました。

そもそも私とあなたは世界観が違う。
この感覚は実は私にとって大切なことだったのかもしれません。
そのことを知らせてくれた本でした。

表紙は写真家の矢部朱希子さん。このブログのプロフィール写真を撮影してくださった方です。

介助のことを知りたいと思った方、介助の仕事で悩んでいる方、障害者の福祉制度について知りたいと思った方には、ぜひおすすめの一冊です。

すみません。図書館で借りちゃったけれど、私も買いますm(_ _)m


ズレてる支援!  
   寺本晃久・岡部耕典・末永弘・岩橋誠治 共著 
               生活書院 2300円

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...