2015年12月16日水曜日

介助を受けることについて気づいたこと 補足

少し気になったので続きを書いてみようと思う。

自立生活の理念について意見があるわけではない。
「できない」ということをどう認識するかが、私にとってとても気になることであり、整理したいことなのだ。
「できない」ことは悪いことではなく、ちゃんと受け入れた方がいいことなんだ。それを理念でなく、感覚で実感することが、私にはとても重要なこと。

受け入れるということはどういうことか。
「一人ではできないんだなあ」と気づくことなのかも知れない。そして、その上で自分らしく生きることを追求することなんだと感じている。

介助で関わってくださる人達は、一人一人異なったやり方で、私の生活を支えてくださる。
私はその一つ一つのやり方に感謝することしか自分にはできないと思っていた。でも時折受け入れられなくていらいらしたり、私の思っている「正しいやり方」をわかってもらいたいと思い、伝えることに努力をしていた。

どうやら違うらしいと、ある方からアドバイスを受けて気がついた。

私は、介助の仕事を通して関わり続けてくれる人たちの行動から、やり方を学ぶ必要があった。
私が学ばなくてはいけなかったことは、人が人に対して寄り添うきもちだ。

毎日来てくださる方が、伝えてくださっているそのやりかたひとつひとつを、教えてもらっている、ということなんだ。

私のやることは、思い癖に振り回されないで、それをまず深く見るということなんだと思う。もし仮にいい気持ちがしないことになったとしても、ではもし立場を変えたら自分はどうするのか、本当に相手の求めるものを差し出せるのか、考えてみる必要がある。

できないという事実から、私のできることがある。できないことをできるようにするのではなく、今の私の状態だからできた方がいいことがある。
できない体だからこそ、そこのところに向き合う機会なのかも知れない。

学ぶ気持ちというものが、違う視点から見るということを学ぶ一歩なのかも知れない。

2015年11月26日木曜日

介助を受けることについて気づいたこと

介助については、とても身近なせいもあって、何度もこのブログで書いてきた。
少しくどいようにも感じるけれど、最近感じていることを書いてみようと思う。

体が動かなくても、介助を受けて意志どおりに生活できるならそれが自立と、その考えに励まされて自立生活に踏み切った。
いい介助を受けるには、そのやり方を障がい者が伝えていくことが大切なこと、いい介助者はあなたが育てるのよ、そんなふうに習って、そうなんだと信じて暮らしてきた。

そして障害者団体のお仕事を辞めた頃から、少しずつ考えが変わってきた。

介助を通しての人間関係も、他の人間関係と同様、学び合う、育ち合う関係。どちらかがどちらかを育てたりとか、そういうことではなくて、お互いが気づき合うことなんだ。

書いてみるとすごくあたりまえ。そんなあたりまえのことが私にはわからなかったみたいだ。

私は介助という方法を通して自己実現してきたから、介助者には指示どおり動いてもらいたいという気持ちが強かった。まず話を聞いて理解して欲しかったし、私の生活のペースで、たとえいろんなあらが目についたとしても、まずは合わせて欲しかった。だから指示どおりに生活が流れないと、伝え方が悪かったか、聞き取ってもらえなかったか、とひどく悩んだ。または介助で関わる方と気まずい関係になった。

家庭や、施設での介助でなく、地域で世帯として介助を受けながら生活を始めるとき、そうやって自分の意志で動く時間は絶対必要だと思う。そうしないと、誰かの指示を待つ受け身的な生活から、自分で自分のことを決めて自分で責任をもつという生活に移行することは難しい。自分の体を通して経験できることが極端に少ない分、本当に難しいんだと思う。

もちろんこれは人による。すぐに精神的に自立する方々も多いかも知れない。
私は無理だったというだけ。

最近まで、私はその考えのもと、生活を続けてきた。

ある日、ふと思った。

確かに、介助の人の手を通して私はなんでもできるし、私がやったことといいたいけれど

梅干しの仕込みも、
手前味噌の仕込みも、
かぼちゃのパイも、
キムチ鍋も、

そして家をきれいにすることや、
私が毎日清潔にいられること、

ねずみ追い出し作戦、
その他諸々のこと

家に来てくれる人がいなかったら、
なんにも実現しないことばかり。

つまり私は、実は何もできない。
誰かが介助という考えに賛同して、この内容を仕事として来て下さらなければ、
毎日毎日来て下さらなければ、この生活自体は成り立たない。
理念は理念。現実は現実。

この基本の基本を、忘れていなかっただろうかと、思ったのだった。

私の今の生活はすべて、私の生活を支えて下さる人との共同作業なんだと思う。

今の私にできることは 介助者がいなくなったらどうしようかと不安がることではなくて、一日一日のいろんな出来事を体験し、ベストを尽くすことなんだと思う。
さまざまな方が自分の時間をかいじょの仕事にあてて、私のもとに来てくれる。そのこと自体が、実は貴重なことなんだと思う。

大げさだろうか。違和感を感じるだろうか。

でもそう考えたとき、私は自分の意志をすべて通すことよりも、その人とのその日の関係性を大事にしようとやっと思えるようになった。もちろんその日必要なことは伝えて、やっていただくけれど、前よりもすこし心に余裕が生まれたように思う。

私の体は比較的動くし、障がいの特性もある、それに私は今遊び人なので、出来るのかも知れない。もしかしたらこの内容を読んで、そんなうまくはいかないと思う方もいらっしゃるかも知れない。

それでも、私は私の考えのもとでやってみようと思う。幸い、介助者を派遣して下さる組織のやり方は、水に合う。幸せなことだと思う。

さまざまな方が介助に関わってくれる。そのことを恵まれていることとして、生活していきながら、より豊かな関係をつくらせていただこうと思っている。

2015年11月24日火曜日

仕事についての気づき

仕事を辞めて7年が経つ。
ようやく最近わかったことがある。

働くということにこだわっていたんだ、と。

世の中のために何かをやりたいのではなく、仕事のできる自分でいたかっただけなんだと。
誰かのためにつくしたくて仕事をしたかったのではなく、ただできる人でいたかったんだと。賢く聡明な人と思われたかっただけだったと。

今、生活が成り立っている自分には、働けない今だからしなくてはいけないことが山ほどある。現状を見直せば、暇などひとつもなかった。

本を読み、映画や絵を観て、新聞を読んで、知識を積み重ねること。
人にお世話になり、その人から態度や気遣い、考え方を学ぶこと。
人と逢い、会話の中から智恵をいただくこと。
街に出て観察し、ひとつでも多く観察する力を養うこと。
人との出会いの中で、その人の気持ちを想像し、おもいやる気持ちを学ぶこと。
毎日の生活の中で、忍耐を養うこと。

人並みに決して働けない体を持った意味は、きっとここにある。

大事な友人が諭すように伝えてくれたことがある。
「気がついていないだろうけれど、会いに来る人たちは会いたくて来ているんだ。私も毎回もらっている」
仕事だけが社会にできることではない、あなたはもう尽くしている、と彼女は会うたびに教えてくれる。

人生は本当に複雑だ。所属しないで個人でひとつひとつ考え、行動することのなんて難しいこと。ステレオタイプの幸せや正義のあり方と離れて、自分なりに生きることの、なんて勇気の必要とすること。

私はまだなれていない。障がい者の枠から離れること、世の中の幸せの枠から離れること、正義の枠から離れること、すべてに。
できていたようでできていなかった。そう自覚できただけだ。
枠から離れるということは、その枠の内と外で起こっている出来事を理解しようとし、視野を広げてみようとすることだと思う。枠のどこにいるかを気にすることではなくて、どこにいる人でも理解しようとすることだと思う。

そして個人として、起こる出来事を自分らしく考え、愛情を表現していく。
私しかできない、生き方をしていくということなんだ。

残念だけれど、私には何もない。うすっぺらな人間だから。良い子ぶっていただけだから。信念なんて何もなかったから。あると思い込んでいただけだから。
一歩一歩、これから歩いていく。

もちろん、いただいた仕事は丁寧にやりたい。
ヒーリングも、原稿書きも、講演も。
お金をいただくものでも、ボランティアであっても。
それでいいのだと、今は思う。

たとえ数ミリずつでも、わかることが増えていきますように。

お仕事についてふんぎりがついたら、あせりがなくなったぶん、なぜか今までよりも忙しくなったような気がしている。

2015年11月22日日曜日

選択してきたことについて気付いたこと

ものごとに揺れなくなるということを、最近実感した。
考え方の違いや、諸般の事情で、住むところを変えたり、所属しているところを離れたりすることは誰でもあることだと思う。
私も、実家から離れることを含めて、6回ぐらい住むところを変えた。
一度一度が、「ずっとここに住もう」と決心しての引っ越しだったから、この結果は自分でも驚いてしまう。

実家を出るときさえも、私は仕事を辞める形で出ざるを得なかった。
親が私と働くために提供してくれた文房具屋を退職することを選んだのだった。
そのお店のためにどれだけの資金がかかり、両親がどれだけの苦労をし、妹たちの生活までが大きく変わってしまった文房具店だった。
家を出るまで本当に悩んだ。もし友人の死という出来事が2回も(正確にはその年3度起きた。自立という悩みに関係する友人は2人だったけれど。)起きなかったら、私は自立を諦めて、家族のもとでずっと生活していたかも知れなかった。

両親には申し訳ないことをしたけれど、このことに関しては私は悔やんでいない。一度施設で暮らすという形で、私は家族のもとを離れてしまった。思考力のない、そして心の狭い私には、一度離れてしまった家族と自分からうまく関係をつくるということはとても難しかった。誰かのせいではなく、これでよかったんだと思う。いま多くの人たちに支えられていると自覚しながら、生活していけているのだから。

引っ越しのきっかけは、関わってくれていた人たちとの別れが原因のことが多かった。
こうしたことについて、本当に私はこれでよかったのか、答えが出なかった。

今日、ある人と話しながら、
お別れしたひとつひとつのことについて客観的にみている自分に気がついた。
そして、別れたひとつひとつの組織や関わっている人たちが、変わっていようと変わらないままでいようと、動じない自分を発見した。

すこし前の私は、相手が変わることを望んでいたし、別れてきたその場所にいきたいという気持ちもなかった(今でも逢えていこうとは思わない)。私は自分の正義に酔っていたんだと思う。今は、そんなことはどうでもいいことなんだと思うことができている。正しいとかまちがっているとかではなく、私がそこを離れたかったから離れただけで、相手の生き方を変えようとしなくていいし、ネガティブな感情は持たなくていいということなんだ。

私はできれば成長していく生き方をしたいし、広い視野で物事をみる目を養いたい。
相手が成長していないということではなくて、私はいつも変わっていくということなんだなあって。

わかりにくい説明で申し訳ないけれど、今回の出来事でわたしの心が揺れなかったのはそういうことなんだと思う。
すごく視野が狭いとは思うけれど、私なりにひとつひとつの場所に関わり、現実にふれてきたから、その視点から理解できるから、距離を保ってみることができる。この距離感が大切なことなのかも知れない。

生き方を見直すたびにその時のお付き合いから離れることになり、結果的にその時々で迷惑をかけてきたと思う。私と逢いたくない人も多いと思うし、嫌な思いをする人もいらっしゃるだろう。
それは当然のことなのだから、と、今回は思った。なぜなら、多くのことから離れることを選んだのは私だし、人に理解を求めても仕方がない。
私の生き方は、自分で見直して、進んでいくしかない。それだけのことだ。

そして、過去を客観的にみた自分がいた。
自分で選んだことに、責任を持とうと思った。大それたことではなく、日々考えながら生きて行こうと思った。

今までにない、いいようのない気持ちだった。

2015年11月18日水曜日

お別れの時間

Kさん。

出会いのときは覚えていないけれど、最初の思い出は、Sさんのお通夜の日。あなたは私を一晩泊めてくれました。
あのときは悲しみでいっぱいで、なにを話したかも忘れてしまったけれど。

