2018年3月29日木曜日

さよなら桜

石神井川は花びらが散り始め、桜吹雪が綺麗でした。
板橋には強風注意報が出たので、もう時間のもんだいだなあという感じです。

さよなら、今年のソメイヨシノ。

もうすぐ、山桜が咲きますね。

2018年3月25日日曜日

石神井川は さくら満開

東京は桜が満開です。家から近い石神井川の川沿いは、例年通り見事でした。
今年は少しライトアップに工夫があるようです。駅近辺だけのようですが。

提灯だけでも十分夜桜を堪能できると思いますけれども。

毎年少しずつ植え替えられていく桜。場所によっては若木が目立つところもあります。
ソメイヨシノは樹齢が決まっているようだし、川沿いには住宅も立ち並び、道も車一台分少しの幅なので、剪定することもきっと樹木の寿命には影響しているように思います。

剪定といえば、余談になりますが、中板橋駅前のコブシの木は、昨年枝を全て落とすことになったらしく、今年は花を咲かせるのが難しかったようです。
みてると哀しくなってしまいます。諸事情があるのでしょうが…。


今回はガラケーを忘れたりなんだかんだで、写真はまだ取れていません。
今が満開なんて、早すぎるなあ、というのが正直なところです。最近まで冬のように寒かったのに、桜が咲くぐらい暖かな日って、そんなにあったかしらと思ってしまいます。

しかしやっぱりさくらにはみとれます。。夜桜もゆっくり歩ける石神井川が大好きです。

2018年3月22日木曜日

風に立つライオン

さだまさしさんの小説、「風に立つライオン」を読みました。
図書館の受付のところに、飾ってあった一冊です。
春は別れと出会いの季節だから、そのテーマの本が集められていたのです。

さだまさしさんの同名の歌も好きだし、映画も見ました。
小説はどんな風に表現されているか、とても興味がありました。

読んで見て、圧巻、という感じでした。様々な人の、いろんな語り口で前半、中盤、後半一人ずつのある人について語られる形で物語が進んでいくのですが、読んだ後は、たくさんの人たちと話した気持ちになりました。

大切なことを語り合い、共有した気持ちです。

特に、東日本大震災のことが表してあるところは、私も東京で生活していた時間なのに、知らないことが多すぎて、本当にできることをしていたのだろうかという、苦い振り返りの時間になりました。

大沢たかおさんの提案でこの本が生まれたとありましたが、心の中にあるものがこの本を作ったのだと思いました。

さださんは、やっぱり、優しい方だと思いました。

2018年3月21日水曜日

真実について

「真実はひとつ!」というコピーは名探偵コナン君のもの。
コナン君は思い出すとテレビを見ています。時折ほろっときてしまうから、アニメも好き。

一番好きなアニメはワンピース。介助にいらしていたママさんに「とってもいいよ」と伺っていて、ワンピース好きの知人からも進められ、読んで見たのが始まりです。
仲間は見放さない。裏切らない。そして、悪役だと思われる人たちのはーストーリーもすごく考えられているから、毎回感動してしまいます。
お母さん方に人気があるのがとても理解できます。絵は少し苦手ですが。

一番好きな本は、今のところ12国記。小野不由美さんのファンタジー小説ですが、この本を読むと、ファンタジーだからこそ書けるリアリティに感動します。人の闇の部分がしっかり伝わってきます。NHKで作成されたアニメもとてもいい。欲を言えば、シリーズを全てアニメ化して欲しかったです。
リアリティを感じるアニメはとても好きです。と言っても数みてはいないので知らないことが多いかもしれませんが。

このブログにも書いたように思いますが、以前に見た、鋼の錬金術師も良かったです。最初に作られたアニメオリジナル版もいいけれど、私は原作に忠実な方のものが好きです。
全は一、一は全という考え方を、そして経験しなければ人生は自分のものにならないということを、長いストーリーでわかりやすく伝えるということに感動しました。

人間には何が大切なのか、その姿を表すものに出会った時、それが映画であれ、何かの作品であれ、人との話であれ、とても心に残るものになります。
そういうものが、好きなんだと思います。


