昨年まで通っていた、ヒーリングの先生主催のグループレッスン。
育った環境も年齢も置かれている立場も違う女性たちが数年間を一緒に学びました。
私塾のようなもので、私はずっと「スクール」と呼んでいました。
このスクールが昨年終了した時のことを、このブログにも以前書きました。
スクールの内容は、スピリチュアルリズムと、グノーシスの教えに基づいた理論とワークが中心のものでした。
目的は、人間力を高める(人としての思いやり、協調性、問題のある性格を正し、美徳を養う)ことだったように思います。
私はご縁があって、この場が始まったときから、終了する昨年末まで、通うことができました。
最初は「ヒーラー養成講座」と言う、知識中心の講座から始められたものなので、「ヒーラーになるのかな」と勘違いしながらもドキドキワクワクして通い始めました。
長い間お世話になるとは、そのときは想像もつきませんでした。
私の転機は、2年前でした。
それまで、私は、自分の問題について、今思い起こすと、そんなに真剣に考えていなかったように思います。
その時は考えていると思っていました。理解していると思っていたし、過去生について思い出したことも、受け止めていると思っていました。
なので、できていないことを指摘されるたびに、何故できないのか、どうすればできるようになるのか、そんなことばかり考えを巡らしていました。
私は、何故そう言うご縁があったのか、自分の過去生での行いをよく思い出す時が多くありました。
過去生の存在を信じられない方には、変なことを書いていると言う感じにしか見えないかもしれませんが、過去5000年の自分の様々な人生を見させていただくことになりました。
それは感情を伴わず、実感のない、まるでテレビで誰かのドキュメンタリー番組が、部屋の片隅で流れているよう感じでした。
私の人生の出来事なのに、私がそこで生きていたと言う実感も持てない、記憶でした。
そしてそれらの多くは、直視できないほどに、私の酷い性格を表すものでした。
それらの過去生で私の被害に遭われた方がたくさんいるという事実を、スクールの中で自覚する作業が続きました。
事実を受け入れること、自分自身を受け入れることの難しさを、知りました。
転機は、突然でした。
今まで、どうしたらわかるのだろう、どうしたらできるのだろうと思い悩んでばかりいたのですが、ふと、
「できないんだ、私。」「理解するだけの経験がないんだ」
ということを理解したのです。
知らないことは、これから覚えていかなくてはいけないし、教えを請う必要があります。
できない、と気がついたこと、それに見合う経験も知恵も備わっていないということに気がつけたことは、私にとってとても大きなことでした。
それからしばらくして、自分の人生の目的を自分で決めることが重要、ということに気づき、幼稚であっても、意志を持って生きることを心がけることに決めました。
そこから、少しずつ、人生の在り方が変わっていきました。
スクールでお世話になった恩師とは、今も時折教えを請いに伺っています。
最近気がついたことは、ネガティブな欲望(難しい言葉でエゴイズムと言いますが)は、本当に怖い代物だということです。
理解していたことをわからなくさせ、覚えていたことを忘れさせ、人を欲の深い方に誘い、愛情を表現する力を失わせます。
私は数年前までその真っ只中にいました。多くの人に支えてもらいながらいろんな物事を得ているのに、自分ができないということに集中し、できる能力かあると信じていました。
それは過信でした。
人は誰でも、自分はいい人であると思いたいし、いい行いをしたいと思っていると思います。その気持ちが、醜い部分のあることを隠してしまい、かえって物事を正確に見ない原因になったりします。
自分がそれほどいい人ではなかったということ、醜い部分があるということを自覚できた時、そしてそれをどうにかしたいという気持ちが生まれた時、つまりその醜い部分で他者にこれ以上辛い思いをさせたくないと思った時、何かが自分の中で変化していくのかもしれません。
このことは、忍耐強くそのことがわかるまで諦めなかった人にしか、わからない世界のように思います。
私の状態が果たしてどうなのかは定かではないですが、自分を諦めたくはないと、それだけは心に決めています。