2015年5月23日土曜日

役割と肩書き

外出中になぜか私は、介助でつきそってくれている彼女にこんな話をした。

「私は介助を受ける立場だけれども、介助できてくれる人たちを『介助者』という肩書きだけで見ないようにしているよ。それは時に危険だから」

なぜその日に限ってこんな話をしたのか、自分でも不思議だった。

「『利用者さん(介助を受ける側の人)』というくくりで見られることが時に危険なように」

私の話に付き合ってくれている彼女は、何か考えているようだった。

「介助で来てくれる人たちを『介助者』という肩書きでしか見なかったら、きっと私は多くのことを求めてしまうし、何ができて何ができない、という目で見てしまうと思う」

私は、自分の意思で生活したいという気持ち(こだわり)がとても強い。意思表示しなくてもことがつつがなく流れていく生活はできる限りしたくない。なので私の介助をする方々は、私と確認しながら物事を進めていくことが仕事になる。確認なく何かをやってもらってしまう「先回り」は、私はいつまでたっても好きになれない。

私のように考える方ばかりではないみたいだが。

私との話の後、彼女は私の話の意図を理解してくださった。

「一人一人考えていることも求めていることも違うんだと実感しました」

彼女はとても晴れやかな笑顔をみせてくれた。

そう言いながら、私も最近同じ間違いをしている。自分がとても嫌で、一番嫌いなことを人にやってしまったなんて、言葉にもならない。
日々の思いと、人間関係をつなげて考えなくてはいけないのに。

人は一人一人その役割を果たそうとするけれど、肩書きだけで人間関係をつくってはいけない。その人の肩書きに頼ろうとせず、自立して生きていかないと。

未だできていなかったのは私。だから毎日のように、誰かとの関係の中で教えていただいている。
このことはすべての人間関係に通じていえるのだと思う。

人を肩書きでみて依存してはいけない。自分の罠にはまらず、自分なりに関係を深めていきたい。

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