最初から脇道に逸れてしまって、本題がなんなのかわからなくなってしまいました。

つい最近、ある人と真実について話をしたことを、少し書きたかったのです。

私がつい最近感じたことについて、話を聞いてもらっていた時、その感情をどう伝えればいいのか、私の過剰反応なのか、まだ結論が出ないと、そんな話をうちあけました。

そうしたら、彼女は私に伝えてくれました。

「でも感じたことは真実だから」

彼女いわく、その場で怒りが爆発してしまったり、感情をコントロールできない場合は考えものだけれど、感じた感情を受け止めて考えているということは過剰反応ではないのではないか、ということでした。
そして、感じたことは真実なのだから、と。

そうか、そうだなあと思いました。
そうやって感じたことについて考えていけばいいのかもしれません。感じたことは真実だし、の出来事は悲しかったけれど、私は情動に流されず、今は感じたことを悩み考えているということ。これは事実なんだと思いました。
爆発してしまえばその時は晴れるかもしれないけれど、後に思いが残ります。相手側にも、もしかしたら私の中にも。
同じ残るものならば、少しでも建設的にしておきたい、それが今の私の思いです。

真実はいつも一つ。誰にわかっていただかなくても、変に思われようとも、その事実だけが残り、いつか関係する誰かがそれに気づいていくもの、真実とはそういうものなんだと思います。

信じたものは向き合い続けるしかないなあと思いました。慣れていないぶん、少し辛いということも確かなことですが。

2018年3月20日火曜日

感じたことを言葉にする

数年前まで、たくさんのいかりを整理できなかった私は、本当によく怒っていました。
社会は私に対して不条理だと、その気持ちから逃れられませんでした。

今は、私に対してだけでなく誰に対しても、社会は不条理で、世界は不平等なんだと思っています。

何が私の中で変わったかというと、私だけではない、という視点が入れられたことだと思います。
みんなそれぞれ不条理な世界に生きているのだから、自分だけが不平等なところにいるわけではない、と思えたことです。

だから私も社会を本当の意味で理解することが必要なのだということです。

ただ、だからと言って何も感じなくなったわけではなく、その感じたことをどう表現するかは、今の私の課題になりました。
感じていることを伝えるのは、やって来なかったことなので、とてもとても難しいのです。

まずその時に、何を感じているのかを知るのが難しい。曲解してしまうからです。
感じたことをネガティブに捉えて、感じさせた人を責める言葉ばかりが浮かんできます。

これは今までの私の癖なのかなと思います。

表面的なことではなくて、真に感じたことを表現するのって、本当に難しいです。

今までやってきたことは、感じたことを傷ついたこととして捉えて、傷つけたと思われる相手を責めてきたこと、または自分を哀れんできたこと。

これからやっていくことは、感じたことを私の言葉で伝えていくこと。

この違いは、大きいとは思うけれど、いざやろうとすると、いつもの悪い癖が出てしまって難しいです。

とほほ。今まで何をいきてきたんだろ。

2018年3月18日日曜日

自分の生活にかかることは難しい。

今年は桜の開花が早いです。
近所のソメイヨシノは、根っこの方にひとつふたつ可愛い花を開かせていました。

世界ではいろんなことが起きているのに、ひとつひとつ自分の元に引き寄せて考えることは本当に難しいです。
今の私の課題です。

自分の視野を広げるということは、様々な地域で起きている出来事を、自分のこととして、痛みとして、喜び として、悲しみとして、感じられることなのかもしれないと、今は思っています。

今はたくさんの情報が入ってくる時代ですから、事実はいつも自分の目の届くところに書いてあります。そのことに気がつけるか否かは、私自身の生き方にあるように思います。

そして、自分自身は、ほんとうにまだまだ精神的に幼いなあと思います。少しの生活不安が、意外と大きく膨らんでしまうからです。

世界には過酷なところで生きている人たちがあふれていて、自分の環境はとても恵まれているとわかっているのに、この環境が壊れたらどうしようと、そんな不安を抱えてしまうのです。
人が来なくなったとしたら、制度が厳しくなったとしたら、その類の情報が聞こえてくると、生活不安が膨らんで、「なんとかなる」と思いきれるまでとても時間がかかります。

これまでも多くの支えがあって生きて来られたというのに、このくせを直すには、どんな経験が必要なんでしょう。
というか、そんな思いグセを修正するための、そしてこういう環境を理解するためのこの人生だということは、わかったはずなんですけれど。
過去生の私は本当に無知で、どうしようもないものでしたから。

自分の心は弱いものです。繰り返しますが、そこを直すためのこの人生なのですけれども。
私に今必要なことは、視野を広げること、つまり、世界の出来事を自分の元に引き寄せて感じる力を養うことです。はい。がんばるのみです。




