2013年7月31日水曜日

放送大学で

この学校で認定心理士をとるには、忍耐が必要みたいで…。
必須科目の面接授業は申込者がとても多く、なかなかあたりません。
忍耐というのは、抽選にいつか当たるまでやりつづけようという意気込みのこと、です。

今日、先輩にそのことをぼやいたら、
「今なんかまだ授業があるだけいいよ。ぼくがとるときは授業自体がなくて、北海道や京都の大学まで聴講しに行った」
と話してくれました。

わーお

四の五の言うのはやめました。いつか授業は受けられるものだし、残り2課目の世界だし(今回試験に受かれば、ですが汗)、文句を言わず、進むのみ。

恵まれた環境のなかで、学生気分でぶーぶー文句を言っている私。

そう、なんに対しても、四の五のいわないほうがいいな、と、学生さんの相談を受け続けている先輩を見ながら思ったのでした。

2013年7月29日月曜日

体調が良いので

雨も苦になりません。
げんきんな私でございます。


素朴な疑問がひとつ
これから知っていく方に自分のことを話過ぎる時って、どんなときなのでしょうか。

何年か前の私がそうでした。
私の場合は、
そのひとに私のことを知って欲しい、という強すぎる思いがありました。
その方がどういう人かと言うことは、あまり興味が持てなかった気がします。

たくさんの人たちに話を聞いていただいて、今の自分があるように思うのです。
そして、「実は相手に興味を持てていなかった」自分を発見しました。

その方の人生で重要だと思われることを伺ったとき、
「こんなことを打ち明けてくれて、気を許して下さったのかな」と思ってしまうことがあります。
友だちとして近づけたような、そんな気持ちに。

実は話している本人はそうではなくて、自分の話しがいちばん責任が持てるから、して下さっていることもあるのかもしれません。
相手のことを根掘り葉掘り聞いてはいけないし…などと感じているのかも知れません。
今日なんとなく、そんなことをふと考えました。

私の場合もそうだったかも知れません。
自分の話ならいくらでも出来てしまい、「相手が私と付き合ってくれるときにきっとこの情報は必要だと思うから」そんな風に思い込みながらどんどん話していたような。
結果的に相手の方の「聴く姿勢」に甘えるかたちになっていたように思います。

会話ってなんなのだろう。

この間友人とアメリカに行って、失語症状態で周りの人の会話をひたすら聞いていた私は、アメリカの方々が相手の話にすぐ 興味を持ち、質問してくることに感動していました。
相手の名前も忘れない。
だからといって深すぎる話しはしない。相手がどんな信条を持っているかわからないから。
ここら辺のニュアンスは、小さい頃からの経験値かなとも思いました。

会話になれていない私は、場を思いやれずにすぐ自分の重い話をしがちです。
そんなに知り合ってない方にも、自分の話はできてしまうのです。話したくなってしまうのです。

相手に興味を持つ。これは私にとっての大きな課題です。
だからどんな関係であっても、まず聞こうと思っています。
そしてそれによって感じたことや、関係性のなかで私が聴きすぎていると感じたときは、無理をしないで修正を試みようと思っています。

今の私は、めぐり合う方々に、どこまで自分のことを話していいものなのか、正直わからなくなった状態です。
そんなに話さなくてもいいことなのかも知れないとも思います。
話すことよりも、こうして書いてみることのほうが、今は重要なのかも知れません。

素朴な疑問からの話しでした。
わけわからなくなったかな。後日書き直すかも知れません。

2013年7月27日土曜日

そして

夕べの湿気にやられ、今朝は今年度頻繁になってきている頭痛。
しっかりお風呂で暖まって、汗を出してお水を飲んで、午前中は休んでました。

どうもこの頃、気持ちも体も今ひとつ。
考えたのですが、更年期らしいです。

つきにおとずれるものが5月で訪れなくなって、やっと卒業、と喜んでいたのですが…。
こういうのって、気持ちの問題、だけではないのですね。

緊張緩和剤を20代でやめてから、筋緊張とは泣き笑いしながらほどよく付き合ってきました。
だいたい私の場合はホルモンバランスがその日の体調を決定するような感じでした。
(もちろん、栄養、睡眠、快腸とか、ありますけれど)
5月以降、少し解放されるかな、と期待していたのですが…。
うーん、新しい時代に入ったという感じ。

