2017年9月27日水曜日

ナミヤ雑貨店の奇蹟

どうしても観たくて、行ってきました。少し遊び過ぎ(^o^)
東野圭吾さん原作の映画。

やっぱり、こういう映画は大好き。泣けました。
人が人のことを思って行動する姿って、なんて哀しくて美しくて、心に残るんだろう。
誰かを胸に思いながら強く生きるって、なんて素敵なんだろう、そう思います。

この映画を観終わった後、ふと、自分は何者になりたかったのかなあと、考えました。
少し前までは、人並みに生きたくて、それを誰かに認めてもらいたくて、追い求めていたけれども、
その夢から覚めて、何も身につけてこなかった自分を思うと、
ああ、何者になりたかったのかなあって、考えました。

人の悲しみを、少しは察せられるようになったか。
人に痛みを与えてしまう側から、卒業できているか。
少しは物事を理解できるようになったのか。
何も知らなかったということを受け入れることはできたのか。

山下達郎さんのエンデングの歌を聴きながら、そんな思いにかられました。

私の50年は、なんだったんだろう。何者かになるために生きてきたのだろうか。
いいえ、自分の心に精一杯で、まだ何者にもなれてない自分を見つけてしまった気分なのだと思います。

それでも、まだ人生は続くのだから、諦めてはいけないね。
何者かになるために、死ぬまで諦めないで行こう。

「ヤコブへの手紙」という映画をふと思い出しました。


2017年9月21日木曜日

三度目の殺人

是枝監督作品の最新作。福山雅治と広瀬すず、役所広司出演の映画です。

私の理解力では追いつかなくて、見終わった後に混乱を残しました。
でも、何があっていて間違っているか、誰が犯人かとかそういうことではなくて、人は何を見て真実を生きるのか、見るということはどういうことなのか、本当のことはどこにあるのか、それを問う映画でした。

いつも答えを求めてしまう私には、疲れたけれど深く印象に残りました。

人が人を無視しないで、真実に生きるとは、規範やセオリーではなくて、心をどこに向けて生きるのかということを考えました。

役所広司さん、すごかった、もう一度見たら、混乱が治るかしら。
でもネット検索して、混乱していた頭の中を解説で整理してしまったので、自分でたどり着けばよかったかなあと少し思っています。

謎はまだ残っていますが。それはゆっくり考えます、

見終わった後、昔の映画、グリーンマイルが頭をよぎりました。


2017年9月18日月曜日

世界を広げる

幾山河という本の感想を前回書きましたが、この本を読み終わったあと、チャクラヒーリングを受けてきました。
毎回お世話になっているのは、Medicine Whell です。

チャクラヒーリングは今回で数回目。上記のサロンが主催しているスクールの中でも教えていただいたので、4回目ぐらいになるでしょうか。

1回目と二回目は、自分が過去生で残してしまった出来事を見るだけで精一杯で、どう受け入れていいかわからず、混迷しました。

3回目は、ようやく積極的に過去のことを掘り出したように思いました。そしてそこに学びがあることを実感しました。

今回は少し違います。相変わらず受け入れがたい事実ばかりですが、本当は周りの環境は学べるものが整っていた、とか、
自分がその人生の時に謙虚に現実を受け入れていれば、修正するチャンスがあったとか、
少し冷静に物事を感じているように思います。

今回は今回で、自分の課題はあり、本当に自分には人を愛することができなかったなあと、心が痛く、向き合うのは難しいです。一人では本当にできないことだと、恩師には本当に感謝です。

学べる場があることに、教えてくれる方に感謝の気持ちを忘れずに、今回も向き合っていきたいと思っています。

幾山河

瀬島隆三氏の回想録、「幾山河」を読んで、
第二次対戦前の日本は、世界から孤立していたんだなあと、改めて思いました。
どうにもできない身に迫る思いを感じて、なんとも言えない気持ちになりました。