きみは特別じゃない

今日読み終わった本

「きみは特別じゃないーー伝説の教師が卒業生に贈った一生の宝物」

 デビッド・マカルー・ジュニア  ダイヤモンド社 (大西央士 訳)

久しぶりに日曜日の予定がなかったので、ドーナツ屋さんでひたすら読書していました。
この本はたまたま図書館の店頭に飾ってあった本です。卒業がテーマで、揃えられていたものの一冊です。

高校を卒業していく人たちに向けた、熱いメッセージでした。

自分が特別と思っちゃいけない、道は自分で責任持って選ぶんだ、人はいつか死にたどり着くのだから…

語り口は、いろんな視点から結論にたどり着く感じ。あまり感情が表現されていない感じがして、私にとっては少し苦手な部類に入るものでした。

それでも読み通すことができたのは、題名に惹かれて、どんな風に「特別ではない」ということを書き表しているのか、とても興味があったからです。学校の先生の視点で、生徒に何を伝えたいかが、ひしひしと感じられたことがとても良かったと思います。

この中に「差別はしてはいけない」という章があって、ノーマルな考えが書いてあったのも良かったです。

人間の基本を教える先生はきっとたくさんいらっしゃると思うのだけれども、自分の味方と違う視点から同じ意味のことを教わった感じがします。

ひとつ残念だったのは、大学を出ることが前提で語られたことでしょうか。
その方の価値観だから、私の価値観と違うということで、理解しようと思います。

10代の時に、こんな風に、一人一人が特別な存在ではないということ、つまり一人一人が特別でそれを互いに尊重しあって初めて信頼が生まれるのだということを、根気よく説明してくれる人に巡り合えていたら、どんな人生が待っていただろうなあと思います。

そういう出会いがなかった自分はそれなりに人生を生きて、今頃いろいろ振り返る事態になってしまったけれども、それでもこの本が知り得たことの復習になったことに、ここまでのであった方との関係性に、感謝したいと思いました。


2018年3月15日木曜日

昨日見た夢

昨日見た夢は、自分が這いつくばって道を探し歩いている夢でした。
砂埃を立てて、手足を真っ黒にしながら、はって道を進んでいる私。そばを高校生が笑いながら楽しそうに通り過ぎたり、道ゆく人にとって私は見えているのか無視されているのか定かではないのですが、そんな中を、脇目も振らずに道を探し進んでいるのでした。
遠くに見覚えのあるショッピングセンター(何故かサティ^_^)が見えて、道は間違っていな方と思ったところで目が覚めました。

なんだか意味ありげなゆめでした。

スクールが終わってから

昨年まで通っていた、ヒーリングの先生主催のグループレッスン。
育った環境も年齢も置かれている立場も違う女性たちが数年間を一緒に学びました。

私塾のようなもので、私はずっと「スクール」と呼んでいました。

このスクールが昨年終了した時のことを、このブログにも以前書きました。

スクールの内容は、スピリチュアルリズムと、グノーシスの教えに基づいた理論とワークが中心のものでした。
目的は、人間力を高める(人としての思いやり、協調性、問題のある性格を正し、美徳を養う)ことだったように思います。
私はご縁があって、この場が始まったときから、終了する昨年末まで、通うことができました。

最初は「ヒーラー養成講座」と言う、知識中心の講座から始められたものなので、「ヒーラーになるのかな」と勘違いしながらもドキドキワクワクして通い始めました。

長い間お世話になるとは、そのときは想像もつきませんでした。

私の転機は、2年前でした。
それまで、私は、自分の問題について、今思い起こすと、そんなに真剣に考えていなかったように思います。
その時は考えていると思っていました。理解していると思っていたし、過去生について思い出したことも、受け止めていると思っていました。
なので、できていないことを指摘されるたびに、何故できないのか、どうすればできるようになるのか、そんなことばかり考えを巡らしていました。

私は、何故そう言うご縁があったのか、自分の過去生での行いをよく思い出す時が多くありました。
過去生の存在を信じられない方には、変なことを書いていると言う感じにしか見えないかもしれませんが、過去5000年の自分の様々な人生を見させていただくことになりました。

それは感情を伴わず、実感のない、まるでテレビで誰かのドキュメンタリー番組が、部屋の片隅で流れているよう感じでした。
私の人生の出来事なのに、私がそこで生きていたと言う実感も持てない、記憶でした。