私があなたの会をやめて、
年賀状だけのお付き合いになって十数年が経ちましたね。
今日、あなたとの最期の時間を過ごさせていただきました。
会いに行かせてくださってありがとうございました。おかげさまで昔のことが少し整理できたように思います。

お別れ会に出席して、私と7歳しか違わなかったことがわかり、ああ、あの頃もあなたは若かったんだなあと気がつきました。

辛いこともたくさんあっただろうなと。

障害者運動が嫌いとおっしゃっていたその気持ちが、あの頃の私には理解できなかったけれど、なぜならあなたは代表だったから、自分で選んだところも少しあったと思っていたので……。今まさに運動を離れて個人としての生活をしている身として、少しだけだと思うけれど、わかる気がしています。

道を違えてしまったけれど、遠くで少しだけ気にかける関係というのが、本来の世間的な人間関係のほとんどなのかもしれません。

今日、懐かしい人達のお顔をたくさんみさせていただきました。声をかけてくださった方もいて、懐かしくてうれしく、元気そうで安心しました。
そして私の心は揺れませんでした。
今の道を選んだことは、良かったんだと思います。
戻りたいとは思わない、人生を歩いているんだと思います。

私たちはあのときお別れをして、もうそれ以来話をしなくなったけれど、
それは私自身が選んだ結果としてずっと死ぬまで心に持っていることなんですよね。
罪悪感を持たず、でもそのとき傷つけてしまった人達がいるということを忘れず、誠実に一歩ずつできる限り前を向いて歩いていくということ。
そういうことが生きるということなんだと、心は整理され、揺れませんでした。

そのことに今日、気づかせてくれたことに、心から感謝をしています。
ありがとう。
午前中の晴れた時間も、全部こじつけて、ありがとうございました。
心安らかに休まれますように、心からおいのり申し上げます。

2015年11月17日火曜日

犬の名前をつける日

これも知人に教えていただいた映画。シネスイッチ銀座でみてきました。

ドキュメンタリータッチですすむこの映画は、いぬやねこを殺処分する現実と、命を救おうとする人、商売として扱われるペット産業の現実を、主人公のリポートという形で見せてくれます。
見終わった後は、自分に何ができるだろうかと、心に残ります。

小林聡美さんがとても自然に話を運んでくれているので、重い内容だけれども真実が胸の中に灯ります。

犬の話だけれど、なんだか猫と暮らしたくなりました。いつか一緒に住めるところが見つかるといいな。


駒込の家の時に、うちに餌を食べに来た3匹の野良ちゃんを思い出しました。みんなで一匹づつ捕まえて去勢手術をしたよなって。野良だから連れてこなかったけれど、それで良かったのかなあって。

愛するということは責任を持つことなんだとも感じました。

この映画、とても時間をかけて作られています。情熱が感じられて、それも良かった。



2015年11月11日水曜日

おみおくりの作法

Still life
2013年 イギリス・イタリア

知人がこの映画を観たときに、とてもよかったと話していたので、気になっていました。

最初は淡々としているようで、根気が続くかなあと思いましたが、最後には号泣。
好きな映画になりました。

生きるということは、誰かに理解されようとすることではなく、誰かを思うことなんだと、この映画は語ってくれます。
主人公の欲のない、誠実さは、こころにしみていきました。
生きる目的をどこにおくかで、たとえまわりにどう映ろうと、満たされた時間を生きられるんだと感じました。

本当に最後は泣いた泣いた。しっかり生きて行こうと思いました。

内容がかけなくて残念だと思うくらい、ネタバレで書きたいです。書かないけれど。

2015年11月4日水曜日

エール!

フランス映画。イオン板橋で観てきました。

いやあ、何が良かったって、耳の聞こえない人の気持ちと、聞こえる人の気持ちと、親の気持ち、娘の気持ち、世界観の違い、そして家族の気持ち、自立、すべての立場の気持ちが伝わってくるところがなんとも言えず良かった!!!

クライマックスであの演出はすごいなあ。


そして、歌。
サントラ、買っちゃうかなあ。

なんだか何も隠さなくて、同情しないフランス映画は大好きです。

フランス語で「青春の翼」を歌いたい。

2015年10月28日水曜日

水のように生きる

最近読んだ本。人はなぜ苦しむのか、どうしたら癒されるのかを、わかりやすく、丁寧に、そして現実的に、日常の生活から向き合えるように、書かれてあります。
書画家の方が書かれた本なので、書画も見ることができます。
書道が好きな友人は、「書で癒されるね」と言っていました。

心に残っているのは、「お先にどうぞ」ということが書かれているところ。
人のために生きるということの具体的な方法が書かれてありました。

奪われて一番つらいと思うものこそ、ゆずれないものこそ、あなたが一番ゆずるべきもの。

そうか、そうだよな、と素直に思えました。

多分、読む人の置かれている状況から、びびっとくるところが違ってくるのかなと思いました。

苦しさを感じて、心の芯から癒されることを求める方々に、この本が届くといいなと思います。


 小林芙蓉 「水のように生きる」  あさ出版  1300円+税

2015年10月27日火曜日

ヤコブへの手紙(少しネタバレ)

フィンランドの短編映画。年老いた牧師さんと、恩赦を受けた終身刑だった女性のストーリー。
友人に以前から勧められていたのに機会が持てず、ようやく今日見ることができました。

なんだか泣けました。印象に残ったのは、牧師さんの
「この手紙は、神様が私に与えてくださったものだった」
というところ。人を助けるために、牧師を頼って届く手紙に答え続けてきたように感じてきたけれど、実は自分がこの手紙を必要としていたんだと牧師が気付くのです。

人はどんな人でも、どのような状態になってもこうして気づき、成長していくものなのだと、心に残りました。気づくためには、いつも謙虚にならなければいけないと思いました。

最後は本当に心にしみました。観たほうがいいといった、友人を思いました。

2015年10月18日日曜日

板橋区民祭り

昨日今日と、板橋区は区民祭りで、大山の文化会館界隈は大にぎわいでした。
2日間開催されるお祭り。板橋に越してから、いちにちは縁あって偶然通りかかることが多く、阿波踊りをチラッと見て帰り道を急ぐことをしていたけれど、今回はなんとなく2日間楽しんでみました。
昨日は広場で思わず佐世保バーガーを購入。久しぶりに食べて、美味しかった^ ^。
今日はお祭りの雰囲気だけ味わいに。
すごい人だったけれど、なかなかいいざわめきでした。

お祭りを遠目に感じながら、初めて入った喫茶店で一冊本を見ませてもらいました。ゆっくりできるところでよかった。町の方々のおしゃべりをなんとなく聞き流しながら、貴重なひと時を過ごしたのでした。

関係ない話ですが。昨日半分残しておいた佐世保バーガーを朝食でいただきながら、頭ん中では某番組で歌われていた「佐世保バーガー」の歌がかけまくっておりました。

エリン・ブロコビッチ

最近になってもう一度見てしまった映画。

主人公の女性はシングルマザー。不運なことが重なる中で、感情を爆発させながらも懸命に理性を働かせて物事に立ち向かっていく。情熱と親身に人を思う気持ちで、大企業との公害訴訟に向き合う。

ジュリアロバーツの迫力に圧倒される。これだけ真剣に生きることができたら、悔いはないだろうなと思う。
実話が元になっているので、ドキドキするけれど気持ちいい。

huluで見ていたんだけれど、2回観て、今これを書くために確認しようと思ってサイトを開いたら、配信が終わっていた。またしばらくしたら配信されるかなぁ。

2015年10月13日火曜日

人と暮らす

若い時は自分の家族を作りたくて、恋ばかりしていた。
私のそんな頃を見てきた友人は、恋をすれば?と時々言う。

でもよく考えてみると、自分の家族をつくりたい、パートナーが欲しい、という気持ちの方がいつも強かった気がしている。
誰かに心がときめく前に、前提があったみたい。
もちろん、恋はしていたけれども。

私の日常生活は圧倒的にまず介助の方といることが多い。
介助を仕事にして、私の生活を支えに訪れてくださる人たちと、日々一緒にいる。

長くお付き合いしてくださる介助者の中には、家族のようにちかしく思ってくださる方もいらっしゃるし、仕事の関係だけではない部分もたくさんある。

介助を日々受けながら生活を続けてきて、最近になって、
「ああ、これが『人と暮らす』ということかも知れない」
と思った瞬間があった。

私は体が中途半端に動かないので、生活のほとんどを来てくれる人に補っていただく。
体が動かないということは、頭の中で生活を考えているということ。自分では実行できないので、そこはその日一緒にいる人の出番となる。

頭の中では物事はスイスイ浮かぶし、自分の世界でしかないから、いざ人に頼んでみると思いもしないところでずれてしまう。

例えば銀杏の甘皮を向く手間は計り知れないことなんだと作業を見ていて思ったり、
にんにくのかわを向くと手が赤くなるということを、やってくださった方の手を見て初めてわかったり。

人にわかりやすく伝えていくことが未だにうまく体得できていない自分がいる。

ほんの少し前まで、障害がない人は、苦手とか特手だとか言ってもひと通りなんでもできると思っていた。
障害があって身の回りのことができない、の「できない」と、障害がないけれど苦手なことでできないの「できない」は、できないの意味が違うと思っていた。

ても実はそうではなくて、
介助の仕事できてくださる方々は、自分のできることを私にしてくれようとしているのだな、と思うようになった。

確かに私は障害があって一人では何にもできないけれど、来てくださる方も得手不得手を持つ方々で、そこを私はわからなかったんだなと。

ひとつひとつの日々の生活は、その日一緒にいる人との共同作業。もちろん自分の生活をしていくためにいろいろ伝えていくけれど、うまくことが運ばないことには理由があるみたいだとわかるようになった。

そこに今私がわからなければいけないことがあるのかも知れない、と。
もっとこじつければ、その経験をするためにこの体を今回いただいて生きているんだと。
何もかも自分の思う通りに生きていきたいのであれば、この体を選ばなくても良かったはず。自分で全てやればなにも葛藤は生まれないのだし。

うまくことが運ぶことだけを求めず、今日来てくださった人との時間を余すところなく味わう。感情も、考えたことも、全て。
その人は私の生活を補助してくださるために来てくださっているのだから、多分私が日々できることはそういうことなのかも知れない。

そう思うと、同居人がいなくても日々考えていくことはたくさんあって、一人暮らしではない生活を感じている。

人の暮らしを理解して支えるって、自分の価値観が強ければ強いほど難しいのではないかと時々思う。私は我が強いから、障害のない体をいただいていたとしても、今の性格では介助の仕事ができたかわからない。

それを思うと、いま思うような生活ができていることがとても愛おしい。

一人暮らしではないこの生活に、とても感謝をしている。
そして面白くて仕方ない。

これが恋をしない理由ではないのだけれど、わざわざ時間を作って会いに来てくれる友人たちとのひとときももらえて、私のキャパは満足しているみたいだ。


2015年10月11日日曜日

ふくろ祭り

池袋西口で、昨日はお祭り。よさこいが舞台で踊られているみたい。
芸術劇場の前は大にぎわいだった。

芸術劇場で、アウシュビッツの展示がされていることを新聞で知り、見に行った。杉原千畝とアンネフランクのことが展示されるということで。

たくさんの人に混じって、展示物を読んだ。4面の立体パネルは、歴史が終えるように一応順番が記されていたけれど、どこから読んでも良かったので比較的見やすかった。

改めて文章で追うと、差別的なことが心の奥まで入ってきた。

混んでいたせいもあり、残念ながら千畝氏のスペースはうまく近づけなかった。
実感したかったんだけれども。

悲惨なこと一つ一つも、救われることも、人が作っていくんだと改めて思う。
その時自分が何を思い、行動するか。
そればかりを考えてしまった。

外に出ると別世界。おいしそうな匂いが漂って、誘惑に負けそうになる。
各地域のブースもあって、ふと埼玉県寄居町の札をみつけた。

もう夕方になっていて何も置いていなかったけれど、いったい何を売っていたのだろう。
とても気になった。寄居は小さい頃過ごした場所だから余計に。
今日もお祭りはあるみたいだけれど、予定あるし、観には行かない。
小さな謎は、謎のまま。

