2016年1月13日水曜日

マリーとマルグリット

フランスのもうひとつの「奇跡のひと」。
昨年、シネスイッチ銀座でみはぐれてしまった映画です。

ヘレンケラーとサリバン先生のように、実話を基にした映画です。

うん、大袈裟でなく、伝えたいことが伝わって来る映画でした。
闇から目覚めるまでのひとは、本当に盲目で、こうした根気強く付き合ってくれる教師が必要なんだなあと、思いながら見ました。
見ている私は耳も目も聞こえるし見えるから、マルグリットの根気強さやうまくいかない悩みが見えるけれど、闇の中のマリーは本当に、ことばやものごとがわかるまでは、なぜ強く引っ張られるのか(勝手に走り出さないように伝えたいだけだけれど)、なぜお湯の中に入れられるのか(お風呂だけれど^ ^)、なぜ髪の毛をいじられてしまうのか(髪をとかす気持ち良さを味合わせたいだけだけれど)、通じないんだなって改めて思いました。

これは障害がどうこうという世界を離れて、伝えるひとは十分に誤解され嫌われる覚悟を持って、闇の中にいるひとを救おうとしてくれているのだと感じたのでした。

そして、ふと、見終わった時に、昨年金スマで見た、渡辺和子さんの著書の名前を思い出していました。
「置かれた場所で咲きなさい」

マリーの人生の、つつましくも役割のあった時間を思いました。



全は一、一は全

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