まあ、いいか
どうにかなる、きっといつか。

というか、ひょっこり来たりして…(同世代談)

昨日の講座

試験前だというのに、課目とはまったく関係のない講座を中野で受けてきました。

バリアフリー字幕制作者養成講座の入門編。

今後の拡がりの一つになればと思ったのでした。

やはり私は一般の授業にはなかなかついて行けません。
手が動かないからといった物理的なことを言っているのではなくて(物理的なことは本当に無理な部分なので…)聞いたものをすぐに変換できないというか、聞き流してしまうというか。
今年の心理学の授業でも痛感したことなので、予想はしてました。(^_^)

でも様子はわかったので、じっくり使えるようになりたいと思います。

とても過ごしやすい時間だったことに、感謝しています。
聞き慣れた用語が、理念のところでたくさん出てきたり。

友人と行けたことにも、感謝だな。楽しかったです。

2013年7月25日木曜日

おいしかった

大山で見つけたタイ料理のお店。
グリーンカレーとぱったいを食べてきました。

いやいや、ものすごくおいしかった。
車いすで入店する際にちょっと狭い部分もあったのですが、
店のご主人もいい人で、助かりました。

パッタイがあんなにおいしいなんて
感激でした。

2013年7月22日月曜日

おはつの

かみいた。
お店めぐりと平和公園に。そして教育科学センター(?)でトイレを借りてきました。
平和公園の注意書きと、サッカーが出来ないようにつくったらしい囲いがなんとも言えない感じでした。
でもそのほかのことは結構自由に使用されているような気もしたけど。

板橋区は非核宣言区だったんですね。
広島と長崎の灯がともっていました。

気になったのはエイブルと表示があったビル。
エイブルさんが持っているビルなのか、あれは看板のデザインなのか。
写真がないとイメージがつかないですね。
「○○ビル」とビル名が書かれるところに「エイブル」とあったので、エイブルさんのビルなのかな。
うーん。確かめてくればよかった。

お昼は50円の手作りおにぎり。小さなおにぎりやさんで買いました。
おいしかったけれど、けちらないで3個買えばよかったです。
ちなみにおいなり70円、太巻き各種370円ほど。
また通りかかったら、今度は太巻き買ってみよ。

2013年7月20日土曜日

そうね…

平和な国でないと私は生きられなくなると、実は今でも思っています。
いきなり重たい話題ですが。

確かに、今日できることをきちんとして、人を思い、悔いのない一日を過ごすことがとても大事なことで、将来の不安を漠然と感じてしまうことほど時間の無駄使いはないと頭ではわかっているのですが、

制度を活用して生きていると、制度自体が危うくなるような国に向かって欲しくなくて、そこに恐怖や不安がたまります。
たぶん、自分の身に降りかかってくると思うからでしょう。
自分の身に降りかかってくると思うこと自体、自分の身の安全しか意識が向かなくなっているみたいです。

このトンネルから出たいな。
今日もつつがなく過ごせて、暖かい静かな部屋でおいしい食事も出来たし、支えてくれた方々とついさっきまで過ごせていたし、幸せな日だったのに。
「わたしのあしたはあたらしいあした あたらしいわたし」なのに。