2015年10月8日木曜日

どっちつかず

少し前から、私は自分の指針を見失っている。

心から望んでいるもの、叶えたいものを見失っている。


少し若かった頃は、すぐ夢が見つかって、それらを叶える努力をするのが好きだった。

一人暮らしも、恋人との生活も、仕事も、本を出すことも、大学を卒業することさえ、私の夢だった。
全て叶ってしまった時、私は次の夢を見つけられなくなった。

私は何のために生きてきたのか、わからなくなった。
なぜなら、私が社会に尽くせると実感できるものがないから。

夢が見つけられなくなった時、今は勉強の時期なのだろうと思った。とにかく本や映画を読んだ観たり、してきた。
そのまま今に至っている。

障害者関係の仕事を離れたら、私に仕事などなかった。
仕事を持っていると、人並みに尽くしているように感じられたのに。

そう、私は、人並みという状態が好きだった。社会に認められることが好きだった。そういう生き方なら、家族に認められるような気がした。社会に認められること、つまり家族に認められることが、私の望みだった。

私は社会につくしたくて仕事をしていたのではなかった。家族に認められたくて、人並みに扱われたくて、仕事にしがみついていた。

今の私には、スキルも何もなく、適職も探せられない。
世間的に言えば、障害もかなり重度らしいし。でも仕事は好き。働くのは憧れる。自分の欲望の残り香がまだある。

そんな思いがあるから、親しい人と話すと、仕事をしたいという話になってしまう。
彼女は私にいつも言う。
「例えば介助に来る人は、お金になるからあなたの介助に入るわけではないと思うよ。みんなあなたに会いに来るんだ。何もやっていないと思うかもしれないけれど、大事な何かをみんなにあげているんだから」
こんな風に言ってくれるなんて、嬉しくて毎回泣いてしまう。彼女の存在がとてもありがたくて愛おしい。

私はまだ自分の役割についてわかっていない鈍感おんなだけれど、一つだけ自覚できたことがある。
私が夢だと思っていたことは、私の欲望だったということ。
夢というのは、欲望であるのかもしれないけれど。
私は、私の欲望を叶えただけ。
誰かの幸せを祈ったわけではなかった。

こじつけだけれど、だから私にスキルは身についていないのだと思う。
謙虚さがないというのは、相手の幸せという視点がないということなんだ。

これからは、せめて大好きな彼女の幸せを祈りたい。
大好きな人を大事にしたい。
大事にするための何かをしていきたい。

ルールに怯えず、信念を持っていきたい。

まだ本当にどっちつかずだけれど、私は私を必ず見つける。

2015年9月15日火曜日

しげる庭

友人主催の飲み会で知り合った方から案内状を頂いて、三人展に行ってきました。。
階段だけということで少しドキドキしながら、会いに行ってしまいました。快く迎えていただいて、嬉しかったです。

抽象画はなんとなく苦手で、戸惑うことが多い、絵心なしの私ですが、3者3様の世界観に面白さを感じさせていただきました。

再会し、ひとときお話を聞かせていただきました。どんなときに絵を描きたくなるのか、絵のできる過程はなんなのか、そこに根本があって絵が生まれていく、その様な話がとても印象に残りました。漆の話もとても興味深いものでした。

個人的な感覚としては、黒というものが暗くならない感触、そしてそれが風合のある作品になるということが、発見だった様に思います。

自分の大事にしているものを表現し続けていくという生き方を、教えていただいた様に思います

しげる庭
9月14日から19日 11時〜19時(最終日は17時まで)
場所  アートスペース羅針盤 
    東京都 中央区 京橋 3-5-3 京栄ビル2F    
しげる庭


2015年9月13日日曜日

城北中央公園

東京都民には順次「東京防災」という黄色い本が届けられている。うちにも昨日届き、チラチラと見ている。

いい機会なので、広域避難場所まで徒歩で行ってみた。

城北中央公園は都立公園。道路を挟んで幾つかに分かれていたが、ものすごく広くて気持ちのいいところだった。ちょっと遊びに行くつもりが、少し長居をしてしまった。
家からは徒歩30分ほど。一番近い避難場所はすぐ近くの学校なので、広域のところまで行くことになるかどうかはわからないけれども、一度行っておけば感覚もつかめるのでいい機会だった。

しかし広かった。地図だけではイメージはつかめないものだ。

多目的トイレの数は少なかったけれど、もう少し観察したら面白い発見がもっとあるかもしれない。

彼岸花が綺麗な季節。近くにキンモクセイがないので今年はなかなか感じないけれど、9日に秋が深まっている。

2015年9月9日水曜日

ソフォン(願い)

韓国映画はとてもわかりやすい。

この映画はとても観るのがきつい。何も隠さずというか、邦画にはない表現であらわしてあるところを感じるから。
実際にあった事件が元になっている。

包み隠さず見せてくれるぶん、鈍感な私にも理解しやすいし、何か酷なのかがとてもよくわかる。
観てよかったと思う。
そしてよくわかったぶん、観るのがとても辛かった。健気な女の子も、二度と治らない障害も、父親の切ない努力も、犯人の冷酷で自己中な行動も。
女の子が受けてしまったその事実も。
世の中にそんな経験をしてしまう子どもも大人も大勢いるという現実も。
その事実の数だけ加害者がいて、何にも悪いと感じずに生きていたりするということも。


アメリカン・スナイパー

実在の人物をモデルにした映画。

戦争体験がその人にどれだけの深い傷を残すか、感覚を異常にするかを観せてくれる。

仕事で人を殺さなくてはならないということ、それを正義と位置付ける無茶苦茶さというか、心に傷を負うということがどれだけの感情を感じなくさせるか、こくこくと見ることができた。
時々真剣に見られなくて、少し逃げた私。
いつかもう一度観なくてはいけないかな。


救いたい

東日本大震災後の東北を舞台にしたもの。

最後の、お祭りが復活して、お神輿が通っていくその道に、地元の方がご家族のお写真を持って出演されている。

このシーンがとても印象に残った。

6歳の僕がおとなになるまで

12年間、キャストを変えないで、撮り続けた映画。
前から観たいと思っていた。

生活していくことを映画にしてしまうなんて、面白いなと思う。特別トラブルに巻き込まれるとかそういうものでなく、父親と母親と姉と主人公の男の子が、それぞれ波にもまれながら人生を過ごしていく。

それぞれの波はもちろん家族それぞれに影響するのだけれども。

一つ一つの選択なんてあっているか間違っているか分かるはずはないし、人生はそういうものでなく、積極的に自分を見つけていくものなんだと、この映画を見ながら思った。

子どものうちは家族の波をただ受けるしかないけれど、おとなになるということは、自分で波を起こしていくことも多くなるということなんだなあと。

余談だけど、母親役はメディアムという米国ドラマのヒロイン役だった方。
同時期に年月かけて映画を撮っていたんだなあと、そこも面白かった。

アバウト タイム


イギリス映画。

その家系の男性は過去にタイムトラベル出来ると、21歳になった朝に父親から告白される。

思いの外長い映画だったけれど、ストーリーは楽しかった。最後は常識の範疇に落ち着いて、生きていけばいいかという指針を匂わせる。

時間を大事にするってこういうことだよな、と改めて確認できる感じ。
ロマンチックな映画だった。

イギリス映画も、うまく書けないけれど、品の良さというか、見せないものは見せないというところが好き。
変な言い方になってしまった。

草原の椅子

2013年につくられた邦画。

邦画の、静かな展開と抑えた表現はとてもすきだ。
この映画は何も情報なく見たぶん、すっと心に入ってきた。

何も特別激しいシーンはないのだけれど、子どもの底知れない悲しみと、おとなたちのまよいや未来への怖さみたいなものが伝わってきて、なんかいい映画だったなあと思う。
激しい映画もいいけれど、観る人にイメージを創造させるようなこういうものも好き。

メインキャストも素敵だったけれど、小池栄子さんの異常な感じの登場人物も印象的だった。
的外れで、話がかみ合わなくて、本人はそれで正しいと思っている、そんな人。
なんだか、他人事ではなかった。そう思えるのも邦画の良さかもしれない。

2015年8月23日日曜日

今回は

時間もあって、24時間テレビを少し見てみました。

好きな人も嫌いな人もいらっしゃると思うけれど、私は実はどちらでもなくて。

ものすごく見たくない時もあるし、なんとなくつけておきたくなることもある、そんな中途半端な感じです。
実は私も10代の時にこの番組から電動車椅子をいただいています(その時はまだ私は電動車椅子を福祉でもらえませんでした)。

ところどころ観て、感じたのは、子供たち頑張っているなあ、素直に映っているなあ、純粋だなあ、ということでした。

番組を通して得たチャンスを、生かしているんだなあって。

多くの子供達が、この番組を通して注目されて、チャレンジする機会を楽しんでほしいなあと、思いました。

大人たちのいろんな想いは置いておいて。

私は番組を作ることはできないし、海に行ったり走る夢を叶えたりそんなこともできないから、
やっばりひとつの機会だよな、などと思ったのでした。


2015年8月22日土曜日

今朝の夢

変な夢だった。

手と足の緊張を緩和するために、関節の筋を切る手術を受けることになった。しばらくしたら縫い合わせるので支障がないという。よく考えると、きってしまったらしばらくトイレも行けなくなる。どうしようかなあと思いながら、介助の方と動物園に行った。
遠くから、今話題の芸人又吉さんがじっと私を見ている。見つめられながら、これは恋愛になるな、と思った。歳の差があるし、現実が現実だから、話題になるだろうな、でも又吉さんはきっと変わった人だろうから、私とはウマがあうだろうと。

ここで目が覚めた。朝から笑ってしまった。

2015年8月19日水曜日

トチノキの実

光が丘公園で、大学の時に知り合った友人と自然探索。

見つけたのは、タマゴテングタケノモドキらしききのこの群生と、トチノキの実。いずれも初めてみました。
栗に似ているトチノキの実は、なかなか固い代物で、靴で踏んづけても割れることがありませんでした。でも中身は栗に似ていてでんぷん質が多く食べられるそうです。
落ちていた実を一つ持ってきたけれど、食べるつもりはありません。

タマゴテングタケノモドキは、ちなみに毒性菌があるそうです。wab辞書では「ひだがピンク」と書いてありましたが、ピンクではなかった気がします。もしかしたら違うかなあ。

かさは直径15cmぐらい。全体は白色で、かさの表に黒っぽい斑点のようなものがありました。
いずれも、食べられないだろうと思いました。

ミンミンゼミの啼く姿をじかにみました。お腹をくちゅくちゅさせているところが感動でした。

トチノキは栃木の県木だそうですね。栃木にはたくさん植えてあるのかしら。

気になったのはイチョウの木。真夏なのに若葉のように黄緑の葉をしたイチョウが何本もありました。あれはそういう種類なのかしら。植物博士に話を伺いたいです(^ ^)

虫や植物の話ができるのは、なんかとても幸せでした。


父と暮らせば

井上ひさし原作のこの映画を、初めて見ました。
題名はこんな意味だったかと、映画を見てわかりました。

原爆投下後、どのぐらいの方々がこの苦しみを味わったのだろう、自分が悪くないないのに、どれほどの罪悪感に苛まれたのだろうと思うと、胸がとても痛くなりました。

そしてここに出てくるお父さんのように、家族の幸せを案じた方がどれほどいらっしゃったのだろうと、思いを馳せました。

起こしてしまった戦争は、消すことができないもの。忘れることのない事実なんだと、改めて思ったのでした。

2015年8月16日日曜日

小さなおうち

2014年に公開された邦画。今朝huluで観てみました。

なんというか、戦時中の人の生き方も多種多様だったのだと、一辺倒でくくってはいけないと、この映画の表現する「波」を感じながら思いました。

ネットで観ているので、途中で休憩してまた違う時に後半を観ようと、つまり少しつまんであとで続きを観ようと考えていたのに、やめられずに一気に見ててしまいました。刺激的なシーンが少なく、人の心のうちを静かに描いていくものだったので、私の性にあったのかも知れません。