孤立するって、怖いなあと。
どうにもできないって、追い詰められるなあと。

周りがきちんと見えなくなっていることを、振り返って、こうして記録に残す精神は、心に残りました。
冷静に全体を捉えることは、大切なことだと思いました。

ただ、この時代の日本は、どこかの国に似ているところがあるようにも思いました。
やはり、今世界で起こっていることは、ひとつも人ごとではないのだと思いました。

自分のそばに引き寄せて、自分の世界感で物事を見えるようにならないと、今生きている社会の中で、一人テレビ画面を見ているような感覚に陥ってしまいそう。

それはあまりにも悲しいから、自分の世界観を改めてみようと思いました。

戦争も、テロも、災害も、どこかで起こっていることではなくて、私が住んでいる世界で起こっていること。

私がそこにいたら、どうするのだろう。どうすればいいのだろう。
そこから考えていこうと、改めて。

2017年9月4日月曜日

幼な子、われらに生まれ

重松清氏原作の映画、観てきました。
8月26日公開なのに、近くの映画館はもう、1日一回しかやっていないなんて、予想外。早く行かないと公開が終わっちゃうと思って、行っちゃいました。

登場人物は、離婚した奥さんのところに娘が一人いる主人公と、暴力的な夫と離婚した、二人の娘がいる女性がけっけんしてから数年経って、双方の長女が小学6年生になった時(主人公が再婚して数年経った時)、奥さんが妊娠します。

静かで激しく、デリケートで情の深い映画だったと思います。
重松さんの小説、映画を見てから読もうと思っていました。
また、感じ方がきっと違う。そう思います。

子供たちの、感受性の表現と、主人公の向き合い方が、染み込むように伝わってくるものでした。
「誰も私の気持ちを聞いてくれなかった、なぜそうしたの、と理由はたくさん聞いてくるけれど、どんな気持ちだったかなんて、誰も聞いてくれなかった」
このセリフに、ハッとしました。

人の心の動きが痛くて、苦しくて、愛おしく感じました。

後から思い起こすと何度でもセリフが思い浮かんだりします。

小説を読んだらまた付け足します。


2017年9月3日日曜日

違い

障害者福祉の自立支援と介護保険の考え方の違いが、これかも知れないと感じたことがありました。

知人に介護福祉士試験問題の一部を見せてもらった時です。

その例題には、介護認定3、身障手帳3級と診断された男性が、高齢の両親を助けるために、どんなサービスを選択できるかというものでしたが、

問題に違和感を感じ、私は答えられなかったのです。
もちろん、勉強していないし、最近制度から遠ざかっているので、知識不足で疎かったということもありますが、

違和感は、家事援助や身体介護の選択肢がない、ということでした。

つまり、高齢の両親を助ける方法は、一時的に別に暮らす「短期入所」で、
日常のケアは両親に任せるという視点に感じました。

私が感じた違和感は、本人が両親を日常的に助けるという視点がないことでした。
「自分のパンツは自分で洗う(実際にはヘルパーさんもしくは介助の方に頼むのですが)、または両親の負担を少しでも本人目線から軽減する方法を考える」という視点です。

そうなんだ、自分のやりたいことをやるということの前提が違うんだと思いました。

人に助けてもらうことで一人暮らしをしてきた私の生活ですが、家事、身の回りのことをまず支えてもらうという前提があったことを、この問題で再認識したのです。
ただやりたいことをやりたいわけではなく、心地よさを求めるだけでなく、自分で生活しているという実感を持ちたいから、一人暮らしを始めたんだなあと思いました。

実際、生活は自己管理する部分が多くを占めていると思うし、その部分を私は家族でなく、福祉制度に託しているんだと思います。

自分で自分の生活を管理して行く視点は、一人暮らしを始めた時にお世話になった、埼玉の障害者団体からたたき込まれました。
出発点がその団体から始まって、よかったなあと今は感謝しています。

自立生活センター以外の事業所などの経験者の方と、私はどうもいい関係が作れません。その原因が、わかったように思いました。
どうすればよりよい関係が作れるのか、考えてみようと思います。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...