言いしれぬ不安を持つことよりも一日一日現実と向きあって豊かに思い出深く味わうほうがずっといい。

私よ、強くなれ。

最近の私は少し落ち気味。
どうにか持ち直して、楽しくわくわくしたいものです。

2013年7月16日火曜日

昨日のお遊び

西武池袋線に乗って知人のお宅に。
おいしいものをたくさんいただいてきました。

埼玉の町並みはなんとなく落ちつきます。
ゆったり出来るようお気遣いをいただいて幸せな時間でした。

その方が愛しているおこさまのお話を伺いながら
子どもを愛するというのは、本当に無条件なんだと、改めて認識したりしていました。

すてきなことだな、と思いました。

私は遊び人が板について、怖いくらい。
でも、昨日学んだことは、
「何があろうと今日を精いっぱい楽しむこと」
もっと積極的に、今日を生きてみようと思いました。

2013年7月14日日曜日

イオン

東武線を下って、イオンで遊んできました
映画館も入った恐ろしく広い店内。土地があるってすごいなあ。

都心よりも混んでなくて、思い切り日用品のウォッチングが出来て満足。サブウェイも無印もあるし、何か満たされました。
やはり池袋よりも居心地よかったです。

しばらくここが憩いの場になるかも。
今度は反対口も行ってみよう。

2013年7月10日水曜日

映画

奇跡のリンゴ、という映画を、友人と見てきました

人はなんて人に冷たく、理解なく、そして人に優しいのだろうと思いました。

理解を得るのは難しく、それを「信じられない」ととるのか、「信じて生きよう」となるのかは、どこの違いなのだろうと。

道の途中はあまりにもきびしく、孤独。
それが人生なのかなあ。

2013年7月9日火曜日

しみじみ

いつも変わらずに誠実に生きることの大切さ、
相手が私にどんな感情を抱いていようと、出来ることをしていくこと。

今日はそのことの大切さを実感できた日でした。

ほんとうに、ありがとう。
いろんな気持ちがあっただろうに、
私を受け入れて下さり、ありがとうございました。

そして、続いていく関係と、流れていく時間と、お互いの前向きな人生に、感謝します。

じみちに生きてきてよかった。

帰る道すがら、よりみちしたらもうひとつの再会。
私は彼女に、銀歯を見せました。

時間が流れるということは、なんて偉大なことなのだろう。

2013年7月8日月曜日

それはそうと

Little Elephant のサイト、少しずつ手直ししています。
もう少しわかりやすくしようと思いまして…。

本当は一本化すればデザインも選べるのですが、
サイトを分けた方がいいかなと勝手に思い込んでしまいまして。

わかりやすくなればいいなと思っております。

途中経過でした。

最近 追記

こんな心のつぶやきが

なぜ、もっと小さいときに話を聞いてくれなかったの
なぜ、たわいない会話さえしなかったの
なぜ私のつくった料理を食べてくれなかったの
なぜ私の住む世界を知ろうとしてくれなかったの

小さいときに言いたかった思いが正当なものだと感じられるようになった今だからなのか、
子どもの部分が仰向けになってただをこねてしまって

大人の私は彼女の肩を抱いて聞き役。
そして大人としての今日をまっとうするのです。

ああ、何か作品が書きたい。
私のインナーチャイルドが孤独でいるうちに。

そう、書き忘れました。大事なこと。
私に足りなかったものを、少しずつ与えてくれた人たちが確実にいたこと

たわいない話を聞いてくれたり
私の料理をとても自然に食べて、喜んでくれたり、
私の住む世界に寄り添ってくれたり

今もそうで
少しずつ、私は周りの人からいただき続けています

だから現実は淋しくないの

子どもの部分の思いが残っているだけ

今日も誰かにありがとうだよ。
私は確実に生きていっているもの
豊かな気持ちでね


花田春兆ーーその人と企画展

花田春兆氏の企画展を教えてもらい、行ってきました。 花田春兆ーその人と企画展 場所は板橋の淑徳短期大学。今月17日から明日までの企画展です。 数作著書を読み、生前にはそのほかにも接点をいただいていた春兆先生。 今日は主催された方からお話を伺う時間をいただい...