戦争は、普通に(人間臭く)暮らしている人に忍び寄り侵食していくものなんだと思いました。

2015年8月13日木曜日

ネパール大地震義援金のお願い

久しぶりに更新です。

今年はうだるような猛暑。健康管理が大変ですね。
あっという間に8月になってしまいました。
ずくなしになりました。

先月、久しぶりにきてくれた友人が、千駄木のネパール・インド料理店のことを教えてくれました。
今、ネパール大地震の義援金を集めているそうです。
ホームページもブログもまだ内容なので、チラシの言葉をうつさせていただきます。

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   ネパール大地震 義援金のお願い

ネパール大地震で家族や家や財産を失ってしまった人たちのため、募金活動を行っております。
あなたの小さな協力も困っている人には大きな支えになります。
あなたの温かい気持ちが生き残った人たちに希望を与えてくれます。
何卒よろしくお願いいたします。

募金コレクター: ネパール・インド料理ミルミレ千駄木店

住所     : 東京都文京区千駄木2-20-10
電話     : 03-3824-1418


2015年7月20日月曜日

来たり人たち

武蔵野芸術劇場で、舞台を見てきました。
「来たり人たち」

家族を考える、いい機会をくれたお芝居でした。

名古屋の造園業を営んでいる家族のお話で、脳梗塞で倒れた社長が退院してくる前日からお話は始まります。
子連れで嫁いだ後妻のお母さん、二人の前妻の子供も自分の子供も、成人して会社を手伝っています。自分の子供は最近岐阜から嫁さんを貰いました……。

家族一人ひとりの感情や思いがぶつかったり支えあったり傷つけあったり。家族ってこういうもんだったよなあといろんな自分の思いがよぎりました。

少し前に見ていたらきっと私は、ああだからここには私の役割はない、とか、自分中心で見てしまったと思いますが、今日は、いろんな思い、どちらかというといい思いを抱いていなくても、お互いに家族と認め、相手の中に入って関係づくりをしようとする一生懸命さが伝わってきたように思います。個性的なキャラの人もいて、本当におもしろかったです。 

一つの題材をもとに、吟味しあって作り上げていくって本当に素敵。きっと語れないほどのやりとりがあるんだろうな、と思いながら、今もまだ余韻に浸っています。

親切なクムジャさん


韓国の映画。少し前につくられたものみたいです。
huluでやっていたので、見てみました。

韓国映画は、私にはわかりやすく、観るのは少しキツイこともありますが観終わった後に「そうなのか」と思うところが残る映画が多いです。
この映画も、見るのはとても辛かったんですが、被害者の気持ちや、暴力的に扱われる人の気持ちを俳優がすごくよく演じていて、想像できました。

凶悪な犯人が、自分がやったことをいざ自分に被りそうになった時、恐怖に目が血走り、震えていたことが印象的でした。
自分にふりかかることなど想像もできないまま、人に対して危害を加えようとする人間像をみたように思いました。


あん

だいぶ前に見た映画、「あん」。
樹木希林さん主演の映画は是非観たくて、たまたま近くで公開されていたこともあり、いってきました。

現代に続く、昔からの負の思い。
誰かが傷ついていると知らないで過ごすということは、とても残酷なことなんだと思いました。
自分のすぐ隣でこういうことが起きていそうな、そんな錯覚を覚えました。

重い展開になっていくところに、きゃらさんの役柄が明るく可愛く映えて、最後まで観ることができました。

樹木希林さんは、もちろん、いやあほんとに、観てよかったです。

2015年7月4日土曜日

天国は本当にある

この映画も、実話をもとにしたもの。昨年公開されたそうです。

牧師である主人公の息子が臨死体験をするのですが、宗教を信じるということと「天国」という概念の捉え方についての揺れというかズレというか、曖昧なものが現実化されることへの人々の心の揺れを感じた映画でした。
そこにあるものや見たものを、やみくもに怖がったりしないで受け止めること、目をそらさないこと、そして特別視しないことは、何に対しても必要なことではないかと思いました。
息子がとっても可愛かった。つたない言葉で思いもしないことをいうシーンがいくつもあり、楽しみました。

2015年7月3日金曜日

それでも夜は明ける

アメリカ、南北戦争前の、まだ南部に奴隷制度が残っている時代。北部で音楽家として活躍されていた黒人男性が、だまされて誘拐され、南部で奴隷として扱われます。その12年の物語です。

人間が悪魔に見えた、映画でした。冷酷で残忍な雇い主も、一見人の良さそうに見える雇い主も、広い心を持っていると自分で思っている雇い主の妻たちも。冷酷なんです。

人が人を人と思わないということ、これがこんなにも他人に対して非道な行動に向かわせてしまうんだと、そして深い悲しみを生んでしまうというその事実がとても痛く、苦しくなる作品でした。

この原作は最近見つかったもので、主人公の手記だそうです。

愛のない行動の毒の深さを、教えてくれる映画。眠れなくなるほど印象的でした。

グレートデイズ


フランス映画。この映画のモデルになった親子について、ドキュメンタリーになったものを某番組で見たことがあります。

あまり関係性がうまくいっているとは言えない父と障害者の息子が、親子でトライアスロンに挑戦する、実話に基づいた物語です。

息子役は、この監督が施設を渡り歩いて探し出した、脳性麻痺の障がいを持つ若者。
最終的にオーデションで受かったそうですが、彼がいい演技を見せてくれました。

父に対する息子の思いが伝わって来る作品でした。


バルフィー 人生に歌えば

昨年、みはぐれてしまった映画がレンタル開始になり、借りてきました。

聴覚障害の主人公バルフィー(マルフィ)の人生を描いたインド映画。よくある恋愛ものの類かと思ったら、見ごたえありました。コメディタッチで、愛の深さを感じる作品です。

インド映画は歌あり踊りあり休憩ありですが、DVDなので休憩なし。それでも2時間20分。
時間のある時でないと^ - ^

人生を素直に受け入れるのか、そして愛に心を開くのか。
それとも踏み出さずに抵抗してしまうのか。

バルフィーの生き方はとてもユニークで、快活でした。そしてまっすぐでした。

2015年6月30日火曜日

一葉の家が残るまち


先日の日曜日、文京のNPOの方と一緒に、本郷のまちあるきに。
本郷三丁目駅から、見返り坂・見送り坂、菊坂、炭団坂、鐙坂と、坂の街ぶんきょうを車いすで楽しむというツアーでした。
東大でバリアフリーマップの研究をされている先生方、まちづくりの研究をされている院生の方と歩き、街に関しての様々な知識を教えていただきました。

菊坂を奥に入った路地にある金魚坂という金魚屋さんを久しぶりに覗いたり、コインランドリーに置いてある昔のゲーム機をみたり、トマソン建築ということばをおそわったり。

印象深かったのは一葉の旧居。現在も住まいとして生かされているところが、本郷らしいところなのかなと思いました。
一葉の旧居の近くには井戸があって、写真では見ていましたが、味のある場所でした。階段をトントントンとのぼって、いろんな、階段のある坂を歩いてみたくなるようなひとときでした。

今回は女性車いすユーザーの目線から街について意見を、というのが誘っていただいたきっかけだったのですが、こちらが学ばせていただくものばかりでした。

東大のセミナー室にも初めて入らせていただきました。勉強がはかどりそうなモダンな設備を見ることができて幸運でした。


私の使っている電動車いすメーカーが推奨している登板角度は9°。意外に15°以上あっても登れたりしたので、電動車いすの限界の斜度は幾つなのだろうと思いながら、坂を楽しませていただきました。坂道ツアー、文京区ならではで面白かったですね。
個人的には斜度計が欲しくなりました。坂があるたびに測りたくなります。懲りそうです。

司馬遼太郎の本はちょっと苦手だけれども、興味を持った部分だけでも読もうかな、などと思ったり。
今回このイベントのために代表の方が前もって貸してくださったご本、「街道を行く・本郷界隈」は、本当に「真砂町」と「一葉」のところしか読めてないまま参加いたしました。

すみません。m(_ _)m

ギルバート・グレイプ

久方ぶりの投稿です。

TSUTAYAでつい目がいって、借りてみました。

主人公の、家族の中にまみれた生活は、なんだか惹きつけられて、真夜中に最後までみてしまいました。ジュニーディップのファンが多いことが今更ながらわかりました。
時に悪魔的なというか、仕返し的な気持ちを抱きながらも、家族を大事に考える主人公の日常は、しっくりくる感触でした。
びっくりしたのはデカプリオの演技。いやぁ、こんなに迫真の演技をする俳優さんなんですね。最初、デカプリオだと思わなかったぐらい。すごかった。ほんとに。

不条理なことや、投げ出したくなるような状況の時に、どれだけ静かに行動できるのか。それを考えた映画でした。

2015年6月5日金曜日

レミゼラブル 帝国劇場

先月末、帝国劇場で、レミゼラブルを見てきました。

今huluでも配信しているので、時々BGMで流して、まだ雰囲気に浸っています。

どっぷり世界にはまるまでとはいかなかったものの、やはり見に行けてよかった^ ^

一緒に観に行きたいと言ってくれた友人に感謝です。

なかなか、一人では重い腰が上がらないから。

千秋楽の前の日で、その舞台メンバーの皆様はその日が千秋楽。思いかけず舞台挨拶が聞けて、楽しかったです。

ただ、映画の印象があまりにも強くて、比べながら見てしまったことも事実。
今回は友人との最高の時間ということで。

それもきっと、とても大事なこと。うん。

帝国劇場、とっても素敵。また行きたいな、友人と。

2015年5月27日水曜日

クロワッサンで朝食を

huluで最近、これ好きだったなあ、というような映画がやっていて、ちょっと楽しいです。

最近見たのは、

クロワッサンで朝食を

なんか、今の私の時々現れる精神状態を思い出させるような映画でした。
私が日々こだわっていることって、実ははたから見たらとても意固地に見えているのかもしれないなーって。

確実にこの映画の、老女のような態度をしている時があるなって。

自分の中にあるものって、なんなのだろう、自問しながらみていました。

夜明けのエッフェル塔が綺麗でした。




2015年5月23日土曜日

役割と肩書き

外出中になぜか私は、介助でつきそってくれている彼女にこんな話をした。

「私は介助を受ける立場だけれども、介助できてくれる人たちを『介助者』という肩書きだけで見ないようにしているよ。それは時に危険だから」

なぜその日に限ってこんな話をしたのか、自分でも不思議だった。

「『利用者さん(介助を受ける側の人)』というくくりで見られることが時に危険なように」

私の話に付き合ってくれている彼女は、何か考えているようだった。

「介助で来てくれる人たちを『介助者』という肩書きでしか見なかったら、きっと私は多くのことを求めてしまうし、何ができて何ができない、という目で見てしまうと思う」

私は、自分の意思で生活したいという気持ち(こだわり)がとても強い。意思表示しなくてもことがつつがなく流れていく生活はできる限りしたくない。なので私の介助をする方々は、私と確認しながら物事を進めていくことが仕事になる。確認なく何かをやってもらってしまう「先回り」は、私はいつまでたっても好きになれない。

私のように考える方ばかりではないみたいだが。

私との話の後、彼女は私の話の意図を理解してくださった。

「一人一人考えていることも求めていることも違うんだと実感しました」

彼女はとても晴れやかな笑顔をみせてくれた。

そう言いながら、私も最近同じ間違いをしている。自分がとても嫌で、一番嫌いなことを人にやってしまったなんて、言葉にもならない。
日々の思いと、人間関係をつなげて考えなくてはいけないのに。

