2013年7月29日月曜日

体調が良いので

雨も苦になりません。
げんきんな私でございます。


素朴な疑問がひとつ
これから知っていく方に自分のことを話過ぎる時って、どんなときなのでしょうか。

何年か前の私がそうでした。
私の場合は、
そのひとに私のことを知って欲しい、という強すぎる思いがありました。
その方がどういう人かと言うことは、あまり興味が持てなかった気がします。

たくさんの人たちに話を聞いていただいて、今の自分があるように思うのです。
そして、「実は相手に興味を持てていなかった」自分を発見しました。

その方の人生で重要だと思われることを伺ったとき、
「こんなことを打ち明けてくれて、気を許して下さったのかな」と思ってしまうことがあります。
友だちとして近づけたような、そんな気持ちに。

実は話している本人はそうではなくて、自分の話しがいちばん責任が持てるから、して下さっていることもあるのかもしれません。
相手のことを根掘り葉掘り聞いてはいけないし…などと感じているのかも知れません。
今日なんとなく、そんなことをふと考えました。

私の場合もそうだったかも知れません。
自分の話ならいくらでも出来てしまい、「相手が私と付き合ってくれるときにきっとこの情報は必要だと思うから」そんな風に思い込みながらどんどん話していたような。
結果的に相手の方の「聴く姿勢」に甘えるかたちになっていたように思います。

会話ってなんなのだろう。

この間友人とアメリカに行って、失語症状態で周りの人の会話をひたすら聞いていた私は、アメリカの方々が相手の話にすぐ 興味を持ち、質問してくることに感動していました。
相手の名前も忘れない。
だからといって深すぎる話しはしない。相手がどんな信条を持っているかわからないから。
ここら辺のニュアンスは、小さい頃からの経験値かなとも思いました。

会話になれていない私は、場を思いやれずにすぐ自分の重い話をしがちです。
そんなに知り合ってない方にも、自分の話はできてしまうのです。話したくなってしまうのです。

相手に興味を持つ。これは私にとっての大きな課題です。
だからどんな関係であっても、まず聞こうと思っています。
そしてそれによって感じたことや、関係性のなかで私が聴きすぎていると感じたときは、無理をしないで修正を試みようと思っています。

今の私は、めぐり合う方々に、どこまで自分のことを話していいものなのか、正直わからなくなった状態です。
そんなに話さなくてもいいことなのかも知れないとも思います。
話すことよりも、こうして書いてみることのほうが、今は重要なのかも知れません。

素朴な疑問からの話しでした。
わけわからなくなったかな。後日書き直すかも知れません。

好きな歌詞 ーートモエ学園ーー

福山さんの歌は、好きな歌もあるけれど、あまりハマらないのですが、この歌はとても好きです。 「窓際のトットちゃん」の本も好きだったけれど、トットちゃんの世界を別にしても、とても心にしみる詩です。 子供目線が少し入るから、優しくわかりやすい詩になっています。 いい先生や、友...