そしてそれらの多くは、直視できないほどに、私の酷い性格を表すものでした。

それらの過去生で私の被害に遭われた方がたくさんいるという事実を、スクールの中で自覚する作業が続きました。

事実を受け入れること、自分自身を受け入れることの難しさを、知りました。

転機は、突然でした。
今まで、どうしたらわかるのだろう、どうしたらできるのだろうと思い悩んでばかりいたのですが、ふと、
「できないんだ、私。」「理解するだけの経験がないんだ」
ということを理解したのです。
知らないことは、これから覚えていかなくてはいけないし、教えを請う必要があります。
できない、と気がついたこと、それに見合う経験も知恵も備わっていないということに気がつけたことは、私にとってとても大きなことでした。


それからしばらくして、自分の人生の目的を自分で決めることが重要、ということに気づき、幼稚であっても、意志を持って生きることを心がけることに決めました。
そこから、少しずつ、人生の在り方が変わっていきました。

スクールでお世話になった恩師とは、今も時折教えを請いに伺っています。

最近気がついたことは、ネガティブな欲望(難しい言葉でエゴイズムと言いますが)は、本当に怖い代物だということです。
理解していたことをわからなくさせ、覚えていたことを忘れさせ、人を欲の深い方に誘い、愛情を表現する力を失わせます。
私は数年前までその真っ只中にいました。多くの人に支えてもらいながらいろんな物事を得ているのに、自分ができないということに集中し、できる能力かあると信じていました。
それは過信でした。

人は誰でも、自分はいい人であると思いたいし、いい行いをしたいと思っていると思います。その気持ちが、醜い部分のあることを隠してしまい、かえって物事を正確に見ない原因になったりします。
自分がそれほどいい人ではなかったということ、醜い部分があるということを自覚できた時、そしてそれをどうにかしたいという気持ちが生まれた時、つまりその醜い部分で他者にこれ以上辛い思いをさせたくないと思った時、何かが自分の中で変化していくのかもしれません。

このことは、忍耐強くそのことがわかるまで諦めなかった人にしか、わからない世界のように思います。
私の状態が果たしてどうなのかは定かではないですが、自分を諦めたくはないと、それだけは心に決めています。

2018年3月11日日曜日

祈る日

昨日は3月10日、今日は3月11日。

忘れてはいけないことは、たくさんあることを、思います。


NHKの「映像の世紀」で、第2次世界大戦から、戦争は庶民を巻き込むようになったことを再認識しました。

歴史を実感するのは、悲しいことだと思いました。

そして、被害にあった人々の悲しみを、加害した人は本当に実感できないことが、この不幸が止まらない理由のように感じています。

人を傷つけたら、傷つけた方の人の心にも悲しみが感じることができると良いのにと思います。


7年前の今日、私は東京で暮らしていて、その日も介助の方と過ごしていました。




世界が本当の優しさを取り戻すために、まず私の心を育てていこうと思った1日でした。


2018年3月4日日曜日

好奇心と怖さと

乗り越えたはずの物事に、ふと怖さを蘇らせることがあります。

例えば私の場合

このように制度の中で生きているということはどう捉えればいいのだろうか、とか

ある日生活が壊れてしまったらどうしよう、とか。

考えても仕方ないことを、考えてしまう時があります。

考えても仕方ないことというのは、考え続けても底なし沼のように切りがないだけ。ただただ心配事が増えるだけ。

なので、違うことに切り替えたり、建設的な考えに頭を向けるということをできるようにしてきました。

でも今日は久しぶりに、迷路にはまった瞬間がありました。

ある物事について、私はなんの努力もしてこなかったのではないか。だから最近この身にある物事が起こったのではないか。

いや、そうではなくて、やってきたところもあるからこそ、今の流れなのかもしれないのですが。

どうなのでしょうか。

どつぼにはまると、すべてのことが不安定に見えてしまいそう。この物の見方が自分の弱さのようにも思います。

とにかく、今年に入ってからは、まるでこの人生でやり残したことを整理しなさいと言われているみたいに、物事が起こります。


そして、好奇心。
苦手分野を学べそうな講座が見つかり、受けようか悩み始めました。

私の今年の目標は、関係性を深めることだけれども、伝えるということがあまり良くできません。
若い時は自分の言いたいことだけ言い放ち、伝わった気になっていたし、理解してくれない人イコール私を偏見で見ている人、と思っているところがありました。