人は一人一人その役割を果たそうとするけれど、肩書きだけで人間関係をつくってはいけない。その人の肩書きに頼ろうとせず、自立して生きていかないと。

未だできていなかったのは私。だから毎日のように、誰かとの関係の中で教えていただいている。
このことはすべての人間関係に通じていえるのだと思う。

人を肩書きでみて依存してはいけない。自分の罠にはまらず、自分なりに関係を深めていきたい。

2015年5月9日土曜日

根津神社

文京区のグループとご縁ができて、根津神社の中を歩かせていただきました。
乙女いなりや本殿にも。

根津神社にはどの入り口にも凸型の段があり、車椅子で本殿の前に行くことはできなかったんですけれども、グループの皆様のおかげで本殿にご挨拶することができたのでした。
お稲荷さんに行くたくさんのあかい鳥居もくぐり、いい経験をさせていただきました。

今回はたくさんの方に手伝っていただいて、階段を乗り越えることができましたが、普段ここまで行けなくても、凸型の段差とか、一段の段差とか、少しの補助で乗り越えられるよう整備されたらいいなと思いました。

おおげさなことにならなくても、気軽に車椅子ユーザーもお参りができると、いいですね。

文京区、私は越してしまったけれど、エネルギッシュな人たちの情熱を感じることができて、とても嬉しかったです。

もっと早く出会いたかったけれど、もしかしたら私が見えていなかっただけかもしれません。

2015年5月3日日曜日

写真で再会 岩本彩写真展「宇宙とかいてうみとよぶ」

文京区の知人からメールで写真展のお知らせが。
モデルが、昔お世話になったご家族だったので、観に行きました。

根津駅と千駄木駅の中間ぐらいにあるギャラリー「KINGYO」。
路地の中は初めての道でした。

8年の日々をたどった写真の中で、ご家族はとても自然に、幸せそうに、魅力的に映っていました。
写真家がどんなにこのご家族を好きか、伝わってくるような作品でした。

jokeで作成したという2冊のフォトブックが、とても面白かったし、ポスターもおかしかった。
この写真で初めてこのご家族に会う方々はどう感じるのでしょう。

余談ですが、介助の方に感想を聞いたら、学生の時にこのご家族とご縁があった方でした。
そうでした。私はすっかり忘れていたけれど、今日見に行ったのは「BINGO」だったみたいです。

   岩本彩 写真展 「宇宙とかいてうみとよぶ」
     ギャラリーKINGYO
     4/28(火) - 5/10(日)  12時〜19時 5/4(月)休廊 最終日5時まで

こんな素敵な場所があったなんて、知りませんでした。もっと散歩しておけばよかったな、文京区。

立川

友人と久しぶりに密な時間を過ごしました。

気づいたことは、自分の周りにいる人たちって、その時の自分の鏡のような存在なんだなあって。
知識としては知っていたけれど、まさに実感したのでした。

どんな関係の人でも、相手のことを思って行動すること、相手を理解しようと心を尽くすこと、そして見返りを求めたり期待をしないことというのは、本当に大事なことなんだなあと思いました。

友人の言葉で、心に落ちていったのでした。

会いに行ってよかったなあ。

長い付き合いなのに、いまごろわかるなんて、私は本当にアホだったんだなあと思います。

しばらくぶりの立川は、相変わらず人が多かったな。カラオケ店の女子トイレが改装されて、車椅子仕様になっていたのは嬉しかったです。
でも男子トイレにそのような設備はなく、男性の車椅子ユーザーはどうするんだろうと思いました。

2015年5月1日金曜日

パレードにようこそ

イギリス映画を観てきました。
東京では「シネスイッチ銀座」でしか上映されていないみたいです。

正しいこととか、正義だとかいうものだけでは、世界は作られないんだなと。
人の心の壁はそんなものでは崩れないし、日々の中で、いかに人を思い、行動できるかで世界は作られていくんだと、この映画を観て思いました。

正しいと思って、人は行動していくものだけれど、その正しい間違いによって人が傷ついて、思いの暖かさによって、人は繋がっていく。
じわじわと染み入るように心に忍び込む映画でした。

2015年4月26日日曜日

虫こぶ

道沿いの桜を見上げると、ときどきぞくっとすることがあります。
葉の先に、イモムシを思わせるような緑色のおおきなものがついている木があるからです。
それも、結構たくさん。

てっきり、イモムシだと思っていたのですが、昨日介助の方と調べたところ、盛り上がった葉だったんですね。

イモムシ状の、盛り上がり。

なぜこんなものをわざわざ作るのか、ネットで調べました。

アブラムシなど、木につく虫が原因とのこと。「虫こぶ」というのだと初めて知りました。

へーっ。

イモムシのようなこぶになるというのも、なんだか、自然のみょう。

そういえば、葉を確認するとき、私たち、めっちゃ触っちゃってたけれど。
二人とも、小さな虫なんて、確認できなかったな。

見えなかっただけで、実はたくさんいるということですよね。

…見えないのって、怖い!

2015年4月19日日曜日

放送大学

茗荷谷駅のエレベーター工事が終わったので、久しぶりに文京学習センターに行ってきました。

もう学生証もないので図書館も視聴覚室も入れません。なのでお弁当持って休憩に。

ピアサポーターの先輩とひとしきり話して帰ってきました。

あの場所に行くとまた学生したくなっちゃう。いつ戻ってきてもいいという雰囲気なので。

お世話になった事務の方とも挨拶できました。運が良かったです。

ガクレキを得ても資格を取っても、それ自体で人生がどうこうなるわけではないし、人生いつも自分次第なのですが、それでも、これから目標に向かう人たちにとっては、やり遂げた人というふうに見えてしまうのかな。

先輩は変わらず楽しい方でした。いい時間でした。

道路沿いのほっともっとがなくなっていたのは残念でした。タニタのお弁当、狙っていたのに。

2015年4月12日日曜日

足りないもの

ある体験を通して、自分に足りなかったものがみえてきた。

ひとつは、信念。
自分はこう生きる、という、確固としたもの。
私は、あると思っていた。あきらめないこと、とか、そういうことでも。

信念のない生き方は、人を傷つけてしまうことがある。
自分の判断が揺らぐと、人に迷惑をかける。

今回、そのことを実感した。

もう一つは、自立心。
私に足らないものだった。
私は依存的な人間だった。

依存的な性格は、メール一つの表現にも現れる。
今回それをようやく自覚した。

でも結果的に、大切な人を傷つけてしまった。

いつもいつも、体験しないとわからない自分。

残念ながら子供ではないので(というか相当トシだし)
次に進まないといけない。

信念のあるかたのいきかたは、とてもすてきだった。
どんなに周りを大切にしているかが伝わってきた。
大事なのは、小さな出来事でも、大切な時間として生きていくこと。信念を持って、自分の生き方を通すこと。

私が依存的な部分を捨てられなかったのは、まだ、誰かに認められたいという気持ちを持っていたからだと思う。
そんなことはどうでもいいのだ。本当にどうでもいい。
私が何者であるかは、私が分かればそれでよく、私は私に信念を持って生きていけるように、毎日見ていけばいい。

自立しよう。本当の信念を持とう。

このことを態度で示し教えてくださった方に心から感謝いたします。

2015年4月3日金曜日

つばめ

一日の日にツバメのつがいが飛んでいるのをみました。
嘘じゃないですよ。

2015年4月2日木曜日

桜が咲いて、4月。春です。

昨日、変わらず冬支度で、若草色の薄いダウンを着て玄関を出たら、思い切りぶつかってきたものが。
蝶かと思ったら、バナナ虫でした。びっくり。
数回、襲撃されました。

バナナ虫は、緑色の服に反応するのでしょうか。

2015年3月30日月曜日

とんび

少し前につくられた「とんび」というドラマを見ました。
これも「流星ワゴン」を書いた重松氏の原作。

いやあ、よかった。
和尚の言葉が心にしみました。
そして、やっちゃんの愛情と、友人たちの思いが、なんとも暖かいドラマでした。

考え方というか、
哲学が、私の中に直球で入ってくるのでした。

絶対、本読みます。絶対。

2015年3月26日木曜日

光が丘公園

光が丘公園に行ってきました。
下赤塚駅からあるけるかな、とおもって。

とっても広々とした、キャンプもスポーツもなんでもできる公園で、ベンチもたくさんあるし、無料だし、いいところだなあと思いました。

駅からは徒歩30分ほど。ちょっと距離はありましたね。

もうしだれ桜が咲いていました。

ここはピクニックができますね。絶対やろう!

2015年3月24日火曜日

トイレット

「めがね」の監督さんが作った映画。
昨日まで知りませんでした。

もたいまさこさんの、少し違う面が見えたような気がしました。

「めがね」の、独特な間も好きですが、出演者が変わった場合、こんな風になるんだと、不思議な心持ちになりました。

ところどころに「はっ」として、心に灯がともるようなストーリーでした。

しかし、日本人というのは、そうなんだ…。
うちのトイレは今、テクノロジーは何にも付いていないけれどね。

いまはhuluでやっています。

2015年3月22日日曜日

永遠の0

ほんとうは原作の小説を読まなくてはいけないのだけれど、漫画を読みました。

この時代にこれだけ自分の思いや考えを大事にして、行動できたとしたら、生き方としては悔いが少ないだろうなと思い、読み終わった後は感無量でした。
フィクションとわかって、作者の理想というか、考えなのかと思い、残念な気持ちになりました。
特攻隊はまだ最近の出来事で、私の中で「日本の歴史」というような捉え方ができていないのだと思います。だから、フィクションと聞いて、この小説の良さというか、感動どころが半分になってしまったんだと。

理想論では、その苦しみは癒されないように思ったのでした。なぜなら作者もそのときそのような生き方ができたかぎもんだから。
経験に基づかないというのは、よわいのだとかんじました。

私にとってこのお話は物事の考え方の見本というか、サンプルというか、そのような形で収まりました。

ひとつひとつの経験談は、本当なのだろうと思いました。

そして、特攻隊に対してひとつの見方をする新聞記者に反論をした、元軍人の言葉はとても印象的でした。

小説を読むと、もしかしたら印象が違うのかも知れませんが。

流星ワゴン

数年前に本屋でみたときは、こんなに印象深い内容だとは思いませんでした。
久しぶりに、ドラマにどっぷりとはまりました。

毎回大泣きでした。香川さんの演技がとくにすきでした。

私にとっては、3人の父親と3人の息子の物語のように思えました。

どんなに最悪の現実であっても、生きて行く。
生きるということはそれだけの覚悟がいるということを、優しい視点で教えてくれた話でした。


こんな風に優しく強い物語を書ける作家にいつか、なってみたい。
何百回も、人生を経験して、こんな発想を自然とできる心を持つ人にたどり着きたい。

そんなことを思いました。

そのためにも、今はベストをつくさないと。

2015年3月21日土曜日

風に立つライオン

さださんのこの歌は、出来た時から気になっていました。アフリカの地で働く医師の歌であるときいていました。

映画ができると知った時、見たいと思っていましたが、今日偶然みることができました。

生きることとは、奇跡的に頂いた命を全うすることであり、自分自身でかがやかせること。
人生を選ぶということは、必ずしも思い通りにはいかないことだけれど、大切な選択は自分でして、しっかり幸せに生きること。

そのことを教えてくれた映画でした。

忘れられないシーンがたくさんあります。心を揺さぶったシーンがたくさん。

さださん原作の映画は必ず見ていますが、この映画が一番好きです。

好きだけれど、もう一度観るには、少し時間が欲しい。いい映画だけれど、現実がとても心に痛いのです。

世界は、こんなふうで、その現実を決して忘れてはいけない。

そして自分を大切に生き、愛し方を少しでも多く学んでいく必要があるのだと感じています。

http://kaze-lion.com/about/

明け方に見ていた夢

絵をなぜ書かないの?

