2015年12月16日水曜日

介助を受けることについて気づいたこと 補足

少し気になったので続きを書いてみようと思う。

自立生活の理念について意見があるわけではない。
「できない」ということをどう認識するかが、私にとってとても気になることであり、整理したいことなのだ。
「できない」ことは悪いことではなく、ちゃんと受け入れた方がいいことなんだ。それを理念でなく、感覚で実感することが、私にはとても重要なこと。

受け入れるということはどういうことか。
「一人ではできないんだなあ」と気づくことなのかも知れない。そして、その上で自分らしく生きることを追求することなんだと感じている。

介助で関わってくださる人達は、一人一人異なったやり方で、私の生活を支えてくださる。
私はその一つ一つのやり方に感謝することしか自分にはできないと思っていた。でも時折受け入れられなくていらいらしたり、私の思っている「正しいやり方」をわかってもらいたいと思い、伝えることに努力をしていた。

どうやら違うらしいと、ある方からアドバイスを受けて気がついた。

私は、介助の仕事を通して関わり続けてくれる人たちの行動から、やり方を学ぶ必要があった。
私が学ばなくてはいけなかったことは、人が人に対して寄り添うきもちだ。

毎日来てくださる方が、伝えてくださっているそのやりかたひとつひとつを、教えてもらっている、ということなんだ。

私のやることは、思い癖に振り回されないで、それをまず深く見るということなんだと思う。もし仮にいい気持ちがしないことになったとしても、ではもし立場を変えたら自分はどうするのか、本当に相手の求めるものを差し出せるのか、考えてみる必要がある。

できないという事実から、私のできることがある。できないことをできるようにするのではなく、今の私の状態だからできた方がいいことがある。
できない体だからこそ、そこのところに向き合う機会なのかも知れない。

学ぶ気持ちというものが、違う視点から見るということを学ぶ一歩なのかも知れない。

全は一、一は全

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