2015年11月22日日曜日

選択してきたことについて気付いたこと

ものごとに揺れなくなるということを、最近実感した。
考え方の違いや、諸般の事情で、住むところを変えたり、所属しているところを離れたりすることは誰でもあることだと思う。
私も、実家から離れることを含めて、6回ぐらい住むところを変えた。
一度一度が、「ずっとここに住もう」と決心しての引っ越しだったから、この結果は自分でも驚いてしまう。

実家を出るときさえも、私は仕事を辞める形で出ざるを得なかった。
親が私と働くために提供してくれた文房具屋を退職することを選んだのだった。
そのお店のためにどれだけの資金がかかり、両親がどれだけの苦労をし、妹たちの生活までが大きく変わってしまった文房具店だった。
家を出るまで本当に悩んだ。もし友人の死という出来事が2回も(正確にはその年3度起きた。自立という悩みに関係する友人は2人だったけれど。)起きなかったら、私は自立を諦めて、家族のもとでずっと生活していたかも知れなかった。

両親には申し訳ないことをしたけれど、このことに関しては私は悔やんでいない。一度施設で暮らすという形で、私は家族のもとを離れてしまった。思考力のない、そして心の狭い私には、一度離れてしまった家族と自分からうまく関係をつくるということはとても難しかった。誰かのせいではなく、これでよかったんだと思う。いま多くの人たちに支えられていると自覚しながら、生活していけているのだから。

引っ越しのきっかけは、関わってくれていた人たちとの別れが原因のことが多かった。
こうしたことについて、本当に私はこれでよかったのか、答えが出なかった。

今日、ある人と話しながら、
お別れしたひとつひとつのことについて客観的にみている自分に気がついた。
そして、別れたひとつひとつの組織や関わっている人たちが、変わっていようと変わらないままでいようと、動じない自分を発見した。

すこし前の私は、相手が変わることを望んでいたし、別れてきたその場所にいきたいという気持ちもなかった(今でも逢えていこうとは思わない)。私は自分の正義に酔っていたんだと思う。今は、そんなことはどうでもいいことなんだと思うことができている。正しいとかまちがっているとかではなく、私がそこを離れたかったから離れただけで、相手の生き方を変えようとしなくていいし、ネガティブな感情は持たなくていいということなんだ。

私はできれば成長していく生き方をしたいし、広い視野で物事をみる目を養いたい。
相手が成長していないということではなくて、私はいつも変わっていくということなんだなあって。

わかりにくい説明で申し訳ないけれど、今回の出来事でわたしの心が揺れなかったのはそういうことなんだと思う。
すごく視野が狭いとは思うけれど、私なりにひとつひとつの場所に関わり、現実にふれてきたから、その視点から理解できるから、距離を保ってみることができる。この距離感が大切なことなのかも知れない。

生き方を見直すたびにその時のお付き合いから離れることになり、結果的にその時々で迷惑をかけてきたと思う。私と逢いたくない人も多いと思うし、嫌な思いをする人もいらっしゃるだろう。
それは当然のことなのだから、と、今回は思った。なぜなら、多くのことから離れることを選んだのは私だし、人に理解を求めても仕方がない。
私の生き方は、自分で見直して、進んでいくしかない。それだけのことだ。

そして、過去を客観的にみた自分がいた。
自分で選んだことに、責任を持とうと思った。大それたことではなく、日々考えながら生きて行こうと思った。

今までにない、いいようのない気持ちだった。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...