夢の中でその方は言った。

指を使えば描けるでしょう。

その方は真剣だった。なぜ私が描こうとしないのか、不思議そうだった。

私は自分の左手をみていた。そこで目が覚めた。ながいゆめだった。

2015年3月18日水曜日

「女たち・いのちの大行進in京都」ーー京都在住、福島出身の友人より

東日本大震災のとき福島で生活していた、京都在住の友人から、イベントのお知らせが届きました。


    京都発信「女たち・いのちの大行進In京都」

4年目の3月がやってきました。あの日から大きく人生を変えた私たちは、京都で2度目 の春を迎えました。 フクシマや被災地の事をどの様に何を伝えたらいいのか、考えない日は無い毎日を過ご しています。 そして、京都の人たちを始め、いろんな日本の人たちに支えられながら、今日まで生き 延びてきました。 フクシマの女たちから京都の女たちへ、そして命を大事にするすべての人たちへ、共に 歩きだそうと声をかけ始めました。 今度2015年5月16日土曜日に、京都の円山公園で「女たち・いのちの大行進in京都」 を開催します。 ぜひ、参加していただき、みんなで互いをねぎらい、励まし助け合って世界を変えてい く一歩を踏み出してみませんか? 私たちは、ただ熱き思いと信頼を持ち合わせただけの小さな存在ですが、皆さんの賛同 の力を必要としています。 下記にHPのアドレスを書きました。
 素敵な人たちが参加します。

あなたと共に私も歩きだしたい。光の方へ。

 待っています。
女たち・いのちの大行進in京都

 HPのトップにチラシ、ポスターを掲載しました。
 ダウンロードできます。

2015年3月5日木曜日

自分のルール

障害者運動や福祉関係のお仕事を辞めて、6年が経とうとしています。

最近は、あそびにんの生活にもすっかり慣れました。お仕事というものがない分、日々の小さなことにも目が止まり、楽しむ自分がいます。

最近、気がついたことがあります。
私はずっと、自分のルールの中で生きていたんだということです。

例えば、

仕事はこうでなければならない
物事は準備良くやらなければならない
役割は全うしなければならない

とそんな感じです。

自分の目標ならばまだ良かったのですが、枠組みとして組み立ててその中で生きていたのでした。
枠組みは自分の中のものなので、自分の好きに組み立てられます。

その枠の中で、人を見ていたし、その枠に入ってくれるよう、促していたように思います。

本当は、生きるということ、経験するということはそういうことではなく、その時その時起こることを体験して感じ、感じたことを考えて、考えたことに基づいて動いてみることを言うのでした。そのことに最近気がついたのです。

私がそれまで体験してきた出来事は、自分であらかじめ防御して枠にあてはめようとしていたため、あまり身になっていません。これから一つ一つ自分なりに考え直していかなければならないのです。

自分が作る枠は、「先回り」であり「コントロール」でもありました。
その中でしか人を見ていなかったので、人が理解できなかったのでした。

体験は、先回りしないで起きたことを体験することでいろんなことを学ぶことができると知りました。考えないで無防備になれというわけではありません。自分の世界観にはまらなくていいということなのです。

経験は、その時その時しかできません。最大限、あますところなく感じて、考えて行動できる自分になりたいです。そう、忘れてはいけないことは、できるだけ愛情に基づいて行動することです。愛のない行動は、たとえそれがどんなに社会的に認められる行動だとしても、誰かと自分を傷つけてしまうから。
これがまた、私には大変難しい課題なのですけれども。

できることからしていくしかありません。気がついてしまったのですから。

それで、先回りしなくなったら、日々の何気ないことが少しずつ楽しくなってきました。ドキドキしちゃいます。自分の対応力が試されますもの。

何気ない小さな日々のことなのですが。

2015年2月26日木曜日

久しぶりに寒かったけれど

友人とランチしてきました。
西台駅近のおいしいお店「まるうま」でほっこりしてきました。

揚げパンってコッペパンではなかったんですね。今日知りました。

しかしおいしいところでした。

2015年2月25日水曜日

キヌアのすーぷ

たまたま手に入ったキヌアで、スープをつくってみました。

材料
キヌア 半カップ
人参  小1本
白菜  2枚ほど
ネギ  一本
椎茸  ひとつ
練り物 三種 適量


作り方
キヌアは15分ほどゆでました。
野菜を適当に切りゆで汁の中に入れて練り物を入れ、保温容器に。15分ほどでできあがり。
 今回は味付けせずにポン酢でいただきました。

キヌアは、炊飯器で炊いた方がおいしいかも知れません。

2015年2月22日日曜日

高円寺

以前、友人からいただいたわらび餅を買いたくて、高円寺にバスで行ってきました。
行きは関東バス、帰りは都営バス、高円寺駅に行くには民間のバスの方が駅前に着くので、そちらを選びました。

演劇やイベントを行う杉並区の「座・高円寺」では、広場で各地域の物産店をやっていたので、帰りにのぞいてみました。

「日本で3番目においしい唐揚げ」というキャッチフレーズにひかれて、唐揚げを買おうかどうしようかまよったのですが、お昼に鳥をいただいたのでやめました。

おいしそうなものをみてしまうと、理性で判断することがとても難しいです。

ほうとうもおいしそうだったし、どぶろくもお団子もコーヒーもおいしそうだったな。

買ったのは砂糖が入っていないキウイのドライフルーツ。
ビタミンがあるかと思って。

高円寺周辺は、ふるぎやさん等、洋服のお店が目にとまりました。
多目的トイレを見つけたのが収穫でした。

そしてわらび餅のところにはたどり着けず。調べずに行ったものだから。
ここのわらび餅はのどごしがスムーズで、私も無理なく食べられたので、いつか探し出そうと思います。

2015年2月20日金曜日

マンガ日本の歴史

石ノ森章太郎さんが書いた「マンガ日本の歴史」、もうすぐ読み終わるのですが、思った以上に時間がかかっています。

板橋の郷土資料館の2階でこの本の全巻をみつけ、図書館にもあるかもと思って検索し、借りることにしました。

マンガだからすぐ読めるかな、とたかを括っていたら、今月で3ヶ月。読み応えのある本でした。
弥生時代から始まって明治維新まで突き抜け、今は最後の4巻、縄文時代の絵を楽しんでいます。

日本の争いや権威など、国のあり方の歴史がとてもよく理解できたというか、だいたいのイメージがやっとつかめた気がします。

中学生の時にこの本が夏休みの課題図書で出ていたら、歴史が好きになれたかも。
すこしエロいからダメか。

全部読んだら、現代編も読み切ろうと考えております。

2015年2月19日木曜日

バス停めぐり

介助の方と時々行うのは、バス停めぐり。
私鉄が止まったとき、移動手段を知らないとお互い焦ってしまうので、最寄りのバス停からJRに出る方法をたどってみるのです。

幸いなことに、いくつかバスがあるので、この家はアクセスがいいのです。
選んだときはそこまで考えなかったけれど。

バス停めぐりなんていいながら、お遊びです。
今日は暖かな日でした。

豊島区役所の前においしくてお手頃値段のお弁当やさんがあり、時々買うのですが、今日もその絶好なチャンスでした。

玄米食なので、嬉しいです。

おかげさまで、ミッション終了。
今度行くときは、ショッピングしましょ。

2015年2月17日火曜日

今朝見た夢

すごく大きな家に住んでいた。外にお風呂があって、まだ家は工事中で、道からお風呂がみえてしまう。
私が入浴する番になって、お風呂を見にいったときにそれがわかり、
「ここに今入るの? みえちゃうよ」と叫んだ。

そのあと誰かが、なんらかのことについて文句を言ってきたので、論理的に言い返したら、私の理が通った。

お風呂は黒っぽい石でできていた。きれいだった。

よくわからない、夢。

2015年2月16日月曜日

遺伝史

今テレビを見終わって、
私に影響を与えた遺伝史は誰だろう、と考えていました。

いろんな面でいろんな方の影響を受けてきたと思うけれど、
詩作の面では、おぞねとしこさんとMさんかなあと思っています。

このお二人は、私が10代の時に、あるコンサートとの場で出会いました。
お二人とも詩作そのものに力を注いでいらっしゃって、障がい者として出てしまいやすい独特のアピールではなく、作家としての自己主張だったのが、とても印象強い方々でした。
このお二人に逢っていなかったら、私の詩はもっとへなちょこになっていたかも知れません。

この番組は、ひとのつながりが感じられて、互いに影響し合っているのが人間なんだといわれているような気がして、私は観てよかったと思いました。

2015年2月15日日曜日

はまっているもの

セブンのきなこドーナツとチョコオールドファッションにはまってしまいました。
きなこドーナツはきなこの多さに惚れてしまったし、
チョコオールドファッションはかたさがとても好き。

ついでにぱりぱりサラダにもはまりました。この噛み心地がいい。

カルディで売っているチコリの根にもはまりました。
コーヒー代わりに飲んでいます。
食物繊維が入っているせいか、通じるものも自然です。おかげさまで。

タイ料理や、カレー以外で食べるものにはまるなんて、久しぶりです。
でも、小さなことだけれど、楽しいです。


2015年2月14日土曜日

駒込界隈

髪を切っていただいたあと、もと住んでいたところにニアミスしながら帰ってきました。
駒込駅から、もうひとつの最寄りだった地下鉄駅への道のり。駒込界隈は高いビルの影が目立ちました。
2年前まで住んでいた街は、よその街のようにそこにありました。

駒込駅前のサクラのポストの写真もゲット。欲しかったので嬉しいです。

行きつけの美容院で逆チョコをいただいて、またこの街に遊びに来ようと思いました。

2015年2月12日木曜日

第一回葛飾町工場見本市

有楽町で友人と楽しんだ後、偶然見つけたので観てきました。
葛飾とその周辺のいろんな技術が観られて、すこしの時間だったけれど楽しかったです。
江戸切り子硝子がとてもきれいでした。

葛飾発信 町工場見本市2015

明日も開催しているみたいです。入場無料。有楽町駅前国際フォーラム

見本市をぶらぶら観ていたら、ちょっとちょっと、と声かけられて、ふらふらと近づいたら、大きな望遠鏡のような物体の前に案内されました。

のぞいてみたら、でっかいでっかい万華鏡。
他にも、面白い画像を見せてくれました。

ちなみにこの万華鏡は、車いすの目線からも見られる位置に。
「車いすのひとにみてもらいたかったんだよ!」

ほんとかなあ。
と思って聞き流してしまったけれど、ホームページみたら本当でした。失礼いたしました。
有限会社プリントアート

2015年2月11日水曜日

ろうばい

あたたかな日だったので、区立美術館に。
区立小中学校展を観てきました。

元気のいい作品がたくさん。
素材もさまざまで、改めて今の豊かさを感じました。

すこし規格外の作品も観たかったなあ。全員の作品はどんなだったのだろうと、興味がわきました。

道の途中にろうばいの木。
甘い香りに、おどろきました。

帰りには製麺屋の焼きそばをゲット。
夜つくっていただいたら、めちゃめちゃうまかったので、うち飲みの時の素材として覚えていようと思いました。

でも、製麺屋さんはこんな遠くに来なくても家の近くにあるので、まずそちらも買ってみないとと思っています。

2015年2月9日月曜日

赤タマネギと赤カブのピクルスふうマリネ

ピクルスをつくろうと思ったらお酢が足らなくて、どうみてもマリネになってしまいました。

材料
赤カブ     1個
赤タマネギ   2個

塩       少々
マスタード   大さじ3杯
お酢      お玉一杯程度
てんさい糖   大さじ一杯半

レモン汁    適量

① カブと赤タマネギはスライスし、赤タマネギは水にさらしておく
② ①をビニール袋に入れ、塩を入れてもむ
③ ②にマスタードを入れて、よくもんでおく
④ お酢とてんさい糖を鍋に入れて一煮立ち
⑤ タッパーなどの容器に③と④を入れてよく混ぜ、レモン汁を加える。醒めたら冷蔵庫で保存する

マスタードがきいていておいしいです。やはりこういう仕込みはたくさん試みたいと思いました。


2015年2月8日日曜日

しあわせのパン

すごく優しいタッチの映画で、心かが痛いときに、痛いところにさわらないというか、多くを語らずに苦しみを癒やそうとする映画でした。
かなしいときに、隣に黙って座っているような印象でした。

大泉庸さんが、また違った雰囲気で、不思議な感じでした。


2015年2月7日土曜日

そして父になる

是枝監督の作品がテレビで放映されていたので観ました。

いいとかわるいとかそういう言葉ではなくて、態度で表していくところがすごいな、と思いました。

ハッピーエンドでホッとしている自分がいました。

2015年2月6日金曜日

マラソン

韓国の映画、「マラソン」を観ました。

障害を持った子どもから子離れをするということは、難しいことなのだなあと、そして、他の人の視点というのは、辛いけれど大切なんだな、というのが、観たあと思ったことです。
この映画の親子関係はいくぶん感情的で、わかりやすいけれど、たんたんと社会を描いていることが、今の現実を訴えているような気がしました。

2015年2月4日水曜日

小さな夢を叶えて

川越街道沿いにタイ料理屋さんを見つけました。
2段の段差が入り口にあり、残念ながら車いすでスムーズには行かないお店でしたが、500円のお弁当がめちゃくちゃおいしい!