そう思うと、好き勝手なことを書いて、伝えられた気になっていました。自分は文章に長けていると…。

心地よい言葉しか聞こうとしなかったし。
今頃になって、満足にできることは何もないということを理解するなんて、少し遅かったですね。


せめて人にわかるように伝えられるようになりたい。
本当のことを聞けるようになると同時に。

新しいことが始まりそうな春、新しい場所で学ぶことも始めるかどうか、
悩むこともないとは思いますが。そもそも遊び人なんだし、時間はあるはずだもの。

なぜ悩んでいるのか、わからなくなってしまいました。

2018年3月2日金曜日

ことば

人は、言葉で人の心をころしてしまう。

過去の私は、どうだったろうか。そのことに気づいていなかった私は、どれほどに、周りの人に迷惑をかけたのだろうか。

無意識にそれをやってしまっている知人に、私は何を伝えたいんだろう。
助けたいと思っているんだろうか。そう思うことがそもそも傲慢だけれども。

私にはスクールがあって、先生が私に伝える役を負ってくれた。

知り得たものを、気づいたことを、私はどのように生かすのだろうか。

言葉を、考えながら話すのはとても難しい。
愛情を入れて話すということを意識し、
自分の感情に押し流されず、その時その時、ベストに生きるということを私はできるだろうか。

日常の生活から

私の生活はいつも、介助の方に支えていただいて成り立っています。
今日はそのスタイルから少し気がついたことがありました。

人は、というか日本ではと言った方がいいのか、最近はと言った方がピンとくるのかまだわからない部分が多いけれど、仲が良くなっても、あまり互いに気づいたことを言い合うことはないように感じています。

相性が合う人同士なら言いにくいことも互いのためなら言い合えるのでしょうか。
親友ならば言えるのでしょうか。
私には少しまだわかっていないところがあります。

私は今も残念ながら親友と言える出会いはありませんから、ここのところは未知なのです。

介助というお仕事でお世話になる方々は、私の身の回りのことをやっていただくことが仕事になりますので、私との関係は最初から契約のものになります。

私は「利用者」という位置で、関係が始まります。

なので、どんな関係を作りたいかということは、私次第になっててしまうところもあります。

必要なことだけ頼めたらいいのか、
和気藹々と関係を作りながらその時間を過ごしたいのか、
お互いのことを少しずつ話しながら深めていきたいのか、

私は、今はその時間きてくれた人と大切にしたいという気持ちが強くあります。数年前までは、理解してほしい、という気持ちが先行しました。
昔からそのことで失敗したり楽しかったりいろいろなことの中で過ごしてきました。

自分で自分のことをできる、介助のいらない生活を送っている人々の人間関係は、私が送っている日常生活とは本当に違う、と思ったのが今日の実感です。

あえて人に自分の心を見せなくていいということは、見せないということに慣れているということなのかなと思いました。

プライベートを自分だけで持つということ(家族がいるにしても、身辺のことは自分で行うわけですから)は、私の世界ではもしかしたら想像以上に他者との境界線がはっきりしているのかもしれないと思ったのです。

今日常として私が過ごしている毎日は、心のうちもほんのり見えてしまう距離にいつも他者がいるということ。それはこちら側ばかりでなく、関わってくださる方もそうだということです。

だから今私はとても人を理解しやすい環境にいるということなんだと思いました。

本当は突っ込んではいけないと思われること、そんなことを時には伺い、触れられたくないかもしれない心のひだに触れてしまったり、そんな日々の中で、
私はもっと気がつかなくてはいけないことがあるように思いました。

本当は、人は自分の心をそっと胸の奥深くにしまって、何もないように装って生きていて、私はそれさえ気がつかないほど自分本位だったような、そんな切なさと申し訳なさを感じた日でした。


2018年3月1日木曜日

3がつのすごしかた

今月は、一つの物事を深く理解していく努力をしようと思います。
自分の価値観がどこにあるかを確認しながら、他者の目線を意識し、理解していくことにつとめてみます。

よりそうことに視点を置き、生活してみようと思います。
一つでも多く、こころをりかいしていけますように、

そして、遠くから自分を見る目を養いたいと思います。

さあ、できるかしら。


花田春兆ーーその人と企画展

花田春兆氏の企画展を教えてもらい、行ってきました。 花田春兆ーその人と企画展 場所は板橋の淑徳短期大学。今月17日から明日までの企画展です。 数作著書を読み、生前にはそのほかにも接点をいただいていた春兆先生。 今日は主催された方からお話を伺う時間をいただい...