スロープ持参で店内に入りたいと思うようになりまして、

昨日、行ってまいりました。

スロープを自分で持ち込んでも行ってみたいお店があるなんて、初めてのことかも知れません。

降りて這って入ったお店はありますが。

お店の方、びっくりしていたけれど、おもしろかったです。

お弁当でも、お手頃価格でとても好きですから、うかがうのはたまににしますが、おかげさまで小さな夢が叶いました。

2015年2月3日火曜日

ディス・パレード

というアニメにはまっています。
ふーるーで今やっているので。

人の心の動きがわかりやすくて、泣けてきます。
ひとの人生は、いい悪いではなく、何かを経験してひとつひとつ知っていくのだと、アニメの主旨からはずれるかも知れませんが、そんなことを考えてしまいながら、見ています。

生き方を考えさせるような出来事が起こるたび、すこし落ちながらも、どこかで気持ちを決着させる日々ですが、

アニメを見て、すこし気分転換。

気分転換にはならないか…。でもいいひとときでした。

2015年1月31日土曜日

ダニーと紺碧の海

明大前まで芝居を観てきました。

主人公の気持ちが変わっていく姿が心に響いてきました。間近で観るシアターのお芝居は、迫力があって、見終わるとすこし放心します。

二人芝居でした。見応えがありました。

途中、見入りすぎたのか咳き込みそうになり、止めるのに必死でした。舞台に水をさしてはと。

間近でこうして人の演技や、その舞台を作り上げていく様子をみると、私も諦めずに、謙虚にやっていこうという気持ちを持ちます。

公演は明日まで。席は満席でした。

次回、出かけるときは飴を持って行かないと。




2015年1月29日木曜日

先回りをしないということ

先回りをしないということ。つまり、自分の世界観の中だけで、これから起こるであろう出来事を想像し、穏便に済むように準備しないということです。

私はもともと、自分の世界観の中で生きていたので、他人の世界観に興味が持てませんでした。だから、自分の正義が正当であるという証明をするために、日々の出来事をコントロールしようとしていました。

わかりづらい書き方ですが、ひとつのものごとに対して、より平和的に、波風の立たない方法をいつも考え、相手に確認したり状況を調整しながら生活していたのです。

最近、それをやめました。
物事をそのまま体験したいと思うようになったのです。

私にとっての調整は、私本位に考えた、コントロールだとわかったからです。そして物事を偏った視点からコントロールしてしまうと、私自身はその時必要な経験ができないのだということも気付きました。

きっと生きるということは、物事を感じ、感じたことを考え、愛情を持って行動する、それだけでいいのかも知れません。
視野が広まるほどその選択肢は拡がり、一つの小さな経験からいろんなことを学び取ることが出来るようになるのでしょう。
私もいつか、日常的な経験から、多くのことを知ることが出来るような心を育てていきたいな、と感じています。

経験から学んでいくということ

たくさんの経験から日々いろんなことを学んでいると、最近まで思っていました。
経験すれば自然にいろんなことが身についていくものだと。
それは違うのですね。
経験したあとに、それを自分のものにする作業が必要だったということに、やっと気がつきました。

なぜそれが起こったか。
お相手はなぜそう言う行動をしたのか
私はどうしたらよかったのか
私は何に気がつかなければならないか

まだまだ足らないかも知れませんが、気になることが身の回りに起こったときは、考える時間を持って、これらを整理する癖をつけようと思います。

2015年1月28日水曜日

数日前に見た夢

新しい課目を学ぶことになって、テキストが6冊ぐらい届いた夢を見ました。
語学だった気がします。

もう語学はやりたくないから、正夢にはならないと思います。


知人の夢もその前に見ました。
本人にはお伝えしていませんが。

2015年1月24日土曜日

おいしい煮豆

おいしい煮豆をいただいて、夕飯に食べました。
今日は近所のケーキやさんも再度教えていただいて、ちょっと嬉しい日でした。

1日をどんなふうに生きるかで、明日が変わってしまうような、そんな怖さを感じ、怠け心を一掃しています。

ソファの高さに合う、黄色い小さなテーブルは、思いのほか機能的。
また部屋を模様替えしました。

たくさんの方がきて下さる私の生活。
介助になれていただくことも大事だけれど、なによりお互いのコミュニケーションを大事にしたいと、切に思うようになりました。
私も言葉をみがかないと。伝えていくのには、技術と愛情がいります。

そして、受けとめていくことにも、愛情とたえる力を養う必要があります。

そして勇気。

やっていくしか、ないよね。

2015年1月23日金曜日

6 日間の命

もう助かる見込みのない赤ちゃんと、6日間一緒に過ごしたご家族がテレビで特集されていました。
赤ちゃんはとても重篤な状態でした。

お母さんとお父さんが選んだことは、

出来る限りいっしょにいること。だっこしたり、添い寝ををしたり。
お風呂に入れてあげること。
いろんな人にだっこしてもらうこと。写真を撮ること。

一生懸命、じぶんたちの赤ちゃんと一緒に過ごそうと考えるご両親に、泣けてきました。

確かに助かる命は助かって欲しい。

お医者さんが「助からない」といっても、たくましく成長していく人もいるけれど、

このご両親は、たくさんたくさんお考えなったのでしょう。
生まれてくる子どもの心に何が残せるか。

幸せな時間を、過ごして欲しかったのだろうな、と思うと泣けてきました。

本当に、その時その時選ぶことって、未来に続くことだから、

そこに愛があるのかい!

ということなんだと思いました。

誰かの選択に、何か言いたくて書いたのではありません。
純粋に心に残った番組でした。

御苑の冬

歯医者さんに向かう前に、新宿御苑で少し早めのお昼をとりました。
といっても今回は時間があまりなかったので、ささっと食べさせていただきました。

気になっていた、ハンバーガー。
小さなサイズのチーズバーガーにしましたが、それでも大きくて、がっつりいただきました。
次回は500 円のピザにしようかな。って、なにしに行っているんだか。

歯医者さんとのお付き合いも15年近くになりました。
今回はマウスピースをつくりに。私のナイトガードは、厚めにつくってもらっても、だいたい半年でポロボロになってしまいます。

歯石を取っていただいて、さっぱり。
初めの数年は、歯石の機械もとても苦手で、とても緊張してしまうので、手作業でとっていただいていました。

思えば、長いお付き合いになりました。
紹介してくれた古い友人に、感謝です。

新宿御苑は、寒椿があかくきれいでした。

2015年1月21日水曜日

コミュニティーカフェ

大山商店街のコミュニティーカフェでは、今埼玉の画家さんの絵が飾られています。
そして、バターチキンカレーが700円で食べられます

今日、ようやく食べてきました。
いつも、あ、食べたいと思いながら、通り過ぎていたので。

おいしかったーーーー。
やっぱり、カレーは癒やされます。

絵は、抽象画が、ぬくもりを感じて、よかったな。

2015年1月20日火曜日

遠い日のゆくえ

wowwowで放送されたというドラマをみました。

辛くかなしくても生きるということと、人を想って行動することと、心の傷を癒やすということ。
その三つが入っているようで、見応えのあるドラマでした。
剛力あやめさんが可愛かったです。

huluではときおり、ピッタリ趣味の合うものを配信してくれるので、重宝しています。
今、レミゼやっていますし。

なのでまだ解約していません。見放題で安いというのもありますが。

本当はもっといろいろ配信してくれるといいのですが。例えばインド映画とか、フランス映画とか、東ヨーロッパの映画とか。

高望みですね。ちゃんとレンタルショップに行きます。(^_^;)

2015年1月19日月曜日

買い物袋の整理方法

いつもエコバックを使えたらいいのですが、なかなかつい忘れてしまいます。
おかげで買い物袋が増えてしまって。

うちは、小さいゴミ箱の中袋や、生ゴミ入れによくつかうのですが、たたみ方もしまい方もまちまちで、それ用の大きなふくろに何が何だかわからない状態で入っていました。

思い切って。とりやすく考えてみました。

フックに、大きさで分けた袋の取っ手を引っかけていき、色つきのビニール袋のそこをぬいて、袋全体にカバーのようにかけてみました。
写真がないのでわかりづらくてすみませんm(_ _)m

カバー用の袋も取っ手がフックにかかっているし、中のたっくさんのビニール袋の取っ手もフックにかかっているので、思いのほかきれいにおさまりました。

出し入れがうまくできるかどうかは明日以降に確かめます。

2015年1月18日日曜日

なかいたの惣菜屋さんが

昨日の夜はアド街で中板橋をやっていて、道を歩くとその話題が聞こえてきたりしました。
ただ、いつも昔ながらのナポリタンや、ふかし芋などを売っていた揚げ物&惣菜屋さんが年内で終わってしまったらしく、とても残念です。

今はお店の前は自転車置き場になってしまいました。

このお店は、私がまだ引っ越ししたての頃、大きなふかし芋を買ってお昼にさせてもらったり、時々おかずを交わせていただいたりしたところです。
ソプラノくらいの声をした店員さんが、いつもていねいに対応して下さいました。

私はこの店のナポリタンが大好きでした。味がしっかりついていて、とても懐かしい味でした。

この間は旧川越街道沿いの割烹の店が閉店で、食器を分けて下さっていました。
私もいちまいいただきました。残念ながらお店には縁がありませんでしたが。
明治から続いていたお店でした。

きっと、全国を探せば、お店を継ぎたい人もいるかも知れないのに、跡継ぎもなく体力の限界でお店を閉じていくところが多いですね。

こんなに情報があふれかえっている世の中だけれど、肝心な必要なものって、必要としている人のもとにはいかないし、出会ったとしても折り合いがつくかなんて未知数だし。

でも、心が通う情報網があるといいなと感じてしまう今日この頃です。
自分の息子や娘でなくても、ご縁が出来るような結びつきというか、仕事探しというか。そういうものがあったらいいなあ。

というか、そういうご縁も大事に出来るといいな。

お店は変わっていくけれど、商店街は大好き。
もっと知りたいなあと思います(^_^)

2015年1月16日金曜日

トイレでの出来事

数日前。
最寄り駅近くのビルは病院が入っていて、共有スペースにトイレが設置されています。
多目的トイレもあるので、それもかなり使い勝手がよくて、重宝しています。

いつものように使わせてもらおうと思ったら、カギがかからないらしく、介助の方がいろいろ試していると、
「そのカギ、こわれているのよー」と見知らぬ女性。
どうも、こわれたのはすこし前みたいでした。

そういえば最近ここに来てなかったし、状況がわからなかった私。
管理会社にメールしたら、さっそく直して下さいました。

カギとかの故障は具体的に言えるし、直してもらえることが多く、助かります。

最近気になるのが、手すりの位置。
少し短いだけで、または高さがないだけで、トイレは多目的トイレであっても使いにくくなります。
でもこれは人それぞれの位置や高さがあると思うから、なかなか意見が書きにくいですね。
手すりを使う人はどれぐらいの長さ、高さなら使いやすいんだろ。
許容範囲というか、オーケーの範囲が知りたいですね。
基準はあるとは思うけれど、高さの基準とかも決まっていましたっけ。

あと一軒、トイレのことであるところに問い合わせています。
こういう、使えないトイレやこわれているトイレを直していくのも、大切なことですよね。


2015年1月15日木曜日

アンコール!!

雨が降ったので、久しぶりに1日家に。
イギリス映画の「アンコール!」をみました。

人を愛するということを、柔らかく教えてくれるような映画でした。

愛するということは、勇気なんだと。

そうね。その人のことが好きでも、愛を表現しても、愛されるとは限らない。
だからといって、好きな人を愛することほど、すてきなことはないから、愛さないという選択はしなくていいのよね。

愛が得られない現実は、集中しちゃうと怖いけれど、求めなければ何も怖くないのかも知れない。
求めるから、求めたものが得られなくて、得られない経験ばかり積んじゃって怖くなるのよね。

求めないで、好きな人を想い、理解していこうとするのが、愛することかも知れない。
映画の内容とは違うけれど、そんなことを思いました。

そういえばこの間のテレビ番組で、マツコデラックスさんが、好きな映画を少し語っていたことを思い出しました。
「あたしは、『ダンサーインザダーク』が好き」って。
マツコさんの趣味に、少しまた好きになったのでした。

「アンコール!」は、元気になりたいとき、うっすらと気分を引き上げてくれるかも知れません。
あと家族愛を考えたいとき、家族愛にのまれているときに、よく効く映画のように思いました。



2015年1月11日日曜日

巣鴨の焼き肉屋さん

巣鴨近辺の友人とカラオケに行くときは、アトレにある焼き肉屋さんでハンバーグを食べることが多いです。

今日、お店にうかがうと覚えていてくれた店員さんがいました。

その店は、椅子ががっしりしていたり、仕切りがあることで、車いすユーザー2人(+介助の方2人)がひとつのテーブルを囲むことは難しいのですが、
奥に入ると窓際に少しひろい2人掛けのテーブルがあります。

4人でテーブルを囲むことは難しいけれど、このテーブルならば私も友人もゆったり食べさせてもらいことができます。

店員さんはそれを覚えていて、快く案内してくれました。

こうして外でがっつりお肉を食べることは、普段はないので、栄養とったな、という感じです。

巣鴨のカラオケ店は運良く広い部屋が開いていたので、思う存分、スポーツのように歌ってきました。

友人とももう長いお付き合い。お互いの歌の好みもわかって、今回は少し取り替えて歌ったりしました。

いいお天気で気持ちのいい1日でした。

2015年1月10日土曜日

金柑の甘露煮

昨日、おいしい甘露煮を食べさせていただいたので、私もつくってみました。


材料
金柑       1パック
白ワイン(甘口)  100cc
メイプルシロップ 適量


作り方
金柑はよく洗ってへたをとり、皮に数カ所切り込みを入れる
金柑を5分ほどゆでこぼし、水で冷やして、切り込みからようじで種を取り出す
ワインとメイプルシロップで15分ほど煮る。
皮が柔らかくなったらできあがり。

味見をしたらとてもおいしかったです。果物は生が一番好きでしたが、金柑はこのほうが何個も食べられるなあと思いました。もともと金柑は好きなので、冬はたくさんつくって風邪予防に役立てようと思います。
ビタミンは、少なくなっちゃうかな。

明け方の夢

おおぜいでバスに乗っていかなくてはならない朝。私はぎりぎりに集合場所に。
2台のバスにもうみんな乗り込んでいて、私はどちらのバスに乗るか悩んでいました。
混んでいる方の大きなバスで、昔からの友人が呼んでくれています。
私はその方に返事を返しながら、小さいバスに乗ろうと決めました。

小さいバスは、車いすがうまくはまらなくて、運転手さんは苦心していました。大きい方に乗った方が迷惑がかからなかったかなあと思いました。
でも後悔はしていなかったようでした。
バスからみえる風景はとても気持ちいいものでした。
窓がひろく、前方がよく見えるものでした。

どんな意味があるのでしょう。ね。

クルミようかん

年末にクルミとあずきを買っておいたので、クルミようかんを作ってみました。


材料
 クルミ      小一袋
 あずき      200g
  てんさい糖    適量(おさじ3杯。一般的には100g前後)
メープルシロップ  適量(大さじ一杯)
かんてん      10g 多かったかな
 お塩       小さじ1程度

作り方
あずきは前日から少しずつ煮ていました。口当たりのいいかたさまで柔らかくします
甘味と塩を加えて、よく混ぜて煮詰め
水を飛ばしてつぶしてもらいました。神経質にならず、粒が残るぐらいでやめました。

かんてんは水で戻しておきます。
水100ccにかんてんをちぎって入れ、火にかけてとけきるまでかき回します。
かんてんがとけたらあずき(餡)とよく混ぜて、クルミを入れて型に流します。

さあ、できあがりはどうなるかしら。鍋をなめてみたけれど、思った通り甘くないので、あずきの寒天かたまりになっちゃうかも知れません。
まあ、栄養と食物繊維はとれるから、よいことにします


2015年1月9日金曜日

阿弥陀堂だより

やさしい香りの邦画を見ました。

「阿弥陀堂だより」
すこし前の映画です。

人がひとを思いやるとは、同じ目の高さで向きあい、その人を想い、その人との時間を大事にすること。
そのようなことを言われたような気がしました。

数日前にも「雨あがる」という映画を観て、
「この人が何をやったかではなく、なんのためにそれをやったかと言うことを大事にしたい」
というような台詞にじーんときていました。

そういえばどちらも寺尾聰が出ていましたね。

「ミスト」を観ようとネットに向かい合ったのですが、やはり見る気がおきませんでした。
ホラーはどうしても苦手です。

2015年1月7日水曜日

池袋

ルミネは今日からバーゲン。用事を済ませたあとレストランのフロアに行こうと思ったらエレベーターはいっぱいで。
エソラのお気に入りのタイ料理屋さんへ。1000円以内でランチが食べられます。

タイ料理は元気が出ます。板橋に越して2年ですが、家の近くにもおいしくてお手頃なお店と縁ができたし、気分がうまくいかないときはガパオごはんを食べにいける!
とても幸せ。

エソラのこのお店のパッタイ、タレの味がとてもおいしかったです。

今年も池袋にはお世話になりそうです。

2015年1月5日月曜日

アド街に中板橋が、出る〜

今月17日の「アド街ック天国」に、中板橋が映るみたいです。
楽しみ〜〜

2015年1月3日土曜日

三鷹駅コンコース

久しぶりの三鷹駅。デッキはお初で歩きました。
駅にもトイレがあるけれど、アトレヴィのトイレの方が使いやすかったかな。

お正月の三日間、例年になく連チャンで歩いています。今日は中央線で知人宅に。
なつかしい方にお逢いしたり、いいひとときでした。
お料理もとてもおいしかったです。

そうだな…。
組織に属さずに私としてどんな生き方が出来るか、ある制度の話をきっかけに、そんなことを考えたひとときでした。

確かに、自分自身が「出来ること」を社会に提示することも大事だと思っていろんなことをやってきたけれど、すべてを手放した今だから私に出来ることがあるのかも知れません。
「障害を持つ」ということがどういうことなのか。
それを思い切り味わうと言うことは、どんなふうに生きていくことなのか。
「障害を持っていてもこんなに出来る」と社会にみせることから離れると、何がみえてくるんだろう。
この体で人と生きるということは、どういうことなんだろう。

今日は結論が出ません。
とぅーびーこんてぃにゅーです。

2015年1月2日金曜日

西国分寺駅

立川で友人と会うために、久しぶりに武蔵野線に。
西国分寺で中央線に乗り換えました。

西国分寺は、昔、埼玉から立川に通っていたときに乗り換えていた駅。
あの頃はエレベーターがなく、階段を駅員さんに対応していただいていました。
毎回駅員さんが6人で車いすを担いで下さいました。

私は各駅を利用するときに、一般の乗客のように自然に対応していただくことを望んでいたので、駅員さんに名前を尋ねられても名乗らないまま対応していただきました。
(一昔前は、車いすで電車に乗るときは名前を名乗るように言われたりしていました。『○○さん乗車』というように目的の駅に連絡していたからです。最近は滅多に聴かれなくなりました。)
名乗らない私は、西国分寺駅では「くまさん」と呼ばれていたみたいです。車いすの側面に、大きなくまのステッカーが貼ってあったからです。

そんな話を駅員さんと毎回しては、対応してもらっていました。

あれから10年あまり。西国分寺はエレベーター完備の駅になりました。
出かける前にざっとネットで駅情報を見て、時代は変わったなあと思ったのです。
武蔵野線北朝霞駅もエレベーター完備。これなら池袋経由でなくても大丈夫と思って、のんきに東上線で下っていったならば、、

朝霞台駅のホームで思わぬ落ちがつきました。

エレベータがあるだろうと疑わずにエスカレーター前を通り過ぎた私に、駅員さん、
「すみません、エスカレーターで行きます」
アラ。
改札から出たらエレベーターがありますか、と聞いてみると、
「いえ、改札を出たあともうひとつエスカレーターに乗ります。」

東上線まで調べませんでした。

久しぶりに車いす対応型のエスカレーター、乗ってしまいました(^_^)

今は、介助の方もエスカレーターに車いすごと乗る風景を見る機会がなかった方もいます。
双方、小さなたび気分になりました。

お正月の武蔵野線は、そんなに混んでいなくて、空も広く山も遠くに見えて、なかなかいい景色でした。

西国分寺はエレベーター乗り継ぎでとてもスムーズ。
名前を聞かれることもなく、私は案内されました。
ホームにはお店もあって、でもホームには昔の面影があって、心が落ちつきました。

2015年1月1日木曜日

ロールケーキといえば

KIHACHIだそうです。

巣鴨駅は元日から賑わっていて、地蔵どおり商店街は縁日のようでした。
どんなに寒くても、人がいっぱい。

巣鴨駅のマンスリースイーツは、今日からKIHACHI。
友人とも逢えて、今年はついているかも知れません。

地蔵どおり商店街で気になるお店は、こんにゃく石けんのお店。
こんにゃくのようにぷにゅぷにゅの洗顔用の石けんが、可愛くて好きです。

いつか買ってみたいけれど、洗顔をボディソープで済ましている身としては、ちょこっと不必要なものなのかも知れないので、機会をうかがいます。

ロールケーキ、みんなで食べて、とてもおいしかった。
世間を知らない私は、そんなに有名なんて知りませんでした。(ハハハ)

しかし、楽しかった(^_^)

年が明けました。

明けましておめでとうございます。

昨夜は久しぶりに「なまさだ」をキッチリみてしまって、睡眠が少々足りません。

今年は、

無意識で生きる時間を出来るだけなくすこと。
会いたい人との大切な時間をたくさん持つこと。
「義務」という概念をなくすこと。(とくに人間関係において)

この三つを心にとめて、生活していこうと思います。

無意識で生きていると、口からいらぬ言葉がどんどん出たり、不必要な感情を生んでしまうようです。
私なりに、考えて発したい。たとえその場では空気が悪くなっても、意味のある言葉を残せるように、そして自分の言葉に責任が持てるように努力しようと思います。

逢いたいと思う人には、出来るだけ話を聴きに行きたいです。もっとも、お相手の気持ちもあるので、実際に会いに行くかどうかは別です。気になる人のことを、考える時間を持ち、心を馳せたいと思います。

義務については、私は人間関係において、毎日生活支援を受けていることもあり、支援を受けることに対しての義務感みたいなものもありました。
そういうものを捨てて、出会いには意味があるということをかみしめたいなって。

すべてがうまくいかないとは思いますが、努力はしてみようと思います。

みなさまにとって、今年が実りある年になりますように。

少しでもものごとが癒やされますように

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...